2023/02/23 - 2023/02/23
9911位(同エリア30135件中)
kojikojiさん
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- 3,467,890アクセス
- フォロワー169人
この旅行記のスケジュール
2023/02/23
この旅行記スケジュールを元に
「国民革命忠烈祠」の衛兵交代式の見学をした後はバスに乗って「国立故宮博物院」に移動します。ここの見学は90分しかありません。同じようなほかのツアーだと120分としているところが多いので少し残念ではあります。ここへ来るのは2回目ですが、20年振りでのことです。その間に何度か台湾へは来ていますが、一時館内の写真撮影が禁止されていたこともあり、足が遠のいていました。それが何年か前に撮影が可能になり、3年前の台湾周遊のツアーではここを訪れるのを楽しみにしていました。ところが台風のせいで博物館自体が行政により閉鎖になってしまい、見学することが出来ませんでした。コロナ禍で行けなかったこともあり、この日を楽しみにしていました。入り口でイヤフォンガイドを借りた後はガイドさんの説明で館内を1時間周り、30分の自由時間ということです。気持ち的には1時間30分離団したいと頃ですが、買っても出来ないので一緒に行動しました。説明を聞きながらも同じ展示室の興味ある展示品の写真を撮っていました。最後の30分では絶対に観たかった古代の青銅器、特に饕餮紋の美しい銅器と明時代から清時代の陶磁器を集中的に見学しました。最初から書画の見学は諦めざるを得ませんでした。頭の中を王義之の書などが浮かびますが、近いうちのもう一度来ようという気持ちに切り替わっていきました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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入り口でイヤフォンガイドを借りて全員でガイドさんと一緒に館内に入ります。本当は別々に行動したいところですが諦めました。
国立故宮博物院 博物館・美術館・ギャラリー
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ここへ初めて来たのは20年ほど前でしたが、その間にリニュアルもされているようで、以前の記憶とは違っています。その時はフィルムカメラで写真を撮っていたので枚数も限られていました。出来た写真の仕上がりも気に入らずいつかもう一度写真を撮りたいと思っていました。今回は気に入った展示品だけを撮りましたが、すごい枚数になってしまいました。
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「画琺瑯鳳紋盤」清康熙年製
本体を銅で十六弁の盤の形に造っています。折り台形で白地に青巻草文彩色、低い立ち上がりの内側には多色草葉文が描かれています。見込みの中央には赤い模様の花と8つの縁起の良い鳳凰が全面に描かれています。盤の裏面は白地で「康熙帝製」の文字が二重線尾円の中に書き込まれています。その周りに8つの葉のパターンが放射状に配置されています。 康熙年代末期の琺瑯画の成熟期の作品と思われます。2色の鳳凰はどちらかが鳳でどちらかが凰なのかもしれませんが色以外に違いはありません。 -
「画琺瑯黄地牡丹紋蟠龍瓶」清雍正年製
青銅の器の形はラマ教のチベットの花瓶を模しています。 折り畳まれた縁は車輪の形をしており、平らな肩には2つの金メッキの蟠龍が浮き彫りになっています。 台座は金メッキで、器の底には「雍正年制」の文字が額縁なしで刻まれています。 器全体が鮮やかな黄色で、福(こうもり)、長寿(桃の実、レイシ)、富(牡丹)を象徴する文様が描かれ、前面には金龍が散りばめられた独特の形をしています。器の豪華さは皇帝が使う器であると思えます。 -
