2024/12/18 - 2024/12/18
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三日目の最終日は兵庫津の散策です。
「三木と京街道、堺の街歩き(四日目完)」(https://4travel.jp/travelogue/11946135)で国際都市でもあった堺の歴史を振り返りましたが、それって関西なら大輪田泊りからの歴史を持つ神戸、兵庫津のイメージがだぶります。その辺り、どうなんでしょうか。ちょっとややこしいですが、兵庫津の歴史だけでなく、堺や博多も含めて概観し、旅行記のイントロとしたいと思います。兵庫津が栄枯盛衰を繰り返しながら現代に至っていることをうまく伝えられたらいいのですが。。
さて、兵庫津は、平清盛が築いた大輪田泊の歴史を引き継ぐ港。平清盛以前でいうと、兵庫県には僧行基が開いた近畿から中国・九州へ向かう航路の船泊り、摂播五泊という港があって、室生泊(たつの市)、韓泊(姫路市)、魚住泊(明石市)、河尻泊(尼崎市)と大輪田泊の五つ。遣唐使もこのルートを使ったという古代の海の道ですね。平清盛はその大輪田泊に着目し、港を大改修。兵庫津は清盛の下で日宋貿易の一大拠点となり、多くの富をもたらしました。ちなみに、日本最初の人工島と言われる経ヶ島は港の堤防の役割を持たせたもの。広島だと厳島神社や音戸の瀬戸。平清盛の革新的な取組は様々な伝説を生んでいます。
その平家が滅び、鎌倉時代には元寇という大事件が起きますが、室町時代に入って、三代将軍、足利義満がその利を求めて日明貿易に乗り出すと再び兵庫津はその拠点に。倭寇や密貿易も、幕府を後ろ盾とする勘合貿易に整理されていくことになります。
しかし、義満が死去し、応仁の乱が起きると事態は急転。むしろ、幕府の威信が落ちる中で、堺を本拠とする管領家の細川氏と山口に本拠を持つ大内氏は私的に日明貿易に乗り出していきます。大内氏は博多を押さえていましたし、一時は兵庫津も支配。細川氏を圧倒していたのですが、兵庫津を奪い返さんとする細川氏の攻撃で、兵庫津は壊滅。兵庫津に入港していた明船は堺に入るようになってしまいます。大内氏が支配していたもう一方の博多の方ですが、大内氏が陶晴賢に下剋上されると明から貿易の相手としては認めないとされたり、日明貿易は頓挫。天文24年(1555年)陶晴賢が厳島の戦いで毛利氏に大敗、大内氏が名実ともに滅びるのはその2年後です。それを待っていたかのように、博多は大友氏が支配するところとなりますが、既に長崎の平戸はじめ九州の各地には南蛮船が到来。キリシタン大名だった大友氏の府内にもポルトガル船が何度も入港していて、堺と並ぶほどの大活況。南蛮貿易においては博多を必要とする状況ではありませんでした。さらに、天正6年(1578年)、大友氏が島津氏に耳川の戦いで大敗すると筑前は騒乱の時代へ。博多は荒廃し、復興は天正15年(1587年)に九州平定を果たした秀吉の太閤町割りまで待つことになります。つまり、日明貿易の時代から南蛮貿易の時代を迎えても、博多、兵庫津はともにその流れに乗ることはできなかったということ。対する堺はそうした混乱を目の当たりにしつつ、地内町よろしく高い自治力で防衛力を強化して無傷。一人勝ちする条件が十分すぎるほど整っていたということではないかと思います。
秀吉の時代から家康へ。幕府が庇護する朱印船貿易も堺には追い風だったと思いますが、しかし、寛永12年(1635年)の第3次鎖国令ですべては終焉。以降、堺が往時の賑わいを取り戻すことはありませんでした。逆に鎖国の時代の唯一の光は長崎。オランダとの交易に加え、中国の交易も大きくて、中国からの大量の絹の輸入は金・銀の流出を招き幕府の財政を悩ませる問題。シュガーロードと言われた長崎街道のお菓子文化も遺産です。ただ、忘れてならないのは、もしかして長崎がなければ明治維新は成立しなかったかもというくらいの長崎の役割。直接的には幕末の開港後、薩長の新式武器の大量調達が長崎を窓口として可能となったことですが、アヘン戦争の情勢を詳しく入手できたこともそれと同じくらい重要。戊辰戦争は起きましたが、大きな内戦は避けるべきという認識は双方のリーダーたちに浸透していましたからね。ある意味、戊辰戦争はコントロールされた内戦だったとも思います。
