2023/05/02 - 2023/05/02
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kummingさん
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この旅行記のスケジュール
2023/05/02
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Mercator Ballaro バラッロ市場
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Antica Focacceria San Francesco
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この旅行記スケジュールを元に
隠れテーマ(隠れてない?)、変しい変しい、(←とぼけてるばやい?)恋しい恋しい、愛しのフェデリコさま詣での旅♪
ZisaとCubaに詣ります。ちょっと街中から離れていて、歩くのは遠い、って先日雨の日に体感したので、今回はちゃっかりバス、それでもZisa→Cubaはやっぱ歩きました、なんだかんだ言っても、2 ~30分だと歩いてしまう。
そして、実は本日、訳アリお引っ越しDay;(笑)事の顛末は、別途、宿泊編にてご覧いただけたら幸いです。
引っ越しの最中に、雨、予報通り(;O;)Storm,も予報通り、雷の中のお引越し
2個に分けても良かったかな~、な写真も文字も多いこのブログ、文字が多いところはthroughして、後半の街歩きの写真だけでも見ていただければ♪
ZIZA,CUBA については↓こちらのブログ、おススメ
https://4travel.jp/travelogue/11525112
https://4travel.jp/travelogue/11523575
しにあさんの完成度の高い↑ブログと比べられると困りますが、教えて頂いた「中世シチリア王国」高山博著 も、おススメ本♪ 私はズブのシロウトで、「シチリア→マフィア→ゴッドファーザー」くらいの知恵だったのですが、FDll絡みで、「シチリア王国」に入り、この本はとても面白かったです。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝からB&B最寄りのバス停からZISAへ向かいます。
が、その前に、今日から別のB&Bに移るので、荷物を預かってもらわなきゃ!
で、昨日オーナーとこんなやり取り
↓
「荷物は後で取りに来るので置いといて良い?」
「良いよ~、明日、お掃除のスタッフが10時に行くから、彼女に鍵を渡して、代わりの鍵(私が後で荷物取りに来る時のために)を貰ってね。荷物の置き場所も彼女に聞いてね。」
という返事
「明日は早く出かけたいので、10時まで待てないんだけど?」
「じゃあ、今日中に、あなたに渡す代わりの鍵を、部屋に置いておく。今持ってる鍵は、〇〇に置いて、出かけてね。荷物は□△に置いて良いよ。」
というようなやり取り、臨機応変な対応に感謝♪
かくして、このB&Bスタッフの姿、最後まで一度も見る事なく、check outする事に
バス停の表示、分かりにくい~ -
指定されたにも預け場所は、
な~んと
共用エリアのテーブルの下(笑) -
こういうバス停の表示、慣れて来たから見つけられるけど
田舎に行くほど、バス停探しに手間取りまして
大きな看板(時刻表)あるならまだしも(-。-; -
バス降りたら、目の前♪
一昨日の迷走がウソみたい
看板に落書き、悲しいな -
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今日は庭園を抜けて、正面から攻略
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振り返る
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記念撮影も♪
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屋上が気になりますが
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どうやら近所のみなさんの、「愛犬の散歩道」として愛用されているみたい
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このマークはなあに?
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これはローマ時代の遺跡?
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ZIZAの近くにちょっと気になる教会がある、らしい
パレルモで赤く塗られていないドームをもつ唯一の1100年代の教会
と、
1700年代の聖三位一体の教会 -
こっちが
1700年代の聖三位一体の教会? -
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こっちが1100年代の教会?
Cappella della Santissima Trinita (Cappella S.S. Trinita )
王さまの礼拝堂だったとか? -
かつてはジザ城に接続されていた小さなアラブノルマン様式のチャペル
閉まっていたので中は見られず -
今日のお題 その1
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ZISA
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建設工事は1165年に開始されたと考えられているが、慣習に従い、ルッジェロ1世の死により中断、ルッジェロ2世のもとで再開され、おそらく1180年に最後の階の建設で完了した。
中世の文書では、この建物の名前は、建てられた農場と同じで、果樹園の美しさからラテン語では慰めのリサム、と呼ばれ、アラビア語では王のために働いていたベルベル人の農民がアル、アジズ(素晴らしい、輝かしい)と呼ばれていた事に由来して、アジズ→ジザ、と呼ばれていた。 -
1635年~1808年、ジーザを所有していたデ・サンドバル家の紋章
1808年にサンドバル家の最後の相続人が亡くなり、ジーザの財産はノタルバルトロ家に引き継がれます。
18~19世紀にかけて中世や東洋文明への関心の高まり(ヨーロッパで流行したオリエンタリズム)を受け、ジーザ宮殿はフランス、イギリス、ドイツで「宮殿」として有名に。「サラセン首長国の快楽」、このため、建物は彫刻、エッチング、テンペラなど数十の絵画表現で描かれ、外観と内部の建築がヨーロッパ中にひろまった。
しかし遂に、アラビア語の碑文を翻訳することに成功した時、それは大きな驚きをもって受け止められる。彼らはそれがもはやサラセン首長の快楽の宮殿ではなく、ヨーロッパの王、しかもキリスト教徒によって建てられたことに、衝撃を受けた。 -
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この木、何の実?
