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「秋田市立赤れんが郷土館」からさらに雪道を歩いて「秋田市民俗芸能伝承館」に向かいます。手前には「旧金子家住宅」の美しい建物がありますが、まずは伝承館に向かいます。今回ここに来なければならない理由があり、それは夏に開催される「竿燈祭り」に来る予定だからです。今まで東北の祭りはいろいろ見てきましたが、なぜか「竿燈」を見たことがありませんでした。夏祭りのツアーを調べたことがありましたが、2泊3日で20万円近くするのでコスパはあまりよくありません。そこで考えたのがダイヤモンド・プリンスのクルーズツアーで、「日本の夏!竿燈・ねぶた・よさこい・阿波おどりに沸く周遊クルーズ・韓国 11日間」の内側客室で21.8万円とコスパの良いものがありました。それを申し込んでいたので今回は下見ということです。係りの伯父さんにいろいろ情報をいただき、どこで何を見ればよいのか、何が見どころなのかが分かりました。竿燈の現物の巨大さにも驚きましたが、竹をしならせて腰に載せたり、頭部に載せたりという技にも驚きました。展示室には初めて見る周辺の祭りについての紹介があり、まだまだ日本には知らないことがたくさんあるのだと思います。横手の「梵天(ぼんでん)」の展示もあり、来年は横手で「かまくら」と「梵天(ぼんでん)」を観に行こうと思いました。天井の高い展示室では係員のおじさんが竿燈の実演を見せてくださいました。ただの展示室だけではなかったわけです。今まではリタイアされたおじさんが伝承館で働いているのかと思いましたが、竿燈の竿を持った途端に鋭い目つきに変わり、巨大な竿燈を鮮やかに扱いだします。2人一組で竿を継ぎだすのには驚きました。長くなるとどんどんしなり始め、どうやってバランスをとっているのか理解できません。これを表でやったら風の影響も大きそうです。実演の後は法被を着て小学生の低学年用の小さいものを扱わせてもらいました。そのバランスの取り方のむつかしさを体感出来ました。これで夏の「竿灯祭り」はさらに深く楽しむことが出来そうです。最後に「旧金子家住宅」の見学をしていると閉館時間になってしまいました。ホテルに戻ると荷物は部屋に届けられ、広めのツインルームは3泊するには快適そうです。門司港と博多の旅の疲れも残っていて、部屋で少し休んで、遅めの晩御飯に出かけました。事前に電話予約した川反(かわばた)の「秋田川反漁屋酒場」という店は古い民家のような造りで、観光客にはうれしい雰囲気です。座敷の席の横には大きな火鉢が置かれ、火が入っています。ここで美味しい秋田地産の料理と日本酒を楽しみました。お店の方々も親切で楽しい時間が過ごせました。閉店前でお客さんも帰ったタイミングで店内を見せていただくと妻が「勝平得之(かつひらとくし)」とつぶやきます。カウンターのあるコーナーの壁には額に入った版画がたくさん掛けられています。思わずご主人にお願いして写真を撮らせていただきました。途中でお迎えのタクシーが来てしまい、最後まで取れなかったのがちょっと残念です。初めて来た秋田市ですが、半日で大好きになりました。<br />

ANAの特典航空券で冬の秋田の祭りと美食を楽しむ旅(2)秋田市民俗芸能伝承館で法被を着て竿燈に挑戦し、夏の「竿燈祭り」に備える。

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2023/02/09 - 2023/02/09

491位(同エリア1223件中)

旅行記グループ 2023冬の秋田まつりの旅

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kojikoji

kojikojiさん

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「秋田市立赤れんが郷土館」からさらに雪道を歩いて「秋田市民俗芸能伝承館」に向かいます。手前には「旧金子家住宅」の美しい建物がありますが、まずは伝承館に向かいます。今回ここに来なければならない理由があり、それは夏に開催される「竿燈祭り」に来る予定だからです。今まで東北の祭りはいろいろ見てきましたが、なぜか「竿燈」を見たことがありませんでした。夏祭りのツアーを調べたことがありましたが、2泊3日で20万円近くするのでコスパはあまりよくありません。そこで考えたのがダイヤモンド・プリンスのクルーズツアーで、「日本の夏!竿燈・ねぶた・よさこい・阿波おどりに沸く周遊クルーズ・韓国 11日間」の内側客室で21.8万円とコスパの良いものがありました。それを申し込んでいたので今回は下見ということです。係りの伯父さんにいろいろ情報をいただき、どこで何を見ればよいのか、何が見どころなのかが分かりました。竿燈の現物の巨大さにも驚きましたが、竹をしならせて腰に載せたり、頭部に載せたりという技にも驚きました。展示室には初めて見る周辺の祭りについての紹介があり、まだまだ日本には知らないことがたくさんあるのだと思います。横手の「梵天(ぼんでん)」の展示もあり、来年は横手で「かまくら」と「梵天(ぼんでん)」を観に行こうと思いました。天井の高い展示室では係員のおじさんが竿燈の実演を見せてくださいました。ただの展示室だけではなかったわけです。今まではリタイアされたおじさんが伝承館で働いているのかと思いましたが、竿燈の竿を持った途端に鋭い目つきに変わり、巨大な竿燈を鮮やかに扱いだします。2人一組で竿を継ぎだすのには驚きました。長くなるとどんどんしなり始め、どうやってバランスをとっているのか理解できません。これを表でやったら風の影響も大きそうです。実演の後は法被を着て小学生の低学年用の小さいものを扱わせてもらいました。そのバランスの取り方のむつかしさを体感出来ました。これで夏の「竿灯祭り」はさらに深く楽しむことが出来そうです。最後に「旧金子家住宅」の見学をしていると閉館時間になってしまいました。ホテルに戻ると荷物は部屋に届けられ、広めのツインルームは3泊するには快適そうです。門司港と博多の旅の疲れも残っていて、部屋で少し休んで、遅めの晩御飯に出かけました。事前に電話予約した川反(かわばた)の「秋田川反漁屋酒場」という店は古い民家のような造りで、観光客にはうれしい雰囲気です。座敷の席の横には大きな火鉢が置かれ、火が入っています。ここで美味しい秋田地産の料理と日本酒を楽しみました。お店の方々も親切で楽しい時間が過ごせました。閉店前でお客さんも帰ったタイミングで店内を見せていただくと妻が「勝平得之(かつひらとくし)」とつぶやきます。カウンターのあるコーナーの壁には額に入った版画がたくさん掛けられています。思わずご主人にお願いして写真を撮らせていただきました。途中でお迎えのタクシーが来てしまい、最後まで取れなかったのがちょっと残念です。初めて来た秋田市ですが、半日で大好きになりました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
観光バス タクシー ANAグループ 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 「秋田市立赤れんが郷土館」からさらに雪道を進むと「旧金子家住宅」の建物が見えてきました。

