2025/04/29 - 2025/04/29
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フィンセント・ファン・ゴッホとポール・ゴーギャン。19世紀末に活躍し、今なお世界中の人々に愛されてやまないこの二人の画家。日本国内にもいくつかの作品があります。
オランダの牧師の家庭に育ったファン・ゴッホと南米ペルーで幼年期を過ごしたゴーギャンは、生い立ちや性格だけではなく、絵画表現も大きく異なります。ファン・ゴッホは現実の世界から着想を得て、力強い筆触と鮮やかな色彩による作品を生み出し、ゴーギャンは、装飾的な線と色面を用いて、目には見えない世界をも絵画に表現しようとしました。1888年、彼らは南仏アルルで約2カ月の共同生活を送ります。ともに制作し、時には激しい議論を重ねながら刺激を与え合いました。
日本国内の美術館を巡り、2人の作品のうち、写真撮影がOKだったものをアップしていきます。なお、全ての作品が常時展示されているわけではありません。写真撮影ができたものからアップしていきます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
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フィンセント・ファン・ゴッホ「座る農婦」1883-84年 諸橋近代美術館
ジャン=フランソワ・ミレーの影響を受けたゴッホは、1884-85年頃にかけて、農民をモデルにした作品を多く残しています。本作はそのうちの一点。
厳しい表情でこちらをじっと見つめる農婦の姿。固く結んだ手やその面持ちからは、絵のモデルになっていることへの緊張感が感じられます。暗い色調でまとめられた重々しい画面からは、決して楽ではない農民生活が窺えます。諸橋近代美術館 美術館・博物館
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ポール・ゴーギャン 「ブルターニュの子供」 1889年 福島県立美術館
ゴーギャンはブルターニュの子どもたちの素朴さと純真さに強く惹きつけられました。福島県立美術館 美術館・博物館
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国立西洋美術館は、1959年(昭和34年)に発足・開館した、西洋美術全般を対象とする美術館としては日本で唯一の国立美術館です。実業家松方幸次郎が20世紀初めにヨーロッパで収集した印象派などの19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻を中心とする松方コレクションがコレクションの基礎となっています。
国立西洋美術館 美術館・博物館
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フィンセント・ファン・ゴッホ 「バラ」1889年
この作品は、1889年に入院したサン=レミの精神療養院に咲くばらを描いたものです。 -
ポール・ゴーギャン「サントゥアン教会、ルーアン 」1884年
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ポール・ゴーギャン「水浴の女たち」1885年
ゴーギャンの英仏海峡に面したディエップ滞在中に制作された作品の一つです。 -
ポール・ゴーギャン「ブルターニュ風景」1888年
本作品は、ブルターニュ滞在時代前半の作品で、印象主義からゴーギャン独自の平面的様式への過渡的段階を示しています。 -
ポール・ゴーギャン「海辺に立つブルターニュの少女たち」1889年
ゴーギャンは、近代化から取り残され、古代のケルト文化の痕跡をいたるところに残す北西フランスのブルターニュ地方を、好んで訪れました。この絵は、1889年の秋に海辺の村ル・ブールデュで制作された、ゴーギャンのブルターニュ時代を代表する作品のひとつです。前年末にゴーギャンは南仏アルルで、芸術家の共同体の夢を追ってファン・ゴッホとの共同生活を試み破綻しましたが、ブルターニュにおいては1886年の最初の滞在以来、多くの作家たちと交流を持ちながら、この地方の古い習俗や風景を描き続けました。画面に描かれた少女たちは、裸足で、ブルターニュ地方独特の民族衣装を身にまとった姿でモデルとなっています。背景となっているのは、崖と入り江に囲まれ、野趣に満ちた、ブルターニュ特有の風光明媚な海岸風景です。画面全体を覆う平面的な賦彩と様式化された波の表現、中心軸を外した人物の配置などの表現は、注目に値します。この頃、ゴーギャンの中で日本の浮世絵の影響は頂点に達していたのです。こうした大胆な試みは、やがて1891年以降に赴くタヒチ島で、さらに深められていきます。 -