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まだ開館時刻前で、私以外に団体様ご一行が待っていました。ガイドさんが案内してくれるツアーみたい
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こちらは、しにあさんから
『ここでしか手に入らない希少価値ある冊子』との情報により、売店で購入
ルッジェロ2世オートヴィル(ラテン名 アルタヴィラ)は1130年クリスマスの日にパレルモで初代シチリア王に即位した。地理的に最も重要なシチリアの治世、ルッジェロ2世とグリエルモ1世の治世下ではシチリアだけでなく南イタリア全土、海外ではイフィリキヤ(現在のチュニジアとトリポリタニア)、アルバニア、コルフ島、地中海の3つの海峡、シチリア海峡、メッシーナ海峡、オトラント海峡を支配していた。
つまり、ローマ帝国コンスタンテイノープル後の最初のイタリア統治だっただけでなく、影響力のある国家でもあった。
さらにオートヴィル家は、武力と婚姻関係によって、コンスタンテイノープルのコムネノス朝の帝国にとって代わる野望があった。 -
ルッジェロ2世は、パレルモの背後にある「コンカ ドーロ」という、すでに耕作と灌漑が行われていた渓谷を見出し、そこでいくつかの土地を統合して、1つの巨大な敷地、「パルコ レージョ(王立公園)」を作った。果樹園、漁業、ヤギや羊の飼育を増やし、また、狩猟自体を楽しみ、王や王子たちが食卓を楽しむための、完璧な狩猟場となった。公園は、城壁から渓谷を囲む丘まで、数千ヘクタールに及んでいた。
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水源が豊富なため、あらゆる種類の野生植物が密生し、果樹園、とりわけレモン畑が豊かで、野生動物も多く生息していた。シカ、ダマジカ、ノロジカ、イノシシ、ウサギキツネ、あらゆる種類の鳥たち。
その後、ソラシア(パレルモの裕福なアラブ人がすでに使用していた、ローマ・ビザンチン様式の農場別荘)が建てられた。そこでは、国王の認可を受けた貴族たちが狩猟を楽しみ、どのソラシウムにも大きな建物があった。その中には、王室礼拝堂を備えた国王の住居、農民の家、農機具倉庫と手荷物車置き場、厩舎と食糧倉庫が共存していた。
本質的に、公園は王室の偉大な領地であり、治世中には他にも多くの領地が広められ、王室の国庫に高額の収入をもたらす為にも、合理的な方法で管理されていた。 -
このBookshop のおねえさんが、チケット買う時「fountain は今工事中で見れないけど、それでも良い?」と、何度も聞いてくるのを??な私は「No problem!」と躊躇なくチケット購入
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入る前後の写真ありません
入場後、こういう写真展示が色々あって
『ジーザの一階の部屋』は、現在教育博物館となっており、建物の建築上の特徴や何世紀にもわたる歴史を説明するパネルが展示されています。
代わりに、上層階の部屋は、地中海に面した北アフリカ沿岸のさまざまな国から寄せられた中世の芸術品や工芸品を展示する博物館となっています』
だそうで -
戦士の民であるノルマン人は、南イタリアを征服する過程で、フランコ・カロリング朝の文化からクリュニャック修道院の活動に至るまで、さまざまな文化的貢献を吸収した。シチリアではその複合的で異質な人口に比べて数的には少ないが、彼らが征服しようとしていたのは、世俗的な伝統を東洋の経験、ペルシア文化、グレコ・ビザンチンだった。
権力の行使は過去に起こった事との直接の連続性として現れる事によってのみ可能である、という幸福な直観の中で、彼らは北欧の伝統と西洋の経験から得た独自の文化モデルを融合し、再提案する事を知っていた。ヨーロッパで、まさにこの島の特徴である民族混合主義を生み出している。
実際、私たちは、以前のギリシア・ローマやビザンチンの経験に根ざしたイスラム文化モデルが主権者たちによって徐々に吸収され、土着の内容や経験を通して王権の行使のために再精緻化されていくのを目撃した。
君主制を強化し、政治・行政活動を構築し、封建国家誕生の基礎を築き、既存のアラブのモスクに大聖堂を重ね合わせてキリスト教の信仰を回復し、ノルマン人はそれを実現した。
君主制と政府の公式活動の象徴である王宮は、最初は都市の誕生を特徴づけた要塞に位置し、次第に田舎にまで広がっていった。巧みな運河工事によって絶えず灌漑されている果樹園や庭園について言及した旅行者の報告に記録されているように、アラブ人にとっての彼らの「力」はおそらくすでに到達していたと思われる。こうして都市周辺からモンレアーレとアルトフォン・パレルモ、西のカッペラ・ピアーラ・ソングス&コン・テ、南のブランカッチョ方面に広がる、ヴェッキオ公園とヌオーヴォー公園という広大な王室保護区が誕生した。これらは狩猟を目的としたレクリエーションの場所だった。
この広大な緑地は、イスラムの伝統によれば地上の楽園であるジェノアルドの特徴であり、植物が肥沃で豊かに茂っていた。 -
王子の生涯のシーンの最も完全なものの1つは、ラテンバーラ礼拝堂の木製天井に描かれた絵画で構成されている、12世紀半ばのものと考えられる。これは現存する最大のイスラム絵画で、アッパース朝の伝統であるイラン・メソポタミア様式の影響を強く受けている。文書不足のために帰属については定かではないが、アッパーメシア、またはファーテイマ派の芸術家の作品である可能性があると、考えられている。しかし、シチリア出身のイスラム教徒芸術家の作品である可能性も排除できない。
