2022/04/19 - 2022/04/19
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kojikojiさん
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ツアー3日目も早朝の4時半には目が覚めました。窓辺に行ってカーテンを開けるとあいにくの曇り空でした。しばらく空を眺めていると赤く染まっては来ましたが、太陽は上がってきませんでした。グーグルで東の方向を確認していたのですが、実際に太陽が上がる方向は違ったようです。諦めて大浴場でくつろいでから部屋に戻ると、思っていたのとは違った方角に太陽が上がっていました。唯一楽しめたのは沖合を流れていく「さんふらわあ ふらの」が見られたことです。これは前日の夜に大洗港を出て、この日の昼過ぎに苫小牧に着く商船三井のフェリーです。昨年苫小牧の港で太平洋フェリーの「いしかり」より少し前に出港していった懐かしい船です。朝食に行く時間まで1時間半はあったので1人で散歩に出掛けることにしました。最初に防波堤の辺りに出て、時間があるので歩いていたら隣の浜まで行ってしまいました。朝食は特に地産の料理も無かったのですが、唯一田野浦の牛乳とヨーグルトは美味しかったです。午前8時30分にホテルの方に見送られて「ホテル羅賀荘」を出て、「北山崎展望台」に向かいます。船でも25分かかりましたが、バスでも20分くらいかかりました。ここでは30分ほどの自由時間になります。父と旅した時にもここへ来たとばかり思っていたのですが、家に帰ってから写真で確認したら「黒崎灯台」と「アンモ浦展望台」だったと分かりました。55年の記憶は実際に現地に来ないとうまくつながりませんでした。三陸海岸の旅が終わると山を越えて「龍泉洞」に向かいます。ここについてもまだ10時前です。1時間弱の自由時間で鍾乳洞を見学しますが、今まで行った鍾乳洞の中で一番きつい階段でした。妻は途中で諦めて何人かで入り口まで戻ったほどでした。「龍泉洞」の見学が終わるとツアーに組み込まれた観光は全て終わりです。バスは盛岡駅に向かいますが途中で「三田貝分校」という小学校の跡地に出来た道の駅に立ち寄ります。ここで岩泉ヨーグルトを買うことが出来ました。今回の旅ではほとんどお土産を買いませんでした。ダム湖の「岩洞湖」を右手に眺めつつ山を下っていくと「岩手山」が見えてきました。山を下り北上川を越えるときにも美しい雪山の姿が見えました。予定より早く盛岡駅に着いたので1時間ほどの自由時間ができてお昼を食べることが出来ました。荷物を持って駅のロータリーの先にある「盛楼閣」という焼肉屋さんに飛び込んで、焼肉と冷麺を注文しました。最後に生ビールで乾杯して旅の成功を祝います。盛岡冷麺はぴょんぴょん舎が有名ですが、この焼肉屋さんも美味しかったです。盛岡駅から新幹線に乗ると3人並んで宴会が始まります。なんかクラブのママと焼肉屋で食事した後に同伴でお店に来たような気分です。トラピックス社には復路も東京駅でで予約していましたが、ちょうどラッシュ時間だったので大宮で下車して池袋に向かうように変更してもらいました。添乗員さんに余計なお願いをして申し訳なかったです。次の3人旅が楽しみです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 船 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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午前4時過ぎの三陸の夜明けです。前日のような快晴では無いのであまり期待できなさそうです。明るいのは「陸中弁天埼灯台」の辺りなので海上からの日の出ではないと思いました。
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ただ、海面の一部が赤く染まっているのが不思議ではありました。
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空は赤くなってきましたが、日の出は見えなさそうです。前日の日の出があまりに見事だったので期待しすぎていたかもしれません。
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沖合いに出ていく漁船を目で追ったりしますが、諦めて大浴場でくつろいできました。
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部屋に戻ると太陽が高い位置に昇っていたのでびっくりしました。海面が赤くなっていた延長線に太陽が上がったのだと分かりました。
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レンズを望遠に変えて沖合いの漁船を撮ってみます。
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先ほどまで曇っていた雲はどこかへ流れてしまったので今日も良い天気になりそうです。東京の友人に天気が今一つだとLINEすると「東京は雨です。」と帰ってきました。我が家が旅に出ると旅先は天気が良いけど、東京は天気が悪いと文句を言われます。どうも妻が移動するとその行き先が天気が良いと思われているようです。
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大きな貨物船が北に向かって流れていきます。名古屋から仙台へ向かう太平洋フェリーでも美しい夜明けを見ることが出来ました。もう1度同じ旅をしても良いと思うほどの絶景でした。
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さらに大きな船が北上していきます。後で画面を拡大して、この船が「さんふらわあ」のフェリーだと分かりました。そして商船三井のHPから運航日を確かめると「ふらの」でした。
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このフェリーとは苫小牧から仙台経由で名古屋へ戻る「いしかり」の船上から出航していくのを見送ったフェリーです。大洗港を前日の午後7時30分に出港して、この後午後1時30分に苫小牧に着きます。ここから7時間で北海道まで行けるわけです。
