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2019年以来、3年ぶりの海外旅行の目的地に選んだのは、中国やフランスの統治下や長い戦時下を経験した複雑な歴史とカルスト地形の独特の景観など、見どころが多彩なベトナム。<br />複数国を周遊する旅程ではなく、今回の旅はベトナム1国に絞りました。<br /><br />5日目は、ハノイから午後のフライトでベトナム中部のドンホイへ移動します。<br />午前中、ハノイでの最後の観光は、世界遺産であるタンロン遺跡を訪れます。<br />1010年から1804年までベトナム諸王朝がここに都を置いたため、各時代の遺跡が重なり、ベトナム戦争時には作戦司令部が置かれていたという。<br />ドンホイはフォンニャ・ケバン国立公園観光の拠点となる地方都市で、市内には目立った見どころはないものの、のんびりサイクリングを楽しみます。

カルストと歴史をたどるベトナム 2023 /5日目(2/23)

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2023/02/23 - 2023/02/23

245位(同エリア4528件中)

キートン

キートンさん

この旅行記のスケジュール

この旅行記スケジュールを元に

2019年以来、3年ぶりの海外旅行の目的地に選んだのは、中国やフランスの統治下や長い戦時下を経験した複雑な歴史とカルスト地形の独特の景観など、見どころが多彩なベトナム。
複数国を周遊する旅程ではなく、今回の旅はベトナム1国に絞りました。

5日目は、ハノイから午後のフライトでベトナム中部のドンホイへ移動します。
午前中、ハノイでの最後の観光は、世界遺産であるタンロン遺跡を訪れます。
1010年から1804年までベトナム諸王朝がここに都を置いたため、各時代の遺跡が重なり、ベトナム戦争時には作戦司令部が置かれていたという。
ドンホイはフォンニャ・ケバン国立公園観光の拠点となる地方都市で、市内には目立った見どころはないものの、のんびりサイクリングを楽しみます。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
ホテル
5.0
グルメ
4.0
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
自転車 タクシー 徒歩 飛行機
航空会社
ベトナム航空
旅行の手配内容
個別手配
  • ゴールデン・サン・ホテルでの3度目の朝食。<br />普段の食事ではあまり食べないフルーツをチョイスしてみた。

    ゴールデン・サン・ホテルでの3度目の朝食。
    普段の食事ではあまり食べないフルーツをチョイスしてみた。

    ゴールデン サン パレス ホテル ホテル

  • 昨日から部屋のドアノブの角度がおかしいなと思っていたが、とうとうはずれてしまった。<br />まさか修理代とか請求されないだろうかと気にはなったが、ホテルのスタッフに報告すると、迷惑をかけたので空港まで送迎車を無料で手配しますということになった。<br />空港までは路線バスで行こうと思っていたが、車だと時間が節約できて確実だ。<br />タクシーなら空港まで350,000VND(約2000円)と聞いていたので、それが無料というのはとてもありがたい。

    昨日から部屋のドアノブの角度がおかしいなと思っていたが、とうとうはずれてしまった。
    まさか修理代とか請求されないだろうかと気にはなったが、ホテルのスタッフに報告すると、迷惑をかけたので空港まで送迎車を無料で手配しますということになった。
    空港までは路線バスで行こうと思っていたが、車だと時間が節約できて確実だ。
    タクシーなら空港まで350,000VND(約2000円)と聞いていたので、それが無料というのはとてもありがたい。

  • 8:00過ぎ、タンロン遺跡のエントランスに到着。<br />入場料は、30,000VND。

    8:00過ぎ、タンロン遺跡のエントランスに到着。
    入場料は、30,000VND。

  • タンロン遺跡を南から北向きに見たジオラマ。<br />手前から、フラッグタワー、ドアン門(端門)、キンティエン殿(敬天殿)、後楼、一番奥にバック門(正北門)とほぼ直線状に並んでいる。

    タンロン遺跡を南から北向きに見たジオラマ。
    手前から、フラッグタワー、ドアン門(端門)、キンティエン殿(敬天殿)、後楼、一番奥にバック門(正北門)とほぼ直線状に並んでいる。