    「秋田市立赤れんが郷土館」からさらに雪道を進むと「旧金子家住宅」の建物が見えてきました。

    旧金子家住宅 名所・史跡

  • 江戸時代後期の町家の伝統的な建築様式を残した貴重な建物が残されています。太物と呼ばれる綿織物や麻織物などを扱っていた昭和初期の店先の様子や幕末に建てられた土蔵などを見学できます。

    江戸時代後期の町家の伝統的な建築様式を残した貴重な建物が残されています。太物と呼ばれる綿織物や麻織物などを扱っていた昭和初期の店先の様子や幕末に建てられた土蔵などを見学できます。

  • 雪が積もっているだけでより風情を感じることが出来ます。

    雪が積もっているだけでより風情を感じることが出来ます。

  • 「旧金子家住宅」の横には「ねぶり流し館」の建物が経っています。青森県の五所川原にある「立佞武多の館」を思い出させるような背の高い建物です。表からも見て分かるように実物大の竿燈が納められています。

    「旧金子家住宅」の横には「ねぶり流し館」の建物が経っています。青森県の五所川原にある「立佞武多の館」を思い出させるような背の高い建物です。表からも見て分かるように実物大の竿燈が納められています。

    秋田市民俗芸能伝承館(ねぶり流し館) 美術館・博物館

  • 入り口右手のホールに入ると竿燈の祭りの風景が再現されていました。東北も祭りのいくつかは以前に見たことがありますが、竿燈の実物を見るのはこれが初めてです。

    入り口右手のホールに入ると竿燈の祭りの風景が再現されていました。東北も祭りのいくつかは以前に見たことがありますが、竿燈の実物を見るのはこれが初めてです。

  • 今回ここへ来たのには理由がありました。8月4日に横浜を出港するダイヤモンド・プリンセスの「竿灯・ねぶた・よさこい・阿波おどり・韓国周遊クルーズ」に申し込んでいたからです。夏に東北の祭りを観に行こうと思い、ツアーを調べてみるとどれも2泊3日で20万円というような値段でした。一番安いカテゴリーですが、クルーズツアーは10泊11日で22万円+αくらいなのでこちらになりました。その中の秋田の竿燈の下見というわけです。

    今回ここへ来たのには理由がありました。8月4日に横浜を出港するダイヤモンド・プリンセスの「竿灯・ねぶた・よさこい・阿波おどり・韓国周遊クルーズ」に申し込んでいたからです。夏に東北の祭りを観に行こうと思い、ツアーを調べてみるとどれも2泊3日で20万円というような値段でした。一番安いカテゴリーですが、クルーズツアーは10泊11日で22万円+αくらいなのでこちらになりました。その中の秋田の竿燈の下見というわけです。

  • 調べてみると「竿燈まつり」は真夏の病魔や邪気を払う”ねぶり流し行事”として宝暦年間にはその原型となるものが出来ていたそうです。寛政元年の1789年の津村淙庵の紀行文「雪の降る道」で、陰暦の7月6日に行われたねぶりながしが紹介されていtr、このときにはすでに秋田独自の風俗として伝えられており、長い竿を十文字に構え、それに灯火を数多く付けて、太鼓を打ちながら町を練り歩き、その灯火は二丁、三丁にも及ぶとあります。

    調べてみると「竿燈まつり」は真夏の病魔や邪気を払う”ねぶり流し行事”として宝暦年間にはその原型となるものが出来ていたそうです。寛政元年の1789年の津村淙庵の紀行文「雪の降る道」で、陰暦の7月6日に行われたねぶりながしが紹介されていtr、このときにはすでに秋田独自の風俗として伝えられており、長い竿を十文字に構え、それに灯火を数多く付けて、太鼓を打ちながら町を練り歩き、その灯火は二丁、三丁にも及ぶとあります。

  • 元々は藩政以前から秋田市周辺に伝えられているねぶり流しは、笹竹や合歓木(ねむのき)に願い事を書いた短冊を飾り、町を練り歩いた最後に川に流すものでした。それが宝暦年間の蝋燭の普及やお盆に門前に掲げた高灯籠などが組み合わされて独自の行事に発展しました。

    元々は藩政以前から秋田市周辺に伝えられているねぶり流しは、笹竹や合歓木(ねむのき)に願い事を書いた短冊を飾り、町を練り歩いた最後に川に流すものでした。それが宝暦年間の蝋燭の普及やお盆に門前に掲げた高灯籠などが組み合わされて独自の行事に発展しました。

  • 竿燈には幼若と呼ばれる高さ5メートルの子供用から小若、中若と大きくなり、大若は12メートルになり、提灯の数も46個になります。重さは50キロにもなるそうです。さらに”妙技”というものがあり、「流し」「平手(ひらで)」「額(ひたい)」「肩」「腰」などがあげられます。文字通り体の一部で巨大な竿燈を支えます。

    竿燈には幼若と呼ばれる高さ5メートルの子供用から小若、中若と大きくなり、大若は12メートルになり、提灯の数も46個になります。重さは50キロにもなるそうです。さらに”妙技”というものがあり、「流し」「平手(ひらで)」「額(ひたい)」「肩」「腰」などがあげられます。文字通り体の一部で巨大な竿燈を支えます。

  • さらに一本下駄を履いてとなると、そのバランス力に驚かされます。本当にこんなことが出来るのだろうかと半信半疑の気持ちが芽生えてきます。

    さらに一本下駄を履いてとなると、そのバランス力に驚かされます。本当にこんなことが出来るのだろうかと半信半疑の気持ちが芽生えてきます。

  • 竿燈の構造についての図解は非常に分かりやすく、今まで謎だったものが解けたような気分になりました。構造力学上から行ってもこのような形状のものを立ち上げるのは至難の業ですが、提灯部分が1つの構造となり、それを立ち上げた後に「継竹」と呼ばれる短い竹をどんどん継ぎ足していくのです。当然不安定になる竹はしなっていくのですが…。

    竿燈の構造についての図解は非常に分かりやすく、今まで謎だったものが解けたような気分になりました。構造力学上から行ってもこのような形状のものを立ち上げるのは至難の業ですが、提灯部分が1つの構造となり、それを立ち上げた後に「継竹」と呼ばれる短い竹をどんどん継ぎ足していくのです。当然不安定になる竹はしなっていくのですが…。