ポール・ゴーギャン「画家スレヴィンスキーの肖像」1891年
松方コレクション -
アジアで唯一ゴッホの「ひまわり」を鑑賞できる美術館「SOMPO美術館」
SOMPO美術館 美術館・博物館
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フィンセント・ファン・ゴッホ 「ひまわり」1888年
ゴッホは南フランスのアルルで画家仲間との共同生活を計画し、ポール・ゴーギャンらを招きました。《ひまわり》の連作は1888年8月、ゴーギャンの部屋を飾るために描かれました。出品作品の《ひまわり》は、この時描いた「黄色い背景のひまわり」(ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵)をもとに、1888年11月下旬から12月上旬に描かれたと考えられています。ロンドン版の色彩や構図をそのまま用いた「模写」ですが、筆遣いや色調に微妙な変化を加えています。 -
ポール・ゴーギャン「アリスカンの並木道、アルル」 1888年
「アリスカンの並木路、アルル」は、ゴーギャンがアルル到着後、すぐに着手した作品。古代ローマ遺跡「アリスカン」の石棺が並んでいます。 -
株式会社ブリヂストンの創業者、石橋正二郎により1952年に開設したブリヂストン美術館を前身とし、2020年1月にアーティゾン美術館として新たに誕生しました。
アーティゾン美術館 美術館・博物館
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フィンセント・ファン・ゴッホ「モンマルトルの風車」1886年
ゴッホがアントワープを去ってパリに着いたのは1886年の春ですが、これはパリの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の裏手から見た光景です。 -
ポール・ゴーギャン「馬の頭部のある静物」 1886年
三つ折れ人形を思わせる東洋的な玩具、馬の頭部の古代ギリシャ(を模した)彫刻、浮世絵を貼り合わせた団扇に書籍と奇妙な組み合わせの静物が、点描によって描かれています。 -
ポール・ゴーギャン「ポン=タヴェン付近の風景」1888年
ゴーギャンが初めてポン=タヴァンを訪れたのは1886年、38歳の時でした。本作は2度目の滞在のさいに制作されたもの。地面は緑で覆われて、春の訪れを感じさせるものの、ひとけのない寂しげな景色です。ポン=タヴェン郊外の「愛の森」と呼ばれる森から、アヴァン川とその対岸の柵に囲まれた牧場を望んでいます。背景にはサント=マルグリット山が見えます。 -
ポール・ゴーギャン「乾草」1889年
ゴーギャンが3度目にブルターニュを訪れるのは1889年初め。その頃になると多くの画家や旅行者がこの地方にやって来るようになりました。それにうんざりしたゴーギャンは、10月にポン=タヴェンの隣にあるル・プールデュという静かな村に移ります。そこには「お人形マリ(マリ・プペ)」と呼ばれていた女性が経営する旅館がありました。ゴーガンはオランダから来たメイエル・デ・ハーンなどとともにその旅館に滞留します。《乾草》は彼らと一緒に旅館の食堂を装飾するために描いた作品の一点です。 -
八王子にある東京富士美術館。約30000点あるというコレクションの中には、ゴッホ、ゴーギャンのコレクションもあります
東京富士美術館 美術館・博物館
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フィンセント・ファン・ゴッホ「鋤仕事をする農婦のいる家」1885年 東京富士美術館
本作は、《馬鈴薯を食べる人たち》が描かれた翌月の、1885年の6月に描かれた作品。 ゴッホは弟テオへ宛てた手紙の中で、 「今は、ここ(ニューネン)から2時間のところで仕事をしているので、全ての時間を有する。私が求めているのは、あといくつかのきれいな荒野の農家。既に4つ、前回送った大きさが2点と、小さいのがいくつかある。」 と述べており、この作品は、この手紙の中で「いくつか」と言及されている作品。 農民が暮らす場所を描くことは、ミレーを崇拝するゴッホにとって、農民の生活の厳しさや、自然との深い結びつきを表現する重要なモチーフでした。ゴッホは愛情を込め、農民の家を、雀より小さな野鳥のミソサザイの巣に喩え「農民の巣」と呼んでいます。その力強いタッチと落ち着いた色調は、大地に根ざして生きる農民のたくましさと、自然の持つ包容力を描きだしています。 同じ時期に描かれた、同じモチーフの作品が、いくつも残っており、このモチーフがゴッホにとって、重要なものであったことが伺えます。 -
ポール・ゴーギャン「水辺の柳、ポン=タヴェン」1888年 東京富士美術館
