2022/09/30 - 2022/09/30
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kojikojiさん
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恐山には午後2時に到着しました。ここでは50分の自由時間と予定表にありましたが、添乗員さんの計らいで1時間の自由時間になりました。この10分は実はとても大きく、総門から本堂を参拝して、極楽浜まで進んで戻って来るとちょうど40分かかります。山門の脇には温泉があるのですが50分の参拝時間では温泉に入ることは不可能ですが、あと10分あれば何とか入れるかもしれないと思いました。最初は添乗員さんと一緒に総門を潜り、その後は妻と2人で参拝することにしました。本当は急がないといけないのですが、つい先日にNHKの「ブラタモリ」で恐山がテーマになっていたのでじっくり見学してしまいました。今まで持っていた恐山のイメージを払しょくするような天気で、なんて明るいところだろうと感じました。気が付くと周囲には誰もいなくなり、妻と2人だけで霊場を歩くのは不思議な感じがしました。霊場内には多数の積み石が見られ、独特の景観を形成していますが、これは地面から噴出する有毒な火山ガスを空気と効率よくなじませる効果もあるようです。カラカラ回る風車も数多く置かれていますが、これにも火山ガスの風下に入らないための効果があるとのことです。ここを歩いていると亡くなった母方の祖父母や両親のことを考えてしまいますが、暗く思いこむようなことはありませんでした。弟たちもその子供たちも皆元気なのもありがたいことです。当初から時間は無いので「いたこ」の口寄せなどは考えていませんでしたが、もし妻が先に亡くなるようなことがあれば会いに来たいと思いました。地獄のような風景を超して、極楽浜に出るとそこは不思議な雰囲気をたたえていました。美しいカルデラ湖だけではない、何かのパワーを感じることが出来ました。全く関連性はありませんが、アンドレイ・タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」のソラリスの海を思い出しました。今まで暗いイメージもあり来ることはありませんでしたが、今回のツアーで立ち寄れてよかったと思います。極楽浜で妻に別れを伝え、1人先を急いで「薬師の湯」という男性用の小屋に向かいました。ここにも誰もいなく硫黄の臭いのする熱々の湯を楽しみました。10分ほどで時間切れになり、帰り支度をしていると岩手から来たというおじいさんと少しお話が出来ました。もう少し時間が欲しいところですが、バスの時間があるのでとお別れを伝えました。そして靴下を片方落してきました。ギリギリでバスに戻ると添乗員さんから「お風呂に入ってきたのですか!」と驚かれました。先に歩いていた方たちもお風呂には入らなかったようです。ここからは大湊線の下北駅に立ち寄り「まかど観光ホテル」に向かいます。下北駅は終点ではありませんが、大湊駅が少し南になるので本州最北端の駅になるようです。花咲線の終点の根室駅より1駅手前の東根室駅が日本最東端の駅になるようなものです。今年は稚内にも行ったので最北端の駅も制覇しています。これでこの日の観光はすべて終わりで同じルートで野辺地まで戻り、少し山の中に入った馬門温泉の「まかど温泉ホテル」にチェックインします。山の中の静かなホテルというと聞こえは良いですが、周辺には自動販売機の1つもありません。午後6時に夕食がスタートし、目玉になる様な豪華なものはありませんが、地元の食材を取り込んだ料理がいただけました。地元の美味しい日本酒もいただけました。食後は朝が早かったこととお酒を飲んだこともあり少し寝てしまいました。目が覚めてから温泉に行くと貸し切り状態でした。露天風呂から空を眺めると満天の星が消えたので、何とか写真に残そうと思いましたが、三脚も無いのであまりうまくは撮れませんでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 船 JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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恐山に向かうバスの車内では翌々日のお昼の注文が回ってきます。竜飛岬の「青函トンネル記念館」にある海峡味処「紫陽花」 のメニューです。ここ以外に食事が出来るところはないということなので全員が注文しました。
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青森ヒバの森が途切れると急に視界が広がり、車窓の左側に宇曽利(うそりこ)湖が姿を表しました。国土地理院による正式名称は宇曽利山湖(うそりやまこ)で、対岸には大尽山(おおづくしやま)が美しい姿を見せています。
恐山 自然・景勝地
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恐山はこの世とあの世への架け橋で、太鼓橋を渡ったあの世にある霊場と言われています。下を流れる川は三途の川ということになります。
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三途の川の渡し場には「奪衣婆(だつえば)」と「懸衣翁(けんねおう)」の像がありました。父の家が総代を務める寺のお堂の中にはこの「奪衣婆」の恐ろしい木造が安置されていて、それだけでも行くのが嫌な場所でした。「奪衣婆」は三途川(葬頭河)で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼で、日本の仏教では人が死んだ後に最初に出会う冥界の官吏です。剥ぎ取った衣類は「懸衣翁」という老爺の鬼によって川の畔に立つ衣領樹という大樹に掛けられます。衣領樹に掛けた亡者の衣の重さにはその者の生前の業が現れ、衣が掛けられた衣領樹の枝のしなりぐあいで罪の重さがはかられ、死後の処遇を決めるとされます。
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その横をバスで通過しますが、妻は気が付かないままにあの世へ渡るわけです。この太鼓橋は老築化で通行禁止になっていました。この太鼓橋の勾配は急で悪人には橋が針の山に見え渡れないと言われているほか、帰りは橋の上で後ろを振り返ってはいけないといわれています。
