2024/09/27 - 2024/09/27
59位(同エリア122件中)
あおしさん
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暑かった今年の夏も北海道の最北端・宗谷地方は秋の雰囲気です。
秋の宗谷地方に2泊3日で行きました。
初日は最北端の温泉街とも言われる豊富温泉へ。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
羽田からANAで稚内まで2時間弱。昼過ぎに到着。
速いものです。
学生時代は上野発の夜行列車に乗り、朝・青森について青函連絡船に乗り、夜札幌に到着、さらに夜行列車で稚内まで夜行連泊36時間かかったことを思えば「隔世の感」があります。
稚内空港から市内までの連絡バスは、普通のバス。
1日4便しか往復しないローカルな空港だとこれで十分なんでしょう。稚内空港 空港
-
連絡バスで30分。
稚内駅に到着しました。
かつては重厚な駅舎だった稚内駅でしたが、今は道の駅、バスターミナルと一緒になったきれいな駅になっていました。
お土産物店、食堂、観光案内所、映画館もあり、wifiも使えて便利にはなりましたが、風情のある駅舎が無くなってちょっと残念な気持ちも。道の駅 わっかない 道の駅
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かつての稚内駅。
昭和40年に建てられた重厚な駅舎は最果てに来たという思いをさせてもらったものでした。 -
駅舎の入り口にあった記念写真スポット。
「日本最北端 稚内駅」の木製の看板はホームに残されていました。 -
稚内駅は建て替えられて駅舎の配置が変わったようです。
かつて駅構内にあった終点の線路は今は駅前のモニュメントになっていました。日本最北端の線路のモニュメント 名所・史跡
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かつての稚内駅構内。
線路の際にこの車止めがありました。
駅周辺の建物もすべて撤去されて駅前公園になったようです。 -
今日は天気はいまいち、曇り時々雨。
こういう日は海や丘など自然を見ても今一つなので、とりあえず駅周辺を歩いてみました。
稚内駅から歩いて10分のところにある瀬戸邸。
戦後から昭和40年代、稚内は「底曳網漁」でとても栄えました。
その底曳網漁を営み、稚内の名士だった瀬戸常蔵の邸宅です。
昭和27年に建てられました。旧瀬戸邸 名所・史跡
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北海道は戦前は「ニシン漁」で稚内、留萌、小樽などが栄えましたが、沿岸でニシンが来なくなると、戦後は自ら漁場へ出向く底曳網漁で栄えました。
特に戦後の食糧難時代は日本の食卓を支えていると言われたほどです。
昭和40年代には何百もの底曳船で稚内の港は大いににぎわいました。
しかし200海里問題により、底曳網漁の時代は終わっていきます。 -
昭和39年、「大相撲稚内場所」が行われたときは、この瀬戸邸では迎賓館の役割もあったようで、横綱などが瀬戸邸を訪問しています。
当時は柏戸、大鵬の「柏鵬時代」。
特に大鵬は、子どもの好きなものは「巨人、大鵬、卵焼き」と言われたほどの人気力士でした。
大鵬の色紙も展示されていました。 -
瀬戸邸における当時の宴会の再現です。
この大広間に多くの名士が接待されたのでしょう。
瀬戸邸は、吉永小百合さんと堺雅人さん主演映画「北の桜守」でもロケ、舞台として使われました。
吉永さんの部屋は現在も残る茶室が使われたそうです。 -
稚内は戦前は樺太、現在のロシア領・サハリンへの出発地。
稚内駅に列車で到着すると、樺太に渡る人はこの通路を通って船に乗っていきました。
古代ローマ遺跡のような立派な通路は有形文化財として残されています。
今から15年前、ここから私もサハリンに船で渡りましたが、今でも稚内とサハリン航路は運行されているのでしょうか。稚内港北防波堤ドーム 名所・史跡
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それにしても稚内駅前のさびれぶりはすさまじいものです。
わたしが学生のころは、周遊券を使って自由に北海道を旅する若者で大賑わい、お店も多く活気があったのですが、駅前商店街はシャッター商店街どころか廃虚商店街でした。 -
今日の宿泊は「ゲストハウス・モシリパ」。
ゲストハウスにはめったに泊まらないのですが、ここはかつてユースホステルで学生時代何度か宿泊したので懐かしくなってここにしました。
チエックインを済ませて、再度外出します。ゲストハウス モシリパ 宿・ホテル
