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7回目の京都トレイルは鞍馬から嵐山までの「北山・西コース」に入り、全長20kmのところを半分に割って、今回は前半の鞍馬から鷹峯までです。トレイルの楽しみは、健康増進や自然満喫などに加えて、京都の場合はいたるところに存在する平安京時代の遺跡の中を歩いて、1000年以上も昔にタイムスリップしたような気分になることですが、<br />今回は「鞍馬」から出発して、平安京の氷室があった氷の里「氷室の里」を経由し、代々の天皇が鷹狩に興じていたことから名づけられたという「鷹峯」に、江戸時代の本阿弥光悦が作った芸術村「光悦村」にタイムスリップです。<br />「北山・西コース」前半は、前回の「鞍馬街道・二ノ瀬」から「夜泣峠」、「小峠」を越えて、「氷室の里」を抜け、「京見峠」から「鷹峯・源光庵」まで、全長 14.2km、標高差308mのコースで、<br />見所は、悲運の皇子として知られる惟隆親王(これたかしんのう)の軌跡が残る「守谷・富士神社」から「雲ケ畑」に至る「夜泣峠」と、宮中に氷を献上した「氷室の里」に至る「小峠」を経て、西の鯖街道からやって来て京の都を眼下に見たという「京見峠」から本阿弥光悦が開いた鷹峯の「光悦村」に至るまで、今回も歴史色満載です。<br />

「京都一周トレイル」⑦北山・西コース(前半)

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2018/05/25 - 2018/05/25

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7回目の京都トレイルは鞍馬から嵐山までの「北山・西コース」に入り、全長20kmのところを半分に割って、今回は前半の鞍馬から鷹峯までです。トレイルの楽しみは、健康増進や自然満喫などに加えて、京都の場合はいたるところに存在する平安京時代の遺跡の中を歩いて、1000年以上も昔にタイムスリップしたような気分になることですが、
今回は「鞍馬」から出発して、平安京の氷室があった氷の里「氷室の里」を経由し、代々の天皇が鷹狩に興じていたことから名づけられたという「鷹峯」に、江戸時代の本阿弥光悦が作った芸術村「光悦村」にタイムスリップです。
「北山・西コース」前半は、前回の「鞍馬街道・二ノ瀬」から「夜泣峠」、「小峠」を越えて、「氷室の里」を抜け、「京見峠」から「鷹峯・源光庵」まで、全長 14.2km、標高差308mのコースで、
見所は、悲運の皇子として知られる惟隆親王(これたかしんのう)の軌跡が残る「守谷・富士神社」から「雲ケ畑」に至る「夜泣峠」と、宮中に氷を献上した「氷室の里」に至る「小峠」を経て、西の鯖街道からやって来て京の都を眼下に見たという「京見峠」から本阿弥光悦が開いた鷹峯の「光悦村」に至るまで、今回も歴史色満載です。

  • 京都一周トレイル7回目で、「北山・西コース」の前半

    京都一周トレイル7回目で、「北山・西コース」の前半

  • (行程)京阪出町柳駅~叡山電鉄二ノ瀬駅(標高172m)~[№47]いちょう橋~[№49]守谷神社・富士神社~(砂防ダム階段)~1.4km[№50-1]夜泣峠(372m)~[№51-2]右折~2.0km[№51-3]向山山頂(426m)~関西電力洛北発電所~4.0km[№55]山幸橋(131m)~[№56]雲ケ畑街道~盗人谷一の橋~[№60]盗人谷小屋跡分岐~盗人谷二の橋~盗人谷三の橋~[№62]小峠(397m)~[№64]氷室の里(380m)~[№65]氷室跡~9.0km氷室神社(389m)~氷室峠~10.0km城山(480m)~[№67]氷室別れ425m~[№68]京見峠(446m)~京見峠茶家(395m)~然林房~光悦寺~源光庵~14.2km鷹峯源光庵前バス停(153m)

    (行程)京阪出町柳駅~叡山電鉄二ノ瀬駅(標高172m)~[№47]いちょう橋~[№49]守谷神社・富士神社~(砂防ダム階段)~1.4km[№50-1]夜泣峠(372m)~[№51-2]右折~2.0km[№51-3]向山山頂(426m)~関西電力洛北発電所~4.0km[№55]山幸橋(131m)~[№56]雲ケ畑街道~盗人谷一の橋~[№60]盗人谷小屋跡分岐~盗人谷二の橋~盗人谷三の橋~[№62]小峠(397m)~[№64]氷室の里(380m)~[№65]氷室跡~9.0km氷室神社(389m)~氷室峠~10.0km城山(480m)~[№67]氷室別れ425m~[№68]京見峠(446m)~京見峠茶家(395m)~然林房~光悦寺~源光庵~14.2km鷹峯源光庵前バス停(153m)