元に戻って、兵庫津が復活するのは江戸期の後半、北前船の時代。堺は大阪の経済力に飲み込まれていましたし、大和川付替え工事により港としての立地条件が悪くなっていたのではないかとも思います。久しぶりに表舞台に立った北前船の時代の兵庫津は、蝦夷へ進出した高田屋嘉兵衛や港湾の整備にも力を尽くした工楽松右衛門とか。キラリと光る活躍が見逃せませんが、やはりそうした個性が生まれたのは兵庫津の伝統の力という評価もできるのではないでしょうか。
そして、幕末の開港。日米修好通商条約ほかの締結により、慶応3年(1868年)、箱館、横浜、長崎、新潟の開港に少し遅れての開港。文明開化の先頭を走る貿易港としての歩みが始まりました。
ただ、敢えて最後にもう一つ加えるとすると、阪神・淡路大震災のことでしょうか。もともと中国の急速な台頭と日本の低迷によってプレゼンスが低下していた神戸港ですが、この震災の被害で一極集中のリスクがクローズアップ。瀬戸内海の各所には港が整備され、物流の分散化が進んだとされています。そういう意味だと復興は進んでも元に戻ることはないのかな。今の兵庫県のS知事を巡る混乱もその深い傷跡の余波と言えなくもないような気がします。
以上です。
ところで、蛇足ながらもうひとつ。先般の「三木と京街道、堺の街歩き」(https://4travel.jp/travelogue/11946117)でも、兵庫県は多様だし、中心的な地域の播磨国ですら分かりにくいと申し上げましたが、神戸だって実は多様で複雑です。
神戸駅という駅はありますが、それは神戸の中心ではない。神戸の中心はあくまでも三宮です。三宮から神戸三宮センター街を通って、元町・南京町からメリケンパークというのが神戸の観光の王道コース(https://4travel.jp/travelogue/10839249)(https://4travel.jp/travelogue/10833084)。まあ、それで9割がた神戸はおしまいとすることもできなくはないのですが、実はまだまだ。新神戸から神戸布引ハーブ園を横目で見ながら北野通りから北野を訪ねるコース(https://4travel.jp/travelogue/11818765)(https://4travel.jp/travelogue/10679954)。神戸駅からだとハーバーランドや新開地のエリア(https://4travel.jp/travelogue/10723598)。そして、須磨地区(https://4travel.jp/travelogue/10885149)もやっぱり外せないでしょうし、灘五郷(https://4travel.jp/travelogue/10842204)に王子動物園から兵庫県立美術館のルート、六甲アイランド、ポートアイランドに、六甲から有馬温泉というビッグなエリア(https://4travel.jp/travelogue/10955797)もあります。気が遠くなるようなラインナップですが、そうしたところをそれなりに押さえたうえで、やっと巡ってきたのが今回の兵庫津。兵庫津は説明したようにまさに神戸のルーツと言ってもいい場所なのですが、神戸にはいろんなものがあり過ぎて、ほとんど目立っていないのはとても残念なことですね。この旅行記で、その辺りの認識も少し修正していただけたら嬉しいなと思います。
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兵庫津の近くでいい宿が見つかったので、今日はそこで前泊。
茨木の散策を終えて、夜に兵庫に入りました。
兵庫駅で降りて。讃松庵は、駅からちょっと歩きます。食べログ100名店のうどん屋がこんなところにあるんだと知って訪ねました。店構えは飾らない普通の感覚ですね。私にはちょっときつかったです by たびたびさん讃松庵 グルメ・レストラン
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おばちゃんがシャキシャキ対応してくれて、初めてだと小の方がいいかもねとアドバイスをくれたりして助かりました。
さて、うどんの方ですが、太くてかたい讃岐うどん。山形で割りばしくらいの太さの硬いそばを出されて往生した経験がありますが、ここのうどんもそれと同じですね。なんとかいただきましたが、これはなかなかのものです。ちくわのてんぷらとか揚げた卵とかおいしいんですけどね。このうどんは、正直、私にはちょっときつかったです。 -
近くの朝日温泉でちょっと温まっていきましょう。神戸の街中ですが、天然温泉と謳ってありますよ。
