2023/06/11 - 2023/06/11
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かつて日本には、数万とも言われるほどのお城が存在したようですが、戦国時代の戦乱や江戸時代の「一国一城令」、明治時代の「廃城令」、あるいは米軍の空襲などによりそのほとんどは破壊されてしまいました。
現在、明治維新前からの天守が現存している城は、以下のわずか12城です。
弘前城(青森県)
松本城(長野県)☆
丸岡城(福井県)
犬山城(愛知県)☆
彦根城(滋賀県)☆
姫路城(兵庫県)☆
松江城(島根県)☆
備中松山城(岡山県)
丸亀城(香川県)
伊予松山城(愛媛県)
宇和島城(愛媛県)
高知城(高知県)
さらに、国宝指定されている城は、☆印を付けた5城だけです。
松江藩は、関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏公(堀尾吉晴の子)が、隠岐・出雲24万石を得て入封、かつての末次城跡、標高29mの亀田山に築城し、慶長16年(1611年) 正月に松江城は落成しました。
平成27年(2015年)7月に国宝に指定されました。私は、その1ヶ月前に松江に来たのですが、宍道湖畔のホテルから松江城のシルエットを見ただけで、今回やっと登城できました。
1日目
都内と千葉市内で仕事、そのまま千葉駅前に宿泊。旅の始まりです♪
2日目
成田空港からスプリングジャパンに乗って広島空港へ、バスで三原駅へ出てちょっと仕事。電車で尾道へ移動し、千光寺を参拝。
3日目
尾道から高速バスで広島へ移動、原爆ドームをお参りしてから仕事。
4日目
午前中に呉を観光、仕事を終えて高速バスで浜田へ行き、大田市駅前に宿泊。
5日目
世界遺産の石見銀山を観光、出雲に移動して宿泊。
6日目
出雲大社と松江城を観光、湯の川温泉に宿泊。
7日目
荒神谷遺跡を観光、足立美術館を見て境港に移動して宿泊。
8日目(予備日)
コナンのふるさとを訪問、サンライズ出雲に乗車。寝台列車で移動。
9日目
東京帰着。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
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一畑電車(いちばたでんしゃ)は、出雲今市(現在の出雲市駅周辺)から一畑寺(一畑薬師)を結ぶ鉄道として、大正3年(1914年)4月29日に一畑軽便鉄道として運行が開始しました。翌年、一畑坂下(一畑寺の麓)までの全線開業となりました。
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一畑電車の車内。
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一畑口駅。一畑寺(一畑薬師)の最寄り駅として、大正4年(1915年)2月4日に小境灘駅(こざかいなだえき)として開業し、昭和27年に一畑口駅に改称しました。
それまで、出雲今市から一畑寺をお参りするには、徒歩か、宍道湖を小境灘まで舟で渡るしか方法がなかったため、鉄道の敷設に際しては一畑寺が1/4の出資を行いました。
そのような経緯から、一畑口駅では途中下車が可能との車内アナウンスが流れました。
一畑寺(一畑薬師)は、標高200mの一畑山上にあり、1,300段余りの石段の参道で知られています。創建は平安時代の寛平6年(894年)、一畑山の麓、赤浦海中から漁師の与市が引き上げた薬師瑠璃光如来を御本尊としています。「目のお薬師さま」として古くから知られる臨済宗妙心寺派のお寺です。 -
昭和3年(1928年)4月5日、小境灘駅から北松江駅(現在の松江しんじ湖温泉駅)まで開業しました。また、昭和5年には大社神門駅まで延伸開業しました。
戦前は、一畑口駅から北へ向かった一畑駅まで延伸していましたが、戦時中に休止させられたまま廃止となったため、平坦地の駅にも関わらず、スイッチバック駅となっています。 -
宍道湖の北側を走る路線です。
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高ノ宮駅。
松江藩御所4大社(出雲大社・日御碕神社・佐太神社・高野宮)の一つとして崇められていた高野宮の最寄り駅です。
駅前に高野宮の一の鳥居があり、車内からも見えました。御本殿は北へ約4km、本宮山の中腹にあります。
御祭神は、大国主命の御子神の
和加布都主命(わかふつぬしのみこと)、武勇の神、また農業・畜産・産業の守護神と
下照姫命(したてるひめのみこと)、女性の守護神、安産の守護神、不浄除、厄除けの守護神
の二柱です。 -
松江しんじ湖温泉駅からバスに乗り、島根県庁前にやって来ました。
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県庁前の岸清一先生像。
弁護士で政治家、大正10年(1921年)に嘉納治五郎のあとをうけて大日本体育協会第2代会長となりました。
第8回のパリオリンピック日本選手団団長、国際オリンピック委員会委員など、日本スポーツ界の発展に尽力しました。 -
岸清一先生像。
岸清一先生は、慶応3年7月4日、松江市雑賀町に生まれました。
スポーツ振興等のために巨額の私財を投じられました。 -
お堀だと思ったら、松江市の市街地を東西に流れる京橋川でした。
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亀は万年。
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松江市のマンホール蓋。松江城下に唯一現存している武家屋敷の長屋門と石畳をデザインしています。
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松江城入り口に建つ堀尾吉晴公像。
堀尾吉晴(よしはる)公は戦国武将として名を馳せました。子・忠氏(ただうじ)公が、関ケ原の戦で功績を挙げたことにより、堀尾氏は松江藩24万石を領有しました。 -
堀尾吉晴公像。その後、宍道湖の東端に位置する亀田山に松江城を完成し、吉晴の孫・忠晴(ただはる)公が初代城主となりました。しかし後継者がなく、堀尾家の統治は三代で終わりました。
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松江城下の案内図。自然の川を城のお堀として利用している様子がわかります。
