2025/06/20 - 2025/06/20
534位(同エリア4544件中)
+mo2さん
ピエール・ボナールは19世紀末から20世紀前半にかけて活動したフランスの画家。初期には「ナビ派」と呼ばれる前衛グループに所属。ポール・ゴーギャンを崇拝したこの集団は、ルネッサンス以降の自然主義的で写実的な絵画を脱却し、絵画はもちろん、ポスターなどのグラフィックや舞台美術なども手がけながら、装飾的な新しい造形表現を模索しました。ボナールは、ヨーロッパで一世を風靡していた「ジャポニスム」に傾倒。「日本かぶれのナビ」とのニックネームがつけられたほどで、屏風に通じる四曲一隻のパネル作品や、《見返り美人図》のようなポージングの女性の絵を残しています。この時期の彼の作品に見られる、遠近法を無視した千鳥格子や水玉模様の平面的な描写、奥行きのない背景とモチーフの重なり合いも、浮世絵の図法にヒントを得たものです。日本でも多くの美術館が作品を所蔵しています。写真撮影がOKだったものをアップしていきます。なお、全ての作品が常時展示されているわけではありません。写真撮影ができたものからアップしていきます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
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「浴室の裸婦」1907年 新潟市美術館
1893年にボナールと出会ったマルト・ブールサンは、ほとんどの裸体画のモデルとなりました。ボナールは、パリの路面電車から降り立つ若いマルトを見て、職場に向かうところを尾行し、仕事をやめ、家族や友人から離れるように説得したと言われています。マルトは入浴に没頭し、ボナールはこの主題を利用しました。この主題は、天候の絶え間ない変化と同じく、ボナールにとっては魅力的なものでした。彼はバスルームでマルトをスケッチし、しばしば彼女から数フィートのところで描きました。アトリエで制作されたこの作品が非常に近い視点となっているのは、このためです。絵画は慎重に構成されています。人物の脚は開き、床の斜めの線が壁に向かって突き進んでいます。ボナールの、主題と日本の浮世絵の構成要素への関心は、ここでは、限られた形や模様の空間内で入浴を行う女性という主題、人物の切り取り、そして面白い模様の使用に反映されています。新潟市美術館 美術館・博物館
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国立西洋美術館は、1959年(昭和34年)に発足・開館した、西洋美術全般を対象とする美術館としては日本で唯一の国立美術館です。実業家松方幸次郎が20世紀初めにヨーロッパで収集した印象派などの19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻を中心とする松方コレクションがコレクションの基礎となっています。
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「坐る娘と兎」 1891年 国立西洋美術館
19世紀後半、ヨーロッパではジャポニスムのブームが起き、日本の美術品・工芸品が西洋の芸術家たちに多大な影響を与えました。ドニやヴュイヤールらとともに「ナビ派」として出発したボナールの作品。 -
「働く人々」1916-20年頃 国立西洋美術館
パリで大画商として名高かったベルネーム=ジューヌの邸宅のために制作された4点の作品の一つ。国立西洋美術館 美術館・博物館
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「花」1933年頃 国立西洋美術館
静物画はボナールにとって、画業の中心を占めるとまではいかないものの、重要なジャンルの1つでした。 -
東京国立近代美術館では、19世紀末から今日までの美術作品を収集しています。収集対象は、絵画、版画、水彩、素描、彫刻、写真、映像、書、及び関連する資料などの多分野にわたり、点数は13,000点を超えます。
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「プロヴァンス風景」1932年 東京国立近代美術館
ボナール(1867-1947)は、19世紀末から20世紀半ばにかけて活躍したフランスの画家です。60年近くに及ぶ長いキャリアの中でボナールは何度か作風を変化させますが、とりわけ1920年代以降の豊麗な色彩や抽象度の高い表現を特徴とする作品は、「視神経の冒険」(ボナール本人の言葉)、「絵画の中の絵画」といった形容で語られてきました。20世紀を代表する画家の一人アンリ・マティスは、「ボナールが今日でも、そして確実に未来まで偉大な画家であることを私が証明する」と、ボナールの作品の革新性について予言的な言葉を残しています。東京国立近代美術館 美術館・博物館