表現されている主題は、宮廷生活の楽しみと王子の余暇である。それは、宮廷人たちとの会合、音楽家や踊り子による饗宴、狩猟、会話やチェスのゲームなどで、全ての現実的で幻想的な寓話は、「昼も夜も決して絶えることのない」王子の幸福を願っている。
表現法は物語的に体系化されておらず、多数の人物に分割され切り離され、その間には抽象的な象徴性以外の関係性はみられない。 -
こういう絵が↓
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ムカルナス
この中に描かれていた、ってこと? -
ルッジェロ王は、ジザ宮殿の建設のおかげで、王室の建物に容積上の威信を与える傾向を生み出した。
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これらの農場別荘、まさに王室の建物には、国王だけが享受できるいくつかの快適さが備わっていた。王子の楽しみは、中世では王家だけがもっていた精神的、物質的喜びで満たされていた。精神的喜びは、王子が所有する緑豊かな領土を独占的に使用する事からもたらされ、忙しい政務の代償として、宮廷詩人の朗読や音楽家の音楽を聴き、ベルベル人踊り子の踊りを鑑賞しながらの休息、食事や狩猟、新鮮な空気など、それらは政府の義務で疲れ果てた生活への救済、補償を意味していた。
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楽園の楽しみの中でも、ワインは喜びを与えるその酩酊力により、中心的な位置を占めている。それは全ての古代宗教において象徴的に表現されている。
中世の図象では、地上の神として描かれている君主は、東洋の伝統に従って、宮廷高官に向かって謙虚に座り、手にワインを持っているように見える。
水と同様、ワインも高い象徴的価値を持ち、地中海全体の文化圏で、ワインとパセは小麦とブドウの最終産物として豊作と豊穣を象徴している。パンとワインは後にキリスト教によってキリストの体と血の同義語とみなされた。
ワインは11世紀以来、デイオニュソスの儀式において神への捧げ物の1つだった。地中海の全ての古代宗教では、神とのかけがえのない交わりが集団的儀式的に行われた。
これらのモチーフは、ワインを注ぐ事で幸福と繁栄の基礎を築く君主と酒飲みの姿でさまざまに表現されている。酒飲みの姿に音楽家やダンサーが共に描かれることが多いのは、古代以来、音楽とダンスが絶対的共同体の原始的な要素として重要な意味をもっていたからである。
ローマ起源の中世の図象は、近東やエジプト古代においてリソやハーブによく似た古代の弦楽器などさまざまなアラビアの楽器を再現している。原始社会では、儀式の踊りは、雨、愛、歴史、豊穣など、大地と空の関係を再確立するための包括的なものと考えられていた。
王室の儀式の中で、主権者と一緒に食事をすることには中心的、象徴的な価値があった。それは人種の上下関係の基礎にある団結の絆を再確認する瞬間だった。宴会中に食事やお酒を提供することは豊かな繁栄を表し、主権者にとって、健康と繁栄は実現したい願望であると同時に、神の恩寵の具体的な印となる。その意味でも、宴会は王室の娯楽の他の全ての活動と同様に、公的かつ厳粛な行為とみなされた。
君主の隣には高官が立ち、給仕係や酒を注ぐ係が料理や飲み物の配給を監督し、狩猟で得た肉や魚は中世の食卓の基本的な材料だった。料理は象徴的な価値を帯び、宴会の壮大さと演出は、富、権力、名声の具体的な証しとなった。
レクリエーション活動の中で、チェスは重要な位置を占め、その象徴的意味は、おそらく戦争の戦略に起因すると思われる。チェスの起源はかなり古く、間違いなく東洋に由来し、紀元前1世紀には中国で知られていたようだが、その後インドに伝わりそこで非常に広まった。ペルシアを経てアラブに伝わり、9世紀にはビザンツ帝国に輸入され、そこからヨーロッパに伝わった。
宮廷生活では、卓越した騎士道訓練が行われた。この絵では舞台美術的な性格が強調されており、実際には、厳格な手順に従って君主と全ての貴族立ち合いのもとで開催された。それは、時には槍、剣、棍棒で武装し、時には白兵戦で向かい合う騎士同士が衝突し、しばしば血生臭い性格を帯びていたが、儀式的な衝突を通じて、悪に対する善の勝利を再確認するという高い象徴的価値をもつ。 -
狩猟
中世における狩猟は、一方では騎兵や戦闘訓練の準備運動として、他方ではレクリエーション、娯楽として領主によって重視された。これらの目的のために、ノルマン・パレルモの城壁の外側の領土を示す大規模な王室保護区が創設された。彼らはイノシシやシカの狩猟を目的とし、一方で野生のウサギ狩は主に農民によって広く行われている活動だった。
12世紀には際立って貴族的なタイプの狩猟、鷹狩りが登場し、次の世紀にはかなり重要性をもつ事になる。鷹狩りはアラブ人が西アジアの人々から学び彼らが占領した領土に広めた可能性がある。おそらくシチリア人の血縁者によると思われる。
それは、特別に訓練されたハヤブサを使って、さまざまな水鳥を狙う狩猟の一種で、13世紀にはおそらくlle qua ne のアーチ型屋根を備えたため、フリードリッヒ2世は沼地とクアテイチが豊富にあったカピタナータに住居のほとんどを建てた。