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国宝松江城の標柱と松江城天守が同時に写せるのはこの場所だけ、と係のおじさんに言われて自撮りもしちゃいました。
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本坂の石垣。
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この石垣にハート石があるというので、探しました。
ハート石に触れながらお願いをすると願いが叶うらしいので、「家内安全」を願いました。
この本坂には、自然に削られてできた「亀石」もあるようです。 -
三ノ丸へ上がる石段。
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大きな楠。
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松江城の天守。
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三ノ門跡。
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井戸の跡でしょうか。
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興雲閣。松江市が二の丸跡に松江市工芸品陳列所として建てた建物です。明治36年(1903年)9月に竣工しました。
明治40年(1907年)、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰道行啓に際して、5月22日から25日まで御旅館となり、迎賓館としての役割を果しました。 -
興雲閣。
昭和に入り戦時色が濃くなると松江地方海軍人事部庁舎、大日本防空協会島根県支部庁舎、島根県庁が焼けた後は県庁仮分室で使われたりしました。
昭和44年(1969年)には県有形文化財に指定されました。
入館無料。また、2階大広間は有料で貸切使用できます。 -
東の鳥居。出雲侍従源直政朝臣奉納石鳥居。
二の丸跡に建っています。 -
松江神社。
平成24年(2012年)、松江神社で松江城が完成した年に祈祷に使われたと思われる2枚の「祈祷札」が発見されました。これにより、松江城が国宝に再指定されました。 -
尾を高く上げた出雲型の狛犬(阿形)。
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狛犬(吽形)。
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手水舎。
元々は寛永16年(1639年)造、堀尾忠晴公が朝酌村に建立された東照宮の手水舎でした。 -
松江神社拝殿。
拝殿は、寛文元年(1661年)に堀尾忠晴公が朝酌村に建立した東照宮を移築した建物です。
松江神社は、明治10年(1877年)に、旧松江藩の有志により、西川津村楽山に松平直政公を御祭神とする楽山神社として創建されました。
明治31年、楽山神社に東照宮を合祀し、翌年、現在地に遷座して、松江神社と改称しました。 -
松江神社の扁額。
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御本殿。
御本殿は、寛永5年(1628年)に建立された東照宮を移築した建物です。
御祭神は、
松平直政公(松平初代藩主)
堀尾吉晴公(松江開府の祖)
松平治郷公(第七代藩主)
徳川家康公
の四柱です。 -
直政公銅像奉蔵庫。
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福徳稲荷神社。
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福徳稲荷神社。
ちょっと可愛らしい狛狐がいました。 -
親子狐。
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玉を持つ狐。
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ここから本丸へ上がります。
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一の門手前からの景色です。
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一の門跡。
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国宝松江城。
天守は外観4重、内部5階、地下1階で、天守の南に地下1階を持つ平屋の附櫓が付属しています。二重の櫓の上に二重(3階建て)の望楼を載せた望楼型天守です。
見事な石垣の上に築かれていますが、この石垣には恐ろしい人柱伝説が残されています。
石垣工事中に何度も崩れ落ち、工夫らの間から人柱を求める声が大きくなりました。そこで、盆踊りを開催し、その中で最も美しく、最も踊りの上手な娘を生贄にすることを決め、踊りの最中にさらわれた娘はそのまま生き埋めにされたと伝わります。
堀尾家、京極家と続けて改易となり、人々は娘の祟りと恐れたそうです。 -
松江城には、現代の武将がいました。
実にいい面構えです。 -
松江城は、入母屋破風と呼ばれる千鳥が羽を広げたような曲線の屋根を東西南北に展開していることから、別名「千鳥城」とも呼ばれます。
本丸は入場無料、天守へ入るには大人680円。 -
天守の鯱。
木彫り銅板張りの鯱が2頭、天守の頂上に鎮座しています。天守に向かって左側はうろこが荒い雄、右側が雌です。雄の高さは2.08mと、現存する木造の鯱の中では日本一の大きさです。 -
松江城天守に入場しました。地階には古い木製の鯱が展示されています。
天守の上にある鯱とは逆の配置で、左が雌です。 -
右に置かれた雄の鯱。
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国宝の決め手になった「祈祷札」のレプリカです。天守地階の柱にしっかりと打ち付けられた姿を再現しています。
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地階には、大きな井戸があります。籠城戦を想定し、飲み水確保のための井戸を地階に設けています。かつて、名古屋城や浜松城にも天守内に井戸があったとのことですが、井戸が現存しているのは松江城だけです。
