2025/05/31 - 2025/06/05
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nichiさん
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石巻市震災遺構大川小学校をたずねました。
大川小学校を襲った津波の悲劇は海外でも報道されていました。
全校児童108人に対し、当時校庭にいた児童78名中70名が亡くなり、4名が行方不明となり、校内にいた教職員11名中10名が亡くなりました。
その他、学校に避難してきた地域住民や保護者のほか、スクールバスの運転手も亡くなっている悲劇の現場です。
先ほど訪れた門脇小学校は、学校にいた児童の犠牲者がゼロだったのに対し、この行方不明者を含め74人という数字は衝撃的でした。
10時30分のガイドツアーに参加しました。
参加者は私たち2人だけ。
ガイドの方の話は、言葉を選びながら客観的に事実を伝えることに徹していて、決して私情を挟まないように話していらっしゃったことに頭が下がりました。
シニア夫婦は真剣に聞き入りました。
二度とこのようなことが起こらないことを強く祈ってます。。
-
石巻南浜津波復興記念公園から車で30分。
石巻市震災遺構大川小学校にやってきました。
お洒落な建物の前に献花台がありました。
火気厳禁のため、御線香は禁止です。
シニア夫婦はココで手を合わせて頭を下げました。
ココを訪れる方は皆さん、ココで深々と頭を下げていらっしゃいました。
献花台があるのを知ってたら、お花買ってきたのにな~~ -
この文章、ココでどんなことがあったかを示したものではありません。
シニア夫婦はこれを読んでしんみりした気持ちに・・・
これから見聞きすることに覚悟します。 -
石巻市震災遺構大川小学校の受付がある大川震災伝承館に向かいます。
-
在りし日の大川小学校の写真が掲示されていました。
-
写真をアップしてみました。
震災前の大川小学校の校門です。
桜が咲いてます。
入学式の時期に撮られた写真でしょうか? -
震災前の大川小学校と街並みです。
ここは釜谷と言うエリアで、大川町の中心地でした。 -
大川震災伝承館にお邪魔します。
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10時30分の午前の部のガイドツアーに参加する目的で、シニア夫婦は時間に合わせてココに伺いました。
-
解説ガイドが始まるまでまだ少し時間がありますので、館内の展示物を拝見します。
-
震災前の大川小学校とその周りに広がる釜谷の街並みの画です。
奥には北上川が流れています。
この北上川を津波が遡上してきたのですね。
学校と北上川の間には家並みが広がっていたのです。 -
大川小学校の校門と桜。
入学式の時期の画でしょうか?
ランドセルを背負った子供たちが小学校に入って行く所です。 -
先人の努力が実らせた、緑なす稲田「田園風景」
明治以降、豊かな田園地帯でした。
田植えを終えた直後でしょうか?
田んぼが多くの水を蓄えていますね。 -
盆踊りと大川音頭
夏の夜の賑やかな様子が画になってます。 -
長面海水浴場のハマナス。
北上川の下流5㎞の河口の近くの長面海水浴場に咲くハマナスの画。 -
大川小学校の子供たちは、みんなで地引網漁の体験もしていたのですね。
取れたての魚は、保護者たちが浜料理にしてくれたそうです。 -
これはシジミ採りの様子です。
500円硬貨ほどの大きなベッコウシジミを子供たちは素手で採っていました。 -
北上川の釣りの様子の画です。
汽水域は、魚介類のゆりかごです。
ハゼ、ボラ、スズキ、カレイが釣れました。
河口に近かったため、海水と淡水が混ざる汽水域ならではの営みです。 -
「ボラ色が見えてきたぞ~!」
色見山から海を見ていると、ボラの大群がやってきて海の色が変わるのがわかったようです。
色をなす魚影を見つけるから「色見山」。
な~るほど! -
色見山からの知らせを聞いて、ボラ漁に出漁です。
-
震災前の北上川の新北上大橋付近の山側です。
川の両岸に田んぼが広がっています。
川の左側が大川の間垣地区です。
ここには48世帯155名の方々が暮らしていました。
河口から約5km上流です。 -
震災直後の同じ場所の航空写真です。
堤防が1100mに渡って決壊し、見渡す限りの田んぼが流され、間垣の街が跡形もなく消えています。
68名(うち1名は行方不明)の方々が犠牲になりました。
緑だった田んぼが茶色になってます。
悲しい。。 -
震災前の北上川の新北上大橋付近の海側です。
写真の上の方が釜谷地区から5Km下流の北上川の河口です。 -
橋の右側奥をアップで。
大川の釜谷地区の街並みが見えます。
