2022/04/18 - 2022/04/18
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kojikojiさん
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南三陸町の朝は午前4時過ぎに始まりました。午前4時40分に偶然に目が覚めたので部屋の窓を開けてみました。すると真正面の東の空が少し赤く染まっています。確か屋上で夜空を見ることが出来るとホワイトボードに書いてあったので、屋上に出てみることにしました。寒いといけないので浴衣から服に着替えていきましたが風も無く寒くもありませんでした。空はどんどん赤みを増していきます。2月の徳島の旅でも美しい日の出を見ることが出来ましたが、この日の方が太陽に近いからか美しかったです。三陸海岸で日の出を見るのは今回の旅では55年前の5歳の時の旅の確認でもありました。父と旅した三陸の旅で、朝早くに起こされて日の出を見ましたが、蜃気楼で揺らいだ太陽が四角く見えました。そのことが不思議だったので絵日記に描いたら父に太陽が四角い訳が無いと怒られました。丸く描き直すように言われましたが、納得できなくて直しませんでした。思い返せば父の言うことを聞かなかったのは人生でこの時だけだったかもしれません。いろいろなことを思い出しながら日の出を楽しんで、部屋に戻っても起床時間には間があるので1人で大浴場に行きました。昨晩は暗くて見なかった景色が目の前に広がり、午前5時過ぎの太陽でも日差しは強くて日に焼けそうでした。2日目は午前9時の出発なのでゆっくり朝ご飯もいただけました。料理は特に印象に残りませんでしたが、デザートのヨーグルトに「岩泉ヨーグルト」と書かれてあり、その美味しさにはびっくり。これはどこかで買わなければと思いました。「ホテル観洋」を出発したバスは海岸線を北上しますが、この日の座席は最前列の右側だったので景色がきれいに見えました。「鵜住居(うのすみか)駅」からは三陸鉄道に少しだけ乗車しましたが、55年前の記憶は全くありません。「陸中山田駅」までの30分ほどの移動でしたが、途中には「大槌駅」とか東日本大震災で大きな被害を受けた土地を通過していきます。目の前には巨大な防波堤がそびえています。津波もこれくらいの高さだったのだろうと思うと恐ろしくなってきます。三陸鉄道の乗車が終わるとバスはすぐに「浄土ヶ浜」に到着します。まずは「浄土ヶ浜レストハウス」に入ってお昼ご飯になります。ここでは名物の「瓶どん」をいただきます。趣向が変わっているし美味しくて大満足のお昼です。生ビールから地元の冷酒もいただきます。海岸線に出てみると55年前にここでキャンプした情景が浮かんできます。レストハウスのレジの女の子に「昔この辺りにあったキャンプ場ってどこだか分かる?」と尋ねてもらちがあきませんでした。55年前では彼女たちの両親も生まれてないですからね。海岸で写真を撮った後にザッパ船に乗りに行こうとしましたが、妻たち2人は気が進まないようです。あまり時間が無かったのですが、隣の海岸まで歩いて行くと小さなボートが並んでいます。1人では乗れないだろうなと思いながらチケット売り場に行くと1人でも大丈夫なようです。時間があまりないけど大丈夫か尋ねると大丈夫ということで20分のクルーズに出発です。年配の船頭さんにキャンプ場のことを尋ねると、懐かしそうに「今出港した港の奥がキャンプ場でしたよ。コンクリート製のテーブルとベンチがあって。」記憶が一致しました。コンクリート製のテーブルとベンチという言葉に体の中を電気が走ったような気がしました。ここで2泊ほどキャンプしたことと、手漕ぎボートに乗ったことが思い出されます。唯一青の洞窟の位置だけは記憶と違っていました。いろいろな記憶が蘇って頭の中がパンパンになって、重たく感じたのですが、船頭さんに「頭にウミネコが乗ってますよ。」と言われました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 船 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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前の晩に目覚ましを変えなければと思いながらそのまま寝てしまいました。が、午前4時30分頃に目が覚めました。
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窓から表を見ると志津川湾は鏡のように静まり返っています。空と海の境界線はお互いに溶け合って曖昧になっています。そして午前5時前だというのに沖合には漁船が出て作業をされています。
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志津川湾には一直線のロープと規則正しく浮いたブイで作られた養殖棚が一面に張り巡らされ、1つのブイの下にはワカメの株が4つずつ植えられ、1つずつ成長段階をずらし育てられているそうです。通常の若布の成長には約100日が必要で、そこから30日ずつ間隔で計4回の収穫に分けられています。
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空がどんどん赤く染まって来るのを見ていたら、屋上でちゃんと写真を撮りたくなりました。昨晩も星がきれいだったので、屋上に上がってみようかと思いましたが、三脚なしでは写真が撮れないので諦めていました。
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エレベーターホールからも美しい景色が広がっているのが見えますが、周囲には誰もいません。
南三陸 ホテル観洋 宿・ホテル