本作は、ゴーガンの2度目のポン=タヴェン滞在時に描かれており、印象派の要素を残しつつも、より革新的な構図と色彩への変化を見て取ることができます。画面右を上下に貫く木の幹が印象的で、歌川広重の浮世絵を彷彿とさせます。本作の構図にとって重要な構成要素ともなっているこの木は、じつは1938年以降の所有者によって塗りつぶされてしまっていました。近年修復によって元の姿を取り戻していますが、この木を消すことにどのような意味があったのか、改変者の意図は不明です。描かれている場所では、19世紀末から20世紀初頭にかけて川の浚渫が行われていました。右奥には赤い茅葺き屋根の建物がありますが、その前の道には川の浚渫で出た土砂が積まれているのがわかります。また、画面左にある丘も山肌があらわになっており、道路として造成中であることがわかります。現在このあたりはボートを係留する船着場として利用されています。 この絵を描いた年の10月、ゴーガンはゴッホの誘いをうけてアルルを訪れ、ゴッホとの共同生活を行います。二人の共同生活は2ヶ月で悲劇的な終わりを迎えますが、やがてゴーガンは、目に見える世界を描写する印象派のスタイルを脱却して、人間の原初の姿にやどる精神的な実在を、単純化された色彩とフォルムの調和によって描き出す独自の様式を創造していきます。 -
ポーラ美術館の絵画コレクションは、19世紀の印象派絵画から20世紀の抽象絵画に至るまで、質の高い作品によって美術の展開を辿ることができます。国内には数少ないゴッホのコレクションは3点あります。また素晴らしいゴーギャンのコレクションもあります
ポーラ美術館 美術館・博物館
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イチオシ
フィンセント・ファン・ゴッホ 「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」1888年
1888年2月、ファン・ゴッホは南仏プロヴァンスのローヌ河畔のアルルに到着しました。アルルはローマ時代からの歴史ある町で、市街には遺跡が多く残されています。ファン・ゴッホは、明るい陽光に満ちた南仏を、日本のあざやかな浮世絵の世界に重ね合わせ、憧れの日本のような場所と考えていました。彼は、ラマルティーヌ広場に面した「黄色い家」で、パリからやって来たゴーガンと約2ヵ月間生活をともにしますが、耳切り事件によって二人の共同生活は幕を閉じます。アルルに滞在した約15ヵ月間で、ゴッホは約200点の油彩画を制作しました。「ここの自然は並はずれて美しい。いたるところ完璧だ。空の穹窿と見事なブルー、太陽の輝きは硫黄が燃える青白い炎の色だ」。本作品は、アルル到着後まもなく制作されました。ヴィゲラ運河のグレーズ橋はアルルの南に位置していました。ゴッホは橋と土手の黄色、空と運河の水面の青色に加え、橋上の人物や奥に広がる低木材、ボート、洗濯女たち、水面の煌きなどにアクセントとして赤を用いています。 -
フィンセント・ファン・ゴッホ「草むら」1889年
ファン・ゴッホは、アルルでのゴーガンとの共同生活と耳切り事件ののち、サン=レミのサン=ポール精神療養院に入院しました。彼は何度か発作を起こしましたが、病気が小康状態のときには制作を行いました。彼は病室の窓から見える風景や庭の草花や木々、病院近くのオリーヴ園、糸杉のある風景などを描いています。1889年4月、彼はこの病院の庭で見たと思われる草花を主題にし、数点の作品を制作しています。
ゴッホはそれら数点の作品で、空も地平線もない、草花の広がる光景のみを描いていますが、この《草むら》は、そのなかでもとりわけ草の茂みを大きくクローズアップしてとらえている。彼は大地に根を張るこの草むらを、あざやかな緑、黄緑を用い、力強い線条のタッチで描いています。自然の風景の細部を見つめる観察態度には日本美術の影響も指摘されていますが、きわめて地面に近い視点から描かれた本作品は、奥行感が欠如し、平面的な画面になっています。 -
イチオシ
フィンセント・ファン・ゴッホ「アザミの花」1890年
本作品は、ゴッホ晩年の1890年6月16日または17日に、ガシェ医師の家でモティーフを見つけて描いた数点の野花の静物画のうちの1点。
テーブルや花瓶を区切る輪郭線は、日本の浮世絵版画の影響を感じさせます。外側に広がるアザミの鋸歯状の葉や麦穂、花瓶の同心円状のタッチや背景にみられる垂直と水平方向に交差したタッチは、ゴッホの線と色彩、画肌の効果の追究の成果を示しています。 -
ポール・ゴーギャン「ポン=タヴェンの木陰の母と子」1886年