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「ヴェルノン付近の風景」 1929年 アーティゾン美術館
ボナールは、ゴーガンと象徴主義の影響下に結成されたナビ派(ヘブライ語で「預言者」)の一員として画業を開始した後、1900年代以降は日常生活の中に題材を求め、色彩の効果を追求する独自の画境を切り開きました。この作品の舞台であるセーヌ川沿いの街ヴェルノン近郊には、「マ・ルロット(私の家馬車)」と自ら名づけた、この時期のボナールの家がありました。草木の緑が正方形の画面を縁取るように配される一方で、明度の異なる多様な色彩が隅々まで注意深く組織された画面には、活気と緊張がみなぎっています。アーティゾン美術館 美術館・博物館
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八王子にある東京富士美術館。約30000点あるというコレクションの中には、ボナールなどナビ派のコレクションもあります
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「若い女」1905年 東京富士美術館
東京富士美術館 美術館・博物館
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ポーラ美術館の絵画コレクションは、19世紀の印象派絵画から20世紀の抽象絵画に至るまで、質の高い作品によって美術の展開を辿ることができます。ポーラ美術館が所蔵するピエール・ボナールの作品は8点だそうです。
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「山羊と遊ぶ子供たち」1899年頃 ポーラ美術館
ボナールの家族は、フランス南東部、グルノーブル近郊の村、ル・グラン=ランに邸宅を持ち、夏を過ごすことを常としていました。両作品の舞台となっている果樹園「ル・クロ」は邸宅と同じ敷地にあり、家族はりんごやプラムの収穫を楽しみました。描かれているのは、妹のアンドレと音楽家クロード・テラスの子どもたちで、この時期から1900年代初頭の作品にしばしば現われることとなります。両作品とも、奥行きを表す地平線が枝によって一部隠されており、緑の色面の上を曲線的な筆触が連なる、装飾性に富んだ画面が構成されています。近い時期に同主題を描いた「大きな庭」(1895/1896年、オルセー美術館)や「りんごつみ」(1895/1899年、ヴァージニア美術館)と比べ、平面性と装飾性が際立っており、大きさもほぼ同じこの二点は、同一の装飾パネルを構成すべく制作されたと考えられます。この時期はボナールがナビ派の一員として活動していた時期であり、庭の芝生や茂み、木々の梢などが曲線的な筆触の反復で表されつつ、平面的に処理されている点が特徴です。植物という曲線的な要素に満ち、緑の色面として扱いやすい庭は、ナビ派時代のボナールがもっていた装飾パネルへの志向に適した主題でした。1890年代後半に制作された両作品にも、その余韻は響いています。この後、平面的で装飾性に富んだ庭の情景はみられませんが、果物の収穫、および人間と動物との交わる光景は、とりわけ大画面の作品の主題として、1900年以降もしばしば現われることとなります。「ボナールの庭」は、都市を離れた果樹園としての側面と、自然に親しみ、動物と交わる理想郷としての側面をそなえた、この「ル・クロ」に始まります。 -
「りんごつみ」1899年頃 ポーラ美術館
緑が一面に広がる風景は、ボナールが「ル・クロ」と呼び親しんだ果樹園。フランス南部のリヨンとグルノーブルのあいだにある、ル・グラン・ランという土地に、ボナールとその妹アンドレの一家が別荘を構えていました。果樹園で果実を摘み取ることが、この家族の最上の愉しみであり、1925年に土地が人手にわたるまで、毎年りんごやプラムが収穫の時期を迎える6月から9月頃のあいだ、ボナールらは親密な安らぎの時を過ごしていました。 本作品を制作した頃、画家は子どもの無邪気に遊ぶ姿に興味をいだき、絵画のなかにそのユーモラスに躍動する姿を登場させています。都会の街を行き交う洗練された女性や子ども、この果樹園で憩う幼な子たちの姿を、複数の大きなカンヴァスに描いています。 本作品はジャポニスムと装飾性を特徴とする、アール・ヌーヴォーの精神のもとに制作された一対の作品です。空を覆うように枝をのばした大きな果樹や、日本の浮世絵と同じく上方に置かれた地平線、連続する筆触で埋め尽くされ、平面的に表わされた大地。これらは、この果樹園が享受する自然の恵みを強調しているのです。 -