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エレベーターで10階まで上がり、非常階段を上がると屋上に出ることが出来ました。先客が1名いらして、その後も数名来られましたが、浴衣ではさすがに寒いようで、すぐに部屋に戻られていました。
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漁をする漁船の数が増えてきました。
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小型のボートが行き交う姿を見ていたら、ミャンマーのインレー湖の夜明けの風景を思い出しました。旅先で見る夜明けの風景はどこも美しいのですが、思い返しても妻と一緒に見た記憶はありません。
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一体いくつのブイが浮いているのでしょうか。それぞれのブイはロープでつながっているのですから、漁船が通れる場所は限られているのでしょう。
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真正面の空がさらに赤く染まってきました。55年振りの三陸海岸の夜明けです。
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5歳の夏に父と旅した陸中海岸で夜明け前に起こされて見た日の出です。蜃気楼のように歪んで四角く見えた太陽のことをよく覚えています。太陽が四角く見えたと言っても父には取り合ってもらえず、家に帰って作った絵日記にこの時の情景を描いたら「太陽が四角い訳が無い。」と一喝されました。
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この日の夜明けの太陽も丸くは見えませんでした。55年経って現場を確認して、やっぱり自分の思ったことは間違いなかったと思います。
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星の王子さまの冒頭で、「これこわくない?」「帽子がなんでこわいの?」「おとなは、みんなそういうよね。これは、象を丸呑みにしたウワバミの絵だよ。」というやり取りを思い出します。
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Le plus important est invisible”大切なものは、目に見えない”
「心で見なければものごとはよく見えないってこと。大切なことは目に見えないんだよ。」という言葉も思い出されます。 -
父に「やっぱり三陸の日の出の太陽は四角かったよ。」と言いたいところですが、もうそれも叶いません。
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時間が経つと太陽の形はどんどん変わり、真丸になりました。
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海面は黄金色に変わり、鏡のように輝いています。スマホでも写真に撮って東京の友人に送ると「東京は雨です。」と返事が返ってきました。
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部屋と同じ6階のフロアが朝食会場でした。とても大きな宴会場なので宿泊客の多さを感じます。東京都民からするとさっさと「県民割」を再開している他県の方が羨ましいです。これも復興の一環なのかもしれません。
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午前8時になるとこの宴会場はお客さんで埋まるほどでした。まさに嵐の前の静けさです。
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ホテルの外観の写真を撮っていなかったので表にも出てみました。海岸線に降りるような道は無かったので諦めて部屋に戻って、大浴場で湯に浸かって冷えた体を温めます。
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午前8時に朝食会場の「羽衣」に行きました。ちょうど混雑する時間だったようで、しばらくすると空いてきました。
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有名なホテルのわりには地産地消の食材は少なかったようです。お刺身の小皿もありましたが、夕食では使えない部位のような気がしました。
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旅先の旅館やホテルでは朝からお腹が減るので何を食べても美味しいです。
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食後はゆっくりとデザートとコーヒーもいただきました。
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ここで1番美味しかったのは岩手県の岩泉町の「岩泉ヨーグルト」でした。これは無糖なのでジャムを入れています。あまりのおいしさに翌日の立ち寄り先で買い求めました。
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ホテルが岸壁の上に建っているのだと分かります。よくこんな場所でボーリングして温泉を掘り当てたものだと思います。
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午前9時にホテルの方々に見送られて出発します。一度志津川方面に戻るようです。2日目の座席は最前列になりました。三陸海岸の海沿いを北上するはずなので右側の座席に座りました。
