2024/05/14 - 2024/05/24
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薔薇の咲く庭さん
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東京港を出港してそろそろ一週間。船旅にもだいぶ慣れてきました。昨日の台湾の九份での階段上り、十分のランタン飛ばしでかなりエネルギーを使った感じで、7日目の終日航海日はちょうどよい休憩日となりました。
そして、8日目はいよいよ長崎に入港です。どこの港に着くのかが分からず出た所勝負の状態でしたが、松が枝国際ターミナルに着き、船から陸を見るとグラバー邸が見えて安心しました。
長崎には2年前の5月に軍艦島、ハウステンボスを見に来ているので観光していない所を探しました。鳴滝塾のあったシーボルト邸に行くことにしました。また、前回の訪問で食べることが出来なかった卓袱料理もいただくことにしました。
5月14日 乗船 東京国際クルーズターミナル
5月15日 終日航海 ガラナイト
5月16日 鹿児島 西郷隆盛像 城山展望台
5月17日 済州島 西帰浦市(ソッポギ)天地滝 オルレ市場
5月18日 終日航海 仮面舞踏会
5月19日 基隆港 九份 十分ランタン飛ばし
5月20日 終日航海 仮面舞踏会
5月21日 長崎 浦上天主堂 卓袱料理 シーボルト記念館
5月22日 油津港 飫肥城跡
5月23日 終日航海
5月24日 東京港
この旅行記は第7、8日目の終日航海日、長崎の様子を記録して書きました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- 船 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今朝も快晴です。台湾を出港して長崎港に向かっています。やはり北へ向かっているので気温が次第に低くなっているような感じを受けます。
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7日目は終日航海日なのでゆっくりと朝食を食べることが出来ます。昨日の疲れも今日の休憩日で取れそうです。生花が飾られていて、航海上とは思えないところが素晴らしいです。
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デッキ2のブリタリアンレストランへと朝食を食べに行くことにしました。
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お皿を見て気が付いたことですが、一つ一つのお皿にクイーンエリザベス号のマークが入っているお皿を使っているのです。驚きました。それだけこの船のグレードを高くしているのですね。何しろ初日のサラダボールの代わりのお椀の印象が強くてあまり食器にはこだわりがないかと思っていたのです。
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ブリタニアレストランの階段です。中にデッキ3へと続く階段があります。
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今日も前回と同様にエッグベネディクトを注文しました。1つ注文したはずなのに何故か2つお皿に乗ってきます。食べ切れない量です。
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ボーイさん達が言うメニューの「弁当」です。お味噌汁と海苔とお漬物とご飯がとても美味しく感じられました。
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今日は何も予定が入っていないので、とりあえずデッキ9にあるプールへ行ってみました。誰も泳いでいません。
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プールの脇にある卓球台でプレイをすることにしました。夫を相手にラリーをしていると傍で見ていたニュージーランドから来た方が「上手ですね」と褒めてくれました。「ニュージーランドを知っていますか?」と聞かれて驚きました。ニュージーランドは世界の中ではかなり有名な国だと思います。「もちろん知っています」と答えてラケットとボールを渡して交代しました。ラケットをどのように持つのかを聞かれたので、見せると「ペンの持ち方ですね」とかなり卓球に詳しい様子。彼は両面ラバを使うシェイクハンドの持ち方でした。今考えてみるとダブルスのゲームを一緒にすると面白かったと思います。
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この日の夜はレッド&ゴールド・ガラ・イブニングでした。ゴールドのジャケットとエジプトで買ってきた民族衣装のピンク&ゴールドを着て夕食に行きました。
エジプトの民族衣装を着ていても違和感がない所が面白いです。この船の世界はやはり「非日常の世界」なのですね。凄く裾が広がったドレスを着ている女性がいました。中世に出てくるお城のお姫様かと思いました。 -
夕食の前菜です。えびがプリプリしていておいしかったです。
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サラダ。どんな味だったか覚えてはいません。
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野菜スープ。カレー風味のように見えますが、味は覚えていません。
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とても不思議に思いますが、なぜか食事についてくる割り箸は中国産なのです。大量に購入しているのでしょう。クイーンエリザベス号のレストランには似合わないように思います。一緒に食事をしていたM さんも田中さんも同様の意見でした。
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メインディッシュ。柔らかい牛肉でした。
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このデザートの名前はアラスカがついていました。甘みがかなり強くて、最後まで食べきるのが大変でした。
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夜はロイヤルコートシアターで手品を楽しみました。見ごたえのある手品でした。国際受賞マジシャンでギネス記録保持者のマーク&ピンキーです。東洋系の若い男性のマジシャンでした。