赤茶の屋根が大川小学校です。
139世帯496名の方々がお住まいでした。
診療所や郵便局、商店街もあった街でした。
宮城県桃生郡河北町釜谷という行政区域でしたが、2005年4月に石巻市に合併しています。 -
震災後の同じ範囲の写真です。
新北上大橋の一部が崩落しています。
右奥の北上川下流4㎞の長面地区の田んぼが消え河口が広がって海につながっています。
河口付近の中州がほぼ消えています。 -
橋の右側の釜谷地区は消えています。
この大川釜谷地区では、今回の震災で、193名(うち行方不明11名含む)の方々が犠牲になりました。
この中には、避難場所に指定されていた大川小学校に避難していて被災されたいた方々もいらっしゃいます。
鉄筋コンクリート造りであった大川小学校と診療所だけかろうじて残り、他の家屋は全て跡形もなく流されました。
北上川の堤防の決壊と地盤沈下により街は水に浸かり、震災後は大川の釜谷地区は災害危険地域に指定され、人は住んではいけない非可住地域に指定されました。 -
釜谷地区の5㎞下流の北上川河口近くの震災前の航空写真です。
ココも石巻市の大川です。
上は太平洋。
白い砂浜の長面海岸が見えます。
下が内湾で汽水湖である長面浦です。
右の山の尾根の下の細長い集落が、大川の尾崎地区、左側がやはり大川の長面地区です。
奥の白い砂浜が夏に賑わった長面海水浴場です。
ここには146世帯504名の方がお住まいになっていました。山の幸と海の幸に恵まれた自然豊かな街で、山に囲まれた内湾では、牡蠣の養殖が行われていました、
昭和20年代までは、塩田も営まれていたようです。 -
これが震災後の同じ場所の航空写真です。
同じ場所とは思えないです。
長面海水浴場が水没しています。
103名(うち22名が行方不明)の方々が犠牲になっています。
集落が壊滅してしまいました。 -
引き続き展示物を拝見します。
午後3時37分で止まった時計です。
津波が学校を襲った時刻です。
地震が午後2時46分ですから、地震発生から51分後に津波で襲われたことになります。 -
児童の間で取り合いになるほど人気があった一輪車。
左が高学年用。右が低学年用です。
学校が始まる前や昼休み、学校の中庭で練習していました。 -
10時30分になり、解説ガイドの方の説明が始まりました。
参加者は私たち2名です。
大川小学校の歴史、大川地区におけるこの釜谷地区について、色々説明を伺いました。
元は明治4年に開校した、桃生郡釜谷小学校です。
歴史ある小学校です。
震災時、全校生徒は108名でした。 -
ここから北上川に架かる新北上大橋が見えますが、震災前はココに多くの住宅が立ち並び、橋は見えなかったそうです。
緑地の中ののコンクリートの線は、かつて住宅街の中の路地だった印です。 -
ガイドの方が震災前の航空写真を見せてくださいました。
学校と橋の間に多くの住宅がびっしり建っているのが判ります。 -
今、大川震災伝承館が建っている所は、かつては小学校の駐車場があった所です。
左側は小学校のグランドです。 -
河北町立大川第一小学校 北緯38度 東経141度 海抜1メートル12センチの看板が倒れてます。
下は折れてますね。 -
2つの小学校が統合して大きくなり、新校舎が完成した昭和60年にできた記念碑です。
校歌の歌詞ですね。
「北上川の青い空」
「太平洋の青い波」
「寄せて来る波」
という言葉にビビットに反応してしまいます。 -
こちらが大川小学校の建物です。
-
モダンな建物です。
東京の建築家の方が、街のシンボルとなるように設計し、昭和60年に完成したモダンなカッコいい建物です。 -
大川小学校を襲った津波の高さは8.6m。
アッセンブリホールと言う円形ホールの上にある煙突のような明かり採りに、色が変わる横の線が判ります。
津波がココまで来た跡なんだそうです。 -
仕切りと壁が無くなっていますが、ココに1・2年生の教室がありました。
柵があって中には入れませんが、近くまで寄ることができます。 -
黒板が下に立てかけられています。
-
円形の校舎を左に見ながら、
-
ガイドさんのあとについて歩きます。
右は校庭。
ここに校長先生が立って子供たちにお話ししていたのでしょうね。 -
子供たちが学んでいた教室が無残なことになってます。
教室は長方形ではなくRがある台形だったようです。
お洒落ですね。
教室のコンクリートの下の部分が壊れているのは、震災直後に捜索の為、重機で壊したからだそうです。 -
正面の奥の2階建ての校舎が見えてきました。
-
ここは中庭です。
子供たちはココで一輪車や縄跳びの練習をしていたそうです。
円形の校舎と奥の2階建ての校舎はこうやってつながっていました。 -
子供たちはココを走り回っていたのでしょうね。
笑い声が聞こえるようです。 -
