2023/06/10 - 2023/06/10
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この旅行記のスケジュール
2023/06/10
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レンタサイクル河村
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車での移動
13:30 ぎんざんカートで出発
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大森の町並み
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徒歩での移動
歩いて下る
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大森小学校
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大森銀山重要伝統的建造物群保存地区を歩く
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大田市駅の跨線橋
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この旅行記スケジュールを元に
世界遺産・石見銀山を探訪した続きです。
昼食をとり、元気を回復したので通年公開されている龍源寺間歩を目指しました。
私は幸運にも大久保間歩を見学できましたが、一般的には龍源寺間歩を見学しないと石見銀山を体験することができません。
しかし駐車場のある石見銀山公園から龍源寺間歩の入り口までは2.3km、しかも100m以上の標高差があります。これまでの移動方法は徒歩かレンタサイクルでしたが、昨年から6人乗りの「ぎんざんカート」が走るようになり、大変便利になりました。
1日目
都内と千葉市内で仕事、そのまま千葉駅前に宿泊。旅の始まりです♪
2日目
成田空港からスプリングジャパンに乗って広島空港へ、バスで三原駅へ出てちょっと仕事。電車で尾道へ移動し、千光寺を参拝。
3日目
尾道から高速バスで広島へ移動、原爆ドームをお参りしてから仕事。
4日目
午前中に呉を観光、仕事を終えて高速バスで浜田へ行き、大田市駅前に宿泊。
5日目
世界遺産の石見銀山を観光、出雲に移動して宿泊。
6日目
出雲大社と松江城を観光、湯の川温泉に宿泊。
7日目
荒神谷遺跡を観光、足立美術館を見て境港に移動して宿泊。
8日目(予備日)
コナンのふるさとを訪問、サンライズ出雲に乗車。寝台列車で移動。
9日目
東京帰着。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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暑い中を待っていた甲斐があり、助手席に乗車できました。席は係のおじさんが指定するので、超ラッキー!
ぎんざんカートは左ハンドルでした。
レンタサイクル河村さんから龍源寺間歩までは約3.3km、標高差130mの上り坂が続いています。 -
いも代官ミュージアム(石見銀山資料館)。
明治35年(1902年)に邇摩郡役所として建設、明治40年には皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の山陰道行啓に際して昼餐所として使われました。
戦後は大森町立新制大森中学校や私立大森保育園として使われましたが、老朽化のために取り壊しの危機もありました。それを乗り越え昭和51年(1976年)8月1日に石見銀山資料館が開館しました。
「さつまいも」で大飢饉から人々を救った名代官・井戸平左衛門の展示をメインテーマとしていることから、いも代官ミュージアムと呼ばれています。
火曜日・水曜日休館、入館料は大人600円 。 -
ぎんざんカートは、大森地区のメインストリート石見銀山街道を通ります。
寛政12年(1800年)、大森の町は未曾有の大火によって、そのほとんどが消失しました。私たちが目にする町並みは、その後に再建された町です。ただし、もう少し上流に進むと寛政の大火前の建物も残っています。 -
大森の町は、2代目奉行の竹村丹後守源兵衛によって始まりました。
約3kmの細長い道の両側に整備された大森の町は、石見銀山領4万8千石の中心となり、最盛期(寛永年間(1624~1644年)の頃)にはこの一帯に20万人が暮らしていたといいますから驚きです。現在の大田市大森町は約210世帯、500人ほどの人口です。
正面には仙ノ山が見えています。 -
オペラハウス大森座。
旧大森郵便局の建物です。大正8年(1919年)に熊谷家住宅の向かい側にあった向納屋を転用し、昭和37年(1962年)まで業務が行われました。 -
青山家住宅。
江戸時代に石見銀山の領内の村々と代官所の間を公的に取り持つ6軒の「郷宿」の一つである田儀屋でした。漆喰塗込めの外壁で大森では唯一の妻入り形式の店構えです。青山家は現在は個人の住宅のため非公開です。 -
大田市町並み交流センター(旧大森区裁判所)。
明治23年に開設された旧大森区の裁判所跡で、当時の法廷が一部復元され、無料公開されています。 -
仙ノ山(標高538m)。
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大森さくら保育園。
