2023/02/18 - 2023/02/18
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kojikojiさん
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2泊3日の「青森屋」のフリーツアーも最終日です。午後の新幹線まで時間があるので、この日も「えんぶり」を観に行きます。午前中に観ることが出来るのは「史跡根城えんぶり撮影会」になります。八戸駅からは路線バスに乗って「八戸市博物館」で下車してしばらく歩くことになります。この「根城(ねじょう)」は南北朝時代に南朝方の武将の南部師行(もろゆき)が建武元年の1334年に築城して以来、領地替えまでの約300年間に渡り八戸地方の中心として栄えました。根城の本丸は城としての機能が最も充実した安土桃山時代の姿を忠実に復原されていて、その主殿である南部曲屋の庭先で「えんぶり」を観ることが出来ます。昨晩は屋敷の座敷からお酒をいただきながら鑑賞しましたが、今日は主殿をバックに庭先からの鑑賞です。ようやくたどり着くとすでに一番いい場所はカメラマンに占拠されています。最前列にに立てる一番右側に立って開始を待ちます。劇場と同じで上手になる左手から入場して、雪の上での舞が始まります。2月18日は前日の「一斉刷り」で観た「石堂朳組」でした。下手に立っているので唄方や太鼓や笛の演奏が良く見えて良かったと思います。約1時間の撮影会をじっくり見ることが出来ました。この日は天気も良く寒くも無くて助かりました。公演は2時間なのですが、1時間で終わった後は場所を移動して同じ組の舞が披露されるので、「八戸市博物館」の見学をすることにしました。2日間で8つの「えんぶり」を観ることが出来て大満足の旅でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- JTB
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コインロッカーに荷物を預けて身軽になってバスロータリーに向かいます。このバスで「八戸市博物館」まで移動します。
八戸駅 駅
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バスはスイカが使えるので便利です。地元の方が利用する路線バスですが、我々以外にも「史跡根城えんぶり撮影会」を観に行かれる方がいらっしゃいました。
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旧八戸城東門から場内に入ります。八戸市街地の西端にあたり、馬淵川南岸の河岸段丘上にあります。本丸と中館、東善寺と岡前館と沢里館の5つの館が連なる連郭式の平山城です。
根城 名所・史跡
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この「根城(ねじょう)」は南北朝時代に南朝方の武将の南部師行(もろゆき)が建武元年の1334年に築城して以来、領地替えまでの約300年間に渡り八戸地方の中心として栄えました。師行はここを南朝方の根本となる城という願いから「根城」と名付けました。場内にはこのような堀の跡が幾筋も残っています。
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広大な敷地には雪が積もり、風情があります。遠くに見える南部曲屋が主殿で、その庭先で「えんぶり」が催されます。天気も良くポカポカ陽気で助かりました。
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天将18年の1590年の小田原征伐の際に宗家の三戸城主南部信直は豊臣秀吉の元に帰参して所領の南部7郡を安堵されました。この際に根城南部氏(八戸氏)も宗家の支配下に組み込まれます。天将20年の1592年に秀吉の命令により城そのものは破壊されましたが、館自体は残されてこれ以降も八戸氏の本拠であり続けました。
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江戸時代になると宗家の南部利直は盛岡城を築き盛岡藩を開きます。同時に八戸も盛岡藩領に帰属しました。寛永4年の1627年に八戸氏22代直義は利直により遠野城(鍋倉城)に移封となり根城は廃城となります。昨年は岩手県も何度か旅していて、盛岡城にも行きましたし、遠野にも4泊しましたが、その際のホテルは鍋倉城のすぐ横でした。いろいろ学んできたことがここで繋がりました。
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柵で囲われた本丸は有料エリアで250円を支払って中に入ります。石垣などのない平山城だよく分かります。分かります。
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雪に埋もれたのは納屋だそうです。屋根しかないように見えます。本丸の中の建物はいくつかが復元されています。
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南側にL字型に開けた南部曲屋の庭先で「えんぶり」が催されます。まだ誰も踏んでいない雪が積もったままです。建物の左手が上手になると考えて場所を取ります。写ってはいませんが庭先のL字にはたくさんの観客が立っています。
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思った通り左手から旗が入場してきます。この日の組は、昨日の「えんぶり行列」の跡の「一斉刷り」で観た「石堂朳組」でした。
八戸えんぶり 祭り・イベント
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昨晩の「更上閣」の篝火の下での「えんぶり」も良かったですが、太陽の下での屋外の「えんぶり」も素晴らしいです。
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昨日の午前中に観たばかりなので、お顔にも見覚えがあります。
