2025/07/15 - 2025/07/23
36位(同エリア83件中)
ミズ旅撮る人さん
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インドの北西部、ヒマーチャル・プラデシュ州の山の中を駆け巡るツアーに参加しました。この州の北東隣がラダックです。インドは広大な面積を誇るので実に多種多様な文化・宗教があります。今回訪れたヒマーチャル・プラデシュ州はイスラム教(すぐ隣がパキスタンですから)とチベット仏教の地であり、初日に訪れたアムリトサルはシーク教徒の総本山のある都市です。ヒマラヤの山の風景と高山植物を見つつ、特色のある寺院を訪れるちょっと他では見られない行程です。
エアインディアで羽田を発ちデリーへ。更にそのままアムリトサルへ。5台の乗用車が待っていました。ここからヒマラヤを目指して、チャンバ、バイラガル、標高4,390mのサチ・パスを越えて、キラール、キーロン、3,980mのサチ・パスを越えてマナリへ。高地の旅は坂と階段が多いので息切れがします。でもそれが滅多に来られない高山の証拠。ハアハアゼイゼイ言いながらも楽しみました。何より楽しかったのは日々のドライブです。5台の車が連なってガードレールもない未舗装道路をブラインドカーブの連続なのに、素晴らしいペースで突っ走ります。あまり名立たる観光地のない地域なので、山と高山植物と車の旅行記になります。
1回目は、アムリトサル。シーク教徒の総本山・黄金寺院とジャリヤーンワーラー庭園の見学です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
パンジャブ州アムリトサルのホテルからの眺めです。昨日、羽田からエアインディアで首都デリーに飛び、そのまま国内線に乗り継いでアムリトサルに来ました。
先月離陸直後の墜落事故があったり、その数日後に羽田発の便がコルカタに緊急着陸したりと、なかなか緊張感のあるエアインディアです。相変わらず機内のモニターは殆ど全滅で読書灯も点きません。ついでにマイルも付きません。
昨夜22:35にアムリトサル空港に着陸して、ホテルに直行しましたが、モンスーンの真っ只中のため、夜は雨が降っていました。今朝は雨は止んでいるようです。 -
アムリトサル中心部と空港の中間地点にあるゴールデン・サロバー・ポルティコホテルは、インドの都市部の普通のホテルです。インドはダブルの部屋が多いと思います。ツアーでは、1日1リットルの水を1本くれます。そしてホテルでも大抵置いてあります。おかげで、水を買う必要はありませんでした。
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今回のホテルはすべてバスタブが無く、シャワーのみでした。この設備が、これから各地のホテルでどうなっていくのか、覚悟しておかなくては。インドでは停電はもちろん、お湯が出ない、ボイラーが故障した、タオルはバスタオル1枚だけなどはもれなく付いて来るおまけのようなものです。これから山間部に行くのですから、何が起こるか楽しみです。シャワーブースと洗面台の床は、ほとんどフラットなので、シャワーを使うと浴室全体がびしょ濡れになります。滑らないように気を付けて。ビーチサンダルが活躍します。
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アムリトサル中心部の高架下です。デザインに凝ったオートリキシャが並んでいます。車の窓ガラスには水滴が付いていますが、雨は止んでいます。これから観光なので傘をささないで済むのは助かります。
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三輪車で物を運ぶおじいさん。かつてはよく見掛けましたが、近年、自転車はあまり見掛けなくなりました。
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あ、ターバンの二人乗り。シーク教徒は髪や髭を生まれた時から切らないため、ターバンの中に収めています。シーク教徒は全人口の2%しかおらず、どこを見てもターバンだらけなどという現象は総本山のあるアムリトサルで見られるくらいです。
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オートリキシャは随分と格好よくなり、デザインも多岐に亘ります。左端には従来のリキシャがいます。自転車のリキシャは昔はどこにでもたくさんいましたが、今回はこの時にしか見ませんでした。平地向けですからね。
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警官も制帽の代わりにターバンを巻いています。これは軍隊でも認められています。
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ターバンの色は多種多様。でも、部族によって巻き方が違い、ターバンを見ればどこの出身かわかるのだそうです。パンジャブ州は「5つの川」という意味です。しかし、パキスタンが独立して3つの川が分離してしまい、インドのパンジャブ州には2つの川しか残っていないそうです。
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シャヒード・バガット・シン・ロードに入って黄金寺院前の駐車場で車を降りました。すぐ前にある広場には立派な騎馬像があります。シーク教徒の王国を築いたランジット・シンの像です。ランジット・シンは1799年にラホール(現パキスタン)を首都としたシーク王国を設立しました。黄金寺院を金メッキの銅板で覆って、「黄金寺院」と呼ばれるようにしました。しかし彼が1839年に亡くなると内紛が起こり、イギリスが1845年、1849年の2度のシーク戦争を経て併合しました。
