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 クロード・モネ(1840~1926)とともに印象派の代表的な画家である、ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841~1919)。並び称されるのみならず、二人は生涯の親友として互いの創作を認め合う存在だったそうです。1つ違いのこの友が亡くなったとき、モネはとても悲しんだそうです。<br /> 「私が描くのは、風景ならばその中を散歩したくなるような絵、裸婦ならばその胸や腰を愛撫したくなるような絵だ」とルノワール本人が述べるように、その作品は豊かな色彩と筆が描き出すやわらかい風景や、愛らしい子供、ふくよかな裸婦であり、それらは幸福感に満ちていて、見る者を穏やかで温かい気持ちにさせます。このため、いまも世界中から愛され、日本でも多くの美術館が作品を所蔵しています。とくに国立西洋美術館、アーティゾン美術館、ポーラ美術館には、ルノワールの画業の各時代を代表する名作を含め、変遷をたどることのできるラインナップが揃います。その他の各地の県立美術館等へもルノワールの作品を見に行っています。写真撮影がOKだったものをアップしていきます。なお、全ての作品が常時展示されているわけではありません。写真撮影ができたものからアップしていきます。

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2024/03/02 - 2024/03/02

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 クロード・モネ(1840~1926)とともに印象派の代表的な画家である、ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841~1919)。並び称されるのみならず、二人は生涯の親友として互いの創作を認め合う存在だったそうです。1つ違いのこの友が亡くなったとき、モネはとても悲しんだそうです。
「私が描くのは、風景ならばその中を散歩したくなるような絵、裸婦ならばその胸や腰を愛撫したくなるような絵だ」とルノワール本人が述べるように、その作品は豊かな色彩と筆が描き出すやわらかい風景や、愛らしい子供、ふくよかな裸婦であり、それらは幸福感に満ちていて、見る者を穏やかで温かい気持ちにさせます。このため、いまも世界中から愛され、日本でも多くの美術館が作品を所蔵しています。とくに国立西洋美術館、アーティゾン美術館、ポーラ美術館には、ルノワールの画業の各時代を代表する名作を含め、変遷をたどることのできるラインナップが揃います。その他の各地の県立美術館等へもルノワールの作品を見に行っています。写真撮影がOKだったものをアップしていきます。なお、全ての作品が常時展示されているわけではありません。写真撮影ができたものからアップしていきます。

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  • 国立西洋美術館は、1959年(昭和34年)に発足・開館した、西洋美術全般を対象とする美術館としては日本で唯一の国立美術館です。実業家松方幸次郎が20世紀初めにヨーロッパで収集した印象派などの19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻を中心とする松方コレクションがコレクションの基礎となっています。ルノワール初期の代表作をはじめ各時代を代表する名作のコレクションがあります。

    国立西洋美術館は、1959年(昭和34年)に発足・開館した、西洋美術全般を対象とする美術館としては日本で唯一の国立美術館です。実業家松方幸次郎が20世紀初めにヨーロッパで収集した印象派などの19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻を中心とする松方コレクションがコレクションの基礎となっています。ルノワール初期の代表作をはじめ各時代を代表する名作のコレクションがあります。

    国立西洋美術館 美術館・博物館

  • 「ルーベンス作「神々の会議」の模写」1861年 国立西洋美術館<br />ルノワールの最も初期の頃の作品の1枚、シャルル・グレールのアトリエ(画塾)に入った頃のものか。

    「ルーベンス作「神々の会議」の模写」1861年 国立西洋美術館
    ルノワールの最も初期の頃の作品の1枚、シャルル・グレールのアトリエ(画塾)に入った頃のものか。

  • 「アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」1871年 国立西洋美術館<br />ルノワール初期の代表作で、川崎造船所社長を務めた実業家松方幸次郎 がイギリス、フランス、ドイツ等で収集した美術コレクション(いわゆる松方コレクション)の中でも珠玉の1点。ハーレム(イスラム文化圏における後宮)の官能的な女たちが描かれているように見えますが、ここはパリの一室です。当時、ルノワールはイスラム文化に彩られた北アフリカを訪れてはいませんでしたが、ドラクロワの《アルジェの女たち》などを下敷きにして、きらびやかな衣服を纏ったパリの女たちのまわりに装飾豊かな絨毯や家具を配し、東方趣味を存分に表現しています。ルノワール特有の豊かな色彩と筆遣いがすでに見られます。

    「アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」1871年 国立西洋美術館
    ルノワール初期の代表作で、川崎造船所社長を務めた実業家松方幸次郎 がイギリス、フランス、ドイツ等で収集した美術コレクション(いわゆる松方コレクション)の中でも珠玉の1点。ハーレム(イスラム文化圏における後宮)の官能的な女たちが描かれているように見えますが、ここはパリの一室です。当時、ルノワールはイスラム文化に彩られた北アフリカを訪れてはいませんでしたが、ドラクロワの《アルジェの女たち》などを下敷きにして、きらびやかな衣服を纏ったパリの女たちのまわりに装飾豊かな絨毯や家具を配し、東方趣味を存分に表現しています。ルノワール特有の豊かな色彩と筆遣いがすでに見られます。

  • 「木かげ 」1880年 国立西洋美術館

    「木かげ 」1880年 国立西洋美術館

  • 「帽子の女」1891年 国立西洋美術館<br />こちらも松方コレクション。ルノワールは、1880年代にはいると印象派から離れ、様々な作風で作品を制作していきますが、本作はいわゆる「真珠色の時代」に入った頃の作品。さまざまな色彩が白と混じり合って繊細な輝きを放つ様は、まさに「真珠色の時代」という呼び名にふさわしい。<br /><br />

    「帽子の女」1891年 国立西洋美術館
    こちらも松方コレクション。ルノワールは、1880年代にはいると印象派から離れ、様々な作風で作品を制作していきますが、本作はいわゆる「真珠色の時代」に入った頃の作品。さまざまな色彩が白と混じり合って繊細な輝きを放つ様は、まさに「真珠色の時代」という呼び名にふさわしい。

  • 「横たわる浴女」1906年 国立西洋美術館<br />1880年代の後半に輪郭線への強い興味を示したルノワールの画風は、筆触と色彩による存在感のあるフォルムの探求へと変化していきます。風景の中の裸婦は、その時期のルノワールが最も好んで扱った主題のひとつです。この横たわる裸婦は、女神ヴィーナスや森のニンフといった神話画のイメージを彷彿とさせます。

    「横たわる浴女」1906年 国立西洋美術館
    1880年代の後半に輪郭線への強い興味を示したルノワールの画風は、筆触と色彩による存在感のあるフォルムの探求へと変化していきます。風景の中の裸婦は、その時期のルノワールが最も好んで扱った主題のひとつです。この横たわる裸婦は、女神ヴィーナスや森のニンフといった神話画のイメージを彷彿とさせます。

