2022/11/17 - 2022/11/17
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たびたびさん
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旅の四日目は札幌です。
調べてみると札幌の観光なんて、2013年2月の雪まつり以来なのでもう10年ぶり。その間、北海道ということで言っても、稚内・利尻・礼文、函館・江差、釧路・根室の3回だけ。けっこう少ないんですよね。
富良野や美瑛から層雲峡、網走から知床に摩周湖・阿寒湖、登別温泉や洞爺湖、定山渓も行ったのはそれ以前のことですし、北海道はもう一通り終わったかなという気持ちもどこかにあったかもしれませんね。札幌についても振り返ってみると、まずは夏の大通公園やテレビ塔の美しさを知るところから始まって、サッポロビール博物館、クラーク博士の羊ヶ丘、大倉山ジャンプや藻岩山の夜景とかの定番。グルメだとジンギスカンならだるま、スープカレーならスアゲ、ラーメンならけやき、海鮮なら中央卸売市場場外市場と行きつくところに行きついた感じだったし。その後は、夏のよさこいソーランを堪能しての前回の雪まつり。雪まつりをひと区切りにしてこれも一通り終わった感があったと思います。
で、今回の札幌は観光といっても、空いたスケジュールの中に入れたマイナースポットが中心の街歩き。季節も悪いのでこんなことにしかならないのですが、ただ、改めて、こまごま回ってみると、なんにもなかった北海道に札幌という大都市が誕生する過程がもう少し実感をもって想像できたような気持ちになってくる。まずは、開拓によるインフラ整備や政策による支援が始まりですが、経済活動が活発化して生活が安定し人々が集まってくると自ずとそこにはまた新しい文化の要素が芽生え始める。例えば画家や文人の輩出は街の成熟度の証。いろんなところに潤いがないとやっぱり本当の人間生活は成り立たないですからね。するとそれが街の歴史となって、文化や潤いにも厚みが増していくという流れでしょうか。
小樽がその過程を前面に出してアピールしているのに対し、札幌は少し弱いようにも感じていましたが、まあそれぞれ。小さな歴史もしっかりと記憶にとどめていこうとする姿勢は札幌でも強いように思いました。ただ、その姿勢の強さの背景には、単に街の成熟の足跡を記憶にとどめようというだけでなく、”北海道の開拓ってやっぱり本当に大変だったよね”みたいな厳しい自然への共感の思いも潜んでいるのかな。北海道らしさや札幌らしさ。どちらかというとスケール感があってただ華やかなイメージばかりが先行していますが、決してそればかりではない。厳しい開拓の歴史の中で力を尽くした先人たちへの敬意を忘れてはいけないという思いも背景にある強さなのだと思います。
少し言い方を変えると、札幌には北海道の開拓の歴史という政策的な歴史と大都市札幌へと街が成熟していく自立的な歴史の二つの歴史がある。2つの歴史は重なっているところもありますけど、両方の歴史をそれぞれに感じて楽しめるのが札幌観光の醍醐味なのかな。何度目かの札幌で、その基本的なところにもう一度戻ったような気がします。
ちなみに、前回のさっぽろ雪まつり。今では夏のよさこいソーランの方が観光客数は多くなっているようですが、やっぱり札幌らしさで言うとこれが一番。参考まで。
https://4travel.jp/travelogue/10755713
https://4travel.jp/travelogue/10755717
https://4travel.jp/travelogue/10757273
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狸小路近くのホテルを出発。近場からの散策開始です。
久保栄は、明治33年生まれの劇作家、演出家、小説家であり批評家。生誕地である南二条西八丁目の街角に足跡を詳しく紹介する小さな碑がありました。戯曲「五稜郭血書」「火山灰地」とか。北海道を代表する出世作ということです。 -
楽聖梁田貞先生像は、資生館小学校の敷地続き。国道36号に面した角。銅像と楽譜のモニュメントがありました。楽譜は代表作の「どんぐりころころ」。知らない人はいない曲ですが、明治18年生まれのこの先生。今でも新鮮な響きを伝えていて、考えてみればすごいことかもしれません。