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比叡山と高野山と共に日本三大霊山といわれる恐山菩提寺は、地元では古くから「人は死ねば恐山に行く」と言い伝えられたそうです。外輪山に囲まれた霊場は、外部からは見ることのできない途絶された場所です。添乗員さんがチケットを買い求めに走り、ここで1時間の自由参拝になります。今年は春に吉野の千本桜を観に行き、高野山にも泊まり、比叡山は子供の頃から何度も行っているのでこれで三大霊山を制覇したことになります。
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総門の脇には「六地蔵」が並んでいます。六地蔵とは6体のお地蔵さんが並んでいることを指します。あの世へと旅立つ方を六地蔵のご加護によって守ってもらうという信仰でもあります。六地蔵の”六”とは六道輪廻のことです。人間が繰り返す6つの世界のことを表し、「地獄道」「餓鬼道」「畜生道 」「修羅道」「人間道」「天道」を指します。前者3つを悪道と呼び、後者3つを善道といい、この6つの道でそれぞれ迷い苦しんでいる人々を救うのが「六地蔵」だと言われています。それぞれ名前と持ち物にも意味があり、護讃地蔵尊(放光王)は餓鬼道を救う宝珠、破勝地蔵尊(金剛幢は畜生道を救う宝印、弁尼地蔵尊(金剛宝)は人間道を救う除蓋障、讃龍地蔵尊(金剛悲)は修羅道を救う持地、不休息地蔵尊(預天賀)は地獄道を救う壇陀、延命地蔵尊(金剛願)は天上道を救う日光といわれます。
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添乗員さんと他のメンバーの18名の方は先へ進みますが、我々はここでドロップアウトして自分たちで参拝することにします。
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皆さんが先に進んでしまうと周囲は人の気配が無くなり、初めて恐山に来たのだなと実感できます。恐山菩提寺の創建は貞観4年の862年で、慈覚大師円仁が夢のお告げに導かれ、諸国に教えを説いた旅の果てに、この下北の地に「恐山菩提寺」を開山したと伝えられています。
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夏と秋の大祭にイタコと呼ばれる巫女が、死者の霊をこの世に呼びよせる口寄せを行い、故人と現実に逢っているように対話できる「イタコの口寄せ」が行われるそうです。ブラタモリではイタコとこの「恐山菩提寺」は全く関係が無いと聞きました。
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本堂にも手を合わせます。ここにも人の気配は感じられません。欄間彫刻は大きな割れた甕を見ただけで「司馬温公の瓶かめ割り」だと分かりました。
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北宋時代の政治家だった司馬温公の子どものころの話です。温公の家には父親が大切にする大きくて高価な水甕がありました。その近くで友達と遊んでいたところ、友達の1人がその水甕の中に落ちて、おぼれそうになります。そこで温公は友達を助けるために父親からしかられるのを覚悟して石で甕を割ったといいます。その結果、友達の命は救われました。それを聞いた父親はしかるどころか温公を褒めたたえ、改めて命はどのような高価なものよりも大切だということを教えました。この題材の彫刻は日光の陽明門をはじめ日本の寺院にも数多く残されています。
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立派な山門がそびえ、掲げられた扁額には「霊場恐山」の文字が読み取れます。霊場恐山の山号額は永平寺 の七十八世 貫主の宮崎禅師の書です。大永2年の1522年に曹洞宗の僧聚覚が南部氏の援助を受け円通寺を建立して恐山菩提寺を中興して曹洞宗に改められています。明治4年の1871年には本坊の円通寺に旧会津藩だった斗南藩(となみはん)の藩庁が置かれます。斗南藩は松平容保の嫡男である容大に家名存続が許されて成立した青森県の東部にあった藩です。今年の夏に行った利尻島のぺシ岬には会津藩士の墓がありました。幕府はロシアの襲撃に備えて蝦夷地への出兵と防備を会津藩に命じて1633名が派遣されますが、歴史に翻弄された藩だったと改めて思います。
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恐山は1万年以上前に噴火したと言われる休火山で、現在でも硫黄の臭いが漂う温泉が湧いています。霊場内には4つの湯小屋があり、参拝者は無料で入浴できます。まずは参拝を済ませて時間があればお湯に浸かってみたいと思います。参拝時間が1時間で、1周するのに40分と聞いているので何とかなりそうです。
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塔婆堂の周りにはたくさんの「格塔婆」が建っています。格塔婆は五輪塔の形がもとになっており、五輪塔を簡略化した供養に用いられる四角柱です。格塔婆を簡略化したものが、一般的にお墓に立てられる板塔婆といわれています。
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「ブラタモリ」で見て絶対に入りたいと思った温泉です。境内には4つの温泉があり、共同浴場として利用されています。
恐山温泉 温泉
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あまり時間が無いので参道を進みます。ようやく先を行ったツアーの方々に追いつきそうです。
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手水屋の脇には子孫繁栄の亀が置かれてあります。
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お賽銭が置かれてありますが、銅貨は噴出する火山性の硫化水素によって青黒く変色しています。