  • 「ばらをつけた女」1910年代頃 国立西洋美術館<br />日本の洋画界を牽引した梅原龍三郎は、ルノワールを100年以上も前に、パリのアトリエに出向き師と仰ぎましたが、本作品は昭和49年に その梅原龍三郎氏より寄贈されたもの。<br /><br />

    「ばらをつけた女」1910年代頃 国立西洋美術館
    日本の洋画界を牽引した梅原龍三郎は、ルノワールを100年以上も前に、パリのアトリエに出向き師と仰ぎましたが、本作品は昭和49年に その梅原龍三郎氏より寄贈されたもの。

  • 「風景の中の三人」1916年 国立西洋美術館<br />晩年、心身ともに苦境に立たされたルノワールは、それを忘れようとするかのように幸福な充実感とまろやかな絵画性に満ちた作品を生み出していきました。特にこの作品では色彩の諧調がすばらしく、ルノワール晩年のコロリスムの証となっています。3人の人物は自然の風景の中にとけこみ、溢れんばかりの陽光が画面を満たしています。

    「風景の中の三人」1916年 国立西洋美術館
    晩年、心身ともに苦境に立たされたルノワールは、それを忘れようとするかのように幸福な充実感とまろやかな絵画性に満ちた作品を生み出していきました。特にこの作品では色彩の諧調がすばらしく、ルノワール晩年のコロリスムの証となっています。3人の人物は自然の風景の中にとけこみ、溢れんばかりの陽光が画面を満たしています。

  • 「ばら」年代不詳 国立西洋美術館<br />こちらは蒲田で小さな病院を経営しながら作品を集めてこられた山本英子さんという方からの寄贈作品のうちの1枚とのことです。<br />

    「ばら」年代不詳 国立西洋美術館
    こちらは蒲田で小さな病院を経営しながら作品を集めてこられた山本英子さんという方からの寄贈作品のうちの1枚とのことです。

  • 東京の美術館ではアーティゾン美術館も多くのルノワールのコレクションがあります。

    東京の美術館ではアーティゾン美術館も多くのルノワールのコレクションがあります。

    アーティゾン美術館 美術館・博物館

  • 「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」1876年 アーティゾン美術館<br /> 印象派の画家ルノワールは、友人のモネとともに戸外制作に基づく風景画を描くかたわら、都市風俗や人物画にも早くから関心を示しました。30代半ばのルノワールはすぐれた肖像画を多く手がけました。<br /> この作品に描かれているのは、ジョルジュ・シャルパンティエの当時4歳の長女ジョルジェット。青色のドレスと靴下を身につけたジョルジェットは、椅子にすわって微笑んでいます。伝統的な肖像画のような堅苦しい雰囲気はなく、モデルのくつろいだ様子が生き生きと表現されています。足を組んだおしゃまなポーズと大き過ぎる大人用の椅子との対比により、少女の可愛らしさが際立ちます。近くで見ると、影の表現に青い線が使われているのがわかります。床には絨毯が敷かれ、家具の上には花瓶が飾られており、19世紀のパリの裕福な家庭の様子を伝えてくれます。

    「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」1876年 アーティゾン美術館
     印象派の画家ルノワールは、友人のモネとともに戸外制作に基づく風景画を描くかたわら、都市風俗や人物画にも早くから関心を示しました。30代半ばのルノワールはすぐれた肖像画を多く手がけました。
     この作品に描かれているのは、ジョルジュ・シャルパンティエの当時4歳の長女ジョルジェット。青色のドレスと靴下を身につけたジョルジェットは、椅子にすわって微笑んでいます。伝統的な肖像画のような堅苦しい雰囲気はなく、モデルのくつろいだ様子が生き生きと表現されています。足を組んだおしゃまなポーズと大き過ぎる大人用の椅子との対比により、少女の可愛らしさが際立ちます。近くで見ると、影の表現に青い線が使われているのがわかります。床には絨毯が敷かれ、家具の上には花瓶が飾られており、19世紀のパリの裕福な家庭の様子を伝えてくれます。

  • 「カーニュのテラス」1905年 アーティゾン美術館<br />重いリューマチに悩まされた晩年のルノワールは、南フランスの街カーニュにしばしば滞在しました。1903年から1907年までの間、彼は、「メゾン・ド・ラ・ポスト」と呼ばれる建物に部屋を借りて住みました。右端に見えているのがその建物です。その窓からは、カーニュの街並みと果樹園を眺めることができました。この作品では、高台に沿って階段状に延びる家々や果樹園が、柔らかな筆づかいで表されます。塀の上に腰掛ける女性は、白い帽子と赤い上着を身につけています。その横には麦わら帽子をかぶった子どもの姿が見えます。

    「カーニュのテラス」1905年 アーティゾン美術館
    重いリューマチに悩まされた晩年のルノワールは、南フランスの街カーニュにしばしば滞在しました。1903年から1907年までの間、彼は、「メゾン・ド・ラ・ポスト」と呼ばれる建物に部屋を借りて住みました。右端に見えているのがその建物です。その窓からは、カーニュの街並みと果樹園を眺めることができました。この作品では、高台に沿って階段状に延びる家々や果樹園が、柔らかな筆づかいで表されます。塀の上に腰掛ける女性は、白い帽子と赤い上着を身につけています。その横には麦わら帽子をかぶった子どもの姿が見えます。

  • 「すわる水浴の女」1914年 アーティゾン美術館

    「すわる水浴の女」1914年 アーティゾン美術館

  • 「水浴の女」1907年頃 アーティゾン美術館<br />二科会および一水会創立者のひとり山下新太郎は、ルノワールの影響を受けていますが、この作品は山下がルノワールから直接買い求めたものです。山下は、日本にあるルノワール作品としては最高のものと評価した作品です。

    「水浴の女」1907年頃 アーティゾン美術館
    二科会および一水会創立者のひとり山下新太郎は、ルノワールの影響を受けていますが、この作品は山下がルノワールから直接買い求めたものです。山下は、日本にあるルノワール作品としては最高のものと評価した作品です。

  • 「花のついた帽子の女」1917年 アーティゾン美術館

    「花のついた帽子の女」1917年 アーティゾン美術館

  • 「少女」1887年 アーティゾン美術館<br /> 印象派の画家ルノワールは、友人のモネとともに戸外制作に基づく風景画を描くかたわら、都市風俗や人物画にも早くから関心を示しました。30代半ばのルノワールはすぐれた肖像画を多く手がけました。<br /> この作品に描かれているのは、ジョルジュ・シャルパンティエの当時4歳の長女ジョルジェット。青色のドレスと靴下を身につけたジョルジェットは、椅子にすわって微笑んでいます。伝統的な肖像画のような堅苦しい雰囲気はなく、モデルのくつろいだ様子が生き生きと表現されています。足を組んだおしゃまなポーズと大き過ぎる大人用の椅子との対比により、少女の可愛らしさが際立ちます。近くで見ると、影の表現に青い線が使われているのがわかります。床には絨毯が敷かれ、家具の上には花瓶が飾られており、19世紀のパリの裕福な家庭の様子を伝えてくれます。<br /> パリで出版業を営んでいたシャルパンティエは、ゾラやモーパッサンらの小説を出版する一方、自宅で文学サロンを開いていました。妻マルグリットが主催したそのサロンは、芸術家や政治家などが集まる社交の場でした。1875年に印象派の画家たちが開催した作品売り立てで、夫妻はルノワールの作品3点を購入し、その後、両者は親しく交流するようになりました。このジョルジェットの肖像画は、シャルパンティエ家の肖像画として最初に依頼されたものです。

