2024/09/10 - 2024/09/10
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kojikojiさん
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京都3日目の朝は早くにホテルを出て、「イノダコーヒ本店」に向かいます。ほぼ開店の午前7時と同時に店内に入り、左手にある「旧館」に案内してもらいました。ここで朝食をいただくのも久し振りのことです。朝食無しのツアーで良かったと思えるひと時です。モーニングの「京の朝食」をしっかりいただき、元気になったところで三条大橋を渡って京阪の「三条駅」に向かいます。昨日に引き続き「出町柳駅」で、今度は叡山電鉄で「鞍馬駅」を目指します。車内は結構混んでいて、これだけの人が「鞍馬寺」に行くのかとちょっと心配でしたが、彼らが向かうのは「貴船神社」のようで、ほとんど全員が「貴船口」で降りてしまいました。妻と鞍馬へ来るのは2回目で前回から20年経っていることに驚きました。その時は昼間に「京都御所」で「時代祭り」を観て、夜は「鞍馬火祭り」を観るというものでした。不通に来るとひたすら歩かないとならず、階段下で観ることは出来ませんが、叔母のお茶の師範仲間の方が「油屋」の2階のベランダを予約してあったのでその仲間に入れてもらいました。お陰で目の前で松明が並ぶ姿を観ることが出来ました。今回はそんな賑やかな思い出とは違い、ほとんど観光客の姿の無い朝の「鞍馬寺」の参拝でした。母が子供だったころ、京都市内の小学生は鞍馬へ疎開していた時期があったそうで、その時の話を聞いたことがありました。母が亡くなったこともあり、そんなことを思い出しながらの旅になりました。「仁王門」を潜ってすぐにケーブル乗車口の看板を見ると妻は迷わずにその建物に向かいます。まずは一気に山を登って、さらに石段を登って境内を参拝しました。「金剛寿命院」の奥には石段があり、ここを登ると貴船まで行くことが出来るのですが、妻の足の具合を考えると無理なので置いてあった杖を持って写真を撮って山を下ることにします。妻はケーブルカーで下りますが、母が鞍馬にいたこともあるので1人で「九十九折参道」を歩くことにします。お陰で「由岐神社」も参拝できました。「鞍馬の火祭」はこの神社の例大祭です。下まで降りるとちょうど妻もケーブルカーで到着したところでした。駅に向かいながら「渡辺木の芽煮本舗」で木の芽煮を買い求め、店内の天狗の麺の写真も撮らせていただきます。ここから「鞍馬口」まで戻って、お昼を食べに貴船に向かいます。タイムループしなければ1時間ほどで着く予定です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー スカイマーク JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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京都3日目の朝は少し二日酔い気味ですが、午前6時30分にホテルを出ました。
ホテルギンモンド京都 宿・ホテル
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堺町の「和久傳」の前を通って朝ごはんを食べに向かいます。
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「キンシ正宗」の販売所の雰囲気が変わったと思ったら「nol kyoto」という宿泊施設になっていました。知らないところで京都はどんどん変化しています。
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午前7時に「イノダコーヒ本店」に着きました。ほぼ開店と同時なのでまだ店内はガラガラです。
イノダコーヒ 本店 グルメ・レストラン
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入って左手奥の休館の席にしていただきましたが、すでに先客が1組いらっしゃいました。この後20分ほどの間に満席になりました。
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一番奥の席に座ることにしました。ここで朝ごはんを食べるのも久し振りです。迷わず「京の朝食」を選びましたが、妻はコーヒーとトーストで良いとのことです。
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イノダコーヒのモーニング「京の朝食」のプレートにはスクランブルエッグ、ハム、サラダ、ポテトサラダ、オレンジ、別皿にクロワッサンが盛られています。オレンジジュースとは別に選べるドリンクがセットになっています
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サクサクのクロワッサンは京都市内の烏丸御池にあるパン屋「ブルーデル」ものを使用しているそうです。
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カフェオレは好みでミルクや砂糖があらかじめ混ぜられた状態で提供されます。創業当時から続いているイノダコーヒならではのスタイルのようです。コーヒーはネルドリップ式で丁寧に淹れられるようです。
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三条通りに戻ってきました。今回何度も前を通過している「1928ビル」も朝はすっきりしています。
1928ビル 名所・史跡