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朝食の時間まで1時間30分もあるので、1人で散歩に出掛けることにしました。お風呂にも入って荷造りも終わったので、することはありません。
三陸海岸 自然・景勝地
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防波堤から「ホテル羅賀荘」を眺めてみます。このホテルの3階まで津波が押し寄せたと考えると自然の恐ろしさを感じます。
ホテル羅賀荘 宿・ホテル
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南に続く海岸線が地中海に浮かぶマルタ島のように見えます。チュニジアのチュニスからフェリーで1晩かけて、島影が見えてきた時は感動しました。
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羅賀荘の近くの岸壁に朝日が当たってとてもきれいです。この岸壁を見ていたら少し遠くまで散歩したくなりました。
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羅賀港の北側にあるひらなめ海岸は「白亜紀化石産地」として知られています。化石の種類や個体数が共に多いため、ハイペ・コイコロベ化石産地とともに昭和41年の1966年3月に県の天然記念物に指定されました。
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LINEで少し遠くまで散歩する旨を連絡します。そして窓から手を振ってとお願いします。便利な世の中になったものです。
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「羅賀(らが)」という地名はもともとは(らんか)と呼ばれ、「羅(らん)」は坂を下る、「賀(か)」は海岸というアイヌ語の意味がありますが、港から階段を上がりましたが結構急な坂道でした。
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だいぶ上がった自動車道路には津波の到達地点を表す標識がありました。この標識は何度も見掛けました。
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高台に上がると遠くまで見渡すことが出来ました。
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「ひらなめ海岸」から「弁天崎」方面を眺めてみます。この辺りで恐竜の化石が発見されるようです。
ひらなめ海岸 自然・景勝地
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ぶらぶら歩いているうちに隣の「明石海岸」まで着いてしまいました。ここはきれいな砂浜が広がっています。
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昔キャンプして朝日を眺めたのはこんな海岸だったのですが、今回の旅ではその場所を特定することが出来ませんでした。
震災遺構 明戸海岸防潮堤 名所・史跡
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日本の海岸線の砂浜とは思えない美しさです。ギリシャの小島かトルコのエーゲ海沿いの海岸を思い出します。
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この海岸には「震災遺構 明戸海岸防潮堤」という破壊された防潮堤が残されているようです。自動車道を下って行けば見ることが出来そうですが、また昇ってこなければならないので諦めます。
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海岸にポツンと残されたような岩山にも美しい赤松が生えています。
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きれいに波が巻いています。地元の友人たちはみな波乗りをしているのでLINEで動画を撮って送ってあげました。
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朝ご飯を食べる時間ギリギリにホテルに戻れました。朝食は2階にある「はまぎく」という宴会場でした。羅賀荘も岩手県の県民割のせいで混んでいました。正規料金でツアーに参加している都民としては複雑な気分です。
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「たのはた牛乳」と「たのはたヨーグルト」にはリンゴジャムをたっぷり乗せていただきました。岩泉も美味しかったですがたのはたも美味しかったです。
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3日目は午前8時30分にホテルを出発です。奥にある売店で妻が久慈琥珀を買わないか心配です。バスはホテルの方々に見送られて海岸線を北に向かいます。かなり遠くまで手を振っているのが車窓から見えました。
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風情のある「机漁港」を通過します。
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その奥には「机浜番屋群」という施設があります。漁の拠点として作業場や漁具置き場、土間などの22棟の木造番屋があります。昭和8年の三陸大津波後に建て直され、地元の漁師が出漁の準備や養殖ワカメの出荷作業に使用されていました。漁村の原風景と評判となり、平成18年に「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」に選ばれましたが、平成23年の東日本大震災の大津波により流失してしまいます。現在は再建されていますが、新しさを感じてしまうのは否めません。