    「少女」1887年 アーティゾン美術館
     印象派の画家ルノワールは、友人のモネとともに戸外制作に基づく風景画を描くかたわら、都市風俗や人物画にも早くから関心を示しました。30代半ばのルノワールはすぐれた肖像画を多く手がけました。
     この作品に描かれているのは、ジョルジュ・シャルパンティエの当時4歳の長女ジョルジェット。青色のドレスと靴下を身につけたジョルジェットは、椅子にすわって微笑んでいます。伝統的な肖像画のような堅苦しい雰囲気はなく、モデルのくつろいだ様子が生き生きと表現されています。足を組んだおしゃまなポーズと大き過ぎる大人用の椅子との対比により、少女の可愛らしさが際立ちます。近くで見ると、影の表現に青い線が使われているのがわかります。床には絨毯が敷かれ、家具の上には花瓶が飾られており、19世紀のパリの裕福な家庭の様子を伝えてくれます。
     パリで出版業を営んでいたシャルパンティエは、ゾラやモーパッサンらの小説を出版する一方、自宅で文学サロンを開いていました。妻マルグリットが主催したそのサロンは、芸術家や政治家などが集まる社交の場でした。1875年に印象派の画家たちが開催した作品売り立てで、夫妻はルノワールの作品3点を購入し、その後、両者は親しく交流するようになりました。このジョルジェットの肖像画は、シャルパンティエ家の肖像画として最初に依頼されたものです。

  • 白金台にある松岡美術館。初代館長であり、美術館の創設者である松岡清次郎(1894~1989年)の邸跡地にある美術館。清次郎が自らの感性のおもむくまま選び抜き、生涯をかけて築いたコレクションを紹介しています

    白金台にある松岡美術館。初代館長であり、美術館の創設者である松岡清次郎(1894~1989年)の邸跡地にある美術館。清次郎が自らの感性のおもむくまま選び抜き、生涯をかけて築いたコレクションを紹介しています

    松岡美術館 美術館・博物館

  • 「リュシアン・ドーデの肖像」1879年 松岡美術館<br />大きなビスケットを手に愛らしさをふりまくのは、『風車小屋だより』で知られる作家アルフォンス・ドーデの息子リュシアン1歳の頃の肖像です。赤ちゃん特有のふっくらとした肌や頭髪、ギャザーがふんだんに寄せられたベビー服などにパステルのタッチがよく活かされています。<br />ルノワールは有力な出版業者シャルパンティエ家の肖像を描いたことから、その文芸サロンに集うパリの富裕層からの注文が入るようになり、ドーデと知り合った1976年、後にリュシアンの母となるドーデ夫人ジュリアの肖像画を制作しています。

    「リュシアン・ドーデの肖像」1879年 松岡美術館
    大きなビスケットを手に愛らしさをふりまくのは、『風車小屋だより』で知られる作家アルフォンス・ドーデの息子リュシアン1歳の頃の肖像です。赤ちゃん特有のふっくらとした肌や頭髪、ギャザーがふんだんに寄せられたベビー服などにパステルのタッチがよく活かされています。
    ルノワールは有力な出版業者シャルパンティエ家の肖像を描いたことから、その文芸サロンに集うパリの富裕層からの注文が入るようになり、ドーデと知り合った1976年、後にリュシアンの母となるドーデ夫人ジュリアの肖像画を制作しています。

  • 「ローヌの腕に飛び込むソーヌ」1915 年 松岡美術館

    「ローヌの腕に飛び込むソーヌ」1915 年 松岡美術館

  • 損害保険ジャパン本社ビル42階にあった東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館が、同敷地内に特徴的な6階建てのビルを建設し移転、新たに「SOMPO美術館」として開館を迎えました。5月28日にオープン予定でしたが、新型コロナの影響でオープンが7月10日となりました。

    損害保険ジャパン本社ビル42階にあった東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館が、同敷地内に特徴的な6階建てのビルを建設し移転、新たに「SOMPO美術館」として開館を迎えました。5月28日にオープン予定でしたが、新型コロナの影響でオープンが7月10日となりました。

    SOMPO美術館 美術館・博物館

  • 「帽子の娘」1910年 SOMPO美術館

    「帽子の娘」1910年 SOMPO美術館

  • 「浴女」1892-93年頃 SOMPO美術館

    「浴女」1892-93年頃 SOMPO美術館

  • 家具・インテリアの専門店 村内ファニチャーの3階に併設する美術館。「世界の名作家具デザイン展」では国内外の有名デザイナーによる椅子や家具を展示し、今月の椅子のコーナーでは、実際に座ることができる椅子が用意されています。「東西名画展」では近現代絵画を展示しています。

    家具・インテリアの専門店 村内ファニチャーの3階に併設する美術館。「世界の名作家具デザイン展」では国内外の有名デザイナーによる椅子や家具を展示し、今月の椅子のコーナーでは、実際に座ることができる椅子が用意されています。「東西名画展」では近現代絵画を展示しています。

    村内美術館 美術館・博物館

  • 「ジャン・ルノワールとガブリエル」村内美術館<br />ルノワールの次男ジャンを、ルノワールの妻の従姉妹ガブリエルが抱いている作品で、子供への愛情が感じられる作品の一つ。

    「ジャン・ルノワールとガブリエル」村内美術館
    ルノワールの次男ジャンを、ルノワールの妻の従姉妹ガブリエルが抱いている作品で、子供への愛情が感じられる作品の一つ。

  • 八王子にある東京富士美術館。約30000点あるというコレクションの中には、マネ、ルノワールなどの印象派のコレクションもあります

    八王子にある東京富士美術館。約30000点あるというコレクションの中には、マネ、ルノワールなどの印象派のコレクションもあります

    東京富士美術館 美術館・博物館

  • 「浴後の女」1896年 東京富士美術館<br />ルノワールの裸婦の中でも特に肉感的な女性。1896年5月、ルノワールはパリのデュラン=リュエル画廊で個展を開催し、そのあと7月にモンマルトルのラ・ロシュフーコー街に転居しました。本作はその年に描かれ、3年後の1899年1月にデュラン=リュエルの手に渡り、それから更に3年たった1902年6月にパリのデュラン=リュエル画廊で行われた「ルノワール展」で展示されたものです。

