2024/06/03 - 2024/06/03
443位(同エリア942件中)
滝山氏照さん
この旅行記のスケジュール
2024/06/03
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飛行機での移動
羽田空港(08:00)ー山口宇部空港(09:40)JAL291
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バスでの移動
山口宇部空港(10:00)ー新山口駅(10:30)
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バスでの移動
新山口駅(10:50)ー萩バスセンター(12:05)
この旅行記スケジュールを元に
山口・島根県で気になる城跡を2泊3日の日程で訪問しました。
1.訪問期間
2024年6月3日~5日(2泊3日)
2.宿泊地
萩市街(6月3日)・益田市街(6月4日)
3.訪問先
萩城(山口県萩市)ー浜田城(島根県浜田市)ー石見七尾城(島根県益田
市)ー津和野城(島根県鹿足郡)ー高嶺城(山口県山口市)ー大内氏居館
(山口県山口市)
4.移動ルート
羽田ー山口宇部(飛行機)ー新山口(バス)ー萩(バス)東萩ー浜田
(J R山陰線)ー益田(JR山陰線)ー津和野(JR山口線)ー山口(JR山口
線)ー新山口(JR山口線)ー山口宇部(バス)ー羽田(飛行機)
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未踏の地山口の代表的城郭はやはり萩城です。毛利家の智将である小早川隆景(毛利元就四男)を失ってから120万石を有する毛利家は秀吉の中央集権に基づく強権政治に対抗できずしだいに独自性を失います。
秀吉没後は家康の行動に異を唱える石田三成により当主輝元は西軍総大将に祭り上げられ関ヶ原合戦で敗北、戦前より天下の流れは家康と見抜いていた吉川広家(毛利元就三男吉川元春三の長男)による毛利領国の安堵という家康了承を取り付けたにも関わらず戦後は防長二カ国に大減封されます。
本拠(藩庁)設置については候補地三田尻(防府)の桑山・山口の鴻峰(こうのみね)・萩の指月山(しづきやま)のなかで結果的には最も不利と思われる萩に追いやられ、さぞかし不本意な築城となったことでしょう。
候補地のうち桑山は瀬戸内海に突き出た岬の上にあり、鞠生浦(まりううら)と三田尻港(旧毛利水軍の本拠)に挟まれ海上交通の利便に優れており、また次の鴻峰は山口の旧大内氏館に近い山で、毛利氏が大内義長を敗死させて防長を支配するための城番を配した地で馴染み深くまた藩運営に好都合の立地といえます。
上記に対して指月山は長門国にあり日本海に面した標高143mの島に阿武川から流れる土砂が堆積して陸繋島(りくけいとう)となった立地で戦国乱世を考えれば最大の要害と言えますが家康の全国制覇が成就された時点では騒乱の可能性低く経済活動に視点を置けば発展性に欠ける地域とも思われます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
萩城・指月橋(二の丸)
萩城は指月公園として4-10月は8:00~18:30、11ー2月は8:30~16:30そして3月は8:30~18:00開園されています。 -
萩城・外堀
現在は「萩八景」遊覧船船乗場となっています。 -
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(国指定重要文化財)
旧厚狭毛利家はいわゆる一門三席、禄高8,371石の重臣で、現存する武家屋敷では一番大きく、長さが51.5メートルあります。(現地入手パンフレット) -
二の丸南門跡
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毛利輝元像
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毛利輝元・説明板
「 毛 利 輝 元
毛利輝元は、天文22年(1553)毛利隆元の長男として安芸国吉田郡山城(現在、広島県安芸高田市)に生まれた。戦国時代中国地方の覇者となった毛利元就の孫にあたる。永禄6年(1563)父隆元の死去にともない家督を継ぎ、祖父元就の手によって養育された。
織田信長や豊臣秀吉と覇を競い、中国地方8か国112万石を領有する大大名に成長し、天正17年(1589)広島に居城を築いた。豊臣政権下では五大老の一人となり権勢を誇ったが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで敗れ、周防・長門2か国36万9千石に削封された。慶長9年(1604)、居城を萩に選定し、同年11月11日、萩城に入場した。萩開府にあたって、城下町の建設を推し進めるとともに、萩藩経営の安定に腐心した。
寛永2年(1625)73歳で没し、萩城三の丸(堀内)の天樹院に葬られた。
平成16年11月 萩市 」 -
二の丸・枡形南門
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萩城・本丸門(全景)
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萩城・本丸門(近景)
指月山を背景とする萩城の撮影スポットから記念写真を撮ります。萩城は別名指月城(しづきじょう)とも呼ばれています。
当該城は指月山の山麓にある平城(本丸・二の丸・三の丸)と山頂にある山城(詰城)で構成されています。(残念ながら詰城への登坂試みは早朝からの移動で体力消耗激しく見送りました) -
萩城・説明板
橋の傍には萩城説明板が配されています。
「 国指定史跡 萩 城 跡
