2022/11/18 - 2022/11/18
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たびたびさん
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今日は旅の6日目。最終日は札幌から余市を訪ねます。
本来であれば小樽から訪ねたかったところなのですが、ニッカウヰスキー余市蒸溜所の見学予約がこの日しか空いていない。こんなに人気があるとは思いもしませんでしたが、最後まで、行こうかどうしようか迷っていたのが失敗だったということですね。ただ、冷静に考えてみると札幌から余市は1時間20分ですから、まあまあ許容範囲。北海道でこれくらいでどうこう言っていては旅はできません。
さて、ニッカウヰスキー余市蒸溜所の方ですが、札幌から余市駅には朝イチの列車で到着して、余市駅からは歩いてほんの数分足らず。目と鼻の先ですね。少し時間が早すぎたので門のところでしばし待っての入場となりました。予約した時間ごとに20~30人くらいがグループになって、まずは、ビジターセンターでガイドさんに概要を伺います。その後は、乾燥塔(キルン塔)、蒸留塔、粉砕・糖化塔、醗酵塔、旧事務所、リタハウス、旧竹鶴邸、一号貯蔵庫からテイスティングルームまでのコース。
原料である大麦から麦芽を作り、その麦芽を糖化・醗酵させて麦汁を作る。麦汁に含まれるアルコールを蒸溜してウイスキーモルトができるのですが、麦芽を乾燥させるピートの香り付けや伝統的な石炭直火蒸溜によって重厚な力強さが生まれるのだとか。そして、モルトを長い期間樽で貯蔵、熟成させる過程でさらに蒸溜所の自然環境も反映される香りや個性が育まれる。蒸留酒は日本だと焼酎。日本酒に比べるとその技術は単純で一格下みたいなイメージもありますが、自然とともにあるウイスキー作りの深遠さはやっぱりそれなりものなのかな。1918年、単身スコットランドへ渡り、ウイスキーづくりを学んだ竹鶴政孝。その再現にこだわって、この余市を見出すところから始まり、蒸留所での苦節の日々。第一号のウイスキーを世に出したのはスコットランド留学から22年目だったという一事をもってしても、壮大で凄まじい物語を感じざるを得ませんね。
マッサンこと竹鶴政孝とリタ夫人の物語はNHK朝の連続テレビ小説「マッサン」でも有名になりましたが、やっぱりただ事ではない。一次会はビールと日本酒、焼酎でも二次会はウイスキーの水割り。日本人の酒飲み文化としては当たり前すぎるくらいの行動パターンですが、この蒸留所もその形成に大きく貢献したのは間違いない。日本文化を豊かにしてくれたルーツの一つといっても過言ではないように思います。
そして、旧余市福原漁場、旧下ヨイチ運上家も蒸溜所からは歩ける範囲。ニシン漁や江戸期のアイヌとの交易の遺構であり、当時の活動が期待以上にリアルに感じられてとても驚きました。あまり知られていない施設だと思いますが、これらも余市の素晴らしい遺産の一つだと思います。余市観光では是非お勧めしたいです。
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札幌から余市へは朝一番の列車で向かいましたが、ダイヤの関係で小樽で少し待ち合わせの時間があります。おとなしく待つ手もあったんですが、それならいっそ三角市場で朝飯を食べることにしますか。
三角市場が小樽駅からすぐというのはもう分かっていますからね。 -
この前は、滝波食堂で晩飯をいただきましたが、少し味が濃かったし、あんまりいい印象はなかったので、今回は味処たけだの方へ。
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イチオシ
無難な感じのいくら・かに・サーモンのどんぶりを注文。
あらら、これはほっこり。素材を生かした自然な味わいがあって、いいですねえ。
やっぱり私が求めているのはこういうのなんですよ。ネットの評価だと両方とも変わらないんですが、やっぱりこうして実際に食べてみないと分からないものです。
あまり期待はしていなかったのですが、これでテンションが上がりましたよ~ -
予定通りの時刻に余市駅に到着。
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余市駅からニッカウヰスキー余市蒸溜所に向かう大通りはリタロード。余市駅を降りると駅前の植え込みのところに説明文を付した石碑がありました。
ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝氏と妻のリタ夫人。NHKの朝ドラ「まっさん」でもすっかり有名になりましたが、その二人のウヰスキー作りに賭ける情熱とロマンを伝えるための命名。街を挙げて支援しているのが分かりますね。 -
リタロードを進んで、
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あっという間に
ニッカウヰスキー余市蒸溜所です。 -
イチオシ
これが入場門。
まだ時間になっていないので、ここで待つことにします。
予約をしているのでどうということはないのですが、ちゃんと予約ができているのかちょっと心配だし、そわそわ。。
ところで、待っている間に他のお客さんもやってきますが、予約をしていないという人もそれなりにいるんですね。そういう人はニッカウヰスキー余市蒸溜所の裏手の方のショップを訪ねるように誘導されていました。 -
イチオシ
時間が来たので、受付を済ませて中へ。
最初に見えるのは、乾燥塔(キルン塔)。石造りの赤い屋根の建物。独特ですけど、なんとなく北海道らしさも感じます。 -
これは
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ビジターセンター。
荷物をロッカーに預けたり、トイレも済ませて。見学の準備が整ったところで -
案内の女性から施設の概要について説明を受けます。
スコットランドに似ていると言われる余市の気候のことや竹鶴政孝氏とリタ夫人のこと。ニッカがウイスキーの名前は軌道に乗る前に営んでした大日本果汁という社名から来たものだということなど。地元出身の方なので、なんか思いがこもった説明ぶりでした。質問があったら、どんどんしてくださいね!という姿勢もいいと思います。 -
表に出て