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クイーンエリザベス号には日中にソーシャルダンスのレッスン教室があり、夫と一緒に参加していました。その教室のダンスイラストラクターのパフォーマンスが夕食後にクイーンズルームで披露されました。さすがのダンスです。
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とても難しいステップをいくつも組み合わせて素敵なダンスを披露してくれました。この夜はレッドゴールドガラナイトで赤かゴールドをどこかに身にまとっています。
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さて、次の日。目が覚めるともう長崎港に到着していました。
長崎港ターミナル 乗り物
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いったいどこに着岸しているのか?と右舷の方角を見ると、見覚えのある建物。
大浦天主堂ではありませんか! よかった! 地理的にわかるところに着岸しているようです。 -
あの屋根は、グラバー邸。2年前に来てあそこから港を見下ろしています。
クイーンエリザベスからグラバー邸を見るとは! こういう日が来るとは思いませんでした。 -
左舷に伊佐山展望台が見えます。ここから見える長崎港の夜景はステキで、レストランで食事をしながら夜景を眺めた2年前を思い出します。
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出発前に、突然場面が変わりますが、前日に時間切れで洗濯を終了することが出来なかったランドリーに洗濯物を取りに行きました。各デッキに3台しかないので順番待ちで大変です。中には1時間も待っている人がいました。寄港地にいる時にはとても時間がもったいない。もっとたくさん設置してほしいと思いました。
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船の外に出ると、珍しい風景を見ました。船体に水をかけて掃除をしています。デッキ3くらいまでは水が届きそうですが、それ以上は難しそうです。デッキ9のリドレストランの窓ガラスの掃除はドックに入らないとできないのかもしれません。
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下船して振り返るとクイーンエリザベス号はやはり大きな船だと思います。まるで1つのビルのようです。
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長崎港松の枝国際ターミナルを出て大きな通りが目の前にありました。向かい側にはとてもクラシックな建物があります。後で調べてみると、長崎市旧香港上海銀行記念館でした。下船したばかりに目の前に現れたので、外国にきたような感じを受けました。
長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館 名所・史跡
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目の前の通りです。この通りはとても大きな通りで幹線道路でした。この通りをしばらく歩くと、
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なんと右側に大浦天主堂が見えました。すぐそこに見えるので寄ってみることにしました。2年前に長崎に来た時にも訪れていますが、もう一度訪れてみても悪くありません。それだけの価値があります。
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途中でワンチャンに会いました。のんびりと何かを待っているようです。動物を見ると癒されますね。
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迫力があります。信者の熱い思いが伝わってくるような建物だと思います。とてもきれいです。
浦上天主堂 寺・神社・教会
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記念撮影をしました。
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前回は、教会だけ見学しましたが、この日は脇にある資料館に入っていろいろな資料を見ました。資料館から見た大浦天主堂です。また違う教会に見えます。
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お昼は卓袱料理を予約してあったお店に行きました。
ここのお店ではクエのお刺身を食べることができます。とても楽しみにしていました。前から一度食べてみたいと思ったからです。長崎卓袱浜勝 グルメ・レストラン
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最初は前菜のお刺身が出てきました。なかなか美味です。
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次は大鉢が出てきました。
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これがメニューです。
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これはお椀。紅白の色合いがきれいです。
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ここでクエのお刺身が出てきました。食べてみましたが、期待したほど味がありませんでした。こんにゃくみたいで、ちょっとがっかりです。お勘定をする時になってひときれ900円とわかり驚きました。まぁ、食べてみたので話の種になりそうです。
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お店の中の様子です。落ち着いた静かな店内でした。予約がないお客さんは待たされることがあるそうです。
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これは揚げ物だったと思います。メニュー表によるとハトシです。