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ピンクシティとして有名なジャイプールのような建物です。
ここから黄金寺院までの500mは、一大繁華街になっています。 -
サーモンピンクの建物の中はショッピングアーケードになっています。
ここで買い物がしたかったなあ。今回はほぼ全日程が山奥です。買い物が出来る場所はあるんだろうか。空港では日本円からルピーに両替しましたが、最低限の3千円にしました。ただ、空港の両替所では最低1万円からしか取り扱ってもらえないのでツアーの人たちと共同で両替をしなくてはなりませんでした。 -
シーク教徒は「世俗の職業に就いて社会に貢献する」ことを推奨されているため、商売上手で成功する人が多く、総本山のあるアムリトサルは経済的に栄えています。この界隈の賑わいは他の都市とは趣が違います。
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なんともモダンな商店街を歩いて行きます。ツアーの男性たちが頭に布を巻いています。イスラム教では女性だけがスカーフを着用しますが、シーク教では男性がターバンを巻くため、観光客の男性も被り物をする必要があります。
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モロッコなどのアフリカ諸国ではバブーシュという履物が有名ですが、ここにも同様の履物がずらっと並んでいます。チュニジアの履物は皮臭くて買えませんでしたが、インドのものは気になりませんでした。ホテルの浴室で使うサンダルはここで調達出来そうですね。
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後述する「アムリトサルの虐殺」で亡くなった人々を現わした彫刻。
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ここだけ見るとまるでテーマパークのような町並みです。
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モンスーンで昼間は暑く、湿気が強いので、午前の早い時間でも観光客や信者がたくさんいます。
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アトラクションの入口のような建物。これだけすごいペイントをしているけど、ひょっとして寺院なのかな?
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黄金寺院はハリマンディル・サーヒブが正式名称です。
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寺院の中に入るには、靴を預けなくてはなりません。インドではヒンズー教の寺も靴を脱ぐのですが、シーク教の寺院では靴下も脱いで裸足になります。
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まだ寺院の前の広場ですが、既に裸足になったシーク教徒たちがいます。右側の三人はオレンジ色の布を頭に巻いています。スカーフなどを持参していない男性は、ここでオレンジの布を貸してもらうのです。もちろん、ノースリーブや短パンは厳禁です。
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寺院の中に入る前に、足を水に浸けなくてはなりません。水深はくるぶしより下なので、プールの足洗い場より浅いのですが、意外に気持ち良かったです。
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建物の中には階段が待っていました。四角い敷地の中央部分は、一段下がった作りになっていました。
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階段を降りると、目の前に大きな池「アムリタ・サラス」があり、その中央に黄金寺院がありました。右手から橋が架かっていて渡れるようになっていますが、多くの人でギッシリです。
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2階建てになっていて、2階にも信者たちの姿が見えます。イスラム教のモスクだと、男女の礼拝場所は厳格に分けられていて、女性は地下に設けられていたりします。シーク教は、ヒンズー教とイスラム教の良いとこ取りになっていて、偶像崇拝を退け、1神教なのはイスラム系ですが、カーストのないヒンズーに近い感じです。
黄金寺院 寺院・教会
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黄金寺院の対岸です。アムリタ・サラスはほぼ真四角で、それぞれの辺の中央に祠堂があります。全体は白で統一されていて、蒸し暑い季節でも涼やかに見えます。そこに、色とりどりのターバンやサリーを着た人々が歩いているので、華やかです。
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信者たちは、先ず池の端で頭を床に着けて礼拝します。床はツルツル・ピカピカで足触りが気持ちよく、裸足で歩く気持ちよさを感じます。
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メインゲートはお城のような豪壮な建物です。ハリマンディル・サーヒブには、四方に入口があります。万民に開放されていることの象徴なのだそうです。
