2025/04/01 - 2025/04/01
368位(同エリア4545件中)
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パブロ・ピカソはスペインのキュビスムの画家。20世紀最高の天才といわれ、生涯に渡ってさまざまなスタイルで描き続けた画家。ピカソの作品は油彩、彫刻、版画、陶芸、ポスターなど多岐にわたり総作品点数は数万点に及ぶといわれます。日本でも多くの美術館が作品を所蔵しています。写真撮影がOKだったものをアップしていきます。なお、全ての作品が常時展示されているわけではありません。写真撮影ができたものからアップしていきます。
【国内美術館で世界の巨匠巡り】
国内のモネを見に行く https://4travel.jp/travelogue/11885597
国内のルノワールを見に行く https://4travel.jp/travelogue/11888480
国内のセザンヌを見に行く https://4travel.jp/travelogue/11969114
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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「ギターとオレンジの果物鉢」1925年 新潟市美術館
ギターのある静物は、1910年代から頻繁に描かれた画題です。新潟市美術館 美術館・博物館
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「マリー=テレーズの肖像」1937年 吉野石膏コレクション(山形美術館に寄託)
ピカソの恋愛遍歴の中で4番目に出てくるのが、マリー・テレーズ・ワルテル。
46歳のとき、17歳のマリー・テレーズを愛人にします。(8年間)
マリーとの出会いは、彼女がデパートの前で人を待っていたときに、ピカソがいきなり「君の肖像画を描かせてください。私はピカソです」と声をかけたとのこと。山形美術館 美術館・博物館
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「画家とパレット」1963年 笠間日動美術館
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「シルヴェット」1954年 DIC川村記念美術館
こわばった面持ちのシルヴェットと一定の距離を保ちながら、ピカソは彼女の魅力的な容姿を凝視し、一連のポートレートをキュビスム、新古典主義といった複数のスタイルで自由自在に描きわけました。DIC川村記念美術館 美術館・博物館
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国立西洋美術館は、1959年(昭和34年)に発足・開館した、西洋美術全般を対象とする美術館としては日本で唯一の国立美術館です。実業家松方幸次郎が20世紀初めにヨーロッパで収集した印象派などの19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻を中心とする松方コレクションがコレクションの基礎となっています。
国立西洋美術館 美術館・博物館
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「男の頭部」1912年
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「静物、瓶(マール瓶のある静物)」1911年
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「青い胴衣の女」 1920 年
1920年に描かれたこの小品は、水彩画ですが、白の不透明水彩を加えて画面に重厚さを与えています。「薔薇色の時代」から続くデフォルマシオンの強調が厭味なくその手や腕を豊かなものに作り上げます。こうした一本一本の線はまことに的確で、大柄な身体にのせられた比較的小さな顔の淡紅色の肌が、白を加えられた褐色によって引き立てられ、全体としては彫像のような重みと威厳が与えられています -
「女性の胸像 」1942年
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「小さな丸帽子を被って座る女性 」1942年
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「アトリエのモデル」1965年
梅原龍三郎氏より寄贈された作品。 -
「男と女」1969年
ピカソ88歳の時の作品です。 -