  • 概ね南から北に向かって見学していく。

    概ね南から北に向かって見学していく。

  • 芝生の広場を抜けるとドアン門(端門)がある。<br />ドアン門は、第一城壁に配されていた正門である。

    イチオシ

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    芝生の広場を抜けるとドアン門(端門)がある。
    ドアン門は、第一城壁に配されていた正門である。

  • ドアン門は側部の階段から上部に上ることができ、両側が意外と広くなっている。

    ドアン門は側部の階段から上部に上ることができ、両側が意外と広くなっている。

  • 南側には、ベトナム国旗がひるがえるフラッグタワーが見える。<br />見下ろすと、遠足の小学校団体が大挙してやって来た。<br />先を急いだほうがよさそうだ。

    南側には、ベトナム国旗がひるがえるフラッグタワーが見える。
    見下ろすと、遠足の小学校団体が大挙してやって来た。
    先を急いだほうがよさそうだ。

  • ドアン門をくぐったところには、発掘調査の跡がガラス張りになっている。

    ドアン門をくぐったところには、発掘調査の跡がガラス張りになっている。

  • ランタンの下を北へ向かう。

    ランタンの下を北へ向かう。

  • その先には、釣鐘と黄色の洋風建築。

    その先には、釣鐘と黄色の洋風建築。

  • その洋風建築は、タンロン宮殿の財宝の展示室ということになっていて、主に10~15世紀の陶磁器などが展示されている。

    その洋風建築は、タンロン宮殿の財宝の展示室ということになっていて、主に10~15世紀の陶磁器などが展示されている。

  • 龍と雲の装飾を施した蓋が美しい器。<br />11~12世紀、李(リ)朝のもの。

    龍と雲の装飾を施した蓋が美しい器。
    11~12世紀、李(リ)朝のもの。

  • キンティエン殿(敬天殿)前の広場。<br />前方の建築物は改修工事中で立ち入りできない。<br />広場には祭事に使用されると思われる日よけが並んでいる。

    キンティエン殿(敬天殿)前の広場。
    前方の建築物は改修工事中で立ち入りできない。
    広場には祭事に使用されると思われる日よけが並んでいる。

  • 西側の黄色の建物には、地下に下りて行く階段がある。

    西側の黄色の建物には、地下に下りて行く階段がある。

  • 階段を下りると、重厚なハッチの扉があり、その奥に部屋がある。

    階段を下りると、重厚なハッチの扉があり、その奥に部屋がある。

  • そこは、総参謀部作戦指揮地下壕となっている。<br />この部屋の側部にはいくつかの電話室が並んでいる。

    そこは、総参謀部作戦指揮地下壕となっている。
    この部屋の側部にはいくつかの電話室が並んでいる。

  • ベトナム戦争時に使用されていた品々。<br />ベトナム戦争は我が世代にとって学生の頃まで続いていたので、懐中電灯など見覚えのあるものが見られる。

    ベトナム戦争時に使用されていた品々。
    ベトナム戦争は我が世代にとって学生の頃まで続いていたので、懐中電灯など見覚えのあるものが見られる。

  • 屋上に上がると、社会主義的な雰囲気の広告や記事のパネルが並んでいる。

    屋上に上がると、社会主義的な雰囲気の広告や記事のパネルが並んでいる。

  • ベトナム戦争は女性や低年齢の者も軍事訓練を受けていたようだ。

    ベトナム戦争は女性や低年齢の者も軍事訓練を受けていたようだ。

  • 戦中戦後の混乱期の暮らしぶり。<br />手前の円形の穴は、生活用水の井戸だと思われる。

    戦中戦後の混乱期の暮らしぶり。
    手前の円形の穴は、生活用水の井戸だと思われる。

  • タンロン遺跡中心部の案内図。<br />このあたりは建物内に展示物が多く見られるエリアとなっている。

    タンロン遺跡中心部の案内図。
    このあたりは建物内に展示物が多く見られるエリアとなっている。

  • キンティエン殿(敬天殿)の龍の階段。

    キンティエン殿(敬天殿)の龍の階段。

  • この階段を境に、上段が皇帝の政庁、下段が役人の政庁に分けられていたという。<br />阮(グエン)朝がフエに遷都した際、ほとんどの建物が解体されてフエへ移築されたため、当初から残る建造物は、龍の階段とドアン門(端門)のみとなった。