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札幌祖霊神社は、なんでもない札幌市街の一角。明治4年、開拓次官の黒田清隆により創建。開拓使が移民に対し神道葬祭を行うよう指示したのがきっかけのようですね。
一段高い場所に本殿があって、意外にちょっと重々しい。経緯が経緯だけにいろんな庇護を受けてきた神社なのかなと思います。 -
石森延男は、明治30年生まれの児童文学者。アイヌを主人公とした物語で映画にもなった代表作「コタンの口笛」とか耳にしたことはあります。藻岩山ロープウェイ乗り場の隣には石森父子を顕彰する「石森文学広場」があるとか、生誕地の中央区南6条西9丁目には小さな碑があって氏の足跡やあれこれを詳しく紹介しています。
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すすきのの南側。お寺や神社が多いエリアに入ってきまして。
東本願寺札幌別院は、明治3年、東本願寺新門現如による北海道開教の拠点として、東本願寺管刹が設立されたのが始まり。現在の本堂は、明治25年のものです。歴史がある分、なにか境内は落ち着いた雰囲気がありますが、一方で少し手が入らず自然のままの感じがなくもない。ふと気が付くと境内に狐の姿。札幌市街ではあるのですが、狐も住みやすいのかもしれません。 -
豊川稲荷札幌別院は、明治31年の創建。すすきのの南側でもともと商売繁盛の稲荷神への信仰があった地域なのだとか。現在の建物は昭和59年のもの。赤い鳥居の向こう側。一段高い場所に、豪壮な構えの本堂が建っていました。
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その境内に三岸好太郎生誕地の碑。氏の足跡を紹介するちょっとした案内板がありました。
ちなみに、三岸好太郎は明治36年生まれの札幌市出身ということにとどまらず、札幌には北海道立三岸好太郎美術館があるほど人気の洋画家。「天才的な感覚で次々と作風を変え」や「日本前衛絵画の先駆者」といった評価はたぶん地元での評価かな。31才で亡くなるという短い生涯でしたが、確かな足跡を残していると思います。 -
成田山札幌別院は、成田山新勝寺の札幌別院。明治18年に仮堂を建設したのが始まり。現在の本堂は平成15年のものですが、大きく屋根を広げた豪壮な建物で、朱の色も目を引く鮮やかさ。札幌市内でもちょっと頭抜けた建物ではないかと思います。
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中央寺は、明治7年に創建。曹洞宗の北海道における布教拠点としての役割を担ったというお寺です。二層二重垂木の屋根の仁王門は堂々としたもの。彫刻なんかもなにげに素晴らしいですね。
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ただ、奥の本堂は淡白な色調の鉄筋コンクリート。ちょっとギャップがあるかもしれません。
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新善光寺は、明治17年に創建。以降、北海道における浄土宗の中心的寺院となった寺。通りに面して建つ見事な唐門に
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境内奥に建つ黄金色をあしらったキラキラ感のある本堂とか。見る者をちょっと圧倒するところがありますね。ただ、境内はいたって静か。人の気配もあまりありません。
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飯沼貞吉ゆかりの地は、札幌第一ホテルの敷地内。通りから中に入ってすぐの植え込みの中に碑がありました。飯沼貞吉は、白虎隊士では唯一の生存者。明治に入ってからは、日露戦争に従軍。その後、札幌郵便局工務課長になったりして、ここに住まいがあったということです。
ちなみに、会津藩は戊辰戦争後の処分で下北半島の斗南藩3万石へ移封となっています。元会津藩士が地元で静かに暮らすという道はなかったのだと思います。 -
創成川までやってきました。この川は、慶応2年(1866年)、箱館奉行石狩役所の役人、大友亀太郎が札幌村を開く際に開削した用水路である大友堀が前身。その後、明治期に創成川と名前を変え、今でも札幌市街の中心部を流れます。特に、札幌テレビ塔の脇を一直線に流れる辺りは親水公園となっていてこの辺りも札幌観光では定番ですね。