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その前にある橋への入口は、華麗な宮殿のようです。建築様式はイスラム系のムガール帝国のものを多く取り入れているようです。建物の手前も奥も人がびっしり並んでいるのが見えます。
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メインの黄金寺院に入って見たかったのですが、この列を見て、ツアーでは不可能だとわかりました。私たちはここの見学の後、いよいよヒマーチャル・プラデシュ州に移動します。何があるかわからないインドの秘境への道なので、のんびりはしていられないのです。
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イチオシ
白大理石の床は心地よく、座り込んで寛ぐ人が多く見受けられます。
黄金寺院に入る前に裸足になる必要があると言われた時には、靴下もだめだなんてと難色を示したものですが、実際に歩いてみると裸足が一番気持ちがいい! -
インドの大理石彫刻は本当に素晴らしいです。代表的なのはタージ・マハルですね。
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階段脇の壁には文字が刻まれています。「IN LOVING MEMORY」という英語が見られる事から、寄進者のメッセージだとわかります。
シーク教徒はパンジャブ州に集中していますが、外国に移住している人も多く、イギリス・アメリカ・カナダ・オーストラリアなどの英語圏に多くいます。
イギリスの直轄地となりシーク王国が滅亡したのち、インドからパキスタンが分離独立した際に、パキスタンとなった地域に住んでいたシーク教徒がイスラム教国を嫌い、大量に移住したのです。現在インド国外には1,200万人が住んでいると言われています。 -
ハリマンディル・サーヒブのすぐ外に建つレンガ色の建物はLangar Hallと言い、これからその中を見学に行きます。
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ムガール帝国は最初はシーク教に対して寛容な政策をしていましたが、
アウラングゼーブ帝がイスラム教強制政策へ転換し、シーク教徒の指導者(グル)第9代のテーグ・バハードゥルが1675年に処刑されました。それに対して、シーク教徒は自己防衛のために武装を始めます。
1699年に第10代のグル・ゴービンド・シンは信者による一種の戦闘集団であるカールサー(清浄なる者たちの意味)を組織し、5つのシンボルを与えました。
・ケーシャ 髪を切らず長く伸ばさなければならない。髪も髭も伸ばしたままにする。
・カンガー 身を整えるために櫛を携行する。
・カラー 右腕に鋼鉄製の腕輪をつける。力強さと揺るぎない結束を象徴する。
・カッチャー ゆったりした半ズボン状のズボン下を着用する。
・キルバーン 剣を常に携行する。
これらは「5つのK」として知られ、現在でもシーク教徒が守らなければならないこととされています。 -
信者たちは、アムリタ・サラスで沐浴をします。沐浴の出来る場所は決められていて、池の中央部に泳いで行くなどは出来ません。
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こちらは女性専用の沐浴場。周囲を壁で囲って見えないようにしてあります。インドの女性を隠す習慣は、空港の手荷物検査場でも見られます。身体検査は男女別のレーンで、女性はカーテンで仕切られた内部で行われます。
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沐浴をするのは信者だけではないのか、簡易的な布を巻いている人も見受けられます。男性は生涯髪と髭を切ってはならないとされていますが、近年は髪を切ってターバンを巻かない若者が増えて来たそうです。髭も剃ってしまうので外見からはシークとわからない人もいるようです。ターバンの中は蒸れて暑くて辛いのだそうです。そうだよねぇ。
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とても綺麗なお堂?がありました。白大理石に色石が嵌め込まれて模様を形作っています。これはタージ・マハルでよく見られる装飾ですが、本当に優れた技術です。
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人々がお参りしていたガラス張りの中には金ピカの陳列台がありました。ただ、そこに何があるのか全然わかりません。シーク教徒は偶像崇拝をしないので、神像がある訳はないのですが・・・
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では、何を尊崇しているのかというと、黄金寺院に収められている「経典」です。シーク教始祖のグル(導師)ナーナク以降、10代目のゴーヴィンド・シンまでは彼らが信望の対象でしたが、ゴーヴィンド・シンの息子たちがすべて戦死してしまったため、1604年に編纂された聖典「グル・グラント」を崇めることになりました。
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ハリマンディル・サーヒブの南側です。池を一周する人が大半のようです。時計回りに周るのが決まりです。
シーク教徒は男性はすべて「シング」(日本ではシンと発音されることが多い)、女性はすべて「コウル」という名字がつきます。シングとは「獅子のような心をもった」、コウルとは「王女」という意味です。なぜ王女なんでしょうね? -
