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    鎌倉散策(13) 雪ノ下・扇ガ谷  神奈川県鎌倉市  全行程4時間51分   鎌倉駅~(13分)畠山重保邸跡・和田塚・鎌倉彫工芸館・六地蔵・鎌倉駅西口時計台(35分)~(5分)小町通り・宇都宮稲荷神社・妙隆寺(15分)~(12分)東勝寺跡・腹切りやぐら(6分)~(18分)宝戒寺・鶴岡八幡宮(16分)~(14分)青梅聖天社・巨福呂坂切通し・昼食(19分)~(17分)円応寺・建長寺天下門・禅居院・第六天社・長寿寺・亀ヶ谷坂切通し(21分)~(9分)薬王寺(11分)~(2分)岩船地蔵堂・相馬次郎師常墓・藤谷黄門遺跡(11分)~(1分)浄光明寺 (26分)~(5分)妙伝寺・護国寺・八坂大神・巽神社(26分)~(5分)鎌倉駅<br />「日時」2022年11月10日 	<br />「アクセス」JR横須賀鎌倉駅下車<br />

鎌倉散策(13)雪ノ下・扇ガ谷

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2022/11/10 - 2022/11/10

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2022/11/10

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    鎌倉散策(13) 雪ノ下・扇ガ谷  神奈川県鎌倉市  全行程4時間51分   鎌倉駅~(13分)畠山重保邸跡・和田塚・鎌倉彫工芸館・六地蔵・鎌倉駅西口時計台(35分)~(5分)小町通り・宇都宮稲荷神社・妙隆寺(15分)~(12分)東勝寺跡・腹切りやぐら(6分)~(18分)宝戒寺・鶴岡八幡宮(16分)~(14分)青梅聖天社・巨福呂坂切通し・昼食(19分)~(17分)円応寺・建長寺天下門・禅居院・第六天社・長寿寺・亀ヶ谷坂切通し(21分)~(9分)薬王寺(11分)~(2分)岩船地蔵堂・相馬次郎師常墓・藤谷黄門遺跡(11分)~(1分)浄光明寺 (26分)~(5分)妙伝寺・護国寺・八坂大神・巽神社(26分)~(5分)鎌倉駅
「日時」2022年11月10日 
「アクセス」JR横須賀鎌倉駅下車

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 畠山重保の墓 鎌倉幕府有力御家人畠山重忠の嫡男重保は北条時政の娘婿(源朝雅)と口論となり、後に時政のだまし討ちに会い重保は殺される。1393年銘の立派な宝篋印塔は、この重保の墓です。ここには重保の屋敷跡碑も建っています

    畠山重保の墓 鎌倉幕府有力御家人畠山重忠の嫡男重保は北条時政の娘婿(源朝雅)と口論となり、後に時政のだまし討ちに会い重保は殺される。1393年銘の立派な宝篋印塔は、この重保の墓です。ここには重保の屋敷跡碑も建っています

  • 和田一族戦没地(和田塚) 墳墓跡に和田義盛一族の墓が建っています。義盛は北条義時との戦い(和田合戦)でこの地で敗れ、ここは和田一族の屍を埋葬した塚と言われています

    和田一族戦没地(和田塚) 墳墓跡に和田義盛一族の墓が建っています。義盛は北条義時との戦い(和田合戦)でこの地で敗れ、ここは和田一族の屍を埋葬した塚と言われています

  • 鎌倉彫工芸館展示品 鎌倉彫はカツラやイチョウの木を成形し、文様を彫り、その上に漆を塗って仕上げた工芸品です。工芸館は鎌倉彫の販売、展示、講習会、体験教室等を行っています

    鎌倉彫工芸館展示品 鎌倉彫はカツラやイチョウの木を成形し、文様を彫り、その上に漆を塗って仕上げた工芸品です。工芸館は鎌倉彫の販売、展示、講習会、体験教室等を行っています