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野外彫刻「生誕」は、創成川公園の南エリア。もうかなり戻ってきたので、狸小路の入り口もすぐそこです。
作品は窓が開いて向こうが見える四角い枠の中に目玉おやじみたいな白い玉。生誕という名前からすると精子なのかもしれませんが、この玉は中央にあって作品の主人公。ここから何かが始まるという予感はしています。 -
すぐ目の前は二条市場。観光客向けの姿勢がありすぎてちょっと敬遠してきたきらいがありますが、まあ、せっかくなので朝飯をいただきますか。
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ちょっと奥まった場所にあった「海鮮処 魚屋の台所 別邸」へ。
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イチオシ
カウンターだけの小さなお店ですが、リーズナブルな値段だしけっこう上質。若い人がやっているのも好感が持てるし
二条市場のイメージが少し良くなったように思います。 -
イチオシ
いつの間にか晴れてきて、これはありがたいですね~
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イチオシ
引き続き創成川公園を北上します。
野外彫刻「天秘」は、滑らかな白い大理石のアート作品。創成側の東西に二つあります。こちらは西側の方。真ん中あたりが少しくぼんでいて、ちょっとソファにでもなりそうな形。緑の芝生とうまく調和しています。 -
で、こちらは東側の方です。
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創成橋は創成川に架かる橋で、南一条通りを通します。
欄干が擬宝珠で石の橋って、ちょっとアンバランスなような気もしますが、元々の橋は明治43年に架けられたもの。現在の橋は平成になってからのもので、少しアレンジされているのかもしれません。 -
札幌建設の地碑は、創成橋のすぐ北側。
開拓判官、島義勇が札幌の街造りの基点を定めた場所を残そうと建立されたもの。石の彫刻家、関敏の作品。スエーデン産の黒御影石を使いてちょっと一風変わった造形です。なお、隣には北海道里程元標も建っています。 -
クラーク博士居住地碑も歩道の傍ら。
明治9年、札幌農学校初代教頭として米国から赴任してきたクラーク博士の宿舎は開拓使本陣と呼ばれる建物。明治5年に竣工。木造平屋建ての大きな建物だったということ。なお、クラーク博士は翌明治10年には札幌に別れを告げ帰国しています。そんな短い期間ですが、与えたインパクトは絶大です。 -
イチオシ
大友亀太郎像は、札幌建設の地碑の対岸。
先ほど大友堀で触れましたが、大友亀太郎は、札幌開拓の物資の水上輸送水路として、現在の創成川の前身である大友堀を掘った人物。北海道の開拓に貢献した相模国出身の幕臣で、二宮尊徳の下で開墾法などを学んでいたというのが面白いですね。 -
秋野総本店薬局は、さっぽろふるさと文化百選にも選ばれている歴史的な建物。明治5年創業の秋野薬局が明治34年に建てた石造倉と隣りが店舗の組み合わせ。どちらもかなり年季が入っている感じ。札幌市街でよく残ったということかと思います。
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さらに北上して。
野外彫刻「生棒」は、「生誕」「天秘」とともに、北海道美唄市出身の彫刻家、安田侃氏の作品。四角く切り取られた窓の中に石柱が立て掛けてあるもの。この石柱が意味するものがポイントなんでしょうが、「生棒」の名前と合わせると男性を表しているのかも。そうすると「天秘」は女性かな。「生誕」にもつながるかもしれません。 -
イチオシ
札幌テレビ塔の真下に出ました。
ここからは大通公園を西に向かいながらの散策です。 -
豊平川水位表示塔は、札幌テレビ塔の傍らすぐ。豊平川のその時の水位を実尺で表示する水位表示塔ですから、モニュメントではなくて実用のもの。しかし、こんなものが必要だということはそれだけ水害の被害のリスクがあるということでしょうか。札幌市と水害。イメージは重なりませんが、いずれにしてもちょっと意外なものです。
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イチオシ