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天守内の階段は、とても狭い急階段になっています。
これは、敵の攻撃を防ぐために開口部に引き戸を付けてあり、また、上から突き落としすることを想定しています。
階段の素材は、防火や防腐に効果のある桐を使っています。 -
天守の中は照明が少なくかなり暗いです。
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鬼瓦。
実際に鬼面の鬼瓦は珍しいそうです。 -
包板。
天守を支える柱には、周囲を板で包んだものがあります。この板は「包板(つつみいた)」と呼ばれ、鎹(かすがい)や鉄輪(かなわ)で留めて柱を補強するためのものとされています。 -
2階の柱、他の城と比べても柱が多いです。
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石落とし。
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パネル展示。
天保2年(1831年)、9代藩主松平斉貴公は長崎での人参輸出の許可を得て、高価な御種人参(高麗人参)を清国に輸出して莫大な利益を得ました。 -
文化5年(1808年)2月11日に松江城下の茶町(松江城の南500m付近)から発生した火災は、西南風にあおられて1200軒余りを焼失しました。
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木橋として復元した北総門橋の模型。現在は明治に架け替えられた石橋。
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慶長19年(1614年)大坂冬の陣に際し、敵将真田幸村が陣取る真田丸を攻め込む14歳の松平直政公の騎馬像です。初陣を飾った直政公を讃えて、幸村は軍扇を投げ与えたと伝わっています。徳川家康公の孫で、父は結城秀康公という名血のエピソードです。
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松平直政公初陣之像。
寛永15年(1638年)2月11日、出雲松江藩18万6千石に転封、その後10代にわたり明治維新まで松平藩政が続きました。
この像は、米原雲海(よねはらうんかい)氏作の原型を彫刻家で金沢美術工芸大学名誉教授の得能節朗氏が写した作品です。 -
この太鼓は、松江城二の丸の太鼓櫓に置かれ、登城の時刻を知らせていました。
廃城にあたり、有志が買い取って城下の阿羅波比神社に寄進したため、保存されました。 -
梁の上から立ち上がる柱。
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天守最上階は「天狗の間」と呼ばれ、壁がなく城下町を360度展望できる造りです。
しかし、かつては人柱にされた娘のすすり泣きが聞こえたという伝説が残っていました -
北側の景色。中央の白い建物は島根県立松江北高等学校。
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東側の景色。中央奥に和久羅山(標高262m)、その左に嵩山(標高331m)。
右端にうっすらと見えているのが鳥取県の大山(標高1,729m)。 -
東側の景色。中央奥に大山(だいせん)がはっきりと見えました。中央手前の建物は松江地方裁判所です。
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南側の景色。宍道湖が見えていますが、湖畔に建物が多く、江戸時代とは違う様子でしょう。写真を拡大すると宍道湖に浮かぶ唯一の島「嫁ヶ島」も見えています。
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南側の景色。中央に「嫁ヶ島」が見えます。
この島にも悲しい伝説が残されています。
昔々、姑に虐められた若嫁が、実家に逃げるため凍った湖面を渡っている途中、氷が割れて死んでしまったそう。それを哀れんだ湖の神様が一夜にして島を浮かび上がらせたと伝わっています。島は全長150m、幅27mでサッカー場のざっくり半分弱と小さいですが、堀尾忠晴公が勧請した竹生島神社の祠があります。
普段は上陸できませんが、年に数回、歩いて島に渡るイベントが実施されています。 -
西側の景色。目立つものはありませんが、真冬なら営業時間内に日没が見えるかも知れません。
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松江神社まで下りてきました。北側の鳥居、正面には興雲閣があります。
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階段途中からの景色。
天守がきれいに見えました。 -
逆光のために見づらいですが、県庁前に建つ松平直政公初陣之像です。
昭和2年に、安来出身の彫刻家・米原雲海(よねはらうんかい)氏作の直政公初陣像が松江城本丸に建立されましたが、昭和18年に戦時供出されました。
平成20年、66年振りに県庁前の広場に復活しました。この像は、彫刻家で島根大学名誉教授の倉澤實氏が製作しました。 -
県庁前からバスに乗ってJR松江駅に来ました。
明治41年(1908年)11月8日開業しました。
現在、島根県で唯一のみどりの窓口設置駅となっています。
私は松江駅で降りるつもりでしたが、一つ先の乃木駅までバスで行けるので、そのまま乗車しました。 -
JR乃木駅。瓦屋根の木造駅舎です。
昭和12年(1937年)4月10日に開業しました。日本国有鉄道時代の昭和55年(1980年)3月に、国鉄史上初の女性駅長が誕生した駅てす。 -
駅名標の下に、「国鉄初の「女性駅長」誕生駅」と書かれています。
女性駅長の吉川寿栄(きっかわすえ)さんは、3年間駅長を勤められました。 -
JR山陰本線米子行き。
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JR山陰本線出雲市行き、これに乗って荘原駅へ向かいます。
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