「琺瑯瓢箪式扁瓶」明時代
ひょうたん型に平らな瓶口、容器側面には金メッキの耳と小さく短い足がつけられています。 胴体は銅でその上に青地多色七宝焼が施されています。上腹部と側面は蓮華文様、下腹部は桃の木、桃を抱く鶴、御殿の軒などの文様で飾られています。反対側は梅竹と神仙の住む山が描かれています。中国語では「鹿鶴」と「六合(天・地・東・西・南・北の全ての世界)」の発音が近いので、鹿鶴 ×と六合 で、 全世界が春を迎えることを意味します。 -
「金胎内填画琺瑯西洋仕女執壺・杯・盤」清乾隆年製
カップの内側は2つの技法で装飾されており、西洋の人物の母と子がエナメルで描かれています。 器の内側と底には水色の釉薬がかけられており、外側の底には青色の文字で「乾隆年製」と刻まれています。 -
「琺瑯天雉尊」清時代
青銅の雉の形を模した青銅の尊(酒器)です。頭部とラッパ形の口、背中と尾は金でメッキされ、さまざまな色を用いた羽は模様で覆われ、巻いた尾羽と脚が台座になっています。器は重厚で釉薬の色が鮮やかで華やかです。 -
「銀胎掐糸琺瑯獣面紋方觚」清時代
銀製のボディに広がった口と垂直に立ち上げた口縁、肩を広げて腹部が平らで、脚部が外側に広がっています。饕餮紋を七宝で表した非常に精巧に造られた古代青銅器を模した作品です。 掐糸琺瑯は有線七宝に相当する技法のことです。口と足の縁には瓜子龍が彫られ、鐘口の四方には動物の顔が彫られています。蝉の文様や肩には芭蕉の葉が飾られています。 -
左:「粉紅碧璽齋戒牌」清時代
中央:「金緑松石齋戒牌」清時代
右:「翠玉齋戒牌」清時代
「金緑松石齋戒牌」は長方形の金糸の飾り板で、前面と背面に満州語で「速い」という意味の漢字がラピスラズリで象嵌されています。象嵌されたターコイズの花の模様に囲まれ、上下にリボンと赤珊瑚の珠で結ばれています。 乾隆年間の清宮の「着用文書」によると新年の最初の月に穀物を祈る祭壇に犠牲を捧げるために使用された王室の衣装には、壊れた松石の断食板が含まれていました。 -
左:「内填琺瑯象珠西洋人物齋戒牌」清時代
右:「蜜蝋桃式齋戒牌」清時代
最近観ていた中国の歴史ドラマ「延禧攻略」では乾隆帝と魏瓔珞の持ち物が気になりました。 -
「東珠朝珠」清康熙年製
清王朝の正典制度は東珠王朝の真珠は、宮殿で壮大な式典を行うときに皇帝や皇后のみが着用できると規定していました。 清の皇室は松花江の下流と北東部の支流で生産された淡水真珠である東珠を非常に重要視し、かつては宮殿だけがそれを使用できるとしました。 -
「緑松石朝珠」清時代
緑松石はトルコ石のことで、以前にトルコを旅した際にイスタンブールの宝石店で、トルコ石の付いた金製の指輪を母へのお土産にしました。珍しく母からの希望でもありました。母が亡くなって妻へ渡った指輪は小指にしか入りません。金も高騰してきているので売ってしまおうか心が揺れています。 -
「金嵌東珠珊瑚領約」清時代
皇后陛下や儀式で叙階された全ての女性の頭飾りとして使用されます。 額に着用し、背中で結びます。 象嵌の素材やビーズの数、ペンダントベルトの形状は女性の階級によって異なり、緑松石や東珠を使用することの出来る人は側室以上の階級に限られました。 -
「鏤珠石花弁帯頭腰帯」清時代
黄色は皇帝の色なので、皇帝の使用した腰帯なのだと想像できます。 -
「銅鍍金彫玉空雲龍紋帯環」清時代
清の宮廷が明王朝後期の玉龍模様のベルトクロスを銅の台座にはめ込んでいます。 しかし衣服の着方の変化により、当初のセットには長方形や桃型など約20枚の帯板が含まれていましたが、桃型の4枚のみが選ばれました。 もともと左右に向いていた桃の形をした先端も上向きになり、下の金属銅製のリングはナイフや財布、コンパスや楊枝ホルダーを吊るすために使用され、典型的な満州族の衣装になりました。 -
「紅木套紅琺瑯福如意」清時代