札幌教会は、明治22年、メソヂスト教会として創建。現在の建物は、明治37年の築。札幌市で採石された札幌軟石が使用された石造りの教会堂。北海道庁土木課の技師、間山千代勝の設計。少し古びてはいますが重厚な石造り建築と青いトタン葺の屋根が組み合わさって、ちょっとメルヘンチック。見応えありの教会です。
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創成の川 詩碑は、まだ新しそうな感じで、2012年にできたもの。札幌在住の詩人であり劇作家である原子修の詩。書は、これも札幌の書家である中野北溟。
札幌開拓の原点ともいえる創成川に寄せた詩は、縄文の民、アイヌ民族にまで触れていて、開拓以前の悠久の歴史へも思いを馳せています。 -
札幌文化芸術劇場は、札幌市民交流プラザ9階。
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劇場の入り口辺りの待合スペースが素晴らしいですね。木製のフローリングに周囲は全面ガラス張りで、上層階ならではの明るくて開放感のある空間が確保されています。札幌は文化都市としてもやっぱり一級品。そんな気持ちになる出来栄えです。
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カナモトホールは、札幌文化芸術劇場の南隣り。かつては、豊平館があったということですから、ここも歴史の場所ともいえるかも。
平成20年に、札幌市民ホールとして開館。「カナモトホール」の新名称は、平成31年から。1500席を有する大ホール。建物は低層ですが、近代的なビルだと思います。 -
イチオシ
その敷地内に立つ「希望」の像は、岩見沢市出身、山内壮夫の作品。頭上に飛び立とうとする鳩を掲げた女性の姿。衣装が背中の方で風にたなびいているのも大きな特徴かなと思います。ただ、表現としてはざっくりとした印象。リアルさがないのがちょっとねという感じです。
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市民会館前のハルニレもカナモトホールの敷地内。南側の通りに面した場所です。
札幌景観資産No27号に指定されているようですが、詳しい説明は特になし。かってこの場所にあった豊平館の庭園の一角にあった木だということ。樹齢は推定約300年。豊平館の記憶とハルニレがうまく重なったということかと思います。 -
ここから札幌市役所の方へ。
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札幌市役所前のちょっとしたスペースにある札幌市立中央創成小学校跡の碑。中央に男の子と女の子の顔がのぞいていて、ちょっとアピール力がありますね。
札幌市立中央創成小学校は、明治3年に設置された資生館を前身とする札幌で最も古い歴史をもつ学校。平成6年に廃校となったということです。 -
その並びにある札幌冬季オリンピック聖火台。旗を立てるポールで囲われた広場にあります。これは、1972年の札幌冬季オリンピックのもの。トワ・エ・モワの虹と雪のバラードは今でも耳に残っていますが、もう50年以上経つんですね。
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ただ、この聖火台は意外に小さいですね。本物?ミニチュア?よく分かりません。
最近のオリンピックの聖火台だと私的には北京冬季オリンピックの聖火台が強烈な印象。トーチがそのままオリンピックの聖火台になったのには驚きましたね。 -
その先には札幌市役所庭園というのもあります。
市役所の敷地に入ってから下っていくように進むとこの日本庭園。池を中心に石組とハイマツみたいな緑の組み合わせ。北の国なので雪にも耐えれるようにシンプルな造りの日本庭園です。 -
イチオシ
札幌市役所側から大通公園に帰ってきました。この開拓母の像は、佐藤忠良の北海道での野外彫刻の第1号作品なのだそう。北海道開拓の先駆者として苦難を乗り越えた婦人たちへの力強いメッセージかな。ふくよかな母親と元気な子供の対比が活き活きと表現されています。
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ベンソンの水飲みは、札幌の姉妹都市であるアメリカ合衆国ポートランドから寄贈されたもの。傍らに説明板があって、喉を渇かし泣いている少女を見たベンソン氏が思い立ってこの型の水飲を作ったのだそう。ポートランドではこの水飲みが愛用されているのですね。