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ホテルを出て20分ほどで「北山崎展望台」に到着しました。ここでは30分ほどの自由時間なので第1展望台だけを見るように言われます。
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駐車場から5分ほど歩いた先に展望台がありました。朝のカスミは残っていますが、天気が良いので美しい姿を見せてくれています。
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海食洞がいくつも見えます。青い海と白波、岸壁と青い松の姿は絵になります。
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昨日はこの直下辺りまでクルーズ船で来たのだと分かります。しかし天気が良くてよかったです。
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55年前に来たときは普代行きのバスを待ちながら下を行く遊覧船に手を振ったことをよく覚えています。昭和らしく大音量の音楽をかけて通リ過ぎていきました。
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この時にマイク真木の「薔薇が咲いた」という曲を聴いた記憶が残っています。父の同僚の方がギターを弾いていたのだと思い込んでいましたが、持っていたラジオから流れていたのが正解のような気がします。
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初めて買ってもらったレコードはザ・フォーク・クルセーダーズの「帰ってきたヨッパライ」でしたが、いい曲だと思ったのはこの「薔薇が咲いた」でした。昭和41年のこの旅の頃にヒットした曲でした。
https://www.youtube.com/watch?v=64WB8_ulUuk -
同級生チームの記念写真を撮りましょう。
北山崎展望台 自然・景勝地
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添乗員さんが声を掛けてくださり、シャッターを押してくれました。最近のツアーの案内には添乗員やドライバーに写真撮影を頼まないようにと書かれてあります。
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普代行きのバスをここで待っていたにしてはロケーションが違うと感じ、家に帰って写真を確認したらもう少し北にある「黒崎灯台」近くの「国民宿舎くろさき荘」や「アンモ浦展望台」からの写真だと分かりました。グーグルのストリートビューってすごいと思いました。
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「北山崎展望台」には「北山崎ビジターセンター」がありました。午前9時からの営業だったので、バスに戻るころには開いていました。ここで絵葉書を買い求め、スタンプを押しました。さすがに絵葉書を描いている時間はありません。
北山崎ビジターセンター 名所・史跡
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55年前の旅では「久慈駅」から蒸気機関車に乗って「尻内駅」まで移動して、夜行列車で上野まで帰るのですが、今回のツアーは三陸海岸の海岸線とはこれでお別れです。
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長年もやもやしていた思いが払しょくされた旅になりました。
北山崎レストハウス グルメ・レストラン
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海岸線を離れたバスは「下閉伊(しもへい)グリーンロード」を通って「龍泉洞」に向かいます。
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集落も無い山が延々と続いている道路です。岩手県の山の深さを感じます。
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45分ほど山道を走って、午前10時に「龍泉洞」に到着しました。添乗員さんがチケットを買い求めている間に記念写真を撮っておきます。
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「龍泉洞」に沿って美しい清水川(しすがわ)が流れています。
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洞内から流れ出る清流も合わさって流れていきます。
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バスの中で書いた絵葉書を投函しました。これが最後かと思いましたが、盛岡駅からも1通投函できました。
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「龍泉洞」は50分の自由見学になります。写真を撮っていたら妻たちは先に入ってしまいました。
龍泉洞レストハウス 専門店
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入り口には「五郎兵衛石」が置かれてありました。方角と時刻を表していると言うこの石は、明治時代に岩泉村の三田地五郎兵衛が建立したものだそうです。五郎兵衛は龍泉洞の上にある「五郎兵衛穴」の発見者でもあります。
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売店もまだ開いていない時間ですから、我々以外にお客さんの姿もありません。そして皆さん先に入られています。
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入った途端に轟轟と音を立てて水が表に流れ出ていきます。「龍泉洞」に来るのは初めてなのでワクワクします。