3つの象眼細工はそれぞれ白い地の上に赤の装飾が施され、丸い頭の上部は蝙蝠と霊芝と卍の形で飾られ長寿を意味します。 蝙蝠と二重の魚のパターンで飾られたハンドルの中央にある長い楕円形の巣は、祝福を象徴しています。 つま先の丸い袖は蝙蝠と桃で装飾されており、長寿を意味する白い翡翠が装飾されています。 -
下:「玉年年有餘」清乾隆年製
上:「玉迓福霊芝」清乾隆年製
このような玉の装飾品は収蔵目録を見ると数知れず納められているようです。 -
「鏤空龍紋盒」清時代
金型鋳造や細線細工、溶接などの方法で作られた向日葵の花びらの形をした箱です。 蓋の上部は2匹のドラゴンで囲まれ、外側の円は8つの宝の模様で飾られ、花びらの形をした円周は花柄で覆われています。 箱の底の中央は8枚の花弁で、周囲の細線細工は雲の形をした渦巻きです。このような細工の容器を初めて見たのは北京の明十三陵の博物館でした。その精緻な金線の加工に驚いたことを思い出します。 -
「瑪瑙霊芝如意」清時代
「如意」とは「思いのまま」の意味で、笏と同様に権威や威儀を正すために用いられるようになりました。 -
「銀鍍金松鼠葡萄簪」清道光年製年製
ターコイズの明るい緑は一目で人々の注意を引き付けます。 葡萄の葉は3つのグループ分かれ、 両側の葉にはさまざまな宝石で作られた葡萄の房があります。 金糸で織られた2匹のリスが葉を登り、上下に向かい合い、鮮やかで遊び心のある姿をしています。 中央の葉は両側の賑やかさとは対照的で、中央には白い真珠が埋め込まれています。 -
「銀鍍金點翠嵌寶福寿簪」清道光年製年製
點翠は中国の伝統的な貴金属加工技術です。清王朝の宮廷衣装は主に翡翠の羽と金、銀、真珠を使用され、真珠や柘榴、桃や蝙蝠など祝福と長寿を表すもので構成されます。 -
「景泰款掐糸琺瑯三羊尊」明時代
肩の周りに3つの金色の羊の頭が見えます。器の表面は水色で、首の装飾は鳳凰に龍、胴部には2組の松竹梅と3人の人物や太湖石が描かれています。 底面の銅製の台には長方形のフレームに「大明景台年製」の文字が2段に分かれて彫られてあります。 -
「犀角雕螭紋觥」清時代
古代の「杯」の形を模した犀の角の彫刻です。器全体の外壁と口縁には歯と爪のある数頭の龍を浮き彫りと透かし技法で彫り、その隙間に雲の文様を施してあります。龍の体は鱗まで精巧に彫られて本物そっくりです。 錦重と木箱も誂えてあります。 -
「雕楊木鏤空瓜瓞筆筒」清前期
密で温かみのある黄楊材を彫り抜いて広がる瓜畑が目に浮かびます。左後方に古い幹があり、上端から2本の枝が弧を描いて突き出しています。幹は密集した枝葉に分かれています。 古い幹の下端から2本の枝が突き出ており、1本は短くて前足となり、もう1本の枝は横に伸びて瓜の葉や実で覆われており、わずかに湾曲しダイナミックなバランスを形成しています。中空の彫刻法により技葉は複雑で自然に表現されています。瓜の意味は子孫繁栄の比喩です。 -
「三多如意」清時代
3つの象眼細工の如意は台座と象嵌が際立っています。 この如意は木で造られ、外側は金漆で塗られ、器全体が枝の形に彫られ、柄の中央部分がわずかに盛り上がり、頭、腹部、足には大きな枝と葉が彫られています。中国には「多福多寿多男子」(たくさんの福とたくさんの寿とたくさんの子供に恵まれますように)という言葉があり、ここにはそれぞれ「福」「寿」「子」を象徴した食べ物があり、ここでも「多福」を象徴して彫られた果物が「仏手柑(ぶしゅかん)」で、「多寿」を象徴して描かれたものが「桃」で、「多子」を象徴して描かれたものが「柘榴」です。 -
「竹黄瓜式梵盒」清前期
黄楊で彫られた南瓜で、蓋物になっています。黄楊の色が美しい飴色に変わっています。昔香港の茶芸博物館で購入した黄楊材の茶鋏と茶合などの道具も早くこれくらいの色にならないかと思いました。 -
右:「彫竹根牧童臥牛」清時代
左:「彫竹根馬上封候」清時代
器全体が地下にある竹の幹を切り出し、水牛の背中に座る羊飼いの少年を丸く彫ります。 牛の4本の脚はすべて内側に曲げられてひれ伏した状態です。十牛図を思い出させるような姿です。 -