ただ、ということはこれも実用のものなのかな?今は雪囲いがされていましたが、どうなんでしょう。 -
花の母子像「愛」は、幼い子供を膝にのせて手を取り合う親子の姿。母親は花冠をし、子供は札幌市の木であるライラックの花束を手にして、ほほえましいいち場面といった感じ。山内壮夫の作品。デパート丸井今井が100周年で贈ったものということです。
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少し西に進みまして。
牧童の像は、武蔵野美術大学の峯孝の作品。牧童と子牛が仲良く理想に向かって走る姿。北海道酪農協会が牛乳生産100万石突破記念として、乳牛に感謝の気持ちを込めて建立したというもの。終戦後の札幌大通公園に建立された彫刻の第1号でもあるようです。 -
泉の像は、1959年、ニッカウヰスキーの会長竹鶴政孝氏の思いで寄贈されたもの。製作者は、札幌市出身の本郷新。
円盤の上に三人の女性がつま先立ちして手を伸びやかにしたバレエのようなポーズを決めていて、大通公園に潤いをもたらす踊り子たちの像。ただ、写真としてはテレビ塔をバックに撮るのがやっぱり定番ですね。このアングルでは像の良さが伝わらないので申し訳ないです。 -
湖風の像は、山田良定の作品。大通公園では唯一の青年の像。頭を何かで覆っていて、それが何なのかはちょっと気になります。北洋相互銀行本店が店舗新築と、大通の緑化、地下鉄東西線開通にあわせて贈呈されたものということです。
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「札幌の木ライラック」歌碑は、昭和56年、北海道銀行創立30周年を記念して建てられたもの。歌は、1955年、歌人吉井勇が札幌を訪れ、旅の記念に詠んだ「北遊小吟」という短歌5首の中のひとつ。
家ごとに
リラの花咲き札幌の
人は美しく生きてあるらし
とありますが、リラはライラックのこと。札幌の木に選ばれています。ただ、少し汚れも目立ってきていて、地味な感じは否めません。 -
大通公園からちょっと離れて。
北一条さっぽろ歴史写真館は、北一条地下駐車場連絡通路内。入口に目立つ看板が掛かっています。 -
札幌のかつての街並みを写した写真の数々。レトロな中にも開拓の街という雰囲気があって、ほかの地方とはやっぱり違うものがありますね。ただ、厳しい気候の中での苦労は並々ならぬものがあったはず。その辺り、想像をたくましくして拝見すると迫力が違ってくるような気がします。
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旧庁立図書館は、札幌で最初の本格的な図書館として建てられた建物。褐色のタイルとオーダーも備えた石造りの外観は、スキのない幾何学的な意匠。公的な建物としては派手にならないようにということなのでしょうが、意外におしゃれな感覚も感じます。
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なお、内部は北菓楼の店舗。雰囲気ありますね~
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雨が本降りになってきて、ギャラリー大通美術館に逃げ込みました。
こちらは、美術館ではなくて、貸し画廊といったことですね。六彩会絵画展というのが行われていましたが、無料で気軽に拝見できました。堅苦しくなくて、時間があればちょこっと寄ってみる。そんな感じで楽しめるところです。 -
では、再び、大通公園へ。
聖恩碑は、大通公園の西5丁目。中央の目立つ場所に建つオベリスクのような石碑。昭和11年、北海道で陸軍大演習が行われるに際し、昭和天皇が行幸されたのを記念して建てられたもののよう。そういう意味だと戦前の戦意高揚のためのものだったのかな。まあ、その辺のことはあんまり考えることでもないでしょう。 -
大通公園の日時計は、1987年、札幌ロータリークラブから寄贈されたもの。本来であればまあるくチューリップが植えられていて、もう少し日時計だということが分かるのでしょうが、冬場だと草原の中に針のような造形物が建っているだけにしか見えませんね。なかなか微妙な存在かなと思います。
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さらに西に向かいます。
気が付くと紅葉がきれいですね。 -
