2024/06/05 - 2024/06/05
251位(同エリア390件中)
滝山氏照さん
この旅行記のスケジュール
2024/06/05
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徒歩での移動
津和野城ー西周旧居ー森鴎外旧宅・森鴎外旧宅・記念館ーJR津和野駅
この旅行記スケジュールを元に
山口・島根県で気になる城跡を2泊3日の日程で訪問しました。
1.訪問期間
2024年6月3日~5日(2泊3日)
2.宿泊地
萩市街(6月3日)・益田市街(6月4日)
3.訪問先
萩城(山口県萩市)ー浜田城(島根県浜田市)ー石見七尾城(島根県益田
市)ー津和野城(島根県鹿足郡)ー高嶺城(山口県山口市)ー大内氏居館
(山口県山口市)
4.移動ルート
羽田ー山口宇部(飛行機)ー新山口(バス)ー萩(バス)東萩ー浜田
(J R山陰線)ー益田(JR山陰線)ー津和野(JR山口線)ー山口(JR山口
線)ー新山口(JR山口線)ー山口宇部(バス)ー羽田(飛行機)
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津和野城訪問の後は周辺の見学地を訪れます。西周と森鴎外の旧宅です。
二人は親戚関係で、旧居も小川を隔てた100mぐらいの距離で極めて近いです。
最初に訪問した西周宅ですがタイミング悪く建物全体が修復の工事中で、一歳見学不可能でした。
森鴎外については記念館と旧宅は見学可能でした。道路側のスペースは工事中で回り込んで入場することになり、まず最初は旧宅を見学、11歳に家族ともども上京するまでの間生活していたとのこと。質素な佇まいの建物です。
記念館は撮影禁止でUPできませんでしたが、鴎外の活躍ぶりが十分に紹介されていました。夏目漱石と並ぶ明治大正時代の文豪といわれていましたが同時に軍医としての履歴も全く見事で、4年間のドイツ留学期間中の鴎外ならではの躍動ぶりが窺えます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
森鴎外記念館
場所は国道9号沿いですが訪問時はあいにく一部が工事中でした。 -
森鴎外記念館・案内板
工事中ながら開館中とのことで案内板に従ってまわります。
(なお工事は令和6年4月ー9月とのことですが見学に支障はありません。) -
森鴎外旧宅・正門
路地から訪問したのが森鴎外旧宅でした。 -
森鴎外旧宅(全景)
鴎外は文久2年(1862)1月19日にこの家で生まれ、明治5年(1872)11歳で上京するまでここで過ごしています。 -
森鴎外旧宅・石碑
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森鴎外旧宅・内部
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森鴎外旧宅・見取図
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森鴎外旧宅・内部
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森鴎外旧宅・内部
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森鴎外旧宅・内部
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森鴎外旧宅・説明板
「 国指定文化財(史跡)
森 鴎 外 旧 宅
昭和44年10月29日指定
森鴎外(本名森林太郎)は、文久2年(1862)1月19日この家に生まれ、明治5年(1872)にて10才で上京するまでここで過ごしました。その当時の様子は作品「キタ、セクスアリス」の中にも描かれています。
森鴎外は、軍医総監陸軍省医務局長、帝室博物館長兼図書頭となる一方、文学者としても活躍し、明治大正を代表する文豪として夏目漱石と並び称されています。死に臨んで「余は石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と遺言し、大正11年(1922)7月9日60歳で永眠しました。
建物は嘉永6年(1854)に発生した大火の後に建てられたものと伝えられ、森家が東京へ移住した後、別の場所へ移築されましたが、昭和29年(1954)鴎外33回忌を機に町へ寄付され、この場所へ戻されました。その後、昭和60年に大規模な保存修復を行い現在に至っています。また、庭先の詩碑は、鴎外の「??」の詩を佐藤春夫の筆により建立されたものです。
平成7年(1995)にはこの旧宅に隣接して森鴎外記念館が開館し、鴎外の障害と功績を顕彰しています。
津和野町教育委員会 」 -
森鴎外記念館・玄関
-
森鴎外記念館・館内廊下
(内部は撮影禁止でした) -
JR山口線鉄橋
国道9号と並走しているJR山口線が見えます。 -
三本松城築城700年ポスター
津和野駅舎に三本松城築城700年のポスターが掲載されていました。紹介されている内容は下記の通りです。
「 津和野三本松城築城700年
津和野城は標高362mの霊亀山上にあり、山麓から比高は約200mの典型的な山城です。築城は吉見頼行・頼直が永仁3年(1295)から正中元年(1324)にかけて行ったと伝えられます。吉見氏が築城した中世山城は、関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601)に3万石の大名として入城した坂崎直盛によって、高石垣を有する近世城郭へと大改修されました。元和3年(1617)に稲葉国鹿野城より亀井政矩が4万3千石の大名として入城後は、亀井氏11代の居城として明治維新まで続きました。
津和野城は、本庄のほかに出丸(別名 織部丸)がある一城別郭の城であり、その間に大手道を設けるなど極めて実践的な山城でした。かつては本丸・二ノ丸に三重天守と櫓がありましたが、貞享3年(1686)の雷火で消失した後は再建されませんでした。
明治7~8年(1874~1875)に城の建物の大半は解体されましたが、現在も山上には段上に連なる壮大な高石垣が残っており、人力で行われた大土木工事の跡を見ることができます。なお、津和野藩の藩庁は、城山の北東側の山麓にありました。
中世山城の縄張りは南北約2キロにわたる長大な規模であり、近世山城の壮大な高石垣とかつて存在していた山城城郭建築群は日本一の規模といわれています。」 -
(津和野城を終えて最初に訪問したのは西周の旧居です。)
西周旧宅・入口 -
西周旧宅・工事案内板
残念ながら工事中で入館できません -
西周旧宅・玄関先
-
西周旧宅・庭園
建物はシートをかぶっており、やむなく庭園の一部を撮影します。
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