2023/01/16 - 2023/01/16
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たびたびさん
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秩父は埼玉県の最西端。西武線で行っても秩父鉄道で行っても、ドン詰まりといったイメージ。かつては秩父往還と呼ばれた熊谷から秩父を経由して甲府に抜ける甲州街道の裏街道もあったようですが、険しい雁坂峠を越える道なので今でも一般的ではないでしょう。埼玉県の一番山奥というのはその通りではないかと思います。
ただ、観光で言うと秩父は毎年12月3日に行われる秩父夜祭が有名。宝登山神社、三峯神社と並ぶ秩父三社の一つ、秩父神社のお祭りです。以前、拝見したことがありますが、すごい熱気と興奮。確かに素晴らしいお祭りです(https://4travel.jp/travelogue/10753285)。一方で、どうしても気になっていたのが札所巡り。四国八十八か所のような全国的な知名度はありませんが、それでも34か所の観音霊場は、西国三十三所、坂東三十三箇所と併せると日本百観音と数えられるというのはなかなかのもの。札所に指定された寺にはそれぞれ趣きのある観音堂があって、少し回った印象がなにげに良くていつかしっかり回ってみようと思っていたんです。
今回は、レンタカーを駆使して、なんとか一日で以下のラインナップを回ることができました。平安時代に始まった西国三十三所、鎌倉時代に始まった坂東三十三箇所に対して、秩父34か所は室町時代から。前二者は誰でも知っているメジャーなお寺がバンバンあって正直かなりの格の違いがあるのは否めませんが、とにもかくにも秩父地方を網羅するように点在する札所をこれだけしっかり維持し守って来たというのは、それなりの経済的な豊かさや強い信仰心とか宗教的な基盤があってのことでしょう。また、それぞれの個性的なデザインもそれを実現する技術や美的なセンスが必要だったはず。秩父は必ずしもそうした条件を満たすだけの特別な背景があった地域ではないように思いますから、ちょっと不思議な感じもしてしまいます。かつては後北条氏の重要な拠点である寄居城があって、多くの遺臣が下野したという要因もあるのかないのか。なかなかこれというものに行き当たらないのですが、室町時代以降連綿として続いた歴史はやはり相当のもの。当初はたまたまだったかもしれませんが、秩父は江戸や関東各地からの距離も程よい山岳地帯だし、観音信仰の聖地としてその雰囲気がぴったりフィットしたのかもしれませんね。
ところで、観音信仰は、法華経の「観世音菩薩普門品第二十五」に基づくもの。前後の脈絡がなくて、ここだけ突然現れて違和感もなくはない部分なのですが、人々の苦難を救うという分かりやすい内容だけに人気は絶大。一方で、多彩で個性的な観音堂は観音信仰から生まれた変化身にも似ているかな。一つ一つは比較的小粒でも次はどんなお堂なんだろうと最後まで興味津々で回れるのもここならではの楽しさではないかと思います。
〇1番 四萬部寺
〇2番 真福寺
〇3番 常泉寺
〇4番 金昌寺
〇5番 語歌堂
〇6番 卜雲寺
〇7番 法長寺
〇8番 西善寺
〇9番 明智寺
〇10番 大慈寺
□11番 常楽寺
〇12番 野坂寺
□13番 慈眼寺
□14番 今宮坊
□15番 少林寺
□16番 西光寺
□17番 定林寺
〇18番 神門寺
〇19番 龍石寺
〇20番 岩之上堂
〇21番 観音寺
〇22番 童子堂
〇23番 音楽寺
〇24番 法泉寺
〇25番 久昌寺
〇26番 円融寺
〇27番 大渕寺
〇28番 橋立堂
〇29番 長泉院
〇30番 法雲寺
31番 観音院
32番 法性寺
33番 菊水寺
34番 水潜寺
〇:今回、回った24か所、□:既に回っていた6か所
ただ、観音なら仏像の方が本筋なのですが、長くなるので、最後に一つだけ。参考まで。(https://4travel.jp/travelogue/11088595)
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前泊をしての早朝。レンタカー屋さんが開くまで少し時間があるので、西武秩父駅周辺をうろうろ。
これは、秩父神社大祭御旅所。秩父市役所の敷地の続きの広場の中に鳥居とそれらしい建物が建っていて、知らなくてもつい目が行ってしまいますね。秩父神社大祭の神幸祭の際、秩父祭屋台が曳きそろえられる場所なんだそう。広さが十分あるので、まさにぴったり。重要な役割を果たしています。 -
少し歩いて、これはちちぶ銘仙館。
銘仙というのは、平織した絣の絹織物で、桐生とか足利、伊勢崎の方では聞いたことはありましたが、秩父でも伝統工芸品になっているのですね。
そして、この建物は、アメリカ人建築家ライト氏が考案した大谷石積の外装や昭和初期の特徴的な装飾との調和が優れているとして、国の登録有形文化財に指定されているもの。落ち着いたたたずまいがちょっと印象的です。 -
さて、トヨタレンタカー 西武秩父駅前。
西武秩父駅から歩いて数分。事前に秩父をレンタカーで回ろうと調べましたが、この辺りではここが唯一ヒットしたレンタカー屋さんです。まあ、トヨタだし信頼感もありますからね。 -
レンタカーで出発して。
まずは、音楽寺。秩父札所三十四観音霊場 第二十三番です。 -
天長年間(824年 ? 834年)、慈覚大師、円仁が聖観音像を刻んで観音堂に祀ったのが始まり。アスファルト敷の緩い坂を上った正面が本堂。
あれ?これじゃ全然期待外れなんですけど~ -
