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山口・島根県で気になる城跡を2泊3日の日程で訪問しました。<br /><br /><br />1.訪問期間 <br /> 2024年6月3日~5日(2泊3日)<br /><br />2.宿泊地<br />  萩市街(6月3日)・益田市街(6月4日) <br /><br />3.訪問先 <br /> 萩城(山口県萩市)ー浜田城(島根県浜田市)ー石見七尾城(島根県益田 <br />    市)ー津和野城(島根県鹿足郡)ー高嶺城(山口県山口市)ー大内氏居館    <br />   (山口県山口市)<br /><br />4.移動ルート <br />    羽田ー山口宇部(飛行機)ー新山口(バス)ー萩(バス)東萩ー浜田     <br />  (J R山陰線)ー益田(JR山陰線)ー津和野(JR山口線)ー山口(JR山口    <br />    線ー新山口(JR山口線)ー山口宇部(バス)ー羽田(飛行機)

石見浜田 江戸初期藩主の外様古田重勝・重治(初代)・重恒(二代)並びに譜代松平周防守家一部藩主らを祀る「宝珠院・長安院」等散歩

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2024/06/04 - 2024/06/04

103位(同エリア133件中)

滝山氏照

滝山氏照さん

この旅行記のスケジュール

2024/06/04

  • 浜田城 ー 宝珠院 ー 長安院 ー 神石神社 ー 浜田市役所

  • 殿町 ー JR浜田駅

この旅行記スケジュールを元に

山口・島根県で気になる城跡を2泊3日の日程で訪問しました。


1.訪問期間 
 2024年6月3日~5日(2泊3日)

2.宿泊地
  萩市街(6月3日)・益田市街(6月4日) 

3.訪問先 
 萩城(山口県萩市)ー浜田城(島根県浜田市)ー石見七尾城(島根県益田
市)ー津和野城(島根県鹿足郡)ー高嶺城(山口県山口市)ー大内氏居館    
(山口県山口市)

4.移動ルート 
羽田ー山口宇部(飛行機)ー新山口(バス)ー萩(バス)東萩ー浜田
 (J R山陰線)ー益田(JR山陰線)ー津和野(JR山口線)ー山口(JR山口   
線ー新山口(JR山口線)ー山口宇部(バス)ー羽田(飛行機)

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス JALグループ 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • (1) 古田家二代藩主古田重恒墓所(宝珠院・浜田市真光町)<br />                                      <br /><br />古田家二代目藩主である古田重恒(ふるた・しげつね、1603~1648)は伊勢松坂藩主の古田重勝の長男として生まれますが、慶長11年(1606)に父死去するも幼少であったため家督は叔父の重治が継ぐことになります。<br /><br />元和9年(1623)重治から家督を譲り受け二代浜田藩主となりますが46歳で死去、しかしながら跡継ぎなく改易処分となりました。

    (1) 古田家二代藩主古田重恒墓所(宝珠院・浜田市真光町)
                                          

    古田家二代目藩主である古田重恒(ふるた・しげつね、1603~1648)は伊勢松坂藩主の古田重勝の長男として生まれますが、慶長11年(1606)に父死去するも幼少であったため家督は叔父の重治が継ぐことになります。

    元和9年(1623)重治から家督を譲り受け二代浜田藩主となりますが46歳で死去、しかしながら跡継ぎなく改易処分となりました。

  • 宝珠院・寺標<br /><br />当寺は護国神社より徒歩で約20分、浜田川を渡り更に南進して丘陵地に沿った地にある臨済宗妙心寺派の寺院です。<br /><br /> 

    宝珠院・寺標

    当寺は護国神社より徒歩で約20分、浜田川を渡り更に南進して丘陵地に沿った地にある臨済宗妙心寺派の寺院です。

     

  • 宝珠院・説明板<br /><br /><br /><br />山門の傍には下記の通り説明板が建っています。<br /><br />「 浜田藩第二代城主古田重恒侯墓所と宝珠院<br /><br />宝珠院(臨済宗・妙心寺派)は浜田藩主古竹の菩提寺であった。初代浜田藩主古田重治は、兄重勝以来の関ヶ原大坂の陣の戦功により、元和5年(1619)伊勢国松坂より浜田に移封、浜田城の築城、城下町浜田八町の町割りなどのかたわら原井村字折戸(今の浜田測候所?西付近)に慈賢寺(宝珠院の前身と伝えられる)を創立し、兄伊勢国松坂城主古田重勝(慶長11年、1606没)の霊牌を安置した。<br /><br />元和9年(1623)第二代浜田藩主となった古田重恒(重勝の子で重治の甥)は、寛永14年(1627)原井村字宮下(現在地)に宝珠院を創立して叔父重治(寛永2年、1625没)の霊牌を安置、あわせてわが菩提寺と定めた。後日慈賢寺廃寺となって以来重勝・重治・重恒の各位牌はこの宝珠院内に安置されている。<br /><br />重恒は、慶安元年(1648)江戸において46歳で没したが、継子なく改易となり浜田藩古田家は二代30年で絶えた。重恒の墓所は、東京芝高輪泉岳寺にあるがまた分骨して浜田寿伯院(在所不詳)に葬りのちここ宝珠院に移された。境内にある重恒の墓は当地で最大の五輪塔である。法号は休岩寺殿間雄宗三大居士と称する。<br /><br />    昭和60年6月<br />               浜田市観光協会 」