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これは、大鉢の中のあさり、茄子揚げ浸し、竹の子の土佐煮だと思います。
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中鉢です。長崎県産豚の角煮、ブロッコリーです。なかなかおいしかったです。
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スープは、小松菜とキクラゲの中華スープでした。香物はきゅうりの焼酎漬け、昆布の佃煮、紅芯大根の麹漬けです。
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水菓子はすいか寄せ、お椀は、お汁粉と白玉桜花でした。
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記念撮影をしました。
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時間を置いて次々に持ってきてくれたので、全体はよく解りません。最後に献立の写真を撮ってきました。写真を見るとかなり豪華な感じがします。おいしい卓袱料理でした。
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すぐ近くにある思案橋の停留所から市電に乗り、西浜町で長崎電軌5系統に乗り換え新中川町駅まで行きました。
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市電の中の様子です。ほんとにこの乗り物は便利だと思います。行きたい所へ自由に行くことができるからです。
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長崎電気軌道5系統の終点は蛍茶屋でした。西浜町で乗り換えましたが、接続してるので、思案橋から新中川町までは1つの区間として計算されていることがわかりました。Suicaを使うことができます。便利でした。
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新中川町の駅から歩いて7 、8分。シーボルト記念館とシーボルト宅跡の案内板を見つけました。もう少しで目的地に到着です。
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街の掲示板を見て驚きました。この辺は鳴滝町の名前の街になっています。「鳴滝」の名前が今でも残っているのです。
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やがて、小高いところに広場が見えて、たくさんのプランターが置いてありました。
ここがシーボルトの宅地跡のようです。 -
なるほど長方形に整地されています。ここに建物があったと考えられます。
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確かにここがシーボルト宅跡でした。
シーボルト宅跡 名所・史跡
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薬草が植えられていた庭ではないかと思います。
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先へ進むとシーボルトの像がありました。
シーボルト像 名所・史跡
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シーボルトと鳴滝塾、紫陽花と書いてある解説があります。「1823年出島オランダ商館医として来日したシーボルトは、翌年、長崎奉行の許可を得て、この鳴滝の地に学塾を開きました。鳴滝塾で、患者の治療や、全国各地から集まった多くの門弟たちに西洋の進んだ学問や科学的な思想を教え、その一方で、門弟たちの協力を得ながら積極的に日本研究を行いました。ここで学んだ門弟たちの中には、その後幕末に活躍した蘭方医も多く、鳴滝塾は、わが国における西洋、近代科学の発祥の地として、日本の近代化に大きな役割を果たしました。
シーボルトは、日本の植物について積極的に研究を行っており、ヨーロッパに帰った後「日本植物誌」を出版しましたが、この中でアジサイ属については多く取り上げています。特に、日本における妻お滝さんにちなんで、アジサイの学名を「ハイドランゲア・オタクサ」と名付けた事は大変有名な話です。美しく咲くあじさいに最愛の人の面影を重ねたのか、シーボルトの人柄が偲ばれるエピソードです。」と書いてありました。 -
この宅地後から、シーボルト記念館へは道が続いていました。坂道を上って行きます。
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入り口の近くにはアジサイの花が咲いていました。お滝さんはこの花のイメージの人だったろうと思います。薄い碧の可憐な花です。
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入り口につきました。
シーボルト記念館 美術館・博物館
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記念館の中には珍しいものがたくさんありました。これは幕末などに使われていた聴診器だそうです。
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シーボルト外科器具。複製だそうです。シーボルトの娘の榎本いねに与えたものだそうです。
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当時使われていたメスは現在使われている物とそう変わりは無いようです。
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産科かんし。出産が遅れたときに、胎児の頭を挟んで引き出すための器具だそうです。この当時も出産が遅れることがあると、このような器具を使っているのですね。
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シーボルトの直筆のようです。なんて書いてあるのか全く判りません。解説もありませんでした。
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鳴滝塾の模型がありました。「伝」と書いてあるので伝え聞いていたものを復元したようです。中はどのようになっているのか興味がありますね。