と、そこから回りこんで奥に進むと目指す観音堂がありました。三間四面ふき寄せ二重垂木。お堂には向拝がない分、ずんぐり感が増していて凄味があるように感じます。
いやいや、雨に煙っていますけど、いきなりのこの存在感。素晴らしいですね。 -
前半分か三分の一くらいが舞台になっていて、
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天井からそこいらからあちこちお札が貼ってあって、いかにも札所ですね。
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気分が出てきたというか、テンションが上がってきましたよ~
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続いては、童子堂。秩父札所三十四観音霊場 第二十二番です。
周囲の塀とか何もない平地にまず現れるのは茅葺きの仁王門。 -
イチオシ
その仁王門に安置されたこの仁王像が見どころです。無垢な童子のような表情の素朴な仁王像で、かなり個性的ですね。
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プロではなくて、たぶん素人が造ったものでしょうが、長い月日を経て、それなりに馴染んできたということでしょうか。
ただ、最初にこれが出来てお披露目された時は賛否両論あったんじゃないかなあと思います。 -
奥の観音堂が童子堂。
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こちらは、鋭く四方に伸びた屋根、正面の精緻な彫刻が印象的です。
こちらは隙のないマジな意匠です。 -
観音寺は、秩父札所三十四観音霊場 第二十一番。
車道から入ってすぐ。あっけない場所のさほど広くない境内にかつては矢乃堂とも呼ばれたお堂が建っていました。行基にまつわる謂れがあるようです。現在のお堂は大正12年、隣の小学校の火災の類焼後、新しく建てられたもの。本屋根の反りが厳しいのに対して、大きめの向拝の屋根が丸く穏やかで、その対比が面白いです。 -
正面の絵馬は
矢納の地名が平将門が矢を納めた場所に由来して、火難に強いと描かれています。 -
イチオシ
岩之上堂は、秩父札所三十四観音霊場 第二十番。
駐車場から観音堂へは参道を下っていくことになるのですが、山あいに建つお堂の屋根と周囲の緑がいい感じ。とても雰囲気がありますね~ -
お堂は、三間四面方形造り。正面の向拝は屋根から直線的に軒を延ばしたもので無駄がないかもしれません。
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内陣にも正面からそのまま入ることができて、
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イチオシ
内部の派手な天蓋や
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彫刻とかじっくりと拝見することができました。
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絵馬は、寺尾村の孝子。
孝行息子が川向こうの病の老母に会いに行こうといするのですが大雨で川が渡れない。そこに観音様が童子舟に姿を変え、渡ることができたと描かれています。 -
龍石寺は、秩父札所三十四観音霊場 第十九番。
その昔、村人達が悪龍を退治しようと観音様に念じたところ龍を退治してくれた。それから村人達はお堂を建て千手観世音菩薩を安置したというのが寺の始まりです。
観音堂は、七間半四面表流れの向拝を付した方形造り。そして、その堂々としたお堂は一枚の大きな岩の上に建てられているというのが自慢です。 -
周囲は見通しもよくて、どうかすると殺風景な印象にもなるところなのですが、そうはなっていないだけの十分な存在感があると思います。
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正面の絵馬は、黒雲からちらり龍が見えていて
村人に悪さをする龍の姿かと思います。 -
イチオシ
神門寺は、秩父札所三十四観音霊場 第十八番。
車道沿いに駐車場があって、そこからすぐ。もともとは修験寺だったとか。現在の観音堂は、江戸期天保の頃の再建。正面の向拝がかなり大きくて彫刻も豪快ですね。どうかすると本体よりも向拝の方が存在感があるくらいに感じます。 -
正面の絵馬は、巫女の信託。
寺の由来は、神社の再興のために神楽を奉納したのですが、巫女が現れて「この土地は神社ではなく、寺院が栄える」というお告げをしたことから。寺の由来に基づくものですね。 -
堂内は畳も敷かれて、お勤めをするキラキラの祭壇です。
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続いては、聖神社。
秩父で見つかった銅が朝廷に献上されたのは、慶雲五年(708年)。 -
直後に年号が和銅に改元され、日本最初の流通貨幣「和同開珎」が作られたのですが、その際、元明天皇から遣わされた勅使によって金山彦命が祀られたのが始まりの神社です。
本殿の前に大きな「和同開珎」の模型が誇らしげに立っています。 -
和銅採掘遺跡は、そこから少し車道を奥に走って。道の脇を谷の方へしばらく下りて行った先にあります。
