2022/05/03 - 2022/05/03
1139位(同エリア4467件中)
Bachさん
いよいよ「京都トレイル」最終回、9回目の「西山コース」は、「清滝」から「嵐山」を通って「松尾山」を越え、上桂の「苔寺」まで、3年ぶりのコロナ規制解除のゴールデンウィーク真っただ中で、しかも京都一番の観光地を抜けるので相当な人だかりを予想しましたが、その通り、閑静な清流の清滝川沿いを歩き嵐山にたどり着くと、だんだん人だかりが増えて「渡月橋」では行列が出来る程の大賑わいで、「保津川下り」や「トロッコ列車」「嵐山竹林」「渡月橋」「苔寺」「鈴虫寺」など観光地を横目に、今回も高低差250mの難コースに挑みます。
「西山コース」は、前回終点の「清滝バス停」(標高100m)からスタートし、清滝川沿いに亀岡からの保津川と合流する「落合橋」(55m)まで下り、保津川下りの見える「六丁峠」(173m)まで上がって、さらに「愛宕神社一の鳥居」から「鳥居本」(100m)の町並みまで下り、「嵐山亀山公園」を抜けると少しずつ人混みが増えてきて、「渡月橋」まで来ると行列が出来る程の混雑ぶりにビックリ、橋を渡って「松尾山」登山口(34m)から最後の難関「松尾山頂」(275m)まで標高差240mの登山をスタート、渡月橋を眼下に「松尾大社」の裏山を抜けて終着点「苔寺」(60m)に到着。
今回の新発見は、清滝「渡猿橋」の辺りに松尾芭蕉、与謝野晶子、徳富蘆花の歌碑があったので調べてみると、多くの文豪がこの地を愛し歌会や文筆活動をしていて、与謝野夫妻も蘆花もたびたびこの橋の袂にある旅館「ますや」にひきこもっていたらしい。そもそもこの地は、江戸時代から愛宕神社詣での宿場町として賑わい、「渡猿橋」が出来た昭和の初め頃には愛宕山鉄道の嵐山から清滝までと清滝から中腹までのケーブルカーが開通し、スキー場や飛行塔のある遊園地、ホテルなどもあった一大観光地で、今のようにひっそりした所ではなく、リゾート気分で集まっていたのかもしれない。
徳富蘆花の歌碑には、「人は自然ととけ合い/自然の懐に抱かれて/限りある人生を哀しみ/限りなき永遠を慕ふ」と書いてある。
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「京都一周トレイル」9回目で最終回「西山コース」
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(行程)清滝バス停(標高100m)~0.5km愛宕山二の鳥居~0.6km[西山№1]渡猿橋(90m)~[№2]清滝橋~(小さな滝65m)~[№4]潜没橋(下清滝橋)~2.2km[№5-1]落合橋55m~(橋を渡りトンネルをくぐる)[№5-2] 保津峡見晴し(清滝川と保津川が合流し大堰川、桂川になる)~3.3km[№6]六丁峠(173m)~4.2km愛宕神社一の鳥居(119m)~[№8]鳥居本(町並保存地区)~4.6km化野念仏寺~[№10]二尊院~5.6km落柿舎(58m)~5.9km[№14]御髪神社(小倉池)~6.0kmトロッコ列車~[№15]大河内山荘~竹林~6.9km[№16]亀山公園(昼食)~7.2km [№21]渡月橋(37m)~7.8km中ノ島公園~8.2km[№24]阪急嵐山駅~[№26]松尾山登山口(34m)~[№33]渡月橋展望(259m)~10.0km[№36]松尾山頂(276m)~[№43]東山展望198m~10.9km松尾大社磐座182m~12.3km[№51] 苔寺谷(62m)~12.5km西芳寺(苔寺)~華厳寺(鈴虫寺)~12.9km地蔵院(竹の寺)~13.4km上桂駅(28m)
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自宅から車で「上桂駅」近くのタイムズ駐車場に停め(終日990円)