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実際に作られた模型が少し離れたところに展示されていました。
書庫があったそうです。 -
写真がありました。鳴滝塾舎の写真です。鳴滝の名前は京都の鳴滝にあやかってつけたそうです。50人以上の門弟がいました。西洋医学、自然科学を教え、庭には薬草を植えたそうです。
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鳴滝塾と言えば、高野長英が有名です。肖像画がありました。50人以上の門弟がいたそうです。かなり大きな規模だと思います。
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シーボルトが来日した1823年は日本は鎖国をしていましたから、国外へ持ち出せるものには限りがあったと思います。1825年に異国船打ち払い令が出されています。
シーボルトの日本研究で、日本で収集して持ち帰ったものの中に地図がありました。
シーボルト事件です。当時は日本国内に日本地図を持ち出す事は禁止されていたので、シーボルトは国外追放されることになったのです。 -
踏み絵の様子を描いた絵がありました。
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シーボルトはドイツに帰ってから日本についての本を書いています。3大著作の1つは「日本動物誌」だそうです。たくさんの美しい図版が収められているそうです。
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これは「日本」です。復刻版です。シーボルトが日本での調査をもとに、1832年から約20年かけて執筆・分冊した本だそうです。西洋の学者による日本研究の中でも不朽の名著とされているそうです。幕末には来日したアメリカのペリー提督が参考にしたそうです。
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滝よりシーボルトへの手紙の記事がありました。
読んでいるととても悲しくなります。シーボルトにとって滝はどういう存在だったのでしょう? 滝を連れて日本を去るべきだったと思います。残された滝もいねも生きていくのに大変な思いをしただろうと思います。
この時代の女性は、自分の考えを持つことが難しかったんでしょうね。 -
シーボルトは1861年に再来日しています。その時に再婚相手との間にできた子どもの長男アレクサンデルを連れてきました。
滝といねとの再会については何も書かれていませんでした。どうだったんでしょう?
長男のアレクサンデルは、その後日本に住むことになります。いねがアレキサンドルととても仲良くしていた事は後で調べてわかりました。 -
榎本いねの写真がありました。滝の苗字は榎本だったので、娘のいねも榎本の姓を名乗っています。日本人離れした顔立ちです。いねの娘の高子は、銀河鉄道999のメーテルのモデルになったそうです。とても美人だったのですね。
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シーボルトのお墓はドイツのミュンヘンにあるそうです。シーボルトはドイツのヴュルツブルクの出身で貴族階級です。ヴェルトゥルノ大学で医学を学んでいます。私はヴュルツブルクに2017年に行っています。静かな落ち着いた街だったことが記憶に残っています。小高い丘の上に領主の館(マリエンベルク要塞)がありました。
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お滝のお墓は、長崎にあるお寺にあります。シーボルトと出会って稀な人生を送りましたね。
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日本植物誌の復刻版がありました。シーボルトの死後刊行された第二版はアジサイなど150枚もの、美しい図版が収められているそうです。
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シーボルトが収集した日本資料が、今でも、ライデン国立民族学博物館に収められているとの記載がありました。
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ライデン大学の植物園の写真が掲示されていました。いつのものかは分かりません。
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実は、私と夫と長男は「TD兼ガイド兼MD」の長男の案内でライデン大学へ2009年に行っています。早いものでもう15年も前になりました。
ライデン大学は1575年創立のオランダ最古の大学です。これはライデンへ行った時の写真です。大学の中を通って植物園に行きました。ライデン大学には確かに植物園があり、薬草がたくさん栽培されていました。植物園の中も見学して来ました。 -
ライデン大学の中には日本庭園がありました。奥に見えるのはシーボルトの像です。
立っているのは長男です。 -
ライデン大学とシーボルトとは関わりがあり、日本を追放されてから大学の近くに住んでいたということです。シーボルトはドイツ人医師ですがオランダのライデン大学で研究していました。
江戸時代に蘭学、特に西洋医学普及に貢献した功績が大きいです。
長男がシーボルト大先生と記念撮影をしました。 -
「この建物は茶室という解説です。一休みしています。ホッとします。こんな所に日本の家があるとは思っていなかったので」
と当時に書いた旅行記では日本庭園の茶室を表現していました。
日本庭園の周りの壁が赤に塗られていて中国と日本とを混同しているかのように思った印象が残っています。 -
ライデンの街の風景です。きっとシーボルトが暮らしていた頃とあまり変わりないのではないかと思います。
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終了を予定していた時刻になったので、シーボルト記念館を後にしました。
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別の角度から記念館の下にある公園を撮影しています。説明書きがあるので行ってみました。
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この図から考えるとシーボルトの鳴滝塾があった場所は、シーボルト記念館の場所です。