株式会社ブリヂストンの創業者、石橋正二郎により1952年に開設したブリヂストン美術館を前身とし、2020年1月にアーティゾン美術館として新たに誕生しました。
アーティゾン美術館 美術館・博物館
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「ブルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞紙」 1913年 Artizon Museum
ピカソは、類まれなデッサン力と絶えざる自己革新を支えた圧倒的な創造力において、20世紀美術を代表する芸術家です。この作品は、1912年頃に始まる総合的キュビスムに位置付けられる作で、画面に異物を導入するコラージュの技法が特徴です。幾何学的な素描に基づきながら、新聞紙の断片を貼り付ける試みは、絵画をイリュージョンから現実に近づけようとするものです。触覚的な現実の二次元的再現という、キュビスムの当初の目的に立ち返るべく、ピカソは画面に砂を混ぜ込み、グラスや瓶に浮き出すような白色を施しています。 -
「腕を組んですわるサルタンバンク」 1923年
ピカソの「新古典主義の時代」を代表する作品のひとつ。サルタンバンクは最下層の芸人のこと。 -
「画家とモデル」 1963年
ピカソが晩年の20年余の間没頭した「画家とモデル」の膨大な作品群の一つ。 -
「生木と枯木のある風景」1919年
1914年に勃発した第一次世界大戦のために、ジョルジュ・ブラックや友人が徴兵され、キュビスムの共同作業者や擁護者を失ったこと、バレエ・リュスとの共同制作や、それに伴う初めてのイタリア旅行で古代の都市や遺跡を訪れ、ルネサンスやバロックの名品を目にする機会が重なったことなどからピカソは、新古典主義の時代に入ります。 -
「女の顔」1923年
こちらも新古典主義の時代の作品。鮮やかな青を背景に古代風の衣装をまとった女性が描かれています。 -
「少女に導かれる盲目のミノタウロス II(『ヴォラールのための連作』より)」 1934年
エッチング -
「道化師」1905年
超人的な創造力で膨大な作品を制作したピカソですが、その才能は絵画にとどまらず、彫刻、版画、陶芸など多岐にわたっています。 -
東京国立近代美術館では、19世紀末から今日までの美術作品を収集しています。収集対象は、絵画、版画、水彩、素描、彫刻、写真、映像、書、及び関連する資料などの多分野にわたり、点数は13,000点を超えます
東京国立近代美術館 美術館・博物館
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「ラ・ガループの海水浴場」1955年
955年夏、アンリ・ジョルジュ=クルーゾーが長編記録映画「ピカソ─天才の秘密」を南仏ニースのスタジオで撮影しましたが、この作品は、その際にスタジオ内で描かれた二点の油絵のうちの第一作。横長の画面には、水から上がってきた太陽のような顔を中心に、水着姿の男女、浜辺のテラスで憩う人びと、水上スキーをする男、右側には当時の伴侶ジャクリーヌの姿などが描かれています。 -
「黄色い背景の女」1937年 東京ステーションギャラリー
東京ステーションギャラリー 美術館・博物館
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横浜美術館は、2021年3月からの大規模改修工事を経て、2025年2月に全館オープンしました。
横浜美術館 美術館・博物館
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「ひじかけ椅子で眠る女」 1927年
記号化された目、鼻、口が、福笑いのように顔のあちこちに散らばり、作品にユーモラスな味わいを与えています。モデルの女性はおそらく、この時期にピカソの新たなミューズ(美の女神)となった、マリー=テレーズ・ワルテル(当時18歳!)。ピカソはその後もワルテルをモデルにたくさんの絵を描きますが、スポーツウーマンだった彼女の快活な性格もあってか、それらの作品の多くに明るく楽しげな雰囲気が漂っています。いっぽう、この作品に少しだけ不穏さを与えているのが、歯をむき出しにした口。そこには当時ピカソと険悪な関係にあった妻オルガのイメージが投影されているとも言われています。 -
ポーラ美術館の絵画コレクションは、19世紀の印象派絵画から20世紀の抽象絵画に至るまで、質の高い作品によって美術の展開を辿ることができます。また、国内でも屈指のピカソ・コレクションを誇ります。
ポーラ美術館 美術館・博物館
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「海辺の母子像」1902年