    「浴後の女」1896年 東京富士美術館
    ルノワールの裸婦の中でも特に肉感的な女性。1896年5月、ルノワールはパリのデュラン=リュエル画廊で個展を開催し、そのあと7月にモンマルトルのラ・ロシュフーコー街に転居しました。本作はその年に描かれ、3年後の1899年1月にデュラン=リュエルの手に渡り、それから更に3年たった1902年6月にパリのデュラン=リュエル画廊で行われた「ルノワール展」で展示されたものです。

  • 「読書する女」1900年頃 東京富士美術館 <br />ルノワール作品にしばしば描かれる読書をする女性。

    「読書する女」1900年頃 東京富士美術館 
    ルノワール作品にしばしば描かれる読書をする女性。

  • 「庭で犬を膝にのせて読書する少女」1874年 吉野石膏コレクション(山形美術館に寄託)

    「庭で犬を膝にのせて読書する少女」1874年 吉野石膏コレクション(山形美術館に寄託)

    山形美術館 美術館・博物館

  • 「赤いブラウスを着た花帽子の女」1914年 吉野石膏コレクション(山形美術館に寄託)

    「赤いブラウスを着た花帽子の女」1914年 吉野石膏コレクション(山形美術館に寄託)

  • 「シュザンヌ・アダン嬢の肖像」1887年 吉野石膏コレクション(山形美術館に寄託)

    「シュザンヌ・アダン嬢の肖像」1887年 吉野石膏コレクション(山形美術館に寄託)

  • 緑豊かな北浦和公園に1982年に開館した埼玉県立近代美術館(MOMAS)。モネ、シャガール、ピカソなどの海外の巨匠から日本の現代作家まで、優れた美術作品をコレクションして展示しています。

    緑豊かな北浦和公園に1982年に開館した埼玉県立近代美術館(MOMAS)。モネ、シャガール、ピカソなどの海外の巨匠から日本の現代作家まで、優れた美術作品をコレクションして展示しています。

    埼玉県立近代美術館 美術館・博物館

  • 「三人の浴女」1917-19年 埼玉県立近代美術館<br />ルノワールの最晩年の作品です。持病のリウマチに苦しめられながら、時には手に絵筆を縛り付けてまで制作を続けたと伝えられるように、旺盛な制作意欲は最後まで衰えませんでした。この作品では豊満で生命力に満ちた三人の裸婦が、赤や橙、黄などの暖色系の色彩と流れるような柔らかいタッチで描かれています。

    「三人の浴女」1917-19年 埼玉県立近代美術館
    ルノワールの最晩年の作品です。持病のリウマチに苦しめられながら、時には手に絵筆を縛り付けてまで制作を続けたと伝えられるように、旺盛な制作意欲は最後まで衰えませんでした。この作品では豊満で生命力に満ちた三人の裸婦が、赤や橙、黄などの暖色系の色彩と流れるような柔らかいタッチで描かれています。

  • 2020年12月に開館した「熱海山口美術館」に行ってきました。館内は1階、2階の9部屋で構成されており、ルノワール、ピカソ、横山大観、藤田嗣治、岡本太郎、草間彌生など世界の名だたる名画・名品が所蔵・展示されています。

    2020年12月に開館した「熱海山口美術館」に行ってきました。館内は1階、2階の9部屋で構成されており、ルノワール、ピカソ、横山大観、藤田嗣治、岡本太郎、草間彌生など世界の名だたる名画・名品が所蔵・展示されています。

    熱海山口美術館 美術館・博物館

  • 「少女像」熱海山口美術館<br />フランスを代表する印象派の画家ルノワールは、1880年代後期から90年代半ばにかけて、外の世界とは隔離された裕福なブルジョア階級の「少女」を主題とする作品を数多く制作しています。80年代前半にみられた硬い輪郭線や、陰影技法の立体的な構成から、印象主義の淡い色彩の柔らかく軽やかな描写が特徴となっています。パリ通りやレストラン、田園風景、神話的な女性像など多くの作品の中でも、少女をモチーフとした作品はフランスで人気を博しました。<br />本作は、筆致はやや太めながらも、肌や衣服にあたる光の陰影が、画面全体を軽妙で明るくし、少女が何かを愛でるような穏やかな表情を際立たせています。まさにルノワールの印象派時代を代表する作品です。

    「少女像」熱海山口美術館
    フランスを代表する印象派の画家ルノワールは、1880年代後期から90年代半ばにかけて、外の世界とは隔離された裕福なブルジョア階級の「少女」を主題とする作品を数多く制作しています。80年代前半にみられた硬い輪郭線や、陰影技法の立体的な構成から、印象主義の淡い色彩の柔らかく軽やかな描写が特徴となっています。パリ通りやレストラン、田園風景、神話的な女性像など多くの作品の中でも、少女をモチーフとした作品はフランスで人気を博しました。
    本作は、筆致はやや太めながらも、肌や衣服にあたる光の陰影が、画面全体を軽妙で明るくし、少女が何かを愛でるような穏やかな表情を際立たせています。まさにルノワールの印象派時代を代表する作品です。

  • 「CoCo」熱海山口美術館

    「CoCo」熱海山口美術館

  • 池田20世紀美術館。こちらはニチレキという会社の創業者が個人コレクションを寄贈する形で開設した私立美術館で20世紀に制作された絵画・彫刻を中心に約1400点収蔵しているそうです。

    池田20世紀美術館。こちらはニチレキという会社の創業者が個人コレクションを寄贈する形で開設した私立美術館で20世紀に制作された絵画・彫刻を中心に約1400点収蔵しているそうです。

    (公財)池田20世紀美術館 美術館・博物館

  • 「ヴィーナスの立像」1913年 池田20世紀美術館

    「ヴィーナスの立像」1913年 池田20世紀美術館

  • 「半裸の少女」1913年 池田20世紀美術館<br />小さな作品です。

    「半裸の少女」1913年 池田20世紀美術館
    小さな作品です。

  • 「カーニュ風景」1913年 池田20世紀美術館<br />こちらも小さな作品、写真はどうしてもガラスの反射が入ってしまいます。<br />ルノワールや印象派の作品は感動ものの作品はありませんでしたが、コレクションとしてはここからスタートし現代美術にたどり着いたようです。

    「カーニュ風景」1913年 池田20世紀美術館
    こちらも小さな作品、写真はどうしてもガラスの反射が入ってしまいます。
    ルノワールや印象派の作品は感動ものの作品はありませんでしたが、コレクションとしてはここからスタートし現代美術にたどり着いたようです。

  • 下田にある上原美術館<br />大正製薬名誉会長を務める上原昭二氏が収集した近代絵画のほか、その両親が集めた近現代の仏像から、平安時代の仏像、写経まで、幅広いコレクションを収蔵している美術館。