ノルマン人の君主たちは首長たちから、中庭や噴水を特徴とする宮殿建築の快適さだけでなく、王の邸宅に併設された温熱施設を設置する習慣も学んだ。実際、パレルモを訪れたアラブ人旅行者が、浸ることによって身を清めるイスラム教の習慣に従って、古代都市の至る所にある公共のバガルであるハママンに長居したという記述が知られている。
ジーザの次に、1973年にパレルモの監督官庁によって行われた考古学的発掘により、おそらくグリエルモによって精巧に作られた複合施設よりも前の、火力発電所の存在が明らかになった。時代の経過と共に得られた、アラブの支配に起因すると考えられる要素の発見により、都市の外にローマ時代の別荘が存在したという解釈の可能性が生まれた。しかし、現在の考古学研究の状況では、加熱施設の年代を特定することは出来ない。間違いなく暖房システムの技術はローマ以前の時代に民家や別荘で使用されていた。ローマ世界では、発汗浴、温浴、ぬるま湯、冷浴、の為の部屋の暖房を段階的に行うことが可能になった。 -
王の邸宅にある東洋の庭園
国家と教会の象徴である宮殿とキリスト教大聖堂と並んで、ソラシア王は儀式と厳格な議定法廷によって成文化された正式の娯楽を通じて、王権の誇示を行った。地域の象徴的な価値をもつ庭園は楽園であり、ソラシア王は神性として理解された王家の象徴であった。
庭園は逃避と喜びの同義語であり、主に儀式や階層活動の場であり、王権の発露として管理される環境だった。
コーランの言葉によれば、イスラム庭園は、水と植生という2つの構成要素を再現する事で感覚を楽しませる場所として、楽園を再現した。
生命の源としての水の象徴的な解釈は、オアシスが神聖で宇宙性の現れであるという、奇跡的な性格を帯びる砂漠で、さらに顕著になった。
豊かな自然は、古代東洋の宗教によって水の効果とされ、神聖な文書によれば、これは神からの贈り物、つまりアッラーの働きとして超越的な要素と考えられていた。
同様にキリスト教は、水を生命の基礎と再生の要素として想定し、ギリシア・ローマの伝統とその本質的な浄化の意味を、再び結びつけた。
東洋の宗教において、庭園が楽園の表現としてみなされた場合、主権者は天と地の間の要素であり、神を代表する存在だった。 -
不死の象徴
東洋の伝統によれば、中央に典型的な十字型の噴水を備えたホールは、「楽園の比喩」(Stacke)であり、宇宙論の基礎となる要素、植物と水の建築的表現である。噴水の中心的位置と、それを支配するシンボルによって特徴づけられる様々な建築的な形状は、東洋の使用法によると、それを王座、つまり主権的で高貴な空間の卓越した場所として定義し、パーティ、宴会、披露宴の場であった。
傾斜したスラブは水流のために加工され、動いている水による光沢のある効果は、生命の源、特徴的な装飾要素を生み出す。
ビザンチン起源のモザイク、豊かな自然の中での狩猟シーン、ペルシアの伝統で典型的なクジャクは、主権の誇示、かつ高揚に関連する。
手のひらの下で矢を射る2人の射手は、実際、古代東洋の宗教に登場するように、戦士の力と軍事的優位性の象徴とみなされ、弓はあらゆる文化において王室の優秀な武器だった。イスラム世界では、弓は自然と生命の神聖な力と同一視され、イスラム教では、孔雀は矢を通じて、悪、無知、あらゆる種類の否定性を取り除くシーナとして現れる。そして矢で張られた弓は緊張し、上向きに、超越したものに向けて。
?手のひらは?勝利、再生、不死の象徴として広く考えられ、軍事勝利の象徴としての古代の本来の意味でローマの凱旋式で運ばれた??この花は??、その後原始教会によって、死に対するキリスト教の勝利の象徴とみなされた。後に聖人の殉教のの代名詞となったこの言葉は、生命の再生と死の克服を目的とした慈悲の意味を帯びる。受難の掌は最終的には救い主キリストの復活に相当する。
古代人はクジャクの甲羅は不朽であるため、変質や分解せず、時間の経過に耐えられると信じていた。これらの理由で、クジャクは不死の代名詞となり、王族や栄光と関連付けられ、それがクジャクが世界に広く普及した理由でもある。古代の象徴学や中世の図象の比喩的なレパートリーに含まれている。
キリスト教の伝統では、孔雀は太陽の輪も表し、そのため永遠の光として不死の象徴とされている。中東では通常、原初の状態と宇宙塊の再生の象徴として、孔雀が生命の樹の側に立っている。これは、車輪が永遠に変化していく宇宙全体、したがって循環の経過を表しているからである。 -
イスラムについての予習を経て
では見学開始♪ -
鍾乳石模様の天井 ムカルナス
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0階(グランドフロア)
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狭い通路
奇妙に絡み合ってほとんど迷路のような一連の廊下は外部からの侵入者を混乱させるため -
王の愛人たちは、一階のデイワンで行われる晩餐会の客たちを、見えないところで見て楽しんでいた。一階の部屋の分布は大ホールと比較するとほぼ完璧な鏡面対称になっており、はるかに小さいサービスルームだった。壁は厚く、この内2つは長く廊下に面していて、上階につながる階段があった。
非常に小さい部屋はトイレだった。他は前室と考えられているが、中央の大広間とのつながりはなく、部屋には別々の入口があった。 -
何か、工事中で入れない、見れない?