「彫象牙九層塔」清時代
1本の象牙から彫られた塔は9つのフロアに分かれており、各フロアには6つの側面があり、それぞれに弥勒菩薩が座っており、軒には鐘が下がっています。 -
座っている仏像は各層で同じではなく、1層の弥勒菩薩は腹を露出させ、胡坐をかいて左手に数珠を持っています。第2層の仏像は率直な姿で座っています。 第3層では僧侶の姿で座っています。 第4層では左手で腹部の前に数珠を持っています。 第5層の仏像は胸をむき出しにし、左手に巻物を持っています。第6層では定印を結んでいます。
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第7層では僧侶の姿で座っている形です。 8層と9層の仏像は腹を露出させて座っています。 1階は両側に2連ずつ5つのフェンスに囲まれており、各パネルの中央には数字が刻まれています。 反対側には出入り口と軒があります。
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清朝後期の南派象牙彫刻の特徴的な作品であり、民国40年の1951年になってから日本の宮内庁から返還された古物の1つであるため、その品番は「日中彫刻」のカテゴリーに入れられています。
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「彫象牙透花人物套球」清晩期
象牙多層球の作り方は旋盤を使って象牙から球体を掘り出し、球体の中心に向かって円錐状の穴を複数個開け、開けた穴から鉤型の工具を横方向に差し込んで、1層づつの玉を掘り出してゆくというものです。この作品は23層の回転する球体がこの中に収まっています。 -
理屈ではどのように作られたのかが分かっても、改めて球体の穴をのぞき込むとその超絶的な技巧に溜息が出ます。ガイドさんの説明は簡単なもので、ポイントポイントの有名な作品を見るにはよいのですが、個人的な好みも入っているようでちょっとイライラしてきます。
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「彫犀角菊花小圓盒」清時代
清王朝の18世紀にサイの角に彫られた菊模様の小さな丸い香盒のような容器です。19個ある約1センチの小さな果実の種に彫刻が施され、柑橘や柘榴や桃の実は福禄寿を象徴しています。蝶や花籠やその他の彫刻にはさまざまな意味があり、見る者に視覚的な驚きと楽しさを感じさせます。 -
「彫象牙竹林七賢臂擱」清時代
伏せた状態では四つ足で、正面下部に波状の竹形模様のレリーフ、右下隅に陰線を刻んだ笹の葉の模様、そして竹林の七賢の立体的な高浮き彫りがあります。竹林の中央には4人の長老が石の上に座って話しをしているようです。少年はお茶を出しているようです。右にいる男の子2人は煎茶用の湯を沸かしているようです。 下の2人の長老が橋の上に立ち、楽器を持った少年を伴い、下端は川の流れのようです。 -
「水晶雙環瓶」清時代
水晶の色は透明ですがわずかに不純物があり、底部に向かって茶色になっています。 口はわずかに突き出して首はまっすぐ伸び、胴部は広がりを持たせ、両側の耳には輪があり、器全体はわずかに八角形です。水晶という素材を生かすために通常は装飾は施されません。 -
「瑪瑙福寿桃幹形水洗」清時代
瑪瑙は細かな結晶の集まりの潜晶質構造のため組織の間に着色処理ができます。この水洗もその技術が使われているものと思います。福寿を意味する桃の枝と実が実り、台座には霊芝が彫られています。 -
「瑪瑙佛手花挿」清乾隆年製
こちらも瑪瑙で佛手柑の形を掘り出し、花入れに見立てています。佛手柑を初めて見たのは台湾の九份だったことを思い出しました。 -
「彫金八仙」「金壽星・張果老・鍾離權・曹國舅・呂洞賓・韓湘子・藍采和・何仙姑・李鐵拐」