    下田にある上原美術館
    大正製薬名誉会長を務める上原昭二氏が収集した近代絵画のほか、その両親が集めた近現代の仏像から、平安時代の仏像、写経まで、幅広いコレクションを収蔵している美術館。

    上原美術館 美術館・博物館

  • 「横になった婦人」1912年 上原美術館

    「横になった婦人」1912年 上原美術館

  • ポーラ美術館の絵画コレクションは、19世紀の印象派絵画から20世紀の抽象絵画に至るまで、質の高い作品によって美術の展開を辿ることができます。<br /> 19世紀から20世紀は、フランスを中心とした近代美術がもっとも急激な変化を遂げた時代です。ポーラ美術館の核となる西洋近代絵画のコレクション約400点は、まさにこの時代を生きた画家たちの作品です。印象派、ポスト印象派、新印象派などが100点、そして1920年代のパリに集まった外国人画家たちのグループ「エコール・ド・パリ」の画家たちの作品100点を中心に、新古典主義のアングル、ロマン主義の画家ドラクロワから、抽象絵画の創始者カンディンスキー、シュルレアリスムの画家たちまで、モダン・アートの流れをたどる構成になっています。<br /> そのなかでも、ポーラ美術館のコレクションを築いたコレクターであり、ポーラ・オルビスグループのオーナーであった鈴木常司(1930-2000)が特に注目した画家は、印象派を牽引したモネ、「生きる歓び」を描き続けたルノワール、今日の絵画に決定的な影響を与えたピカソです。

    ポーラ美術館の絵画コレクションは、19世紀の印象派絵画から20世紀の抽象絵画に至るまで、質の高い作品によって美術の展開を辿ることができます。
     19世紀から20世紀は、フランスを中心とした近代美術がもっとも急激な変化を遂げた時代です。ポーラ美術館の核となる西洋近代絵画のコレクション約400点は、まさにこの時代を生きた画家たちの作品です。印象派、ポスト印象派、新印象派などが100点、そして1920年代のパリに集まった外国人画家たちのグループ「エコール・ド・パリ」の画家たちの作品100点を中心に、新古典主義のアングル、ロマン主義の画家ドラクロワから、抽象絵画の創始者カンディンスキー、シュルレアリスムの画家たちまで、モダン・アートの流れをたどる構成になっています。
     そのなかでも、ポーラ美術館のコレクションを築いたコレクターであり、ポーラ・オルビスグループのオーナーであった鈴木常司(1930-2000)が特に注目した画家は、印象派を牽引したモネ、「生きる歓び」を描き続けたルノワール、今日の絵画に決定的な影響を与えたピカソです。

    ポーラ美術館 美術館・博物館

  • 「レースの帽子の少女」1891年 ポーラ美術館<br />ポーラ美術館の顔ともいえる作品。<br />レースの帽子の質感や軽やかさを伝える筆致からは、ルノワールの描く喜びが感じ取れるようです。袖口のヴォリュームが巧みに表現されたドレスの描写にもうかがえるように、ルノワールは衣装の質感をとらえて描き出すことを得意としていました。これには、仕立屋とお針子を父母にもつ生い立ちが関係していたのかもしれません。白いレースの帽子の清々しさは、夢見るような表情を浮かべた少女の甘美な魅力を引きたてています。ルノワールは、自らの選んだ帽子や衣装をモデルに提供することもあったようです。女性像にいっそう活き活きとした魅力をもたらすうえで、帽子をはじめとするファッションは、ルノワールにとってきわめて重要なものだったのです。

    「レースの帽子の少女」1891年 ポーラ美術館
    ポーラ美術館の顔ともいえる作品。
    レースの帽子の質感や軽やかさを伝える筆致からは、ルノワールの描く喜びが感じ取れるようです。袖口のヴォリュームが巧みに表現されたドレスの描写にもうかがえるように、ルノワールは衣装の質感をとらえて描き出すことを得意としていました。これには、仕立屋とお針子を父母にもつ生い立ちが関係していたのかもしれません。白いレースの帽子の清々しさは、夢見るような表情を浮かべた少女の甘美な魅力を引きたてています。ルノワールは、自らの選んだ帽子や衣装をモデルに提供することもあったようです。女性像にいっそう活き活きとした魅力をもたらすうえで、帽子をはじめとするファッションは、ルノワールにとってきわめて重要なものだったのです。

  • 「ロバに乗ったアラブ人たち」1881-82年頃 ポーラ美術館<br />1881 年の 2 月末、ルノワールはアルジェリアへの一度目の旅に赴いています。その滞在中に制作されたと考えられる本作品には、伝統的な衣装に身を包んだおそらく現地の人々 の、ロバに乗って海岸沿いを進む光景が描かれています。<br />目を引くのは、彼方の街並みから棕櫚を思わせる南方の植物にいたるまで、随所に施されたハイライトです。ルノワールは後年、アルジェリア旅行の成果として「白の発見」を挙げ、事物の姿を一変させる「太陽の魔力」に言及しています。現地で日常にみられる光景が輝きを帯びて描き出された本作品は、ルノワールのアルジェリア体験を物語る作例といえます。

    「ロバに乗ったアラブ人たち」1881-82年頃 ポーラ美術館
    1881 年の 2 月末、ルノワールはアルジェリアへの一度目の旅に赴いています。その滞在中に制作されたと考えられる本作品には、伝統的な衣装に身を包んだおそらく現地の人々 の、ロバに乗って海岸沿いを進む光景が描かれています。
    目を引くのは、彼方の街並みから棕櫚を思わせる南方の植物にいたるまで、随所に施されたハイライトです。ルノワールは後年、アルジェリア旅行の成果として「白の発見」を挙げ、事物の姿を一変させる「太陽の魔力」に言及しています。現地で日常にみられる光景が輝きを帯びて描き出された本作品は、ルノワールのアルジェリア体験を物語る作例といえます。

  • 「アネモネ」1883-1890年頃 ポーラ美術館<br />アネモネは、バラやダリアと並んで、ルノワールがもっとも好んで描いた花のひとつです。多様な色彩を帯び、カールした花弁にも見えるがくの部分が並んで丸みを作り出す花の造形を、ルノワールは好んだのでしょう。本作品でも、それらの形態をなぞるような筆致によって、ふっくらとした量感と厚みを感じさせる描写がみられます。色彩についても、背景の青が画面の全体を引きしめつつ、花瓶の文様のコバルトブルーとともに、赤や薄紫に彩られた花の匂い立つような華やかさをいっそう引き立てています。