2階建ての教室は、円形の校舎と違って長方形です。
こちらは3年生から6年生の教室です。 -
立て札にかかれていたのは、
2011年 3月11日
いつもと同じ朝でした
「行ってきます」の後ろ姿を見送ったあの日
「寒かったでしょう」とあたたかい手で抱しめてあげたい
お母さんの子供を想う気持ちなのかな・・・ -
校舎の2階の天井まで津波が押し寄せてきたようです。
恐ろしかったのは、1階の天井(2階の床)が大きく壊れていること。
ななんんと、あの日学校では、川からと陸からの津波が校庭でぶつかり渦が巻きました。
校舎2階の4年生の教室は、津波の勢いで床が持ち上げられ、鉄筋がむき出しとなり、想像を絶する凄まじい力が加わったことがことが判ります。
ここで、「陸からの津波」という言葉にシニア夫婦は「?」・・・
この「陸からの津波」で多くの方々が犠牲になったのです。 -
校舎と体育館を結ぶ渡り廊下が無残にも倒れています。
支柱からポッキリ折れてます。 -
校舎の2階から渡り廊下はつながっていたのですね。
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渡り廊下は体育館までつながっていましたが、途中には倉庫とプールの更衣室がありました。
この奥にプールがあったのですね。 -
ココに体育館がありました。
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跡形もなく流されちゃいましたが・・・
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体育館の舞台であった場所が想像できます。
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体育館の隣には野外ステージがありました。
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カラフルな絵で描かれた野外ステージの壁です。
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ステージ側に廻ってみます。
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ココが野外ステージですね。
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ステージ横から子供たちが座った階段状の席が見えます。
お洒落な学校だったのですね。。。 -
ステージの背後にあった音響反射板が前に倒れてます。
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ココは、山に抜ける道です。
何故、あの日この道を通って避難しなかったのか? -
ガイドの方に続いて、校庭を歩きます。
-
校庭の横にはすぐに高台があります。
-
ここでガイドが当日の様子を詳しく説明してくださいました。
14時46分 地震発生
14時49分 校庭に避難開始
14時52分 防災行政無線による大津波警報
スクールバスは学校前に待機
~15時30分ごろ 児童を迎えに来た保護者に引き渡し
大川小学校の体育館が避難場所に指定されていたので、地域住民が避難してきました。
15時25分~30分 石巻市の広報車が津波が来ることと高台に避難することを呼び掛けて大川小学校前を通過。
15時36分 三角地帯に向けて避難開始
15時37分 大川小学校に川側から堤防を越えて津波がやってきました
海からの津波が5㎞の海岸からまっすぐ襲ってきました。
そして北上川を遡上してきた巨大津波は新北上大橋から堤防を越えて黒い壁となって三角地点を通って襲ってきました。
当時校庭にいた児童78名中70名の方々が亡くなりました。そひて4名の児童が行方不明となり、校内にいた教職員11名中10名が亡くなっています。
そして、学校に避難してきた地域住民や保護者のほか、スクールバスの運転手も亡くなっています。
ここでいくつか疑問点が生まれます。
・なんで高台に避難しなかったの?
・なんでスクールバスに乗って避難しなかったの?
・なんで三角地点に避難したの? -
津波襲来後の校舎です。
メチャメチャです。
多くの瓦礫が校舎に引っ掛かっています。
水はまだ曳いていません。 -
客観的事実をガイドさんが教えてくれました。
これは国交省のハザードマップです。
大川小学校は浸水しないことになっています。安全な場所と国が示しています。
・そもそも、大川小学校は避難所に指定されていました。よって地域住民にとっては安全な場所という認識でした。
・そんな大川小学校の次の避難場所は、「近隣の空き地・公園等」となっていました。それってどこ?
