2016/04/24 - 2016/04/24
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kojikojiさん
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40年前、中学生の時に学校で安田靫彦展の割引券をもらいました、薄紫単色の割引券には菖蒲の絵が描かれてありました。それまで安田靫彦という作家について何も知らなかったのですが、なぜか観に行きたいと思いました。昭和51年の6月の雨の日曜日でした。東西線の竹橋の駅を出ると土砂降りになっていました。そんな雨の日の午前中ですから展覧会はとても空いていた記憶があります。国立近代美術館へ行ったのも初めてだったと思います。入場券を買って初めて観る安田靫彦の絵画は衝撃的でした。その鮮明な印象は40年たった今でも残っています。展覧会を観た後、土砂降りの雨の中ずぶ濡れになりながら有楽町まで歩いて、「カッコーの巣の上で」という映画を観たのですが、その時のジャック・ニコルソンの演技も衝撃的な印象が残っています。そんなことを思い出しながら展覧会に行きました。
そして、展覧会に行く1週間前に実家に行ったら40年前の安田靫彦展の画集がありました。父の遺品の本の中にあったのですが、最初は自分で買ったのかと思っていました。でも映画を観に行くときに画集なんて持っていた記憶が無いし…。そして記憶を辿っていくと父に割引券を渡したことが思い出されました。父も観に行ったのかもしれないと思うとより思い出深く絵を観ることが出来ました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
久しぶりの国立近代美術館です。
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40年ぶりの安田靫彦展は妻と一緒でした。妻にとっては新鮮な思いで観に来たわけですが、私にとっては感慨深いものがありました。
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「孫子勒姫兵」(そんし・ろくきへい)
孫子勒姫兵とは、呉の王(闔閭)が、孫武に「宮中の婦人で少し軍の指揮を見せてもらうことはできるか」。 孫武はこれを了承します。孫武は宮中の美女180人を集合させて二つの部隊とし、戟(矛に似た武器)を持たせて整列させ、王の寵姫二人を各隊の隊長に任命します。太鼓の合図で左や右を向くように命令してから「右!」と太鼓を打つと、女性たちはどっと笑います。孫武は「命令が不明確で徹底せざるは、将の罪なり」と言い、命令を何度も繰り返した後に「左!」と太鼓を打つと、また女性たちはどっと笑います。
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孫武は「命令が既に明確なのに実行されないのは、指揮官の罪なり。」と言って、隊長の二人を斬首しようとします。壇上で見ていた闔閭は驚き「将軍の腕は既によくわかった。余はその二人がいないと飯も美味くないので、斬るのはやめてくれ。」と止めようとしたが、孫武は「一たび将軍として任命を受けた以上、軍中にあっては君命でも従いかねる事がございます。」と闔閭の寵姫を二人とも斬ってしまいます。まさにその瞬間です。
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40年の間にいくらか物事を知って、孫子の出身の山東省も旅していると歴史や知識も多少蓄積されてきます。改めてこの絵を観ると初めて見た時の感動はありませんが、絵の意味を多少理解できるようになったと思います。
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「黄瀬川陣」
平家追討の兵を挙げた源頼朝が、駿河国黄瀬川に到り、奥州より参じた弟の源義経に対面したさまを描いたものです。必要最小限の背景を伴う構図制作に際に京都神護寺の「伝源頼朝像」や広島の厳島神社の「平家納経」や「蒙古襲来絵詞」を参考にしたそうです。また武具についても赤糸威鎧などを取材したといわれます。 -
静岡県の富士宮出身の妻にとっては「八幡神社の対面石 」でなじみがあるようです。
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40年前の展覧会の画集の表紙も同じ「王昭君」でした。先日中国の成都から九寨溝へ向かう岷江のほとりの松播古城に立ち寄りました。その地で思い出したのはこの絵でした。多少境遇は違いますが吐蕃の王ソンツェン・ガンポの元へ嫁ぐ文成公主の姿と匈奴の呼韓邪単于(こかんやぜんう)の元へ嫁ぐことになった王昭君が重なって見えました。