さて、一旦ハリマンディル・サーヒブから外に出て、Langar Hallに来ました。ここでは、常に無料で食事を提供しています。トルコのイスタンブールなどでも行われているのを見たことがありますが、ここの規模はものすごいです。1日10万食が提供されます。
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入口のスロープを上がると、1枚の皿が手渡されます。
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ここで食べているのかと思ったら、にんにくの皮を剥いていました。この人たちはすべてボランティアなのだそうです。功徳を積むということなのでしょうか。
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インドの女性は、床に直に座って食事の支度をすることが基本で、小刀を使って切って行きます。剥いたにんにくの皮は辺り一面に散らばっています。どうしてゴミを散らばしてしまうのでしょう。
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お願いしたら、写真を撮らせてもらえました。両腕に腕輪をしています。
シーク教徒は男女ともに腕輪をすることが決められています。5つのKのうちの「カラー」です。 -
ここが食事会場です。供される食事は一律決まっていて、すべて平等です。配膳係もボランティアです。
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こちらの女性は、持ち帰り用にビニール袋に入れてもらっています。
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大鍋で料理をかき混ぜる男性。調理ももちろんボランティア。
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建物の中心部は吹き抜けになっていて、上の階に積まれた食材の袋が見えます。1階で食事をして、2階で調理をしています。
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ここではチャパティを作っています。打粉をした生地を丸めて、円形に伸ばします。
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それをこちらで焼いて行きます。長い柄の先がへらになっていて、少し焼けて来たら、ひょいっと裏返します。その軽妙なことと言ったら、生地が宙を舞うのです。思わず動画で撮ってしまいました。両面が焼けたら、右側の女性がポンポン下の受け皿に落として行きます。この調理器具は「石焼」と言うのでしょうか。
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隣の石焼機では、男性も混じっています。シーク教は男女平等なので、こうした光景も当たり前です。右の女性が準備した生地を男性が先ず広げて片面を焼き、焼けたらひっくり返して左の(写っていませんが)女性が受け皿に落として行きます。1日10万食。一日中、焼き続けるのでしょうね。
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食休みなのか、朝ごはんを作って一休みなのか。犬も人も寝転がるのが好きですね。
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壁に絵が掲げられています。10人のグルたちの絵です。中央の建物は宮殿のような美々しい黄金寺院の入口です。この絵の時はまだこんな色だったのですね。
第5代グル・アルジャンによって創建され、聖典「グラント・サーヒブ」が設置されました。ランジット・シンが19世紀初頭に外観を黄金と大理石で装飾して「黄金寺院」の別名が付きました。 -
おそらく始祖のグル・ナーナクと思われます。
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なんと食器洗いをする場所です。意外なことに男性ばっかりです。
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と思ったら、女性は別のレーンで洗っていました。男女が一緒にとはならないんですね。
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戒律は開祖の時はありませんでしたが、第10代グル・ゴーヴィンド・シンによって、タバコ・アルコール飲料・麻薬が禁止されました。
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さあ、再びハリマンディル・サーヒブの中に戻りましょう。
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サーヒブへの出入り時には、必ず足を水に浸けて清めます。
これが不思議なくらい気持ちいいです。 -
Langar Hallから入ると、黄金寺院に正対します。
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イチオシ
沐浴の仕方は人それぞれ。首まで浸かってじっくり聖典と向き合う人もいます。
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南側から黄金寺院を見ています。私たちが入って来た階段が背後に見えます。
