2023/07/29 - 2023/07/29
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kojikojiさん
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今年は2月の秋田の「上桧木内の紙風船上げ」と「なまはげ柴灯まつり」、青森の八戸の「えんぶり」と日本のお祭りを訪ねる旅を続けています。年明けには8月に横浜を出港して秋田の「竿灯まつり」青森の「ねぶたまつり」、高知の「よさこいまつり」と徳島の「阿波おどり」を巡るダイヤモンド・プリンセスのクルーズも予約していました。その祭りを訪ねる旅の1つとしてトラピックスの「千年の歴史を持つ相馬野馬追を観覧席からご観賞! 会津・鶴ヶ城公園と大内宿 2日間」というツアーを申し込んでいました。これは元々全国旅行支援に該当しないツアーだったので、参加費の割引はない39,900円でした。土曜日出発の東北新幹線利用のツアーなので東京駅からツアーはスタートします。休日出発なので丸の内線も混雑していないのが良かったです。人気のあるツアーなので、旅行会社のホームページに載るとすぐに催行決定になり、キャンセル待ちになっていましたが、この日のツアーはバス2台の80人ほどの参加のようです。まずは東京駅から新白河駅まで移動しますが、いつものように3人掛けの座席があてがわれているので、4組ほどの方が前後の席になっていました。我が家は往復ともに横並びの座席だったので良かったです。これはもう運しかないので、東京駅で座席表をもらうときはドキドキします。自由席がある列車であれば東京駅で自由席に並ぶ手もありますが、全席指定席だと逃げようもありません。新白河駅で新幹線を降りてバスに乗り換えて、まずは「大内宿」に向かいます。実か「大内宿」には今まで行ったことが無く、いつかは行きたいと思っていた場所なのでこのツアーに申し込んだということもありました。夏休みの土曜日なので思った通り混雑していたので、1時間30分ほどの自由時間では真っ先に「三澤屋」という蕎麦屋に並びました。15分ほどで縁側の席に座れましたが、我々が出るころには60分待ちになっていたので、時間が無い場合は早く並ぶのが良いようです。並んでいて知りましたが、LINEからも電話でも予約は出来るようなのでこれが一番間違いがありません。初めて食べる高遠そばはネギを箸の代わりにするのはかなり難しかったです。妻は高遠蕎麦で、私は水そばを注文しましたが、お出汁や具材で変化できる水そばの方が良いように思えました。冷酒の飲み比べとどぶろくもいただきましたが、地ザクを飲みながら食べる蕎麦は最高に美味しかったです。絶品だったのが茹でてマヨネーズを添えただけの隠元豆で、普段食べている野菜とは全く違う味わいでした。食後はもう30分ほどしか時間が無く、「大内宿」の一番奥の高台から宿場の全景を見て同じ道を戻るだけでした。ここはまた次の機会に涼しい季節に再訪したいと思いました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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トラピックスの「千年の歴史を持つ相馬野馬追を観覧席からご観賞! 会津・鶴ヶ城公園と大内宿 2日間」は東京駅からスタートします。新幹線を利用したツアーは便利ではあるのですが、平日出発の場合通勤ラッシュの時間帯に重なってしまうと仕事をされている方に申し訳なく思ってしまいます。今回は土曜日の出発なので気兼ねありません。
東京駅 駅
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今回のツアーはかなり前の春先にホームページにアップした時点ですぐに予約を入れていました。以前から相馬野馬追は観てみたいと思ってましたが、コロナ禍の自粛もあり久し振りの開催のようです。
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ツアーはあっという間にキャンセル待ちになり、この日添乗員さんに確認したところバス2台で80人ほどの参加者と分かりました。午前7時44分発のやまびこ205号に乗り込みますが、団体なので個別の切符はありません。配られた紙に名前と座席が記載されています。大抵の方が2名で参加していますが、新幹線の座席は3列なので前後になってしまうことが多々あります。
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バス1台を40人と考えると8列になるので4組ほどの方が前後の座席に分かれてしまいます。これは当日まで分かりませんし、仕方ないことではありますが怒り出す方も必ずいます。一度通路を挟んで左右に分かれたことがあり、その時は添乗員さんに断りを入れて自由席に移ったこともあります。ただ自由席の無い列車もあるのでこればかりは運に任せるしかありません。
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運よく横並びの席だったので朝から檸檬堂とおにぎりで軽い朝ご飯にします。東京駅を出てすぐに食べ始めないと今回は新白河駅下車なので、のんびりしている時間はありません。
新白河駅 駅
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”しらかわん”は白河市のご当地キャラクターで、眉毛は白河だるまのデザインの一部である鶴になっているそうです。新白河駅で下車するのは今回が初めてです。それ以前に福島県自体あまり旅行する機会がありません。
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改札を出たところには巨大なだるまが置かれてありました。白河市内では毎年2月11日の建国記念日にだるま市が開かれるそうです。白川城主の松平定信がお抱えの絵師だった谷文晁に命じて考案させたデザインです。だるまの眉は鶴、髭は亀、口の下に松、顔の両方に梅、顔の下に竹を模様化したそうです。