最初にさっきの乾燥塔(キルン塔)へ。 -
入り口に置いてあるのは、ピート。野草や水生植物などが、炭化した泥炭で、これを燃やした煙で麦芽を燻し乾燥させます。その香りがウイスキーにスモーキーな香りを与えるんですね。
このピートはかつてはこの辺りにも多くあったようですが、今では輸入物に切り替わっています。 -
続いては、蒸留塔。
蒸留を行うポットスチルがいくつか並んでいますが、 -
余市蒸溜所伝統の石炭直火蒸溜がこれ。
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下の釜口から石炭を投げ入れて、アルコールを含む麦汁を直接熱します。この時、適度な焦げができるので、ピートの燻蒸で与えられたスモーキーフレーバーとも合わさって、重厚で力強いモルトができるんですね。
蒸留酒ではあっても抽出するのはアルコールだけではない。それ以外の様々な成分も重要な要素となっているわけです。 -
いきなり心臓部を見学して、ちょっと緊張しましたね。
再び表に出て、コースを進みます。
手前が旧事務所。左手奥が研究室にも使われていたというリタハウスです。 -
その脇には粉砕・糖化塔とその奥が醗酵塔。ただ、ここは遠目で確認するだけです。
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リタハウスの前を
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通りすぎて
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公園のような敷地をさらに進みます。
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これは旧竹鶴邸。竹鶴政孝とリタ夫人が住んでいた家を移築したもの。
後で自由時間に見学します。 -
そして、その先が
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一号貯蔵庫。
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イチオシ
中に入るとウイスキーの樽がずらり。
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モルトはここでさらに長い期間をかけて貯蔵、熟成される。季節の移り変わりの中で樽が収縮したりまた戻ったり。その過程で樽の成分が溶け出したり、周囲の空気の成分が影響を与えたり。また、長い旅の始まりなんですね。
ただ、一方で熟成はウイスキー独特のものではない。それこそ梅酒だって長い年月でまろやかになるし、最近、日本酒でも冷暗所に長期保存して味に進化をさせるというのを見たことがあります。
しかし、その辺りが伝統の力。確かな技術と経験に品質を見極めるしっかりした評価の視点があってこその蒸留所。自然任せな部分とそうではない部分が交錯する深遠なところの一端を感じれたことでいいのではないかと思います。 -
敷地内からいったん出て、これはショップの方。予約をしていないお客さんはこちらの方なんだと思います。
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で、見学者の方はこちらの
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テイスティングルー?の方へ案内いただきまして
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試飲とかをさせてもらいます。
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ただ、私は少し早めに失礼して、さっきの旧竹鶴邸の方へ。
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では、中へ。
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ちょっと和の感じの玄関から中に入ると
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イチオシ
教会のような静かな空間。小ホールが現れました。
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この建物は国の登録有形文化財に認定されているようですが、
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ちょっと変わった雰囲気ですねえ。
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私的な生活の場であり、公的な立場での活用も考えたもの。また、それが酷寒の大地にあって、ぎりぎりこうした独特の和洋折衷のデザインとなったのでしょう。そして、それを思うと故郷の竹原の地から遠く離れ、ウイスキー作りに生涯をささげた竹鶴政孝の覚悟のようなものも感じられるような気もします。
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では、案内コースを逆にたどって
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出口に向かいます。
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ニッカウヰスキー余市蒸溜所を終えて、今度は旧余市福原漁場などのエリアに向かいます。
道の駅 スペース アップルよいちは、その途中。 -
ただ、道の駅ではあるのですが、このとおり。一般的な道の駅のレベルからするとかなり小さいです。
隣りにある余市宇宙記念館スペース童夢の付けたしみたいな感じかな。ウイスキーがちょろっとあって、リンゴも少し。あまり期待しない方がいいと思います。 -
これが隣りの余市宇宙記念館スペース童夢。日本人初の宇宙飛行士に選ばれた毛利衛さんの出身地ということでできた施設だとか。ただ、屋外展示のスペースシャトルとかはやぶさはちょっと古びているのが目立つような。それに、宇宙というだけではかつてのドキドキ感も薄れてしまって、ちょっと難しい時期に来ているような気もします。