    「アネモネ」1883-1890年頃 ポーラ美術館
    アネモネは、バラやダリアと並んで、ルノワールがもっとも好んで描いた花のひとつです。多様な色彩を帯び、カールした花弁にも見えるがくの部分が並んで丸みを作り出す花の造形を、ルノワールは好んだのでしょう。本作品でも、それらの形態をなぞるような筆致によって、ふっくらとした量感と厚みを感じさせる描写がみられます。色彩についても、背景の青が画面の全体を引きしめつつ、花瓶の文様のコバルトブルーとともに、赤や薄紫に彩られた花の匂い立つような華やかさをいっそう引き立てています。

  • 「水浴の女」1887年 ポーラ美術館<br />ルノワールは、最初に感動を覚えた絵画として、18世紀フランスの画家フランソワ・ブーシェの「ディアナの水浴」(1742年、ルーヴル美術館、パリ)を挙げています。「水浴する裸婦」は古来、表されてきた主題であり、伝統に対するルノワールの強い意識をうかがうことができます。1860年代後半からモネとともに印象派の手法で描きましたが、やがて行き詰まりを感じたルノワールは、1880年代初頭のイタリア旅行を機に、この主題に本格的に取り組むことになります。本作品はその頃に制作された1点です。

    「水浴の女」1887年 ポーラ美術館
    ルノワールは、最初に感動を覚えた絵画として、18世紀フランスの画家フランソワ・ブーシェの「ディアナの水浴」(1742年、ルーヴル美術館、パリ)を挙げています。「水浴する裸婦」は古来、表されてきた主題であり、伝統に対するルノワールの強い意識をうかがうことができます。1860年代後半からモネとともに印象派の手法で描きましたが、やがて行き詰まりを感じたルノワールは、1880年代初頭のイタリア旅行を機に、この主題に本格的に取り組むことになります。本作品はその頃に制作された1点です。

  • 「水のなかの裸婦」1888年 ポーラ美術館<br />水のなかでたたずむ裸婦のみせる恥じらいのポーズは、古来、アフロディーテの表象などに伝統的にみられます。ルノワールは、若き日よりルーヴル美術館に通っていたほか、 1880 年代前半のイタリア滞在により、裸体表現の伝統に深く通じていたと考えられます。ここでは、裸婦の背景を水面が覆い尽くす、大胆な画面構成がとられています。裸婦の身体には丹念に筆致が重ねられ、陰影とハイライトにより量感が作り出されています。それに対し、水面には光のきらめきや反映を表わす黄や赤、白の筆触が横方向に並置されており、違いはあきらかです。古典美術を参照しつつ、明瞭な形態と量感をそなえた裸体表現を追究しようとする意図が表われています。

    「水のなかの裸婦」1888年 ポーラ美術館
    水のなかでたたずむ裸婦のみせる恥じらいのポーズは、古来、アフロディーテの表象などに伝統的にみられます。ルノワールは、若き日よりルーヴル美術館に通っていたほか、 1880 年代前半のイタリア滞在により、裸体表現の伝統に深く通じていたと考えられます。ここでは、裸婦の背景を水面が覆い尽くす、大胆な画面構成がとられています。裸婦の身体には丹念に筆致が重ねられ、陰影とハイライトにより量感が作り出されています。それに対し、水面には光のきらめきや反映を表わす黄や赤、白の筆触が横方向に並置されており、違いはあきらかです。古典美術を参照しつつ、明瞭な形態と量感をそなえた裸体表現を追究しようとする意図が表われています。

  • 「髪かざり」1888年 ポーラ美術館<br />椅子に腰掛けた若い女性の後ろにもう一人の女性が寄り添い、髪に花かざりを着けています。当時、ブルジョワ階級の女性が家で過ごす際には、花の髪かざりを着ける習慣がありました。同様の髪かざりは座っている女性の手にも見られます。ルノワールは1890年前後、身づくろいのほかにも、同じ年頃の女性による奏楽や花摘みなどの情景をしばしば描いています。1880年代後半に印象派の描法を脱するべく取り組みました。アングル流の立体的な裸婦が画商や画家仲間に不評だったことで、ルノワールはこの時期、一般に受け入れられやすい近代生活を描きました。しかしこの主題をめぐっては、アントワーヌ・ヴァトーやジャン=オノレ・フラゴナールといった18世紀ロココの画家による、甘美で活き活きとした女性像への憧憬を読み取ることもできます。人物をはじめとして、室内で重なりあう多様なモティーフがそれぞれ明瞭な輪郭で描き出されているのは、アングルを範として1880年代を通じて追究されたアカデミックな描法の特徴といえます。また、二人の女性像が織り成す垂直方向の線が、背後の長椅子の作る水平線とともに均衡のとれた画面を作り出しており、先立つ印象派の時代と比べて、構図の検討がより入念になされています。

    「髪かざり」1888年 ポーラ美術館
    椅子に腰掛けた若い女性の後ろにもう一人の女性が寄り添い、髪に花かざりを着けています。当時、ブルジョワ階級の女性が家で過ごす際には、花の髪かざりを着ける習慣がありました。同様の髪かざりは座っている女性の手にも見られます。ルノワールは1890年前後、身づくろいのほかにも、同じ年頃の女性による奏楽や花摘みなどの情景をしばしば描いています。1880年代後半に印象派の描法を脱するべく取り組みました。アングル流の立体的な裸婦が画商や画家仲間に不評だったことで、ルノワールはこの時期、一般に受け入れられやすい近代生活を描きました。しかしこの主題をめぐっては、アントワーヌ・ヴァトーやジャン=オノレ・フラゴナールといった18世紀ロココの画家による、甘美で活き活きとした女性像への憧憬を読み取ることもできます。人物をはじめとして、室内で重なりあう多様なモティーフがそれぞれ明瞭な輪郭で描き出されているのは、アングルを範として1880年代を通じて追究されたアカデミックな描法の特徴といえます。また、二人の女性像が織り成す垂直方向の線が、背後の長椅子の作る水平線とともに均衡のとれた画面を作り出しており、先立つ印象派の時代と比べて、構図の検討がより入念になされています。

  • 「ムール貝採り」1888-89年頃 ポーラ美術館<br />本作品は、1879年に制作された《ベルヌヴァルのムール貝採り》(フィラデルフィア、バーンズ財団蔵)をもとに、そのおよそ十年後に再び描かれた作品と考えられます。ノルマンディーの海岸沿いの町ベルヌヴァルには、ルノワールの擁護者であった銀行家のポール・ベラールの別邸がありました。1880年前後の時期、ルノワールは招かれて同地にたびたび滞在していますが、1880年代末に制作された本作品は、かつて滞在した際に残された習作等に基づきながらアトリエで描かれたものと思われます。牧歌的な自然を舞台とした群像表現は、ルノワールが愛好した18世紀のロココ絵画にしばしばみられます。加えて、女性と子どもによる労働の様子は、1880年代半ば以降、ルノワールが好んで主題に取り上げています。また、鮮烈な色彩に加え、明瞭な輪郭をもつ人物の形態はとりわけ、古典主義への意識を深めた1880年代ならではの表現の特徴といえます。