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トイレにも寄らずに駅の東口に降りてバスに乗り込みます。駅前には松尾芭蕉の像が置かれ、像の下には奥の細道からの抜粋した「心もとなき日数重るままに白河の関にかゝりて旅心定りぬ」という文が添えられていました。
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白河関は大和政権が北方の蝦夷に対抗するために建立した前線基地でしたが、後に大和(ヤマト)の勢力がさらに北進したことで軍事的意義は小さくなり、陸奥国との国境検問所という役割程度の場所になります。
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戊辰戦争以後の明治時代には白河関より北にある東北地方は内戦に敗れた「賊地」として蔑視され、薩長土肥などの官軍側からは「白河以北一山百文(白河から北は山1つにつき100文の価値しかない)」という蔑称も用いられました。2022年に夏の甲子園で仙台育英が優勝した際には「優勝旗が初めて白河の関を越えた」なんて言われました。
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バスは白河から山間部に入り、最初の目的地である「大内宿」へ向かいます。以前から会津若松をベースに「大内宿」へは行きたいと思っていたのですが、今回上手い具合にコースに含まれていました。
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阿賀川を渡るときに旭ダムが見えました。昭和電工東長原事業所への電力供給を目的として1935年に建設された自家用のダムで、ダム天端全体にわたり洪水吐があります。テンターゲートが7門が設置されていますが4門しか見えませんでした。トラス構造の四角錐を組み合わせたもので、現役のものとしては国内で最古のゲートの1つだそうです。
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新白河駅を9時20分に出て「大内宿」に着いたのは10時30分でした。ここで1時間30分の自由時間になりますが、その間にお昼を食べなければなりません。会津若松でも多少の時間はあるようですが、ここへ来たら高遠そばを食べなければ意味がありません。
大内宿 名所・史跡
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駐車場から5分ほど歩くと「大内宿」のメインストリートに入り、その右側に「三澤屋」という蕎麦屋がありました。
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先に宿場を見るかそばを食べるか迷いましたが、そばを食べることを優先しました。事前にいくつかのお店をピックアップしていましたが、添乗員さんの話しなどを参考にこの店にしました。
三澤屋 グルメ・レストラン
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すでにかなりの先客がいらして20分ほど並ぶことになりました。名前と人数を伝えるとこのような札を渡されます。
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百人一首の下の句かるたの裏側を使ったものだと分かりました。「雲がくれにし 夜半(よは)の月かな」とあったので、紫式部の「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな」という句だと分かります。妻にとっては坊主めくりでお姫様を引いたくらいのことでしょうね。
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蕎麦は「高遠そば」と「水そば」を注文することにします。おいしそうなメニューが並んでいますが、あまりに暑い日のクーラーもない座敷で食べるので冷たいものを選んでしまいます。
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冷酒の飲み比べとどぶろく注文します。
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お通しはキャベツときゅうりの浅漬け、表でも売られている煮込みこんにゃくです。
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続いて届いたのがどんぶりに入ったどぶろくです。これはかなりアルコール度数が高い印象を受けます。岩手県の遠野に行ったときにどぶろくに嵌って、色々買い求めました。
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冷たく冷やされたどぶろくは美味しいです。大内宿はどぶろく特区なので隣接する「三澤屋久右衛門」で造られたものではないかと思われます。
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お酒のお通しで出されたこの茹でた隠元豆は信じられない美味しさでした。マヨネーズを付けて食べるだけですが、野菜のおいしさが伝わってきます。多分近所でとれたものを茹でただけなのだろうと思います。家に帰って隠元を買ってきて作ってみましたが、全く違うものが出来上がりました。