本作品は、1886年の最初のポン=タヴェン滞在の際に描かれました。ポン=タヴェンを流れるアヴェン川の周辺には、ポール・セリュジエが1888年に≪護符≫(オルセー美術館蔵)を描いた「愛の森」をはじめとする森がありました。この≪ポン=タヴェンの木陰の母と子≫では、左の上方へと続く森の小道の風景と、右の森のなかに広がる低地の風景で大胆に構成されており、日本の浮世絵の影響がうかがわれます。また、森の小道には、ブルターニュ特有の「コアフ」と呼ばれる被り物を着けた母親と子どもの姿が描き込まれています。画面に動感をもたらしている、小道、木々の葉むら、低地の草むらにみられるさまざまな方向の筆触には、印象派の強い影響が表われています。 -
ポール・ゴーギャン「白いテーブルクロス」1886年
ゴーギャンが、はじめてブルターニュの小さな村ポン=タヴェンを訪れたのは1886年7月です。アヴェン河口のポン=タヴェンは、かつては14基の水車と15軒の家しかない静かな村だったそうです。1860年代よりアメリカ人の画家たちが集まっていましたが、素朴な地方として注目され、訪れる人々が増えていきました。ゴーギャンは、家賃、食事込みで月60フランという良心的なグロアネクの下宿屋で絵画制作に打ち込みました。彼の周りには若い芸術家たちが集まり、この地は芸術家村となりました。芸術家たちは8月15日の聖母マリアの被昇天祭の祝祭日の慣習として、グロアネク夫人に作品を贈ることにしていました。白いテーブルクロスの上のワインデカンタ、ブルターニュの伝統的な水差し、さくらんぼ入りの器を描いた本作品も、ゴーギャンがこの慣習に習い、宿屋のために制作し贈ったものです。1892-1893年にポン=タヴェンに滞在したスイス人画家クーノ・アミエは、グロアネクの宿屋でこの作品を見た感想を残しています。「白い布の上に置かれた鉢のなかのさくらんぼ。何の気取りもない全き単純さ、それは不思議に透き通っており、そこには魔法のような輝きがあった」。 -
ポール・ゴーギャン「小屋の前の犬、タヒチ」1892年
ゴーギャンは、1891年に初めてタヒチへ渡りました。それは画家が暮らす文明社会ではすでに失われてしまったかつての人間の営みと精神を、タヒチで見出す心の旅路でもありました。強く憧れていた南国の地で、画家は鮮やかな色彩を呈する風景、島特有のさまざまな生活の場面、人間、動物たちの姿を捉えていきました。本作品では、植物だけを材料に組み立てられた伝統的な小屋が、柔らかい質感と目の醒めるような橙色で表現され、その隣には、村人たちが大地に腰掛けておしゃべりする光景が添えられています。ゴーギャン特有の緑を主調にして斜めに平行に置かれた筆致が画面の大部分を覆っていますが、その傾いだ色とりどりの筆致は、はるかなる山裾から集落までを駆け抜ける風にそよぐ草木のざわめきを表わし、この土地固有の空気の流れと輝きを伝えています。
前景には、一匹の黒い犬が頭を垂れ、大地に繁茂する植物とともに、集落の風景に比べてより写実的に描写されています。そこには新天地の大地を踏みしめ、タヒチの人々から距離を置きつつ観察するゴーガンの姿を投影することができるかもしれません。ゴーギャンは、この第一次タヒチ滞在ののち、いったんは帰国するものの1895年に再び渡航し、1901年にタヒチよりもさらに故国から離れたマルキーズ諸島のドミニク島(現ヒヴァ=オア島)に到着しますが、1903年、彼の地で生涯にわたった長い旅路を終えました。 -
ポール・ゴーギャン「異国のエヴァ」1890-94年
ゴーギャンは、幼少期をペルーで過ごし、船員生活を経験し、カリブ海に浮かぶ小アンティル諸島のマルティニク島にしばらく滞在しています。アルルでのゴッホとの悲劇的な共同生活の後、ゴーギャンは西欧の近代化の波のおよばない、文明化されていない世界に憧れを抱き、南国に向かう決意を固めます。本作品は、おそらくタヒチに渡る1891年以前に、1889年のパリ万国博覧会に展示されていた東洋や中東の美術に影響を受けてゴーギャンが創り上げた創造の南国の風景です。ゴーガンは、エデンの園を自分がこれから向かう南国として表現し、エヴァの容貌を母アリーヌの写真にもとづいて描いています。 -
地元の静岡県立美術館。といっても車で1時間程度、日本平北側山麓の静岡県文化センター内にあります。ロダンの作品を中心に展示しているロダン館、静岡県ゆかりの作家・作品、富士山の絵画などがコレクションの中心ですが、 伊藤若冲「樹花鳥獣図」やモネ、ゴーギャンなどの洋画もあります。
静岡県立美術館 美術館・博物館
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イチオシ
ポール・ゴーギャン「家畜番の少女」1889年