神仙思想は紀元前3世紀ごろから山東地方を中心に広がったもので、「不老不死」「不老長寿」が存在することを信じて深い山や渓谷の奥に身を潜めて「仙道」と呼ばれる修行を積みます。仙人になるための修行を経て自らも不老不死、不老長寿の身に近づこうとします。仙道は徐々に道教に取り入れられて民間に浸透しました。八仙は男、女、老、少、貧、富、貴、賤を代表的に表しています。 -
「珊瑚魁星點斗盆景」清時代
植木鉢に立つのは植物ではなく、不思議な形をした像です.清王朝の宮廷で非常に人気のあった縁起の良い盆栽です。北斗七星の「魁星」は言い伝えによると、もともと学識のある学者だったが、醜い容姿のために科挙に合格できず、怒って水に身を投げましたが助けられ、そののちは栄華を極めて人々に崇められる神となったといいます。「魁星」は「魁」の文字が鬼と斗に分けられるので、鬼が升を持った姿で表されますが、ここでは升を持っていません。 -
「五彩瓷龍紋山形筆架」明萬暦年製
5つの山頂の形をした磁器の筆架で、全体に不規則な穴が開いています。 底に白釉を施し、五つの丘のそれぞれに茶・緑・黄・青・赤の龍頭を描き、龍の体は筆軸の奥まで伸びています。5つの色は陰陽五行に倣ったと思われます。色は生き生きとして鮮やかで、一般的な萬暦磁器のスタイルとはかなり異なります。 木製の台座の細工も素晴らしいです。 -
「剔紅雲龍紋小櫃多寶格」含木箱共109件
清宮は明王朝の嘉靖王朝の漆のキャビネットを多宝として使用し、キャビネット本体は12つの層に分かれていて、各層には41、3、6、7つの抽斗があり、保管されている文化的遺物は主に清王朝の製品です。 -
内容には清時代の墨8枚、明と清王朝の小翡翠陶器6点、書道小冊子3枚、清王朝磁器22個、西洋のエナメル装飾の時計など合計109個が納められています。
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その1つ1つのクオリティの高さには驚かされてしまいます。自分でも骨とう品や陶器を収集していますが、こんなことが出来たら幸せだろうなと思います。
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展示作品の中で名前のある多宝格は「収」の概念が強調されています。箱という限られた空間に異なる材質の小さな古玩をまとめて収納し、そのコレクションに1つの名前を与えています。
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どの名前にも美しい玉を表す文字─瓊や琳、天球などの字が使われており、これらのコレクションがどれほど大切にされていたのかが分かります。この名前は収蔵者が1つの箱にまとめて収納した貴重な宝物の代名詞にもなっています。考えればこの博物館自体が1つの箱のように思えてきます。
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「名山蔵方形多寶格匣」含む木箱5件
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「四方圓多寶格匣」含む木箱10件
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「日本蒔絵松竹二層小箱多寶格」含む木箱41件
日本の蒔絵の箱も海を渡り、新王朝の多寶格となり、博物館に収まっています。 -
「百寶嵌歳朝圓紫漆地八方盒」含む木箱17件
紫漆金象眼細工の翡翠の花柄の箱は縦横37センチで高さ13センチです。 四隅を切り落とした形で八角形となっています。納められた玉などは17点とほかの多寶格と比べると少なく思えます。 -
