2008/04/27 - 2008/04/27
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jijidarumaさん
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【ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊】
:アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る:
期間 :2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間の旅
目的地: 今春の旅はドイツ南部、バイエルン州のOberbayern高地バイエルンと呼ばれるアルプス地方とOstbayern東バイエルン地方を巡る旅である。
Freistaat Bayernバイエルン州は面積(7千万?)がドイツ最大、人口(12百万人・カトリック教徒が凡そ67%、新教徒が24%と数えられている。)も二番手となる有力州であり、それぞれが個性的な四つの地方からなる。
州都ミュンヘンを中心とするOberbayern高地バイエルン地方、
レーゲンスブルグを中心としたOstbayern東バイエルン地方、
ニュルンベルグを中心としたフランケン地方、
アウグスブルグが中心都市となるアルゴイ・バイエリッシャー-シュヴァーベン地方である。
例年のパターンだと4地方を回ってしまうところだが、バイエルン州は見所も多く、魅力的な町々が散在するので、今回の旅は“古来のバイエルン王国”であった、前の2地方だけで、後の2地方は次回の旅に残しておくことにした。従って、今回の旅は≪バイエルン王国の周遊≫と称した。
写真は南ドイツのブルクハウゼンの長い城(オーストリア側の展望台から撮った。これでも三分の一)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
<Route B20 :Salzachザルザッハ川とInn イン川の流域巡り>
“ザルザッハ川”
Salzachザルザッハ川はオーストリアのチロル山中に源を発し、西から東に真横に流れ、Schwarzach で北に向かい、Bischofshofen、Hallein、Salzburgと流れ、ドイツのBurghausenを過ぎて、Simbach近くでInn川に合流する。長さ250km。
ザルツブルグから、Inn川に合流し、ドナウ川に注ぐまでの部分はドイツ(バイエルン州)とオーストリア(オーバー・エースターライヒ州)の国境線となっている。面白いことにこの川はドイツの地図ではDonauドナウ、Innイン、Isarイザール川と異なり、存在が薄い。
ドイツ国内を流れる川ではなく、せいぜい国境を接している程度として認識されているようだ。
4.27(日) 大快晴 23℃、 217km
*朝食後、Koenigssee王の湖を9:25にスタート。 =>B20・21 24km Bad Reichenhall =>L?B305・306 15km Inzel =>B306 11km Siegsdorf =>A8 22km Piding 10:40 =><Route B20> Inn川とSalzach川の流域 11km Freilassing =>33km Tittmoning ・高台のBurg城、市庁舎。 11:20~12:05 =>17km Burghausen市内観光(12:30~15:35):旧市街、Burg;ヨーロッパで最も長い城で距離は1030m。;郷土博物館(13:30~14:15)、Aussichtkanzel展望台・オーストリア側から見る眺望。昼食はBurg内の”Burg Cafe”で(14:20~45)。Burghausenを15:35にスタートし、=>B20 10km Marktl =>5km Stammham ・B12 9km Simbach ・B12 35km Ruhstorf=>B512 8km Pumstetten =>L? 7km 古城ホテル・Hotel Schloss Neuburg 、Neuburg am Inn には16:45に到着。休憩後、夕食(3品コース)を”Schloss Neuburg” にてSpecial Arrangement利用(18:30~21:15)。