阪急嵐山駅に到着 9:07 -
1時間に1本しかないバスにタイムリーに乗車 9:14発
バスはさすが連休でギュウギュウ詰め -
清滝バス停に到着 9:30
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前回終点の「愛宕神社二の鳥居」へ、バスの殆どの人が愛宕山登山に向かうが、左手「渡猿橋」方面へ。
神社本殿へは標高80mから924mの登山道4kmを約2時間かけて登る。
愛宕神社は全国900社の総本山で、和気清麻呂が王城鎮護の社として中興した、火伏せ(防火、鎮火)の神を祀る火の用心の神様。
戦前は愛宕神社へ向かうケーブルカーの発着駅で、この辺りは愛宕神社参詣者が集まる宿場町、一の鳥居がある鳥居本は門前町として栄えた。 -
「西山コース」№1スタート 9:46
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「渡猿橋」(とえんきょう)
この橋が出来た昭和初期頃が一番賑わっていた。 -
「渡猿橋」からこれから辿る保津峡方面
最初に渡った「金鈴橋」からこれから行く「落合橋」までは、「金鈴峡」(きんれいきょう)と呼ぶ -
橋の手前「ますや」旅館の前に歌碑
後で調べると、徳富蘆花(本名徳富健次郎)の歌碑で、同志社の学生であった蘆花はたびたび清滝に来てこの旅館にひきこもっており、「ますや」の主人が蘆花25年忌を記念して庭先にこの「文学碑」を建てたという。「自然と人生」は蘆花の筆跡で、「人は自然ととけ合い/自然の懐に抱かれて/限りある人生を哀しみ/限りなき永遠を慕ふ」 -
清滝川に降りて川沿いに歩く
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川から見上げた「渡猿橋」
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歩いてすぐの所に「与謝野晶子」の歌碑
歌集「みだれ髪」の中の清滝を詠んだ歌で、
「ほととぎす嵯峨へは一里/京へ三里/水の清滝/夜の明けやすき」
右手の添え書きは「吉井勇」直筆で、「往年知るを得たる頃のことを思ひ/与謝野晶子夫人の歌をしるす/昭和三十三年四月/洛東歌客 吉井 勇」と書いてある。 -
並んで、「松尾芭蕉」の歌碑
「清滝や/波に散り込む/青松葉」
右手には小説家俳人の「高桑義生」直筆で、「芭蕉翁辞世句の後/澄明の心境に生れた最後の絶唱を刻む/永遠に清滝の景勝を見守り給へ/昭和四十七年初夏/高桑義生」と書いてある。(落合橋の袂にもある) -
「渡猿橋」側から「清滝橋」
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ゲンジボタルは国の天然記念物
5~7月に綺麗な清流に住む -
落合のあたりまで「アマゴ」解禁
アマゴはサケの一種で清流にだけ住みヤマメと区別しにくい、雨の多い梅雨に釣れ安く、渓流釣り初心者向け -
[№2]「清滝橋」
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「清滝橋」から「渡猿橋」を振り返る
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「清滝橋」から保津峡方面の「金鈴峡」(きんれいきょう)
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「清滝橋」を渡る
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青もみじが美しい!