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1857年に勃発した反英民族闘争である「セポイの乱」において、シークは英国側に立ってこれを鎮圧します。以後シーク教徒は基本的に対英協調路線をとり、その植民地支配に協力していきました。
1947年にインドとパキスタンは分離します。この時は現在のバングラデシュはパキスタンの一部として独立しました。インドの援助を受けてバングラデシュとして独立するのは1971年の第3次インド・パキスタン戦争の後です。
1984年には、シーク教の過激派が黄金寺院に集って、独立運動を始めました。包囲したインド軍が寺院に突入しこれを制圧しました。数か月後、制圧を指示した首相のインディラ・ガンジーが、ボディガードの中の2人のシーク教徒によって殺害されました。これが今度は、シーク教徒への迫害を引き起こしました。 -
2023年、移住先のカナダで独立運動のリーダーが殺害されました。カナダには海外では最大の77万人のシーク教徒が住んでいます。この事件にインド政府の工作員が関与していると、カナダのトルドー首相が発言して物議を醸(かも)しました。
インドにはヒンズー教、イスラム教だけでなく、様々な土着の宗教が存在します。いつまでたっても宗教がらみの事件が後を絶たず、パキスタンとも緊張状態が続いています。今回の旅の前にも軍事衝突がありました。アムリトサルは国境が近いので、心配しました。 -
シーク教徒は、第10代のグル・ゴーヴィンド・シンが後継者を失ったまま亡くなり、以来聖典が信仰の対象とされています。中心となる指導者が不在というのは、不安定なのかもしれません。
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アムリタ・サラスの縁には、緑の葉が茂る木が立っています。この木には伝説があります。ある老人がカラスが木に止まると白鳥になったのを見て、枝に触ってみました。すると手以外が若返ったという奇跡が起こったそうです。何故手だけが残ったのか疑問ですが、以来御神木となっています。
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聖堂に架かる橋の入口です。右が女性用、左が男性用になっています。何故男女を別にすることにこだわるのでしょう。それでも平等なんですよね。
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橋の部分にも扇風機がずらっと付いています。黄金寺院には金を500㎏使われています。シーク教では、出家を推奨せず、世俗の職業で幸せになることを励行しています。その為もあって、成功する人が多く、毎日10万食分の食材も寄付で賄えるのです。
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白大理石に色石を嵌め込む装飾は、インドの得意技。本当に素晴らしい。
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信仰の対象である聖典は、夜になると橋の袂のSri Akal Takht Sahibに移されます。翌朝4~5時に再び聖堂に戻されます。この移動のセレモニーがなかなかの見ものなのだとか。あのピンクのカーテンに囲まれた金色の台座に安置されるのでしょう。
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旗竿の途中で作業をしている人がいました。ぶらんこのように、座っています。黄色い布で旗竿を巻いているようです。
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Sri Akal Takht Sahibの北すぐのところにある美しい祠堂「Gurudwara Sri Thara Sahib」です。かつて次期グルと決定したグル・テグ・バハドゥールがハリマンディル・サーヒブを訪れた際に、反対者によって扉を閉ざされ入ることが出来ませんでした。バハドゥールが訪れた場所にこの祠堂が建てられました。
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Gurudwara Sri Thara Sahibは次期グルに対するお詫びの念が込められているのか、たいへん美しい建物になっています。
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グル・テグ・バハドゥールはこの場所で休憩をとったという事で、その様子を再現したらしい人形が置かれていました。
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アムリタ・サラスの縁で瞑想する人たち。シーク教の総本山とは、もっと宗教色の強い場所なのかと思っていましたが、至ってオープンで、肩に力を入れた感じもなく、のんびり見学することが出来ました。
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参詣者にふるまわれるチャイと思われます。
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一周しました。独立運動や首相暗殺事件がそれ程古い話ではないので、アムリトサルはちょっと怖い場所でした。来て見て良かったです。
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預けた靴を受け取って、歩き出すと、体重測り屋さんがいました。いくらなんだろう?