  • 六地蔵尊 六地蔵はこの辺り通称地名で、交差点に六地蔵尊が建っています。この辺りは刑場があった所で、罪人の霊を弔うために六地蔵が建てられたといわれています

    六地蔵尊 六地蔵はこの辺り通称地名で、交差点に六地蔵尊が建っています。この辺りは刑場があった所で、罪人の霊を弔うために六地蔵が建てられたといわれています

  • 鎌倉幕府門注所跡碑 御成小学校交差点前に建っています。門注所は鎌倉幕府の裁判所機関で、初代執事(長官)は三善康信です

    鎌倉幕府門注所跡碑 御成小学校交差点前に建っています。門注所は鎌倉幕府の裁判所機関で、初代執事(長官)は三善康信です

  • 御成小学校正門 明治天皇皇女のための御用邸跡地に、1933年に鎌倉市立御成小学校が開校し、正門には御用邸の冠木門が引き継がれる。門標は高浜虚子書です。正門から中を見ると、左手に旧講堂が見られます

    御成小学校正門 明治天皇皇女のための御用邸跡地に、1933年に鎌倉市立御成小学校が開校し、正門には御用邸の冠木門が引き継がれる。門標は高浜虚子書です。正門から中を見ると、左手に旧講堂が見られます

  • 鎌倉駅西口時計台 1916年の建てられた鎌倉駅の象徴だったもので、とんがり帽子の時計台として親しまれました。1984年駅舎建て直しの際、壊されずに時計塔として残されました。現在は駅西口の待ち合わせスペースに建っています

    鎌倉駅西口時計台 1916年の建てられた鎌倉駅の象徴だったもので、とんがり帽子の時計台として親しまれました。1984年駅舎建て直しの際、壊されずに時計塔として残されました。現在は駅西口の待ち合わせスペースに建っています

  • 小町通り 若宮大路と平行に走る一本西のJR鎌倉駅東口にある鳥居から鶴岡八幡宮までの道です。伝統的な土産物屋、ファッショングッズ、飲食店等が建ち並ぶ通りです

    小町通り 若宮大路と平行に走る一本西のJR鎌倉駅東口にある鳥居から鶴岡八幡宮までの道です。伝統的な土産物屋、ファッショングッズ、飲食店等が建ち並ぶ通りです

  • 若宮大路壇葛 鎌倉八幡宮から南南西に走る大通りを若宮大路といい、この大路の中央に一段高い道があり、これを壇葛という。この壇葛の両脇に植えられている桜は満開時、桜アーチを作り見事です

    若宮大路壇葛 鎌倉八幡宮から南南西に走る大通りを若宮大路といい、この大路の中央に一段高い道があり、これを壇葛という。この壇葛の両脇に植えられている桜は満開時、桜アーチを作り見事です

  • 宇都宮辻子幕府跡 宇都宮辻子幕府跡碑は宇都宮稲荷神社の鳥居前に建っています。これ以前の大倉幕府は1219年まで、将軍頼朝・頼家・実朝三代の幕府の中心であった。1225年北条泰時がここに宇都宮辻子幕府を作り幕府の中心となる。神社は下野宇都宮氏第三代当主で、鎌倉幕府の有力御家人宇都宮朝綱が勧請して創建される

    宇都宮辻子幕府跡 宇都宮辻子幕府跡碑は宇都宮稲荷神社の鳥居前に建っています。これ以前の大倉幕府は1219年まで、将軍頼朝・頼家・実朝三代の幕府の中心であった。1225年北条泰時がここに宇都宮辻子幕府を作り幕府の中心となる。神社は下野宇都宮氏第三代当主で、鎌倉幕府の有力御家人宇都宮朝綱が勧請して創建される