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小さな滝
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少し難所
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気持ちいい清流
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少し大きめの滝
愛宕山から流れる「明神谷」からの渓流(滝) -
[№3] 明神谷から清滝川に合流する部分に架かる橋
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「明神谷」歩道橋
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[№4]潜没橋(下清滝橋)
右手は「米買道」へ入る登山口 -
「落合・米買道」(こめかいみち):落合や清滝では米が作れなかったので、ゆずの里「水尾」まで米を買出しに往来したという3.8kmの道。
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潜没橋を渡る
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ここを上がると「落合橋」
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上がった所で「落合橋」からJR「トロック保津峡駅」方面と「六丁峠」から嵐山方面に分かれる
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「落合橋」に到着 10:30
「落合」は清滝川と保津川が合流する地点だからの命名 -
この先で「清滝川」は「保津川」に合流し「大堰川」、「桂川」となる
「桂川」は美山から亀岡まで「桂川」で、亀岡から嵐山公園辺りまで「保津川」、嵐山公園から渡月橋まで「大堰川」になり、渡月橋から下流は又「桂川」と呼ぶ -
「落合トンネル」
トンネルを抜けたら絶景の場所がある
直進したらJR「トロック保津峡駅」 -
[№5-2] 保津峡見晴し絶景地点
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タイミング良く「保津川下り」の船に遭遇
亀岡から渡月橋まで16kmを約2時間で川下りする 4,000円 -
保津川下りは、角倉了以により、木材や薪炭など丹波地方の産物を京に運ぶことを目的に始まった
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九十九折れの坂道を登り「六丁峠」手前で保津峡見晴し
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トロッコ列車の鉄橋、少し待ったが今度は現れず
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[№6] 六丁峠(標高173m)
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一の鳥居から6丁目(650m)になることから命名。1丁は109m
頭上は嵐山高雄パークウェイ -
峠を越えると標高170mから100mまでの下り勾配
カーブミラーは下を向いている -
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[№7] 嵐山まで3km地点
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「嵯峨天皇・嵯峨山上陵」:(さがのやまのえのみささぎ)と読む
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「愛宕神社一の鳥居」(標高100m)に到着 11:40
愛宕神社参詣の1丁目、愛宕神社は50丁目で約5.5km、落語「愛宕山」では25丁目で一服する茶店がある。
昔は、愛宕山鉄道に乗り、嵐山駅 - 嵯峨西駅 - 釈迦堂駅 - 鳥居本駅 - 清滝駅からケーブルで愛宕神社 -
[№8] 右手は鳥居本、嵐山方面、左手は清滝方面
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「鳥居本」(とりいもと):愛宕神社参詣の「一の鳥居」付近に形成された宿場町で、創業400年の「平野屋」は、鮎料理と志んこ団子(神社までのつづら折りの山道を模した3色のねじれた米粉の団子)が名物。
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江戸時代には「お伊勢七たび、熊野へ三たび、愛宕さんへは月詣り」と言われるほど賑わっていたという。
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江戸末期から明治にかけて造られた家が50戸程残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
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ここまで足を延ばす観光客は少ない
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鳥居本の観光案内所
こんな所でトレイルマップ販売! -
普通の民家だが目立ち過ぎ!
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「化野念仏寺」(あだしのねんぶつじ):弘法大師が建立し野ざらしとなっていた遺骸を埋葬したのが始まりで、明治になって山野に散乱していた石仏を集め安置した「西院の河原」(さいのかわら)には8,000を超える石仏や石塔がある、
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「あだしのまゆ村」
こんな所に何故?と気になっていたが、調べると、生糸問屋の長男が「まゆ」を使ったお土産店を作りたくて始めたということ、全国的にも珍しくかわいいので修学旅行の女子高生などに人気! -