チケット売り場のおねえさんが言っていたのは、
この事だったのね! と、ここにきてやって気がつく(-。-; -
1階(日本の2階)
真鍮は、燭台、洗面器、ボウル、すり鉢など、全ての日常生活品の主な素材で、それらはほとんど、金と銀のワイヤーとラミナの象嵌で装飾されている。法廷での場面での生活の場面やクーフィー文字の碑文も残っている。 -
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彫刻された装飾が施された洗面器(手洗い鉢)
エジプト~シリア 14世紀 マルムーク朝時代
真鍮のカバーには干支のデザインが施されている。 -
装飾が施された真鍮のシャンデリア
14世紀中頃のマルムーク朝時代 -
ムカルナス
彩色は消えている -
1階の中央エリアはground floorにある広間、デイワンの天井のクロスヴォールトの上部が占めているため、部屋ではない。
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このムカルナスの中に、こんな図柄が描かれていた、って、スゴっ(*_*)
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ムカルナス
それは、ホールの境界壁を飾る尖ったアーチの隙間(元々は漆喰でできていた)の下側を裏打ちする鍾乳洞の肺胞。ムカルナスは尖ったアーチの肺胞が多く重なりあってこうちくされ、大きな蜂の巣を形造り、豊かで自然な装飾効果がある。 -
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1階 現在地
このエリアでは、崩壊したエリアと現存する構造物の境界が、はっきりと見える。復元に使用されたプレスレンガは境界を示し、元の構造を再統合された部分から明確に区別できる。
1階はground floorにある広間(デイワンDewan)の天井、クロスヴォールトがその大半を占めていて、周りに小部屋と通路があるだけみたい -
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六角形の大理石の葬祭板
この石板は、1148年に亡くなった王宮の大司祭、グリサントという人物の母親を追悼してルッジェロ1世によって発注された。
石板の中央には象嵌の十字架が施され、奉納の碑文が刻まれている。
統治時代の公用語である中世ラテン語、ビザンチンギリシア語、アラビア語、ヘブライ語で記された。 -
もっと詳しく知りたい方、向け↓
4ヶ国語の墓石
「赤い斑岩、角礫岩の緑の蛇紋岩、ガラス質の金色と赤と黄色のタイル」で装飾された白い大理石で作られた重要な墓石は、パレルモのプレ市図書館にあるサン・ミケーレのアルカンジェロ教会のもの。1149年は、この遺物がルッジェロ2世王国の最後の時代に属する事を示す。すでに19世紀初頭に研究され、この墓は保存されている最も貴重な中世の記念碑の1つとみなされている。5つの記憶石の一部、2つは失われ、他の2つはアバテルギャラリーに保管され、主にルッジェロ2世の聖職者であるアンナとドロググリサントの両親の終焉の地とされた。1148年に亡くなり、最初はパレルモ大聖堂に埋葬されたが、これはグリサントが主権者ノルマンに近かったことを証明している。しばらくして、グリサントは前述のサン・ミケーレ教会にて葬儀礼拝堂の建設を開始、1148年に完成、1153年に父親が亡くなった時、グリサントは母親のアンナの遺骨の隣に父の遺骨を置いた。
墓石の文字は上部にユダヤとアラビア語、左にラテン語、右にギリシア語の4ヶ国語ので書かれており、相対する4つの暦でアンナの死、1148年の大聖堂への前回の埋葬を思い起こさせる。そして翌年、息子によってサン・ミケーレに建てられた葬儀礼拝堂で翻訳された。おそらく、正六角形の形をした出土品は石棺の端を形成したと考えられる。
記念文を4つの言語で提示するという決定は、確かにノルマン・パレルモの文化的多様性、特にルッジェロの時代を反映したものである。彼の選択はシチリアの4つの言語グループに言及することを意図してのではなく、特定の意味を帯びている。宗教コミュニティ、ユダヤ教コミュニティ、キリスト教ラテン系のコミュニティ、キリスト教ギリシア系のコミュニティ、イスラム教(J.Johns)。
アンナを追悼する墓石は、ほぼルッジェロ政策の宣言であり、ユダヤ人とイスラム教徒の両方に対する改宗プログラムへの言及があり、ギリシア人とラテン人のキリスト教徒へのアプローチである可能性が高い。
ルッジェロ法廷で書かれた鷹狩りの論文では、代わりに話し言葉の用語が見つかり、これは、碑文が公式の文化的及び政治的選択を一緒に記録している事を示唆する。4ヶ国語の墓石を技術的に実現する事で、墓石は王宮に関する驚くべき証拠を示し、王宮のプロパガンダツールとなった。 -
2階(日本の3階)
ジーザでは、とりわけ夏の灼熱の暑さに備え、王子に身体的精神的安らぎをもたらす為に、あらゆることが考えられた。 -
強いシロッコが灼熱の空気を吹き込み、思考さえ困難になる時期に、流れる水の新鮮さと日陰は、この「喜び」の宮殿の創造者によって考案された。何世紀も前にローマの貴族が建てたように、パレルモ渓谷の豊富な水のおかげで、この宮殿の建設が可能になった。全ては専門の建築家によって綿密に研究され、建物の向きは、谷の支配する風、特に夜風に対して慎重に選択された。
