2024/09/29 - 2024/09/29
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あおしさん
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日本最北端のローカル線、旭川と稚内を結ぶ宗谷本線。
今回は稚内から旭川まで鈍行列車で移動しました。
本当は最北に向かう方が気分が盛り上がりますが、1両のデイーゼルカーは混んでいそうだし、1日3本しかなく、都合のいい列車は稚内発10時28分の稚内発旭川行だけ。
天気も良く、北海道の雄大な景色、利尻富士などの車窓を楽しみました。
https://www.youtube.com/watch?v=sFo72KmTPVw
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列車の出発時間まで多少時間があったので、稚内駅近くの稚内公園に寄ります。
丘の上にある公園なので、登っていくのは多少しんどかったですが、稚内市街が良く見渡せました。稚内公園 公園・植物園
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稚内のシンボルのひとつ、稚内公園内にある氷雪の門。
終戦末期、ソ連軍が当時日本の領土だった樺太に攻め込んできたため多くの日本人が亡くなりました。
樺太で亡くなった方への慰霊のために昭和38年建てられたものです。氷雪の門 名所・史跡
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「9人の乙女の碑」
終戦の日の5日後の8月20日。
ソ連軍が攻め込んできたとき、樺太の真岡(現在はロシア・サハリン州 ホルムスク)の郵便局の電話交換手だった女性9名は最後まで業務に携わり、最後は青酸カリで自決しました。
「皆さん これが最後です さようなら」と最後の言葉が彫られていました。九人の乙女の碑 名所・史跡
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今日は天気がいいので、ここからかつての日本の領土・樺太島が見えました。
写真ではよくわかりませんでしたが。
10年前稚内からフェリーで現在のサハリンに渡り、サハリン観光したものですが、今はウクライナ戦争の関係もあり、サハリンには渡れないようです。 -
稚内公園から稚内駅に下っていく途中には数匹の鹿(家族みたいでした)も見つけました。
北門神社 寺・神社・教会
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稚内駅に戻ると、名寄行の1両のデイーゼルカーが停まっていました。
かつては何両もの長大列車が行きかった宗谷本線も今は利用者も少なく、普通列車は1両で運行されています。稚内駅 駅
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むかしからの稚内駅の歴史を見てきた「日本最北端 稚内驛」の看板。
稚内駅は今まで何度も建て替えられてきましたが、この看板は昔から健在です。 -
車内は空いていました。
土日の下りの列車は1両のデイーゼルカーが立ち客もでるほど、混雑していましたが、上り列車は「読み」通り空いていました。 -
稚内駅を10時28分に出発。
4分で稚内市の中心、南稚内駅へ。
この駅でも数人が乗車してきました。南稚内駅 駅
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南稚内駅を発車して、数分もすると市街地を抜けてサロベツ原野と稚咲内海岸に出ます。
車窓には利尻富士。
ここでは運転手さんが列車の速度を落として、「右手に利尻富士がきれいにみえます」と観光バスのような車内放送をしていました。
この列車はバスと同様、運転手だけ、車掌さんのいない「ワンマン」列車です。 -
南稚内駅の次が、抜海駅。
市街地にある稚内駅、南稚内駅と異なり、最果ての雰囲気を残す木造の駅舎の駅です。
残念なことに来年の3月で廃止が決まりました。
記念訪問か、何人かの人が降りて、乗車してきました。抜海駅 駅
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抜海駅を出た後は、サロベツ原野の中を勇知駅、兜沼駅、豊富駅、下沼駅と小さなローカル駅に停車します。
中東系の1人旅の若い人は兜沼駅で降りていました。
こんなへき地のローカルな駅で降り立つなんてすごい情報ツウ。
またこのあたりでは牛の牧場も多く見られます。兜沼駅 駅
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また利尻富士が見えてきました。
約30分間は車窓に利尻富士が見えました。