ここから先が銀山柵内でした。柵内というのは、文字どおり柵で囲った内側と言う意味で、仙ノ山の周囲に柵を巡らしました。銀山柵内の面積は約320ha、これは東京ディズニーランド&東京ディズニーシーの面積の約3.2倍です。 -
仙ノ山。石見銀山の始まりは、山頂付近からの露頭堀りだったようです。
鎌倉時代末期、周防の大内弘幸が北斗妙見大菩薩(北極星)の御託宣により銀を発見したという伝説が残されています。 -
今年で開校150年の大森小学校。
土曜日ですが校長先生が花に水をくれていました。 -
YAMABUKI。
さつまいもドーナツを出す喫茶店。 -
山吹城跡登山口の案内表示。
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山吹城跡登山口。
山吹城はかつて要害山の山頂にあった城です。天文2年(1533年)に大内義興が大森の銀山を守るために築城、その後尼子常久の銀山攻略で尼子氏が領有、さらに永禄5年(1562年)に毛利元就公が攻め込み、この地を納めることになりました。 -
高橋家住宅。高橋家は、江戸時代、長年にわたって採掘者のまとめ役を担っていました。
右手前のスペースが駐輪場。ここから先は徒歩になります。
左の橋は、龍源寺間歩の出口から続いている道です。 -
ぎんざんカートはもう少し先に終点がありました。
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銀山川に沿って、徒歩で龍源寺間歩を目指します。
銀鉱脈があるのは、銀山川の右岸だけで、左岸の岩山をいくら掘っても何も出なかったそうです。左岸にも採掘の跡が残っていますが、さぞかし無念だったでしょう。 -
銀山川を渡ります。
川向こうの建物が、管理所。龍源寺間歩の入場料は500円。 -
龍源寺間歩 (入口)。
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現在公開されている間歩のうち、通り抜けできるのはこの龍源寺間歩だけです。全長約500mの内、157mが公開されています。
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横へ掘った坑道を「ひおい坑」といいます。
周辺の岩は石英安山岩で、その割れ目に金属が蓄積しています。 -
ひおい坑。
龍源寺間歩は、内部に照明が設置され、観察が容易です。 -
奥へ進みます。
当時の技術では、掘子(坑夫)が1日に掘り進める距離は30cmほどでした。坑道の壁面には当時の鑿の跡がそのまま残っています。 -
ひおい坑。
立入禁止の看板はありますが、柵はありません。 -
こちらは柵で閉ざされた間歩。
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この辺り坑道が狭まっています。
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坑道の奥でも草が生えています。
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苔が生えています。
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坑道の途中に案内図がありました。
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この辺りも狭い坑道です。
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本来の坑道はこの先に続いていましたが、落盤のため閉鎖されています。
左90度の方向に新坑道が開かれ、出口に向かいます。 -
四角く掘られた新坑道、明るいです。
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龍源寺間歩の出口が見えました。
右側の壁には昔の石見銀山を説明するパネルが設置されていました。 -
ちょっと見難いですが、間歩の内部を説明しています。
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湧水を排出する仕組みを説明しています。
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龍源寺間歩(出口)。
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奥の建物は、香り本舗中村屋さん。
お土産屋さんです。
帰りは下り坂なので、大森代官所跡のバス停まで歩くことにしました。 -
龍源寺間歩ではなぜか御朱印もあります。お寺でも神社でもないし、どうなんでしょう。
これは何処かのお店に貼ってあったものです。 -
周辺にはたくさんの間歩が残っています。
発見された間歩には番号がつけられています。 -
岩の下にも間歩がありました。
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佐毘賣山神社(さひめやまじんじゃ)。
永享6年(1434年)2月16日、領主大内藤孝が美濃郡式内社佐毘賣山神社より勧請しました。その後、毛利元就公によって社殿を再建しました。 -
佐毘賣山神社。
主祭神は、金山彦命(かなやまひこのみこと)で、銀山の神・金運・産業発展の御神徳があります。 -