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建物の最上階にはとても興味深い2つ目の大ホールがある。それはデイワンの真上、中央に配置され、壁はより複雑で、3つのエクセドラの内2つ、外側のものは最上階の内部換気を高めるために、古代には露出していた2つの前室に接している。
現在この空間は元の姿を失なっているが、現存する幾つかの要素は、私たちの想像力によってそれを再現するのを助けてくれる。
床は水平ではではなく、ホールの中心に向かって傾斜しており、そこには噴水に相当する降雨の為の小さな水溜めの痕跡が残っている。つまり、このホールが屋根で覆われておらず、「屋外」だった事を示唆している。
さらに、ホールの4隅、境界壁から離れてある4つの正方形の台座は柱の残りで、ホールの内壁に設置された柱廊玄関のカバーを支えていた。
これらの事から、今日ある屋根付きホールの代わりに、アーチを支える4本の柱からなる柱廊玄関と、その後に続く一層の屋根で柱廊玄関を覆う、一種のパテイオだったと考えられる。 -
柱廊玄関のある屋根のないホールは、ドーム内部に風が吹き込むため、シチリア建築では「風のホール」と呼ばれていた。
「風のホール」は、建物正面ファサードを見下ろすベルベデーレホールと3つのドアを通して繋がり、ここから2重、また片開きの窓のおかげで、外を眺める事ができ、公園の一部、王宮、そして青いテイレニア海を臨むパレルモの素晴らしい景色を楽しむことができた。
建物の中心に風を行き渡らせ、夏の間は何よりも内部の空気をリフレッシュさせることができた。 -
デイワンホールの起源と意味について
ジーザの他の部屋はこのホールの周囲と上に配置されていた。その重要性は(豊かな装飾でも強調されているが)、古代ペルシアでこのホールが考え出された本来の精神にある。
デイワン、すなわち3つのエクセドラのホールとは?この特別なホールの意味と多面的な用途、それが何世紀にも渡って広大な地理的領域に広がったことを理解するには、アジアに目を向ける必要がある。
イーワン(後のデイーワン)はペルシア語で、その後アラビア語に採用された。それは中庭に面した正面に柱廊玄関を備えた大広間を意味する。東、中東の王宮に典型的な大きなホールで、正方形の平面に高いドーム、鋭角、または窪みのある十字架、樽型の丸天井で覆われている。特徴は、4つの壁の内1つを完全に開き、柱廊玄関に接続された大きく高い入口のアーチがあることだった。 -
入口アーチの反対側にはデイワンと呼ばれる大理石の玉座があり、そこからイタリア語で「デイヴァーノ」と訳され、政府という意味が生まれた。西洋建築ではデイワンは「3つのエクセドラの間」とも呼ばれる。
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これは当時のもの?
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これらはエジプトの木材工芸の典型的な製品で、一般に窓や開口部のスクリーンとして機能し、室内を極度の熱や過剰な光から守る役割を果たす。室内のプライバシーを確保し、効果的な換気を行う機能も備えていた。その多くには、水の入った瓶を冷たく保つための小さな小枝もついている。
最古の例は、9世紀に遡ると思われる。 -
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グラウンドフロアに戻って
工事中なのに、何とか中が見れないものか?
この部屋見れずして、帰れましえ~ん -
何とも
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往生際の悪い
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残念無念(TT)
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床の上に、建物の正面玄関に面したプールに水をこぼすための大理石の水路がある。
ホール内の水路には、正方形の小さなたらい(洗面器)がある。この水路は、部屋の正面玄関の反対側のニッチ(隙間)に置かれた山形に覆われた斜めの(対角線の)面、をもつ噴水(サデイワン)から始まる。この噴水には、尖ったアーチ型の隙間から出てくる水が供給されていた。全体的には水を讃美するための玉座のように見える。
歴史的証明により、この装置は、水路の上には置かれたテーブルで食事をする時、空気をリフレッシュし、水に浸した果物を新鮮に保つために使用されたことがわかっている。 -
文字が刻まれた石
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建物の北側にある古代ローマの温熱施設の遺跡?
Thermal hypocaust -
まだ3歳半だったFDllは1198年5月、シチリア王に即位。それからわずか半年後、母コンシタンツアに死が訪れる。後に残していく4歳の一人息子の後見人として、法王インノケンテイウス3世に息子の安全を託した。
母と息子が一緒に過ごせた僅かの時間、この離宮で穏やかな日々を過ごした事もあったでしょうか。
このように煌びやかに復元されるのでせう
が、見せてもらえるものなら、元の姿で良かったのにね? -
これも
ローマ時代の遺跡? -
Google Mapで目星をつけたカフェ
と
思い込んで入ったが、
コーヒーがない?