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「龍泉洞」は岩泉町のシンボルである宇霊羅山(うれいら)、アイヌ語で「霧のかかる山」の麓にあり、日本三大鍾乳洞の1つとされます。洞内は現在確認されただけでも3,600メートルに達し、その奥から湧き出る湧水が深い地底湖を形成しています。
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洞窟一体は石灰岩地帯となっているため、カルシウムをはじめとする天然ミネラル分を含んだ湧水となって各地に湧き出しています。「名水百選」にも選ばれ、「一口飲むと3年長生きする」といわれるそうです。「龍泉洞の水」として販売もされていました。
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誰もいない洞内を歩いているとちょっと心細くなります。延々と続く道の先にも人の気配はありません。ギザのクフ王のピラミッドの大回廊のような圧迫感を感じますが、こちらの方が涼しくて気持ちよ。ここは「百間廊下」と呼ばれ、龍が通ってこの細長い道ができたという逸話もあるそうです。
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こんなに深く澄んだ水をたたえた鍾乳洞を見るのは初めてです。ここで湧き出した水は表の清水川(しすがわ)の下を通って、対岸の龍泉新洞へ注いでいるようです。
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日本の鍾乳洞は東京の日原鍾乳洞と山口の秋芳洞、石垣島の鍾乳洞くらいしか見た記憶がありませんが、中国では桂林にある数々の鍾乳洞と石林郊外の九郷鍾乳洞、張家界の黄龍洞など凄い規模の鍾乳洞を見学しています。堂内を何時間も歩くのは当たり前で、地底湖をボートで進んだり、巨大な地底の滝のありました。
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鍾乳洞アルアルの岩の形を何かに見立てる者は龍泉洞にもありました。ここは「龍宮の門」という場所です。特に何をどう見立てているのかは書かれてないのでよく分かりません。
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「亀岩」は姿が似ているので分かりました。そういえばベトナムのハロン湾のスンソット鍾乳洞にも亀岩があったことを思い出しました。
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ようやくツアーの方に追いつきました。「龍泉洞」はブルーにライトアップが多かったです。以前の日本の鍾乳洞は蛍光灯や白色灯など明るさだけでライトアップしていましたが、最近はLEDの発達もあるのでカラフルになってきました。これがアジアの国の鍾乳洞に行くとその極彩色のライティングにびっくりします。
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「洞窟ビーナス」には額縁が添えられています。なるほど横から見たミロのビーナスに見えなくもありません。でも、昭和の時代の秘宝館の臭いを感じてしまいます。
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「音なしの滝」は岩肌を伝わる湧水を滝に見立てのでしょう。
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「地蔵岩」はお地蔵様に似た姿の石筍です。赤い帽子を被せて涎掛けをつければどんな石筍でもお地蔵様に見えてしまいそうですが。無事に地上に出られるように手を合わせておきます。
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又誰もいない回廊を1人で歩きます。いい加減ゆっくり歩いているはずの妻たちに追いつきそうなものです。
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「月宮殿」これは看板が掲げられても宮殿には見えません。洞内の鍾乳石が月の世界を思わせるということらしいです。
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このブルーのライトアップは雰囲気があってよいと思います。歩きながら写真を撮っていますが、ブレずに撮れていました。
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上を見上げると針のような鍾乳石が見えます。天然記念物の蝙蝠も見たかったのですが、どこにもいないようです。龍泉洞の中にはウサギコウモリをはじめとした5種類のコウモリが生息しているそうです。
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「第一地底湖」に着きました。「龍泉洞」は昔から大量の水が湧く底知れない洞窟として知られていたそうですが、湧き出す水のためになかなか中には入れなかったようです。
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龍泉洞探検は1920年代から始まり、やがて小舟を浮かべての観光も行われるようになりました。1959年にこの地底湖の上の崖からゴムボートを降ろして、第一地底湖の調査が行われました。水深は35メートルもあるそうです。水中に降ろされた照明が幻想的な光景を見せてくれます。
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「第二地底湖」は水深38メートルもあるそうです。この地底湖は1962年の潜水調査で発見されました。龍泉洞の地底湖の水は北に広がる森林地帯から集まったものだとわかっていて、水の集まる最も遠い地点は直線距離で14キロも離れていているそうです。
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じっと眺めていると吸い込まれそうになって恐ろしくなってきます。表に比べると気温も低いのでそう感じるのかもしれません。
