2023/06/20 - 2023/06/26
33位(同エリア210件中)
ミータさん
この旅行記のスケジュール
2023/06/24
2023/06/25
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2020年の夏はポーランドのアウシュヴィッツに行く予定だった。しかし、コロナ禍のため旅行は延期になった。この間ナチスドイツやユダヤ人虐殺に関する本を色々読み、満を持して出かけてきた。
最終宿泊地はあの「ポツダム宣言」のポツダム。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ベルリンのブランデンブルク門駅からSバーンに乗り、ヴァンゼー駅で乗り換えて、ポツダム中央駅に到着したのが19時半頃。駅中のスーパーで夕食の買い物をし、ホテルにたどり着くと20時近くになった。
何度もドイツを訪れているが、ポツダムに来たのは初めてである。ホテルの到着時間や翌日帰国することを考えると、ベルリンに泊まるのが良いかと思ったけど、ポーランド航空にして最終日も夕方までの観光できるのでポツダムまで足を伸ばすことができた。しかもベルリンのホテルは高かった。Hotel am Großen Waisenhaus ホテル
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最後の宿はホテル アム・グローセン・ヴァイセンハウス。"Grossen Waisenhaus"を日本語に訳すと「大孤児院」という意味なのだそうだ。前日に泊まったバウツェンの宿はキーボックスから鍵を受け取る形式でスタッフは常駐していなかったから、フロントにスタッフが居たのが妙に嬉しかった。
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ホテルの案内パンフには孤児院時代の様子があった。
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細長い廊下が孤児院時代をしのばせる。
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シングルの部屋が1泊朝食付きで96ユーロ。最初はダブルの部屋しかなくて、それだと10ユーロ位高かったのかな。シングルに空きが出たので変更した。ただ事前決済ができたら14500円だったのに、現地決済のため支払いは15500円程になった。数カ月の間に円安の進行したのだ。それでも朝食付きでこの料金は安い方で、ベルリンで同等のホテルで朝食付きだと、さらに1万くらい高くなった。
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湯沸かしポットとお茶のセットがある。
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外のレストランに行く余力が残っていなかったので、スーパーで購入したサラダや果物、ドレスデンで購入したクラッカーの残り、日本から持参したフリーズドライのスープで夕食。
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洗面所のドアを開けるとシャワーがない!?
実は洗面所の入り口のドアを奥まで開けると、シャワー室をふさいでしまうのだ。 -
シャワーを浴びるついでに洗濯をする。
朝バウツェンを出発し、ドレスデン、ピルナ、ベルリン(ティーアガルテン通り4を中心に)と廻ったので、さすがに疲れた。 -
翌朝。このホテルの朝食はなかなか良かった。ハムやチーズだけでなく野菜類もあった。
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サラダなど。クラクフ、バウツェンともにアパートホテルだったので、朝食はスーパーで購入した物を食べていたが、やはりドイツのホテルの朝食は良い。
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チーズも豊富。
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キッシュかな。
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ソーセージやベーコン、スクランブルエッグ。
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ケーキやパンケーキもあった。
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つい食べ過ぎてしまう。
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8時半頃にホテルをチェックアウトし、ポツダム観光に出かける。
まずはブランデンブルク門。ベルリンのブランデンブルク門と比べると小さい。ブランデンブルク門 建造物
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サンスーシー宮殿の庭園の入り口。庭園は朝9時前でも自由に入れた。
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ブドウ畑とサンスーシー宮殿。
サンスーシー宮殿 城・宮殿
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9時前から庭園を散歩する人々が結構いた。
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サンスーシー宮殿。
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サンスーシー宮殿は時間の関係で外観見学のみ。