「地中海の庭」1917-18年 ポーラ美術館
地中海に面した庭の牧歌的な風景。庭には黄色のミモザの花で埋め尽くされ、その奥には葉が生い茂った木々があります。中央の開けた場所には棕櫚の木が生えており、その背景には青い地中海が姿を現わしています。画面手前には、庭に面したテラスがあり、左には子どもたち、右にはオレンジの籠を差し出す若い女性が描かれています。本作品のように、手前にテラスが描かれ、その先に風景が広がる構図の作品には、観る者もこのテラスに立っているかのような臨場感があります。第一次大戦中にボナールが制作した数点の装飾画には、このような構図が用いられています。ポーラ美術館 美術館・博物館
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「白い服の少女」1942-45年 ポーラ美術館
この肖像画には、書斎あるいはサロンで椅子に座る、夏のドレスを着た10代の少女が描かれています。少女の背筋を伸ばした姿勢と固い表情は、大人びた雰囲気を醸し出していますが、広い額と丸い顔が、わずかに幼さを残しています。ボナールは、絵画を本格的に制作し始めた1890年代から、食卓のまわりや庭で憩う子どもを好んで主題に選び、室内画と風景画に登場させました。ボナールの絵画のなかで、子どもたちの姿は構図の中心から外されて描かれるのが常であり、子どもを正面からとらえた肖像画は稀です。本作品が制作された1940年、戦争により画家の生活が一変し、描く対象にも変化が生じました。ボナールはこの年から、戦火を避けて南仏の小村ル・カネの別荘「ル・ボスケ」にこもり、不安に満ちた暮らしを送っています。それまでときおり制作していた女性の肖像画は、1940年代にはほとんど見られなくなり、かわりに孤独と悲壮感を湛えた自画像を手がけるようになっていました。本作品には、画家が晩年に到達した肖像画のスタイルがみられます。肩や腕の線を大胆にデフォルメし、人物像を背景とともに柔らかな線で表わし、全体の調和に心を砕いています。また彼女の顔の細部は、橙色と青色で調節される一方で、それらふたつの色彩の斑紋は、壁紙や少女の背にあるクッションなど画面全体に点在しており、人物像と周囲の色彩が反映しあう、「色彩の相互照応(コレスポンダンス)」ともいうべき効果が発揮されています。 -
「ミモザのある階段」1946年頃 ポーラ美術館
ル・カネの自邸「ル・ボスケ」へと通じる階段の下から、奥に咲き誇るミモザをはじめとした庭の一角が描かれています。濃い黄で描かれたミモザは、右脇の茂みと併せ、萌え出る自然の生命力を豊かに表現しています。各部分がそれぞれくっきりと境界を際立たせており、地中海岸の強い光と乾いた空気を感じさせます。いたるところに置かれた赤やオレンジの筆触は、降り注ぐ光のもたらす強い輝きを表しています。ここでも画面の周縁部にモティーフが配され、画面の外へと連続するように中断されて描かれています。しかし、晩年の画面に特徴的な短い筆触は、奥行きの閉じられた構図と相俟って、画面を平面的に統一しています。ヴェルノネで描いた作品にみられるように、ボナールは起伏に富んだ地勢とあるがままの自然を好みました。弧を描く階段の周りに木々や花々が茂る「ル・ボスケ」の庭は、晩年にいたってもなお変わらぬボナールの嗜好を表しています。1942年にマルトを亡くし、町へと下りることもほとんどなくなったという晩年の画家の画面には、本作品を含め、それまでにない頻度で庭が現われるようになります。 -
「かがみこむ裸婦」1938-40年 ポーラ美術館
パリ近郊に生まれたボナールは、大学に進み法律家を志しますが、20歳の時本格的に絵筆をとり、画塾アカデミー・ジュリアン、次いで国立美術学校で学びました。1888年、ゴーガンの絵画思想をもとに結成したグループ「ナビ派」(預言者の意)のメンバーに加わり、画家のセリュジエ、ヴュイヤール、ドニらと親交を結びます。浮世絵の色彩や構図に心酔したボナールは、「日本かぶれのナビ」と呼ばれ、ポスターや装飾美術において才能を発揮しました。 -
「浴槽、ブルーのハーモニー」1917年頃 ポーラ美術館
本作品は、伴侶マルトが体を洗う姿を描いており、ほぼ同じ構図で、画家自身がマルトを撮影した写真が現存しています。最良のモデルでもあったマルトは、浴室で過ごす時をこよなく愛し、ボナールは繰り返しその姿をとどめようとしました。 写真技術に影響を受けた画家は少なくありませんが、ボナールもそのひとりです。大気の変動のなかで茫洋とする輪郭線、バランスを欠いたポーズは、一瞬の動きをとらえているようです。画面右側から外光が差し込み、青い影がたゆたい、白と黄の光の斑紋が流動する情景は、ボナールの光に対する鋭敏な感覚を反映しており、モネの「睡蓮」の連作をはじめとする印象派の手法を、画家が吸収したことを物語っています。「絵画は、ひとつの充足する小さな世界でなければならない」とボナールは語っています。最初の印象をすばやくとらえたデッサンや写真をもとに、画家はアトリエで油彩のタッチを丹念に重ね、光が満ちた世界へと収斂させました。 -