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道案内を頼りに進んでいくと、大きな和同開珎のモニュメントと説明板とかが現れました。
なお、車を置く駐車場スペースは下り口からちょっと離れているので不便です。 -
四萬部寺は、秩父札所三十四観音霊場 第一番。
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寺伝によると創建は寛弘4年(1007年)。播磨国、書写山性空上人の弟子幻通が開いた寺。山門から石灯籠の間の参道を進むと
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軒唐破風の上にさらに大きな千鳥破風を備えた入母屋造りの本堂。全体のバランスは縦長の印象があって、個性的ですね。
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正面の意匠ですが、
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とても微細な地獄、
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極楽の彫刻。少し傷みもありますが、なかなか丁寧に彫られたものですね。
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光明寺は、秩父札所三十四観音霊場 第二番真福寺の納経所。
露天の仁王立像を過ぎて -
境内に入ると悠々と屋根を広げた本堂。正面の小さな軒破風も少し威厳があってなにげにいいですね。
真福寺への行き方をここで確認して、真福寺へ。少し先から急に細い山道に入るので確かめておいて安心でした。 -
真福寺は、秩父札所三十四観音霊場 第二番。
けっこうな山道を上っていった先。境内は少し荒れ地のような感じで寂し気ですが、まあなんとか。 -
現在の観音堂は、明治41年(1908年)に再建されたもの。正面の向拝は大きな唐破風で力強い意匠。風雪を耐えてきた感もあって、いい感じだと思います。
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老婆が観音様におすがりし、大棚禅師が開基したと伝えられる寺。
絵馬には、禅師が岩屋にこもって読誦していると老婆が現れ過去を懺悔して去った。あわれんだ禅師は、その供養のために堂宇を建立したとあります。 -
常泉寺は、秩父札所三十四観音霊場 第三番。
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奥の観音堂に向かうと、観音堂は、三間四面。表に一間の大唐破風の向拝を付すというダイナミックな意匠。
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正面の龍の彫刻や二重垂木も見事ですが、この屋根の厚みもなんでしょうねえ。銅板葺なんですが、分厚い屋根を丸ごと覆っていて、それもダイナミックさにつながっていると思います。
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絵馬には
本尊 聖観世音像は行基の彫刻と伝えられ
長命水、子持石の伝説が残っているとありました。 -
金昌寺は、秩父札所三十四観音霊場 第四番。
最初の見どころは、大わらじが掛かっている立派な仁王門。 -
仁王門を過ぎて石仏の並ぶ石段を登りきると
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大ぶりの観音堂。もうだいぶ色が褪せていますが、
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赤い基調のお堂は各面にクジャクや天女の彫刻。前側は舞台になっていて、いい雨宿りもできました。
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絵馬は荒木丹下
悪人荒木丹下を観世音菩薩が娘巡礼に身を変えて
改心させ大善人とならしめた不思議な霊験なり -
語歌堂は、秩父札所三十四観音霊場 第五番。
長興寺の大旦那である本間孫八なる人物が建立。この孫八は和歌の道に親しむ風流人で、救世観世音菩薩の化身である旅の僧と和歌の奥義について論じ合ったという謂れが語歌堂の所以です。
お堂の前に仁王門があって、 -
極彩色の仁王像。
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赤と青の鮮やかなコントラストがいいですね。
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そして、後ろ側にはこれも鮮やかな色彩の風神雷神像。
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イチオシ
あまり古いものではないと思いますが、
前例にこだわらない独特の作風は愛嬌があってとても面白い。必見かと思います。 -
改めて、観音堂の方ですが
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仁王門のインパクトが強すぎて
ちょっと損しているかな。 -
イチオシ
絵馬の方は
旅人に化身した聖徳太子が御堂を訪ね孫八と和歌の扇を論じたとありました。
法隆寺の救世観音像は、聖徳太子の等身の像と伝えられ守られてきたもの。救世観音でも聖徳太子でも意味合いは同じです。 -