[№9] 祇王寺方面へ
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今回「祇王寺」はスルー
→http://shokyoto-kyoto.seesaa.net/article/92936199.html -
[№10] 「二尊院」
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「二尊院」(にそんいん):平安時代、嵯峨天皇の勅願により円仁(慈覚大師)が建立したとされ、釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀るから「二尊院」と呼ばれる
→http://shokyoto-kyoto.seesaa.net/article/124241206.html -
「二尊院」前
総門から延びる100mの広い参道は「紅葉の馬場」と呼ばれ、遠山の金さん、暴れん坊将軍、水戸黄門などの時代劇に何度も出てくる。 -
[№12] 左「落柿舎」、右「常寂光寺」
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「落柿舎」(らくししゃ):松尾芭蕉の弟子の向井去来の草庵で、芭蕉も何回かここに来て嵯峨日記を記したといわれる。
柿の木があったから「落柿舎」、玄関のシンボル蓑と笠は在宅を示す。 -
「常寂光寺」(じょうじゃっこうじ):日蓮宗の日禎(にってい)上人が角倉了以から寄進された土地に建立した。仏教の理想郷といわれる「常寂光土」(じょうじゃっこうど)から命名。茅葺屋根の本堂仁王門が特徴で、仁王像は運慶作、本堂は伏見桃山城の客殿を移築したもの。
→http://shokyoto-kyoto.seesaa.net/article/124243921.html -
秋の紅葉では凄い人だかりになるが、青もみじも気持ちが良い。
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「小倉池」(おぐらいけ):亀山天皇御陵地で百人一首発祥の地・嵯峨野の小倉山のふもとにあるから小倉池。ため池でも高貴に見える。
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「御髪神社」が見える。
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「御髪神社」(みかみ)は1961年京都の理美容関係者によって創建された新しい神社で日本で唯一の髪の神社、全国の美容師を目指す人が集まる。。政府御用達の髪結師で日本の髪結師の初祖と言われている藤原鎌足の末孫の藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)を祭神とする。
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[№14] トロッコ列車「嵐山駅」
亀岡まで平均速度25kmで保津川峡沿いの7.3kmを25分で走るオープン列車。880円 -
平成3年(1991)JR山陰線の複線化によって使われなくなった線路を観光利用した。
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「大河内山荘」:昭和の映画俳優・大河内傳次郎が造営した山荘と庭園。
高台からの保津峡と嵐山、比叡山と京都市街地の一望は素晴らしい!
→http://shokyoto-kyoto.seesaa.net/article/124247393.html -
竹林には人が一杯!
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[№16] 嵐山公園亀山地区
嵐山公園は、亀山、中之島、臨川寺(渡月橋手前)の3地区がある。 -
ここでランチ 12:30
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頂上展望台からは眼下に大堰川と保津川下りの船が見える。
この先にある近衛文麿の別荘「松籟庵」の嵯峨豆腐料理は絶品! -
亀山公園には、小倉百人一首の歌碑が49首ある。
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嵐山公園にある2つの銅像
「津崎村岡局の銅像」(つざきむらおかつぼね)は、嵯峨生まれの維新の女傑と言われ、篤姫の養母も務めた幕末の勤王家。幕末に月照らと親交を持ち尊王攘夷派の近衛卿や西郷隆盛らを助け活躍したが安政の大獄で捕らえられ晩年は北嵯峨の「直指庵」に隠居し付近の子女の教育に尽くした。
→http://shokyoto-kyoto.seesaa.net/article/134872613.html -
「門倉了以の銅像」(すみのくらりょうい)は京都ではなくてはならぬ人物
江戸時代朱印船貿易で財を成し、保津川(大堰川)と高瀬川の水運を開いた。保津川は丹波の農産物や材木を京に運び、高瀬川は方広寺大仏の再建のための資材を大坂から京に運ぶことから始まり京と伏見を結び薪炭や材木が運ばれ、起点となる一帯は「木屋町」として栄えていった。
森鴎外の小説で知られる「高瀬舟」も含め全て私財で行ったが船賃を徴収して短期間に資金回収し日本の事業家の先駆者とも言われるており、他にも富士川・天龍川の河川事業もやっている。
大堰川を管轄する嵯峨と高瀬川を管轄する京二条に大邸宅があったが、現在は嵐山「花乃家」と「がんこ高瀬川二条苑」になっている。 -
[№19] 大堰川に出てきた!
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「嵐山屋形船」
平安時代から公家の遊びとして行われ、藤原道長も船上での詩、歌、管弦等を堪能したといわれている。
船乗り場から1km上流までを遊覧するコースで、1時間2,000円、食事付き5,000円~ -
ボート3人乗り1時間1,800円
「嵐山の鵜飼」も歴史は古く、鵜匠が風折烏帽子に腰みのの昔ながらの装いで行う。2,300円 -
嵐山の「リカちゃんラジコン船」
京都新聞にも出ていたが実物を見て感激!