  • 実物大の竿燈は見上げるような高さですが、これに竹を継いでいくのですからさらに高さは高くなり風の抵抗も大きくなります。

    実物大の竿燈は見上げるような高さですが、これに竹を継いでいくのですからさらに高さは高くなり風の抵抗も大きくなります。

  • 展示室にはそれぞれのサイズの竿燈が置かれてあり、法被を着させてもらい、体験することが出来ます。

    展示室にはそれぞれのサイズの竿燈が置かれてあり、法被を着させてもらい、体験することが出来ます。

  • 展示館には数名の係員の方がいらっしゃいました。70代の物静かな男性たちでしたが、いきなり竿燈の実演を始めたのには驚きました。それまでおじいさんという印象しかなかったのですが、竹竿を握った瞬間から別人のような動きに変わります。これは大若という一番大きな竿燈を額で受けている「額」という妙技です。

    展示館には数名の係員の方がいらっしゃいました。70代の物静かな男性たちでしたが、いきなり竿燈の実演を始めたのには驚きました。それまでおじいさんという印象しかなかったのですが、竹竿を握った瞬間から別人のような動きに変わります。これは大若という一番大きな竿燈を額で受けている「額」という妙技です。

  • この時点で5本ほどの継竹を足しています。これは「肩」という妙技です。

    この時点で5本ほどの継竹を足しています。これは「肩」という妙技です。

  • これは「流し」という妙技で、竹の小口が開いているのでここに継竹を差し込むことが安易になります。この技は2名1組で行います。

    これは「流し」という妙技で、竹の小口が開いているのでここに継竹を差し込むことが安易になります。この技は2名1組で行います。

  • この後は「腰」の技も見せていただきました。祭りもリタイアされた方が展示館を手伝っているのかと勝手に思っていましたが、現役バリバリでした。

    この後は「腰」の技も見せていただきました。祭りもリタイアされた方が展示館を手伝っているのかと勝手に思っていましたが、現役バリバリでした。

  • この後に視線の位置やバランスの取り方を教えていただきます。

    この後に視線の位置やバランスの取り方を教えていただきます。

  • ということで法被をお借りします。

    ということで法被をお借りします。

  • これが一番小さい小学生の低学年用の「幼若」よりも小さいものです。視線は七夕と書かれた提灯の下の十字部分に赤いテープが張ってあり、そこから視線は離しません。脇を閉めて水平に腕を伸ばし、バランスをとるときは体全体で前後します。

    これが一番小さい小学生の低学年用の「幼若」よりも小さいものです。視線は七夕と書かれた提灯の下の十字部分に赤いテープが張ってあり、そこから視線は離しません。脇を閉めて水平に腕を伸ばし、バランスをとるときは体全体で前後します。

  • 一番小さいミニチュアで練習した後は「幼若」という高さ5メートルで5キロの小学生用の物を体験しましたが、もっと重たく感じました。屋内でもそう感じるのですから屋外で風の影響を受けたらどんなことになるのでしょう。「幼若」でも10秒くらいが限界でした。

    一番小さいミニチュアで練習した後は「幼若」という高さ5メートルで5キロの小学生用の物を体験しましたが、もっと重たく感じました。屋内でもそう感じるのですから屋外で風の影響を受けたらどんなことになるのでしょう。「幼若」でも10秒くらいが限界でした。

  • 体験の後は祭りをどこで見るかなどのレクチャーをしてもらいました。秋田港に朝に到着して、市内まで移動して終日秋田市内にいることになりますから。「竿燈妙技大会は絶対に見てください。」と念を押されました。

    体験の後は祭りをどこで見るかなどのレクチャーをしてもらいました。秋田港に朝に到着して、市内まで移動して終日秋田市内にいることになりますから。「竿燈妙技大会は絶対に見てください。」と念を押されました。

  • 観覧席は5月になってからの販売なので申し込みしようと考えています。観覧席から眺める前に実際に竿燈の重さやバランスの取り方の難しさを体験出来てとても良かったと思います。これで祭りも違った見え方をすると思います。「町紋」といわれる38の町内ごとに異なる紋章も飾られています。これも知っておかないとどこの演技か分かりません。

    観覧席は5月になってからの販売なので申し込みしようと考えています。観覧席から眺める前に実際に竿燈の重さやバランスの取り方の難しさを体験出来てとても良かったと思います。これで祭りも違った見え方をすると思います。「町紋」といわれる38の町内ごとに異なる紋章も飾られています。これも知っておかないとどこの演技か分かりません。

  • この継竹が一番の驚きで、まるでマジックを見ているようでした。

    この継竹が一番の驚きで、まるでマジックを見ているようでした。

  • 展示室には「竿燈」以外の祭りの展示もありました。こちらでは横手市の冬の祭り「梵天(ぼんでん)」です。本当はこの祭りにも行きたかったのですが、今回の「上桧木内の風船上げ」と「なまはげ柴灯まつり」と時期が少しずれるのと、そのタイミングでは八戸の「えんぶり」の旅を予定しています。

    展示室には「竿燈」以外の祭りの展示もありました。こちらでは横手市の冬の祭り「梵天(ぼんでん)」です。本当はこの祭りにも行きたかったのですが、今回の「上桧木内の風船上げ」と「なまはげ柴灯まつり」と時期が少しずれるのと、そのタイミングでは八戸の「えんぶり」の旅を予定しています。

  • 並べられた「梵天」の小ささに驚きました。もっと巨大なものだった記憶があるからです。

    並べられた「梵天」の小ささに驚きました。もっと巨大なものだった記憶があるからです。

  • 昭和42年の1967年2月の横手の「梵天祭り」に参加した時の写真です。当時5歳で、背中には蓑を被っています。これに比べたら置かれているものはあまりにも小さいです。

    昭和42年の1967年2月の横手の「梵天祭り」に参加した時の写真です。当時5歳で、背中には蓑を被っています。これに比べたら置かれているものはあまりにも小さいです。

  • 案内板を読んで分かりましたが、これは横手の「梵天」ではなく秋田市内の太平山三吉神社で開催される「もんでんまつり」のものでした。梵天奉納を観に行った旭岡山神社の風景などは強く記憶に残っています。

    案内板を読んで分かりましたが、これは横手の「梵天」ではなく秋田市内の太平山三吉神社で開催される「もんでんまつり」のものでした。梵天奉納を観に行った旭岡山神社の風景などは強く記憶に残っています。

  • 横手市内の料理屋で子供用の衣装を借りて記念写真。この後これを着て街中を歩いていたらカメラマンの格好の餌食になりました。55年前でもこんな格好の子供は横手でもいませんでした。<br />横手の梵天:https://4travel.jp/travelogue/10350435