    宝珠院・説明板



    山門の傍には下記の通り説明板が建っています。

    「 浜田藩第二代城主古田重恒侯墓所と宝珠院

    宝珠院(臨済宗・妙心寺派)は浜田藩主古竹の菩提寺であった。初代浜田藩主古田重治は、兄重勝以来の関ヶ原大坂の陣の戦功により、元和5年(1619)伊勢国松坂より浜田に移封、浜田城の築城、城下町浜田八町の町割りなどのかたわら原井村字折戸(今の浜田測候所?西付近)に慈賢寺(宝珠院の前身と伝えられる)を創立し、兄伊勢国松坂城主古田重勝(慶長11年、1606没)の霊牌を安置した。

    元和9年(1623)第二代浜田藩主となった古田重恒(重勝の子で重治の甥)は、寛永14年(1627)原井村字宮下(現在地)に宝珠院を創立して叔父重治(寛永2年、1625没)の霊牌を安置、あわせてわが菩提寺と定めた。後日慈賢寺廃寺となって以来重勝・重治・重恒の各位牌はこの宝珠院内に安置されている。

    重恒は、慶安元年(1648)江戸において46歳で没したが、継子なく改易となり浜田藩古田家は二代30年で絶えた。重恒の墓所は、東京芝高輪泉岳寺にあるがまた分骨して浜田寿伯院(在所不詳)に葬りのちここ宝珠院に移された。境内にある重恒の墓は当地で最大の五輪塔である。法号は休岩寺殿間雄宗三大居士と称する。

        昭和60年6月
                   浜田市観光協会 」

  • 宝珠院・本堂<br /><br />

    宝珠院・本堂

  • 宝珠院・古田重恒墓所<br /><br />境内にある墓地にて探しあぐねていましたが山門に戻るとすぐ右側にありました。<br /><br />

    宝珠院・古田重恒墓所

    境内にある墓地にて探しあぐねていましたが山門に戻るとすぐ右側にありました。

  • 宝珠院・古田重恒墓石(近景)<br /><br />当地では最大の規模を誇るという五輪塔の左側には「浜田藩二代藩主 古田兵部少輔重恒之墓」と記載された標柱があります。<br /><br />

    宝珠院・古田重恒墓石(近景)

    当地では最大の規模を誇るという五輪塔の左側には「浜田藩二代藩主 古田兵部少輔重恒之墓」と記載された標柱があります。

  • (2)松井家松平氏墓所(島根県浜田市えびす町・JR浜田駅徒歩20分)<br /><br />今では廃寺となっている長安院の跡地に松井家松平氏の墓所がひっそりと立っています。(ネットで探索しますが該当地には寺院がなく近くを歩く女性に尋ねて案内していただきました。)松平家の棚倉転封に伴い長安院も追随して移動したため廃寺となっています。

    (2)松井家松平氏墓所(島根県浜田市えびす町・JR浜田駅徒歩20分)

    今では廃寺となっている長安院の跡地に松井家松平氏の墓所がひっそりと立っています。(ネットで探索しますが該当地には寺院がなく近くを歩く女性に尋ねて案内していただきました。)松平家の棚倉転封に伴い長安院も追随して移動したため廃寺となっています。

  • 松井松平家墓所(全景)

    松井松平家墓所(全景)

  • 松井松平家墓所(全景))<br /><br />手前に立っている標柱に「松平周防守家墓所」と書かれています。

    松井松平家墓所(全景))

    手前に立っている標柱に「松平周防守家墓所」と書かれています。

  • 松井松平家墓所(全景)

    松井松平家墓所(全景)

  • 松井松平家墓所・説明板<br /><br /><br /><br /><br />墓所の左側には説明板が立っており下記の通り記されています。<br /><br />「 長安院と松平周防守家墓所<br /><br />長安院(浄土宗 京都黒谷金戒光明寺末)は、浜田藩主松平周防守家の菩提寺であった。長安院の称号は第二代康重の法名「長安院殿」に由来し、同家の転封地宍栗、浜田、棚倉、川越の各地にその菩提所として建立されている。浜田の長安院は慶安2年(1649)入部した第三代康映によって翌3年に創立され、宝永6年(1709)??を誇る大建築が完成した。以来10年の中断(古河、岡崎転封)を除き天保7年(1836)棚倉移封まで藩公の菩提所の処遇を受けていた。この間没した藩主は、康映、康官、康員、康豊、康福、康定と第三代から第八代までの6人でそのうち康官、康豊は浜田で没し、長安院に葬られ、康映は江戸で没したが遺命により浜田長安院に葬ったという。宝暦9年(1759)の移封時にこの3人は京都黒谷金戒光明寺塔頭長安院に改葬されて、現在浜田にはその墓は残っていない。康員(泰厳院)家康(自通院)康定(清崇院)は江戸で没し本葬されたが、浜田長安寺にその遺髪をおさめたと推定される拝み墓が建立された。これが現存する藩主の墓である。<br /><br />長安院は周防守家とともに棚倉に移ったが残された伽藍のうち本堂は三隅の龍雲寺本堂として移築され、今日その遺構を偲ぶことができる。最近まで残っていた位牌堂は解体撤去され、その墓壇上に藩公を中心に周防守家所縁の墓を移しその周囲に家老岡田家の墓が移された。浜田文学の先駆者新清元麿、竹島事件で自決した岡田頼母の墓もこのところにある。<br /><br />   昭和61年2月<br />                浜田市文化財愛護会<br />                浜田市観光協会   」