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宮殿側から見た庭園。
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風車もある。
歴史的風車 建造物
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サンスーシー宮殿を後にして、目指すはツェツィーリエンホーフ宮殿。
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所どころに標識があるから迷わず行ける。
そうそう、ベルリンの公共交通機関ABCゾーンの24時間チケットを購入しているのだが、ポツダムはブランデンブルク州になるので範囲外っぽい(ポツダム中央駅は範囲内)。だからサンスーシー宮殿からツェツィーリエンホーフ宮殿へは徒歩で移動。 -
大きな公園の入り口にたどり着いた。ツェツィーリエンホーフ宮殿はこの公園の北の端の方になる。
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公園の中にはいくつかのお城などがある。これはオランジェリー(温室)だったかな。
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ツェツィーリエンホーフ宮殿まで0.4㎞。
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象の形に刈り込んだ木、Elefantenbaum。
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ツェツィーリエンホーフ宮殿に到着。ポツダム宣言はこのお城で決議された。
ツェツィーリエンホーフ宮殿 城・宮殿
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10時の開館までまだ時間があったので、お城の周りをグルっと歩いてみる。
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宮殿と言っても派手さはない。
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英国チューダー様式とかいうらしい。
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結構新しい宮殿で、「1917年に当時のドイツ帝国皇太子であったヴィルヘルム・フォン・プロイセンのために建設された。宮殿の名前は皇太子妃ツェツィーリエにちなんでいる」とのこと(Wikipediaより)。1917年て第1次世界大戦中で、1918年にドイツは敗戦。皇帝は退位した。
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ツェツィーリエンホーフ宮殿の一部はホテルになっていたのだが、廃業していた。”HOTEL”の文字が消されている。泊まりたかったな。
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鹿がいた。
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そうこうするうちに10時の開館時間になった。
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入ってすぐに荷物ロッカーがあるので、リュックサックを預ける。音声ガイドもあったが、面倒なので借りなかった。
スターリン、トルーマン、チャーチル。ソ連、アメリカ合衆国、イギリスのトップの集合写真。その後米ソ冷戦があるのだが、この時はにこやかに握手している。 -
スターリン、チャーチル、トルーマン、それぞれ滞在したお屋敷かな。
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いくつかの応接室がある。
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グーグルレンズの翻訳
「『人々と世界の自由の偉大な旗がヨーロッパにはためくでしょう。』
- ヨーゼフ・W・スターリン
ソ連は戦争を乗り越えて超大国として浮上した。世界で唯一の社会主義国でした。その影響範囲は中央ヨーロッパにまで及びました。ここには、前線の「防御盾」として機能するモスクワ寄りの政府が設置されることになっていた。バルト三国、ポーランド東部、フィンランドの一部がソ連に編入された。国民(国家)社会主義に対する勝利は、2,700万人の死者と甚大な惨状をもたらし、高い代償を払った。ドイツからの賠償金は再建を助けることになっていた。ヨシフ・スターリンは、秘密警察の助けを借りて権力を確保し、異論の余地のない独裁的統治者でした。これが極端な個人崇拝によってさらに強化されたため、彼は国家と社会を統合する力となった。」 -
第2次世界大戦の年表があった。ポツダム宣言は日本も関係するので、ヨーロッパの下にアジアの戦況も書いてある。
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グーグルレンズの翻訳
ヨーロッパ
「1938 年 3 月、ヒトラーがオーストリアを併合」
「1938 年 9 月、ズデーテン地方のドイツへの割譲」
アジア
「1937 年 7 月、盧溝橋事件。日本の本格的な中国侵略の口実。アジアにおける第二次世界大戦の始まり」
「1937 年 10 月、南京占領と虐殺」 -
グーグルレンズの翻訳
ヨーロッパ
「1945 年 11 月、ナチ党の著名な指導者に対するニュルンベルク裁判の始まり」
「1945 年 11 月、ロンドンで51カ国の代表が参加する第1回国連総会」
アジア
「1945 年 8 月、広島と長崎への原爆投下」
「1945 年 9 月、戦艦ミズーリ上で日本の正式降伏。第二次世界大戦の終結」 -