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近所の人が利用する温泉ですね。二階が脱衣場で、三階が風呂。コンクリートの階段を裸で上がっていくのがちょっとびっくりでした。少し薄暗くてお湯の色はよく分からなかったですが、ちょっと濁っていたような気もします。
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で、宿というのは、同心ビジネスイン。値段が安いのと兵庫津の観光がしたかったので、ニーズにぴったり。近くにさっきの天然温泉の銭湯があったのもプラスかなと思います。
寝るだけならみたいな情報があって少し心配していましたが by たびたびさん同心ビジネスイン 宿・ホテル
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翌朝、さっそく散策の開始です。
神戸市内には一宮から八宮まであるのですが、これは七宮神社。航海安全、縁結び、厄除けの神である大己貴尊(大国主命)を祀る北浜の産土神社です。 -
平清盛が大輪田泊修築に際し、応保元年(1161年)、土砂を削っていた塩槌山に大己貴命が祀られていたのを現在の地に移したのが始まりとか。あの高田屋嘉兵衛も持ち船三隻の模型を奉納して、海に関りが深い神社です。
ただ、神社はけっこうこじんまり。静かな感じです。 -
さっそく高田屋嘉兵衛が出てきましたが、高田屋嘉兵衛記念館という街の集会所のような場所もあります。
すぐそばに高田屋嘉兵衛本店の地があったり、高田屋嘉兵衛ゆかりの神社があったりする高田屋嘉兵衛にゆかりの深いエリアが今も残っているんですね。
これは、竹尾稲荷神社。境内には高田屋嘉兵衛の顕彰碑があります。 -
これは、高田屋嘉兵衛本店の地。
ちゃんと大事にされていて、高田屋嘉兵衛が今でも街のヒーローであることがそれなりに伝わってきます。 -
一方で、これは意外なもの。
ダイエーの創業者、中内功は、日本におけるスーパーマーケットの草分けであり、立志伝中の人物ですが、そのダイエー発祥の地がここにありました。小さな石柱には「サカエ薬局跡地(ダイエー発祥の地)」とありました。小さくて地味な碑ですが、我々が今でも普通にお世話になっているスーパーマーケットのルーツだと思うとけっこうな意味はあるのではないかと思います。 -
引き続き、高田屋嘉兵衛のエリアです。
松尾稲荷神社は、入り口の大きな赤い鳥居を抜けて、さらに小山の上に向かう千本鳥居を抜けた先。 -
そんなに大きな神社ではありませんが、けっこう念がいっていますね。
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社殿には福神ビリケンが祀られていて、多くの人々から支持されてきた神社。拝殿には赤い提灯が賑やかにぶら下がっていました。
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東山魁夷旧居跡は、西出町公園という公園の中に説明板が建っていました。
説明板によれば、明治41年、横浜に生まれる。本名新吉。明治44年、父の家業の都合で三宮に移った後、一家は西出町に移転し、東山商店という船具商を営む。信成幼稚園、入江小学校、兵庫県立第二神戸中学校と少年期を神戸で過すとありました。
兵庫津で過ごした多感な時期がその後の大成につながったと思いたいところです。西出町公園という公園の中に説明板 by たびたびさん東山魁夷旧居あと 名所・史跡
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高田屋嘉兵衛のエリアから北のブロックへ。
西出鎮守稲荷神社の境内に -
平経俊公の墓というのがあって、入口の歩道上にも目立つ石柱が建っていました。
平経俊は、平清盛の異母弟、平経盛の子。一ノ谷の戦いにおいて、従兄弟の知盛の指揮の下、生田の森で源氏軍と対戦。討ち死にしたようですが、享年18歳。それを憐れんでかどうか分かりませんが、その後、子供の守護神として信仰を集める存在となりました。 -
西出鎮守稲荷神社から西へ進みます。
湊口惣門跡は、湊八幡神社の前に説明板。
西国往還に設けた兵庫の出入口の惣門。東より来る西国往還は、相生橋よし相生町を経て、この惣門に至るとありますから、東端の惣門ですね。惣門は、池田信輝が信長の命を受けて花隈城を攻略しその功をもって兵庫を治め、設けたものということです。西国往還に設けた兵庫の出入口の惣門 by たびたびさん湊口惣門跡 名所・史跡