写真はTittmoningティットモニング=>Burghausenブルクハウゼンの Map -
<使用レンタカー>
Mercedes A-150 New・ 1500cc 5T オートマチック・エアコン付き。
*二人だけで朝食を楽しんだ後、Koenigssee王の湖を9:25にスタートする。大快晴の雲一つない空に心も軽く、走りだす。Berchtesgadenベルヒテスガーデンの駅前駐車場から、ドイツアルプスを代表するWatzmannヴァッツマン(2713m)の素晴らしい景観を写真に撮った。雪を頂く二つの山頂は真っ青の空に天高くそびえ、神々しい美しさだった。
名残り惜しいが、次の目的地に向かった。
=>B20・21 Bischofswiesenで昨日見た魔女の寝姿山がすっきりと前方に見えてきた。 24km Bad Reichenhall =>L?湖畔を木管が一線になり、塩の輸送が行われたと云う、小さなThumsee湖を横に見て走る。B305・306 15km Inzel(スケート競技場は国際的) =>B306 11km Siegsdorf =>A8 22km Piding 10:40 =>ここで国道20号に入った。
写真はTittmoningティットモニンクのBurgブルク(城):高台にある駐車場で小さいメルセデスA-150を停めた。 -
イチオシ
<Route B20 ;Inn川とSalzach川の流域 >
=>11km Freilassing からSalzachザルザッハ川の流れを右にみて、北に走る。国道20号は思っていたほどには川の傍を走らないが、良くできた道で大変走り易い。菩提樹の木々が葉を広げ、タンポポの黄色が目立ち始めてきた。一気に春がやってきそうな感じだ。=>33kmでTittmoningティットモニングに至る。
車を停めた城の駐車場は町や城を眺めるには絶好の位置にあり、気持ちの良い風が吹いていた。
写真はティットモニンクのBurgブルク(城)をバックに。 -
Tittmoningティットモニンクの町は高台のBurgブルク(城)がよく知られている。
その城の歴史はオーストリア領としての方が長い。Salzach川岸の高台には紀元前から砦の跡があったそうである。
700年にはザルツブルクの大司教の僧院が置かれ、その支配地に。
1234年にはザルツブルク大司教Eberhardエーベルハルト2世がこの地を世襲すると、直ちにバイエルンへの守りとして築城する。
1611年になると、バイエルンの攻撃で城は大きな被害を受ける。この為、城はザルツブルク大司教の“狩猟の館”に建て替えられ、1803年まで夏の宮殿として、長年にわたり使用されてきた。
1816年、ナポレオン戦争後のウイーン会議において、この地はベルヒテスガーデンなどと共に、バイエルン王国に譲渡された。
(町史でもこの経緯に住民の不満が高かった表現がある)
写真はティットモニンクのBurgブルク(城):がっちりとした木橋が城門に向かって掛っている。橋を渡った先に城門がある。 -
現在、Burgブルク(城)は周囲を厚い壁を持つ10mほどの高い城壁をめぐらし、昔は跳ね橋が、今はがっちりとした木橋が城門に向かって掛っている。
橋の下は深い、広い幅のある空堀になっている。
写真はティットモニンクのBurgブルク(城):二つ目の木橋を渡ると本丸がある。 -
城内の中庭には菩提樹の大木が立ち、新しい芽が噴き出すように出てきていた。大木の下に小さな泉があって、夏の盛りには涼しい木陰の下になるのだろう。
今日は観光客が誰も訪れることもなく、近所の子供たちが遊んでいた。
城の本丸の建物は1911年より郷土博物館となっていたが、休館(10~4月)中でした。まだ観光時期には早いようだ。
写真はティットモニンクのBurgブルク(城):縄張り図もあった。 -
バイエルンの観光地はここに限らず、4月まではお休みが多い。
それを承知で旅を続けてはいるが、やはり訪ねた先が閉まっていると残念に思う。毎年、5月末から6月初めにかけて、Burgfestブルクフェスト(お城祭り)が行われて、中世の騎士達が登場すると云う。
写真はティットモニンクのBurgブルク(城):可愛い花が咲いて春の到来だ。 -
10mほどの高い城壁の上に立つ。
写真はティットモニンクのBurgブルク(城):城郭内の広い馬場 -
写真はティットモニンクのBurgブルク(城):これは必需のトイレです!