  • 妙隆寺本堂 日蓮宗の一寺。 1385年創建。 開基は千葉胤貞、開山は日英、本尊は釈迦牟尼仏です。 開基は千葉胤貞の別邸跡に建てられたといわれています。四脚門の山門を潜ると右手に寿老人堂、正面に本堂があります。日親上人像、日親上人墓があります。江ノ島・鎌倉七福神の一つ寿老人が寿老人堂に祀られています。第二世日親上人は立正治国論を持って幕府避難したため拷問(焼けた鍋を被せられたため鍋冠り日親と呼ばれる)を受けた、また寒中100日間水行をした(今でもその池が残っています)等随分タフな上人だったと感心しました

    妙隆寺本堂 日蓮宗の一寺。 1385年創建。 開基は千葉胤貞、開山は日英、本尊は釈迦牟尼仏です。 開基は千葉胤貞の別邸跡に建てられたといわれています。四脚門の山門を潜ると右手に寿老人堂、正面に本堂があります。日親上人像、日親上人墓があります。江ノ島・鎌倉七福神の一つ寿老人が寿老人堂に祀られています。第二世日親上人は立正治国論を持って幕府避難したため拷問(焼けた鍋を被せられたため鍋冠り日親と呼ばれる)を受けた、また寒中100日間水行をした(今でもその池が残っています)等随分タフな上人だったと感心しました

  • 東勝寺跡 臨済宗・関東十刹の一寺・北条家の菩提寺で国史跡に指定されている。菩提寺であると同時に、有事に備えた城塞も兼ねていたようです。十三世紀前半、開基第三代執権北条泰時、開山退耕行勇で得宗家(北条家の嫡流)の氏寺として建立される。1333年新田義貞に攻められ、敗れた十五代執権北条高時がここで自ら火を放ち自害する。その後再建、しかし十六世紀後半に途絶える

    東勝寺跡 臨済宗・関東十刹の一寺・北条家の菩提寺で国史跡に指定されている。菩提寺であると同時に、有事に備えた城塞も兼ねていたようです。十三世紀前半、開基第三代執権北条泰時、開山退耕行勇で得宗家(北条家の嫡流)の氏寺として建立される。1333年新田義貞に攻められ、敗れた十五代執権北条高時がここで自ら火を放ち自害する。その後再建、しかし十六世紀後半に途絶える

  • 腹切りやぐら石碑 1333年新田義貞に攻められ、敗れた十五代執権北条高時は一族郎党7~8百人等と東勝寺跡やぐらの中で自害します。やぐらの手前にロープが張られ入れません(祇園山ハイキングコース登山口ですが、登山道一部崩壊のため立入禁止になっています)。腹切りやぐらは、写真の腹切りやぐらの標柱の手前を左手に少し行った所にあります。木の葉越しに遠目からわずかにやぐらが見えます

    腹切りやぐら石碑 1333年新田義貞に攻められ、敗れた十五代執権北条高時は一族郎党7~8百人等と東勝寺跡やぐらの中で自害します。やぐらの手前にロープが張られ入れません(祇園山ハイキングコース登山口ですが、登山道一部崩壊のため立入禁止になっています)。腹切りやぐらは、写真の腹切りやぐらの標柱の手前を左手に少し行った所にあります。木の葉越しに遠目からわずかにやぐらが見えます

  • 北条執権邸旧跡碑 執権職北条義時以降九代の執権の屋敷と石柱にも刻まれているように、北条氏の屋敷があったところです。新田義貞が鎌倉に攻め入った時、焼失しました

    北条執権邸旧跡碑 執権職北条義時以降九代の執権の屋敷と石柱にも刻まれているように、北条氏の屋敷があったところです。新田義貞が鎌倉に攻め入った時、焼失しました

  • 宝戒寺山門 天台宗の一寺、 1335年創建、 開基は後醍醐天皇、開山は円観恵鎮慈威和上、本尊は子育経読地蔵大菩薩です。山門前の入口に北条執権邸旧跡碑が建っています。鎌倉幕府執権北条家の屋敷跡と伝えられている。山門を通ると本堂があります。萩の寺として有名です