20歳のピカソが描いた「青の時代」(1901-1904年)の作品です。ピカソは、親友カサジェマスの死をきっかけに、生と死、貧困といった主題に打ち込み、絵画からは明るくあたたかな色彩が消え、しだいに青い闇に覆われていきました。ピカソの「青の時代」の絵画には、純粋さ、静けさ、あるいは憂鬱など、さまざまなイメージを喚起する「青=ブルー」が巧みにもちいられています。この作品は、ピカソが家族の住むスペインのバルセロナに帰郷していた頃に描かれました。夜の海岸に、母親が幼子を胸に抱いてたたずんでいます。地中海をのぞむこの海岸は、ピカソが通った美術学校の目の前に広がる浜辺で、ピカソが親友カサジェマスと過ごした学生時代の思い出の場所です。母親がまとう衣は、スペイン人が熱心に信奉するキリスト教の、聖母マリアの青いマントを思わせます。蒼白い手を伸ばして赤い花を天へと捧げる姿には、亡き友人へのピカソの鎮魂の祈りが重ねられているのかもしれません。 -
「坐る女」1921年
このパステル画は、スペイン生まれのピカソが1900年に初めてパリに滞在した頃から、バルセロナに戻り、さらにマドリードへ向かった約1年の間に制作されたと考えられています。それらの都市で、修業時代のピカソはカフェや居酒屋にたむろする人々をモデルに人物デッサンを繰り返すなか、あらゆる線描の技法を身につけました。縦横に線が引かれた暗い背景のなかで、テーブルに肘をつく女性は、バルセロナの居酒屋「エルス・クワトレ・ガッツ」(四匹の猫)の常連で先輩の画家ラモン・カザス、あるいはパリの歓楽街を主題にしたトゥールーズ=ロートレックが描いた陰鬱な世紀末の女性像と、同じ時代の空気をまとっています。しかしピカソはここでは女性の物憂げな表情を表わすよりもむしろ、輪郭を直線へと整理し、黒と青のシンプルな描線で捉えるよう試みています。本作品には、旧世代の世紀末的な雰囲気から一歩踏み出し、独自の女性像を模索するピカソの意欲が見られます。 -
「花束を持つピエロに扮したパウロ」1929年
本作品は1929年7月、ピカソと妻オルガとの間に生まれた長男パウロが、8歳の頃に制作された肖像画です。ピカソ一家はこの頃、パリの社交界にも出入りする華やかな生活を享受しており、この絵画は、画家の家に残された愛息の大切な肖像画でした。本作品を制作する6年前、ピカソはアルルカンに扮した2歳の頃のパウロを描いたもう一つの作品《花束を持つアルルカンに扮したパウロ》(1923年、個人蔵)を描きました。この作品は知人の手に渡り、本作品はその代替として、ピカソがパウロの幼少期の姿を絵筆でとどめるべく、現実よりも幼い4歳児の息子として描かれたものです。絵のなかのパウロは、一般的にピエロが持つことのない権力の象徴である杖を手にし、威厳に満ちた白い顔を正面に向け、流麗な色の濃淡で覆われた背景のなかに立っています。この杖は絵筆を、もう片方の手に持つ花束は色とりどりの絵具を載せたパレットを連想させ、パウロを画家の姿にもみせています。 -
「新聞とグラスとタバコの箱」1921年
この時期の人物画が古典的な傾向が強いのに対し、静物画はキュービズムを踏襲したかのような作品が多い。 -
「花売り」1937年
ピカソほど女性のモデルにインスピレーションを受け、次々と新しい様式を開拓していった画家はいないでしょう。パリで開催された万国博覧会のために、巨大な壁画《ゲルニカ》(1937年、プラド美術館蔵、レイナ・ソフィア芸術センター寄託)を発表した直後の作品です。ピカソは、恋人のドラ・マールを伴い、友人でシュルレアリストの詩人ポール・エリュアール、その妻ヌッシュらが滞在する、南仏カンヌ近郊の村ムージャンで夏のヴァカンスを過ごしました。本作品に描かれている瓜実型の顔、褐色の巻き毛は、モデルがヌッシュであることを示しています。力強く花束を差し出すヌッシュの姿は、南仏の黄色い陽光がふりそそぐもとで強烈な色彩を放ち、太陽、花売りの民族衣装、笠などは、菱形、四角といった単純な形態へと一様に変形されています。正面と横からとらえられた顔、誇張された手の表現は、同年の春に制作された《ゲルニカ》や「泣く女」のシリーズの女性像にもみられます。 -
『知られざる傑作』オノレ・ド・バルザック著
1921年、画商アンブロワーズ・ヴォラールはパブロ・ピカソに『知られざる傑作』の挿絵を描くように勧めました。この小説に魅了されたピカソは天才老画家フレノフェールに自分を重ね合わせ、さらにフレノフェールのアトリエがあったとされたパリのグランゾーギュスタン街に惹かれました。ヴォラールからの勧めがあったしばらく後に、彼は自らグランゾーギュスタン街にアトリエを借り、そこで傑作『ゲルニカ』を製作しました。ピカソはそのアトリエに第二次世界大戦の間住んでいます。 -
「画家と編物をするモデル」
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「動物と男たちのエスキースに囲まれた坐る裸婦」