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先を急いで。
川を渡ったところに見えるのが余市町図書館。川岸に建つ赤い屋根のメルヘンチックな建物です。ただ、内容としては、あくまで地元の図書館という以上のものではないような。観光の要素は少ないと思います。 -
そして、まずは余市水産博物館へ。
名前からしてニシンがたくさん捕れる、千石も捕れる場所という千石場所であった余市の紹介をする施設。 -
ちょっととんでもない山の上にありましたが、構えはそれなりに堂々としています。
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展示室はちょっと雑多な感じがしなくもないですが、
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リンゴやニッカウヰスキーに
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域内から発掘された縄文時代の土器類、
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会津藩の子弟が学んだ講武館の関係などなど。
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ちょっとあれこれありすぎて分かりにくいですね。
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イチオシ
北前船とかはまあ分かりますけど、残念ながらなかなか微妙な施設だと思います。
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やっぱり旧余市福原漁場に急ぎましょう。
浜中・モイレ海水浴場はその途中。ちらり拝見です。
北海道の海水浴場はシーズンが短いんでしょうが、それでも波が静かで遠浅の砂浜。海水浴には市街にも近くて便利だし、ここなら手軽に楽しめそうに見えました。 -
旧余市福原漁場になんとか到着しましたよ~
こちらは、江戸時代から明治時代、福原家が経営していたニシン漁場を復元したもの。鰊御殿と呼ばれた立派な主屋(番屋)から文書庫や米味噌倉、網倉、それにニシン粕等の干場もあって、一連の施設がそのまま残っている感じ。実際は浜から鰊を下ろしたりする施設など周辺にもさらにいろんなものがあったんだと思いますが、それにしてもここまで全体の作業がリアルに想像できる場所は他にはないような気がします。
まずは、主屋です。 -
ここが入口。
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内部は、親方家族の居住部分と雇漁夫たちが寝泊まりする部分に分かれます。
入って右手が親方家族の居住部分。この部屋から奥に続いていて -
一番奥の仏間から
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少し間を置いて
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客間や公的な帳場などもこちらにあります。
畳敷きなので、そこは板間である雇漁夫たちが寝泊まりする部分とは大きな違いですね。ただ、そこまで余裕があるというほどでもないような感じです。 -
イチオシ
で、こちらが雇漁夫たちが寝泊まりする部分。真ん中の土間を挟んで親方家族の居住部分はすぐそこ。そんなに距離感もないように思います。
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これは飯台。
土足でもそのまま食事ができるようになっています。 -
真ん中の土間の方から見るとこんな感じ。
奥は二階と三階にも部屋があって、雇漁夫たちはそこで寝泊まりしていたのだと思います。
大きく言えばここも仕事場ですから、何より機能的な設計がされていたということでしょう。 -
再び表に出て、これは文書庫。
三階建ての、ちょっと異様な建物ですが、ニシン漁はただ獲ればいいというものではない。しっかりと商売の面での営みがあったでしょうから、文書類の管理もとても重要だったことでしょう。 -
内部に入ると
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今はがらんとしていますが、
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往時は商売に絡んだ重要書類がしっかり保管されていたんだと思います。
江戸時代の商売人にとっては掛け売りの記録をした大福帳とかはそれが財産そのものでしたからね。 -
隣りの倉庫は石造り。
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出し入れの作業をするような通路部分と
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これは商品を保管するところ。
往時はこれがいっぱいになっていたんでしょうね。 -
ニシン粕等の干場は建物群に囲まれた敷地の中央部です。
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これは米味噌倉。働き手が大勢いるとこうしたものも大規模になってしまいます。
こういうのがこの遺構のリアルなところかな。 -
網倉もしっかり。
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あんまり何が入っているのかよく分かりませんでしたが、ニシン漁の大事な道具。オフシーズンには大切に保管されていたのは間違いないですね。
以上、それぞれの建物は大規模なのですが、先に少し触れたとおり、やはり実際にはこの規模では足りなかったような気もします。浜の近くとかいろんなところにこれらを補完する作業場や施設がまだまだほかにあったのではないでしょうか。ただ、それらの重要な部分をこうしてコンパクトにまとめて見せてくれているのがこの施設の最大のウリ。他では、番屋が残っているだけで精一杯というのが普通ですからね。 -