    この階段を境に、上段が皇帝の政庁、下段が役人の政庁に分けられていたという。
    阮(グエン)朝がフエに遷都した際、ほとんどの建物が解体されてフエへ移築されたため、当初から残る建造物は、龍の階段とドアン門(端門)のみとなった。

  • 黎朝時代(15~18世紀)、旧正月の初日にキンティエン殿で行われる儀式の復元。<br />鎮壇式では、廷臣たちが国王に繁栄の永続性への願いを表した祝辞を贈った。

    イチオシ

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    黎朝時代(15~18世紀)、旧正月の初日にキンティエン殿で行われる儀式の復元。
    鎮壇式では、廷臣たちが国王に繁栄の永続性への願いを表した祝辞を贈った。

  • キンティエン殿(敬天殿)の現在の建物は主に展示室になっている。

    キンティエン殿(敬天殿)の現在の建物は主に展示室になっている。

  • 主に10~19世紀の陳(チャン)朝、李(リ)朝、莫(マク)朝、阮(グエン)朝の時代の展示物。<br /><br />ベトナムは中国と近接するためフランスの植民地となるまで漢字を使用していた。<br />木版印刷が中国で発明されたこともあり、漢文の印刷物の展示が多い。

    主に10~19世紀の陳(チャン)朝、李(リ)朝、莫(マク)朝、阮(グエン)朝の時代の展示物。

    ベトナムは中国と近接するためフランスの植民地となるまで漢字を使用していた。
    木版印刷が中国で発明されたこともあり、漢文の印刷物の展示が多い。

  • タンロンの遺跡発掘などの写真展示。

    タンロンの遺跡発掘などの写真展示。

  • 阮(グエン)朝時代、初代ザーロン帝は首都をタンロンからフエに移し、タンロンはハノイと改名した。<br />ハノイは地方都市として扱われ、1804年から1805年にかけて規模が縮小されたハノイ城塞が建てられた。<br />1858年、カトリック布教を進めてきたフランスがベトナムに出兵し、ベトナム南部を占領した。<br />フランスはさらに侵攻を進め、1882年にはハノイを占領した。<br />フランス領インドシナの首都がハノイに定められ、統治拠点となったハノイ城では数多くの建物が取り壊され、一方で数多くのコロニアル建築の建物が建てられた。

    阮(グエン)朝時代、初代ザーロン帝は首都をタンロンからフエに移し、タンロンはハノイと改名した。
    ハノイは地方都市として扱われ、1804年から1805年にかけて規模が縮小されたハノイ城塞が建てられた。
    1858年、カトリック布教を進めてきたフランスがベトナムに出兵し、ベトナム南部を占領した。
    フランスはさらに侵攻を進め、1882年にはハノイを占領した。
    フランス領インドシナの首都がハノイに定められ、統治拠点となったハノイ城では数多くの建物が取り壊され、一方で数多くのコロニアル建築の建物が建てられた。

  • 阮(グエン)朝時代の龍の金印。<br />後日たくさんの金印を見ることになるのを、この時はまだ知らずにいた。

    イチオシ

    阮(グエン)朝時代の龍の金印。
    後日たくさんの金印を見ることになるのを、この時はまだ知らずにいた。

  • ハノイがフランスの占領下となっていた1873年頃のハノイの地図とハノイ城塞の写真。<br /><br />この地図からハノイ城が、概ね北はファンディンフン通り、南がチャンフー通り、西がホーチミン廟、東が鉄道付近の、ほぼ正方形の堀に囲まれていたことがわかる。<br />また、ハノイ旧市街あたりは池が多く、タイ(西)湖とホアンキエム湖は、池と運河を経由してつながっていたように見える。