    横手市内の料理屋で子供用の衣装を借りて記念写真。この後これを着て街中を歩いていたらカメラマンの格好の餌食になりました。55年前でもこんな格好の子供は横手でもいませんでした。
    横手の梵天:https://4travel.jp/travelogue/10350435

  • 2階からは秋田市の民俗芸能についての展示があります。竿燈以外はほとんど知らないものばかりで、秋田について学んでいないことを感じます。

    2階からは秋田市の民俗芸能についての展示があります。竿燈以外はほとんど知らないものばかりで、秋田について学んでいないことを感じます。

  • 竿燈の継竹はシンプルなものだけではなく、花笠を広げて竿燈に継ぎ足すとか、纏(まとい)とか吹き流しをつけて演技する町内もあるようです。

    竿燈の継竹はシンプルなものだけではなく、花笠を広げて竿燈に継ぎ足すとか、纏(まとい)とか吹き流しをつけて演技する町内もあるようです。

  • 「秋田万歳(まんざい)」<br />祝福芸能の一種で、かつては正月に演じられていましたが、現在は不定期で演じられるようです。秋田万歳ではもう町まわりをする人はいなくなってしまいましたが、少数の伝承者が残っています。

    「秋田万歳(まんざい)」
    祝福芸能の一種で、かつては正月に演じられていましたが、現在は不定期で演じられるようです。秋田万歳ではもう町まわりをする人はいなくなってしまいましたが、少数の伝承者が残っています。

  • 先日「福岡市博物館」で見た”浮かれどんたく”や”仁和加(にわか)”などを思い出します。

    先日「福岡市博物館」で見た”浮かれどんたく”や”仁和加(にわか)”などを思い出します。

  • 「太夫」は紋付に袴、松竹鶴が背中に大きく染め抜かれた上衣、頭に侍烏帽子をつけます。「才蔵」は紋付に袴に頭巾、鼓を持ち、囃子舞には面も使います。正式の万歳では太夫が扇をひろげて立ち、才蔵は鼓を脇にして座して囃します。囃子舞、才蔵囃子では反対に太夫が鼓を打ち、才蔵が舞ったり囃したりします。

    「太夫」は紋付に袴、松竹鶴が背中に大きく染め抜かれた上衣、頭に侍烏帽子をつけます。「才蔵」は紋付に袴に頭巾、鼓を持ち、囃子舞には面も使います。正式の万歳では太夫が扇をひろげて立ち、才蔵は鼓を脇にして座して囃します。囃子舞、才蔵囃子では反対に太夫が鼓を打ち、才蔵が舞ったり囃したりします。

  • 秋田万歳は太夫の唱える正式の万歳として、家建万歳、経門揃万歳、神力万蔵、大峯万歳(山伏万歳)、御国万歳、双六万歳(道中双六万歳)、扇万歳、お江戸万歳、本願寺万歳、吉原万歳、桜万歳、御門開き万歳の12番があります。正式の万歳のほかに才蔵による「才蔵話し」もあります。

    秋田万歳は太夫の唱える正式の万歳として、家建万歳、経門揃万歳、神力万蔵、大峯万歳(山伏万歳)、御国万歳、双六万歳(道中双六万歳)、扇万歳、お江戸万歳、本願寺万歳、吉原万歳、桜万歳、御門開き万歳の12番があります。正式の万歳のほかに才蔵による「才蔵話し」もあります。

  • 「山谷番楽(ばんがく)」<br />山谷番楽は番楽の面そのものをご神体として祀る生面神社(いきめんじんじゃ)についた神事芸能といわれます。この面(秋田市指定有形文化財)は古く、鎌倉時代のものともされていることから、番楽の発祥もその時代に遡ると考えられています。

    「山谷番楽(ばんがく)」
    山谷番楽は番楽の面そのものをご神体として祀る生面神社(いきめんじんじゃ)についた神事芸能といわれます。この面(秋田市指定有形文化財)は古く、鎌倉時代のものともされていることから、番楽の発祥もその時代に遡ると考えられています。

  • 太平山信仰にかかわる修験者が伝えたとされる芸能で、正保年間の1644~年から48年に開かれた野田村に伝わったとされています。盆前後には近隣地域まで出かけて舞って歩いたもので、修験の布教の意図もあったと考えられます。

    太平山信仰にかかわる修験者が伝えたとされる芸能で、正保年間の1644~年から48年に開かれた野田村に伝わったとされています。盆前後には近隣地域まで出かけて舞って歩いたもので、修験の布教の意図もあったと考えられます。

  • 以前は24演目が伝えられていましたが、現在は露払いと二番豊、神舞と五条の橋の4演目演じられています。全体的にゆっくりとした古い形式の所作が多く、素朴さが残っている舞です。

    以前は24演目が伝えられていましたが、現在は露払いと二番豊、神舞と五条の橋の4演目演じられています。全体的にゆっくりとした古い形式の所作が多く、素朴さが残っている舞です。

  • 現在は保存会が結成され番楽の保存と伝承に努めていて、山谷小学校の3年生以上の児童全員が番楽の継承に取り組んでいます。

    現在は保存会が結成され番楽の保存と伝承に努めていて、山谷小学校の3年生以上の児童全員が番楽の継承に取り組んでいます。

  • 「黒川番楽」<br />この番楽には家元というのがあり、代々番楽を伝えてきたという三浦家がそれにあたります。明治時代末以降は金足神社(かなあしじんじゃ)の祭礼にて番楽が奉納されるものでした。

    「黒川番楽」
    この番楽には家元というのがあり、代々番楽を伝えてきたという三浦家がそれにあたります。明治時代末以降は金足神社(かなあしじんじゃ)の祭礼にて番楽が奉納されるものでした。

  • かつては雨乞いのために演じられることもありましたが、主として五穀豊穣のために舞われます。舞には清祓、鶏舞、三番叟、剣舞、姫舞、橋引、山の神、曽我兄弟、鐘巻、高館、可笑、翁舞、蕨折女、塩汲、岩戸開伊賀舞、武士舞などが残されています。

    かつては雨乞いのために演じられることもありましたが、主として五穀豊穣のために舞われます。舞には清祓、鶏舞、三番叟、剣舞、姫舞、橋引、山の神、曽我兄弟、鐘巻、高館、可笑、翁舞、蕨折女、塩汲、岩戸開伊賀舞、武士舞などが残されています。

  • ここでは曽我兄弟の衣装が展示してありました。

    ここでは曽我兄弟の衣装が展示してありました。

  • 「羽川剣ばやし」<br />羽川は秋田市の南端にある下浜郷にある古い集落で、中世に由利十二頭の新田義政が支配し、居城を持て羽川姓を名乗ったことによる地名です。