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手を清めて参拝します。
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本尊安置地蔵殿で参拝します。ここへきてようやく両親や祖父母のことを考える余裕が出てきました。この辺りに来ても温泉の様な硫黄臭がしています。
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本尊は地蔵大士で奥に慈覚大師円仁像が納められ、鉈彫りの円空作と伝えられる千体仏や十一面観音もあるそうですが、表からの参拝者には見ることが出来ません。
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周囲に塔頭も民家も無いので恐ろしくすっきりした空間です。と言って森の深い山中にあるわけでもないので、山に囲まれた全体が聖域なのだと感じられます。
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地蔵殿を出て中参道を進みます。途端に周囲の風景は一変します。これが恐山かと実感がわいてきます。
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積み上げられた石がお骨のように見えてきます。実際は噴出した溶岩のかけらです。
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奥には大王岩が鎮座しています。名前の通り閻魔大王を表しています。横には実際に分骨できる塔がありますが、積み上げられた小石が人骨に見えてしまいます。
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積み上げられた石とは別に硫化水素を噴き出している岩がいくつもあります。
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「みたま石」なんて名前を見るとここで死者と出会えるのだと思います。
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シューっと音を立ててガスが噴き出しています。噴出口には黄色く硫黄が見えます。
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「無間地獄(むげんじごく)」とは仏教における地獄の世界観である「八大地獄」の最下層にあって最も大きく恐ろしい責め苦を受ける地獄のことです。仏教における八大地獄は「八大奈落」ともいい、「等活地獄」から「無間地獄」まで上下8層で構成されます。生前に犯した罪が重ければ重いほどより下層に位置し、より激しい責め苦を受けて苦痛に苛まなければなりません。
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「慈覚大師堂」にもお参りをしておきます。ここにはたくさんの風車が納められ、風が吹くとカラカラと乾いた音がします。
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「大師説法之地碑」の上部を見ると「空」「風」「火」「水」「地」の文字が読み取れます。「空輪」とは五輪塔の一番上にある宝珠形の石材のことで、空は空間を表して、災難を取り除いて水を浄めるという意味合いが込められています。「風輪」とは五輪塔の上から2番目にある半月形の石材のことで、風は呼吸を表しています。「火輪」とは五輪塔の上から3番目にある三角形の石材のことで、傘のような形が特徴です。火は体温を表しています。「水輪」とは五輪塔の上から4番目にあたる円形の石材です。水は血液や水など流れるものを表しています。「土輪」とは五輪塔の上から5番目、一番下の方形の石材です。土は大地を表しています。
五輪塔には死者を成仏させて、極楽浄土へいざなう役目もあります。 -
遠くに極楽である宇曽利湖(うそりこ)の湖畔が見えてきました。
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まだまだ地獄は続いています。恐山は富山県の立山(地獄谷=立山地獄)、秋田県湯沢市の川原毛地獄と並び、日本三大地獄、あるいは三大霊地(地獄三霊地)と呼ばれています。この春に立山には行ったので、いつか秋田にも行ってみたいものです。
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空からまわる風車の音が子供の声や念仏のように思えてきます。
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小さな川が湖に流れ込んでいますが、火山地帯の硫化水素などを含んでいるので湖の水は酸性成分が強くなるそうです。なのでこの湖には魚はほとんど住めないそうです。生息している魚類は酸性に適応力があると言われるウグイのみで、他に生き物は生息していないようです。亜硫酸ガスのために鳥もいなかったようで、生き物の生息していない環境が地獄と呼ばれた一因でもあったのだと思います。
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妻の日傘が大きな風車に見えてきました。
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周囲にある石塔は崩さないような注意が必要です。親より先に亡くなった子供達が親不孝を詫びる為、自分の背丈よりも高く石を積んで成仏しようと、積み続けたものといわれます。しかし石塔は鬼に見つかり、完成する前に崩されてしまい、子供達は石を積む事を繰り返します。風車はそんな子供達が地獄でも遊べる様にと残された親達から供えられているそうです。
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少し離れた場所に大きな「半跏大地蔵尊」の姿がありました。「当山は伽羅陀山地蔵大士を本尊に仰ぐ霊場であります。地蔵菩薩の「地」という文字は大地をあらわし「蔵」は生命を産み出す母胎、母の心をあらわしております。人に踏まれても、ひたすら人をささえていく大地と、子の痛みを我が痛みとしてしかと受けとめてくれる母の心こそ地蔵菩薩そのものなのであります。」と説明文にもありました。