    「ムール貝採り」1888-89年頃 ポーラ美術館
    本作品は、1879年に制作された《ベルヌヴァルのムール貝採り》(フィラデルフィア、バーンズ財団蔵)をもとに、そのおよそ十年後に再び描かれた作品と考えられます。ノルマンディーの海岸沿いの町ベルヌヴァルには、ルノワールの擁護者であった銀行家のポール・ベラールの別邸がありました。1880年前後の時期、ルノワールは招かれて同地にたびたび滞在していますが、1880年代末に制作された本作品は、かつて滞在した際に残された習作等に基づきながらアトリエで描かれたものと思われます。牧歌的な自然を舞台とした群像表現は、ルノワールが愛好した18世紀のロココ絵画にしばしばみられます。加えて、女性と子どもによる労働の様子は、1880年代半ば以降、ルノワールが好んで主題に取り上げています。また、鮮烈な色彩に加え、明瞭な輪郭をもつ人物の形態はとりわけ、古典主義への意識を深めた1880年代ならではの表現の特徴といえます。

  • 「カーニュの風景」1905年 ポーラ美術館<br />カーニュ=シュル=メールで本作品が制作された1905 年、ルノワールは町の中心部の郵便局の建物に居を置いていました。その名も「メゾン・ド・ラ・ポスト」と呼ばれたこの建物は、家主と郵便局長、そしてルノワール一家が暮らすアパルトマンを兼ねるほど大きかったようで、ルノワールの住まいは裏手の広いオレンジ畑に面していました。<br />ルノワールが「メゾン・ド・ラ・ポスト」の近辺を描いた作品は数点残されていますが、本作品もその一点と考えられます。画面の中央を走る道には、連れ立って歩くふたりの人物の姿が描きこまれており、南フランスの日常の穏やかな空気を、さりげなく伝えています。

    「カーニュの風景」1905年 ポーラ美術館
    カーニュ=シュル=メールで本作品が制作された1905 年、ルノワールは町の中心部の郵便局の建物に居を置いていました。その名も「メゾン・ド・ラ・ポスト」と呼ばれたこの建物は、家主と郵便局長、そしてルノワール一家が暮らすアパルトマンを兼ねるほど大きかったようで、ルノワールの住まいは裏手の広いオレンジ畑に面していました。
    ルノワールが「メゾン・ド・ラ・ポスト」の近辺を描いた作品は数点残されていますが、本作品もその一点と考えられます。画面の中央を走る道には、連れ立って歩くふたりの人物の姿が描きこまれており、南フランスの日常の穏やかな空気を、さりげなく伝えています。

  • 「エッソワの風景、早朝」1901年 ポーラ美術館<br />1885年、ルノワールは長男ピエールの誕生を機に、妻アリーヌの故郷であるエッソワを初めて訪れています。シャンパーニュ地方の豊かな自然を背景に、農村の慎ましい暮らしの息づいたこの町をルノワールはすっかり気に入り、その後、最晩年に至るまで毎年のように滞在して一時を過ごすようになります。<br />ルノワールが60歳を迎える1901年の滞在時に制作されたと考えられる本作品でも、早朝の仕事に出た土地の農民たちの姿が点景で描かれており、画面に活気を添えています。ひときわ目を引くのは、田舎道の両脇に立つ木々です。前景右に見られるように、幹は緩やかなカーブを描き、葉を茂らせた梢は、この時期の作を特徴づける暈すようなやわらかい筆致で描かれています。豊かな詩情を伝えるこうした木の表現には、ルノワールが敬意を示してやまなかったコローとの類似をみることもできます。木々のうねるような連なりは、土地の起伏を示すとともに、風景の奥行きを表しており、観る者の目は木の梢と道の影が作り出す心地よい形のリズムとともに、画面の手前から奥へと自然に誘われます。先立つ1890年代、ルノワールは古典絵画の研究を深め、構図と造形の堅固さはいっそう増すことになりますが、本作品にもまたその成果を見ることができます。

    「エッソワの風景、早朝」1901年 ポーラ美術館
    1885年、ルノワールは長男ピエールの誕生を機に、妻アリーヌの故郷であるエッソワを初めて訪れています。シャンパーニュ地方の豊かな自然を背景に、農村の慎ましい暮らしの息づいたこの町をルノワールはすっかり気に入り、その後、最晩年に至るまで毎年のように滞在して一時を過ごすようになります。
    ルノワールが60歳を迎える1901年の滞在時に制作されたと考えられる本作品でも、早朝の仕事に出た土地の農民たちの姿が点景で描かれており、画面に活気を添えています。ひときわ目を引くのは、田舎道の両脇に立つ木々です。前景右に見られるように、幹は緩やかなカーブを描き、葉を茂らせた梢は、この時期の作を特徴づける暈すようなやわらかい筆致で描かれています。豊かな詩情を伝えるこうした木の表現には、ルノワールが敬意を示してやまなかったコローとの類似をみることもできます。木々のうねるような連なりは、土地の起伏を示すとともに、風景の奥行きを表しており、観る者の目は木の梢と道の影が作り出す心地よい形のリズムとともに、画面の手前から奥へと自然に誘われます。先立つ1890年代、ルノワールは古典絵画の研究を深め、構図と造形の堅固さはいっそう増すことになりますが、本作品にもまたその成果を見ることができます。

  • 「風景」 ポーラ美術館<br />カーニュの町の高台から地中海を望む立地にあった「レ・コレット」”Les Collettes”の語源は、「丘」を意味する「コリーヌ」”colline”であると言われています。本作品でも、風景をわずかに上から見下ろすような視点から、豊かに葉を茂らせた木々が強い光を受ける眺めが、黄やオレンジの効果的な色彩と簡潔な筆遣いによって描き出されています。<br />ルノワールはしばしば横長の小さな力ンヴァスを用い、眼前に広がる風景をパノラミックにとらえ、軽やかな筆致で描きとめました。同様の眺望は晩年、視角をやや異にしていくつも描かれていることから、本作品は「レ・コレット」、あるいはその近辺で描かれたものと考えられます。

    「風景」 ポーラ美術館
    カーニュの町の高台から地中海を望む立地にあった「レ・コレット」”Les Collettes”の語源は、「丘」を意味する「コリーヌ」”colline”であると言われています。本作品でも、風景をわずかに上から見下ろすような視点から、豊かに葉を茂らせた木々が強い光を受ける眺めが、黄やオレンジの効果的な色彩と簡潔な筆遣いによって描き出されています。
    ルノワールはしばしば横長の小さな力ンヴァスを用い、眼前に広がる風景をパノラミックにとらえ、軽やかな筆致で描きとめました。同様の眺望は晩年、視角をやや異にしていくつも描かれていることから、本作品は「レ・コレット」、あるいはその近辺で描かれたものと考えられます。