    宝戒寺山門 天台宗の一寺、 1335年創建、 開基は後醍醐天皇、開山は円観恵鎮慈威和上、本尊は子育経読地蔵大菩薩です。山門前の入口に北条執権邸旧跡碑が建っています。鎌倉幕府執権北条家の屋敷跡と伝えられている。山門を通ると本堂があります。萩の寺として有名です

  • 鎌倉八幡宮源氏池の紅葉 市内では、殆んどの木は紅葉していませんでしたが、源氏池周囲のモミジは綺麗に紅葉していました

    鎌倉八幡宮源氏池の紅葉 市内では、殆んどの木は紅葉していませんでしたが、源氏池周囲のモミジは綺麗に紅葉していました

  • 鶴岡八幡宮本宮 1063年創建。 祭神は応神天皇、比売神、神宮皇后です。 武家源氏の守護神。一の鳥居が一番南側に有り、次に二の鳥居、参道若宮大路の中央の一段高い道を段葛がある。三の鳥居をくぐると太鼓橋、右に源氏池と旗上弁財天社、政子石、左に平家池、まっすぐ進むと舞殿その先に石段、石段の左に昔大銀杏があった(平成22年に倒れる)。現在二代目銀杏が育っている。石段の右手に下宮、石段を登りきったところに本宮がある。また境内には丸山稲荷社、白幡神社、旗上弁財天社等の末社・境内社がある

    鶴岡八幡宮本宮 1063年創建。 祭神は応神天皇、比売神、神宮皇后です。 武家源氏の守護神。一の鳥居が一番南側に有り、次に二の鳥居、参道若宮大路の中央の一段高い道を段葛がある。三の鳥居をくぐると太鼓橋、右に源氏池と旗上弁財天社、政子石、左に平家池、まっすぐ進むと舞殿その先に石段、石段の左に昔大銀杏があった(平成22年に倒れる)。現在二代目銀杏が育っている。石段の右手に下宮、石段を登りきったところに本宮がある。また境内には丸山稲荷社、白幡神社、旗上弁財天社等の末社・境内社がある

  • 二代目銀杏 初代大銀杏は2010年台風により倒れる。残った初代の幹を直ぐ近くに移植し、多くの枝が出ています。元の位置を埋め、残った根から、新しく芽が出て、現在生育中です。初代銀杏は樹齢1000年以上といわれ、源頼家の息子公暁が、この銀杏に隠れ、三代将軍源実朝を暗殺したという逸話が有名です

    二代目銀杏 初代大銀杏は2010年台風により倒れる。残った初代の幹を直ぐ近くに移植し、多くの枝が出ています。元の位置を埋め、残った根から、新しく芽が出て、現在生育中です。初代銀杏は樹齢1000年以上といわれ、源頼家の息子公暁が、この銀杏に隠れ、三代将軍源実朝を暗殺したという逸話が有名です

  • 鐵の井の碑 くろがねと読みます。鎌倉十井の一つです。かって、扇ガ谷に所在した新清水寺にあった鉄観音像の首がこの井戸から掘り出されたところから、この名が付く

    鐵の井の碑 くろがねと読みます。鎌倉十井の一つです。かって、扇ガ谷に所在した新清水寺にあった鉄観音像の首がこの井戸から掘り出されたところから、この名が付く

  •  庚申塔群 鶴岡八幡宮の西に走る県道21号線(鎌倉街道)の鶴岡八幡宮車お祓い所付近の小道を左にとり、巨福呂坂送水管隧道を過ぎ、青梅聖天社の鳥居のわきに、歴史的価値のありそうな庚申供養塔(文字のみ、青面金剛像と三猿を彫ったもの、文字と猿のみ等種々の供養塔が見られる)、供養塔、石仏群があります

     庚申塔群 鶴岡八幡宮の西に走る県道21号線(鎌倉街道)の鶴岡八幡宮車お祓い所付近の小道を左にとり、巨福呂坂送水管隧道を過ぎ、青梅聖天社の鳥居のわきに、歴史的価値のありそうな庚申供養塔(文字のみ、青面金剛像と三猿を彫ったもの、文字と猿のみ等種々の供養塔が見られる)、供養塔、石仏群があります