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「ブライダルパレス高野会館」の横を通過しました。外壁の青いラインが東日本大震災で津波の到達した4階部分です。階高4メートルとしても14メートル化15メートルになる高さです。この建物も震災遺構として残されています。
震災遺構 ブライダルパレス高野会館 名所・史跡
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バスは一度志津川の町中を通過して、志津川インターチェンジから南三陸道路に入ります。志津川には鉄道駅もありましたが、東日本大震災で失われ、現在はBRTというバス高速輸送システムに変わっています。
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バスの車窓から見える風景は美しい三陸海岸の海岸線ではなくて、このように高く護岸された津谷川のような河川ばかりでした。
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右手に気仙沼大橋が見えてきました。気仙沼の沖にある大島へは船でしか行くことが出来ませんでしたが、この橋が出来てから車で行くことが出来るようになりました。昨年のフェリー旅で行った支笏湖の国民休暇村が良かったので、個人での三陸海岸の旅を考えたことがありました。この大島にも休暇村気仙沼大島があるのでこの辺りの地形に詳しくなっていました。
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「気仙沼湾横断橋 かなえ大橋」の上から気仙沼港を眺めてみます。天然の良港だということがよく分かります。高台にあるのはカトリック教会かと思ったのですが、アーバンマリアチャペルという結婚式場でした。
大船渡魚市場 名所・史跡
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遠藤周作の「沈黙」は衝撃的な小説で映画も何度も観ました。慶長遣欧使節の支倉常長をモデルにした「侍」という作品も興味深かったです。江戸幕府は1614年に全国に禁教令を発出します。仙台藩は比較的寛容で6年後まで信仰が許されたため、西日本から信徒や神父が領内に逃れています。バスの中で検索して東北最多の殉教者を出したのは岩手県一関市藤沢から宮城県登米市東和町米川一帯と知りました。
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東北の切支丹について最初に興味を持ったのは諸星大二郎の「生命の木」という作品で、「はなれ」と呼ばれる東北地方某所の隠れキリシタンの集落に「世界開始の科の御伝え」という聖書異伝が伝わっているという話です。太古の人間は楽園で暮らしていたが、禁断の果実を食べたことで「でうす」の怒りを買い、楽園を追われたます。このうち「あだん」と「えわ」の夫婦は知恵の木の実を食べたが、もう1人の人物「じゅすへる」は生命の木の実を食べます。そのため「じゅすへる」とその子孫は神と同様に不死となり、地上が人間で満たされることを憂いた「でうす」は「いんへるの」を開き、「じゅすへる」の一族をそこに引き入れ、「きりんと」が来たる日まで尽きぬ苦しみを味わう呪いをかけたます。そこから現代になって事件が起こるのですが、この原作を基に「奇談」という映画が2005年に阿部寛が主演で製作されています。
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バスは陸前高田市に入りました。長大な防波堤の手前に「奇跡の一本松」が見えました。添乗員さんがアナウンスで教えてくれるのが少し遅かったので流し撮りになりました。
奇跡の一本松 名所・史跡
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広田湾に面した高田松原は350年にわたって植林されてきた約7万本の松の木が茂り、陸中海岸国立公園(現三陸復興国立公園)や日本百景にも指定されていた景勝地でした。東日本大震災による津波の直撃を受け、ほとんどの松の木がなぎ倒されて壊滅しましたが、松原の西端近くに立っていた1本の木が津波に耐えて、立ったままの状態で残ったことから「奇跡の一本松」と呼ばれました。
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大船渡市に入ると「太平洋セメント 大船渡工場」の煙突が見えてきました。東日本大震災では水蒸気爆発を起こして被害を受けたのをテレビのニュースで見たのでその姿を覚えています。復興事業から発生する廃棄物を処理しながら復興資材であるセメントを供給するという両面から復興を支えていると聞いたこともあります。
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車窓には河川と海岸線の防波堤と空地という生活感の感じられない風景が繰り返されます。
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東日本大震災で普代の町を守った「普代水門」と同じようなローラーゲート式の水門が見えます。右側の車窓にはずっと三陸鉄道の線路も見えています。
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午前10時50分に鵜住居に到着しました。「釜石鵜住居復興スタジアム」が見えました。
釜石鵜住居復興スタジアム 名所・史跡
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「うのすまいトモス」でトイレを借りてお買い物もします。妻は地酒といちご煮の缶詰とか買い求めています。
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「鵜住居駅」から「陸中山田駅」まで三陸鉄道に乗ることになっています。