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写真はティットモニンクのBurgブルク(城):城の春景色
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写真はティットモニンクのBurgブルク(城):城の春景色
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写真はティットモニンク:Burgブルク(城)から街の俯瞰
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人口6千人の城下町にちょっと立ち寄った。
町は庁舎を中心に長方形をした街並みで、泉、記念碑、Inn-Salzachイン・ザルザッハ風のパステルカラーの建物、バロック様式の教会などが見られた。
(11:20~12:05 )
写真はティットモニンク:庁舎の建物 -
ティットモニングから更にザルザッハ川岸を下っていく。17kmで Burghausenブルクハウゼンである。
写真はティットモニンク:整然と区画された旧市街 -
【1km程の長い城は難攻不落の堅城・南ドイツのBurghausenブルクハウゼン城を訪ねる】
<Burghausenブルクハウゼン市内観光>
まず見るべきはBurgブルク(城)である。
ヨーロッパで最も長い城で距離は1030m(観光案内では1000m、或いは1043mとあるが、中を取った)、防衛上、実に恵まれた川と湖に城の周辺が囲まれている。
中世の城はザルザッハ川とWoehrseeヴォール湖(川の流れが変わって、取り残された湖と思われる)に挟まれた、せまい小高い丘の背に建っている。
丘の城を望むザルザッハ川畔に沿って発展した旧市街も整然と中世の面影を残す美しい街である。
写真はBurghausenブルクハウゼン城:欧州一だと称される長い城の縄張り図・・・右から左に向かう。奥に本丸がある。 -
このブルクハウゼンにも子供達がまだ小学生の頃に、訪れた記憶がある。
夏の盛りで、子供達が冷たいジュースを飲みたいと駄々をこねられたことがあった。
その日のように上天気で、長い城郭の右端っこにあった城の駐車場から城内に向かって歩くと汗が出てきた。
この辺りが中央にUhrturm時計台がある「6Hofホフ」だ。
写真はブルクハウゼン城:城の駐車場に近く、中央にUhrturm時計台がある「6Hofホフ」ブルクハウゼン城 城・宮殿
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ブルク(城)は右手の駐車場がある外郭を6Hofホフと称し、順次、左に向かって1HofのHauptburgハウプトブルク(本丸)まで、合計6区画はそれぞれが独立した区域になっている。
昔は跳ね橋であった木橋や深い空堀が其々を遮断し、独立した城郭が出丸、一の丸、二の丸といったように、配置されている。城壁はがっちりとしたものであり、傾斜のある自然の山塊は難攻不落の要害となっている。
実際、この城は一度として、敵に侵攻されたことがないと云う。
6Hofホフには中央にUhrturm時計台があり、その昔は醸造所で、今は”Burg Cafeブルクカフェ“となっている軽食用のレストラン、ホフのKastenamt管理事務所などがある。
写真はブルクハウゼン城:「6Hofホフ」で -
この城の歴史は1180年バイエルン公・Wittelsbachヴィッテルスバッハ家の居城として築城された事に始まる。
Landshutランズフートに居城を持つNiederbayernニーダーバイエルン公の第二の宮殿として、1255年から1503年の間に現在の大きさにまで拡張された。
1475年、Georgゲオルク公爵(*「夢のようなランズフート結婚式」で知られる)は命を発し、国内随一の強固な城を完成させた。
16世紀にはオスマントルコの襲来に備え、更に城壁が強固(堅城鉄壁)にされた。それは4000人が10年をかけてようやく完成したと云う。
現在もなお、この城は中世の建築・城郭の最も大きな記念碑であり、支配者・バイエルン公の強大な権力と意志を示した存在となっている。
*Landshutランズフートの町は1839年以来、ニーダーバイエルン地方政府の政庁所在地であり、800年の歴史ある町でもある。中世の面影は今も色濃く残り、ドイツでも有数の美しい町と云われてきた。又、神聖ローマ帝国Ludwigルートヴィヒ伯爵の息子Georgゲオルク公爵が1475年に夢のような結婚式を催した事で広く知られている。
【Landshuter Hochzeitランツフート結婚式】と呼ばれているが、美しい花嫁(Jadwigaヤドヴィガ・ポーランド王女)の姿と見事な嫁入り道具の行列に、参集した市民たちは“Himmel Landshut!Tausend Landshut!”(神よ!ランツフートに、大きな恵みをランツフートに!)という歓呼の声で迎えたと伝えられている。
この当時の祝宴を再現し、今も4年毎に行われている、この町の祭りはAralの観光書でも“Maerchenhochzeitメルヘンのような婚礼”と表現されていて、祭りの期間は大勢の観光客が訪れるそうだ。一度のその季節に訪れたいものだが。(次回は来年の2009年、今の2023年で計算すると、2025年だ)