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賽の河原に近づくにつれて参拝した方々が積んだ小石が目立ってきます。
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千手観音像が置かれていました。ここまで地蔵尊ばかり見ていたので不思議な感じがします。
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賽の河原のこの風景は心に残りました。
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山の手参道の合流先が「八角円堂」になります。お堂の近くには 血の池地獄などがありました。このお堂の本尊も地蔵菩薩で、夜に雨の降った翌朝には衣の裾が濡れているという言い伝えがあるそうです。このお堂の奥には手ぬぐいや草鞋が木々に結ばれています。この先は黄泉の国と繋がっている考えられています。
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「東日本大震災慰霊塔」が湖畔に建てられています。
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宇曽利湖畔の極楽浜に着きました。宇曽利は蝦夷語のウショロから出たもので、湾や潟、入江を意味するそうです。ウショロがオショロと訛り、更にオソレ(於曽礼)と変わり、恐山の2字を充てるようになりました。
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石英の砂粒がキラキラ輝き、足で踏み占めるとサラサラした感じがします。宇曽利湖を取り囲むカルデラの外輪山は釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の8峰で、賽の河原を取り囲む恐山山地が蓮華の葉になぞらえて「蓮華八葉」と呼ばれています。
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「死ねばお山さ行ぐ」という言葉の意味が分かったような気がしました。「魂呼び」というこの湖畔から亡くなった方を呼ぶ風習もあるようです。周囲には誰もいませんが、心の中で懐かしい人の名前を呼びました。
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風も止んで鏡の様な湖面はとてもきれいでした。なるほど極楽浄土というのはこんなところにあるのかもしれないと感じます。
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亡くなった義母が戻ってきたのかと錯覚するほど最近の妻の姿は似てきました。
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先に極楽に行かないでと願うばかりです。
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地獄に落ちると思います。
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この風景を見ていてロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーの「惑星ソラリス」を思い出しました。海と雲に覆われた惑星ソラリスを探索中の宇宙ステーションでは乗員の心に残る人が現れるという不思議な現象が起こります。
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惑星を覆う海そのものが知性を持つ巨大な有機体であり、その海がステーションにいる人間の心の奥にあるものを読み取って、あたかも本物の人間であるかのような実体をもつものとしてステーションに送り込んでくるらしいというストーリーです。そのソラリスの海とこの湖が重なって見えました。
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妻はゆっくり歩いているので極楽浜でお別れすることにします。
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バスに戻る時間と温泉に入る時間を考えるとゆっくり歩いてはいられません。
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硫黄を含んだ水が湖に流れていきます。これでは魚が住むのは難しそうです。
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残り20分で山門まで戻ってこられました。
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恐山は有名な霊場でもあるのでもっと混雑したものを想像していましたが、我々ツアーの21名以外に十数名の方しか参拝していなかったと思います。賽の河原付近を妻と2人だけで歩けたのは素晴らしい思い出になりました。
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さあ「薬師の湯」へ急ぎます。
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昔は建物も無く混浴だったそうです。この時点で極楽浄土ですね。ただ、今まで行った混浴温泉ではおばあちゃんにしか出会ったことはありません。長万部の二股ラジウム温泉では個室のお風呂におばあちゃんと2人きりで気まずかった思い出があります。
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源泉は70度あるそうで、温度調節してあっても45度くらいあったのではないでしょうか。水道の蛇口で少し調節して入りました。こんな湯が貸し切り状態ですから最高の思い出になりました。
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硫黄と青森ヒバの湯舟の良い香りが混じった匂いは鼻腔の奥に残っています。集合時間前5分になったので慌てて着替えていると、岩手から来られたおじいさんに話しかけられました。恐山にも詳しくゆっくりお話ししたかったのですが、バスの集合時間があるとお伝えしてお別れしました。