変だな~、でもこのパン、焼きたてでめちゃ美味しかった♪
そのあとお目当てのカフェの前を通り、間違えてたらしい(-。-;と気づく、
私的にあるある話。
でも、だいたい地元のパン屋さんはハズレない気がする! -
確か
Catacombe dei Cappuccini カプチン派のカタコンベ
だったと思う
行きませんでしたけど(ローマで一度入ったから、ってわけでもなく) -
街で出会った素敵な人々♪
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オサレな老婦人たち♪
花束は誰のため? -
絵になるイタ男
気になる3じいじ^o^ -
本日のお題 その2
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Plazzo (Castello) della Cuba クーバ城
1180年グリエルモ2世によって建てられた。グリエルモ2世の私的休息所である広大な王室公園内に、王族の離宮として、人工湖と同時に建設。
1072年のノルマン人による征服後もパレルモに住み続けたアラブ人芸術家による装飾と設計が見られ、イスラム建築の強い影響を受けていることが分かる。 -
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まず展示を見て
宮殿の周りは池やブドウ畑、果樹園が広がり、日々の政務に疲れ王が癒しの場所として利用した。 -
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宮殿には船で行くことになっていた
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ミニチュア模型
と
実写のコラボ -
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外観は残っていますが
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建築物はどっしりとした外観の長方形の平面図で、4つのファサードは、目隠しアーケードと小さな窓、壁龕によって特徴づけられる。
中世イタリア文学者ボッカチオはクーバ城に触発された一編の作品(『デカメロン』)の舞台にした。 -
内部は
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訪問者はボートで建物に到着し、玄関に通じる小さなドアを通って中に入る。ジーザと同じく「風のホール」によく似たパテイオがあった。現在、建物を囲んでいたパテイオや柱は残っていないが、床に残った痕跡によると、かつて中央に噴水が1つ、建物外側に2つあった。
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外観的には無傷に見えるが、内部は深刻な損傷を受けている。グリエルモ2世(グリエルモ1世の次男)によって建設され、1180年に完成、シチリア王の公園の一部に建てられた。
この建物が独特なのは、高い石積みの上に建てられ、人工湖の水面から魅惑的な宮殿として現れるから。
自然に囲まれ水に守られたこの宮殿の機能は何だったのか?無分別な目や囚人のように死刑が課せられる事から守られて、王の愛人たちが監禁された住居だったようである。 -
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ところどころにムカルナスの名残りが
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Zisaのように、長方形のベースで上向きに展開し、4つのファサードのそれぞれに突き出た小さなブラックがある。部屋は縦軸に沿って配置され、玄関前庭、屋根のないパテイオ、デイワンホールがある。開いた空間と閉じた空間が縦方向に連続するこのレイアウトは、中世エジプトの住宅建築モデルに由来している。
湖や周囲の風景より建物に注目が集まる構造は、絶対的君主のみが所有できる建築であることを示唆している。 -
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うっすらと?
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建物の上方は厳重な塔で、容積はノルマン人の防御的な天守閣を思わせる。
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孤児同然だったフェデリコさまが、遊びに来ては泳いでいたのかも?
想いを巡らせながら -
では、さらば
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Piazza Indipendennza まで歩き
近くの自販機で買ったエスプレッソで休憩 -
San Giovanni degli Eremiti サンジョヴァンニ・エレミテイ教会
アラブ・ノルマン様式の教会
赤い丸屋根が5個! -
入場券がやけに高い!ので
期待してしまい
でも、Monrealeのキオストロを見た後では、
ちょっとガッカリ感は否めず -
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外から見える、まあるいお屋根を中からみたら↑ 半円形ドーム
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中庭から
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Chiostro キオストロ
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途中のお惣菜屋さん
地元客が並んでいて、入ってみたら、美味しそ~
買ってみたかった! -
ここから
無限街歩き?写真が続きます -
気にいると、同じものを食べる傾向があるわたくし
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イチオシ
洗濯物ふぇち→日除けカバーふぇち
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イチオシ
♪
-
イチオシ
♪
-
絵になるイタ男シリーズ♪
ニンニクの皮剥きingのおじさん、
「写真撮って良いですか?」
「良いよん♪」
笑顔でいいお返事いただき
絵になるイタ男シリーズ -
♪
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お世話になったB&Bへ戻り
-
無事、預けてた荷物をピックアップ♪
ホント、誰にも会わなくても完璧なサポート体制に感謝m(._.)m -
Antica Focacceria Francesco
次の宿泊先に移動しようとすると、外の雨音が激しくなって、雷まで聞こえてきた!
少しおさまるのを待って、雨支度して移動開始。
チェックインお願いしてた時刻には早いので、ついでにちょっと腹ごしらえにやって来た♪ -
雨降りに考える事はみなさん同じ?
0F、1Fとも混んでいて、2Fに案内され、「荷物あるのよ?」
階段は店員さんが運んでくれて、助かりま来た♪ -
何を頼んだか忘れたけど、美味しゅうございました。
やっぱり量は多すぎる -
絵になるイタ男シリーズ
わんこを撮る!と見せかけて盗撮 -
B&B入口でオーナーと待ち合わせ、入室
1週間前に、予約してたB&Bから一方的にキャンセルされて、急遽見つけたココですが、大正解♪ -
おひとりさま用
-
標準的なアパートの一室
って感じ -
キッチンあるけど、ガス通ってないらしい(-。-;
電気ポットは?