鵜住居駅 駅
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強大な敷地にラグビーボールの巨大なオブジェがありました。スタジアムはワールドカップで使われていますが、周囲にはいろいろ無駄なものにお金が使われている印象を受けました。
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「釜石祈りのパーク」に立ち寄って手を合わせました。
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奥の壁の高さまで津波が来たそうです。その高さは11メートルだそうです。
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鵜住居川の河口には5連のローラーゲート式の水門が見えました。これだけの備えがあっても周囲に建つ住宅はわずかです。
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高台に建つ「鵜住居小学校」に登る階段の途中の黄色いラインが津波のライだそうです。この小学校は昭和8年の1933年の「昭和三陸大津波」と2011年の「東日本大震災」の2回の津波の被害を受けているそうです。
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11時15分到着の「盛駅」行きの列車がやってきました。
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三陸鉄道36-700形気動車は東日本大震災の際に三陸鉄道南リアス線盛駅に留置されていた車両が津波により廃車となったのに伴い、その代替としてクウェートからの支援により3両から始まるものです。この36-713はJR山田線の引継によるリアス線延伸用として増備された8両のうちの車両です。
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三陸鉄道は単線なので「鵜住居駅」で列車交換するのが分かりました。
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車内も少し覗いてみました。運転席はワンマンで小さいものなのだと分かります。
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車体には陸中海岸の見どころがマップになっていました。
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いつか見てみたい鹿踊りのイラストもありました。大阪の「国立民族学博物館」で衣装を見ただけです。
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反対側から「宮古駅」行きの列車がやってきました。電化されていないので電柱や架線が無いためにすっきりして見えます。
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運休していたJR山田線の釜石から宮古間が復旧し、三陸鉄道が「リアス線」として1つにつながり、三陸鉄道リアス線開通記念としてイシツブテやいわタイプのポケモンたちがデザインされた「岩手県×イシツブテ」のラッピング列車でした。
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すぐに乗り込んで海側になる進行方向右側に座りました。
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添乗員さんが乗車証明書をくださいました。いつか前線制覇してみたいと思います。ただ55年前に蒸気機関車の時代に乗っているとは思います。
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「鵜住居駅」を出発しました。莫大な費用をかけた堤防の内側は使われていないままの土地が多く残る印象を受けました。
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隣の大槌町も被害を多く受けた町ですが、ここも空地の目立つところです。そんな町々も最初に出来るのはコンビニのようです。
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「吉里吉里駅」に停車しました。井上ひさしの小説「吉里吉里人」がベストセラーになり一大ブームを巻き起こしました。小説中の吉里吉里村はこの駅のある大槌町吉里吉里地区ではなく、宮城県と岩手県の県境付近にある東北本線沿線の平野部に設定された架空の村ででした。しかし「吉里吉里」の地名のもととなった地区であるということで注目され、地域も村おこしを目的に「吉里吉里独立宣言」を発しました。
吉里吉里駅 駅
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20歳の頃に読んだ本をここで思い出すとは思いませんでした。駅のホームにはこの辺りで獲れるシャケを担いだ猫の漁師です。36は三陸のの意味でしょう。
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「吉里吉里駅」を出るとようやく美しい海岸線が見えました。
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桜のたくさん咲いているところはお寺か小学校だというのは間違いないです。ここは小学校のようで、鯉のぼりがたくさん吊られています。
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三陸海岸の海岸線はどこを見ても松の木が美しいです。