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天気が悪いので今日はカーシエアで4時間だけクルマを借りて、豊富温泉に行くことにしました。
豊富温泉はアトピーをはじめ、湯治にとても効果があるとされる温泉です。
途中通過した徳満集落。
かつてここには、長い間の風雪に耐えた重厚な駅舎を持つ徳満駅があったのですが、3年ほど前に廃止。
駅の跡です。 -
晩年の徳満駅。
廃止直前には重厚な木造の駅舎は取り壊され、プレハブの待合室だけになっていました。 -
驚いたのは駅前。
かつては駅前の道路には何軒も家々が並んでいたのですが、今は公民館である「徳満会館」と家は2軒だけ。
しかも今は無人のようです。
駅廃止と同様、この集落も人がいなくなって消滅してしまったんでしょうか。
北海道には消滅したような集落がいくつも見られます。 -
20年前の徳満駅前。
「徳満会館」を中心に家々が並んでいて、ご老人が犬の散歩していたし、下校中の小学生が数人歩いていたのですが、現在残っているのは、その「徳満会館」とその前の家だけで(しかも空き家)、ほとんどの人はいなくなってしまったようです。 -
太陽が出てきたので、徳満集落にある「宮の台展望台」へ。
かつてここはサロベツ展望台と呼ばれ眼下にはサロベツ原野の雄大な景観が見られます。
昭和38年、今年88歳になられる常陸宮義宮殿下がここを訪問されてから、「宮の台」と名前が変わりました。
今から40年ほど前、冬の徳満駅で降りて、雪の中の展望台から雪一面のサロベツ原野に沈む夕日を見たときはとても感動しました。宮の台展望台 名所・史跡
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豊富駅前の観光案内所に立ち寄ります。
ちょうど特急列車が到着しました。
稚内まで続く最果ての鉄道・宗谷本線は今は特急が1日3往復、普通列車は上下7本しか列車がありません。
豊富駅も町の中心駅であり、豊富温泉への観光地駅なのに無人化されていました。
ただ、観光案内所に豊富駅のスタンプがあり、きっぷも販売していました。豊富町観光情報センター 名所・史跡
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夕日が見えてきたので、豊富駅から海岸に向かってサロベツ原野の中の道路を走りました。
北海道の広大な湿原に沈む夕日は今もとても大きく美しく見えます。サロベツ原野 自然・景勝地
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海沿いにある稚咲内という集落にきました。
海岸沿いの港を中心とした集落です。
海に沈む夕日を見たかったのですが、雲が出てきて見られませんでした。稚咲内海岸 自然・景勝地
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稚咲内海岸の駐車場にある「サロベツ海岸」の看板。
かつてはここは記念写真スポットだったのでしょうが、文字は剥げ、草に埋まっていました。
ここから海岸への遊歩道も草に埋もれてしまっていました。
かつてここに路線バスで来た時は原野の中に小学校もある集落に驚き&感動したのですが、集落は残っているものの、路線バスは廃止され、小学校も閉校して廃虚となっていました。
住んでいる人も少なくなっているのでしょう。 -
海岸からUターンして豊富駅から内陸に6キロほどのところにある豊富温泉。
温泉街はないものの、旅館やホテルが並びまずまず活気があるようです。豊富温泉 温泉
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日帰り入浴はふれあいセンターへ。
510円と安く、夜8時まで食堂も空いていてとても便利。
温泉はしょっぱい味のする塩温泉でした。豊富町ふれあいセンター 温泉
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ゲストハウスに戻ってきました。
むかしのユースホステルはどんなだったか全く思い出せませんでしたが、ロビー食堂はきれいにリフォームされているようでした。稚内モシリパユースホステル 宿・ホテル
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部屋はユースホステルと同じく8人部屋の相部屋。
2段ベットが4つ。
この部屋はまさにユースホステルで、懐かしい感じがしました。
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稚内モシリパユースホステル
3.06
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