大慈寺は、秩父札所三十四観音霊場 第十番。
創建は延徳2年(1490年)。恵心僧都作と伝わる聖観音が本尊です。
急な石段の上には大きな仁王門。 -
それを越えて進むと正面に大きな末広がりの唐破風を備えた観音堂。ただ、ほかの札所のようにそこいらじゅうにお札がペタペタ貼ってあるということはなくて、いわゆる古びた趣はありません。
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大慈寺から明智寺に向かう途中。
寺坂棚田は埼玉県では最大級の棚田で、全体面積は約5.2ha。車道に車を停めて、そのまま下の方に広がる棚田を見下ろしました。小さな展望所も整備されていますが、そこまで下りなくても車道からでも十分その雰囲気は味わえると思います。 -
ほどなく、明智寺へ。こちらは、秩父札所三十四観音霊場 第九番。
建久2年(1191年)、明智禅師によって開かれた寺。
現在の観音堂は近年のもので、六角形のお堂。少し小ぶりだし本堂とつながっていて独立した建物ではないですね。安産子育ての観音菩薩として有名で、女性参拝者が多いようです。 -
法長寺は、秩父札所三十四観音霊場 第七番。
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境内に入ると正面には平賀源内の設計といわれる大きな本堂。少し左に寄せた位置にしっかりした唐破風の向拝。
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向拝の玄関脇には
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花手水がきれいに活けてありました。
なお、観音堂は天明2年(1782年)の火災で消失し、今はないようです。 -
卜雲寺は、秩父札所三十四観音霊場 第六番。
横瀬川の両岸エリアにあって、卜雲寺の名前は、寺の開基、嶋田与左衛門の法号が卜雲源心庵主であることから。現在の観音堂は明治9年の火災の後の再建。正面からだとよく分かりませんが横から見ると中央部の屋根が富士山みたいに高くなっていてちょっと特徴的。ただ、バランスがいいかというとそこは微妙です。 -
絵馬は、禅客。
観音の霊感を示す詠歌の短冊の話です。 -
西善寺は、秩父札所三十四観音霊場 第八番。
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三門から少し下っていく参道の先にややむくり型の屋根の堂々たる本堂。
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イチオシ
しかし、その本堂の前庭に立つ樹齢600年のコミネカエデの方が寺のシンボルでしょう。四方に広がる複雑な枝ぶりがけこうな迫力。見事です。
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ここでちょっと休憩。道の駅 果樹公園 あしがくぼに立ち寄ります。
西武秩父線芦ヶ久保駅にもほど近い場所。そこまで広々ではないですが、駐車場もしっかりしているし、 -
食堂や産直なんかもそれなりに充実していて、
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いちごなんかもたくさん置いているのはちょっとびっくりでした。
あと小さなパン屋さんがあって、やっぱり時間がないので、そこで昼飯を買って良しとしました。 -
ここからは後半戦。
野坂寺は、秩父札所三十四観音霊場 第十二番。
参道の正面には両側に華頭窓を備えた黒い立派な楼門。 -
中のスペースには木彫りの十一面観音や
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牛に乗った観音様とか。
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一方で、奥の本堂は、昭和49年に再建されたもの。
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唐破風の向拝には梁に巻き付く龍の彫り物が勇ましいです。
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絵馬は
その昔、甲斐の国の絹商人がここを通りかかった際、山賊に襲われもはや叶わぬ命と一心に南無観世音を唱え続けた。すると肌のお守りが光明雷のごとく輝き、賊どもは眼を射られて逃げ去った。観音の功徳に感謝。この地に堂宇を建て、観世音を勧請してまつったのがこの寺の始まりです。 -
円融寺は、秩父札所三十四観音霊場 第二十六番。
本来であれば、観音堂に行きたかったのですが、本堂からはけっこう遠いということで本堂だけ。
緩やかな石段を上がっていくのですが、白壁に門の構えはなかなか格式があるもの。 -
本堂の建物も横が広くて堂々とした大きさ。装飾は一切ありませんが、それもまたよしでしょう。
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大淵寺は、秩父札所三十四観音霊場 第二十七番。
山門から -
本堂を過ぎて石段をしばらく上った先が観音堂。
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平成8年に再建されたもののようですが、見上げると屋根が重々しくて、バランスが取れた美しさを感じます。