「外国の安政6年(1859)再来日を果たした。シーボルトは、この地方日本における子毎年日本各地の珍しい植物を取り寄せて植物園を作るなど、再び成滝を拠点として日本研究を継続しました。この地はわが国における西洋近代科学発祥の地であるとともに、日本が広くヨーロッパに紹介された研究活動の拠点であり、日本の近代化並びに国際交流に大きな役割を果たした」と書いてあります。 -
日本史の教科書で学んだシーボルト。ここを訪れて知識と見聞とが一致した感じがします。シーボルトの子孫は「榎本」と名乗り6代目の方が現在私の住んでいる近隣の市で歯医者さんを開業しています。自分の子孫が活躍していることをシーボルトはきっと喜んでいることでしょう。
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新中川町駅から長崎電気軌道5号線に乗り乗り換えなしで、クイーンエリザベス号が停泊している最寄りの駅(大浦海岸通)まで来ることができました。
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海岸に沿って遊歩道を歩きます。船が見えると安心します。
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今日の船の入り口は、デッキ2でした。デッキ1も開いていましたが、人の出入りはできないようです。階段を上ってデッキ2から入りました。日によって出入り口が変わります。
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岸壁と船とはどのように接続されているのかをよく見てみました。クッションのようなものが所々にあり、岸壁に直接に船体が触れないようにしてあります。
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グラバー邸の屋根が見えます。あそこの近くにあるコーヒー屋さんから港を見下ろしながらコーヒーを飲むととてもおいしいです。また飲みたいものです。
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デッキ2から船に入ったので、グランドロビーの階段を上ってデッキ3に上がりました。なかなか豪華ですね。こうやって見ると。
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しばらくして出港しました。船を見送るセレモニーがありましたが、、残念ながら反対側で行われていたので見ることが出来ませんでした。後で聞くと、長崎県立長崎南高等学校ブラスバンド部による特別演奏でとても素敵だったそうです。残念でした。
ベランダで船が進んでいくのを見ていると長崎がどんどん遠くなっていくのがわかります。 -
2年前に長崎に来た時、女神大橋の近くへ橋を見に行きたいと思っていました。しかしその機会はありませんでした。
船は次第に女神大橋に近づいていきます。多分この橋の下を通るのです。ラッキー!じっくり見ることができそうです。 -
夕日が橋の塔にかかって、とても素敵な写真が撮れました。女神大橋と言う名前は素敵ですね。ビーナスウイングです。長崎市南部と西武を最短距離で結ぶことによって、市内中心部の慢性化した交通混雑を緩和し、地域全体の産業、経済、文化の活性化を図る目的で建設されています。
女神大橋 名所・史跡
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この写真もなかなかいいですね!
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夜間はライトアップされているそうです。傾斜張橋と言い塔と桁を斜めに貼ったケーブルでつないで支える構造だそうです。とてもきれいに見えます。
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通り過ぎても橋を眺めていました。
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すると、あることに気が付きました。後から小さな船がクイーンエリザベス号を追いかけてきて、どんどん接近してきます。もうすぐぶつかりそうです。何が起きているのでしょう?
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ぶつかると言うよりも擦り付けている感じです。私は何をしてるのかと思いましたが、やがて1人の黒い洋服を着た人が船に飛び移りました。
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水先案内人だったのです。パイロットと書いてある字の後ろに立っている黒い洋服を着た人が手を振っていました。ご苦労様でした。湾の外まで水先案内をしていたんですね。
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船はUターンして港へ戻ってきました。私は初めて水先案内人が飛び移るのを見たので驚きました。夕食の時にその話をするとMさんは見たことがあると言う事ですが、船から落ちて死亡した人もいるそうです。水先案内人は一歩間違うと命を落とすことになりそうな危険な仕事なのですね。
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夕食メニュー。前菜です。生のサーモンがわさびを添えて出てきました。
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サラダなのですが、お米のような食材が使われていて、全然サラダのような感じがしませんでした。
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メインディッシュ。味は覚えていません。
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デザートはいつも美味しくいただきます。今日は華やかですね。
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夕食後、今夜はヨットクラブへ行ってみました。まだダンスの音楽はかかってはいませんでしたが、夫と少し踊ってみました。練習程度にワルツのボックスステップを踊ってみました。完璧に踊れるようになるまではまだまだ道は遠い。
~旅は続く~
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