池田20世紀美術館は、ニチレキという会社の創業者が個人コレクションを寄贈する形で開設した私立美術館で20世紀に制作された絵画・彫刻を中心に約1400点収蔵しているそうです。
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「洪水の後」1906年 池田20世紀美術館
≪水と旅≫を理想郷的に表現したパリのアパルトマンの食堂を飾る4枚の連作装飾パネルの中の1点。他はオルセー美術館等の所蔵のようです。(公財)池田20世紀美術館 美術館・博物館
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愛知県美術館は、愛知芸術文化センター10階にあります。ピカソやクリムトなど、20世紀初頭から現代までを中心とした国内外の作品を約8500件コレクションとして持ちます。
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「子供と猫」1906年頃 愛知県美術館
部屋には柔らかな光が射し込み、猫を抱いた少女が食事を待っています。白い食卓と猫と少女がひとつに溶け合い、背後から浮き立ってピラミッド型の安定した構図を形成し、画面を水平に横断する2本の線と少女や食卓に置かれた瓶などが生み出す垂直方向の動きとが相まって、画面にはさらに堅固な骨格が与えられています。やや俯瞰的な画面では、右下の果物が一部切断されて描かれることによって、見るものとの関係がいっそう親密になり、ボナールが浮世絵あたりから学んだスナップショット的な感覚をうかがうことができます。きびきびした筆致で描かれた画面には、豊かなマティエール感が生れ、穏やかな色調の中で、ところどころに配された鮮やかな色彩が画面を小気味よく引き締めています。身近な光景を芸術へと昇華させたアンティミスト(親密派)ボナールの卓越した技量の冴えをうかがうことができる作品です。愛知県美術館 美術館・博物館
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ヤマザキマザック美術館は、工作機械メーカーであるヤマザキマザックの創業者である山崎照幸氏が収集した美術品コレクションを展示するために2010年に開館された美術館です。
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「薔薇色のローブを着た女」1918年 ヤマザキマザック美術館
本作品は、妻のマルトを描いたものです。彼女の健康上の理由から、パリを離れて気候の良い田舎にふたりだけで住みました。田園の風景とともに、室内にたたずむ妻マルトが彼の主題であったのですが、その表現が内面的な、精神的な情趣に満ちているので、ボナールと彼が最も親しく付き合っていたヴュイヤールとは、「アンティミスト」と呼ばれることがあります。「室内派」「内面派」「親密派」の意味です。本作品でも、室内で新聞を読んでいる妻の薔薇色のローブに当たる光をモネ風に表現し、それに対照させる形で、影になっている彼女の顔をルノワール風のグラッシの技法で描いています。この影のなかに、親密な感情が表れているのです。ヤマザキマザック美術館 美術館・博物館
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「静物、開いた窓、トルーヴィル」1934年頃、アサヒビール大山崎山荘美術館
アサヒビール大山崎山荘美術館 美術館・博物館
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緑に囲まれた広島市中央公園の一角に位置するひろしま美術館は、1978年に広島銀行の創業100周年を記念して設立しました
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「ピガール広場」1905年頃 ひろしま美術館
モンマルトルに程近いパリの歓楽街ピガール広場の賑わいがユーモラスに描かれています -
「白いコルサージュの少女(レイラ・クロード・アネ嬢)」1930年 ひろしま美術館
本作はレイラ・クロード・アネ嬢を描いた作品です。
レイラの父親クロード・アネは有名な作家かつ美術収集家で、この父親の依頼で描かれた作品です。ひろしま美術館 美術館・博物館
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