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「雪中百姫年代別の見比べ」が届きました。「三澤屋」の深井戸から汲み上げた地下水を会津の名酒の醸造元「花春酒造」にて特別純米酒として作り上げた酒です。大内宿の山中の雪の中で1月から100日間寝かせ、その後に冷凍庫に床替をして育てるそうです。2023年4月の酒が十四女で、2010年に醸造された長女まで遡ります。飲み比べでは次女と六女と醸造酒の3種類がいただけます。
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こちらのお通しはなす田楽でした。いろいろ並んだ野菜が美味しいことに驚かされます。
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会津藩主の保科正之は徳川家2代将軍秀忠の子であり、3代将軍の家光の異母兄弟で、幼少を信州の高遠藩で過ごしました。7歳で保科家に養子に入り、高遠で仁政を学んで21歳の頃に高遠藩主となり、26歳のときに出羽国最上藩20万石大名として転封し、さらに加増されて会津藩23万石の藩主として会津の地に移りました。
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「大内宿」の「高遠そば」は辛み大根の搾り汁に焼き味噌を溶いた汁、それに葱をきざんで入れて食べます。素朴な味わいのそばは江戸の時代から食べられていたといわれます。「高遠そば」はその名前のとおり信州高遠に由来した蕎麦で、保科正之が高遠そばの文化を会津地方に伝えたといわれます。
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こちらは「水そば」です。冷たい氷水の中にそばが入ったままです。この水にもこだわりがあり、雪中百姫を醸造するのに使うものと同じ水を蕎麦打ちにも使っているそうです。蕎麦粉は地粉100%の十割そばで、雑味の無いすっきりとした喉越しです。
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がらみおろし大根の搾り汁と醤油を合わせた汁もすっきりした味です。「水そば」には2つの汁があり、こちらはクルミを挽いたペーストが付いています。
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こちらには大根おろしと花削りが添えてあります。
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箸は添えてありますが、まずは薬味のねぎを使って食べてみます。
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これはなかなか食べずらいです。まして「水そば」は蕎麦猪口に入れなければなりませんし、どっぷり汁に漬けるわけにもいきません。結局箸でいただくことになります。もちろんねぎをかじりながらいただきます。
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こちらも時間はありませんし、次から次にお客さんが入ってくるので早々に席を空けます。並んでいて知りましたが、電話予約も出来るようですし、LINEでの予約も出来ます。ツアーバスで到着時間が分かればLINEで予約するのがベストだと思いました。
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我々は20分で席に撞くことが出来ましたが、出るときには60分待ちになっていました。「大内宿」には90分の滞在でしたので、後にしていたら食べられないところでした。実際に同じツアーのバッチを付けた人たちが何人も諦めていました。
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次は個人出来てゆっくりしたいと思いました。ただ自家用車でないとなかなかここまで来るのは不便な場所ではあります。
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残り30分で「大内宿」を散策することにします。
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メインストリートを15分進んで、15分で戻ってくるということです。右側の店を見ながら進んで、左側の店を見ながら戻ってくることにします。
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そう思いながらも左右の店に目が行ってしまいます。ほぼすべての茅葺屋根のの建物が土産物店化飲食店になっています。こちらは「そば処こめや」で、こちらも人気があるようです。
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添乗員さんが好きだと言っていた「山本屋」という蕎麦屋さん。
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骨董とまではいかない古物を扱う店も多く見られます。
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母が亡くなって実家の片づけをしましたが、捨てられるものと捨てられないものが数多くあり、1年近く毎晩のように通いました。どうしたものか迷ったのが民芸品で、「赤べこ」も「起き上がり小法師」もありました。60年以上前の物でもあり、自分にとっても記憶の無い物なので、遺品整理の業者に出してしまいました。その当時は精神的にも疲弊していて、片付けることが最優先でしたが、今になってみると「赤べこ」は丑年生まれの自分のために買ったものであったであろうし、残しておけば良かったと後悔しています。
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「会津天神」今より400年ほど前の会津藩主だった蒲生氏郷が京都より人形師を招き、数々の郷土玩具を造らせ庶民の殖産振興を計りしことにより発祥したそうです。菅原道真を模った郷土人形は日本各地で見掛けることが出来ます。それほど人気だったのだと思います。