開拓紀念碑は、大通公園の西6丁目。明治19年9月に建立された石碑。北海道で開拓紀念と言われてもそのまんまというだけのことなんですが、題字が王義之となっているのにはちょっとびっくり。王義之の書から字を拾ったものということでしょうが、ちょっと気宇壮大。むしろこんなところにあるのはもったいないくらいです。
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「奉仕の道」の像も同じエリア。札幌ロータリークラブが50周年記念として建立したものです。
梟の言葉に耳を傾けるエゾシカ、ハシブトカラス、エゾウサギ。ロータリークラブの行動基準を表現したのだとか。そういう意味だとちょっとPR的な要素もあるかもしれませんね。
なお、制作者は峯孝。元武蔵野美術大学教授の彫刻家です。 -
これも近くの漁民の像。製作者田畑一作。昭和44年、北海道開拓100年と北海道魚協婦人部創立10周年を記念して建立されたもの。
カモメが遠い沖で家族を見守るように飛んでいて、これは故郷の漁村を離れ、遠く札幌で働く若者を励ましたいという思いもあるのだとか。
ただ、北海道で漁業というとニシン漁とかのイメージが強いので、これでは北海道らしさがあまり感じれないような気もします。 -
少し西に進んで。
ブラック スライド マントラは、イサム・ノグチの作品。
バラの花をイメージするような曲線の断面と真っ黒な色の組み合わせが力強いアート作品ですが、アート作品であり滑り台でもあるというところが面白いところ。高い壁の間を滑る感じが子供に受けそうです。 -
有島武郎文学碑は、大通公園西9丁目。有島武郎の代表作「小さき者へ」の一節が刻まれています。”おそれない者の前に道は開ける 行け 勇んで 小さき者よ”とかなんか聞いたことがありますね。揮毫は武者小路実篤。母子のレリーフもちょっと白樺派っぽいような気がします。
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そろそろ大通公園の西端に近づいてきましたよ~
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ホーレス ケプロン像は、昭和42年、北海道百年を記念して北海道開拓功労者顕彰像建立期成会が建てたもの。
台座を合わせて6mの高さがあって、黒田清隆像と並んでいます。名古屋市出身の野々村一男の制作。
北海道の開拓に携わったお雇い外国人なのですが、麦作を奨励しそれがサッポロビールの設立につながったとか。多岐にわたって北海道の開拓に力を尽くしますが、その実績はただならぬ情熱があってのもの。大きな像であることにも感謝の気持ちが表れていると思います。 -
元北海道開拓使長官で後に内閣総理大臣となった黒田清隆の像です。昭和42年、北海道百年を記念して北海道開拓功労者顕彰像建立期成会が建立。高さは6mもあって見上げるような高さですが、一方でその表情はとても穏やかです。
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その先のマイバウムは、ドイツ語で「五月の木」を意味し、春を迎える喜びを象徴しているのだとか。昭和51年、札幌市の姉妹都市、ミュンヘンから寄贈されたのですが、現在のマイバウムは、高さは23m。札幌市立高等専門学校の生徒たちによって復元された二代目のようです。
サッポロビールの広告で、「札幌 ミュンヘン ミルウォーキー」というのがありましたが、だいたい同じ緯度にある都市でビール産業が盛んになった年。それなりに縁は深いものがあるような気もします。 -
大通公園最後のバラ園は、西12丁目。ここまで来るとテレビ塔からはだいぶ離れます。瀋陽故宮の獅子を模した獅子像の入り口から、
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中央には水路が走って左右対称の美しい設計。バックの札幌市資料館もいいコラボになっています。また、友好都市であるアメリカのポートランドやドイツのミュンヘンのバラが植えてあるようです。
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イチオシ
そして、その最奥に建つのが若い女の像。健康的な女性の像です。
昭和59年、札幌で開かれた東洋東南アジアライオンズフォーラムを記念し、組織委員会が寄贈したもの。作者は佐藤忠良ですが、調べると何とモデルはその娘さんの女優の佐藤オリエ。佐藤オリエがこんな大彫刻家の娘さんだったとは。むしろそのことの方にけっこう驚きました。 -