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そこで初めて気が付いたのが「GEAR」のチケット売り場のオート三輪です。日本初のノンバーバル(言葉に頼らない)シアター「ギア-GEAR-」は光や映像と連動したマイム、ブレイクダンス、マジック、ジャグリングによる迫力のパフォーマンスで感動のストーリーを描くと共に、セリフを使わない演出により、言葉の壁を越えて楽めるそうです。今回は予定が入っていますが、次回は観てみたいと思いました。
https://www.youtube.com/watch?v=a4CqfD6dpvo -
寺町通を抜けてそのまま東に向かいます。
三嶋亭 本店 グルメ・レストラン
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「かつくら」の路地を見て思い出したことがありました。確か昔この奥に「大文字」という老舗の懐石料理屋があったと思います。志賀高原へスキーに行った際に知り合った女の子たちの中に京都の呉服屋さんに勤めている人がいて、その人とここで食事したことが急に思い出されました。店の名前すらうろ覚えで、この路地だったかも定かではないのですが。
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この日も晴天で暑くなりそうです。紫外線の強い「三条大橋」を渡って地下に降ります。
三条大橋 名所・史跡
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京阪本線の「三条駅」から電車に乗って終点の「出町柳」に向かいます。
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「出町柳」で叡山電鉄叡山本線に乗り換えます。
出町柳駅 駅
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車内は結構混んでいて、みんな「鞍馬寺」に行くのだろうかと心配になります。中国からの観光客の人が多く、なぜんかみんな線路の写真を撮っていました。何か知らないSNS上の人気スポットなのか分かりませんが。
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載っていた人のほとんどが「貴船口駅」で降りてしまい、そこから先はこんな感じでガラガラになりました。どれだけ「鞍馬寺」は人気が無いのでしょう。
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終点の「鞍馬駅」で電車を降ります。この路線で鞍馬に来るのは2回目のことです。1回目も妻と一緒でしたが、もう20年も前のことだったと気が付きました。
鞍馬駅 駅
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駅構内には天狗と烏天狗の巨大な面が飾られています。「鞍馬天狗」は鞍馬山の奥の僧正ヶ谷に住むと伝えられる大天狗です。
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月岡芳年の「義経記五條橋之図」を拡大したものも飾られています。京都の五条大橋で「牛若丸(源義経)」が「武蔵坊弁慶」と出会う有名な場面です。弁慶は太刀を1,000本を他人から奪う計画を立て、999本まで集まりあと1本というときに立派な刀剣を携えて笛を吹きながら歩いてくる牛若丸と出会います。弁慶が全力で襲撃すると牛若丸はひらりと軽くその攻撃を交わして見事に返り討ちにします。これ以来は弁慶は牛若丸の家来となりました。
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月岡芳年の「武勇雪月花之内 五條乃月」です。こちらでは五条大橋で牛若丸に襲い掛かる弁慶が描かれ、その周りには鞍馬の僧正坊をはじめ白峯と飯綱、比良と愛宕、大山(だいせん)と彦山、大峯の天狗たちが力を合わせて牛若丸を守り、弁慶を懲らしめています。「英彦山=豊前坊」や「白峰=相模坊」、「大山=伯耆(ほうき)坊」、「飯綱山=三郎坊」、「富士山=太郎坊」には天狗伝承があり残っています。
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「舎那王於鞍馬山学武術之図」
謡曲「鞍馬天狗」をモチーフにした作品で、鞍馬山の山中の僧正ヶ谷で大天狗の僧正坊から剣術と武芸と兵法を学ぶ牛若丸の姿です。月岡芳年の晩年の作品「芳年漫画」の中に収められています。 -
「鞍馬の火祭」で使われる「松明」の中くらいのものが天井から吊られています。20年前に初めて妻と鞍馬に来たのはこの火祭りを観にでした。
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氏子は船頭篭手を着て、締込みに下がりを付けて相撲取りのようでもあり、更に脚絆に草鞋といういで立ちです。締込みなのでお尻は丸出しですが、これを「チョッペン」と呼びます。「サイレイヤ、サイリョウ」という掛け声が思い出されます。
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ようやく「鞍馬駅」から表に出ます。
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駅舎の右手には巨大な天狗の顔がありました。20年前はもっと恐ろしい顔をしていたような気がします。
鞍馬山大天狗 名所・史跡