    「羽川剣ばやし」
    羽川は秋田市の南端にある下浜郷にある古い集落で、中世に由利十二頭の新田義政が支配し、居城を持て羽川姓を名乗ったことによる地名です。

  • 剣ばやしは羽川小太郎(はねかわこたろう)が仙北地方に攻め入り、大曲城を落としたときに自ら先勝の宴で剣を振るって舞い、居合わせた人たちには銀扇を与えて踊らせたというのが始まりとされます。

    剣ばやしは羽川小太郎(はねかわこたろう)が仙北地方に攻め入り、大曲城を落としたときに自ら先勝の宴で剣を振るって舞い、居合わせた人たちには銀扇を与えて踊らせたというのが始まりとされます。

  • その後は時代とともに剣舞は廃れ、扇の舞だけが女子によって伝えられました。現在は鎮守社の祭礼やお盆などに舞われています。

    その後は時代とともに剣舞は廃れ、扇の舞だけが女子によって伝えられました。現在は鎮守社の祭礼やお盆などに舞われています。

  • 「新屋鹿嶋祭り」<br />新屋の鹿島祭りは豊作を祈る鹿島信仰に由来し、古くは”さなぶり”の時に行われていましたが、やがて端午の節句にの催され、近年は6月第2日曜に町を挙げて子供の成長を祈る伝統行事となりました。

    「新屋鹿嶋祭り」
    新屋の鹿島祭りは豊作を祈る鹿島信仰に由来し、古くは”さなぶり”の時に行われていましたが、やがて端午の節句にの催され、近年は6月第2日曜に町を挙げて子供の成長を祈る伝統行事となりました。

  • 子供らの無病息災を託した鹿島人形を乗せた各町内の鹿島船は笛や太鼓の囃子と共に鹿島唄を口ずさむ子供と沿者の手に曳かれ日吉神社で祓えを修し、全町内を練り歩いたのち雄物川に流されます。

    子供らの無病息災を託した鹿島人形を乗せた各町内の鹿島船は笛や太鼓の囃子と共に鹿島唄を口ずさむ子供と沿者の手に曳かれ日吉神社で祓えを修し、全町内を練り歩いたのち雄物川に流されます。

  • 舟に載せられた人形の精巧な作りに驚くとともに、乳幼児の死亡率が高かったころの親の願いであるとか、紙で人体の形をしたものをつくり、これを流して災いを除いた陰陽師にもつながるであろう思想や秋田という中央から離れた土地のことなどいろいろ考えてしまいます。

    舟に載せられた人形の精巧な作りに驚くとともに、乳幼児の死亡率が高かったころの親の願いであるとか、紙で人体の形をしたものをつくり、これを流して災いを除いた陰陽師にもつながるであろう思想や秋田という中央から離れた土地のことなどいろいろ考えてしまいます。

  • 閉館の時間が近づいてきてしまい、慌てて併設された「旧金子家住宅」の見学に移ります。金子家は江戸時代後期に質屋と古着商を開き、明治初期に呉服と太物と呼ばれる綿織物や麻織物の卸商を創業し、昭和57年までこの建物で商売が営まれていました。

    閉館の時間が近づいてきてしまい、慌てて併設された「旧金子家住宅」の見学に移ります。金子家は江戸時代後期に質屋と古着商を開き、明治初期に呉服と太物と呼ばれる綿織物や麻織物の卸商を創業し、昭和57年までこの建物で商売が営まれていました。

  • 表を歩いていると屋根の上に組まれた足場のようなものと甕らしきものが見えました。これは防火のために備え付けられた「天水甕」と呼ばれるものです。「天水甕」は秋田の商家に多く見られる特徴の1つで、他の地域では見ることがありません。このあたりの商家の屋根は木材の板で葺いたものが多く、火が燃え移りやすかったようです。そのために火事の知らせがあると使用人が屋根の上にのぼり、ほうきで天水甕の水を散らして火事を防いだそうです。

    表を歩いていると屋根の上に組まれた足場のようなものと甕らしきものが見えました。これは防火のために備え付けられた「天水甕」と呼ばれるものです。「天水甕」は秋田の商家に多く見られる特徴の1つで、他の地域では見ることがありません。このあたりの商家の屋根は木材の板で葺いたものが多く、火が燃え移りやすかったようです。そのために火事の知らせがあると使用人が屋根の上にのぼり、ほうきで天水甕の水を散らして火事を防いだそうです。

  • 昭和10年から11年にかけて年に来秋したドイツの建築家ブルーノ・タウトが著書の中でこの金子家の「天水甕」を「Water Vessel on Top of the Roof at Akita」と紹介していると館内のモニターで説明されていました。

    昭和10年から11年にかけて年に来秋したドイツの建築家ブルーノ・タウトが著書の中でこの金子家の「天水甕」を「Water Vessel on Top of the Roof at Akita」と紹介していると館内のモニターで説明されていました。

  • 「旧金子家住宅」には1886年にこのあたりで起きた大火事にも焼けずに残った黒漆喰の貴重な内蔵が残されています。土蔵は鞘屋根で主家とつながっています。入り口上には家紋が彫られています。

    「旧金子家住宅」には1886年にこのあたりで起きた大火事にも焼けずに残った黒漆喰の貴重な内蔵が残されています。土蔵は鞘屋根で主家とつながっています。入り口上には家紋が彫られています。