    ハノイがフランスの占領下となっていた1873年頃のハノイの地図とハノイ城塞の写真。

    この地図からハノイ城が、概ね北はファンディンフン通り、南がチャンフー通り、西がホーチミン廟、東が鉄道付近の、ほぼ正方形の堀に囲まれていたことがわかる。
    また、ハノイ旧市街あたりは池が多く、タイ(西)湖とホアンキエム湖は、池と運河を経由してつながっていたように見える。

  • 「RETURING HOME IN GLORY(栄光の帰郷)」という行進に使用された品々。<br />そういえば、タンロン水上人形劇の演目の中に、「試験を高いポジションにて合格した者は故郷に戻って、祖先に感謝する。」というのがあった。

    「RETURING HOME IN GLORY(栄光の帰郷)」という行進に使用された品々。
    そういえば、タンロン水上人形劇の演目の中に、「試験を高いポジションにて合格した者は故郷に戻って、祖先に感謝する。」というのがあった。

  • 「試験」というのは、官吏を選抜するために行われた「科挙」を指していると思われる。<br />科挙の合格者の名前を刻んだ旗を掲げて「RETURING HOME IN GLORY(栄光の帰郷)」の行進が行われたようだ。

    「試験」というのは、官吏を選抜するために行われた「科挙」を指していると思われる。
    科挙の合格者の名前を刻んだ旗を掲げて「RETURING HOME IN GLORY(栄光の帰郷)」の行進が行われたようだ。

  • 李(リ)朝の家系図と龍が彫られた屋根の装飾。

    李(リ)朝の家系図と龍が彫られた屋根の装飾。

  • 11~12世紀、李(リ)朝の発掘遺跡と屋根の装飾の仮想復元図。

    11~12世紀、李(リ)朝の発掘遺跡と屋根の装飾の仮想復元図。

  • 出土した屋根の装飾。

    出土した屋根の装飾。

  • 龍彫り石柱。<br />ベトナムの寺院などの装飾には、とにかく龍の彫刻が多い。<br />「タンロン」とは昇龍を意味し、遷都の際に黄金龍が現れたことからその名が付けられたという。

    龍彫り石柱。
    ベトナムの寺院などの装飾には、とにかく龍の彫刻が多い。
    「タンロン」とは昇龍を意味し、遷都の際に黄金龍が現れたことからその名が付けられたという。

  • キンティエン殿(敬天殿)の北側には、フランス統治時代のフランス軍施設で後に旧北ベトナム軍の作戦司令部として使用された建物がある。

    キンティエン殿(敬天殿)の北側には、フランス統治時代のフランス軍施設で後に旧北ベトナム軍の作戦司令部として使用された建物がある。

  • そこには、地下約10mにあるD-67地下壕へと続く階段がある。

    そこには、地下約10mにあるD-67地下壕へと続く階段がある。

  • D-67地下壕は、旧ソ連の援助で1967年に造られた作戦司令部で、原子爆弾にも耐えられる設計だという。

    D-67地下壕は、旧ソ連の援助で1967年に造られた作戦司令部で、原子爆弾にも耐えられる設計だという。

  • 地上の建物の中央に会議室がある。<br />壁には当時の戦略地図、テーブルの上にはネームプレートが置かれ、当時の会議の様子が再現されている。

    地上の建物の中央に会議室がある。
    壁には当時の戦略地図、テーブルの上にはネームプレートが置かれ、当時の会議の様子が再現されている。

  • 建物西側の部屋。<br />ベトナム戦争といえば、我々の世代がリアルタイムで覚えている最も古い戦争である。<br />当時の教材の地図帳では、北ベトナムと南ベトナムに分かれていた。<br />当時の戦争を知らない子供だった者には、ベトナムといえば戦争のイメージがどうしてもぬぐえない。

    建物西側の部屋。
    ベトナム戦争といえば、我々の世代がリアルタイムで覚えている最も古い戦争である。
    当時の教材の地図帳では、北ベトナムと南ベトナムに分かれていた。
    当時の戦争を知らない子供だった者には、ベトナムといえば戦争のイメージがどうしてもぬぐえない。

  • さらに北側にある後楼。<br />王に仕えた側近たちに利用されていた。<br /><br />タンロンの遺跡の内部の見学はここまでで、出口は敷地中央付近のキンティエン殿(敬天殿)あたりまで戻った西側にあった。