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湊八幡神社は、これ。
兵庫津にあって、神功皇后の三韓征伐ゆかりの神社。神功皇后の子、応神天皇を祀ります。大きな鳥居から入って、 -
参道を進むと狛犬が一対、その先にはもう一対。独特の構えです。
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さらに進んで。つまり、ここから兵庫津の中心部に向かうことになります。
藤之寺は、寺伝によると古代から続くという地元の旧家、北風家が神功皇后から賜った御手形を祀った社を建立したのが始まり。
で、この北風家というのは、南北朝の時代、後醍醐天皇方の新田義貞に味方し、足利尊氏と交戦。兵庫の浦で尊氏の軍船の大半を焼き、尊氏は九州へと逃れたという剛の者。北風という名前も義貞からもらったのだそうです。ちょっと頭がくらくらするような話ですが、ああそうですか!みたいな感じかな。
現在の寺は、浄土宗。白い塀に囲まれて、本堂はクリーム色の配色。穏やかな佇まいです。 -
兵庫運河から新川運河にかけて整備されたキャナルプロムナードの方に出てきました。
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一角には兵庫城跡の説明板。
そもそもの始まりは、織田信長に謀反をおこした荒木村重の花隈城を攻略した池田恒興・輝政父子が信長から兵庫を賜ったことから。池田氏が摂津国の大守として築いたのが兵庫城です。江戸時代は、城址に尼崎藩の陣屋が置かれますが、その後は天領となり、陣屋は兵庫勤番所に。明治に入ると勤番所が兵庫県庁となり、伊藤博文が初代知事として就任するという歴史です。名残りらしきものは何もありませんが、唯一この説明板がその歴史を語っています。 -
運河沿いには石畳や煉瓦敷の遊歩道が整備されていて、幅も十分広いのでこれなら広場的な役割もあるでしょう。ちなみに、新川運河の開削は明治8年。兵庫運河は、その後の明治32年。須磨と兵庫港を結ぶ当時は日本最大級の運河だったということです。
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大輪田橋は、大正13年、その運河に架けられた石貼り鉄筋コンクリート造の3連アーチ橋。がっちりした丈夫そうな姿ですが、神戸大空襲ではこの橋に避難した多くの市民が炎に巻かれそのまま犠牲となった場所でもあるとのこと。阪神淡路大震災では親柱3本が崩落。それでも橋が生き延びているのは可とすべきでしょう。
大正13年に架けられた石貼り鉄筋コンクリート造の3連アーチ橋 by たびたびさん大輪田橋 名所・史跡
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このエリアで一つのハイライトは、清盛塚・琵琶塚。まさに大輪田泊りに思いを馳せる場所ですね。
通りから一段高い場所にあって、 -
イチオシ
高さ8.5mの石造十三重塔が清盛塚。鎌倉幕府9代執権、北条貞時が建立したと伝わります。銅像の方は後世のものだと思いますが、見ただけで清盛と分かります。
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その横の平面形が琵琶の形をした塚が琵琶塚。琵琶の名手 平経正の墓と信じられていた塚もあったようですが、これは明治35年、有志によって建てられた石碑です。
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少し離れた真光寺もちょっとした歴史。時宗の祖、一遍上人が中興開祖。正応2年(1289年)、一遍上人はここで51歳の生涯を閉じているんですね。
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境内には一遍廟所があって、たぶん時宗にとっては特別なお寺。静寂な空気があるのはさすがですが、もう少し有名になってもいいかもしれません。
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ここから和田岬の方に向かいます。
ヴィッセル神戸のホームグラウンド、神戸ウィングスタジアムは、その途中。