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太夫の後を子供たちも登場してきます。八戸市は2月17日を「えんぶりの日」として学校は休みにしているようですが、18日は演者の子供たちはお休みしているのでしょうか。
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新設の上を太夫が進み、横一列に並びます。真新しい雪の上を「つまご」で歩く姿を見るだけでも古き良き日本を感じます。
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茅葺の屋根には雪が積もり、南部曲屋を背にした太夫の姿は絵になります。昨年遠野の旅では南部藩や郷土の歴史や文化についていろいろ勉強しましたが、「えんぶり」を観る前に学んでおいて良かったと思います。
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「石堂朳組」は烏帽子についた宇津木の白い花からも「ナガえんぶり」だと分かります。藤九郎の烏帽子は美しいです。
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烏帽子は農作業に活躍した馬の首を象り、鶴亀、松竹梅、恵比寿、大黒等の縁起の良い図柄が描かれています。
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この組の羽織は他に比べて長いようです。藍色に七宝つなぎと若松が染め抜かれています。
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「ドウサイえんぶり」とは違ったゆっくりした動きが魅力的です。
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藤九郎は中畔と畔止めの2人の太夫とは違った舞いを演じます。
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下手に立っているので唄方や太鼓や笛、手平鉦(てびらがね)の演奏が目の前で楽しめます。そろいの法被に頭巾と豆絞りがカッコいいです。
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手平鉦(てびらがね)は2枚1組で両手に持ち、くぼみのある面を打ち合わせたり擦り合わせたりして演奏します。えんぶり以外での鹿踊りなどでも使われます。
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羽織の背は動きやすいようにかなりの高さまで割れています。
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昔は小正月の日にこのように商家や農家をまわって門付けを行っていたのでしょう。現在でも八戸市内のお店などを周ってご祝儀を貰う風習はあるようです。そんな話をしてくれた「みろく横丁」の居酒屋の女将さんお言葉を思い出します。
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「松の舞」
「さぁさぁこの拍子に舞いで来て 何を舞ったらよかろうな 松の舞いとも囃(はや)せな」 -
松の舞いや見っさいな 松の舞いや見っさいな おっこいさっさ はやせはやせ はやさ けぇねば まいての ぞんざいなー」
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「一の枝に金(かね)なり 二の枝に銭(ぜに)なり 三のさがりの小枝に 黄金花(こんがねばな)ざっくり咲いた 松の舞いとも囃(はや)せな」
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「千秋万秋(せんしゅばんしゅ) 福のたまり(とまり) よそへはやらぬ これの旦那様に どっさり納めた 松の舞いとも囃(はや)せな」
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「松の舞いとも囃(はや)せな松の舞いとも囃(はや)せな」上下揃いの衣装の柄は甲冑に鶴と松、宝尽くしの吉祥紋が染めてあります。頭巾までが揃いになっていて、豆絞りできっちり縛られています。
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揃いの子供たちの衣装は隈取が勇ましいです。上着には寿の文字があしらわれています。
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渡の子供も扇を扱う手捌きが見事です。
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真っ白な雪の上での舞いは美しいです。
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雪の上だと「爪子(つまご)」という藁沓も威力を発揮しそうです。アスファルトの上やステージの上とはまた違って見えます。
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「苗取り」
「え~拍手そろえて この調子 苗っことりましょう 東西 五八(ごんぱち) 五八 おめぇ~なんぼ刈りめー取った?」「 五千刈りめ―取った」「三八(さんぱち)三八 おめぇ~なんぼ刈りめ―取った?」「おら~腰っこ痛くて 三千刈りめーしか取れなかったじゃー」「腰が痛いのによく取ったな~」「苗も十分取れました。今度はおばあさんの ほまず苗っこ取りましょう。」「苗も十分取れました」「今度はしょうどめっこ達から さらさらっと植えてもらいましょう」 -
子供たちの取った苗を太夫が植える田植えの場面に変わります。
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「烏帽子田植え」