帰りは緩い坂道を下っていきます。
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石見銀山の鉱床断面図。
この説明が一番わかりやすいです。 -
461番は、福神山間歩。
山師が個人で経営した「自分山」の間歩の一つ。 -
銀山川を挟んで、石見銀山街道の反対側には遊歩道が設けられているので、しばらくは遊歩道を歩きました。
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清水寺山門。
元は佐毘賣山神社の別当だった神宮寺の山門(19世紀築)でしたが、昭和6年に神宮寺は清水寺に合併され、そのときに移築しました。 -
清水寺山門。市有形文化財。
57代目の代官加藤餘十郎の筆で「銀華厳」と刻まれた扁額。 -
石造不動明王立像。
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石造毘沙門天立像。
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銀峰山 清水寺の本堂。
推古天皇の時代に天地寺として創建、延暦17年(798年)に清水寺と改名し、仙ノ山中腹に移転したと伝わります。 -
普門殿の扁額。
真言宗においては、普門とは大日如来のこと。 -
普門殿の天井。
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普門殿の内部。
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吽形だけの狛犬。
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清水寺前休憩所。
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清水寺前休憩所の内部。
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石見銀山に関する研究の碑。
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史跡豊栄神社。
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豊栄神社の随神門。
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向かって右の左大臣こと豊磐間戸命(とよいわまどのみこと)が祀られています。普通はもう少し年配者のお顔です。
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向かって左の矢大臣こと奇磐間戸命(くしいわまどのみこと)が祀られています。
どちらの随神も新しいようです。 -
豊栄神社の社殿。
御祭神は毛利元就公。関ヶ原の戦い以前、毛利一族は石見銀山を支配していましたが、この地に洞春山 長安寺を建てて毛利元就公の木像を安置しました。
幕末、長州藩が大森に入ったとき、荒廃していた境内地を嘆いて整備しました。
明治3年、明治天皇の宣下により、豊栄神社となりました。 -
釜野屋さん。出雲そばと団子のお店。
暑い日でかき氷が人気でした。 -
チョコモナカアイスを食べながら涼みました。
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店内に、古民家の模型が展示されていました。
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とても良い作品でした。
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西本寺山門。石見銀山で現存最古の建造物です。
この門は、元は山吹城の追手門でしたが、江戸時代に石見銀山でもっとも影響力のある宗教的施設であった龍昌寺に移築改修しました。龍昌寺は、大正12年(1923年)の銀山閉山の後に衰え、昭和36年(1961年)に廃寺となりました。そのとき西本寺に移されたもので、石見銀山の歴史を象徴する建造物です。 -
西本寺本堂。
江戸時代の初め、大森で最も権勢を誇っていた熊谷宗右衛門尉直政が近隣のお寺を移築し、寛永8年(1631年)に創建しました。
初めは天台宗で西本坊と称しましたが、後に浄土真宗に改宗し、西本寺と寺号を改めました。
この本堂は、慶應3年(1867年、明治維新の前年)に熊谷家が再建しました。 -
霊亀山の扁額。
御本尊の阿弥陀如来像が安置されています。 -
鐘楼。
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開校150年を迎えた大森小学校。
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大森小学校の校歌の一部が刻まれています。
かわらぬまこと
ひとすじに
体をきたえ
知をみがく -
令和5年度の全校生徒は24名だそうです。
私が卒業した小学校は60クラス、約3,000名のマンモス校でした。 -
小さなお堂のように見えますが不明です。
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右手前が、ごまどうふ製造販売の中田商店さん。