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サンドを進むと石段の右に「油屋食堂」が見えてきました。ここの2階には窓の外に細いテラスのようなものがあります。火祭りの夜は1組数十万円で貸出されます。これを何年かお茶の師範をしているおばにお友達が押さえていて、その縁でここから観ることが出来ました。祭りの当日は通行規制が掛けられて、車道の部分を歩くことは出来ず、脇の歩道も立ち止まれないので石段下で観ることはほぼ無理です。
火祭り:https://4travel.jp/travelogue/10338999油屋食堂 グルメ・レストラン
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鞍馬には麩祭りのお身で以外にももう1つの思いがありました。母は昭和11年お生まれでしたが、太平洋戦争の末期に京都市内からこの鞍馬に児童疎開をしていました。その時の話はいくらか聞いたことがありましたが、今から思えばもっと詳しく聞いておけばよかったです。
鞍馬寺 寺・神社・教会
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火祭りの際はこの石段を登って「仁王門(山門)」の手前まで行くしか時間がありませんでした。なので境内の中に入るのは今回が初めてです。
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「仁王門(山門)」は1911の明治44年の再建ですが、左側の扉は1182年頃の寿永年間のものだそうです。 門の両側に立つ仁王尊像は運慶の嫡男である湛慶作と伝えられます。この門は俗界から浄域への結界を意味しています。
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「阿形(あぎょう)」の仁王像と、口を結んだ「吽形(うんぎょう)」の仁王像の間に我が家の仁王が立っています。扁額の文字は後水尾天皇の宸筆と伝えられています。
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「鞍馬寺」の開基は鑑真が唐から伴ってきた高弟の8名の1人で、最年少の鑑禎(がんちょう)と伝えられています。鑑禎は霊夢のお告げに従って山城国北方の霊山に登り、山の上に宝の鞍を乗せた白馬の姿を見ました。その山が鞍馬山であることから「鞍馬」の語源の1つとされます。
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山門を護るのは狛犬ではなくて虎です。虎は御本尊の一尊でもある毘沙門天のお使いである神獣といわれ、毘沙門天の出現が虎の月の虎の日の虎の刻であったことから鞍馬山では特に大切にされています。
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緑のもみじに赤い鞍馬灯篭が並ぶ美しい参道です。
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母の話を思い出しながら歩いて山を登りたかったのですが、妻は迷うことなくケーブルカー乗り場に進んでいきます。
鞍馬山ケーブルカー 乗り物
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1957年の昭和32年に鞍馬山ケーブルは敷設されています。鉄道事業法による許可を受けた鉄道としては唯一宗教法人が運営しているケーブルカーで、わずか2分で「多宝塔駅」に到着します。
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載っていたのは我々を含めて6人だけでしたが、採算がとれるのだろうかと心配になってしまいます。
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駅舎を出ると目の前に「多宝塔」が見えてきます。元々は本殿東側にあったとされていますが江戸時代に焼失しています。現在の塔はケーブル開通後の昭和35年に現在地に再建されました。
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ケーブルカーを降りて、「多宝塔」を過ぎてももまだまだ歩かなければなりません。
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足が痛い痛いと言いながらよく旅行に付き合ってくれています。
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正面に見える辺りは「比叡山」だと思うのですが、山頂が隠れていて確信はありません。「比叡山」にも妻を連れて行っていないし、最後に行ってから50年は経っています。
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「弥勒堂」という小さな社がありました。素通りは出来ないので手を合わせておきます。
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ようやく「本殿」の下までやってきましたが、ここでも延々と続く階段が待っています。
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階段の途中にある「転宝輪堂」 の「手水舎」です。持ってきたペットボトルの飲み物はすでに空になっています。
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現在は使っていない階段がありました。母が鞍馬に疎開していた頃はこの階段を使ったのだろうかと思いを巡らせてしまいます。「清水寺」の新道には美しい階段があったのですが、火事の場合に消防車が入れないということになり、現在は階段を撤去して車道になってしまっています。母から「石段を登る場合は斜めに上ると角度が緩やかになる。」と教えてもらったのもその階段でした。