大通公園から北側のエリアに移りまして。
永井邸は、北海道帝国大学医学部教授であった永井一夫氏の自宅。昭和6年に建てられた洋風建物。褐色の木の基調に白い枠組みの出窓風の窓を配置して、それが大きなアクセント。札幌景観資産のようですが、正直言えばかなり痛みが目立っていて、ちょっと痛々しい感じ。まあ、ざっと雰囲気を感じるだけでいいように思います。 -
島木健作生誕地の碑は、札幌北1条郵便局の前の歩道。明治36年生まれで、本名は朝倉菊雄。西創成小学校、私立北海中学校などに学び、北海道拓殖銀行や北大付属図書館にも勤めた札幌ツ子と紹介されていました。
「生活の探求」「赤蛙」が代表作のようです。 -
これは、NHK。
NHKはNHKでも札幌放送局は、ほかの地方のNHKとは全然規模が違います。建物が巨大で、内部のホールも悠々とした広さ。この日はNHK国際フィギュアスケート競技会大会の関連イベントとして、過去の大会の映像を8Kの巨大スクリーンで流していましたが、選手の表情から氷の音までものすごい迫力。絶好調の時の紀平選手の演技とかは改めて鳥肌ものでした。 -
三吉神社の創建は明治11年で、秋田県の太平山三吉神社の分霊を祀ったのが始まり。社殿は千鳥破風を重ねる構造に金の飾り金具がアクセントになっていて、きちんと整ったうえでの煌びやかさを感じます。境内もこじんまりとはしていますが、十分な広さです。
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STV札幌テレビ放送は、北海道のローカルテレビ局。NHKと同じ並びにあって、こちらの建物もけっこう大きいですね。受付があったので訪ねてみましたが、見学とは一切やっていないということ。観光スポットとしては不適かもしれません。
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北海道立道民活動センターは、中に北海道立アイヌ総合センターがあったので訪ねた次第。かでるホールというホールや会議室なんかもある総合的な文化施設かな。建物もそれなりに立派です。なお、北海道立アイヌ総合センターの方は、ちょっとありきたりな感じ。一応、やってますくらいなレベル感かなと思います。
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北海道立アイヌ総合センターも訪ねてみます。
ただ、アイヌというテーマもそうですけど、ビルの上階ということもあるし、訪問する人はあまりなさそうですね。 -
アイヌの衣装や生活や祭りの道具類などの展示なのですが、ちょっとありきたりかな。けっこうよくある一般的なもののように思います。
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赤れんが北方領土館は、赤れんが庁舎に設けられた北方領土啓発の施設。久しぶりに拝見しようと訪ねましたが、赤れんが庁舎が補修工事中で立ち入りはできませんでした。ただ、一方でその間の対応は別途、道庁舎にちょこっとした展示がありまして、それが写真のとおり。しかし、これでは真剣な問題意識があまり伝わらない。工事中かもしれませんが、もう少しやりようがあるのではないかと感じました。
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道庁舎を出て
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北の母子像は、道庁前庭北側に建つ本郷新の作品。本郷新が北海道文化賞を受賞して、北海道に寄贈されたもののよう。立っている母親に子供が甘えてというかじゃれて抱き着いたような姿。すっくとまっすぐに伸びた母親の足が力強くて、その辺りが”北の・・”というようなところなのかなと思います。
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札幌市道路元標は、赤れんが庁舎東門を出たところ。門の脇の壁際に小さな石柱が埋め込まれていました。これはなかなか気が付きにくいですね。
大正8年に公布された道路法で、東京と北海道を結ぶ国道4号線の終点がここに定められたということです。 -
赤れんが庁舎から札幌駅前通りを結ぶアカプラ沿いに建つのは赤れんがテラスという商業施設。一階には宝飾店なんかも入って、垢ぬけた雰囲気だし、一角にはベンチもあって街歩きで疲れた身体を休めました。ただ、レストランとかはどうだったかな。あんまり目立ってはいなかったように思います。