ただ、神戸ウィングスタジアムの命名権は地元の化粧品メーカー、ノエビアが取得して、今はノエビアスタジアム神戸。この日は試合はありませんでしたが、正面から眺めるとけっこうな迫力。サッカーの文化もこうしたちゃんとした施設があってのもの。野球の文化にサッカーの文化。それぞれに金のかかるスポーツなのかなあと思います。 -
どんどん歩いて、和田岬に到着です。
この和田岬というのは、神功皇后が摂政元年(200年)、三韓征伐の帰途上陸され、三つの石を立てて神占いをした儀式の地とか。ちなみに、兵庫駅から和田岬駅まで和田岬線という山陽本線の支線が走っていて、意外に利用者は多いですね。三菱重工の工場もあるようです。
で、これは和田神社。 -
平清盛が承安3年(1173年)、市杵嶋姫大神を勧請。
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その後、万治元年(1658年)、当時の尼崎城主が天御中主大神を主神にして社殿を造営したことで和田の明神となったとか。
入口の赤い大鳥居に境内は石畳の参道が縦横に巡っていて、なかなかの構えの神社です。 -
和田神社の隣りの三石神社は、入り口の鳥居横に「神功皇后上陸此地」の碑。
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本殿の前には、「神功皇后像と幼き応神天皇を抱きた武内宿禰像」もあって、神功皇后ゆかりの神社であることを強くアピールしています。
先ほど触れた神功皇后が三韓征伐の帰途上陸された際、三つの石を立てて神占いをした儀式の地というのがこの神社です。 -
その近くで、もう一つ気になっていたのがこちら。
本間重氏遠射之趾は、太平記に記された湊川の戦いに関係する碑。
足利尊氏の軍と戦った楠木正成軍と新田義貞軍。陸戦を担ったのが楠木正成軍で、水軍を迎え討ったのが新田義貞軍。この新田義貞軍の中に本間孫四郎重氏という弓の名手がいて、足利軍の軍船に向け、六町あまり(約650m)を越えて、矢を射たというのです。それが「遠射」の意味。
和田岬小学校の敷地内に碑がありますが、外から何とか確認できました。
源平合戦一の谷の戦い、太平記の湊川の戦い。神戸は意外に大きな戦乱の地になっています。 -
ここから、次は兵庫県立兵庫津ミュージアムを訪ねますが、
兵庫生簀跡は、その途中。
兵庫津が繁栄した江戸期の史跡のひとつ。元禄14年(1701年)に書かれた「摂陽群談」では、兵庫の名物は鰯漬やスダレ干しの小鰯。兵庫は魚の町だったんですね。寛政8年(1796年)の「摂津名所図会」ではこの兵庫生洲が紹介されていて、不漁時にはここから活魚を市場に出したりしていたよう。詳しい説明板が建っていました。 -
田頭製菓本舗は、もうすぐ兵庫津ミュージアムといったところ。いかにも老舗といった地元のお菓子屋さん。お店に入るとすぐ奥の作業場ではご主人がお菓子造りの真っ最中でした。
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いただいたのは、名物の「将軍」。天皇が有馬温泉に来た時にもこれを食べたという名物のもなか。餡子と牛皮が二段重ねになっていて、大きさもあって堂々としていますね。しっかりした甘さとボリュームもあって、さりげないけど確かなおいしさ。ご主人がとても饒舌でお菓子にかける思いのようなものを語ってくれました。このもなかにもそうした思いが入っていると思うとお味はまた格別です。
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イチオシ
兵庫津ミュージアムに到着しましたが、その分館みたいな位置づけで、兵庫城跡に作られたかつての兵庫県庁が再現されていたので、そっちを先に拝見します。
神戸に来たなら見るべき博物館 by たびたびさん兵庫津ミュージアム 美術館・博物館
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ほ~
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ここが玄関。
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奥に進んで
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これは知事室かな?