  • 叡山電鉄・出町柳駅<br />展望列車「きらら」1時間に1本程度の運行

    叡山電鉄・出町柳駅
    展望列車「きらら」1時間に1本程度の運行

  • 大きな窓と座席方向が特徴

    大きな窓と座席方向が特徴

  • 現在は「青もみじトンネル」、秋の紅葉は素晴らしい。

    現在は「青もみじトンネル」、秋の紅葉は素晴らしい。

  • 二ノ瀬駅到着<br />近くの「白龍園」の特別公開で乗客が多かったが、今日は時間がないのでパス。

    二ノ瀬駅到着
    近くの「白龍園」の特別公開で乗客が多かったが、今日は時間がないのでパス。

  • 鞍馬川にかかる「いちょう橋」

    鞍馬川にかかる「いちょう橋」

  • [№47]いちょう橋からスタート

    [№47]いちょう橋からスタート

  • 踏切を渡るといきなり神社

    踏切を渡るといきなり神社

  • [№49]守谷神社・富士神社

    [№49]守谷神社・富士神社

  • 守谷神社・富士神社:守谷神社(東宮)は惟嵩親王を、富士神社(西宮)は親王の生母・紀静子(きのしずこ)を祀る。初め惟隆親王社と呼んでいたが後に守谷神社となり、洪水で流されたため母静子を祀る富士神社の隣に移転された。<br />惟嵩親王(これたかしんのう)は、844年平安時代前期天皇になる予定であったが当時強大な勢力を誇っていた藤原氏との政争に敗れ、二ノ瀬から雲ケ畑のあたりに隠棲して出家され、悲運の皇子として知られる。<br />

    守谷神社・富士神社:守谷神社(東宮)は惟嵩親王を、富士神社(西宮)は親王の生母・紀静子(きのしずこ)を祀る。初め惟隆親王社と呼んでいたが後に守谷神社となり、洪水で流されたため母静子を祀る富士神社の隣に移転された。
    惟嵩親王(これたかしんのう)は、844年平安時代前期天皇になる予定であったが当時強大な勢力を誇っていた藤原氏との政争に敗れ、二ノ瀬から雲ケ畑のあたりに隠棲して出家され、悲運の皇子として知られる。

  • 砂防ダムからいきなりの急階段

    砂防ダムからいきなりの急階段

  • 沢沿いの杉林

    沢沿いの杉林

  • 夜泣峠まで0.4km

    夜泣峠まで0.4km

  • 結構キツイ

    結構キツイ

  • [№50-1]夜泣峠(372m)<br />幼少の惟嵩親王と乳母がここで一晩過ごしたとき夜中に泣いたのでお地蔵さんに願って夜泣きを止めてもらったという

    [№50-1]夜泣峠(372m)
    幼少の惟嵩親王と乳母がここで一晩過ごしたとき夜中に泣いたのでお地蔵さんに願って夜泣きを止めてもらったという

  • [№50-2]を左へ

    [№50-2]を左へ

  • [№51-3]向山

    [№51-3]向山

  • 向山408m

    向山408m

  • [№51-4]辺り

    [№51-4]辺り

  • [№52-3]ビューポイント上賀茂周辺の集落が見える

    [№52-3]ビューポイント上賀茂周辺の集落が見える

  • ここからは下り道

    ここからは下り道

  • 山幸橋へ下って行く

    山幸橋へ下って行く

  • 杉林が美しい

    杉林が美しい

  • [№54-2]この辺りから左手に川(鞍馬川?)

    [№54-2]この辺りから左手に川(鞍馬川?)