所 在 地 萩市大字堀内字旧城
指定年月日 昭和26年6月9日
説 明
萩城は関ヶ原の役後毛利輝元が慶長9年(1604)築城に着手し4年後の同13年(1608)に至って完成したものである。萩市街の西北隅、指月山(標高143メートル)の麓に位置し山名をとって指月城とも呼ばれた。山麓の平城と頂上の山城とを併せた平山城である。当時輝元は隠居していたがその子、初代藩主秀元が幼少のため、築城後も政務を執っていた。以後代を重ねること、13代敬親に至って幕末多端の国事を処理するに不便なため文久3年(1863)4月山口に移った。
ついで明治7年(1874)建物のすべてが解体された。本丸には高さ14.5メートルの五層の天守閣があったが、今はその台座のみ残っている。周囲には石塁を築き内部には藩主の居館ならびに藩役所と付属建物があった。この城は259年間防長両国政治の中心であり明治維新に大きな役割を果たした重要拠点でもあった。
萩市教育委員会 」 -
萩城・内堀
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志都岐山神社(しづきやまじんじや)・鳥居
本丸には歴代の藩主を祀った志都岐山神社が建立されています。 -
志都岐山神社・社標
鳥居には「志都岐山神社」と描かれた社標が掲示されています。 -
志都岐山神社・石灯籠
当該神社は毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳の五柱を祭神として、初代から12代まで萩藩歴代藩主が祀られています。 -
志都岐山神社・万歳橋(ばんせいばし)
万成橋は嘉永2年(1849)に江向の地に建てられた藩校明倫館にあった物がその後移設されたそうです。(現地入手パンフレットより) -
万歳橋・説明板
「 明倫館 遺構 万歳橋
嘉永2年(1849)江向に新築された明倫館には、多くの藩校と同じように聖廟の前に水を巡らし、その中央に石橋が架けてあった。ハン水はハン地ともいい、中国上代の形式を模倣したもので、諸侯の学校であることの象徴である。ハンは半と同じ意味で、聖廟周囲の南半分しか水がないことを意味している。橋は花崗岩で造られており、長さ4.05m、幅員3.15mの直橋で、橋脚はなく両岸の石垣の橋台に2本のアーチ式橋桁を渡し、その上に10個の短冊石を横に並べて造られており、中国風のデザインを施した太鼓橋である。」 -
花江茶亭(遠景)
藩主の別邸にあった茶室を明治20年頃移築した物です。幕末の頃、13代藩主毛利敬親(たかちか)が家臣たちと茶事に託して時勢を論じ、国事を画策したと言われています。(現地入手パンフレットより) -
花江(はなのえ)茶亭・説明板
「 萩市指定文化財
花 江 茶 亭
花江茶亭は、安政の始め(1854年ごろ)藩主13代藩主毛利敬親が花江御殿(川手御殿・常磐江御殿)内に造った茶室である。幕末の多事多難の折、この茶室で藩主は支藩主や家臣たちと茶事に託して、格式を捨てて時勢を論じ国事を画策したといわれる。
維新後、花江御殿は長屋氏に譲渡されたが、明治22年ごろ品川弥二郎らが主唱して茶室を買取り、指月公園内の現在地に移築した。
茶室は入母屋造、茅葺き平屋建て、桁行6.95メートル、はり間3.38メートルで、本床と脇床が付いた六畳(内一畳半は板の間)の茶室と三畳の水屋からなっている。移築の際湯殿と便所は取除かれ、瓦葺の平家一棟が控えの間として増築された。
萩市教育委員会 」 -
花江茶亭・看板
料金500円で抹茶の提供があります。 -
萩城・内堀
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萩城・内堀
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萩城天守台への石段
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萩城天守・案内板
「 萩 城 天 守
萩城は、関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元が防長二州・36万石の居城として慶長9年(1604)に起工し、同13年(1608)に完工した。
白亜5層の天守は、高さ8間(14m)。初層平面規模は東西11間(19.8m)、南北9間(16.2m)、最上層は東西3間半(6.3m)、南北3間(54m)である。初層は石垣全面にわたって半間分を張り出し、俯射装置(石落し)とした。
明治7年(1874)に解体されるまでの270年間天守は、毛利氏13代にわたる萩城の象徴として威容を誇っていた。」 -
萩城天守台からの展望
高さ14.4m,下層は東西19.8m、南北16.2mで、5層の白亜の天守がありました。最上階は高欄を巡らした桃山期を形式を示すものでした。
(現地入手パンフレット) -
萩城天守台
旧天守の礎石だけが残っています。 -
萩城・内堀
天守台から内堀を望みます。 -
本丸と石垣
本丸は石垣よりも低いため、御殿を含む内部の建造物は外部から見えにくくなって動向が把握されにくい造りとなっています。 -
萩城天守台石垣
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萩城本丸・石垣
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萩城・内堀
南東方向より萩城を捉えます。 -
菊ケ浜
萩城の東西と北は海に囲まれています。東側は砂浜が広がっています。夏季は海水浴場として利用されます。 -
菊ケ浜
浜から指月山を窺います。
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