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参道は大賑わいです。本当に映画のセットみたいですね。
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駐車場へ向かうのではなく、ハリマンディル・サーヒブのそばの庭園に寄って行きます。
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「ジャリヤンワーラー庭園」「アムリトサルの大虐殺」のあった場所です。
1917年、当時のインドはイギリスの直接統治下に置かれており、1919年3月に「ローラット法」が発布されました。民族運動に対する法外な弾圧を目的とする法律です
1919年4月、アムリトサルを中心としてパンジャブ州内で大暴動が発生し、町中で暴徒に襲われたイギリス人が十数人亡くなりました。すぐさま治安部隊が投入され、集会禁止令が発令されました。
4月13日、アムリトサルの民族指導者が逮捕され、これに抗議する市民が集会を行いました。イギリスのダイヤー准将はグルカ兵(ネパール山岳民族から構成された兵)とイスラム教徒からなるインド軍部隊にいきなり発砲させました。379名が亡くなり、1137名の負傷者を出す惨事となりました。
正面に立つのは「犠牲者追悼の慰霊碑」です。ジャリヤーンワーラー庭園 広場・公園
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とても鮮やかなピンク色の花が咲いていました。
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円形のレンガの壁の中には井戸があります。イギリス軍から逃げようとして、たくさんの人が井戸に飛び込んで亡くなったのだそうです。
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白く囲まれた部分が、銃弾の跡です。
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このアパートは歴史の証人なのでしょう。
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黄色い蓮の花が閉じています。朝に咲いて昼には閉じてしまうので、ちょっと遅かったのかな?開いている花は全くありませんでした。
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こちらの壁にも銃弾の跡が見られます。ダイヤー准将に命ぜられて発砲したのは、グルカ兵(ネパールの山岳民族)とイスラム教徒の兵士だったと言います。
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庭園を出て裏通りを歩いて行きます。
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おお!ラッシー屋さん。現地の美味しいラッシーが飲みたいなあ。
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駐車場に戻って車に乗り込みました。10:30、アムリトサルを出発します。
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H&M、MARKS&SPENCER、スタバの入るショッピングモールがありました。もうすっかりインドの都市部にはこうした店が並ぶのが当たり前になりました。IMFによるとインドのGDPは、2025年に日本を抜いて世界4位となると予測されています。
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南国らしい花がたくさん咲いています。私たちはこれから高山植物を見に、ヒマーチャル・プラデシュ州に向かいます。
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道端に黒っぽい牛が群れています。水牛のようです。茶色い牛はよく見掛けるけれど、水牛は滅多に見られません。何故か鳥が一緒にいます。
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高速道路に入ります。ETCに似たシステムがありますが、徐行ではなく停車しなければなりません。それでは次回はいよいよ本番ヒマーチャル・プラデシュ州の旅が始まります。チャンバの町までの道行きとチャンバ散策です。
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