  • 蔵前正面の中2階には火事の際に蔵の窓を目張りするために壁土と水を入れた桶が置かれていたようです。

    蔵前正面の中2階には火事の際に蔵の窓を目張りするために壁土と水を入れた桶が置かれていたようです。

  • 表の扉以外にも3重の扉が設けてあります。防火以外にもいろいろな設えがあるのだと思います。

    表の扉以外にも3重の扉が設けてあります。防火以外にもいろいろな設えがあるのだと思います。

  • 家の中の蔵でありながら2階があるのが驚きです。その分各階の天井の高さは抑えられているようです。

    家の中の蔵でありながら2階があるのが驚きです。その分各階の天井の高さは抑えられているようです。

  • 土蔵の内部は作品展示や演奏会などに使われているようです。天井には長い竹製のはしごが吊られていました。これも家事の備えであろうことがうかがえます。

    土蔵の内部は作品展示や演奏会などに使われているようです。天井には長い竹製のはしごが吊られていました。これも家事の備えであろうことがうかがえます。

  • 大一金子は現在は金子地所ちう不動産賃貸業になっているようです。

    大一金子は現在は金子地所ちう不動産賃貸業になっているようです。

  • 秋田の旅ではこの後も法被を見掛けることが多く、古いものが大切に残されている土地なのだと感じました。

    秋田の旅ではこの後も法被を見掛けることが多く、古いものが大切に残されている土地なのだと感じました。

  • 祖父の生まれた家が江戸初期の建築ということもあり、古い建物にはどうしても惹かれてしまいます。

    祖父の生まれた家が江戸初期の建築ということもあり、古い建物にはどうしても惹かれてしまいます。

  • 右側が土蔵の黒漆喰の壁で、表の覆い家との間には人が1人通れるほどの通路がありました。同じような仕組みが小樽の古い銀行の金庫室にあったことを思い出しました。

    右側が土蔵の黒漆喰の壁で、表の覆い家との間には人が1人通れるほどの通路がありました。同じような仕組みが小樽の古い銀行の金庫室にあったことを思い出しました。

  • 土間から囲炉裏のある台所に部屋を俯瞰してみます。板の間も柱も鴨井も美しく磨き上げられています。

    土間から囲炉裏のある台所に部屋を俯瞰してみます。板の間も柱も鴨井も美しく磨き上げられています。

  • 台所上部は2階までの吹き抜けになっていますが、その半分は女中部屋になっています。

    台所上部は2階までの吹き抜けになっていますが、その半分は女中部屋になっています。

  • 「おえ(御上)」とは土間や庭に対して畳の敷いてある部屋や座敷を指す言葉です。障子の一部がガラス戸になっているのは縁側越しに表の庭が見えるようになっています。冬場は雪が積もって1階は天戸などで塞がれたのではないでしょうか。上部の明り取りは冬場のための物のように思えました。これは5歳の頃に横手の旅でお世話になった家の暗さを覚えていた経験からです。

    「おえ(御上)」とは土間や庭に対して畳の敷いてある部屋や座敷を指す言葉です。障子の一部がガラス戸になっているのは縁側越しに表の庭が見えるようになっています。冬場は雪が積もって1階は天戸などで塞がれたのではないでしょうか。上部の明り取りは冬場のための物のように思えました。これは5歳の頃に横手の旅でお世話になった家の暗さを覚えていた経験からです。

  • 「おえ」から「中の間」の間の欄間は下地窓のような設えで、蝙蝠の透かしになっています。中国では蝙蝠の「蝠」は「福」と同音であり、慶事や幸運のしるしとされています。また日本でも「こうもり」は「子を守る」とか蝙蝠の住む家は火事にならないとか、害虫を食べてくれることなどから縁起が良いとされていました。

    「おえ」から「中の間」の間の欄間は下地窓のような設えで、蝙蝠の透かしになっています。中国では蝙蝠の「蝠」は「福」と同音であり、慶事や幸運のしるしとされています。また日本でも「こうもり」は「子を守る」とか蝙蝠の住む家は火事にならないとか、害虫を食べてくれることなどから縁起が良いとされていました。

  • 「中の間」から左手に「おえ」、右手に「仏間」を望みます。

    「中の間」から左手に「おえ」、右手に「仏間」を望みます。

  • 「店」だけは当時使用された調度品が置かれています。帳場囲いなど商家の趣が感じられます。

    「店」だけは当時使用された調度品が置かれています。帳場囲いなど商家の趣が感じられます。

  • 扱っていた商品も展示されています。小学生の頃の運動会は白い足袋を履いていたことを思い出しました。

    扱っていた商品も展示されています。小学生の頃の運動会は白い足袋を履いていたことを思い出しました。

  • この座布団に座って商談をしたのでしょうか。火鉢も久しぶりに見た気がしましたが、この日の夜には火にあたることが出来ました。

    この座布団に座って商談をしたのでしょうか。火鉢も久しぶりに見た気がしましたが、この日の夜には火にあたることが出来ました。

  • 「小店」と呼ばれる土間の部分です。青森県や秋田県などの町家において、表通りの正面に設けられた深い庇を指す呼称です。積雪時などの人の通行の用に供したものです。この家の場合は通り抜けるというよりは土間としての用途が強いように思えます。

    「小店」と呼ばれる土間の部分です。青森県や秋田県などの町家において、表通りの正面に設けられた深い庇を指す呼称です。積雪時などの人の通行の用に供したものです。この家の場合は通り抜けるというよりは土間としての用途が強いように思えます。

  • 玄関から奥に向かって土蔵まで続く「通り土間」の設えも美しいです。この部分は完全に屋根裏までの吹き抜けになっていて、主屋も土蔵のように2重になっているようです。

    玄関から奥に向かって土蔵まで続く「通り土間」の設えも美しいです。この部分は完全に屋根裏までの吹き抜けになっていて、主屋も土蔵のように2重になっているようです。

  • 気が付くと閉館時間を過ぎていました。我々がめっしんに見学しているので、係の方は待ってくれていたようです。お詫びして退散します。

    気が付くと閉館時間を過ぎていました。我々がめっしんに見学しているので、係の方は待ってくれていたようです。お詫びして退散します。

  • これでこの日の観光は終わりになります。あまり寒くもないのでぶらぶらホテルまで歩いて戻ることにします。

    これでこの日の観光は終わりになります。あまり寒くもないのでぶらぶらホテルまで歩いて戻ることにします。

  • 伝承館のおじさんに教えてもらった竿燈のメインストリートも確認しておきます。この通りの中央分離帯や歩道のあたりに観覧席が設けられるようです。やはり観覧席のチケットは手に入れないとならない気がしてきます。

    伝承館のおじさんに教えてもらった竿燈のメインストリートも確認しておきます。この通りの中央分離帯や歩道のあたりに観覧席が設けられるようです。やはり観覧席のチケットは手に入れないとならない気がしてきます。

  • 今回の旅とその後の八戸の旅、その後には道東の流氷の旅が続くのでコロンビアのスノーブーツを新たに買い求めていましたがとても快適でした。

    今回の旅とその後の八戸の旅、その後には道東の流氷の旅が続くのでコロンビアのスノーブーツを新たに買い求めていましたがとても快適でした。

  • 「秋田県立美術館」まで戻ってくると周囲は薄暗くなってきました。ここは翌日に見学に来る予定です。安藤忠雄の設計した建物なので楽しみです。

    「秋田県立美術館」まで戻ってくると周囲は薄暗くなってきました。ここは翌日に見学に来る予定です。安藤忠雄の設計した建物なので楽しみです。

    秋田県立美術館 美術館・博物館

  • ホテルの建物は「秋田西武」です。元々は「本金西武」という名前で、本金デパートと西友が合弁で造った店でした。その後西武百貨店の店舗となり名称も後に変わっています。40年にわたり西武の仕事をさせてもらっていましたが、ここへ来るのは初めてです。