    さらに北側にある後楼。
    王に仕えた側近たちに利用されていた。

    タンロンの遺跡の内部の見学はここまでで、出口は敷地中央付近のキンティエン殿(敬天殿)あたりまで戻った西側にあった。

    後楼 史跡・遺跡

  • タンロンの遺跡から出て、敷地の北側に周ったところにあるバック門(北正門)。<br />阮(グエン)朝が整備したハノイ城塞の北門として1805年に築かれたもの。<br />左側の上部と下部に、1882年フランス軍の艦艇からの砲弾の跡が残っている。

    タンロンの遺跡から出て、敷地の北側に周ったところにあるバック門(北正門)。
    阮(グエン)朝が整備したハノイ城塞の北門として1805年に築かれたもの。
    左側の上部と下部に、1882年フランス軍の艦艇からの砲弾の跡が残っている。

    ハノイ皇城北門 史跡・遺跡

  • 2時間半ほどタンロン遺跡を見学した後、ゴールデン・サン・ホテルで手配してもらったタクシーで移動し、ハノイ・ノイバイ国際空港のターミナル1に11:20頃到着した。

    2時間半ほどタンロン遺跡を見学した後、ゴールデン・サン・ホテルで手配してもらったタクシーで移動し、ハノイ・ノイバイ国際空港のターミナル1に11:20頃到着した。

  • ドンホイ行きのVN1591便は13:55発。<br />搭乗手続き・手荷物検査を終えたのが12:00過ぎで時間があったので、ソンホン プレミアムラウンジを利用した。

    ドンホイ行きのVN1591便は13:55発。
    搭乗手続き・手荷物検査を終えたのが12:00過ぎで時間があったので、ソンホン プレミアムラウンジを利用した。

  • ここはプライオリティーパスの使えるラウンジで、無料で食事ができる。<br />1月に楽天プレミアムカードを作っていたので、プライオリティ・パスが無料で取得できた。<br />楽天プレミアムカードは年会費11,000円だが、プライオリティ・パスが無料、海外旅行保険が自動付帯なので、かなりお得である。

    ここはプライオリティーパスの使えるラウンジで、無料で食事ができる。
    1月に楽天プレミアムカードを作っていたので、プライオリティ・パスが無料で取得できた。
    楽天プレミアムカードは年会費11,000円だが、プライオリティ・パスが無料、海外旅行保険が自動付帯なので、かなりお得である。

  • 本日の昼食。<br />ベトナムのB級グルメは麺類が多いので、それ以外をチョイスした。<br />日本食もあり、料理の種類は豊富で満足のランチだった。

    本日の昼食。
    ベトナムのB級グルメは麺類が多いので、それ以外をチョイスした。
    日本食もあり、料理の種類は豊富で満足のランチだった。

  • どんよりと曇ったハノイを発ち、約1時間で到着したドンホイは快晴だった。

    どんよりと曇ったハノイを発ち、約1時間で到着したドンホイは快晴だった。

  • ドンホイ空港から本日の宿、ドルフィン・ホームステイまでは約6km。<br />ドルフィン・ホームステイには送迎を依頼しておいたので、15:30過ぎにチェックインできた。

    ドンホイ空港から本日の宿、ドルフィン・ホームステイまでは約6km。
    ドルフィン・ホームステイには送迎を依頼しておいたので、15:30過ぎにチェックインできた。

  • ドルフィン・ホームステイはブッキングコムで予約し、2泊食事なしで600,000VND(約3400円)、つまり1泊約1700円。<br />朝食はチェックイン後でも追加でき、1食40,000VND(約230円)。

    ドルフィン・ホームステイはブッキングコムで予約し、2泊食事なしで600,000VND(約3400円)、つまり1泊約1700円。
    朝食はチェックイン後でも追加でき、1食40,000VND(約230円)。

    Dolphin Home ホテル

    フォンニャ・ケバン国立公園の基点となるドンホイの超お勧め格安宿 by キートンさん
  • テレビや冷蔵庫などはなく簡素な部屋だが、バルコニーが付いている。

    テレビや冷蔵庫などはなく簡素な部屋だが、バルコニーが付いている。

  • バルコニーからは、ニャットレ川という広い川と川沿いの公園が見える。<br />公園にはイルカのモニュメントがあり、それがおそらくこの宿の名の由来とも思われる。