  • 旧道巨福呂坂(切通し) 鶴岡八幡宮の西に走る県道21号線(鎌倉街道)の鶴岡八幡宮車お払い所付近の小道を左にとり、巨福呂坂送水管隧道を過ぎ、その先細くなったところにあります。ここ辺りが旧道巨福呂坂(切通し)だと思われますが、そこから先は私有地かつ絶壁で先には行けません

    旧道巨福呂坂(切通し) 鶴岡八幡宮の西に走る県道21号線(鎌倉街道)の鶴岡八幡宮車お払い所付近の小道を左にとり、巨福呂坂送水管隧道を過ぎ、その先細くなったところにあります。ここ辺りが旧道巨福呂坂(切通し)だと思われますが、そこから先は私有地かつ絶壁で先には行けません

  • 青梅聖天社歓喜天堂 創建は不詳、 ご本尊は双身歓喜天です。源実朝が病気になった時、ここに実る青い梅を食べて平癒したことから青梅聖天社と呼ばれるようになった。旧道巨福呂坂を登る途中にあります。鳥居を潜り、石段を登り第二鳥居を潜ると歓喜天堂があります

    青梅聖天社歓喜天堂 創建は不詳、 ご本尊は双身歓喜天です。源実朝が病気になった時、ここに実る青い梅を食べて平癒したことから青梅聖天社と呼ばれるようになった。旧道巨福呂坂を登る途中にあります。鳥居を潜り、石段を登り第二鳥居を潜ると歓喜天堂があります

  • 道元禅師顕彰碑 鎌倉街道の旧巨福呂坂分岐を過ぎ、少し行った処に建っています。道元は曹洞宗の開祖で鎌倉時代に活躍した禅僧です

    道元禅師顕彰碑 鎌倉街道の旧巨福呂坂分岐を過ぎ、少し行った処に建っています。道元は曹洞宗の開祖で鎌倉時代に活躍した禅僧です

  • 円応寺本堂 臨済宗建長寺派の一寺、創建は伝1250年、 開山は智覚禅師、本尊は閻魔大王です。建長寺の境外塔頭です。山門を潜ると、茅葺屋根を持つ鐘楼、石仏、閻魔王や智覚禅師像等が安置されている本堂がある。竹林もある

    円応寺本堂 臨済宗建長寺派の一寺、創建は伝1250年、 開山は智覚禅師、本尊は閻魔大王です。建長寺の境外塔頭です。山門を潜ると、茅葺屋根を持つ鐘楼、石仏、閻魔王や智覚禅師像等が安置されている本堂がある。竹林もある

  • 建長寺天下門 臨済宗建長寺派の大本山で、鎌倉五山の第一位です。 1253年創建、 開基は北条時頼、開山は蘭渓道隆、本尊は地蔵菩薩像です。本日は時間の関係でスキップする

    建長寺天下門 臨済宗建長寺派の大本山で、鎌倉五山の第一位です。 1253年創建、 開基は北条時頼、開山は蘭渓道隆、本尊は地蔵菩薩像です。本日は時間の関係でスキップする

  • 禅居院山門 臨済宗建長寺派の一寺で建長寺の塔頭です。創建は伝1329~1331年、 開基は小笠原貞宗、開山は建長寺第二十二世清拙正澄和尚(中国の僧、北条高時の招きで来日)、本尊は聖観音半跏像です。関係者以外立ち入りお断りで山内に入れません

    禅居院山門 臨済宗建長寺派の一寺で建長寺の塔頭です。創建は伝1329~1331年、 開基は小笠原貞宗、開山は建長寺第二十二世清拙正澄和尚(中国の僧、北条高時の招きで来日)、本尊は聖観音半跏像です。関係者以外立ち入りお断りで山内に入れません