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「闘技場の牡牛と馬」
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「制作する画家、観察する裸婦のモデル」
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「母子像」1921年
1917年以降、ピカソはセルゲイ・ディアギレフ率いるロシア・バレエ団の舞台装飾と衣装を担当し、華々しい業績とゆるぎない名声を確立します。バレエ団のダンサーでロシアの貴族出身のオルガと結婚した彼は、裕福な新生活を享受しつつ、イタリア旅行を皮切りに、ギリシア、ローマなど地中海文明の遺産を創作に取り入れていきました。そして1921年の夏、オルガと2月に誕生したばかりの長男パウロを伴いフォンテーヌブローに避暑のため滞在し、充実した私生活を反映するかのような重要作を手がけています。オルガとパウロをモデルに古典主義的手法で描いたこの母子像では、やわらかな筆触で淡い褐色とバラ色に白色を重ね、ふっくらとした身体の触感と母子間の交流をあますことなく表現しています。ピカソは腕や手、頭部など身体の各部分にデフォルメを加え、人物像に人間よりも大きな存在感―神秘性を纏わせることに成功しています。 -
「静物」1937年
ピラミッド型に隆起するテーブルに水差しと果物皿が置かれ、その他は壁に掛けられていると思われる額縁だけがあります。静物のモティーフは、ピカソの作品中しばしば一対で表わされますが、ここでは水差しと果物皿のどちらも丸みが強調され、互いが求め合いながらも反発し合うような緊張感と弾力性に溢れています。静物でありながら、人間の身体を連想させるのです。ピカソの静物を身体のメタファーとして解釈するならば、水差しは男性を示し、丸い果実を戴く果物皿は女性の身体といえるでしょう。親密でありながら拮抗する二つの静物の関係を、青と白の曖昧な背景が優しく包んでいます。ピカソは1936年の秋以降、パリ郊外ヴェルサイユ近くのル・トランブレ=シュル=モルドルにある建物を入手し、恋人マリー=テレーズと、ふたりの間に生まれた娘マヤを住まわせ、穏やかな生活を享受しながら数点の静物を手がけました。本作品もそのうちの一点と思われます。 -
「ろうそくのある静物」1944年
ピカソは第二次世界大戦中、首都パリがドイツ軍に占領されてもなお、アメリカとメキシコからの亡命の誘いを断り、フランスに留まっていました。パリ6区にあるグラン・ゾギュスタン通りのアトリエに住まいを移し、画商や友人たちとの交流の拠点としましたが、ナチの統制は前衛画家ピカソを脅かし、作品の公開は禁じられていました。この作品は「ノクテュルヌ」(夜景画)とよばれる、ろうそくの火が室内の夜の闇を照らす静物画のシリーズの一つで、戦時下のピカソの重要な主題でした。「ノクテュルヌ」のシリーズのなかでも、本作品は例外的にろうそくが灯されておらず、白々とした空気がかえって各モティーフの存在を闇に隠すことなく剥き出しにしています。注ぎ口が強調されたコーヒーポットと周辺の静物の間には、主と従、あるいは強者と弱者の関係が認められますが、一方ですべての物―燭台、コーヒーポット、果物、コーヒーカップ、ソーサー、グラスは、力強く引かれた黒い輪郭線で繋げられ、テーブルの上で、奇妙な連帯感が生み出されています。 -
『死者の歌』ピエール・ルヴェルディ著
ピカソの版画による挿絵本 -
『死者の歌』
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『ピカソのアトリエにて』ジャウマ・サバルテス著
ジャウマ・サバルテスは、バルセロナ生まれの詩人、作家でピカソ8歳からの友人でありまた良き理解者。 -
『ピカソのアトリエにて』より「カンヌのアトリエ」1956年4月7日
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「草上の昼食」1959年
紙に描かれた作品は、19世紀印象派の画家マネの油彩画《草上の昼食》をもとにした連作27点のうちの1点です。70代を迎えたピカソは、ロマン主義の大家ドラクロワの《アルジェの女たち》や、17世紀スペインの宮廷画家ベラスケスの《ラス・メニーナス(女官たち)》をもとにした連作も手掛けています。それらはいずれも巨匠たちの代表作であり、ピカソは過去の巨匠と対話にのぞむように、あるいは挑戦するように原画とは異なる表現を試み、構図に大胆な変更を加えて多様なヴァリエーションが生み出されています。《草上の昼食》における4人の男女が森のなかで憩う場面は、マネによる原作では左手の前景で、白い肌をさらす裸婦に視線が惹きつけられるのですが、本作品ではそのシルエットが黒い線で示されるだけにとどまり、むしろ中央のかがみ込む裸婦が、画面に塗り込められた森の緑の表現からのがれ、紙の無垢な白さを生かして強烈な輝きを放っています。この女性のポーズは、とりわけ画家の興味を掻き立てたようで、以後、ピカソの作品にたびたび登場します。 -