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「岩手船越駅」の近くの防波堤はまだ工事中です。復興はまだ終わっていないのだと思います。ただ集落の規模を考えると莫大な費用とバランスがあっているのかという疑問も残ります。これは復興税をずっと納めている納税者としての疑問です。
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「鯨と海の科学館」は昭和62年の1987年に三陸沖において体長17.6メートルで体重60トンの巨大なマッコウクジラが捕獲され、捕鯨基地であることや巨大なマッコウクジラを後世に伝えるため平成4年の1992年に開館したそうです。山田は商業捕鯨禁止となる昭和62年まで捕鯨をしていた場所だったことを思い出しました。
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織笠川の河口には工事中のローラーゲート式の水門が見えました。まだまだ莫大な公共事業費が投入されていると実感します。
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「織笠駅」まで来ると下車する用意を始めます。
織笠駅 駅
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「陸中山田駅」に到着しました。三陸鉄道の旅もここで終わりです。
陸中山田駅 駅
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我々15人が降りてしまうと列車はガラガラになりました。ホームの脇の駐車場には既にバスが待ってくれています。
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駅の反対側には風車があるのが見えましたが、見に行っている時間はありません。なぜオランダの風車かというとこの町の海岸の沖合にオランダ島があるからです。その名前の由来は徳川幕府の前期の寛永20年の1643年にオランダ船ブレスケンス号が閉伊郡山田浦に入港したことだそうです。このとき山田の人びとは水や食料や野菜などを補給するため入港した船員を温かくもてなしたそうです。
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ふたたび三陸沿岸道路に入ります。ここからは山の中を走るので景色は期待できません。
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車窓の左側に宮古方面からやってきた三陸鉄道の列車が見えました。
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先ほど乗ってきた列車と同じラッピングです。電化されていないので電柱や架線が無い分きれいに見えます。
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津軽石川の7連の水門が見えてくるともうすぐ宮古市です。
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宮古市内を抜けると美しい島や岬が見えてきました。そろそろ「浄土ヶ浜」に到着のようです。
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「ラサの煙突」は、宮古の町を右手に見下ろしたときに気になっていました。町を過ぎるころになって添乗員さんが煙突について説明しだしました。シャッターポイントは過ぎてしまいましたが、写真に撮っておきます。「ラサの煙突」は宮古市のシンボルで、市街から南方にある小山田地区の通称「煙突山」の山上にそびえ立っています。この煙突の歴史は古く、昭和14年6月にラサ工業の宮古工場精錬所の創業と同時に完成しました。日本第2位の高さを誇るコンクリート製の大煙突で90メートルの山の上に建つので250メートルの高さに見えます。完成当時は「東洋一の大煙突」と呼ばれたそうです。
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松林の道を進むと「浄土ヶ浜」の奇岩が見えてきました。昔はこの上でバスを降りて、歩いてくだったような気がします。
浄土ヶ浜 自然・景勝地
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現在は海岸までバスで降りることが出来ます。「浄土ヶ浜レストハウス」の前でバスを降りて、まずはお昼になります。ちょうど12時30分に到着して、1時間15分くらいの滞在になります。
浄土ヶ浜レストハウス グルメ・レストラン
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この日のお昼はツアーに含まれています。名物の「瓶どん」というものです。これは宮古市の新しいご当地丼だそうです。サーモンのフライと三陸のワカメの味噌汁といったメニューです。
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三陸の新鮮な帆立とめかぶ、タラが入っているようです。
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まずはビールで乾杯です。すぐに地酒の冷酒も追加します。このレストハウスはビール中瓶と300ミリの冷酒1本で1,200円もしなかったです。
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瓶から具材を乗せて半分ぐらいいただきます。