続いては、旧下ヨイチ運上家です。
ところで、運上家はアイヌとの交易を担った商売の場所のこと。
そもそもの歴史ですが、北海道の松前藩では稲作ができなかったため、代わりに江戸幕府からアイヌとの交易独占権を認可され、その利益で藩財政を賄います。当初は、商場知行制といって交易所を家臣に割り当て、アイヌから入手した交易品を商人に売って利益を得ていましたが、それが行き詰ってくると、今度は場所請負制。アイヌとの交易を商人に請け負わせ、そこから運上金を徴収するようになりました。
で、旧下ヨイチ運上家は、その時代の遺構。嘉永6年(1853年)、ヨイチ場所の請負商人である竹屋林長左衛門により建てられた現存する唯一の運上家だそうです。なお、場所を任された商人は支配人、通辞、帳役の3役と番人を置いて管轄をしたとありますから、商売の場であり、他方では公的な役所の性格もあったよう。 -
切妻平入の長大な石置屋根、格子窓、紙障子戸は、堂々とした構え。この構えからして役所のような威圧感を漂わせていますよね。
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入るとがらんとした空間。
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イチオシ
どういう使われ方なのか。ちょっと想像しにくいですが
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商談をするといったそんな感じでもないし
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まあ、交易は一方的なものだったでしょうし、
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アイヌの方からしたら恐る恐るやってくるといったことだったかもしれません。
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少し奥からは一段高くなったエリアがあって
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こちらは全くの役所風。
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ちなみに、これは遠山金四郎。幕府から派遣されて、運上所の見分を行ったという場面です。
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先に触れましたが、そもそもの基盤は幕府が松前藩に認めたアイヌとの交易の独占権ですからね。下にも置かない扱いだったのは想像に難くないですね。
そして、最後にアイヌとの交易の方ですが、この独占権というのが実は曲者。アイヌからすると交易の相手は松前藩に限られますから、交換条件とかは松前藩のいい値になる。コメと鮭の物々交換の条件もどんどん悪くなるし、後年、交易だけではなく漁業にも関わるようになると公権力をバックにしてアイヌに対する強制労働を強いる動きにもなっていく。クナシリ・メナシの戦いといったアイヌ人の反乱はそうした経済的な搾取や労働の搾取が背景となっていて、なかなかえぐい歴史。運上家に関連しては、こうしたことも付け加えておきたいと思います。 -
再び、余市駅に戻ってきて。余市からは新千歳空港に向かいます。
まだ時間があるので、もう少し。
エルラプラザは余市駅に併設されたお土産物の施設。余市はりんごが名産なのでアップルパイとかがウリのようですが、そちらの方のコーナーはやっていませんでした。時間があるみたいですね。規模は少し小さめですが、駅も小さいですからね。まあそれはそれでいいでしょう。 -
もうひとつ。
ジャンプ王国 余市展示ホールは、余市駅の建物、エルプラザの二階。 -
イチオシ
余市町にゆかりのあるスキー選手の用具やトロフィーを展示していますが、笠谷や船木、斉藤などは今でも鮮やかな記憶がある選手。ジャンプの前傾姿勢を捉えた美しいパネル写真とかにはちょっと胸が熱くなりました。
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イチオシ
余市駅から新千歳空港に到着。
新千歳空港でも待ち合わせの時間がそれなりにあったので、展望デッキに上がってみました。飛行機が頻繁に離発着しますが、その向こうには寒々とした広大な原野と低く連なる山々の眺め。北の大地の真ん中に切り開かれた飛行場であることを実感します。 -
エアポート ヒストリー ミュージアムは、札幌や北海道の玄関としての空港が整備された歴史を紹介するもの。北海道内の交通でも航空機は一定の役割を果たしているし、道外との航空路線は北海道経済の生命線とも言うべきもの。やっぱり特別な思いがあったんだろうなと想像しながら拝見しました。
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ロイズ チョコレートワールドは、基本はチョコレートのショップだと思いますが、それにとどまらず、かなりのスペースを使って、チョコレートの歴史からチョコレートの製法やあれこれを紹介する施設。
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チョコレートに特には興味がない人でも、展示を見るだけでなにかちょっと深いところに触れたような気分になって楽しいと思います。
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で、お土産の方は
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ネットの評判はすごくよかった北海道牛乳カステラにしてみました。
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ただ、牛乳がたっぷりは穏やかすぎてちょっとインパクトは弱いかな。やっぱりカステラは長崎のものに慣れているので、比べるとそういうことになってしまいます。
まあ、いずれにしても、これで小樽札幌の旅は無事終了。お疲れさまでした。
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