    バルコニーからは、ニャットレ川という広い川と川沿いの公園が見える。
    公園にはイルカのモニュメントがあり、それがおそらくこの宿の名の由来とも思われる。

  • 洗面・トイレ・シャワーは供用ではなく個室に付いている。<br />1泊に朝食を付けて2000円未満なので、かなりリーズナブル。

    洗面・トイレ・シャワーは供用ではなく個室に付いている。
    1泊に朝食を付けて2000円未満なので、かなりリーズナブル。

  • 日没まで2時間近くあるので、ドルフィン・ホームステイの無料のレンタサイクルで街中をサイクリングすることにした。<br />一見ボロそうに見えるが、意外にストレスなくスピードも出た。<br />パーツがシマノだ!と思いきや、よく見ると「SHIMING」?<br />どう見てもシマノのロゴに似せてるよなぁ。<br />こういうところ、隣国の良くない影響受けてるのか・・・

    日没まで2時間近くあるので、ドルフィン・ホームステイの無料のレンタサイクルで街中をサイクリングすることにした。
    一見ボロそうに見えるが、意外にストレスなくスピードも出た。
    パーツがシマノだ!と思いきや、よく見ると「SHIMING」?
    どう見てもシマノのロゴに似せてるよなぁ。
    こういうところ、隣国の良くない影響受けてるのか・・・

  • ドルフィン・ホームステイでシティマップをもらって、お勧めのコースを教えてもらった。<br /><br />川沿いの公園を少し南へ走ると、教会の廃墟がある。<br />1886年に建てられたタムトア教会というカトリックの教会で、ベトナム戦争中の1965年にアメリカ軍の空爆を受け破壊されたという。

    イチオシ

    地図を見る

    ドルフィン・ホームステイでシティマップをもらって、お勧めのコースを教えてもらった。

    川沿いの公園を少し南へ走ると、教会の廃墟がある。
    1886年に建てられたタムトア教会というカトリックの教会で、ベトナム戦争中の1965年にアメリカ軍の空爆を受け破壊されたという。

  • ドルフィン・ホームステイから南へ1km行かないうちに右に堀が現れた。<br />城塞跡であるらしく、前方に橋が架かっている。

    ドルフィン・ホームステイから南へ1km行かないうちに右に堀が現れた。
    城塞跡であるらしく、前方に橋が架かっている。

  • その橋を渡り、城塞跡の東門をくぐって西へ走る。

    その橋を渡り、城塞跡の東門をくぐって西へ走る。

  • すぐに大きな広場が現れ、記念碑が立っている。

    すぐに大きな広場が現れ、記念碑が立っている。

  • 中央に立っているのはベトナム建国の父ホーチミンらしい。<br />それを取り囲む人々という構図が、いかにも社会主義国にありがちな気がする。

    中央に立っているのはベトナム建国の父ホーチミンらしい。
    それを取り囲む人々という構図が、いかにも社会主義国にありがちな気がする。

  • その前には記念公園の広場。<br />青空に赤いベトナムの国旗がひるがえる。

    その前には記念公園の広場。
    青空に赤いベトナムの国旗がひるがえる。

  • 記念公園から南へ走ると「廣平閣」という門がある。<br />その向こうにヤマハのショールーム。<br />今のベトナムの道路は圧倒的にバイクが多い。<br />ホンダ、スズキ、ヤマハといった日本のメーカーが強く、中でもホンダが圧倒的なシェアを占めているという。

    記念公園から南へ走ると「廣平閣」という門がある。
    その向こうにヤマハのショールーム。
    今のベトナムの道路は圧倒的にバイクが多い。
    ホンダ、スズキ、ヤマハといった日本のメーカーが強く、中でもホンダが圧倒的なシェアを占めているという。