    ホテルの建物は「秋田西武」です。元々は「本金西武」という名前で、本金デパートと西友が合弁で造った店でした。その後西武百貨店の店舗となり名称も後に変わっています。40年にわたり西武の仕事をさせてもらっていましたが、ここへ来るのは初めてです。

  • このホテルも「秋田ビューホテル」でしたが、2年ほど前に譲渡されて「ANAクラウンプラザ秋田」に変わっています。今回はここに3泊します。

    このホテルも「秋田ビューホテル」でしたが、2年ほど前に譲渡されて「ANAクラウンプラザ秋田」に変わっています。今回はここに3泊します。

    ANAクラウンプラザホテル秋田 宿・ホテル

    秋田駅に近いので空港アクセスにも便利で、ホテルのスタッフも親切でした。 by kojikojiさん
  • 年明けに全国旅行支援が再開されるのを待って、ANAカードから楽天トラベル経由で予約を入れました。1泊20%の割引は大きいです。

    年明けに全国旅行支援が再開されるのを待って、ANAカードから楽天トラベル経由で予約を入れました。1泊20%の割引は大きいです。

  • スタンダードツインの部屋ですが広めなので快適な滞在でした。お昼に到着した際の荷物はチェックイン時には部屋に届けてありました。

    スタンダードツインの部屋ですが広めなので快適な滞在でした。お昼に到着した際の荷物はチェックイン時には部屋に届けてありました。

  • バスルームもリニュアルしたばかりのようで真新しかったです。

    バスルームもリニュアルしたばかりのようで真新しかったです。

  • 唯一の問題がバスタブの排水栓の開閉がどうやっても分からなかったことです。フロントに電話するとシャワーカーテンの下にボタンがあるということでした。その後フロントを通るとフロントの方が「シャワーカーテンの下にボタンがありまして…。」と応対している場面に何度か出くわしました。

    唯一の問題がバスタブの排水栓の開閉がどうやっても分からなかったことです。フロントに電話するとシャワーカーテンの下にボタンがあるということでした。その後フロントを通るとフロントの方が「シャワーカーテンの下にボタンがありまして…。」と応対している場面に何度か出くわしました。

  • 木曜日にチェックインして日曜日のチェックアウトなので、1人5,000円の秋田県のクーポンがいただけました。これ以外に別に予約した翌日からの読売旅行のツアーでも1人2,000円を2回と別に秋田県のクーポンを1,000円づついただきました。総額20,000円!

    木曜日にチェックインして日曜日のチェックアウトなので、1人5,000円の秋田県のクーポンがいただけました。これ以外に別に予約した翌日からの読売旅行のツアーでも1人2,000円を2回と別に秋田県のクーポンを1,000円づついただきました。総額20,000円!

  • 歩いて戻ってくる途中のコンビニで檸檬堂など飲み物を買い求めておきました。製氷機は各階のエレベーターホールにあるので便利でした。冷蔵庫には冷凍スペースもあるので保冷剤を凍らせることが出来て助かりました。

    歩いて戻ってくる途中のコンビニで檸檬堂など飲み物を買い求めておきました。製氷機は各階のエレベーターホールにあるので便利でした。冷蔵庫には冷凍スペースもあるので保冷剤を凍らせることが出来て助かりました。

  • 夕食の店は予約はしていませんでしたが、トリップアドバイザーなどで調べてあった「秋田川反漁屋酒場」に電話をして席を用意してもらいました。ホテルの横にあるタクシー乗り場からほんの5分で着きました。

    夕食の店は予約はしていませんでしたが、トリップアドバイザーなどで調べてあった「秋田川反漁屋酒場」に電話をして席を用意してもらいました。ホテルの横にあるタクシー乗り場からほんの5分で着きました。

  • 店の前には等身大のなまはげが立っています。今回はなまはげに会いに男鹿半島まで行くのでテンション上がります。

    店の前には等身大のなまはげが立っています。今回はなまはげに会いに男鹿半島まで行くのでテンション上がります。

    秋田川反漁屋酒場 グルメ・レストラン

  • 入り口には地産の野菜が盛られています。これは料理に期待が出来そうです。

    入り口には地産の野菜が盛られています。これは料理に期待が出来そうです。

  • 待合いには火鉢が置かれ、火が入っています。先に木枯し紋次郎が来ているようです。「あっしには関係ごぜいやせんが。」銭湯のような下駄箱に靴を入れて座敷に通されます。

    待合いには火鉢が置かれ、火が入っています。先に木枯し紋次郎が来ているようです。「あっしには関係ごぜいやせんが。」銭湯のような下駄箱に靴を入れて座敷に通されます。

  • この店はお通しで鍋料理が2品付くそうです。1つがすき焼きで、次が湯豆腐だそうです。これは秋田では当たり前のようで、翌日に行った居酒屋でも同じようなサービスがありました。

    この店はお通しで鍋料理が2品付くそうです。1つがすき焼きで、次が湯豆腐だそうです。これは秋田では当たり前のようで、翌日に行った居酒屋でも同じようなサービスがありました。