三菱電機の方が定年になって趣味で作られているそう。船頭のリカちゃんパパはマスクをしている!精巧な食物などはミニチュア作家さんが作ったらしい。 -
さすが嵐山、コロナも吹っ飛ぶ勢い!
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朝9:20スタート時のバスからも行列が見えて気になっていたが、後で調べると、「アラビカ京都嵐山」
テイクアウト専門だが、朝8時のオープンから閉店までお客さんが途絶えることはないという人気。
印刷業の新事業として商社機能を活用し、エスプレッソマシンや有名焙煎機などの権利をとり、コーヒー豆もハワイのコナにコーヒー農園を所有し、コーヒー総合商社として成功し世界中にコーヒー店を展開しようとしているらしい。
世界チャンピオンのバリスタのラテアートが評判で、カフェラテ450円 -
「渡月橋」も人気コーヒー店並みの行列!
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[№21] 「渡月橋」(長さ115m)は、亀山天皇が橋の上の月を見て「くまなき月の渡るに似る」と述べたことから命名されたという。今の位置になったのは門倉了以の建設とされ、昭和初期に現在の鉄筋コンクリート製で欄干部分だけ木製に再建された。
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「喧騒」と「清涼」の対比が微妙!
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「法輪寺」(ほうりんじ)は清少納言の「枕草子」にも出てくる京都の代表的な寺院で、知恵と芸事の上達で信仰を集め「十三まいり」の寺として有名。帰りに渡月橋を渡りきるまでに後ろを振り返ると知恵が本堂に帰ってしまうという言い伝えがある。「渡月橋」は、ここの和尚が掛けたのが始まりとされる。
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[№25] 注意しなければ見落としそうな京都トレイルの標識、タイル壁の標識は珍しい。直進すると「松尾大社」
→http://shokyoto-kyoto.seesaa.net/article/99193439.html -
[№26] 松尾山登山口(標高34m)
山頂276mまで登る -
入口は狭くて分かりにくい!
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[№27] 竹林の中を歩く
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[№28] 急な坂道が続く
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この辺りは「法輪寺」の裏山にあたる
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[№29] 直進するとモンキーパーク方面
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[№30] [№31] を直進
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[№32] この四つ辻で、右手へ行って山頂まで上がり、周回して左手から出てきて、苔寺谷方面へ行く
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この辺りは嵐山渡月橋を眼下に、嵯峨野から洛北の山並みまで見渡せる絶好の展望台になっている。
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今日は素晴らしい晴天!
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[№33] 渡月橋展望(標高260m)
右手に進めば、嵐山城址から烏ケ岳方面 -
洛北方面
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嵐山方面
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渡月橋
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[№34] 急な登りが続く
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[№35]
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[№36] 松尾山頂(標高276m)
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[№37] ここからは下り
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[№38] 松尾山の頂上辺りは古墳がたくさんあるが、この辺りにも露出した古墳がある。
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[№39] この辺りはかつては美しい松山であったが松は全滅して「松尾」の名残はない。
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この辺りも古墳らしい大きな岩が点在する。
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[№40] この辺り松尾大社の裏山にあたり、奥の院の「松尾大社磐座」(まつのおたいしゃいわくら)とされる巨石が近い。
社殿が出来る以前にご祭神を祀っていた高さ5m幅15mの巨大な岩石。
松尾大社は701年秦氏により創建された秦氏の氏神神社。 -
[№41] この辺りのゴツゴツした岩は古墳らしいが、よく分からない。
出口の看板地図に「松尾山古墳群45基」との表記があったが、6~7世紀ころの秦氏のものらしい。 -
[№42]
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[№43] 近くに林野庁が国有林地図作成のために設置したという「図根点」(ずこんてん)がある(標高204m)
「図根点」は三角測量に使う標識ということだが現在は使われてない。 -
東山の眺望(標高198m)
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[№44]
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[№45] 休憩所
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[№46] 急な下り坂が続く
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[№47] コースは整備されているが、悪天候の日は厳しいと思う!