5Hofは市民用のBurgkapelleブルク礼拝堂、Spinnhausl織物小屋
4Hofには目の前にHexenturm魔女の塔と称する牢獄が立ちはだかるように立っている。中には左手にHaberkastenハーバーカステン(ハーバーの学校?にはテアターアカデミーが附属)の建物がある。
写真はブルクハウゼン城:「4Hof」には目の前にHexenturm魔女の塔 -
尚、4と3、3と2、2と1の間には防衛上の橋が架かり、深い空堀が見られた。
3Hofには右手に大きなKornkasten穀倉の建物とZeughaus兵器庫があった。
また、ここにはヴォール湖を下に見る景観の場所がある。今は自然の市民プールが出来ていて、暑いころは市民で賑わう。本丸から左手奥の湖畔にそって、城壁が向い側の外廓まで伸びているのが見て取れた。
写真はブルクハウゼン城:「3Hof」も立派なものだ。 -
写真はブルクハウゼン城:「3Hof」にはヴォール湖(川の流れが変わって、取り残された湖と思われる)を下に見る景観の場所がある。
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写真はブルクハウゼン城:ヴォール湖には自然の市民プールが出来ていて、暑いころは市民で賑わう。
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ザルザッハ川とWoehrseeヴォール湖(川の流れが変わって、取り残された湖と思われる)に挟まれた、せまい小高い丘の背に、中世の城は建っている。
写真はブルクハウゼン城:俯瞰・・・左にザルザッハ川、右にヴォール湖、中央に中世の城が見える。 -
この3と2の間に、旧市街とヴォール湖に行く階段があった。
2Hofにゲオルク公爵の建てたGeorgstorゲオルクの城門があり、右手にPfistereiパン屋・醸造所などがある。
左手に行くとStephansturmシュテファンの塔などがある。
写真はブルクハウゼン城:「2Hof」のGeorgstorゲオルクの城門 -
イチオシ
そして自然の山塊の一番奥に1HofのHauptburgハウプトブルク(本丸)の城郭が出て来る。
本丸の城郭に橋が架かり、空堀も深い。橋の向こうに「1HofのHauptburgハウプトブルク(本丸)」が立つ。
左に高くBergfried天守閣、Palasパラス(宮殿)、Schlosskapelle城内礼拝堂(聖女エリザベート礼拝堂)が並び、右にStadtmuseum郷土博物館がある。
城郭から外のWoehrseeヴォール湖に向かって手を伸ばすように城壁があり、途中にWoehrtorヴォールの門、Pulverturm火薬庫(塔)が立っている。
写真はブルクハウゼン城:「1Hof」のハウプトブルク(本丸)前で -
丘の城から眼下に望む、ザルザッハ川畔に沿って発展した旧市街も整然と中世の面影を残す美しい街である。
写真はブルクハウゼン城:旧市街、向こう岸はオーストリアになる。 -
写真はブルクハウゼン城:「1HofのHauptburgハウプトブルク(本丸)」の城壁の突端の様子
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中庭に出て、宮殿と博物館をつなぐSchwibbogenシュヴィッボーゲン(アーチ)を見ると、二つの紋章と1523年が見て取れる。
バイエルンとバーデンの紋章で、バイエルンWilhelmsヴィルヘルム四世とバーデンのJakobaeaヤコバエア王女の結婚を記念したものだそうだ。
写真はブルクハウゼン城:宮殿と博物館をつなぐSchwibbogenシュヴィッボーゲン(アーチ) -
<Palasパラス(宮殿)>
Hauptburg本丸に宮殿がある。
2階からは公爵の住居で様々な絵画、Tapeten壁掛け、家具、彫刻、武器が見られる。
写真はブルクハウゼン城・ハウプトブルク(本丸):Tapeten壁掛け -
特に印象深いのは4階に長さ15mの絵画が6品飾られていたことだ。バイエルン公の生涯を描かいた10作品の内、6品である。いずれも戦争画である。
暗くて写真の映りが悪いのが残念。
1258年のMuehldorf am Innミューレンドルフ・アム・インの戦い;バイエルン公Ludwigルートヴィヒとボヘミア王オットー・カールの戦い、
1322年のAmpfingアンプフィングの戦い;バイエルン公ルートヴィヒとパプスブルグのFriedrichフリードリヒの戦いなど、すさまじい迫力のある戦いのシーンが展示されていた。
写真はブルクハウゼン城・ハウプトブルク(本丸):長さ15mの絵画が6品飾られていた -
写真はブルクハウゼン城・ハウプトブルク(本丸):長さ15mの絵画が6品飾られていた
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写真はブルクハウゼン城・ハウプトブルク(本丸):長さ15mの絵画が6品飾られていた
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<Schlosskapelle城内礼拝堂(聖女エリザベート礼拝堂)>