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子供の頃は家の近くにも消防団の建物があり、その屋上にはこのような火の見櫓が立っていました。小学校と中学校の通学路にあったのですが、いつ無くなったのか全く記憶がありません。ゴジラが現れた街の火の見櫓の上で半纏をまとった警防団員が必死に半鐘を鳴らすシーンが頭に浮かんできます。
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「大内宿」の全長約450メートルの旧街道を往還しますが、道に妻を向けた寄棟造の民家が整然と建ち並んでいます。江戸時代には会津西街道(下野街道)の半農半宿の宿場でしたが現在でもその雰囲気をよく残し、田園の中の旧街道沿いに茅葺き民家の街割りが美しいです。
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出羽三山供養塔は山形県の出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)参拝の記念に造立された石塔で、出羽三山に登拝する講集団のことを出羽三山講や三山講(さんやまこう)と言います。出羽三山供養塔は、「湯殿山」のみを刻むものと、「月山」「湯殿山」「羽黒山」の三山を刻むものに大別することができ、湯殿山4ヶ寺の檀那場であった現在の宮城・福島・山形・新潟・栃木では、湯殿山のみを刻むものが圧倒的に多いようです。
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湯殿山碑は集落の外れに置かれることが多く、「大内宿」でも同じでした。ここからは坂道を登り集落を出ますが、そこには子安観音堂がありました。本尊である観音菩薩が子授りや安産、子育てに御利益があるとして信仰の対象となり子安観音と呼ばれるようになったとされます。現在の本尊は延享3年の1746年に坂道の途中にある正法寺の住職によって勧請され安置されたもので、柔和な顔つきと子供を抱いた姿が特徴的なようですが秘仏のようでこの時は公開されていませんでした。
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坂道を登り切ったところに「大内宿見晴台」がありました。ポスターや「大内宿」を紹介するときに必ずこの場所からの眺望が使われます。
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子供の頃に見たテレビ番組の「木枯し紋次郎」のオープニングのシーンが頭の中に蘇ってきます。市川崑監督で中村敦夫主演のドラマは今見ても傑作だと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=mtzXA81K1a4 -
「大内宿見晴台」を出ると残り15分でバスまで戻ります。途中の店でつきたてのよもぎ餅と豆餅が売られていたので買おうと思いましたが、店番のおばさんの姿はありません。なぜ女性だと分かったかというと軒下にヘップサンダルが残されていたからです。母はよくヘップとだけで読んでいましたが、元々はオードリー・ヘップバーンが履いていたサンダルから来ていると知ったのはかなり大人になってからでした。
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あと30分ほどあったらもう少しゆっくり散策できたのに残念なことです。この日の予定はこの後会津若松で「鶴ヶ城」を見学し、福島市内のホテルへ向かうだけです。
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「大内宿本陣跡(大内宿町並み展示館)」にも立ち寄りたかったのですが、もう時間は残されていません。「大内宿の本陣は、会津若松と日光今市を結ぶ下野街道(南山通り・会津西街道)の拠点のひとつとして江戸時代初期に建てられ、会津藩の初代藩主・保科正之、二代藩主・正経が江戸参勤のためにこの街道を利用し、ここで昼食をとったという記録が残っています。この時の行列の総人数は約600人で、宿場内はたいへんなにぎわいであったといわれています。」と入の字にのせて水切りとした高札に書かれてありました。
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「大内宿」は戊辰戦争の戦場にもなったことから、本陣に関する記録や図面等が散失し発見されていいないようで、現在ある建物は同じ街道の糸沢宿や川島宿の本陣を参考に設計し、昭和59年に復元したものです。
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バスに戻るとすぐに出発になりましたが、暑さのせいで空調があまり効きません。バスの中でも空調ベストを着てファンを回し続けました。
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阿賀川に沿って北上して会津若松市へ向かいます。
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会津若松には妻と20年ほど前に来たことがありますが、それ以来来る機会がありませんでした。その時の旅も会津本郷焼の窯元を訪ねることと「さざえ堂」を見ることくらいしか考えていなかったので、「鶴ヶ城」も東山温泉へ行くバスの車窓から眺めた程度でした。この20年の間にNHKの「八重の桜」も観ていて興味も沸いていて楽しみにしていた場所です。
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