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大森代官所跡へ向かう道。
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右折すると羅漢寺の五百羅漢へ向かう道。
ぎんざんカートは羅漢寺へと向かいます。 -
カッパ頭の郵便受。
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学びの家 宗岡家。
宗岡家の初代弥右衛門は、戦国大名毛利氏のもとで石見銀山の諸運上を徴収する役人を務めていました。その後、大久保長安に見出され、銀山付地役人として銀山の支配にあたっていました。
慶長8年(1603年)には佐渡に派遣されて金山開発に関わり、その功績により徳川家康公より「佐渡」という官名を拝領しました。
現在は、NPO法人石見銀山資料館により、宿泊施設として運営されています。 -
阿部家住宅。
阿部家は、石見銀山が隆盛だった寛政元年(1789年)に建てられた武家屋敷で、寛政の大火前の貴重な建物です。
平成20年(2008年)から「暮らす宿 他郷阿部家」として営業しています。 -
阿部家の周辺には寛政の大火前の建物が残っています。
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栄泉寺山門。曹洞宗。
慶長年間(1596年~1615年)の創建と云われ、文化4年(1807年)に再建されました。朱塗りの山門は水天門または竜宮門と呼ばれており、嘉永6年(1854年)に仏乗禅師が住職の頃に建てられました。 -
雪厳山の扁額。
その上の額には、◯祇園精舎之古跡とあります。 -
仏様。後方のお地蔵様は首がありません。
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栄泉寺本堂。御本尊は釈迦如来像。
代官・井戸平左衛門が旅の僧侶からさつまいものことを聞いた寺と言われています。
井戸平左衛門は、さつまいもの栽培を奨励し、飢饉での被害を防ぎました。
後年、さつまいもの種芋が境港に渡り、砂地が栽培に適していたことから広まり、天明、天保の大飢饉で人々を救ったと伝わっています。
境港から米子にかけて、井戸平左衛門を顕彰する石碑が11基も残されているそうです。 -
羅漢様。
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栄泉寺からの風景。赤い屋根瓦は石州瓦。
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こちらを怪しんでいる猫。
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大森銀山重要伝統的建造物群保存地区。
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三宅家住宅。
江戸時代、三宅家住宅は武家の田邊家の居宅でした。初代銀山奉行の大久保長安は甲斐国の田邊彦右衛門を登用し、以後、鉱山政務の役人として働くことになりました。その後も田邊家は石見銀山の初期に数多くの重要な行政職を担っていました。後には石見の銀が江戸に送られる前に押された刻印を管理するまでになりした。
寛政の大火後に建てられ、三宅家住宅として残りました(非公開)。 -
有馬光栄堂さん。
石見銀山銘菓の「げたのは」と「銀山あめ」のお店です。どちらも坑夫が食べていたと伝わり、素朴な味わいのお菓子です。 -
大森銀山重要伝統的建造物群保存地区。
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大田市町並み交流センター(旧大森区裁判所)。大森の中心にある旧大森裁判所跡で、銀山の歴史と暮らしを分かりやすく紹介、また明治23年当時の法廷を復元公開しています。
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ちょっと造りの異なる建物は、かつての遊郭だった建物らしい(現在は民家で非公開)。
当時、坑夫の寿命は大変短く、30歳を迎えると祝宴をあげるほどでした。 -
観世音寺。
大森の町を俯瞰出来る岩山の上に建つお寺です。寛政の大火で焼失、万延元年(1860年)に再建されました。
境内からは、色鮮やかな石州瓦の街並みを見下ろせるらしいのですが、この石段を登る力は残っていませんでした。 -
直接岩山にお堂とともに彫り込まれた薬師如来です。
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石見銀山まちを楽しくするライブラリー(右)があります。
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松井酢醸造店さん。
看板商品の「大森酢」は、酸度4.3~4.5%とやわらかなお酢です。 -
西性寺(さいしょうじ)山門。
寛正6年(1465年)の創立と伝えられ、元は天台宗龍泉院と号していました。その後浄土真宗に改宗し、大永4年(1524年)2代宗徳の時に西性寺と改称しました。
本堂は、弘化2年(1845年)の再建。大正時代中頃、「左官の神様」松浦栄吉氏が還暦の頃に製作した鏝絵「鳳凰」が残されています。 -
移動販売車が来ていました。
お土産屋さんはあってもコンビニやスーパーはありませんから、買い物は大変でしょう。 -
青山家住宅。