  • 廣平閣から東へ走ると、突き当り付近がドンホイ・マーケットとなっている。

    廣平閣から東へ走ると、突き当り付近がドンホイ・マーケットとなっている。

  • 店先に並ぶ南国系のフルーツ。

    店先に並ぶ南国系のフルーツ。

  • ニャットレ川沿いに走ると、水上のレストランがいくつか見られる。

    ニャットレ川沿いに走ると、水上のレストランがいくつか見られる。

  • 漁船などの船は、なぜか接岸せずに少し離れて係留されていることが多い。

    漁船などの船は、なぜか接岸せずに少し離れて係留されていることが多い。

  • なので船の乗降はワイヤーを伝って移動しなければならない。<br />何故そんな面倒なことをしているのか不思議。

    なので船の乗降はワイヤーを伝って移動しなければならない。
    何故そんな面倒なことをしているのか不思議。

  • ドンホイ・マーケット近くの川沿いの公園には、マザー・スオットの記念碑がある。<br />グエン・ティ・スオット(1908-1968)は、 1964年から1967年にかけて、ニャットレ川の向こう岸へ舟を漕いで、負傷した兵士、武器、弾薬などを運搬した。<br />1968年8月21日、アメリカの爆撃を受けて亡くなった。<br />彼女はマザー・スオットと呼ばれ、ベトナム戦争時のヒロインとして知られる女性なのだという。

    ドンホイ・マーケット近くの川沿いの公園には、マザー・スオットの記念碑がある。
    グエン・ティ・スオット(1908-1968)は、 1964年から1967年にかけて、ニャットレ川の向こう岸へ舟を漕いで、負傷した兵士、武器、弾薬などを運搬した。
    1968年8月21日、アメリカの爆撃を受けて亡くなった。
    彼女はマザー・スオットと呼ばれ、ベトナム戦争時のヒロインとして知られる女性なのだという。

  • マザー・スオット像の公園の横に建つのは五つ星ホテル。

    マザー・スオット像の公園の横に建つのは五つ星ホテル。

  • ニャットレ川の特徴的な漁法の小屋。

    ニャットレ川の特徴的な漁法の小屋。

  • タムトア教会まで戻り、川側から見た教会跡。<br />おそらく身廊から祭壇まで、教会の半分以上が破壊されたものとみられる。

    タムトア教会まで戻り、川側から見た教会跡。
    おそらく身廊から祭壇まで、教会の半分以上が破壊されたものとみられる。

  • 17:15頃、イルカのモニュメントまで戻ってきたが、まだ明るいので今度は北に向かって走ることにした。

    17:15頃、イルカのモニュメントまで戻ってきたが、まだ明るいので今度は北に向かって走ることにした。

  • シティマップに「Light house」と記載されているのがどんな建物なのか気になって来てみると、丘の上に建つ灯台だった。

    シティマップに「Light house」と記載されているのがどんな建物なのか気になって来てみると、丘の上に建つ灯台だった。

  • Light house → 灯の家 → 灯台、言われてみればその通りだ。<br />家というにはやや違和感が残るが、覚えやすい英単語ではある。

    Light house → 灯の家 → 灯台、言われてみればその通りだ。
    家というにはやや違和感が残るが、覚えやすい英単語ではある。

  • 「地球の歩き方」にも載っていないドンホイの街を約1時間半ほどサイクリングした後、ドルフィン・ホームステイの2階のロビーで少しくつろいだ。

    「地球の歩き方」にも載っていないドンホイの街を約1時間半ほどサイクリングした後、ドルフィン・ホームステイの2階のロビーで少しくつろいだ。

  • 3階に上ると広いバルコニーがあった。<br />あまり使われてないのか、イスなどはあまりメンテナンスされていないようだが。

    3階に上ると広いバルコニーがあった。
    あまり使われてないのか、イスなどはあまりメンテナンスされていないようだが。

  • 日が沈むと、夕食に出かけた。<br />すぐ近くの「ジェミナイ」というタイ料理のレストランに入った。

    日が沈むと、夕食に出かけた。
    すぐ近くの「ジェミナイ」というタイ料理のレストランに入った。

  • お勧めのメニューを聞いたうちからひとつ選び、ビールも注文した。

    お勧めのメニューを聞いたうちからひとつ選び、ビールも注文した。

  • おそらくパッタイというタイ料理で、139,000VND。<br />タイガービールは25,000VND。

    おそらくパッタイというタイ料理で、139,000VND。
    タイガービールは25,000VND。

  • パッタイは見た目よりは結構ボリュームがあって、この旅で一番美味しかったかもしれない。<br />ベトナムの旅で一番美味しかったのがタイ料理とは、いささかベトナムに失礼な話だが・・・