グーグルレンズの翻訳
「1945 年 7 月 17 日~8 月 2 日: ビッグ 3 の最後の会合は、ヨーロッパにおける第二次世界大戦の終結を示しました。 交渉の主な争点は、ドイツをどのように統治するか、賠償金、ドイツとポーランドの国境などである。 ポツダム宣言は日本の無条件降伏を求めた」
もし日本が無条件降伏をすぐに受諾したなら、8月6日と8月9日の広島、長崎への原爆投下や8月8日のソ連の対日参戦なかったのだろうか? -
会議室。
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階段があるが、2階には上がれない。
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各国首脳の言葉
グーグルレンズの翻訳
「これは確かに、我々が戦って築き上げた解放されたヨーロッパではない(チャーチル)」 -
グーグルレンズの翻訳
「イギリス人とアメリカ人は我々を猿ぐつわにしたがっているのです(スターリン)」 -
グーグルレンズの翻訳
「ロシア人が理解できるのは強さだけだ(トルーマン)」
枢軸国(日独伊など)に対しアメリカ合衆国、イギリス、ソ連は連合国として戦ったが、米ソの対立を感じさせる言葉が書かれていたのね。 -
グーグルレンズの翻訳
英国はこの戦争から勝利を収めたものの、弱体化した大国として浮上しました。 6 年間にわたる容赦ない戦争により、この土地は経済的にも財政的にも荒廃しました。イギリス植民地帝国、特にインドが失われる危険が迫っていた。したがって、英国の観点からは、ソ連の優位性がパワーバランスを脅かしていたため、戦時中に構築された米国との緊密な政治的、経済的関係を維持することが極めて重要であった。この国の保守党と社会主義者の戦争連合は崩壊した。 1945年7月の新たな選挙でクレメント・アトリー率いる労働党が勝利した。それまで「強者」だったウィンストン・チャーチルは1週間後にポツダム会談からの退席を余儀なくされた」 -
グーグルレンズの翻訳
「1,400万人のドイツ人が祖国を失いました。短期間のうちに、彼らはドイツの4つの占領地域に吸収されなければなりませんでした。強制退去者の到来は社会的に爆発的な状況をもたらした。強制的な徴税と何年にもわたる収容所生活が原則でした。追放者は歓迎されなかった。配分紛争は国にその痕跡を残し、精神的、文化的、そして宗教的告白の面でこの国を永遠に変えてしまった。 140万人のポーランド人も祖国を失いました。この家の喪失は、今日に至るまで両社会の何百万もの家族の伝記に影響を与え続けています。外国人、アイデンティティ、祖国の問題は、21世紀になっても依然として追放された人々とその子孫に課せられています」
東プロイセン、ボヘミアやモラビア地方、シロンスク(シュレジエン)地方などにいたドイツ系住民は土地を追われ、「ドイツ本国」に移住する。ソ連がポーランド側に領土を広げた影響で、多くのポーランド人も家を失った。そのことについて書いているのだろう。 -
かつてのドイツ領はもっと東に広がっていたが、ソ連の領土拡大とそれに伴いポーランドの領土が西に移動したため、縮小した。東プロイセンのケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)はカントが大学で教鞭をとり、生涯を過ごしたのだから、ドイツ固有の領土の様に思えるのだが。
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グーグルレンズの翻訳
「ポツダムでは、戦勝三国は中東ヨーロッパの領土再編を決定した。国境が移動されました。約2,000万人が祖国を失いました。ソ連は東プロイセンの北部とケーニヒスベルク市を譲り受け(第6条)、ポーランドは南部とオーデル川とナイセ川以東のドイツ地域を譲り受けた(第9条)。東部におけるポーランドの領土喪失については議論されなかった。ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーからのドイツ人の移送は「秩序ある人道的な方法」で行われることになっていた(第13条)。辺境の最終決定は講和会議で行われることになっていた」
「ちょっとヘヴィーな旅 その6」でも書いたが、ドイツのゲルリッツとポーランドのズゴジェレツはかつて一つの都市(ドイツ)だったのに、中心を流れるナイセ川が国境線になったために2つの国に分かれてしまった。 -
ツェツィーリエンホーフ宮殿の中庭。ポツダムはソ連の占領地だったので、中心部に赤い星のマークがある。
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ツェツィーリエンホーフ宮殿から1.3㎞先のグリーニッカー橋(”Glienicker Bruecke”)を目指す。
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グリーニッカー橋。この橋はポツダムのあるブランデンブルク州とベルリンの境にある。
グリーニッカー橋 建造物
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橋を渡ってベルリンに入る。
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ここから316番のバスに乗ればベルリンのヴァンゼーに行ける。このバス路線は(ポツダム側のバス停から)、べルリンの公共交通機関の24時間チケットが使える。ヴァンゼーは「ユダヤ人問題の最終的解決(ユダヤ人の絶滅、ホロコースト)」を決定したヴァンゼー会議が行われた場所である。
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ポツダムでの歩行経路。
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