・「津波が想定されるので海岸近くの人は避難してください」と言われても、海から5Km離れた大川小学校は海岸近くなのか?みんな疑問でした。
・学校に隣接する山は私有地。許可を取ってシイタケ栽培を行っていた場所。当日は降雪があって山道はぬかるんでいました。
・避難してきた地域住民の中には老人も多く、山への非難は難しいと判断したようです。
・当日は大川小学校の校長は有給休暇でお休みを取得しており、教頭が指揮を執っていました。 -
震災から3年後の平成26年(2014年)、大川小学校の遺族が、宮城県及び石巻市を提訴しました。
2審まで進み、平成30年(2028年)に、
「2003年から30年以内に宮城県沖地震が発生する確率は99%と言う認識のもと、学校は、地震が発生した場合に大川小学校まで津波が到達する危険性があることを予見して、危機管理マニュアルに地震が発生した場合の避難方法についてあらかじめ定めておくべきであり、また市教育委員会も大川小学校に対し、マニュアルの不備を指摘して是正させる指導をすべきだった」と宮城県と石巻市の責任を認めています。
宮城県と石巻市は上告しますが、平成31年(2019年)、最高裁は上告を棄却、結審しています。 -
2審の高裁判決ですは下記です。
予見可能性
平成16年(2004年)の県の想定を踏まえ、川の近くにある大川小で津波被害の危険性は十分に予見可能でああった。
組織的加湿
危険管理マニュアルは地域の実情に応じたものとはいえず、市教委は適切な改正を指導する義務があった。
結果回避
高台の避難場所が定められていれば、校庭に長時間待機させず、大津波警報を受け避難を開始できた。
み~んなに危機感が無かったのですね・・・ -
約1時間のガイドツアーは終わりました。
私たちが様々な質問したことで、予定の時間を大幅にオーバーしてしまったようです。
申し訳なかったです。
ガイドさんに丁寧にお礼を申し上げました。 -
釜谷の住宅があった場所から大川小学校を眺めます。
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様々なことを伺った後でこの言葉を読むと、心にジーンと響きます。
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慰霊碑にお参りに。
ここは釜谷の多くの住宅があった場所です。 -
北上川に向かってみます。
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新北上大橋までやってきました。
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北上川は大きな大きな大河です。
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津波は河口からこの大河を遡上してきました。
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津波は黒い壁となって堤防を越えて右の釜谷地区を襲いました。
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新北上大橋を川の真ん中まで歩いてみました。
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前日が大雨だったため、水量も多いようですが、北上川は大河であることには変わりありません。
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教職員や児童たちが避難しようとした三角地点です。
上から黒い津波が教職員や児童たちを襲いました。 -
三角地点から大川小学校を眺めます。
ココには多くの住宅が建っていました。
あえてコメントはしませんが、シニア夫婦は目頭を赤くして、車で出発しました。
暫くシニア夫婦は車内で無言でした。
二度とこのようなことが起こらないことを強く祈ってます。
つづく
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この旅行記へのコメント (2)
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- masaさん 2025/07/18 08:55:16
- 震災遺構
- おはようございます。
以前、阪神vs楽天戦見に行ったときに、『震災遺構 仙台市立荒浜小学校』に行きました。こんな震災遺構があちこちに残っているんですね。
荒浜小学校も衝撃でしたが、石巻も訪れたいですね。
来年は甲子園なので、再来年行くときに(チケット取らないと!)ちょっと足を延ばしてみます。
ありがとうございます。
masa
- nichiさん からの返信 2025/07/19 08:15:08
- Re: 震災遺構
- おはようございます。
コメントありがとうございます。
福島、宮城、岩手には多くの震災遺構があります。
復興庁が復興交付金により保存にかかる初期費用のみ負担していて、市町村ごとに1カ所と決まっていますが、石巻市は特例で門脇小学校と大川小学校の2か所になっていました。
報道で拝見したのと実際現地で拝見するのでは大違いでした。
機会があったらmasaさんがいらした荒浜小学校にも行ってみたいと思います。
今回は楽天モバイルパークに行って、楽天vs横浜の試合を2試合観戦することができました。
1日は雨の中の試合でした。
やっぱりドームより好きだな~~
コメントを投稿する前に
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