冬になると真っ白な利尻富士も美しい山です。豊富駅 駅
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稚内駅から約1時間、幌延駅に到着しました。
幌延駅は人口約2000人の幌延町の中心駅。
かつてはここから日本海沿いに留萌市までの国鉄羽幌線が分岐していましたが、昭和末期に廃止。
幌延町はかつて昭和から平成にかけて高レベル放射性廃棄物中間貯蔵施設の建設を巡って町内が大荒れ、「幌延問題」として全国に知られました。
ここで12分停車。
ちょっと一服タイム。
特急列車「宗谷」とここで交換。幌延駅 駅
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幌延駅を出ると、日本海と別れて、原野の森林の中を走っていきます。
かつては上幌延駅、安牛駅などの駅がありましたが、集落が無人になり、駅も廃止。
そのため、駅の間の距離がとても長いです。
故ポール牧さんの出身地・雄信内駅に到着。
風雪に耐えた木造駅舎のある風情のある駅ですが、ポールさんがこどものころは人口2000人もいた大きな町だった雄信内も今は無人の原野となり、この駅も来年廃止されます。雄信内駅 駅
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宗谷本線は日本海と別れると、今度は車窓には日本海にそそぐ大河・天塩川が並行してきます。
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秘境駅・糠南駅、小さな集落が残っている問寒別駅、廃駅となった旧歌内駅と過ぎて天塩中川駅へ。
天塩中川駅は人口1200人の中川町の中心駅。
町の中心駅ながら、無人駅です。
中川町では恐竜の化石が多く発見され、推定で11メートルのクビナガリュウは日本で発見された恐竜の中では最大とされています。天塩中川駅 駅
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中川町は日本海と大雪山を結ぶ天塩川のちょうど中間地点。
右手にさらに川幅が広い天塩川に沿って、宗谷本線の列車は走っていきます。 -
幌延駅から約1時間、宗谷本線のちょうど中間地点である音威子府駅に到着しました。
音威子府駅 駅
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「おといねっぷ」、この駅を始めて知った時は、いかにも北海道らしい駅名と思ったものです。
宗谷本線を代表する駅と言えるでしょう。
かつてはここからオホーツク海沿いを経由して稚内に向かう天北線が分離して、この駅と音威子府の町は「鉄道の町」として栄えました。
現在の音威子府村は人口600人にまで減ってしまいました。 -
音威子府駅から、中心駅・美深駅を残して、他の6駅はすべて廃駅になってしまった美深町を通って、約45分でこの列車の終点、名寄駅に到着しました。
長年の風雪に耐えた立派な駅舎が健在です。
かつてはこの駅から名寄本線と深名線が分岐し、「鉄道の町」として、また対ソ連に対する自衛隊の町として名寄町は栄えました。名寄駅 駅
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名寄駅から旭川駅までは利用者も増え、列車本数も3倍ほど増えます。
名寄駅で旭川行の列車に乗り換えます。
1両ではありましたが、この列車は大入り満員でした。JR宗谷本線 乗り物
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約1時間半で旭川駅に到着。
人口32万人、北海道第2の都市・旭川市の中心駅にふさわしい大きな駅です。
都会に戻ってきたー、と感じさせる駅です。旭川駅 駅
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旭川空港から東京へ戻りますが、フライトの時間まで多少時間があったので、旭川市街地にある市民の憩いの公園・常盤公園へ。
常盤公園は旭川市街の中心にあり、旭川で初めて整備された公園です。
公園内には、旭川開拓の功労者である永山武四郎や初代北海道朝刊・岩村通俊の銅像をはじめ、多くの記念碑がありました。常磐公園 公園・植物園
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旭川のシンボルの橋であり、常盤公園のそばにある旭橋。
北海道で一番の大河・石狩川を渡る橋です。
この橋は昭和7年に造られました。旭橋 名所・史跡
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旭橋の上から石狩川に沈む夕日を見ました。
旭川空港 空港
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