  • ちゃんとしたすき焼きなのに驚きます。そしてなにより美味しいです。

    ちゃんとしたすき焼きなのに驚きます。そしてなにより美味しいです。

  • 笊に入った山菜も美味しそうなのでこごみとタラの芽と独活を天婦羅にしてもらいます。

    笊に入った山菜も美味しそうなのでこごみとタラの芽と独活を天婦羅にしてもらいます。

  • お通しは続いて湯豆腐になります。寒い秋田の夜には何よりの料理です。

    お通しは続いて湯豆腐になります。寒い秋田の夜には何よりの料理です。

  • 熱々の天婦羅が届きました。抹茶塩で熱いうちにいただきます。

    熱々の天婦羅が届きました。抹茶塩で熱いうちにいただきます。

  • 刺身はマグロとしめ鯖とカレイとイカの塩辛に沖漬けです。水産会社の経営の店のようなのでどれも美味しいです。甘口の醤油も九州の旅から続いていますが口に合います。

    刺身はマグロとしめ鯖とカレイとイカの塩辛に沖漬けです。水産会社の経営の店のようなのでどれも美味しいです。甘口の醤油も九州の旅から続いていますが口に合います。

  • 秋田はとんぶりも美味しいので注文しました。この粒の大きいこと。キャビアで言ったらヴェル―ガの粒くらいありそうです。

    秋田はとんぶりも美味しいので注文しました。この粒の大きいこと。キャビアで言ったらヴェル―ガの粒くらいありそうです。

  • さらにじゅんさいもご所望です。秋田県三種町はじゅんさいの生産で有名です。シーズンではありませんが美味しいです。

    さらにじゅんさいもご所望です。秋田県三種町はじゅんさいの生産で有名です。シーズンではありませんが美味しいです。

  • 秋田といえばやはり日本酒なのでいろいろ飲み比べてみることにします。まずは高清水!秋田市のすぐ近くにある酒蔵です。

    秋田といえばやはり日本酒なのでいろいろ飲み比べてみることにします。まずは高清水!秋田市のすぐ近くにある酒蔵です。

  • 続いては刈穂の銀風!淡麗辛口の名の通りすっきりした飲み口です。

    続いては刈穂の銀風!淡麗辛口の名の通りすっきりした飲み口です。

  • 美味しい料理とおいしい日本酒で秋田の夜を楽しみます。

    美味しい料理とおいしい日本酒で秋田の夜を楽しみます。

  • 比内地鶏のから揚げも美味しくないわけがありません。野心がピンボケだったのですが、ショッツルのおでんも美味しかったです。

    比内地鶏のから揚げも美味しくないわけがありません。野心がピンボケだったのですが、ショッツルのおでんも美味しかったです。

  • 最後におにぎりとじょっぱ汁をいただきました。2人とも魚のアラ汁など嫌いなので飲まないのですが、これは美味しかったです。

    最後におにぎりとじょっぱ汁をいただきました。2人とも魚のアラ汁など嫌いなので飲まないのですが、これは美味しかったです。

  • この店は秋田県のクーポンが使えるということで支払いに使おうと思いましたが、QRコードの読み取り画面が出てきません。店の番号を入力すればよかったのですが、店の方も始まったばかりで詳しくなく、途方に暮れているとお勘定を先に済ませた隣のテーブルの方が助けてくれました。秋田県独自のシステムは使いにくかったです。

    この店は秋田県のクーポンが使えるということで支払いに使おうと思いましたが、QRコードの読み取り画面が出てきません。店の番号を入力すればよかったのですが、店の方も始まったばかりで詳しくなく、途方に暮れているとお勘定を先に済ませた隣のテーブルの方が助けてくれました。秋田県独自のシステムは使いにくかったです。

  • 火鉢が似合う年頃になりました。妻が奥のカウンターの方を指さしながら「勝平得之!」と声を上げます。座敷には飾られていませんが、奥のカウンター席の壁は版画で埋め尽くされていました。

    火鉢が似合う年頃になりました。妻が奥のカウンターの方を指さしながら「勝平得之!」と声を上げます。座敷には飾られていませんが、奥のカウンター席の壁は版画で埋め尽くされていました。

  • 先ほど見てきたばかりなのでこれには感激です。記念館では写真撮影禁止でしたので、ご主人にお願いして写真を撮らせていただきました。

    先ほど見てきたばかりなのでこれには感激です。記念館では写真撮影禁止でしたので、ご主人にお願いして写真を撮らせていただきました。

  • 横手の夜のかまくらの風景は自分の記憶に直結してしまいます。

    横手の夜のかまくらの風景は自分の記憶に直結してしまいます。

  • 昭和40年代の横手のかまくらはこんな感じで林立していました。

    昭和40年代の横手のかまくらはこんな感じで林立していました。

  • 地元の子供に混ざって半纏を着させてもらって完全に溶け込んでいます。右から2人目が6歳の自分です。

    地元の子供に混ざって半纏を着させてもらって完全に溶け込んでいます。右から2人目が6歳の自分です。

  • 「雪の町」<br />昭和42年に横手の町へ行った際は町中が1階は雪で埋まり、家の人は2階から出入りしていました。横手は豪雪の地方なので、この版画の町は比較的雪の少ない秋田市の情景なのだろうかと想像します。

    「雪の町」
    昭和42年に横手の町へ行った際は町中が1階は雪で埋まり、家の人は2階から出入りしていました。横手は豪雪の地方なので、この版画の町は比較的雪の少ない秋田市の情景なのだろうかと想像します。

  • 「竿燈」<br />先ほどの竿燈体験で今年の夏がさらに楽しみになってきました。

    「竿燈」
    先ほどの竿燈体験で今年の夏がさらに楽しみになってきました。

  • 「南天」<br />花を題材にした四季の4枚の作品の冬の作品です。南天売りの女性が押す橇に見覚えがあり、家に帰ってから古い写真を探してみました。

    「南天」
    花を題材にした四季の4枚の作品の冬の作品です。南天売りの女性が押す橇に見覚えがあり、家に帰ってから古い写真を探してみました。

  • また記憶がつながってしまいました。この橇は伝統的なものだったと分かりました。この当時はいろいろな場所で見かけましたが、現在でも残っているのでしょうか。

    また記憶がつながってしまいました。この橇は伝統的なものだったと分かりました。この当時はいろいろな場所で見かけましたが、現在でも残っているのでしょうか。

  • 「わら打ち」<br />遠野の旅で持つ機会のあった槌の重さが手に蘇ってきます。<br />

    「わら打ち」
    遠野の旅で持つ機会のあった槌の重さが手に蘇ってきます。

  • 「雪国の市場」<br />先ほど見てきた「旧金子屋住宅」の小店を思い出します。

    「雪国の市場」
    先ほど見てきた「旧金子屋住宅」の小店を思い出します。

  • 「ナマハゲ」<br />昨年11月に真山神社の「なまはげ習俗」を体験して今回の旅になったので翌々日の「なまはげ柴灯まつり」が楽しみです。

    「ナマハゲ」
    昨年11月に真山神社の「なまはげ習俗」を体験して今回の旅になったので翌々日の「なまはげ柴灯まつり」が楽しみです。

  • 以前中国の西安を旅した時に探し回って手に入れた「農民画」を思い出します。この一連の版画に惹かれたのはこの時の体験だったと思います。秋田の八橋人形も六営村の泥人形に重なって見えてきました。<br />西安の農民画:https://4travel.jp/travelogue/10443281

    以前中国の西安を旅した時に探し回って手に入れた「農民画」を思い出します。この一連の版画に惹かれたのはこの時の体験だったと思います。秋田の八橋人形も六営村の泥人形に重なって見えてきました。
    西安の農民画:https://4travel.jp/travelogue/10443281

  • 写真を撮っていると「お迎えが来ましたよ。」と声がかかって、慌てて下駄箱に向かいます。タクシーでホテルに戻って2次会が始まります。

    写真を撮っていると「お迎えが来ましたよ。」と声がかかって、慌てて下駄箱に向かいます。タクシーでホテルに戻って2次会が始まります。

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2023冬の秋田まつりの旅

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