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残りにはだし汁をかけて出汁茶漬けでいただきます。どちらも美味しかったです。盛岡駅で冷凍の物を買って帰りましたが、こちらも美味しかったです。近いうちにお取り寄せの予定です。
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レストハウスで絵葉書を買う際にレジの女の子に「この辺りに昔キャンプ場無かったですか?」と尋ねましたが、全く分からないようでした。55年前のことを尋ねてもたぶん彼女の両親も生まれていない時代です。
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55年振りに「浄土ヶ浜」の海岸に立ちました。5歳で始めてきて、2回目にはずいぶん時間がかかりました。その時と景色は変わっていないようですが、東日本大震災時にはこの海岸はがれきで埋まったそうです。
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こちらは50年振りの高校の修学旅行チーム。いつも楽しそうです。
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沖合には観光の「さっぱ船」が行ったり来たりしています。添乗員さんの情報では20分のクルーズが随時行われているとのことです。手前の岩礁にはものすごい数のウミネコが羽を休めています。
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「浄土ヶ浜」の白い岩に上に生えた松の木とのコントラストが美しいです。
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この「剣岩」と呼ばれる白い岩は流紋岩という岩石で出来ています。流紋岩は火山岩の一種で、マグマが流れた模様「流理構造」が見られることから名付けられました。また、流理構造とは別に、「節理」と呼ばれる割れ目を見ることも出来ます。
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妻たちに「さっぱ船」に乗りに行こうと誘いますが、どうやら乗りたくないようなので1人で隣の浜まで歩きます。出発まではもう40分弱しかありませんが、とりあえず海岸線を歩いて行きます。
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隣の浜には誰もいなくてどうしようと思いましたが、係の方が出てきて1人でも「さっぱ船」を出してくれるということです。時間が無いことを伝えると急いで準備してくださいます。救命胴衣を着てヘルメットを被って船頭さんの後に続きます。
浄土ヶ浜マリンハウス 名所・史跡
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3人乗りのボートで出発です。座席の具合と言い、2月に鳴門のアオアヲリゾートのホテルで乗ったワカメ採りのボートと同じ椅子でした。
https://youtu.be/7XrqmFYMweE -
この「さっぱ船」のキャッチフレーズはウミネコを目の前で見られるということでした。乗船料は1,500円でしたが、チケットと一緒に小さいかっぱえびせんを1袋くれました。何も説明はありませんでしたが、ウミネコの餌だろうと思いました。
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船頭さんに昔あったキャンプ場の場所を尋ねると、今出港してきた港の奥の斜面がその場所だと分かりました。「コンクリートのテーブルと椅子があった所でしょう。」という言葉に全身に電気が走ったような気がしました。
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55年前の記憶と合致した瞬間でした。5歳の時の父と会社の同僚の方との3人旅は記憶に深く残っています。父とその当時の話をすることは出来ませんが、船頭さんと話が合ったことが少しうれしかったです。
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妻たち2人が見えたので手を振ったら気が付いたようでした。
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船が近づくとウミネコが飛び回り、まるでヒッチコックの「鳥」という映画のようでした。スマホで動画を撮って遊んでいたら岩の近くに来てしまいました。沖合から俯瞰した写真を撮りたかったのですが。
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岩山の上にある「小安地蔵」は地元の人々が家族の健康と大漁を祈願して信仰している神様だそうです。賽の河原の小石を持って拝みにいくことから、ここを「賽の河原の地蔵さん」と呼ぶそうです。
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急に頭が重たくなりました。船頭さんと55年前の話をして思い出が蘇ってきてオーバーヒートしそうだったのですが、「ウミネコが頭に乗ってるよ。」と笑われました。
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そっとポケットからスマホを取り出して写真を撮りました。しばらく頭の上にいたので動画も撮れました。船の上から妻と友人にLINEで送ったら大うけでした。
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穏やかなようで岩礁に打ち付ける波は結構大きかったです。波が引くときは1メートル近く水位が違っていました。自然は侮れないと思いました。