「シルヴェット・ダヴィット」1954年
本作品では、身体の各部分が単純で力強い線で表され、黒、白、グレーのモノトーンに色彩を限定することで、シルヴェットの清廉な顔立ちと、泉から流れ出るような豊かな髪が強調されています。 -
「母と子」1960年
この人物群像は、逆立ちする人と母子像で構成されています。母子像は体の大小の違いが強調され、倒立する人物像の体は積み木のように組み合わせられています。手であり足であるような肢体は、腕と足の位置が入れ替わる倒立回転のシークエンスを暗示し、人物像に軽業師のような不思議な動力を吹き込んでいます。1950年代、ピカソは恋人フランソワーズ・ジローとの間に生まれたクロードとパロマと生活し、彼らが遊びに熱中する姿をつぶさに観察して、子どものような視点を貪欲に創作に取り入れました。子どもと一緒になって広告の紙や木片など身近な品々で人型や動物型の遊び道具を工作することと、彫刻のプロジェクトのための模型を作ることには、いささかも違わなかったのです。子どものような素直な感覚を生かし、既成概念にとらわれず創作に向かう自由な意識を獲得することこそ、80歳を迎えようとしていたこの頃のピカソの関心事でした。 -
「帽子の女」1962年
ピカソは陶芸で有名な町ヴァロリスで、ジャクリーヌ・ロックと1953年頃に出会い、以来、彼女が最後のパートナーとして晩年のモデルを務めました。南仏の女性特有の大きな黒い瞳、高い鼻筋、長い首をもつジャクリーヌは、ピカソが理想とした彫刻的な容貌の女性でした。1961年に彼女と正式に再婚し、翌年には終の棲家となるムージャンのノートル=ダム=ド=ヴィにある古城に移り住み、本作品を含む70点以上のジャクリーヌの肖像画を制作しています。帽子を被り、女王のように堂々と椅子に坐るのはまぎれもなくジャクリーヌです。両目を見開き、長い髪をなびかせた横顔と、正面を向き瞑想する顔が結合されています。この顔の二面性は、ジャクリーヌの存在とともに、彼女を凝視する画家ピカソの存在を強く意識させます。ピカソは晩年に老若男女を奔放に描きつつ、老いた自分自身を厳しく注視しました。すなわちこの肖像画は、ジャクリーヌの像であるとともに、ピカソとジャクリーヌ、画家とモデルという二つの分かち難い存在の結合体といえるでしょう。 -
「すいかを食べる男と山羊」1967年
ピカソは晩年に向かい、男性と女性、画家とモデル、老人と若者、人間と動物などの相反するモティーフを対比的に並べる傾向が顕著となります。それらは神話や寓話、画家の記憶から抽出されて偶然のままに組み合わされていますが、そこに共通するのは、人間の原初的な欲求―食欲や性欲を満たそうとする、野性的なグロテスクと無垢のイメージです。メロン、あるいはスイカを食べる少年は、スペイン絵画の伝統において、キリスト教的な慈悲の対象となる、貧しくも無垢で生命力に溢れる人間像を示しています。草原に座り込みすいかを頬張る少年と山羊を大胆に組み合わせたこの作品は、ピカソがスペインの農村で知った牧歌的な暮らしを想起させます。また山羊はピカソの生活に身近な動物で、南仏のラ・カリフォルニー荘ではペットとして可愛がられた家畜でした。ピカソは、絵の中の少年に、ペットの山羊「エスメラルダ」の傍らで遊ぶクロードら孫たちの屈託のない姿か、もしくは自らの少年時代を重ねているのかもしれません。 -
「座る男と女」1966 年 個人蔵
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2020年12月に開館した「熱海山口美術館」。館内は1階、2階の9部屋で構成されており、ルノワール、ピカソ、横山大観、藤田嗣治、岡本太郎、草間彌生など世界の名だたる名画・名品が所蔵・展示されています。
熱海山口美術館 美術館・博物館
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「Petit Visage barbu」
ピカソは、1881年スペインのマラガで生をうけます。20世紀の天才画家と称されますが、その活躍は画家に留まらず、陶芸・彫刻・版画、さらには舞台デザインなど芸術界において多岐にわたります。晩年フランス南部のヴァロリスに移り住み、陶芸作品にも力を注ぎました。 -
「yan face(ピッチャー)」
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「Mottled fish」