「朝のほかの千刈り田の水口(ソレモヤーハイ)」「植えたる松はなに松(ソレモヤーハイ)」「次郎と太郎の若松(ソレモヤーハイ)」 -
「一なる枝には銭が成る(ソレモヤーハイ)」「二なる枝には金が成る(ソレモヤーハイ)」
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「三の上がりの小枝に黄金の花は九つ(ソレモヤーハイ)」「一つ取れば八つ花(ソレモヤーハイ)」「八つの長者と呼ばれた(ソレモヤーハイ)」
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「呼ぶも呼んだし(ソレモヤーハイ)」「朝日の長者と 呼ばれた(ソレモヤーハイ)(ヨイ ヨイ ヨイ)」
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烏帽子を被って身の丈2メートルを超える太夫と、小さな女の子たちが一緒に舞う姿は不思議な感じがします。
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「よろこび舞」
「さあさあこの拍子に舞いで来て、何を舞ったらよかろうな、何を舞っても喜びだ 喜び舞いとも囃(はや)せな」「とざい、とうざいとはだまれのこと、おいえのお旦那様の奥の間を拝見いたしますれやぁ、唐木の板にかいたる絵こそなぁ おもしろきけり むかし千年かば義経ごはっこうのとき 那須与一宗隆は、とうねんとしつもりで十七歳 弓ひき名人とは きこえきり」 -
「はりを立てればなぁ はりめじいり くしを立てればなぁ くしがたいり さぁ天とぶ鳥のまなこいり 扇を立てれば要いり 扇の要をばぁ 弁天さんの前に これこそめでたい 喜びだ 喜び舞いとも囃せな」
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「千秋万秋(せんしゅばんしゅ) 福のたまり よそへはやらぬ これの旦那様に どっさり納めた 喜び舞いとも囃せな」
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「大黒舞」
「春のはじめに福大福が舞い込んだや こら一つとせ」「日柄を選んで舞えららる 七福神のお酒盛り」「身上あがれと飲みまわす こら 二つとせ」 -
「福神祭りのこの家は 次第に身上はあがります」「宝の山へ登らるる こら三つとせ」「見事々々に重なりて 今年は豊年満作だ」
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「恵比寿舞うやら踊るやら こら四つとせ」「世にも知らるる弁天様 妻持ち亭主は果報なり」「大宝小宝積み重ね こら 五つとせ」
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「粋な姿の毘沙門様 兜頭巾を被らせて」「悪魔を払って舞え遊ぶ こら 六つとせ」「むつまづこの家に来てみれば 家内はそろって和合する」
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「孫、曾孫までに至るまで こら 七つとせ」「長く守ればしちふくじんの年寄り子供に至るまで」「朝の早起きわすれるなこら 八つとせ」「屋敷まわりに出てみれば 米蔵、金蔵、宝蔵」
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「家ではどんどん笑い顔 こら 九つとせ」「この程の俵を積みかさね それに大黒座らせて」「ひと打ち打てばにごにごと こら 十とせ」「年の初めの若恵比寿 松の小枝に座らせて」「大鯛、小鯛を釣り上げて こらだいとこせ お重ねあげますお喜び さあ何よりも目出度いとな」
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「恵比寿舞」
「えぃーと えぃーと 舞いづけてなぁ」「えぃーと えぃーと 舞いづけて」「お恵比寿舞えとは囃やい」「お恵比寿さんと云う人はなぁ お恵比寿さんと云う人はなぁ」 -
「浜に下がるときゃ 釣り竿担いで」「この拍手にかんまいだ」「おおきな岩に腰を掛け 辺りをキロと見いたれば」
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「鯛か 鱸か 鱒か ようか 大きなもんが跳ねているよ」「えんばかけてな 釣り上げて見せましょう」
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「どこらが良かろう ここらが良かろう 大きなもんは わんぐどけぇ」
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「なんぼ締めてもしだいに来ねぇなぁ 大きなもんにゃちがいねぇ」「今度こそよかろう 今ならよかろう」
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「えぃーと えぃーと 釣り上げて わきの下にかいこんで にこにこと笑うた」「お恵比寿舞えと囃やえ」
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「釣った鯛おば 誰に譲るべな 譲るべき人はない」「これはお旦那様の お汁草に
召っされたじゃ お恵比寿舞えと囃やえ」 -
「千秋万秋 福のとまり よそへはやらぬ 隣さもやらぬ」「これはお旦那様 これはお旦那様さ そろりと納めた」
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「お恵比寿舞えと囃やえ」「お恵比寿舞えと囃やえ」
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鯛が竿に掛かります。
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「お恵比寿舞えと囃やえ」「お恵比寿舞えと囃やえ」