箱の表面は紫色の漆で緑翡翠、白翡翠、瑪瑙、トルマリン、蜜蝋、珊瑚、トルコ石、黄楊の木、染められた象牙などの素材が用いられています。中央には大きな瓢箪瓶があり、南天竹の枝と梅の花が生けられています。右側には2株の水仙が咲いています。 正面には葡萄、柿、柘榴などが置かれています。 左側は金魚の水槽で、 背中には松の枝が見えます。
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「羅漢床」も巨大なガラスケースの中に収まっていました。これは清代恭親王府の紫檀家具を居間として再現しています。以前に行った杭州郊外の「富春山居」というリゾートホテルのパブリックスペースにはこの床が置かれ、自由に寝そべることが出来ました。驚いたのはユウガオの実で作られた伝統的な虫具「葫蘆(コロ)」が置かれてあって、その中には生きたキリギリスが入っていました。映画「ラストエンペラー」で観た愛新覚羅溥儀の気分になってひと時を過ごせました。
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303号室は特別展示として清時代の鼻炎煙壺の展示がされていました。上段が「透明琺瑯鼻煙壺」下段左が「銀製羅盤星座鼻煙壺」右側が「銀胎画琺瑯西方仕女鼻煙壺」で、それぞれ18世紀の作品です。
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「玻璃胎画琺瑯鼻煙壺四十三件貯於蒔絵漆盒」清乾隆年製
この鼻煙壺のコレクションも素晴らしかったです。中国に伝わった嗅ぎ煙草ですが、乾燥したヨーロッパでは箱型が主流でしたが、湿気の多い中国では使えませんでした。薬瓶として使われていたガラスや陶磁器の小瓶に栓をして代用しました。その栓に小さじを付けたのが鼻煙壺が発達するきっかけになりました。 -
「腰練式金鎖掛玻璃鼻煙壺」1765年英国製
ガラスの容器に金メッキの金物を被せています。その金属部分に時計を仕込んだ贅沢な鼻煙壺です。この当時は時計はヨーロッパでしか作れなかったので、恐ろしく高価だったのだと思います。久能山東照宮には慶長16年の1611年にスペイン国王フェリペ3世から海難救助のお礼として徳川家康に贈られた洋時計が神宝として残されています。ムハンマド・アリが「ルクソール神殿」のオベリスクをフランスに贈ったお礼としてフランス王ルイ・フィリップから贈られた巨大な時計をカイロで見たこともありました。 -
団体での見学はまだまだ続きます。迷子になる人が出てきてその度にストップして時間が無駄に流れます。台湾の高校生の社会科見学がたくさん来ていました。
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「肉形石」は清時代に瑪瑙で豚バラの角煮を再現した宝飾品として有名です。瑪瑙のもつ赤と白の縞目で赤身と脂身の層が表されています。角煮の皮の照りは瑪瑙ならではの染色技法が用いられています。
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4面ガラス張りのケースに収められていますが、どの面から見ても美味しそうな肉の塊に見えます。
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この「肉形石」と双璧の「翠玉白菜」は以前に見ていますが、この時は嘉義の故宮南院に移動して展示されるために台北にはありませんでした。
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「石鉞」「玉弧刃刀」「玉鉞」良緒文化中晩期
良渚文化は長江文明における一文化に位置され、紀元前3500年ころから紀元前2200年ころにみられました。乾隆帝は良渚産の美玉を好んで収蔵し、これを愛でて楽しんだそうです。もっとも当時はこれが2000年から3000年前の周や秦や漢時代から伝わる宝物と勘違いしていたようです。 -
「玉琮」良緒文化