  • 「水浴の後」1915年 ポーラ美術館<br />本作品に描かれた裸婦は、若々しい血色をたたえるとともに、周囲の自然の生命力を感じさせる色彩と呼応して、輝きを放っています。暗緑色の上に置かれた山吹色のハイライトは、ルノワールがとらえた強い光の効果を伝えており、その印象が画面全体にわたって描き出されています。<br />ルノワールが究極的にめざしたのは、戸外を舞台とした裸婦の群像を作り上げることでした。南フランスで得た強い光と豊かな自然、そして生命感溢れるモデルの存在は、最晩年にいたるまでルノワールを戸外での制作へとつき動かし、人物と風景との調和のヴィジョンを作品にもたらしました。

    「水浴の後」1915年 ポーラ美術館
    本作品に描かれた裸婦は、若々しい血色をたたえるとともに、周囲の自然の生命力を感じさせる色彩と呼応して、輝きを放っています。暗緑色の上に置かれた山吹色のハイライトは、ルノワールがとらえた強い光の効果を伝えており、その印象が画面全体にわたって描き出されています。
    ルノワールが究極的にめざしたのは、戸外を舞台とした裸婦の群像を作り上げることでした。南フランスで得た強い光と豊かな自然、そして生命感溢れるモデルの存在は、最晩年にいたるまでルノワールを戸外での制作へとつき動かし、人物と風景との調和のヴィジョンを作品にもたらしました。

  • 「休息」1916-1917年 ポーラ美術館<br />入浴の後と思われる裸婦が寝台に横たわる、室内での休息のひとときが描かれています。横たわる裸婦とその傍らに着衣の人物がたたずむ舞台設定からは、ティツィアーノやマネによる作品が想起されますが、女性たちの様子からは親密でくつろいだ雰囲気が伝わってきます。<br />ふたりの女性は画面の対角線上に置かれていますが、その位置関係を下支えするように V 字を作る裸婦の下半身は、どっしりとした安定感をそなえています。一方で、互いに引き立てあう赤と緑の補色の関係が随所に作り出されており、画面はあたかもあざやかな色彩の織物のようです。着衣の女性の背後にさりげなく用いられた黒もまた、この色彩表現に豊かな陰影をもたらしています。

    「休息」1916-1917年 ポーラ美術館
    入浴の後と思われる裸婦が寝台に横たわる、室内での休息のひとときが描かれています。横たわる裸婦とその傍らに着衣の人物がたたずむ舞台設定からは、ティツィアーノやマネによる作品が想起されますが、女性たちの様子からは親密でくつろいだ雰囲気が伝わってきます。
    ふたりの女性は画面の対角線上に置かれていますが、その位置関係を下支えするように V 字を作る裸婦の下半身は、どっしりとした安定感をそなえています。一方で、互いに引き立てあう赤と緑の補色の関係が随所に作り出されており、画面はあたかもあざやかな色彩の織物のようです。着衣の女性の背後にさりげなく用いられた黒もまた、この色彩表現に豊かな陰影をもたらしています。

  • 「ヴェールをまとう踊り子」1918年、鋳造年: 1964年 ポーラ美術館<br />ルノワールが彫刻の制作に取り組み始めたのは、1913 年の夏、72 歳を迎える年のことです。リウマチが悪化し、車椅子での生活を余儀なくされていたルノワールは、画商のヴォラールから勧められた彫刻の制作に着手します。それは、彫刻家の手を借りてルノワールの着想を実現する、共同制作の試みでした。<br />ルノワールはまず、かつて絵画に描いた「パリスの審判」の図像をもとに、彫刻の制作に取り組みました。その図像から展開して生み出されたのが、本作品です。広げた両手にヴェールをもつ安定した構造と、下半身を中心にそなわった豊かな量感は、ルノワールの裸体表現の特徴を示しています。

    「ヴェールをまとう踊り子」1918年、鋳造年: 1964年 ポーラ美術館
    ルノワールが彫刻の制作に取り組み始めたのは、1913 年の夏、72 歳を迎える年のことです。リウマチが悪化し、車椅子での生活を余儀なくされていたルノワールは、画商のヴォラールから勧められた彫刻の制作に着手します。それは、彫刻家の手を借りてルノワールの着想を実現する、共同制作の試みでした。
    ルノワールはまず、かつて絵画に描いた「パリスの審判」の図像をもとに、彫刻の制作に取り組みました。その図像から展開して生み出されたのが、本作品です。広げた両手にヴェールをもつ安定した構造と、下半身を中心にそなわった豊かな量感は、ルノワールの裸体表現の特徴を示しています。

  • ヤマザキマザック美術館は、工作機械メーカーであるヤマザキマザックの創業者である山崎照幸氏が収集した美術品コレクションを展示するために2010年に開館された美術館です。

    ヤマザキマザック美術館は、工作機械メーカーであるヤマザキマザックの創業者である山崎照幸氏が収集した美術品コレクションを展示するために2010年に開館された美術館です。

    ヤマザキマザック美術館 美術館・博物館

  • 「果物皿」制作年不詳 ヤマザキマザック美術館<br />ルノワールによる静物画。

    「果物皿」制作年不詳 ヤマザキマザック美術館
    ルノワールによる静物画。

  • 「母の愛、あるいは息子ピエールに授乳するルノワール夫人」1916年 ヤマザキマザック美術館<br />というこのテラコッタの彫刻は、彫刻家リチャード・ギノの協力により、ルノワール自身の手で仕上げられたオリジナル彫刻作品です。1915年、ルノワールの最愛の妻アリーヌがこの世を去り、その死を嘆き悲しんだルノワールは、妻の思い出をしのぶためにこの作品を制作しています。

    「母の愛、あるいは息子ピエールに授乳するルノワール夫人」1916年 ヤマザキマザック美術館
    というこのテラコッタの彫刻は、彫刻家リチャード・ギノの協力により、ルノワール自身の手で仕上げられたオリジナル彫刻作品です。1915年、ルノワールの最愛の妻アリーヌがこの世を去り、その死を嘆き悲しんだルノワールは、妻の思い出をしのぶためにこの作品を制作しています。

  • 「パリ、トリニテ広場」1875年頃 ひろしま美術館

    「パリ、トリニテ広場」1875年頃 ひろしま美術館

  • 「クロワシー付近のセーヌ河」1911年 ひろしま美術館

    「クロワシー付近のセーヌ河」1911年 ひろしま美術館

  • 「パリスの審判」1913-14年頃 ひろしま美術館<br />3人の女神ヘラ、アテナ、アフロディテ(ヴィーナス)が名乗りをあげた美女選びの場面。

    「パリスの審判」1913-14年頃 ひろしま美術館
    3人の女神ヘラ、アテナ、アフロディテ(ヴィーナス)が名乗りをあげた美女選びの場面。

    ひろしま美術館 美術館・博物館

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