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劇場だとステージの下で行われる作業も、雪の上では丸見えです。
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大きな鯛が釣れました。
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「お恵比寿舞えと囃やえ」「お恵比寿舞えと囃やえ」
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恵比寿舞は最高に面白いです。
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「摺り納め」が始まりました。
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唄と太鼓に合わせて舞います。藤九郎を中心に、一列に並んでいる状態で始まり、舞の途中、円状に並び、最後は再び藤九郎を中心に一列になります。
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お囃子が鳴り始め、二人の太夫が口上を述べながら「畔留め(くろどめ)」という動作をします。この口上は、田の畔(くろ)にねずみの穴などが開いたりして水が漏れることのないように、という意味合いがあります。
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14年思い続けてきた「えんぶり」を2日に渡って8つの組を観ることが出来ました。
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これが最後かと思うと「ナガえんぶり」の優雅な動きが寂しくも思えてきます。
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約1時間の「えんぶり」が終わりました。この「根城」では少し場所を移動して同じ組が続けて披露するようです。そちらはすでに観客がたくさん待っています。同じものをもう1度観ても仕方ないので主殿の見学をすることにします。
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南部曲屋の主殿を見学します。ガイドさんもいら社いますが、じっくり見学している時間は残されていません。
根城 名所・史跡
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南部曲屋では建物の中に厩がmぉ受けられていますが、ここは城の主殿なので馬は別棟の建物になっていました。それでも母屋に近い場所なので馬は大切にされていたのだと分かります。
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源頼朝は臣下にして馬産に精通していた南部光行をわざわざ甲斐(現在の山梨県)から糠部(現在の青森県)に入部させたほどでした。この南部光行を始祖とする南部氏が明治維新まで長く当地を治めることになりますが、馬産は地域の基幹産業のひとつとして、政治的にも経済的にも重要な役割を果たしていました。
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靴を脱いで城内を見学します。城といっても平山城なので、近世の城郭とは違い農家のような造りです。城柵(じょうさく)で囲まれた形からも古いタイプの城で、このようなところは初めて見学しました。
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主殿二の間には弓や鉄砲が壁面に並べられています。侍烏帽子を被った直垂(ひたたれ)姿の武士のマネキンが置かれてありますが、その精工な造りが妙にリアルに感じられます。
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広間では当主や一族の者たちが集まる正月十一日に行われた儀式の様子が再現されていました。
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甲冑姿の物は「年男」で、その前に座る人物が投手の南部政栄(まさよし)で、以下家臣が居並びます。
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奥には鏡餅が並べられていることから正月の場面だと分かります。太刀の形態は平安時代後期ごろに確立され、鎌倉時代にかけての戦闘様式は主に馬上戦でした。そのため、片手で手綱を持って馬を操りながらも、もう一方の手で日本刀を抜きやすく、そして振り下ろしやすいことが重要です。そこで用いられるようになった日本刀が太刀です。反りが深い刀身の刃を下向きにして、腰帯から吊るすことで馬の尻に当たらないように工夫されました。このような状態で太刀を身に付けることを「佩く(はく)」と表現します。
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「祈祷の間」までありました。ここは城内にある東善寺の住職が唐家の家内安全や戦勝祈願をした部屋です。護摩祈祷は密教の真言宗や天台宗で主に行われる修法の1つです。「護摩」はサンスクリット語の「ホーマ」を音訳したもので、物を焼くという意味があります。護摩供養は、護摩を延々と炊き続けた炎や煙でもって天上にいる仏に願い事を伝えるための手法とされます。
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「えんぶり」が終わってしまうと南部地方によくある曲屋といった農村の風情です。
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最後に「八戸市博物館」に立ち寄って駅に戻ることにします。
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