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上から明かりが漏れているので、どこかであの高さまで登るのだろうと想像できます。
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「第三地底湖」はさらに深い水深98メートルになっています。この第三地底湖は1967年の潜水調査で発見されました。現在はここが観光コースの最終地点になっています。ここでもコロナ禍の影響があるようです。
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「第三地底湖」から先に進むにはこの階段を登らなければなりません。進みたくない方もこの階段の途中までは登らなければなりません。一番下には表示がありませんが、階段の踊り場に「出口」と書いてあります。実際の洞内は暗いので看板は見にくいです。
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これくらい昇らないと出口に行けないので、足の悪い方はかなり困難です。同じツアーの方数名と妻は出口が分からず入り口に戻って行ったようです。
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階段の途中から見た第三地底湖です。ここより下に100メートル近い穴が開いているわけです。
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洞内の温度は12.2℃で湿度は99パーセントのようです。足元は濡れていますが湿度がそこまで高い感じはしませんでした。一番高い場所は「三原峠」という名前で、35メートル上ったことになります。実際はもっとあるような気がします。
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階段はどこまでも続いて行くようです。今までいろいろな鍾乳洞に入りましたが、こんなに高低差のある場所は初めてです。
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全部のルートを歩いた人は同じツアーの方にはいなかったと思います。一度上がった分をもう一度下って、第一地底湖のレベルをもう一度歩くことになります。
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「守り獅子」とある鍾乳石は足元に見えるのが耳でしょうか?まさか本体に看板をビス止めしないと思いますが。立体になっていないので分かりにくいです。
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1周してもう1度階段を登って出口に到着しました。他の方はもう出てしまった後だと思います。
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トワイライトゾーンへの入り口みたいな通路が延々と続きます。
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ここが現在の出口です。入り口から山の中を数百メートル進んだのが分かりました。ここからは清水川(しすがわ)沿いをしばらく歩いて入り口に戻ります。
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妻は売店にあった「岩泉ヨーグルト」の1リットル入りパックを買っていました。11時前に駐車場に戻って、今回のツアーの観光地の見学は全て終わりました。ここからは盛岡駅に向かって山の中を走り抜けます。
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1時間ほど走った先に「三田貝分校」という名前の道の駅があります。ここでトイレ休憩と最後のお買い物です。元々はこの名前の小学校があったそうですが、廃校になった跡地を道の駅にしたそうです。
道の駅 三田貝分校 道の駅
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小学校の雰囲気が残された建物は郷愁を誘います。子供の頃に観た森永チョコべーのCMを思い出します。「君はチョコべーを見たか!」
https://www.youtube.com/watch?v=Ms02bFmJLe0 -
建物の中はお土産コーナーと別にイートインがあって、小学校の食器で食事が出来るようです。妻はアルマイトの食器と脱脂粉乳の世代だったので、その時代の話しをしているとジェネレーション・ギャップを感じてしまいます。
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道の駅で「岩泉ヨーグルト」を追加で購入してもう思い残すことはありません。ここへ来る途中も廃線になったJR岩泉線の線路の跡を見ましたが、小本川沿いには廃墟になった酪農農家の建物も見掛けました。
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打ち捨てられたサイロや牛舎が道路脇にたくさん見られました。この辺りは短角牛の飼育や乳牛が盛んなのだと思っていたのですが。
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しばらく走ると「岩洞湖」のダムが見えてきました。北上川上流の丹藤川に巨大な貯水池を有する灌漑用ダムが計画され昭和35年の1960年に完成したそうです。ダムの型式はロックフィルダムですが、中心部の水を遮断するコアが傾斜している「傾斜土質遮水壁型ロックフィルダム」という型式だそうです。
岩洞ダム 名所・史跡
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日本一美しい人造湖といわれている「岩洞湖」は周囲の総延長約40キロもあるそうです。冬の氷上ワカサギ釣りが有名だそうです。
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湖畔には白樺林が美しい姿を見せています。