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[№49] 竹林を左手に見ながら急降下する。
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竹林の中のフェンス沿いに下ると、急な木製階段が続く。
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[№51] 苔寺谷(標高62m)
ついに「西山コース」終点に到着! 15:10
「京都一周トレイル」全コース制覇! -
左手に行くと「西芳寺谷林道」
「苔寺谷」は「西芳寺谷」とか「くさりの谷」とも言うらしい。 -
「松尾山古墳群45基」、「西芳寺古墳群43基」とある。
この辺りに120基あるという。ここに来て初めて知った! -
「山の神さん」
説明には「昔の人は山に入る時、仕事の安全と山の恵みに感謝し、大岩にお祈りしてから仕事に出かけた」とある。 -
「西芳寺」(苔寺)は奈良時代聖武天皇の勅願により行基が開いたとされ、その後荒廃し庭には苔が繁茂したが、室町時代夢想礎石(夢想国師)が再興した。夢窓疎石が作った日本最古といわれる枯山水の石組で120種の苔に覆われた庭園は素晴らしい。
足利義光はここを模して金閣寺(鹿苑寺)を創建し、足利義正も西芳寺と金閣寺を模して銀閣寺(慈照寺)を創建したという。 -
苔の保護のため一般拝観は停止
2021.6からハガキかネット予約が出来るようになったが、3,000円~4,000円と高い! -
「西芳寺川」
北松尾山から西芳寺を通り桂川に合流 -
西芳寺川にかかる「華厳寺橋」を渡ると「華厳寺」(鈴虫寺)
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渡ってビックリ!
ここにも行列発見! -
これはゴールデンウィークだけではないらしい。
恋愛成就・縁結びのパワースポットで、ユーモアたっぷりの「鈴虫説法」が大人気で若い人が集まる。30分待ったら100人くらいの人が入れるというから納得!
下世話な話だが、1日に10数回あるというから、拝観料500円、お札300円=800円×10回×100人=80万円/1日、1ヶ月20日=1,600万円×12ヶ月=2億円/年 これで無課税! -
「鈴虫寺」は、江戸時代創建で、8代目住職が鈴虫の声で悟りを覚え鈴虫の飼育を開始し、今では5万匹を飼育して年中鈴虫の音が絶えない。「鈴虫説法」と、どんな願いでも一つだけ叶えてくれるという草鞋を履いた「幸福地蔵」と、四角や三角など沢山の種類の竹を集めた庭園が有名。
「鈴虫のように自分に与えられた生をただ生きる」 -
反対方向に行くと「地蔵院」
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「地蔵院」(竹の寺)は、室町幕府管領の細川頼之公開基でこれも夢想礎石が再興。周囲を竹林で囲まれていることから「竹の寺」と呼ばれる。
一休和尚がこの地で誕生し6歳出家するまで過ごしたことから「一休禅師母子像」があり、細川家菩提寺であることから末裔・細川護煕(84歳)から奉納された書や襖絵がある。
庭園は一面の苔の中に羅漢さんを表現した16の小岩を配した「十六羅漢の庭」と呼ばれる平庭式枯山水庭園が有名。羅漢さんは細川氏が篤い信仰があった石清水八幡宮の方角を向いて願をかけているという。 -
鈴虫寺の対抗ではないが、昨年から「寺ピアノ」を始めた。ピアノ講師の住職の奥様の発案で、当日でも10分500円で音楽奉納出来るという。
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帰り道に以前から注目していた「青山音楽記念館 バロックザール」に遭遇!
京セラを稲盛和夫と共に立ち上げた青山政次氏が「若手音楽家を応援する」目的で創設、青山音楽賞新人賞や演奏会助成など行っている
ここから上桂駅まで歩きタイムズから車で帰家。15:50
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