伊藤博文が初代兵庫県知事。こんなところで何を思っていたでしょうね。 -
イチオシ
では、本館の方へ。
神戸には神戸市立博物館という素晴らしい博物館があるのですが、 -
もうひとつ兵庫県立兵庫津ミュージアムというのもあるので、ずっと気になっていました。
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今回がやっと初訪問ですよ~
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初代兵庫県知事となった伊藤博文、大輪田泊を築いた平清盛、日宋貿易の足利義満の三人がナビゲーターとなってのイントロビデオから始まって、
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清盛の夢
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先進国「宋」との貿易
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一の谷の源平合戦、
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日本国王の港
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鎌倉期の賑わい
一遍、叡尊 -
瀬戸内の航路
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足利尊氏対楠木正成、新田義貞の湊川の戦い。
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日明貿易の足利義満
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応仁の乱による被害から貿易港としての地位が堺に移ったり、信長の前の実質的な天下人だった三好長慶と結びついていた兵庫津商人や織田信長に反旗を翻した荒木村重の花隈城。
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港湾都市の賑わい
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兵庫城の時代
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イチオシ
工楽松右衛門に高田屋嘉兵衛。
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兵庫生簀
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はじまりの地 兵庫
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幕末の兵庫開港から神戸事件など。
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多彩な歴史絵巻がけっこう丁寧に解説されていて、むしろこちらの博物館の方が神戸に焦点をあてているような内容ですね。
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どうしても目立っているのは神戸市立博物館ですが、兵庫津ミュージアムも神戸に来たなら見るべき博物館のような気がします。
とても良かったです。 -
このエリアには、神戸市中央卸売市場もあるので、そちらで昼飯にします。
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丸高食堂は、神戸市中央卸売市場の二階にある普通の食堂。
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刺身の盛り合わせ定食1000円をいただきました。魚の種類や量には無駄がないし、みそ汁とかもさりげなくおいしいですよね。市場でご飯を食べるのは、まさしくこういうのを食べたいってことですからね。ドンピシャの市場食堂でした。
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では、これで兵庫津はおしまい。
神戸市営地下鉄 海岸線の中央市場前駅から西宮に移動します。 -
三宮で乗り換えて
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阪神西宮に到着。ここからは、西宮周辺を歩きます。
おでかけ案内所は、阪神西宮駅2階の改札を出てすぐのところ。西宮は灘五郷の酒どころですから、そっちの方の関係が案内の中心になるのかな。私は、マイナーなマンボウトンネルへの行き方を教えてもらいまして。。 -
マンボウトンネルというのは、JR神戸線の下を人や自転車が潜り抜けるための小さなトンネル。赤い煉瓦に床は板敷。なんともレトロな雰囲気です。京都だとねじりまんぽというのがありますが、どちらもそれがあることで近道になっていて、とても役に立っています。
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それを抜けて、西田公園へ。
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いい天気です。
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お目当ては西田公園万葉植物苑なんですが、西田公園でも一番高い場所。
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ちょっと地味な一角ですが、万葉集に歌われた植物を集めた植物園はあちこちなくはないですね。それぞれの植物の説明板も設置されているし、大伴家持の歌碑なんかもけっこう立派。一見地味に見えますが、ちゃんと整備された万葉植物苑です。
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西田公園からカトリック夙川教会へ。
こちらは、6年間を夙川で過ごすことになった遠藤周作が、昭和10年、灘中時代に洗礼を受けた教会。遠藤周作の生涯のテーマとなったとキリスト教との関係がここで始まることになります。想像以上に立派な建物にちょっと驚きました by たびたびさんカトリック夙川教会 寺・神社・教会
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イチオシ
現在のゴシック・リバイバル様式の壮麗な大聖堂が完成したのは昭和7年。この美しい大聖堂で洗礼を受けた頃の周作少年はまだそれほどキリスト教への理解はなかったようですが、それでもそれなりの高揚感はあったはず。私も想像以上に立派な建物にちょっと驚きました。
ちなみに、遠藤周作がいなかったら、私の今のキリスト教への理解はありませんでした。違いが判る男は確かにすごいです。 -
夙川河川敷緑地を抜けて
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続いて訪ねたのは旧山本家住宅。西宮の閑静な住宅地の一角です。