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延々と続く美しい湖は、秋の紅葉時期がさらに美しいようです。
岩洞湖 自然・景勝地
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いわいずみ短角牛のルーツは藩政時代に南部藩で飼われていた「南部牛」だそうです。南部牛は主に三陸沿岸の海産物や塩、鉄などを内陸に運び、内陸からお米やお酒、生活物資を運ぶ荷役牛だったようです。明治時代になると産業構造の変化や流通網の発達から荷役牛の役割は減少し、都市部では食生活の変化から肉用に牛が育てられるようになります。俗に「赤ベコと呼ばれる牛ですね。」
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湖の終わりは美しい湿地帯に変わっていきます。
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「外山ダム」を越えると盛岡市内までラストスパートです。巨大なダムですが昭和16年という戦前に建設されたもののようです。
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盛岡市内に入ると北側に「岩手山」がきれいに見えました。駅に向かう「旭橋」の上からが特に美しかったです。
北上川 自然・景勝地
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バスは3日間の移動を終えて、盛岡駅でドライバーさんともお別れです。タケヤ交通のバスは新しく、ドライバーさんも親切でとても良かったです。
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荷物を持って全員で新幹線の改札前に集合します。ここで再集合の時間を確認して1時間の自由時間になります。
盛岡駅 駅
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急いでロータリーを渡った先のビルに向かいます。
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目的はビルの2階にある「盛楼閣」という焼肉屋さんです。
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妻たちはさっさと店に入ってしまいました。お店はお昼時で混んでいたので、50分ほどしか時間が無い旨を伝えて料理を注文しました。
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3日間お疲れさまでした。鹿児島と宮崎の旅に続き楽しい旅行になりました。生ビールで乾杯です。
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焼き物はロースとカルビと牛タンにしました。たぶんこれ以上は食べている時間は無いでしょう。
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それぞれ1人前ですが量も多くて十分でした。
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このタンは肉厚で美味しかったです。
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時間が無いのでちょっと急いで焼きだします。もう30分あったらゆっくりいただけたのですが。
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大好きな焼肉を前にご満悦のようです。今回の旅で一番の笑顔です。
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焼いている途中で冷麺も届きました。本当は焼肉を食べ終えてからが良かったのですが時間が気になっています。
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こちらは大盛りにしてもらいました。辛さは初めて来たので分からないのでキムチを別盛にしてもらい調整します。ようやく本場盛岡の冷麺を食べることが出来ました。
そういえば神戸の長田の「元祖 平壌冷麺屋」にも妻と一緒に行っていることを思い出しました。 -
大満足のお昼でした。短い時間でしたが何とか目的が達成されました。お昼を御馳走したので最後にキャリーバックを運んでもらいましょう。
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お土産物屋で妻の友人と買い物をしていたら急に妻の姿が見えなくなりました。2人で心配しているとひょっこり戻ってきて「久慈琥珀の店に行ってた。」冷凍の「瓶丼」を翌日の晩御飯用に買って、最後の絵葉書を投函して盛岡のミッションは終わりです。
盛岡駅ビル フェザン ショッピングモール
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掲示板を見ていると秋田新幹線と分岐していることを感じます。さらにここから北に向かうと青函トンネルを越えて新函館北斗駅まで行けるのだと思います。昨年の12月に函館から北に向かうバスから寒々しい風景の中に新函館北斗駅を見たことを思い出します。
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帰りの新幹線は「やまびこ372号」ですので、各駅停車なので時間はかかります。
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新幹線の中で檸檬堂を酌み交わしながら東京を目指します。東京駅まで戻ると帰宅ラッシュに丸の内線に乗ることになるので、大宮駅で途中下車して埼京線で帰ることにしました。帰宅した数日後にトラピックス社から5月上旬の知床7日間のツアーが催行中止になった連絡がありました。昨年欠航になってしまった知床クルーズは又お預けになりました。縁が無いのかと思った翌日に事故の一報がありました。
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