  • 山幸橋は近い

    山幸橋は近い

  • 橋を渡ると水路が

    橋を渡ると水路が

  • 関西電力の発電用水路

    関西電力の発電用水路

  • 明治41年から運転開始の水力発電

    明治41年から運転開始の水力発電

  • 関西電力洛北発電所:鴨川水系の水を利用した唯一の水力発電所で、最大出力450kw(150世帯分)。

    関西電力洛北発電所:鴨川水系の水を利用した唯一の水力発電所で、最大出力450kw(150世帯分)。

  • この上流に賀茂川の起点があり、この辺りで鞍馬川と合流し、下鴨神社南の加茂大橋で高野川と合流し鴨川となり、さらに桂川と合流し淀川となる。

    この上流に賀茂川の起点があり、この辺りで鞍馬川と合流し、下鴨神社南の加茂大橋で高野川と合流し鴨川となり、さらに桂川と合流し淀川となる。

  • [№55]山幸橋あたり

    [№55]山幸橋あたり

  • 舗装道路の雲ケ畑街道を渡る<br />雲ケ畑は鴨川源流域の名称で惟嵩親王が隠棲して出家した場所。<br />鴨川に沿う街道で、若狭へ至る鯖街道の経由地で京都と丹波の国を結ぶ交通の要所でもあった。平安京造営の時はこの地の木材が使われ、端午の節句には菖蒲を献上し、薪炭や鮎なども朝廷に献上したという。

    舗装道路の雲ケ畑街道を渡る
    雲ケ畑は鴨川源流域の名称で惟嵩親王が隠棲して出家した場所。
    鴨川に沿う街道で、若狭へ至る鯖街道の経由地で京都と丹波の国を結ぶ交通の要所でもあった。平安京造営の時はこの地の木材が使われ、端午の節句には菖蒲を献上し、薪炭や鮎なども朝廷に献上したという。

  • [№56]再び山の中に入る

    [№56]再び山の中に入る

  • [№57]をV字ターン

    [№57]をV字ターン

  • 突然眼前が開ける

    突然眼前が開ける

  • [№58]をまたまたV字ターンすると

    [№58]をまたまたV字ターンすると

  • 再び山中に

    再び山中に

  • 倒木が多い

    倒木が多い

  • 一応通りやすいように手当しているが、、、

    一応通りやすいように手当しているが、、、

  • 落雷も多そう

    落雷も多そう

  • [№59]の所に案内板

    [№59]の所に案内板

  • この辺りは盗人谷と呼ばれているが、川の流れは爽やか

    この辺りは盗人谷と呼ばれているが、川の流れは爽やか

  • [№60]盗人谷小屋跡分岐

    [№60]盗人谷小屋跡分岐

  • 嵐の痕跡<br />これが盗人橋二の橋か?

    嵐の痕跡
    これが盗人橋二の橋か?

  • 盗人橋三の橋?

    盗人橋三の橋?

  • さらに倒木多し

    さらに倒木多し

  • [№62]小峠(397m)到着

    [№62]小峠(397m)到着

  • 展望台10分とあるが、スルー<br />後で氷室の里の住人に、ここからの展望が良いと聞いて後悔

    展望台10分とあるが、スルー
    後で氷室の里の住人に、ここからの展望が良いと聞いて後悔

  • この辺りの北山杉は立派<br />新しい林道が造られていた

    この辺りの北山杉は立派
    新しい林道が造られていた

  • [№63]を左折すると

    [№63]を左折すると

  • 害獣除けの扉を出て

    害獣除けの扉を出て

  • 氷室の里(380m)に到着

    氷室の里(380m)に到着

  • 氷室の里:京都北部の四方を山に囲まれた山間盆地で標高380mで、平安遷都後の桓武天皇や峨天皇、仁明天皇がんだ遊猟地だった。

    氷室の里:京都北部の四方を山に囲まれた山間盆地で標高380mで、平安遷都後の桓武天皇や峨天皇、仁明天皇がんだ遊猟地だった。

  • 途中出会った住民の話では、電気が通ったのは戦後昭和25年からで、現在の人口は7世帯20名程度。山に囲まれた地形は冬の寒さが厳しく氷づくりに適していて、宮中に氷を献上するための氷室が設けられた。

    途中出会った住民の話では、電気が通ったのは戦後昭和25年からで、現在の人口は7世帯20名程度。山に囲まれた地形は冬の寒さが厳しく氷づくりに適していて、宮中に氷を献上するための氷室が設けられた。

  • 周辺に製氷に利用されたと思われる3つの窪地と5つの池、そしてそれらの守護を目的に建てられた氷室神社が残っており、5ヶ所の池に氷が張るとさらに水をかけて厚い氷を作り、それを切り出して室に貯蔵したことが日本書紀に書かれている。