大森に6軒あった郷宿の一つである田儀屋でした。1800年代半ばに建てられたこの住宅は、2階建ての家と蔵のどちらもがオリジナルの外見を保っています。白い漆喰の壁と赤色の屋根瓦で、切妻の一端に玄関があります。
江戸幕府は、鉱山だけでなく、150の村々を管理するため、村々を6つのグループに分け、グループごとに一つの郷宿を割り当てていました。代官所に来た村人は、大森滞在中は郷宿に宿泊すること命じられていました。
6軒の豪商が郷宿とされ、代官所から出される法令等を各村々に伝達する役目も負わせていました。
青山家は個人所有の住宅で非公開。 -
理容館アラタ。
大正末期から昭和初期の面影を残しています。 -
理容館アラタの内部には、アンティークな理容椅子があり、記念撮影も自由にできます。
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山陰合同銀行 大森出張所。ATMはありません。
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熊谷家住宅。
熊谷家住宅は、寛政の大火の翌年、享和元年(1801年)に建築されました。江戸時代後期から末期にかけて御料の有力商人の身分や生活の変遷を最もよく示しており、敷地は約1,500㎡、主屋と5つの蔵と納屋からなる大規模な民家建築です。平成10年に国重要文化財に指定されました。 -
内部も公開され、大人520円で見学可能です。火曜日休館。
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熊谷家の向かいには、オペラハウス大森座があります。元々は熊谷家の納屋でしたが、明治になってからは大森郵便局として使われていた建物です。
かつて大森には、大正4年(1915年)に開業した大森座があり、連日賑わっていました。
しかし、閉山後の人口減少や施設の老朽化が進んだため、昭和39年(1964年)に解体されました。
平成19年、旧郵便局舎を大改装し、木造2階建て、100人収容の「世界一小さなオペラハウス」として新生「大森座」がスタートしました。 -
地元出身のシンガーソングライターはしめ、様々なジャンルの方が出演されているようです。
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中村ブレイス(株)。義肢装具製作会社。
昭和49年(1974年)12月20日、中村俊郎氏が創業しました。大森座の再生等々、地元の活性化を推進しています。 -
城上(きがみ)神社。
主祭神は、大物主命。その御神徳は、産業発展・方除・治病・交安・縁結びです。
石見銀山の繁栄を願う大森の氏神で、文化9年(1812年)に建立されました。拝殿の天井に描かれた極彩色の鳴龍が見どころとされています。 -
いも代官ミュージアム(石見銀山資料館)まで戻って来ました。
1日動き回ってクタクタです。これ以上の見学はやめて帰ることにしました。 -
大田市駅行きのバス乗り場。
降車の場所とは少し離れています。しかも木の影にあるので、ちょっと見つけにくいです。 -
松原小兵衛乃碑。
バス乗り場の向かい側に建っていますが、詳細は不明です。 -
大田市駅に戻りました。大正4年(1915年)7月開業。昭和45年(1970年)12月、現在の駅舎が竣工しました。
鉄道移動の場合、東京駅から最も時間のかかる本州の駅だそうです。
実はこの駅の跨線橋がとても貴重なんです。 -
JR大田市駅の跨線橋です。
ここに知られざる文化財がありました。 -
跨線橋の門柱です。
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この門柱が、「現存最古の鋳鉄(ちゅうてつ)製門柱」ということです。
1890年というと明治23年、帝国鉄道庁神戸工場にて製造されました。駅の開業よりも相当古いので、以前は別の場所で使われていたと思われます。 -
この跨線橋もかなり古そうです。床の板張りが良いですね。
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跨線橋を渡った先にも同じ門柱がありました。
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昨夜は全く気づきませんでしたが、跨線橋の登り口に大きな看板がありました。
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単なるパネルかと思ったら、違いました。
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かなめ石。銀鉱石を砕くために使われた台石。大田市川合町姫ケ谷で採石したもの。
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今回は時間が足りない&蒸し暑さと歩き疲れで資料館などは見学できませんでした。ネットでは2~3時間で見切ったとか、旅行会社のパンフレットでも滞在時間が短かったりするので、そんなものかと思っていたのですが、とんでもないです。とんでもなく面白いです。可能であれば、大森に泊って、じっくりと歴史を感じたいところです。
この面白さはもっと評価されても良いと思います。
次は出雲市へ向かいます。
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