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「鴻門会」楚の項羽と漢の劉邦が、秦の都咸陽郊外の鴻門で会見を行う場面です。
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范増は劉邦を亡き者にするため、いろいろ画策します。
項荘に「剣舞に見せかけて沛公を殺せ」と命令したのも彼です。
「范増数目項王、挙所佩玉玦、以示之者三」
項羽に対して「玉玦」を挙げて見せ、「劉邦殺害を決断なさい!」
と合図して見せています。
成都への旅行前に陸川(ルー・チューアン)監督の「ココシリ」と「王的盛宴」(項羽と劉邦 鴻門の会)を観ていたので感慨深いものがありました。 -
「額田王」(ぬかたのおおきみ)万葉集の初期の女流歌人で美人としての誉も高い人です。同じ万葉女流歌人で藤原鎌足の室となった鏡王女 (かがみのおおきみ) の妹とする説もあるそうですが、大海人皇子 (天武天皇) に愛されて十市皇女を産んだが、のちに天智天皇の後宮に入ったそうです。この絵も40年来心に残っている絵で、妻と奈良・大和路を旅した際もこの絵のことをずっと想っていました。
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「酔胡従」(すいこじゅう)
酔胡とは酔った異国人の意で、それ相応な暗朱色に塗られています。それぞれ表情に特色がありますが、この面は眉を釣り上げて眼もくせの強い曲線で表わされています。奈良を旅した時に薬師寺の「玄奘三蔵会法要」を観せていただいたことを思い出します。
「玄奘三蔵会法要」http://4travel.jp/travelogue/10338834 -
「卑弥呼」(ひみこ)
残念ながらこの絵は訪問時には「額田王」と入れ替えになっていて、観ることは出来ませんでした。 -
「出陣の舞」桶狭間への出陣を前にした織田信長が、幸若舞「敦盛」を舞う姿です。左右が異なる片身替わりの小袖や、背後の調度、袴の上には家紋「織田木瓜」が描かれています。
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「草薙の剣」東征で相模国に至った倭建命は国造に欺かれ、草原で野火に囲まれます。伊勢の斎宮であった倭比売命に授けられた草薙の剣で火を薙ぎ払う姿です。
心配そうにすがる女性は弟橘比売命(倭建命の妻)です。日本人として知っておかなければならないようなことを題材にした絵が多いです。2時間くらいかけてゆっくり見学できました。ミュージアムショップで画集と絵葉書を買って常設展へ移ります。 -
常設展示にも素晴らしい作品が多かったです。
「弥生の節句」鏑木清方
この掛け軸一対は欲しかったです。 -
特にこの桃太郎は表装の部分まで鯉幟が描かれていました。
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「南風」和田三造
日本のホアキン・ソローリャかな。 -
「裸体美人」萬鉄五郎
この絵重要文化財だったのですね。新婚の奥さんを描いた作品ですが、なるほど芝草の描き方がゴッホのようでもあり、色彩の感じはマティスのようでもあります。 -
「ガス灯と広告」佐伯祐三
ユトリロの絵を見た時と同じようなパリの街の空気を感じます。 -
「道路と土手と塀」(切通之写生)岸田劉生
この絵は昔の日曜美術館で見て印象に残った作品です。これが代々木の風景ですから驚かされます。 -
ダリの絵のような乾燥した空気を感じます。岸田劉生の絵というと麗子像ばかりが思い出されますが。
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「麗子肖像」(麗子五歳之像)
一連の麗子像の初期の作品でしょうね。まだ麗子ちゃん小さいです。 -
「匂い」藤島武二
チャイナドレスを着た女性のアンニュイな雰囲気がいいです。「匂い」はテーブルの上に置かれた「鼻煙壷」から来ているのだと分かります。 -
「女」萩原守衛
昔、父に早稲田大学の會津八一記念博物館について教えてもらったことがありました。そこで見た萩原守衛の「女」は写真に撮れなかった覚えがあります。 -
萩原守衛と萩原碌山が同一人物と知ったのは恥ずかしながらかなり大人になってからです。子供の頃の登山の帰りに穂高の碌山美術館まで連れて行ってもらったのに。
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「文覚」萩原守衛
文覚(ぶんがく)は元々遠藤盛遠という武士でしたが、平家物語に出てくる源渡の妻の袈裟御前に恋をします。渡を殺して袈裟御前を奪おうと画策しますが、誤って袈裟御前をころしてしまい仏門に入ります。当時新宿中村屋の女主人の相馬黒光(こっこう)に恋していた自分に重ね合わせた作品だそうです。 -
まだまだ知らないことが世の中にはたくさんあります。