    周辺に製氷に利用されたと思われる3つの窪地と5つの池、そしてそれらの守護を目的に建てられた氷室神社が残っており、5ヶ所の池に氷が張るとさらに水をかけて厚い氷を作り、それを切り出して室に貯蔵したことが日本書紀に書かれている。

  • [№65]氷室のお地蔵さん

    [№65]氷室のお地蔵さん

  • 影がないのでここらでちょっとひと休み

    影がないのでここらでちょっとひと休み

  • 住民の方に教えてもらって<br />「氷室跡」へ

    住民の方に教えてもらって
    「氷室跡」へ

  • 氷室跡:氷室は冷凍庫のなかった時代に天然の氷を保冷した天然冷蔵庫で、氷を冬に採取して貯蔵し、夏でも氷を使えるようにした。

    氷室跡:氷室は冷凍庫のなかった時代に天然の氷を保冷した天然冷蔵庫で、氷を冬に採取して貯蔵し、夏でも氷を使えるようにした。

  • 氷室の里の丘陵地に3ヶ所あり、発掘調査から楕円形の窪地の底に杉の木の枝葉を敷き詰め板を張って氷を載せ枝葉や萱で覆って貯蔵したものとされる。

    氷室の里の丘陵地に3ヶ所あり、発掘調査から楕円形の窪地の底に杉の木の枝葉を敷き詰め板を張って氷を載せ枝葉や萱で覆って貯蔵したものとされる。

  • 元々平城京にあった氷室神社の氷が平安京遷都後もなお運ばれていたが、あまりにも遠いので京の近辺に設けられた6ヶ所の内の一つで現在でも確認できる唯一の場所。

    元々平城京にあった氷室神社の氷が平安京遷都後もなお運ばれていたが、あまりにも遠いので京の近辺に設けられた6ヶ所の内の一つで現在でも確認できる唯一の場所。

  • 宮中へは氷を萱で覆って馬で運び、平安時代から天皇が東京へ遷るまで続いたという。

    宮中へは氷を萱で覆って馬で運び、平安時代から天皇が東京へ遷るまで続いたという。

  • ただの窪地のようだが、どうやって発見したのか?

    ただの窪地のようだが、どうやって発見したのか?

  • 氷室神社(389m)到着

    氷室神社(389m)到着

  • 氷室神社:奈良の春日大社近くにある氷室神社と同じく、仁徳天皇の時代に額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのおうじ)に氷を献上したと伝えられる稲置大山主神(いなぎおおやまぬしのみこと)を祀り、宮中で使われる氷を作る氷室の守護神として崇めた。

    氷室神社:奈良の春日大社近くにある氷室神社と同じく、仁徳天皇の時代に額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのおうじ)に氷を献上したと伝えられる稲置大山主神(いなぎおおやまぬしのみこと)を祀り、宮中で使われる氷を作る氷室の守護神として崇めた。

  • 「氷の神様」という珍しい神社。

    「氷の神様」という珍しい神社。

  • 神社の境内は夏でも涼しそう。

    神社の境内は夏でも涼しそう。

  • 藤原定家の歌集に「夏ながら秋風たちぬ氷室山 ここにぞ冬を残すと思へば」とある。

    藤原定家の歌集に「夏ながら秋風たちぬ氷室山 ここにぞ冬を残すと思へば」とある。

  • 拝殿は1636年後水尾天皇の小御所にあった釣殿を移築したもの。

    拝殿は1636年後水尾天皇の小御所にあった釣殿を移築したもの。

  • [№66]から氷室峠へ旧坂の舗装道路を上る<br />(左へ行くと五山送り火・船形へ行くらしい)

    [№66]から氷室峠へ旧坂の舗装道路を上る
    (左へ行くと五山送り火・船形へ行くらしい)

