稲むらの火の館
美術館・博物館
3.29
クチコミ・評判
1~8件(全8件中)
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もしもの時、防災に備えて見学
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- 旅行時期:2021/12(約4年前)
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濱口梧陵記念館だけなら無料、津波防災教育センターまで見ると500円/人です
- 3.5
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
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入場料500円 月曜日休み(祝日は翌日が休み)
- 3.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
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期待はずれ
- 2.5
- 旅行時期:2016/11(約9年前)
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意外と大きいです
- 3.0
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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「稲むらの火」の史実と減災を学ぶことができます
- 4.5
- 旅行時期:2015/01(約11年前)
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湯浅駅から徒歩15分ほどです。「濱口梧陵記念館」と「津波防災教育センター」から成っています。津波被害の想定されているエリア... 続きを読むに住居や職場のある人は、見学しておくと良い施設です。
手前にある木造の建物が「濱口梧陵記念館」です。濱口梧陵は「稲むらの火」のもととなった人物で、ヤマサ醤油の七代目当主です。濱口家の家憲や梧陵の思想、勝海舟や福沢諭吉などとの交流がパネル展示、人形、映像で紹介されています。
奥に建っている「津波防災教育センター」へは、「濱口梧陵記念館」を通り抜けて行きます。
1階の防災体験室は「予防」、「応急」、「復旧」にテーマ分けして、救助用品や防災用品の展示、体験談の映像などを見て、津波や地震に対しての減災を知ることができます。展示数は多くないものの、自助・共助に重点が置かれた濃い内容に感じられました。子供向けに、ゲームやクイズで学べるディスプレイが用意されており、記念品が貰えます。
偏光メガネで視る「3D津波映像シアター」もあり、津波から命を守る内容のものと「稲むらの火」の物語の2本を視ました。
2階には、「稲むらの火」の史実を紹介するコーナーがあります。濱口梧陵は、公助の「応急」、「復旧」、「予防」に尽力したことも知ることができます。 閉じる投稿日:2015/01/31
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浜口梧陵旧邸
- 3.5
- 旅行時期:2013/09(約12年前)
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浜口梧陵は醤油発祥の地湯浅に生まれ、12歳でヤマサ醤油の浜口本家の養子となった。梧陵は雅号で、字は公輿、諱は成則である。ヤ... 続きを読むマサの当主となってからは、7代浜口儀兵衛を名乗った。
若くして江戸で学び、開国論者となった彼は、海外留学を志すがかなわず、郷里広村に戻り、耐久舎を創設して人材の育成に当たった。
1854年の安政南海地震のとき、大量の藁に火をつけて安全な高台への避難路を示し、村人たちを津波から救う。小泉八雲による小説“A Living God”と、中井常蔵によるその訳書「稲むらの火」は、これに基づいている。1858年、私財を投じて広村堤防を築いた。
西洋種痘所が焼失すると、梧陵は1859年、種痘所再開のため300両を寄付している。
1868年には、商人でありながら紀州藩勘定奉行に任命され、後には藩校教授や大参事を歴任するなど、藩政改革に尽力した。1871年には、初代駅逓頭(郵政大臣)に就任。1880年、和歌山県議会議長となる。
1885年には、かつての夢だった海外渡航を果たすが、ニューヨークで病死した。
「稲むらの火」はかつて国定教科書に掲載されたが、事実と異なる創作があり、戦後になって姿を消した。いっぽう小泉八雲によって、浜口梧陵の事績は広く海外に知れ渡った。
2004年のスマトラ島沖地震とその津波による被害から、浜口梧陵は再び注目されるようになる。2005年に開催されたASEAN緊急首脳会議で、シンガポールのシェンロン首相に「日本では教科書に『稲むらの火』という話があって、子供のときから津波対策を教えているというのは本当か」と尋ねられた小泉首相は、戦後世代なのでこれを知らなかった。現在は「稲むらの火の館」の入口に、小泉元首相の揮毫による石碑が立てられている。「稲むらの火」は2011年度より、再び小学校教科書に掲載されている。
浜口梧陵旧邸は現在、博物館「稲むらの火の館」となっている。なおこの地を彼の生家とするのは、誤りである。 閉じる投稿日:2015/03/25
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震災に目の覚める思いのする場所
- 4.5
- 旅行時期:2012/01(約14年前)
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稲村の火の館、町営の防災を喚起する施設です。
何気なく入ってみたのですが、東日本大震災を予知していたかのような展示と... 続きを読む避難にかける気持ち、マスコミで取り上げられませんでしたが、江戸時代に起こったここ和歌山の大津波から受けた教訓を現在にアピールする施設でした。
安政の大地震津波時、その命の火で多くの村人を救ったのが ここ稲村庄屋だった濱ロ梧陵です。この功績は、現代に通じる津波防災の象徴として広く語り継がれています。
梧陵の偉業と精神、教訓を学び受け継いでゆくため、2007(平成19)年4月、濱ロ梧陵記念館と津波防災教育センターから成る「稲むらの火の館」が誕生しました。来たるべき時に備え、より多くの津波の知識を身につけてください。
そう案内には有ったのですが
実際の様子や、これから何をすれば良いか。色々考えさせられました。
一度足を運ぶ価値はある施設です。
中で稲村の火の映画を見ました。
大地震で村人を高台に上らせた濱口梧陵ですが、繰り返す地震で夜中の津波に逃げそびれ波に呑まれる人が居ました。
その時に梧陵は翌年の飼料に取っていた稲わらを海の見える畑で燃やしたのです。
波に呑まれた村民は 夜中のことで 泳げても陸地の方角が判りません。
ところがともった灯りをめがけて なんとか泳ぎついたのです。
そんな村人をより高い高台まで誘導した時 もっと大きな津波で畑で目印にしていた火まで消えてしまったというはなしです。
大きな津波に夜中にあっても 死者が一人も出なかったという話でした。
また後日談が有り、畑も田んぼも使い物にならなくなった農民に一年間給料を与え、水路や道の整備をし、なかには関東に作っていた醤油工場に派遣までしたという、震災で自分も被災しながら 復興まで考えた人が居たという事実を伝えてました。
閉じる投稿日:2013/03/16
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