1235年、テューリンゲン方伯ルートヴィヒ4世の妻Elisabethエリザベートは死後に“聖女”の称号を受け、マールブルクに聖エリザベート教会の建設が始まるが、St.Elisabeth-Kappelle聖女エリザベート礼拝堂の内陣は1255年に作られたもので、城内一の古いものだ。
礼拝堂には15世紀のフレスコ画が礼拝堂の壁面を飾っている。たかだか2~30年の間に聖女エリザベート信仰がこの地に伝播して、支配階級にも信仰されたと云うのは驚きでもある。
写真はブルクハウゼン城・ハウプトブルク(本丸):城内礼拝堂(聖女エリザベート礼拝堂) -
<郷土博物館>
13世紀以来、公妃の住居であったが、今は郷土の博物館として、様々な歴史的な品々を展示している。
(13:30~14:15 Euro 8)
写真はブルクハウゼン城・ハウプトブルク(本丸):郷土博物館の寝台・・・公妃のものではなさそうだが。 -
イチオシ
先頃、野球のメジャーで大活躍する大谷選手をUnicornユニコーン(英)と呼ぶことが多いが、伝説の生き物の一角獣をみた。
Tapeten壁掛けとなっているユニコーンは見たことがあるが、こちらは珍しい木彫りの姿だった。
写真はブルクハウゼン城・ハウプトブルク(本丸):郷土博物館の珍しい木彫りの一角獣 -
<昼食:”Burg Cafeブルクカフェ”で>
城内の真ん中にあった建物はその昔は醸造所でした。
今は”Burg Cafe”である。その店のガーデンテラスは人でいっぱいでしたが、幸い日陰の席があった。
盛り上がっている人達は一様に赤の色合いの帽子を被っている(写真右端)。伝統校である大学の学生・OBの団体と思われる。その昔から、有産階級の子弟が行った大学は世間的にも尊敬を受けて、一種独特の風習を伝えたと云う。こうした様子を見たのは初めてで、興味深かった。
写真はブルクハウゼン城:昔は醸造所、今は”Burg Cafeブルクカフェ” -
店自慢の野菜・肉、シュペッツレ入りスープ、リンゴジュース、イチゴのケーキ、ココアを頂く。
観光客は殆ど外で食べている。
(14:20~45 Euro 13)
写真はブルクハウゼン城:”Burg Cafeブルクカフェ”で -
イチオシ
<旧市街>
城郭の高台から、ザルザッハ川を見下ろす。
今日のザルザッハ川はちょっと濁っていた。上流で降った雨が影響しているのだろう。眼下の旧市街は赤屋根が周辺の緑に映えて大変美しい。
歴史あるこの街はゴシックから様々な様式の建物が軒を連ね、とりわけStadtplatzシュタットプラッツ(町の広場)周辺はパステルカラーのInn-Salzachイン・ザルザッハ様式の典型的な家並みである。
(ブルクハウゼン 観光・・・12:30~15:35)
写真はブルクハウゼン城:旧市街、向こう岸はオーストリアになる。 -
Alte Brueckeアルテ・ブリュッケが両国の岸に掛かる。これから「ホフ6」傍の駐車場に戻って、城郭を降りた。
向こう岸に渡ると、高台に展望台があると云うのでそこに行ってみる。
オーストリア側の展望台から、欧州一の長いブルクハウゼン城を見てみたいのだ。
写真はブルクハウゼン城:旧市街、向こう岸はオーストリアになる。 -
写真はブルクハウゼン城:旧市街、向こう岸はオーストリアになる。
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写真はブルクハウゼン:旧市街の俯瞰
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イチオシ
旧市街を車で抜け、ザルザッハ川に架かるアルテ・ブリュッケを渡り、オーストリア側に入った。昔は川の両側に国境守備隊がそれぞれガードしていたが、今は遮るものは何もない。
狭い急坂を上がると、「Aussichtkanzelアウスジヒトカンツェル展望台」がある。ここから見るブルクハウゼンの城や旧市街の眺望は絶景だ。
この城の長さは実際に歩いた事と、隣の国の展望台からの眺めで良く分かった。
写真はブルクハウゼンの長い城(オーストリア側の展望台から撮った。これでも三分の一) -
写真はブルクハウゼンの長い城(オーストリア側の展望台から撮った。これでも三分の一)
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写真はブルクハウゼンの長い城(オーストリア側の展望台から撮った。これでも三分の一)
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Burghausenブルクハウゼンを15:35にスタートし、=>B20 10km Marktl =>5km Stammham ・B12 9km Simbach ・B12 35km Ruhstorf =>B512 8km Pumstetten =>L? 7km 古城ホテルHotel Schloss Neuburgノイブルク、Neuburg am Innノイブルク・アム・イン に16:45には到着した。
写真はBurghausenブルクハウゼン=>Neuburg am Innノイブルク・アム・イン Map -
(1泊) ⑪ Hotel Schloss Neuburg古城ホテル ノイブルク城