  • 第六天社 建長寺の鎮守神です。入口には鍵がかかり入れません。年に2回(例大祭と元日)、6時間ほどしか開かれないようです

    第六天社 建長寺の鎮守神です。入口には鍵がかかり入れません。年に2回(例大祭と元日)、6時間ほどしか開かれないようです

  • 長寿寺山門 臨済宗建長寺派の一寺、創建は1358年、開基は関東管領足利基氏、本尊は釈迦如来です春と秋の シーズンの週末に特別拝観を実施している。本日は入れません。3月の桜に季節に拝観しました

    長寿寺山門 臨済宗建長寺派の一寺、創建は1358年、開基は関東管領足利基氏、本尊は釈迦如来です春と秋の シーズンの週末に特別拝観を実施している。本日は入れません。3月の桜に季節に拝観しました

  • 亀ヶ谷坂の頂上あたりのやぐらの中に、大きな岩に浮き彫りをした六地蔵があります。良く見かける六地蔵は、六体別々ですが、この地蔵は一体彫りで、初めて見ました

    亀ヶ谷坂の頂上あたりのやぐらの中に、大きな岩に浮き彫りをした六地蔵があります。良く見かける六地蔵は、六体別々ですが、この地蔵は一体彫りで、初めて見ました

  • 亀ケ谷坂切通し 鎌倉七口の一つで、山の内と扇ケ谷を結ぶ亀ヶ谷坂と呼ばれる切通しです。切通しとは山や丘を局部的に切り開き、人馬の交通を容易にした道です。一方、外からの攻撃に対する防御の拠点にもなっています

    亀ケ谷坂切通し 鎌倉七口の一つで、山の内と扇ケ谷を結ぶ亀ヶ谷坂と呼ばれる切通しです。切通しとは山や丘を局部的に切り開き、人馬の交通を容易にした道です。一方、外からの攻撃に対する防御の拠点にもなっています

  • 徳川忠長供養塔 薬王寺山内にある。徳川秀忠の三男で、家光の弟、駿河国を知行していたので駿河大納言と呼ばれる。酒乱・素行乱行の罪で、幽閉され、その後切腹を命ぜられる。忠長の奥方松孝院殿(織田信長次男 信雄の息女)が供養塔を建立

    徳川忠長供養塔 薬王寺山内にある。徳川秀忠の三男で、家光の弟、駿河国を知行していたので駿河大納言と呼ばれる。酒乱・素行乱行の罪で、幽閉され、その後切腹を命ぜられる。忠長の奥方松孝院殿(織田信長次男 信雄の息女)が供養塔を建立

  • 薬王寺本堂 日蓮宗の一寺、創建は1293年、開山は日像上人、本尊は釈迦牟尼仏です。桜並木の参道を進み、山門を通ると、右手に徳川駿河大納言忠長の供養塔、正面に本堂、観音堂、鐘楼がある。墓地には蒲生氏郷の孫忠知の正室と息女の宝篋印塔がある

    薬王寺本堂 日蓮宗の一寺、創建は1293年、開山は日像上人、本尊は釈迦牟尼仏です。桜並木の参道を進み、山門を通ると、右手に徳川駿河大納言忠長の供養塔、正面に本堂、観音堂、鐘楼がある。墓地には蒲生氏郷の孫忠知の正室と息女の宝篋印塔がある

  • 蒲生忠知の正室と息女の墓 薬王寺山内にある。忠知は戦国大名蒲生氏郷の子秀行の子、会津藩主兄忠郷亡き後、伊予松山藩主となる。正室は磐城平藩内藤政長の娘(後の正寿院)です

    蒲生忠知の正室と息女の墓 薬王寺山内にある。忠知は戦国大名蒲生氏郷の子秀行の子、会津藩主兄忠郷亡き後、伊予松山藩主となる。正室は磐城平藩内藤政長の娘(後の正寿院)です