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紅葉の頃はさぞかしきれいなのだろうと思いますが、混雑を考えたら何もない9月の平日で良かったとも思います。
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ようやく「本殿金堂」まで上がってきました。「鞍馬寺」では「尊天」という耳に馴染みのない仏が本尊として祀られていますが、「尊天」とは一体の仏ではなく、「護法魔王尊」と「毘沙門天」と「千手観音菩薩」が三身一体となったものです。牛若丸は「鞍馬寺」で大天狗から兵法や武芸を学んだという伝説が残っていますが、「尊天」の1人である「護法魔王尊」がその大天狗だと伝えられています。
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「本堂金堂」一重入母屋造は1945年の昭和20年に焼失し、1971年の昭和46年に再建されました。堂内は外陣と内陣、三本尊(尊天)を祀る内々陣に分かれています。「毘沙門天」は真ん中に祀られ、右に「千手観音菩薩」と「左に「護法魔王尊」を祀っています。内部は撮影が禁止になっています。ここで阿吽の2体の虎の土鈴を買い求めました。
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展望台のような「翔雲臺」です。立札には「鞍馬山は北方守護の浄域である。擁護受福のため、本尊ここに降臨ありて、はるか平安京をみそなわし給う。中央の板石は、本殿後方より出土したもので、平安時代より鞍馬寺に伝えられた如法写経会の経巻を埋納した経塚の蓋石である。板石の下から発掘された経塚遺物二百余点がことごとく国宝に指定された。」とありました。
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「本殿金堂」前の「金剛床」は宇宙のエネルギーである「尊天」の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模し、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものである「尊天」と一体化する修行の場だそうです。、星野之宣の宗像教授シリーズの題材になりそうな場所ですが、思い当たる作品はありませんでした。
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阿吽の虎の脇には萩が白い花をきれいに咲かせていました。もう秋は近くまで来ているのでしょうか。
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「奥の院参道」に利口まではいきました。本当はこの山を登って「貴船」に降りたかったのですが、体力的に無理そうなので置いてある杖をお借りして写真だけ撮ってLINEで友人に送りました。
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杖は山麓にも置いてあり、ケーブルカーを降りた後も借りてくればよかったと思っていました。特に下りの階段では杖があってよかったです。
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せっかく登って来たのにもったいないものです。
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石段を下りてケーブルカー乗り場と「九十九折参道」との分岐点で妻とはお別れしました。何となく1人で歩いて降りたい気分でしたので、ケーブルカーの山麓駅で待ち合わせにしました。
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「九十九折参道」を登って来る外国人の方が数人いたのには驚きました。分岐点で迷っていたおばさんに順路を教えてから坂道を下ります。その途中でも2人くらい外国人の人を見掛けました。
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「貞明皇后御休息所跡」
1924年の大正13年に「鞍馬寺」へ行啓された大正天皇の后妃である貞明皇后が「九十九折の坂」を登る途中で暫くしばらく休まれた場所がありました。 -
「九十九折参道」
かつて清少納言は「枕草子」の中で、「近うて遠きもの。宮のまへの祭り。思はぬはらから、親族(しぞく)の仲。鞍馬のつづらをりといふ道。十二月(師走/しはす)のつごもりの日、正月(睦月/むつき)のついたちの日のほど。」と遺しています。 -
近くて実は遠いものと言えば、宮のべの祭り(正月と十二月の最初の午の日に行われた祭り)と親しく思わない兄弟姉妹、親族の間柄、鞍馬のつづらおりという道、十二月の大みそかの日と正月の一日の間のようなもの。といった感じでしょうか。
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「中門(勅使門)」
四脚門にはこけら葺に銅板屋根が乗っています。本柱を挟んで袖柱が前後に付き、合計6本の柱で支えています。元々は麓の「仁王門」の脇にあり、朝廷の勅使だけが通れる門でした。 -
「双福橋」
この一帯は「双福苑」と呼ばれる間所で、橋の両側に小さな祠には福徳の神である「玉杉大黒天」と「玉杉恵比須」が祀られています。その2つの祠を太鼓橋で結んでいます。 -