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「エロシェンコ氏の像」中村彝(つね)
ヴァシリー・エロシェンコというロシア人の文筆家、音楽家だそうです。この方も一時期新宿中村屋に身を寄せていたそうです。 -
「手」高村光太郎
指が吊りそうなポーズです。
このポーズの取り方が説明されていました。 -
「トルソー」オーギュスト・ロダン
岩波書店の創業者の岩波茂雄の旧蔵品だそうです。「第二回仏蘭西現代美術展覧会」に出品された29点のロダン作品がすべてフランスに戻ってしまって良いのかという思いから無理をして購入したそうです。パリのロダン美術館を思い出します。
ロダン美術館 http://4travel.jp/travelogue/10624624 -
「坑夫」萩原守衛
昨年旅したブリュッセルの世紀末美術館で観たコンスタンティン・メニエール
の「パドラー」という作品に似ているなと思いました。
世紀末美術館 http://4travel.jp/travelogue/11024862 -
「麻姑献壽」(まこけんじゅ)藤島武二
麻姑は中国神話に登場する下八洞神仙の一柱仙女です。西晋・東晋時代の「神仙伝」などに記述があり、その容姿は歳の頃18、19の若く美しい娘で、鳥のように長い爪をしているといわれます。また長寿の象徴でもあり、西王母の誕生祝いに麻姑が美酒を贈る「麻姑献寿」は絵画の題材になります。 -
「噴煙」梅原隆三郎
これは浅間山が噴火したところですね。昭和47年の夏休みに父の勤めていた共同通信の山荘から浅間山に登り、小諸へ降り懐古園に行きました。そこから東京へ帰るはずだったのですが…。弟が浅間山で蛇を捕まえ、小諸まで戻って懐古園を歩いている間に噛まれました。通りがかりの方が「マムシだ!」ということでそのまま救急車で佐久病院へ。後年地元新聞社のその時のことを記事にしていただき、通りがかりの方へお礼が出来ました。そしてその年浅間山は噴火しました。その絵を見ていて思い出したことです。 -
「葬壇」梅原龍三郎
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「奥入瀬の渓流」安井曽太郎
観た瞬間に奥入瀬の風景と分かりました。こんな一見簡素なタッチで描かれているのに、さすが本物の絵の持つ力はすごいなと思いました。 -
「北京秋天」梅原龍三郎
これもいい絵ですね。昨年倉敷の大原美術館へ行きましたが、分館に同じような構図の絵があったことを思い出しました。そして、似たような作家の作品が多いなとも思いました。 -
重いテーマの作品が並んでいました。
「特攻隊内地基地を発進す(二)」岩田専太郎 -
「特攻隊内地基地を発進す(一)」伊原宇三郎
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「北九州上空野辺軍曹機の体当りB29二機を撃墜す」中村研一
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「提督の最後」北蓮蔵
ミッドウェー海戦の敗北の時、航空母艦「飛龍」の甲板上で山口少将と艦長の加來止男大佐が乗務員と別れの盃を交わす場面です。なんでも鑑定団にこの絵の小さいものが出たことがありました。 -
「コントルポアン」岡本太郎
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「夜明け」岡本太郎
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「反世界」岡本太郎
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「燃える人」岡本太郎
第五福竜丸の被爆事件を着想して描いたそうです。下に船が見えます。都立第五福竜丸展示館へ初めて行ったときの鮮烈な印象が蘇ってきました。 -
「王昭君」菱田春草
安田靫彦展に合わせての展示もありました。 -
輪郭線の無い朦朧体で描かれています。同じ日本画でも描き方は全く違います。
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「賢首菩薩」(けんしゅぼさつ)菱田春草
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「或る日の太平洋」横山大観
波間に龍の姿が見えます。 -
「浴女 その二」小倉遊亀
妻が気に入った一枚です。何とも色っぽい作品です。 -
「石棺」前田青邨
約4時間、歩き過ぎて疲れましたが、久しぶりに日本画の神髄に触れられたような気がしました。元気なうちにいろいろな作品を観ておきたいものです。
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