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「wood owl」
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「faun's head(皿)」
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「花瓶」
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「Hands with fish(皿)」
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「陶板 婦女」
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「花瓶と二人の裸婦」
ピカソは、1959年頃からリノカットといわれる版画制作を精力的に行います。本作も、リノカット技法の版画であり、L?(リミテッドエディション)3枚限りの3作目。 -
ニチレキという会社の創業者が個人コレクションを寄贈する形で開設した私立美術館で20世紀に制作された絵画・彫刻を中心に約1400点収蔵しているそうです。
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「王様のケーキ」1967年
クレヨンで描かれています、タイトルといい絵本のような作品。 -
「近衛兵と鳩」1969年
高さ2メートル近いこの大作は、ピカソ88歳の制作。宮中警護役のこのひげ面の近衛兵と共に、 金ピカの肩章に止まっている鳩は、 “平和”の象徴だそうです。 -
富山県美術館は、地上3階建ての船の舳先のようなデザインで、東側正面は2階から3階にかけて全面ガラス張りでお洒落でした。
富山県美術館 美術館・博物館
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「闘牛場の入口」1900年
パブロ・ピカソのパステル画。若き日(19歳)のピカソの作品で、にぎやかな人々を色鮮やかに描いています。 -
「彫刻:マリー=テレーズの顔」1933年
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愛知県美術館は、愛知芸術文化センター10階にあります。ピカソやクリムトなど、20世紀初頭から現代までを中心とした国内外の作品を約8500件コレクションとして持ちます。
愛知県美術館 美術館・博物館
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「青い肩かけの女」1902年
「青の時代」のピカソの作品は貧困や弱者をテーマとし、青を基調とする画面には、感傷や憂愁といった冷やかな詩情が濃密に漂っています。この表現主義的象徴主義とも呼べる画風は、当時のピカソをとらえていた死や受難に対する個人的な感情に深く根づいたものですが、こうした感情は次第に昇華され、普遍化されていきます。バルセローナで制作されたこの作品は頭巾や肩掛けを身に着けた一連の婦人像の一枚で、モデルの非個性化された表情や悚然としたたたずまいからもうかがえるように、すでに個人感情を超越しており、見るものに畏敬の念を起こさせるような宗教的な域にまで到達しています。ここにカタルーニャ地方のロマネスクやゴシックの彫刻に通じる、スペインの宗教美術の伝統を認めることもできます。 -
「静物=ローソク・パレットと牡牛の頭」1938年 メナード美術館
闘牛の国スペインに生まれ育ったピカソにとって、牛は特別な存在でした。とりわけ立派な角を持った牡牛の姿は、闘牛やミノタウロス(ギリシャ神話に登場する牛頭人身の怪物)となり、さまざまな象徴性を帯びて作品に登場します。
1937年、ピカソは故国の内乱に触発され大作《ゲルニカ》(国立ソフィア王妃芸術センター/マドリード)を制作しました。本作品は、その後の第二次大戦前夜における不穏な社会情勢のなか、《ゲルニカ》と同様に牡牛の頭部を主題に描かれた静物画のひとつです。メナード美術館 美術館・博物館
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「静物-パレット、燭台、ミノタウロスの頭部」1938年 京都国立近代美術館
《静物-パレット、燭台、ミノタウロスの頭部》は、1937年に起きたスペインでのドイツ軍の無差別爆撃を主題とする代表作《ゲルニカ》の翌年に描かれたもので、ふたつの作品にはミノタウロスの頭部や燭台などモチーフ上の共通点が見られます。京都国立近代美術館 美術館・博物館