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そしてどこかに靴下を片方落してきました。ぎりぎり集合時間に間に合いました。頭の上に濡れたタオルを乗せていたら添乗員さんに「温泉に入ってきたんですか!」と驚かれました。
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恐山の周囲には青森ヒバの植樹林がたくさん見られました。青森ヒバは樹高30メートル、直径80センチに達する日本特有の針葉樹高木です。和名アスナロの由来は通説としてヒノキに似ていることから「明日はヒノキになろう」の意と言われています。ただし植物学者の牧野富太郎の説によれば、これは俗説であると否定されています。
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恐山の後には「下北駅」にも立ち寄りました。本州最北端の駅として、ツアーの予定表にも含まれていますが、駅舎が古いわけでもないので、ツアーのみなさんもなんだかなぁといった顔をしています。2009年に駅舎は新しくなってしまったそうです。
下北駅 駅
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大湊線の終点は大湊駅ですが、少し南にカーブしているので1駅前の下北駅が本州最北端の駅になるそうです。花咲線の終点の根室駅より1駅手前の東根室駅が日本最東端の駅になるようなものです。今年は稚内にも行ったので日本最北端の駅も制覇しています。
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1日に上りと下りそれぞれ7本しか列車が無いので駅舎は閑散としています。
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最北端の駅というのはこの案内板しかありませんでした。
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駅の隣に観光案内所があったので地図やパンフレットをいろいろいただきました。今回の旅行に必要なものもありますが、計画している函館からフェリーで往復する旅の準備もあります。案内所の方に今回の旅のルートを話すと、「明日も天気は良いので仏が浦の観光船も陸奥湾を横断するフェリーも運行されますよ。」と教えてくださいました。以外に天気が悪いと運休になってしまうことが多いそうです。
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駅前交番のデザインもマサカリ型の下北半島のようです。15分ほどの下北駅の観光でした。
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駅前にはナナカマドの実がたくさん生っていました。「七竈」という難しい漢字を書きますが、ナナカマドは大変材が硬く燃えにいので、7度も竈(かまど)に入れても燃えないと言うことが名前の由来とされています。材が硬いのは事実ですが、実際はよく燃えるようです。
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下北駅を出発すると同じルートで横浜吹越ICから高速道路に入って野辺地に向かいます。田んぼの間にブドウ畑も見えました。こんな北の寒いところと思いましたが、夏には北海道の余市町で葡萄畑を見てきたばかりでした。
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六ケ所村の風力発電の風車を見るとついついシャッターを押したくなってしまいます。
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東京近郊では終わってしまっても、下北半島はススキがきれいに輝いていました。
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宿泊する馬門温泉の「まかど観光ホテル」には午後5時に到着しました。野辺地町は江戸時代に海運の中心として活躍した北前船の一大寄港地として栄えた湊町で、馬門温泉も古くから療養の湯として知られていたそうです。
海岸線から山の中に入った歴史ある馬門温泉にあるホテル。 by kojikojiさん亀の井ホテル 青森まかど 宿・ホテル
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8月中旬に4日間にわたって開催される「のへじ祇園まつり」は野辺地町最大の祭事で、江戸時代に北前船に乗って上方から伝わった文化とされ、京都の祇園まつりに似ている事も特徴だそうです。
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見どころは艶やかに着飾った子どもたちの優雅な祇園囃子と豪華絢爛な人形山車や、大漁旗を掲げた漁船によるパレード「海上渡御」も海で栄えた町ならではの光景だそうです。そんな祭りの山車の模型がロビーに置かれてありました。
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部屋は5階の和室でした。10畳の畳敷きに窓側にイスとテーブルが置かれています。
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きれいな内風呂もありますが、温泉ホテルなので使うことはありませんでした。
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独立したトイレもありがたいです。
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洗面台も広く使い勝手が良かったです。最近はアメニティは部屋に置かないホテルが多くなりました。実際ほとんど使わないので困ることもありませんし、必要であればいただくことが出来ます。