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ここからは創成川の東側。あこれまであんまり足を踏み入れたことがないエリアです。
北海道神宮頓宮は、明治4年、円山の地にあった札幌神社の遙拝所として設置された神社。ということで、市内中心部からだとこちらの方が圧倒的に便利ですね。境内のイチョウがかなり散ってはいましたが、黄色く鮮やかに色づいてそれがけっこう印象的でした。 -
千歳鶴 酒ミュージアムは、ミュージアムとあったのでそれなりに期待していたのですが、結局は酒の直売所というだけの施設ですね。
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試飲みたいなことはしているし、
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酒造りの模型がちょっとあったりはしますけど、あまり期待はしない方がいいと思います。
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新渡戸稲造 真里子顕彰碑は、新渡戸稲造記念公園の中。ここは、新渡戸稲造、真里子夫妻が創立した学校、遠友夜学校があった地。札幌農学校を卒業し、開拓使の御用係、農学校の教授などを勤めた後のことのようですが、この学校は昼間は学校に通えない子どもたちのためのもの。まさに新渡戸稲造の精神ですね。
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札幌開祖 吉田茂八碑は、豊平橋の西側。札幌開祖と呼ばれるのは二人いて、志村鉄一とこの吉田茂八。札幌中心部の開発の原点の一つは豊平川。吉田茂八の職業は土方職。明治4~5年には現在の創成川南3条から南7条を掘削し、吉田堀を整備したということです。
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そして、これが豊平橋。昭和40~41年に豊平川に架けられた橋。日本百名橋にも選定されているようですが、国道36号を通していて、道路から橋にかけての起伏もあまりなくて平坦。そこに多くの車が走って交通量が多いなというだけの印象。ひたすら実用的な利用をされていて、観光的な要素はあまり感じない橋ですけどね。
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豊平橋から北を眺めると。
でんでん大橋は、豊平川を渡る、NTT東日本の通信専用橋。昔の名前、電電公社の”でんでん”からのネーミングかな。白い鉄塔から何本ものケーブルが伸びて橋の重量を支える斜張橋。豊平川の河川敷とのコラボが見どころだと思います。
手前に見えるのは豊平川サイクリング園路。札幌市を南北に流れる豊平川に沿って整備されたサイクリングコースで、総延長は11キロもあるようです。視界は広々。アスファルトできれいに舗装されていて走りやすそうなコースです。 -
札幌開祖 志村鐡一碑は、豊平橋の東側。
札幌開祖と呼ばれるのは二人いて、この志村鉄一と吉田茂八。札幌中心部の開発の原点の一つは豊平川。安政4年に当地に移住。幕命により豊平川渡守となり駅逓を兼ね、開拓の礎を築いたということです。
さて、予定していたのは以上。ここから札幌駅に戻ります。 -
晩飯は、ジンギスカン。
全国旅行支援のクーポン券が使える店ということで調べて、このホルモン酒場 風土にしました。 -
イチオシ
新鮮なラム肉がきちんとおいしい。それなりに人気店だというのは納得です。
冒頭、ジンギスカンならだるまと言いましたが、それはそうなんですけど、サッポロビール園のジンギスカンも悪くはないし、ちょっとありきたりですけど松尾ジンギスカンもそれなりにうまいですよね。そして、サフォーク。うまみというか香りというか。値段が高いだけのことがあるのもその通り。
ただ、北海道のジンギスカンは総じてレベルは高い。このお店でそのことがまたよく分かったような気がします。 -
今夜の宿は、札幌ワシントンホテルプラザ。
明日の最終日は朝イチで余市を訪ねるので、札幌駅に近いこのホテルはとても助かります。あと一日、がんばります。
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