不思議なオブジェが見えてきました。「鞍馬寺」の本尊である尊天を具象化したもので、3つの輪は「宇宙生命」「宇宙エネルギー」「宇宙の真理」のようです。説明文には「像の下部に広がる大海原は、一切を平等に潤す慈愛の心であり、光輝く金属の環は曇りなき真智の光明、そして中央に屹立する山は、全てを摂取する大地の力強い活力を表現しています。この『愛と光と力』こそは、宇宙生命一尊天そのものであり、先端の三角形はその象徴です。有縁の皆様が、この像を通して宇宙真理-尊天に目ざめ、自らの内に「愛と光と力」を満たして下さる事を希います」とありました。ひと目でこれが「梵天の塔」のように見えました。ダイヤの柱に64枚の金の円板が大きなものから小さいものへ順番に積んであります。その黄金板を他の2本のダイヤの柱に移し替えるというものです。ただし、小さな円盤の上に大きな円盤を積むことは出来ません。そのルールに従って64枚の円盤を他の柱に移し終えるとこの世が滅びると言われています。不吉な感じもしますが、1秒に1つの円盤を動かしたとしても約5800億年かかります。
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「源義経供養塔」
1940年の昭和15年に建立された供養搭です。義経が預けられた東光坊阿闍梨の僧坊跡と言われています。石段の上に石造五輪の供養塔が見えています。 -
牛若丸が母と別れて遮那王(しゃなおう)と名乗って7歳から10年間住んだ「東光坊」の跡地です。父源義朝との縁でここに預けられた牛若丸は、昼は「東光坊」で経を読み、夜は奥の院で兵法の修行に励んだと言われます。母が児童疎開したのは昭和19年頃なので、この塔は完成されていたと知ると母の供養塔のように思えてきます。
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「由岐神社 本殿」
本来は参道を登って来るのでしかるべき順序で参拝するのですが、上から降りてきているのでその辺はご愛敬です。祭神は元は宮中に祀られていましたが、平安京で大地震が起き、天慶の乱まで発生したので当時の朱雀天皇が天下泰平と万民幸福を祈念し、その勅によって940年の天慶3年に鞍馬山の地に遷宮をして「鞍馬寺」の鎮守社とし、都の北方鎮護を仰せつけました。 -
「靫明神(ゆきみょうじん)」とも呼ばれ、その名前は天皇の病や国難時に神前に靫(ゆき)を献じて平穏を祈ったことに由来します。また、例祭の「鞍馬の火祭」は、そのときに里人がかがり火を持って神霊を迎えたことによるものです。
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境内にはいくつかの社が並び、「岩上社」は祭神が事代主命と大山祇命です。葦原中国平定において建御雷神らが大国主神に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主神が答えると言いいます。そこで建御雷神が美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫りますが、8月に行ったクルーズで寄港した「境港」に入港する前に見えたのがその地でした。
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「冠者社」の祭神は素戔嗚命で、ここでは商売繁昌の神として祀られています。「古事記」にも出てくる素戔嗚尊の名を知ると、美保ヶ崎と対峙するように見えた伯耆大山のことも思い出されます。
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「願掛け杉」
幹周り6.42メートル樹高53メートルで樹齢約は800年と伝えられます。。境内には京都市の天然記念物に指定された杉が3本ありますがこの杉が最も大きく、根本には「大杉社」という小さな祠があります。 -
「 拝殿」まで下ってきました。この建物は上から観ても通常の寺社建築では見られない不思議な形をしています。
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「拝殿」
参道の石段によって左右に二分されて中央を潜り抜けられる造りは「割拝殿」と呼ばれるもののようです。江戸1607~1615年から1615年に豊臣秀頼により再建されました。一重入母屋造に檜皮葺の唐破風屋根を配した神楽舞台のような珍しい桃山時代の建築物です。 -
一礼して鳥居をくぐり見返すと大きな杉の古木が均等に3本並んで見送ってくれているようです。ここからケーブルカー乗り場はすぐで、ちょうど妻も降りてきたところでした。
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鞍馬駅に戻る途中に「渡辺木の芽煮本舗」で木の芽煮と実山椒などを買い求めます。
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店内には古い天狗の面が掛けられていました。お面には木彫りのものと張り子のものがあると店の方が教えてくださいました。
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散々天狗の面を見過ぎたせいか店の前に停まっていたトヨタC-HR HVSまで天狗のお面に見えてきました。
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「鞍馬駅」までほぼ予定通りで、お昼前に戻ってこれました。
鞍馬駅 駅
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ガラガラの電車に乗って「貴船口駅」まで戻ります。お昼は川床で美味しい料理をいただきます。
貴船口駅 駅
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