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船はUターンして次のポイントに向かいます。海岸には防波堤が見えていますが、ここは昔の大型の観光船の発着所だったということです。現在は運行していませんが、この周辺の遊覧と沖松島巡りや船越半島を巡る観光船もあったようです。
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堤防の近くの観光船発着所だった裏側にある「青の洞窟」と最近では呼ばれる「八戸穴」です。江刺恒久という人が文久2年の1892年に著した「奥々風土記 巻五」には「この穴は八戸まで通じていて、八戸には「宮古窟」がある」という記述があったので調べたところ、八戸には「閉伊窟」とう穴が存在していたそうです。
青の洞窟 (八戸穴) 名所・史跡
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八戸にあった「閉伊窟」は残念ながら鉱石採掘で無くなってしまったそうです。この辺りまで来て子供の時に父の同僚の方の手漕ぎボートで来たことが思い出されました。
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洞窟の奥まで波が到達するとこのように噴出してくるのですごい迫力です。
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そんな洞窟の奥まで行くと「青の洞窟」と呼ばれる意味が分かりました。ただ、カプリ島の「青の洞窟」はもっと真っ青で、ポジターノとアマルフィの間にある「エメラルドの洞窟」の色に似ていると思います。
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カプリ島の「青の洞窟」とは相性が悪いようで、今まで5回行って1回しか入ることが出来ませんでした。妻と一緒に行ったときにも波が高くて天気も悪くて行けなかったのが今でも残念です。
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洞窟の天井も低いのでヘルメットはウミネコを乗せるためのものではないと思いました。
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波を被りそうなので引き上げることにします。
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岸壁には「亀の手」がたくさんついています。みそ汁に入れると美味しい話を船頭さんとしました。最後に「亀の手」を食べたのは50年前の隠岐の島の旅でした。最近は軟弱なツアーの旅ばかりですが、昔はワイルドな旅をしていたのだと思います。
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「岩のり」も美味しそうです。つい先日伊豆大島出身の友人から「島海苔」をいただいたばかりなので、こうやって見ていても味が思い出されてしまいます。
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父の遺した写真を整理していましたが、今回こうやって現地に来て記憶が整理できた気がします。この1年は海外にも行けないのでそんな思い出の地を巡っていますが、日本全国に渡るので数年かかりそうです。
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ウミネコにかっぱえびせんをあげようかと思いましたが、たくさん寄ってきても困るので止めました。
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ここが昔キャンプ場だったと知れて記憶と実際の地図上の位置関係の謎が解けました。M・ナイト・シャマラン監督の「シックス・センス」や「ヴィレッジ」などの映画を見終わった時のような気分です。
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多分かっぱえびせんを要求されているのだと思います。しかしウミネコの美しさを改めて知りました。昨年の太平洋フェリーの旅で観たのはカモメでしたが、三陸ではウミネコばかりでした。
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20分のクルーズが終わって船頭さんにお礼を言ってお別れです。せっかく救命胴衣にヘルメット姿なので記念写真を撮ってもらいました。今回の旅が終わった後は昨年の秋に強風で欠航になってしまった知床半島の岬まで行くロングコースのリベンジと思っていました。東京へ帰った数日後に、催行人数に達しないためにツアーは中止になり、その翌日に事故がありました。
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バスの出発の時間の5分前になってしまいましたが、何とか間に合いそうです。
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次にここへ来ることがあるのだろうかと考えてしまいます。「浄土ヶ浜」の海岸の名の由来は、天和年間の1681年頃に宮古山常安寺7世の霊鏡竜湖が「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたといわれます。
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海岸の小さな石を1つ持ち帰り、父へのお土産にしました。この後はツアーのメインイベントの「北山崎クルーズ」です。ここにも55年前の思い出があります。
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