1888年2月、ゴ-ギャンは86年に引き続き、ブルタ-ニュ地方の小さな村ポン=タヴェンに滞在しました。同年8月には旧知のエミール・ベルナールと合流し、「事物を前にして描くのではなく、想像力のうちに捉え直して描くべきだ」というベルナールとともに、象徴的総合主義の実験を続けます。すでに当時のゴーギャンは、「芸術とは一つの抽象作用だ。自然を前にして夢想しながら、自然から芸術を抽き出すこと」(1888年8月14日。シュフネッケル宛書簡)と述べるようになっていました。
こうした考えのもとに、翌89年春からの第三次ポン=タヴェン時代には、新たな画風が確立していきます。1889年には70点の作品が制作され、その中には《美しきアンジェール》(オルセ美術館)、《戯画的自画像》(ワシントン、ナショナル・ギャラリー)、《今日はゴーギャンさん》(プラハ国立美術館)、《黄色いキリスト》(オルブライト=ノックス美術館)、《黄色いキリストのある自画像》(個人蔵)などの名作が含まれていますが、規則的な筆使い、リズミカルな輪郭線、平面的に塗られた絵具による装飾的効果は、クールベや印象派流のリアリズム的描写とは明らかに異なる、心象の「総合的表現」を進めたものとなっています。
妻メット旧蔵の《家畜番の少女》は、こういった特色をよく示す風景画の一つで、1893年にはコペンハーゲンで、ヴァン・ゴッホの遺作とともに陳列されています。青・黄・赤の三原色を基調としたこの作品は、規則的なタッチを活かしながら、対象を二次元的・抽象的な色面にまとめあげ、ルネサンス以来の遠近法的空間表現(イリュージョニズム)を放棄しています。画面左上の白いピラミッド形態は、解読不能な神秘性を示しますが、三角屋根をもつブルターニュの農家のイメージを、ゴーギャン自身の抽象への欲求から変容させたものと解釈できるかもしれない。また風避け用フードを被った少女と三頭の豚を、中景の木立の前方に配した構図は、17世紀以来の西洋風景画の伝統である「牧歌的風景画」を受け継ぐものとして興味深いものです。 -
愛知県美術館は、愛知芸術文化センター10階にあります。ピカソやクリムトなど、20世紀初頭から現代までを中心とした国内外の作品を約8500件コレクションとして持ちます。
愛知県美術館 美術館・博物館
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ポール・ゴーギャン「木靴職人」1888年
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フィンセント・ファン・ゴッホ「紡ぎ車をくる女」1883-84年 和泉市久保惣記念美術館
本作では、壁を背に正面を向いて紡ぎ車を回し、糸を繰る女性を描いています。暗い室内を照らす窓からのかすかな外光を捉え、紡ぎ車と一体となった女性の動きを浮かび上がらせています。
ゴッホは、画家になることを目指した二十代の後半、ひたむきに働く人間の強さや純真さに美しさを見出し、労働者や農民の生活を主題とした絵を多く描きました。当時のゴッホは研究のため、ミレーの素描やリトグラフを数多く模写しています。本作はオランダ南部のヌエネンで制作していた頃のものです。久保惣記念美術館 美術館・博物館
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フィンセント・ファン・ゴッホ「機を織る人とベビーチェアの子供」1884年 和泉市久保惣記念美術館
この作品は、古い機織り機を前にして、梭という横糸を通す道具を手に、職人が作業をしています。その側にはベビーチェアが置かれ、その中に座っている赤ん坊が作業の様子をながめています。農夫や職人たちの働く姿をその環境とともにとらえた、和泉市久保惣記念美術館が収蔵する3点のゴッホ作品のうちの1点。 -
緑に囲まれた広島市中央公園の一角に位置するひろしま美術館は、1978年に広島銀行の創業100周年を記念して設立しました
ひろしま美術館 美術館・博物館
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イチオシ
フィンセント・ファン・ゴッホ「ドービニーの庭」1890年
亡くなる2週間ほど前に制作された代表作であり、ゴッホが敬愛したバルビゾン派の画家ドービニーの庭と住宅を描いたもの -
ポール・ゴーギャン「ボア・ダムールの水車小屋の水浴」1886年
ゴーギャンは、1886年の夏から秋にかけて、ブルターニュの小村ポン=タヴェンに滞在しており制作された作品。 -
ポール・ゴーギャン「真珠のついた偶像」 1892-93年 ひろしま美術館所蔵
1891年にフランスからタヒチへ渡ったゴーギャンは、現地の木材を使って彫刻を制作しています。本作はオルセー美術館所蔵の同名の木彫作品を原型として、後にブロンズで鋳造されたもの。
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