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「横たわる女」1946 年 アサヒビール大山崎山荘美術館
アサヒビール大山崎山荘美術館 美術館・博物館
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「肘かけ椅子に坐る裸婦」1964年 国立国際美術館
国立国際美術館 美術館・博物館
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「ポスターのある風景」 1912年 国立国際美術館
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緑に囲まれた広島市中央公園の一角に位置するひろしま美術館は、1978年に広島銀行の創業100周年を記念して設立しました
ひろしま美術館 美術館・博物館
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「酒場の二人の女」1902年
ピカソの「青の時代」にあたるのは1901年から1904年。これは、ピカソの親友カサマジェスが1901年初頭に自殺したことがきっかけでした。19歳だったピカソは、バルセロナとパリを往復しながら、青を主調色に貧しい人々の姿を描き、生と死、貧困といったテーマへと踏み込んでいきます。この時期のピカソは困窮しており、制作された絵画の多くは同じキャンバスに何度も描き直しされています -
「女の半身像(フェルナンド)」1909年
ジョルジュ・ブラックとともに幾何学的な様式を模索していたピカソは、1909年(27歳のとき)にキュビスムを確立。1912年にはコラージュも取り入れ、独自の表現を探求していきました。 -
「母子像」1921年
表現として頭部や手足を大きく誇張すすことで重厚感が誇張され、体の部分がまるでブロックのような印象を受けます。対象を単純な形の組み合わせで表現するキュービズムの技法との共通点を感じます。一方で衣服などの影の個所は光が透けるほど薄く、明るい箇所は厚く絵具を塗っています。これはレンブラントやベラスケスなど17世紀の巨匠たちからの、伝統的な技法に忠実にあろうとするピカソの意識を読み取ることができます。 -
「仔羊を連れたパウロ、画家の息子、二歳」1923年
1921年、オルガとの間にピカソの最初の子供であるパウロが生まれています。ちょうどパウロが生まれた頃に古典への傾倒が始まり、当初はオルガとともに母子像で描かれていましたが、1923年になるとパウロが単独の肖像画として描かれるようになりました。 -
「四人の水浴する女」1920年
1920年夏、ピカソはオルガとともに南仏アンティーブ岬の麓の小さな町ジュアン=レ=バンで過ごしています。この作品は、ピカソが古典的傾向を示した最盛期の重厚な形態表現とは異なり、輪郭線とわずかな陰影で水浴する女性の形態を見事に描いています。 -
「画家とモデル」1970年
この作品は、1971年春にパリのルイーズ・レイリス画廊で開かれた「ピカソ-1969年12月15日から1971年1月12日の間のデッサン」展に出展された作品です。約2年間のデッサン194点には、さまざまなテーマの作品が見られますが、1970年7月前半には多くの「画家とモデル」シリーズが描かれました。 -
「手を組む女」1959年
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「女の半身像」1970年
第二次世界大戦後ピカソは、南仏を転々とした後、45歳年下の2番目の妻、ジャクリーヌ・ロックと最後の住まいとなった南仏ムージャンで生活をはじめます。最晩年になってなお、旺盛な制作意欲をもっており「子供のように描きたい」と望んでいたピカソですが、まさにこの作品ではそれが実現しています。 -
「赤い枕で眠る女」1932年 徳島県立近代美術館
この作品は、パリの北西約65キロにある小さな村、ボワジュルーのアトリエでマリー・テレーズをモデルに描かれたものです。眉間にくぼみのない、なだらかで大きな鼻は、このころ新境地を開いたピカソの彫刻にも多用されています。柔らかい線を用いてデフォルメされた彼女の姿は、豊かで性的な女神であり、澄んだ色調がピカソのときめきを伝えてくれます。目を閉じてすやすやと眠る彼女が目を覚まさないように、息をころしてそっとしている五十男のピカソの充実した幸福を思いやって、思わずほほえんでしまうことでしょう。徳島県立近代美術館 美術館・博物館
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2025/12/14~
上野・御徒町
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