古代中国で祭祀用に使われた玉器で、外形は方柱状で長軸方向に円形の穴が貫通し、上下端は丸く円筒状になります。方柱部の四隅には浮彫りや細線で、幾何学文様や神面、獣面や巨眼などが彫刻されました。円筒形の穴は天を表し、方形の外周は大地を象徴しており、琮は天地の結合のシンボルであると考えられています。 -
「玉琮」良緒文化
古代中国で祭祀用に使われた玉器の櫛です。 -
「龍鳳紋玉角形杯」西漢早期
淡いシアンの翡翠は部分的に茶色になっています。杯は特別な形をしており、ユーラシア草原の文化の影響を受けているようです。 前の龍の頭は浮き彫りになり、尾は杯の先端の周りで下向きに曲がり、捻れた尾は正面の右側に伸び、爪で支えられています。 背中には鳳凰もデザインされており、鳳凰の羽の冠が龍の尻尾を通って巧みに上に向けられながら花柄に変わっていきます。 -
「覆面玉石飾件」西周晩期
26個のセットである覆われた翡翠のパーツです。 人間に似せて彫られた顔の特徴は、外装に縫い付けられた翡翠の装飾品でなければなりません。 玉黄のイヤリングとまで揃えられています。広州の博物館で絲縷玉衣を見たことがありますが、玉衣を身に纏うと体が朽ちないと信じられていました。 -
「金片包玉緒猪」西漢晩期
遺体に施された翡翠の喪葬玉です。口の部分が蝉になっていますが、蝉は不死あるいは死後の生を象徴します。蝉は芋虫のような幼虫として数年を土の中で暮らし、
成虫になる時に地上に出て羽が生え空を飛ぶようになります。その様子が人が仙人になって羽が生え、神仙世界に昇仙する様子とよく似ているので、「羽化登仙」という意味を持ちます。古代中国では死者の「羽化登仙」を願って、口に蝉の形をした玉を含ませて埋葬しました。また蝉は高い木の上で樹液だけを吸って生き、歌い暮らすので「高潔清貧」という意味も持ちます。 -
「禅地玉冊」宋真宋祥符元年
この本は本体は竹簡で作られるものを倣して、翡翠で作られました。宋鎮宗が大中翔府元年の1008年に泰山の隣の社首山(現在は蒿里山)で封禅の儀式を行うために使用しました。材質は崑崙山から集められた白く輝く翡翠(ネフライト)です。 翡翠の本には穴が開けられ、金属線で接続できます。 表側には金泥で合計1008文字が刻まれており、内容は皇帝が儀式中に地に犠牲を捧げるときに読む祝詞です。 -
「螭虎紋玉飾」「螭紋玉環」「蒲紋玉壁」「倣古玉簋」簋は穀物を盛る祭器の名で円形のものをいいます。
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「雙身龍鳳紋玉壁」西漢早期至中期
もともとは碧玉(ジャスパー)でしたが埋葬による変色に加え、収蔵中に染まる可能性があるため現在は暗褐色です。 このタイプの二重体の獣模様の翡翠は戦国時代の半ばに登場し始め、西漢王朝で広く普及しました。 一般的には棺桶の挿入物として、墓の埋葬者の頭と胸の下と背中の下の枕として納められました。このような大きな玉壁の製作は簡単そうに見えますが、非常に高度な技術を伴う難しいものだそうです。 乾隆帝はこの玉を詳細に観察して解釈し、詩を贈りました。 -
「玉提樑壺」清中期
本体は南瓜を模しており、注ぎ口は羊の頭に彫られています。 壷の持ち手は三本の撚り線の形をしており、上端は蓮の葉でまとめ、根本は蓮の葉形がデザインされています。若い頃に買い求めた宜興の茶壷と注ぎ口がよく似ているので気に入りました。 -
「碧玉菊瓣盤」新中期
緑玉(ジャスパー)の濃い緑色に惹かれます。 広い口で浅い腹に平らな底。 腹部は菊の花びらのように凸状に切り出され、外底には浅浮き彫りで菊の文様が彫られています。 -
「玉如意雙尊」清中期
翡翠は青みがかった白と部分的に薄い黄土色をしています。 左右の瓶には蓋が付いています。瓶にはそれぞれ鳳凰が刻まれており、大きな霊芝の上に多くの小さな霊芝が刻まれています。 木製の座があり、明らかに装飾や鑑賞目的に使用されていたのだと分かります。 -
「玉雲龍仙鶴觚形瓶」清中期