と聞くと、電気じゃなくてガスだけど、ガス通ってないから使えない、の一点張り(笑) さらに後日、電気ポットじゃ通じない?事に気づく(-。-;
電子レンジと湯沸かしポットさえあれば良い、わたし -
この細い狭い階段を一気に0→2階まで、荷物抱えて駆け上るオーナー(笑)
帰りは「私1人で荷物持って降りられない!」と訴えると、
教えてくれたのは「荷物専用エレベーター」
そして、エレベーターの操作方法伝授の際、オーナーのEngはかなりaboutなれど、その説明にはエネルギーと伝えたい♪という熱意があれば通じるという好例^o^
実際、ちゃんと操作して荷物は無事降ろせました。 -
荷物専用のエレベーター
-
階段、狭っ!
-
お部屋のバルコニーから
ブッチリア市場はすぐそこ -
この先の広場で
金曜の夜は朝までどんちゃん騒ぎ(°_°)
長~いブログ、お付き合い頂き、ありがとうございしたm(._.)m
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この旅行記へのコメント (2)
-
- しにあの旅人さん 2023/07/01 10:00:25
- 分割希望
- ふたつに分けてくださ~い。みっつでもいい。楽しみが増えます。
ZISA。
私たちも正面から入りました。建物の背景のナントカという三角形の山が印象的でした。
すごい雲ですね。
城館の前の連続丸屋根の右に入り口があって、地元の高校生らしき若いのがたむろしていました。
どんどん思い出しました。
王様の礼拝堂はやはり閉まっていました。
おすすめした冊子を取り出してみました。同じ表紙です。私のはフランス語版。
後ろ表紙も同じ。値段は5€で変わっていない。
お役にたちましたか?
鍾乳石みたいな飾り、ムカルナスというのですか。知らなかった。あちこちにありましたね。
Fontainは工事中でしたか。それは残念。きれいな広間でした。
城館は天然の冷房装置だったという話、ざっとは知っていましたが、ここまで詳しい解説はありがとうございます。。
Fontain、ちょっとは写っています。
中央のライオンだかなんだかの口からながれでて、階段中央の坂を流れ下るのです。
Cuba
もともと廃墟ぽい建物でしたが。荒れていない。コロナを乗り切ったのだ。よかった。
ミニチュア模型、水の位置まで青く塗られて、手が入っている。どのくらいにの深さだったか、検討つきます。
ちゃんと手を入れているみたいです。
お食事は、タコだ。お好きなんですね。酢だこみたいなものですか。
雨だ。
Zisa背後の三角山の雨雲がやってきたか。
- kummingさん からの返信 2023/07/02 08:44:15
- Re: 分割希望
- しにあさんのおっしゃる通り、2~3個に分けた方が良かったブログ、しかも完全に「文字派」の出来上がりとなりにけり(-。-;
先を急いでいる(こらえ性がなくて、1つのシリーズに何ヶ月も関わっていられない)ので、一括してしまいまして、読みにくくてm(._.)m
王様の礼拝堂だったという教会、ガイド付きツアー申し込めるみたいで、他の時は大体閉まっているのかな?
教えて頂いた冊子、売店のおねえさんに言って、出してもらいました、知らなかったら多分手にしていなかったので、ほんとにありがとうございました。裏表紙に5ユーロとありますが、10ユーロ払ったような?私の記憶違いでしょうね。フランス語版お買い上げとは(°_°)さすがでごいます~
あの冊子の中で、18~19世紀にヨーロッパでオリエンタリズムが流行って、その後ようやくアラビア語の碑文の翻訳なった時、ここがイスラム王の宮殿ではなく、ヨーロッパの王、しかもキリスト教徒によって建てられた事が衝撃をもって受けとめられた、と書いてあり、感慨深かったです。
建物の説明は、ほとんどあの冊子からの抜粋です。著作権問題?しにあさんみたく、厳密に検討しないで載っける(笑)
館内掲示の説明文は、今回google 翻訳で楽チン!こんな便利な機能があるとは知らなくて、ローマ編に比べてめちゃ楽になりましたが、時々前後の意味も単語の意味も???ですが、そこはご愛嬌、って事で(笑)
ムカルナス、当初は彩色されていた、という事をアルハンブラ宮殿の頃に知って、確かに中央アジアやイランなどのイスラム建築には残っているみたいで、いつか見てみたいな~
Fountain修復中でした、あんまり綺麗になってもね?とは思いますが…、修復前に見たかったです。
CUBAも一部修復中のようでした。コロナ乗り越え、無事営業していました♪ FDllが泳ぎに来ていたんですよね⁈
お気に入りのお洗濯物や日除けだらけの路地を抜け、パラテイーナ礼拝堂やあの辺の公園、ヌアヴァ門も全部王様の所領、狩場や遊び場、農園だったんだ!って知って通った帰り道、なんか違った風景に思えました。
パレルモで2回雨にあい、この後のトラパニ、エリチェ、チファル、お天気晴れ必須!につき、予報と睨めっこの毎日でした。次1日とばして、海~♪ の写真、お楽しみくださいね^o^
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