D-94127 Neuburg am Inn 、am Burgberg 5
TEL:49(0)8507-911000 http://www.schlossneuburg.de
全34室・4星、144号室(中2階) =Euro105
イン川を望む高台に絵のように美しい古城が建っている。4つの塔と高々とした天守をもった城郭はなかなかのものだ。
写真はSchloss Neuburg am Inn 古城ホテル ノイブルク城:冊子カバー -
写真は古城ホテル ノイブルク城:俯瞰・・・右はイン川
-
縄張り図は入口側から次のように説明がある。
①Hoftaferneホフタフェルネ(レセプション、レストラン、ビアガーデン等の施設)、
②Vorburgフォアブルグ(一の丸にはホテル・会議場)、
③Hauptburgハウプトブルク(本丸には騎士の間、大理石の間など豪華な広間、礼拝堂などがあり、会議・催し、パッサウ大学の国際会議、地域の芸術家たちの展示場などに使用)が立ち並んでいる。
写真は古城ホテル ノイブルク城:縄張り図 -
1050年頃の築城で、中世後期の防壁、ルネサンス初期(1529年来)の改造、バロック(1654年来)への変化など、様々な変遷を示している。
写真は古城ホテル ノイブルク城のVorburgフォアブルグ(一の丸) -
Neuburgノイブルクの伯爵家の居城であり、近隣はWittelsbachヴィッテルスバッハ家(バイエルン王国)、Passauパッサウ司教区、Ortennburgオルテンブルク伯爵家の領地と接している。
写真は古城ホテル ノイブルク城のVorburgフォアブルグ(一の丸) -
1996年ホテルを開業。この4星・古城ホテルは先年の改装によって、この地方の“宝石”として更なる変化を遂げ、Niederbayernニーダーバイエルン(下あるいは低地バイエルン)地方の歴史的記念碑としての城ともなっている。
(尚、チェックしてみると、今はもうホテルを閉業したようだ)
写真は古城ホテル ノイブルク城のHauptburgハウプトブルク(本丸)
28日はノイブルクからパッサウに向かう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2023年11月29日Wiki・HP参考、訳・編集追記)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- Rolleiguyさん 2023/12/01 22:07:41
- 興味深いお城ですね。
- jijidarumaさん、こんにちは。
大変魅力的なお城ですね。パッサウやドナウエッシンゲンの辺りは行ったことがあるのですが、ここは初めて知りました。33年前にオーストリア国内にあるナチスの強制収容所マウトハウゼンを見学してからパッサウに行きました。南ドイツは案外歩いているようで見ていないお城がいくつもあります。ここには是非行ってみたいと思いますが、果たして機会があるかどうか。それにしても、流石にお城ならjijidarumaさんというほどの博識にはいつも敬服しています。お城でも町でも、奇麗だねと言うだけの見学では
もったいないので、こうしたお城に行くときには歴史も含めて十分な事前勉強が不可欠ですね。私も中世のお城に興味がわいて、『中世ヨーロッパの城塞』という本を入手しましたが、ドイツの城は詳述されておらず少しガッカリしました。お城の構造は大体似ているので、ドイツで入手出来る本があればその方がいいかもしれませんね。
またゆっくり拝見します。
Rolleiguy
- jijidarumaさん からの返信 2023/12/02 00:47:31
- Re: 興味深いお城ですね。
- Rolleiguyさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
この旅はミュンヘン空港入りと出を行いました。
そして古都Landshutランツフートの第一日にSchloss Schoenbrunn、ドイツ最終日にRomantik Hotel Fuerstenhof という、二つの古城ホテルに泊まる計画を立てました。
ランツフート、シュタルンベルク湖、Zugspitze、ベネディクトボイエルン、Wasserburg am Inn、Chiemsee、ベルヒテスガーデン、ブルクハウゼン、パッサウ、レーゲンスブルク、ランツフートとバイエルンをぐるりを廻りました。
行程を検討すると、ブルクハウゼンの特徴ある城を外せなかったですね。
それにしても6つのHofの仕組みが面白いうえに、オーストリア側からの眺望が捨てがたかったです。もう少し写真も上手く撮れたら良かったのですが。
城の縄張り図が見つかったので、理解しやすかったのです。
2008年の旅は大変様々で、本来なら旅に沿って投稿していくのが良かったのですが、この年はトピック的に漸く3篇を投稿できました。
2001、2005、2006、2007年の時期は皆似たようなものですけど。
寒くなりましたが、段々私は外出が億劫になりました。
Rolleiguyさん、日々ご自愛の上、お過ごしください。
またお立ちより下さい。
jijidaruma
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