  • 岩船地蔵堂 源頼朝の娘大姫(木曽義仲の子木曽義高の許嫁)の守り本尊である石地蔵尊が祀られている

    岩船地蔵堂 源頼朝の娘大姫(木曽義仲の子木曽義高の許嫁)の守り本尊である石地蔵尊が祀られている

  • 相馬次郎師常の墓 岩船地蔵堂から少し南へ行った処のやぐらの中にあります。宝篋印塔のようです。やぐらの入口に通行禁止の棒があり、近づけません。相馬師常は千葉常胤の次男で、父と共に源頼朝の奥州征伐で武勲を挙げています

    相馬次郎師常の墓 岩船地蔵堂から少し南へ行った処のやぐらの中にあります。宝篋印塔のようです。やぐらの入口に通行禁止の棒があり、近づけません。相馬師常は千葉常胤の次男で、父と共に源頼朝の奥州征伐で武勲を挙げています

  • 藤谷黄門遺跡 碑は浄光明寺の入口に建っています。冷泉為相が父為義の遺産相続で兄と争い、母阿仏尼と共に鎌倉に来て幕府に訴える。そしてここ藤ケ谷に住んだので藤谷殿と呼ばれています

    藤谷黄門遺跡 碑は浄光明寺の入口に建っています。冷泉為相が父為義の遺産相続で兄と争い、母阿仏尼と共に鎌倉に来て幕府に訴える。そしてここ藤ケ谷に住んだので藤谷殿と呼ばれています

  • 浄光明寺阿弥陀像 収蔵庫に安置されている国重文の釈迦三尊の写真撮影は禁止ですが、今仏殿にある三体の阿弥陀如来像(過去、現在、未来)の撮影はOKです

    浄光明寺阿弥陀像 収蔵庫に安置されている国重文の釈迦三尊の写真撮影は禁止ですが、今仏殿にある三体の阿弥陀如来像(過去、現在、未来)の撮影はOKです

  • 冷泉為相の墓 鎌倉時代中期の歌人で、藤原定家の孫で、十六夜日記の作者阿仏尼の子で、冷泉家の祖です。鎌倉において歌壇を指導している。立派な宝篋印塔です

    冷泉為相の墓 鎌倉時代中期の歌人で、藤原定家の孫で、十六夜日記の作者阿仏尼の子で、冷泉家の祖です。鎌倉において歌壇を指導している。立派な宝篋印塔です

  •  浄光明寺本堂(仏殿)真言宗泉涌寺派の一寺。 1251年創建。 開基は鎌倉第六代執権北条長時、開山は真阿和尚。本尊は阿弥陀三尊像です。 室町時代には足利氏の帰依を受けている。伽藍は山門をくぐって、楊貴妃観音、右手に鐘楼と不動堂、左手に客殿、石段を登り、すぐにイヌマキの木、正面が本堂(仏殿)、左手に国重文阿弥陀三尊像(阿弥陀如来像、観世音菩薩像、勢至菩薩像)が収められている収蔵庫(本日は御開帳)、その奥、観音堂、右手には鶴岡八幡宮の神主大伴神主家の墓所がある。本堂の左手奥に石段があり、これを暫く登ると網引地蔵、さらに登ると冷泉為相の墓の墓がある。四季おりおりの花(スイセン、桜、ツツジ、萩等)が見られる花の寺としても有名です

    浄光明寺本堂(仏殿)真言宗泉涌寺派の一寺。 1251年創建。 開基は鎌倉第六代執権北条長時、開山は真阿和尚。本尊は阿弥陀三尊像です。 室町時代には足利氏の帰依を受けている。伽藍は山門をくぐって、楊貴妃観音、右手に鐘楼と不動堂、左手に客殿、石段を登り、すぐにイヌマキの木、正面が本堂(仏殿)、左手に国重文阿弥陀三尊像(阿弥陀如来像、観世音菩薩像、勢至菩薩像)が収められている収蔵庫(本日は御開帳)、その奥、観音堂、右手には鶴岡八幡宮の神主大伴神主家の墓所がある。本堂の左手奥に石段があり、これを暫く登ると網引地蔵、さらに登ると冷泉為相の墓の墓がある。四季おりおりの花(スイセン、桜、ツツジ、萩等)が見られる花の寺としても有名です