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部屋からは微かに陸奥湾が見えました。ちょうど夕方の日暮れ時です。夕食は午後6時から1階の烏帽子という宴会場でした。皆さん温泉に入っていると思うので、お風呂は食後にしました。
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この日はトラピックスのツアーが4つ入っていました。他のツアーはご飯の時間が違うようです。
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この日のメニューは和食膳という案内だけでした。席に着くと釜炊きのご飯と陶板焼きと焚き合せに火が入りました。温かいものは温かくいただきたいのでありがたいです。まずはビールを注文します。
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小原川湖牛の陶板焼きはポン酢でいただきます。
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大根とキンメとふかひれの炊き合わせもコンロで温かいままにいただけます。最近はいろいろな種類のウォーマーがあるようです。
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海峡サーモンのカルパッチョ仕立て。青森産の食材は入り口にマップになっていました。
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焼サバのスモークも美味しかったです。付け合わせのアピオスも青森の名産です。アピオスは北米原産のマメ科の植物ですが一般的な豆のようなものではなく、ネックレスのように繋がった塊根を食べます。日本にも「ほど芋(ほどいも)」が自生していたようですが、明治時代にアメリカから輸入されたリンゴの苗に一緒に付いて青森に根付いたという説と、元々青森の近隣に自生していたという説と両方の説があるようです。
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胡麻豆腐の餡かけもお酒のつまみには良いです。
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ごぼうの産地が集中している太平洋側は、夏場に「偏東風(ヤマセ)」と呼ばれる冷たい風が吹く夏季冷涼な気候のため、病害虫の防除回数が少なくて済みます。
生産量が全国1位の青森県のごぼうは香りや風味が良く、繊維質が邪魔にならない程度に身が締まり、シャキシャキとした食感が特徴だそうです。 -
刺身の5点盛りはマグロとサーモンと帆立、ブリと甘えびといった青森産の魚介が並んでいます。翌日は大間でマグロ丼を食べるのが楽しみになってきます。
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妻に「途中で開けちゃダメ!」と言われながら蓋を取ってしまいました。帆立の炊き込みご飯です。
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添乗員さんがテーブルを周って写真を撮ってくださいました。バスの中での観光のポイントなどは資料を読むだけですが、サービス精神は旺盛な良い方でした。夫婦で旅行しても2人で撮る写真は意外に少ないものです。
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ビールの後は地元のお酒に移ります。「じょっぱり」とは津軽弁で「意地っ張り」「頑固者」を意味する言葉だそうです。仕込まれる米は「華吹雪」を代表とする県酒造好適米で、使用する水も白神山地の地下伏流水と、すべてが「津軽」の地に生まれ育ったものが使われています。
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いろいろの見比べてみたいですが、最近はお酒の量も減ってきました。300ミリリットル瓶を2人で1本空けるのがちょうどよいです。
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帆立の炊き込みご飯が炊きあがりました。お酒も空いたので仲居さんに声を掛けるとイカつみれのお吸い物を持ってきてくれました。
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帆立の稚貝がゴロゴロ入った美味しいご飯でした。
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料理のメニューはありませんでしたが、地産のマップを見ると産地がよく分かりました。部屋に戻ると朝が早かったのとお酒の酔いもあって、敷いてあった布団で2時間ほど寝てしまいました。
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午後11時になってから大浴場の「鹿の湯」に入ります。
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遅い時間だったので大きなお風呂が貸し切りでした。
馬門温泉 温泉
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湯船から壁から天井まで青森ヒバを使っているので良い香りがします。2日前の伊豆大島の旅の疲れを青森の温泉で取るという不思議なことになってしまいました。
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露天風呂も気持ち良かったです。湯舟に寝ころぶと満天の星が見えました。
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部屋に戻って何とか写真が撮れないかと思いましたが部屋の窓は開かず、浴衣のまま表に行っても三脚も無いので撮りようもありません。部屋を暗くして、レンズを窓ガラスに密着してセルフタイマーとシャッタースピードを調整して撮れたのがこの程度です。もう少し右側の空にはオリオン座がきれいに見えたのですが、部屋の正面まで来る前には眠くなってしまいました。
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