形状はゴブレット型で4枚の花弁の觚形をしています。 龍が口に沿って登っている彫刻があり、その下には雲鶴と霊芝のレリーフ彫刻があります。 -
「玉鏆空花弁紋香薫」清中期
器全体が二重のレリーフと刳り貫かれた牡丹の花と葉の文様で飾られています。 器は香辛料の花びらや花の香を入れるためのもので、中空の模様から香りが放たれます。 -
「玉竹渓六逸圓筆筒」清乾隆年製
器の外壁には青々とした竹林の中を旅し、景色を眺めたり会話をしたり、さまざまな姿勢の6人の仙人が彫られています。 密集した竹の枝は彫刻技術の技を存分に発揮しています。 清の高宗60年に口端に正字で刻んだ勅命詩が残されています。 -
「玉群獣插屏」清乾隆年製
白い玉の木の上には瑞獣が遊ぶ左右対称のデザインになっています。 -
「碧玉屏風」民国
日中戦争時に汪精衛が昭和天皇に贈り、戦後になって返還されたものだそうです。汪兆銘(ワン・ジャオミン)/汪精衛は中国国民党副総裁で、辛亥革命の父である孫文の側近として活躍して党の要職を占め、1940年3月には南京に日本の傀儡政権である汪兆銘政権を樹立し、同年11月には正式に主席となります。 -
重慶にたてこもって日本と戦いつづける蒋介石とは別に、南京国民政府を樹立して日本との和平交渉に踏み切った汪兆銘は後に「売国奴(漢奸)」のレッテルを貼られ、中国革命の歴史から抹殺された文人政治家です。
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「翡翠彫花鳥瓶」民国
これも日中戦争の時代に汪精衛が香淳皇后に贈った翡翠の花瓶一対のうちの1つだそうです。これら2点は北京の故宮から運ばれたものではなく、どのような経緯でここへ収蔵されたのか、その来歴が気になります。 -
左:「金珀花煙壺」清代
中央:「金珀雙鴛鴦」清代
右:「青金石山子」清代
金珀は琥珀(アンバー)のことです。はラピスラズリの主成分である鉱物ですが、これほど見事なものは皇帝の持ち物にふさわしい気がしました。上部には「乾隆玉」の四角い印があります。 下の山には2つの石があり、それぞれに乾隆仁武晩春と義友春跳が書いた皇帝の詩文が彫られてあります。 -
右の腕輪は「翡玉鐲」と「翡翠鐲」で、緑色の翡翠は「翠玉帯鉤」でベルトのフックと「翠玉扳指」は親指の指輪です。
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左から水晶を刳り貫いた「水晶圓鑵」、「墨晶未刻圓章」とあるので文字を彫っていない印章で黒水晶で出来ています。「紫晶仙人」と「髪晶彫馬背猿」も可愛らしいです。水晶の種類の多さを初めて知りました。「水晶圓鑵」には乾隆年製の文字が刻まれています。
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「瑪瑙水盛」清時代
瑪瑙、薄く、半透明のトープのテクスチャーで、部分的に黒い斑点が混ざっています。 器全体は、瓢箪を半分に割った形に縦に彫られ、片側に中空の枝葉があり、器の縁には浅浮き彫りの枝葉があります。 -
「苔瑪瑙佛手洗」清代
緑色の斑点と半透明の灰色の瑪瑙で作られています。 佛手柑の形をしており、手のひらを上に向けて洗うための溝を施しています。彫刻された枝葉と雲の彫刻が台座になっています。裏面には「乾隆年式」の4文字が刻印されています。 -
「黄玉髄三連章」清代
1つの黄玉髄(イエローカルセドニー)という石から鎖も含めて彫り出していることに気が付くとその技術の高さに驚きます。2つは方形で1つは楕円になっています。
見学はまだまだ続きます。
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旅行記グループ 2023台湾北部の旅
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