    松井松平家墓所・説明板




    墓所の左側には説明板が立っており下記の通り記されています。

    「 長安院と松平周防守家墓所

    長安院(浄土宗 京都黒谷金戒光明寺末)は、浜田藩主松平周防守家の菩提寺であった。長安院の称号は第二代康重の法名「長安院殿」に由来し、同家の転封地宍栗、浜田、棚倉、川越の各地にその菩提所として建立されている。浜田の長安院は慶安2年(1649)入部した第三代康映によって翌3年に創立され、宝永6年(1709)??を誇る大建築が完成した。以来10年の中断(古河、岡崎転封)を除き天保7年(1836)棚倉移封まで藩公の菩提所の処遇を受けていた。この間没した藩主は、康映、康官、康員、康豊、康福、康定と第三代から第八代までの6人でそのうち康官、康豊は浜田で没し、長安院に葬られ、康映は江戸で没したが遺命により浜田長安院に葬ったという。宝暦9年(1759)の移封時にこの3人は京都黒谷金戒光明寺塔頭長安院に改葬されて、現在浜田にはその墓は残っていない。康員(泰厳院)家康(自通院)康定(清崇院)は江戸で没し本葬されたが、浜田長安寺にその遺髪をおさめたと推定される拝み墓が建立された。これが現存する藩主の墓である。

    長安院は周防守家とともに棚倉に移ったが残された伽藍のうち本堂は三隅の龍雲寺本堂として移築され、今日その遺構を偲ぶことができる。最近まで残っていた位牌堂は解体撤去され、その墓壇上に藩公を中心に周防守家所縁の墓を移しその周囲に家老岡田家の墓が移された。浜田文学の先駆者新清元麿、竹島事件で自決した岡田頼母の墓もこのところにある。

       昭和61年2月
                    浜田市文化財愛護会
                    浜田市観光協会   」

  • 浜田川橋詰高札・説明板

    浜田川橋詰高札・説明板

  • 天豊足柄姫命神社(あめのとよたらしからひめのみことじんじや、浜田市殿町)

    天豊足柄姫命神社(あめのとよたらしからひめのみことじんじや、浜田市殿町)

  • 天豊足柄姫命神社・拝殿

    天豊足柄姫命神社・拝殿

  • 神社・境内

    神社・境内

  • 浜田城主と亀山神社・説明板<br /><br /><br /><br /><br /><br />

    浜田城主と亀山神社・説明板





  • 碑文の解説・説明板<br /><br /><br />「 碑文の解説<br /><br />石神は石見の天豊足柄姫命を御祀りしてある神でありその伝によると神が石と化したことは根拠がなくて信ずる事が出来ない推測する処では神は石見国をお開きになって民に功徳を与えられたので民はその徳をお慕い尊んで御殿を造ってお祭りしたものであったその位式内にのこっているのを観ると当時の御殿がいかに大きくしかもお祭りが厳粛に栄えたことを知る中古以来禍乱が相続いでお祭りも出来ず廃れたことが数百年明治の世になって藩を廃し県が置かれ信寛この地方を治める事になって朝廷に敬神の念あるを申し上げ石神の由縁のある処となってその後復興に萌えここに新しく御殿を造ってお祭りをし県社とするを議り県民をして末永く崇敬するようにしむけたこの事をしるす為に石に刻みつけた<br /><br />   明治7年1月<br />            浜田県令正六位     佐藤・・  」<br /><br /> 

    碑文の解説・説明板


    「 碑文の解説

    石神は石見の天豊足柄姫命を御祀りしてある神でありその伝によると神が石と化したことは根拠がなくて信ずる事が出来ない推測する処では神は石見国をお開きになって民に功徳を与えられたので民はその徳をお慕い尊んで御殿を造ってお祭りしたものであったその位式内にのこっているのを観ると当時の御殿がいかに大きくしかもお祭りが厳粛に栄えたことを知る中古以来禍乱が相続いでお祭りも出来ず廃れたことが数百年明治の世になって藩を廃し県が置かれ信寛この地方を治める事になって朝廷に敬神の念あるを申し上げ石神の由縁のある処となってその後復興に萌えここに新しく御殿を造ってお祭りをし県社とするを議り県民をして末永く崇敬するようにしむけたこの事をしるす為に石に刻みつけた

       明治7年1月
                浜田県令正六位     佐藤・・  」

     

  • 浜田城下町・案内板

    浜田城下町・案内板

  • 浜田城下町づくり・説明板

    浜田城下町づくり・説明板

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