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そして、お堂の周囲は日本庭園風によく整備されていて意外に珍しいパターン。いいと思います。
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イチオシ
絵馬は、行脚僧 宝明
その昔、諸国の霊場を行脚していた僧・宝明。足の病となりますが、弘法大師が来りて観音像を彫って与える。宝明は、お堂を建ててその観音像を祀ったのが寺の始まりということです。 -
イチオシ
橋立堂は、秩父札所三十四観音霊場 第二十八番。
石段を上がった正面に建つ観音堂。三間四面、両翼を広げたような姿の屋根を持つ朱塗りの建物はなんとも美しいし、 -
背後にそそり立つ岩壁も素晴らしいですね。
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ただ、近くで見るとお札がペタペタ。
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赤い朱塗りもけっこう褪せていて痛々しい。石段下から見る姿が一番いいと思います。
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絵馬は郡司報蛇身
残虐非道の領主、大蛇となって人馬を食う。観音が白馬となって現れ、この地が平穏になったという謂れです。 -
長泉院は、秩父札所三十四観音霊場 第二十九番。
まず目に入るのは、参道入り口の見事な枝垂れ桜。よみがえりの一本桜というらしいですが、枝ぶりとか独特の雰囲気がありますね。 -
奥にすっと進んで、今度は巨大な幅広の本堂。
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大きいだけでなくちょっと異様な雰囲気。
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正面に掛けられた龍女の絵馬と白い漆喰に貼られた千社札の眺めも妖気が漂っているような感じです。
ただ、この龍女は悪い人ではありません。 -
長泉院からは、清雲寺のしだれ桜へ。
こちらの枝垂れ桜は秩父でもよく知られたところ。テレビの取材なども見たことがありますが、 -
駐車場から寺の山門に至る間に広い平地があって、それを囲むように何本もの枝垂れ桜が立っています。オフシーズンでしたが、やっぱり枝ぶりは見事。なるほどこれなら、かなりの迫力だろうなあと想像できました。
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法雲寺は、秩父札所三十四観音霊場 第三十番。
秩父札所三十四観音霊場の中では、比較的ポツンと離れた場所にある霊場です。
駐車場から、日本庭園の中を進む石段を上がっていくのですが、途中ちらりと見えた本堂周りのお庭もなかなかですね。 -
イチオシ
ただ、やっぱり見どころは一番奥のお堂。深い緑の木々に覆われた中央に建つ、帽子を被ったような屋根の意匠が素晴らしい。
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本堂周りの赤い木組みも程よい歴史を感じます。
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前面に舞台もしっかりあって
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ちょっと気持ちいい。
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絵馬は
霊鏡の因縁によってこの寺に楊貴妃観音が祀られたとありました。 -
久昌寺は、秩父札所三十四観音霊場 第二十五番。
少し手前に赤い仁王門があって、 -
それを過ぎて
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一般道に入ってまた一段高いところにあるお堂に至るという構え。一般道の方から見ると方形造りのお堂の屋根は急角度というか末広がりの帽子のような形で、けっこう特徴的ですね。
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ただ、近くで見ると特徴が分からなくなるのはちょっと残念です。
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絵馬は「奥野の鬼女」。悪行を重ねた女は荒川に投げ入れられるが一命をとりとめ子供を産む。その子供は心が美しく母のために観音堂を建てたというお話です。
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とうとう最後になってしまいましたが、
法泉寺は、秩父札所三十四観音霊場 第二十四番。
正面の観音堂に続く長い石段を上がっていくというの正式なんでしょうが、車で行ったのでそれを大きく迂回してたどり着きました。三間四面方形造りの建物は瓦屋根の端正な形。お堂の前には青い竹で編んだ燭台のようなものが二つ掛かっていて、それがちょっと目を引きました。
駆け足でしたが、すべて予定通り。雨の中無事に回れたことに感謝ですね。
ここからは羽田空港に向かって、最終便で広島空港に帰ります。お疲れさまでした。
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