  • 京見峠へ

    京見峠へ

  • 途中、京都市中川簡易水道氷室配水池

    途中、京都市中川簡易水道氷室配水池

  • [№67]氷室別れ425m

    [№67]氷室別れ425m

  • 右へ行くと沢ノ池から嵐山へ

    右へ行くと沢ノ池から嵐山へ

  • 今回は左の京見峠から鷹峯へ

    今回は左の京見峠から鷹峯へ

  • 左手に造園業者の池

    左手に造園業者の池

  • この辺から杉林と竹林が共存してきた

    この辺から杉林と竹林が共存してきた

  • 京見峠手前で比叡山が見えてきた

    京見峠手前で比叡山が見えてきた

  • [№68]京見峠(446m):左へ行くと沢ノ池へ

    [№68]京見峠(446m):左へ行くと沢ノ池へ

  • 「マツタケの収穫作業を行いますので9月25日から11月10日までは通行しないでください」

    「マツタケの収穫作業を行いますので9月25日から11月10日までは通行しないでください」

  • 若狭や丹波から京へ来た旅人が初めて見る京の都を眼下に見たことからこの名前がついたという。都を追われた後醍醐天皇方の兵が足利尊氏らとの洛中合戦で都へ攻め入る北の要所として京中を見下ろせるこの峠に陣をはったといわれ、標高446mから京都市中が一望できたが、今は木が大きく伸びて景色は全く見ることが出来ない。

    若狭や丹波から京へ来た旅人が初めて見る京の都を眼下に見たことからこの名前がついたという。都を追われた後醍醐天皇方の兵が足利尊氏らとの洛中合戦で都へ攻め入る北の要所として京中を見下ろせるこの峠に陣をはったといわれ、標高446mから京都市中が一望できたが、今は木が大きく伸びて景色は全く見ることが出来ない。

  • 京都の詩人・島岡剣石(けんせき)がこの峠で詠んだ歌碑がある<br />「うつせみの寂しさ故におく山の こぶしは白くうずもいて咲く」

    京都の詩人・島岡剣石(けんせき)がこの峠で詠んだ歌碑がある
    「うつせみの寂しさ故におく山の こぶしは白くうずもいて咲く」

  • 京見峠茶家:昔は善哉が有名で手打ち蕎麦や地鶏の炭火焼きなどもやっていたが、雰囲気ではどうも店仕舞いの様子。

    京見峠茶家:昔は善哉が有名で手打ち蕎麦や地鶏の炭火焼きなどもやっていたが、雰囲気ではどうも店仕舞いの様子。

  • 長坂道と車道に分かれる<br />

    長坂道と車道に分かれる

  • 鷹峯到着<br />然林房:かやぶき屋根で宿場弁当が有名だが、最近リニューアルして宿泊に力を入れている模様

    鷹峯到着
    然林房:かやぶき屋根で宿場弁当が有名だが、最近リニューアルして宿泊に力を入れている模様

  • 光悦寺(こうえつじ):光悦の居室である大虚庵はじめ7つの茶室があり、鷹峯三山と楓の木々を借景とする景色が素晴らしい。茶室を取り囲む菱形の垣根は「光悦垣」と呼ばれ、ここが発祥。<br />→http://shokyoto-kyoto.seesaa.net/article/135941283.html<br />

    光悦寺(こうえつじ):光悦の居室である大虚庵はじめ7つの茶室があり、鷹峯三山と楓の木々を借景とする景色が素晴らしい。茶室を取り囲む菱形の垣根は「光悦垣」と呼ばれ、ここが発祥。
    http://shokyoto-kyoto.seesaa.net/article/135941283.html

  • 源光庵(げんこうあん):伏見桃山城の床を使った血天井と、丸窓の「悟りの窓」、角窓の「迷いの窓」が有名。<br />→http://shokyoto-kyoto.seesaa.net/article/108185973.html<br />

    源光庵(げんこうあん):伏見桃山城の床を使った血天井と、丸窓の「悟りの窓」、角窓の「迷いの窓」が有名。
    http://shokyoto-kyoto.seesaa.net/article/108185973.html

  • 鷹峯(たかがみね):平安時代には代々の天皇が行幸し、猟や鷹狩に興じていたので鷹峯と呼ばれるようになった。江戸時代になって徳川家康より与えられたこの地区に著名な書家、陶芸家、芸術家である本阿弥光悦が一族郎党引き連れて移り住んで所謂「光悦村」を形成し、京都の芸術・文化の一大拠点となった。

    鷹峯(たかがみね):平安時代には代々の天皇が行幸し、猟や鷹狩に興じていたので鷹峯と呼ばれるようになった。江戸時代になって徳川家康より与えられたこの地区に著名な書家、陶芸家、芸術家である本阿弥光悦が一族郎党引き連れて移り住んで所謂「光悦村」を形成し、京都の芸術・文化の一大拠点となった。

  • 鷹峯源光庵前バス停から帰途へつく

    鷹峯源光庵前バス停から帰途へつく

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