  • 泉ノ井 鎌倉十井の一つです。十井の中では比較的原形が良く残されています。こんこんと湧き出る往時の勢いはありませんが、今でもきれいな水が湧き出ています

    泉ノ井 鎌倉十井の一つです。十井の中では比較的原形が良く残されています。こんこんと湧き出る往時の勢いはありませんが、今でもきれいな水が湧き出ています

  • 妙伝寺本堂 日蓮宗の一寺、創建は1652年、 開基は水戸徳川藩初代藩主の徳川頼房、本尊は三宝尊です。山門を通り、石段を登ると正面に本堂、他、竹林、やぐら、浄行菩薩があります

    妙伝寺本堂 日蓮宗の一寺、創建は1652年、 開基は水戸徳川藩初代藩主の徳川頼房、本尊は三宝尊です。山門を通り、石段を登ると正面に本堂、他、竹林、やぐら、浄行菩薩があります

  • 扇ガ谷上杉管領屋敷跡 英勝寺前に屋敷跡碑が建っています。上杉重房が鎌倉第六代将軍宗尊親王に従い鎌倉に下向したのが関東における上杉家の始まりです。その後室町時代になり、足利基氏が鎌倉公方になり、その補佐役の関東管領に上杉憲顕(重房のひ孫で、山内上杉の祖)が就任する。憲顕の叔父(重顕)が扇ガ谷上杉の祖です。扇ガ谷上杉の家宰に太田道灌がいます

    扇ガ谷上杉管領屋敷跡 英勝寺前に屋敷跡碑が建っています。上杉重房が鎌倉第六代将軍宗尊親王に従い鎌倉に下向したのが関東における上杉家の始まりです。その後室町時代になり、足利基氏が鎌倉公方になり、その補佐役の関東管領に上杉憲顕(重房のひ孫で、山内上杉の祖)が就任する。憲顕の叔父(重顕)が扇ガ谷上杉の祖です。扇ガ谷上杉の家宰に太田道灌がいます

  • 護国寺本堂 日蓮正宗の一寺、創建は1969年、 開山は総本山大石寺第六十六世日達上人、本尊は曼荼羅本尊です。山門を通ると、左側にお寺には見えない建物の本堂があります

    護国寺本堂 日蓮正宗の一寺、創建は1969年、 開山は総本山大石寺第六十六世日達上人、本尊は曼荼羅本尊です。山門を通ると、左側にお寺には見えない建物の本堂があります

  • 八坂大神拝殿 1192年創建、相馬師常(鎌倉幕府御家人)が自分の屋敷神として京都八坂神社から分霊を勧請したのが始まりです。ご祭神は須佐之男命、桓武天皇、高望王、葛原親王です。鳥居を潜ると、左手に境内社、正面に拝殿、その奥に本殿があります

    八坂大神拝殿 1192年創建、相馬師常(鎌倉幕府御家人)が自分の屋敷神として京都八坂神社から分霊を勧請したのが始まりです。ご祭神は須佐之男命、桓武天皇、高望王、葛原親王です。鳥居を潜ると、左手に境内社、正面に拝殿、その奥に本殿があります

  • 巽神社社殿 801年創建、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、鎌倉に神社を創建したのが始まりです。その後、源頼義(頼朝の四代前)が社殿を移築・改築しました。ご祭神は奥津日子神、奥津日女神、火産霊神です。鳥居を潜ると、正面に拝殿、その奥に本殿、右手に境内社があります

    巽神社社殿 801年創建、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、鎌倉に神社を創建したのが始まりです。その後、源頼義(頼朝の四代前)が社殿を移築・改築しました。ご祭神は奥津日子神、奥津日女神、火産霊神です。鳥居を潜ると、正面に拝殿、その奥に本殿、右手に境内社があります

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