    パッタイは見た目よりは結構ボリュームがあって、この旅で一番美味しかったかもしれない。
    ベトナムの旅で一番美味しかったのがタイ料理とは、いささかベトナムに失礼な話だが・・・

  • 夕食後、川沿いを少し散歩した。

    夕食後、川沿いを少し散歩した。

  • ドルフィン・ホームステイに帰ってから、部屋ではWi-Fiがつながりにくかったので、スマホを使う時はロビーで過ごした。<br />やや不便なところはあるが、なんとなく居心地のいい宿だ。<br /><br />明日は、ここを起点にフォンニャ・ケバン国立公園のツアーに参加します。

    ドルフィン・ホームステイに帰ってから、部屋ではWi-Fiがつながりにくかったので、スマホを使う時はロビーで過ごした。
    やや不便なところはあるが、なんとなく居心地のいい宿だ。

    明日は、ここを起点にフォンニャ・ケバン国立公園のツアーに参加します。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • akikoさん 2023/03/19 10:49:09
    ベトナムの北部も行ってみたくなりました!
    キートンさん、こんにちは~

    4日目のハロン湾の1泊クルーズも興味深く拝見しました。
    奇岩が多くあるのは知っていましたが、”びっくり”洞窟というか巨大な鍾乳洞があるのは知りませんでした。大自然が作り出した絶景は見応えがありますね! 高台の展望台から見る一帯のハロン湾の風景はとても素晴らしい~♪ 夕景や日没もいいですね!1泊すればこその美しい風景ですよね~~

    ベトナムの歴史は詳しくは知らず、近世だけなんとなく知っていましたが、かつて中国に1000年以上支配され、その後独立して李朝が開かれ「大越国」となり、現ハノイが都になったのですね。南のホーチミンはその影響がなかったためか、昔の遺跡などはなかったように思いますが、北のハノイにはかつての王朝の歴史が偲ばれる遺跡が観光スポットになっていて、見学できるんですね。

    ドンホイは初めて聞く町の名前でした。ホテルは1泊わずか1,700円だったとのことですが、お部屋から見えるニャットレ川の景色はとても素敵ですね~~これは大正解!!!
    グエン・ティ・スオットさんの名前も聞いたことがなかったですが、ベトナム戦争時のヒロインだとか。ところで、夕食で食べられたタイ料理のパッタイは旅の中で一番美味しかったかもしれないんですね(笑)

    ベトナム編の続きも楽しみにしています。
    akiko

    キートン

    キートンさん からの返信 2023/03/19 22:15:00
    RE: ベトナムの北部も行ってみたくなりました!
    こんばんは、akikoさん。
    書き込みありがとうございます。

    ハロン湾は1泊クルーズにして正解でした。
    旅の後半は天候に恵まれなかったので、ハロン湾での晴れ間と夕景はとても貴重なひと時でした。
    カルスト地形と洞窟についてはハロン湾だけでなく、その後に訪れたチャンアン、フォンニャ・ケバン、ダナンの五行山とどれも見ごたえがあり凄かったです。

    ベトナムは16〜17世紀に統一されるまでは、北部と中部と南部で違った歴史を歩んでいたようですね。それまでは南部はカンボジアとの関係が強かったのではないでしょうか。

    ドンホイの宿はリーズナブルで居心地も良かったので大正解でした。
    グエン・ティ・スオットという人物は、ドンホイを観光するかベトナム戦争をよほど調べないと知る機会はないと思いますよ。
    ドンホイは「地球の歩き方」にも載っていない街なので、たまにはほとんど知られていない街を観光してみるのも、いろんな発見があっていいかなと思いました。

    では、また。

    キートン

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