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昭和13年に建築された個人住宅で、
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最初の家主は、鳥取県出身、鉄山経営で財を成した近藤寿一郎。
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その後、五代目の家主が飲料の会社などを経営していた実業家の山本清です。
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しかし、家主の意向や趣味が家屋には現れるものなのですが、なんかひっかかる。
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よく話を聞いてみると、このお屋敷はあの百貨店の三越が売り出した団地の住宅なんですね。
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売り出し価格は当時の価値にして4億円くらいと豪邸は豪邸なのですが、いわば既製品。
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それなりにセンスがある家主なら、個別に名のある棟梁に依頼するとか選択肢はあったわけで、むしろお金はあるけどそうした意欲やこだわりまではなかった人物がこれを買ったのではないかと思います。
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ただ、それは現在も同じこと。高級マンションとかは、お金はあるけど仕事が忙しくて時間はない人が購入するものでしょう。
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つまり、一般的な建物を拝見して施主の人物を想像するという楽しみは、この建物の場合は、ちょっと違う。むしろ、戦前、百貨店がこうした事業までやっていたということの意外性とか、今のタワーマンションみたいに、そうした超高級物件を買う層がちゃんといたこととか。そうした人が住む町が西宮にあったこととか。そうしたところに思いを寄せて、味わうべき建物ではないかと思いました。
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イチオシ
ここから西宮でもう一つ気になっていた廣田神社を訪ねます。けっこう遠いんですけどね。
満池谷・ニテコ池は、その途中。3段の貯水池からなるエリア。一番上の段の池にはちょっとメルヘンチックな構造物があっていい感じ。 -
これは二段目の景色。
野坂昭如の小説「火垂るの墓」の舞台となった池のようで、幼い兄妹がこの池で蛍と遊ぶ光景が描かれたということ。なんとなく想像ができると思います。 -
ほどなく名次神社。万葉集にも詠われた名次山に鎮座した独立の神社であり、延喜式では官幣大社だったというほどの古社なのですが、明治になって、廣田神社の境外摂社となりました。小高い場に建っていて、境内は敷き砂で清々しい雰囲気。やはり、これも歴史を反映したものだと思います。
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西宮震災記念碑公園は、満池谷・ニテコ池のすぐ上手。名前の通り、阪神・淡路大震災の記憶を風化させないように作られた公園。程よい大きさの都市公園で、この日も近所の子どもたちが自転車でやってきて、いつものように遊ぶ姿。平和な光景でした。
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そして、廣田神社に到着です。この神社も、神功皇后の三韓征伐ゆかりの神社。神戸には、というか西日本には神功皇后ゆかりの神社がとても多いですからね。
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天照大神の神託を受け三韓征伐を終えた神功皇后がその帰途、 天照大神の荒魂をここに祀ったというのが始まり。
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西宮の地名はこの神社が西宮と呼ばれていたから。えべっさんの西宮神社も元はこの神社の摂社。境内は悠々としていて、その歴史からくる格調の高さも感じる構え。
この時は閑散としていましたが、初詣とかの時はきっと大勢の参拝客があるんでしょう。ちゃんとそれに備えた構えなのだろうと思います。
アクセスはちょっと不便ですが、訪ねる価値は十分です。 -
廣田神社からの帰りは阪急西宮北口駅の方に出ました。
これは立派な建物ですが、阪急西宮北口駅から直結の兵庫県立芸術文化センター。 -
二階のロビーに入ると
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過去に演じられたオペラの舞台風景のパネル展示。
魔弾の射手 -
夏の夜の夢
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どれも素晴らしいですね。
オペラじゃなくてもミュージカルでもいいかな。久しぶりに見たくなりました。 -
イチオシ
大ホールはこの先です。
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西宮阪急もちらりと寄って。
また三宮に戻って晩飯にします。 -
生田神社の東側、生田東門商店街を抜けて、少しわき道に入ったところ。
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予約してたのは、食堂 はない。東門筋の一本東側の通り。裏通りかもしれませんが、いかにも隠れた名店が潜んでいそうな雰囲気があって、ここもまさにそういうお店の一つですね。
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いただいたのは、一番人気というエビとぶりのしゃぶしゃぶのコース。
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イチオシ
ボリューミーなエビのあっさりした味わいと脂がしっかりのったぶりのとろとろ感はそれぞれが絶品ですが、この二つを組み合わせたことで、飽きがこないようにということかな。変化の付け方も抜群ですね。締めはラーメンにしましたが、敢えて言えばこのラーメンだとさっぱりとは終われないような。雑炊にした方がよかったような気もします。
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ちょっともやもやが残ったので、珈琲にします。
神戸にしむら珈琲店 三宮店。 -
コーヒーを飲んでやっとクールダウン。忘年会シーズンが始まって、そういうお客さんも多いように感じました。
さて、これで三日間の旅は終了。これで広島に帰ります。お疲れさまでした。
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