2022/04/18 - 2022/04/18
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kojikojiさん
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「浄土ヶ浜」で55年前の記憶が鮮明になり、続いての「北山崎断崖クルーズ」に向かいます。ここも5歳の時に旅した場所で、あまりの景色の壮大さに60歳になってもその時の記憶は鮮明に残っています。特に「さっぱ船」をチャーターして3人の漁師さんと6人でのクルーズは天気の良さと断崖に開いた穴の中を通過するスリルは忘れることが出来ません。そして船頭さんにいただいた大人の拳大のサンゴは何よりのお土産になりました。しばらくは手元に置いていたのですが、金魚の水槽に入れてしまいました。数日の家族旅行から帰ってくるとサンゴは無残にも水に溶けてしまい、金魚も死んでしまっていました。その時の悲しさも60歳になってもよく覚えてきます。そんなことを考えながら到着した島越の港は姿が変わってしまっていました。昔は小さな漁港で小さな「さっぱ船」しかありませんでしたが、北海道の沖辺りまで行けそうな中型の船ばかりでした。もちろん防波堤も新しく変わっていました。乗り込んだ「SUN RIKU MARU」の後方のデッキに座ると船員の方が反対側に座った方がいいよと教えてくれます。大型の船なので岩に開いた穴の下をくぐることは無いだろうと思います。北に向かうので進行方向左側に座った方が眺めがよいので妻たちも呼びました。妻は1人だけだったら船室に入ったと思いますが、友人が一緒だとそうもいきません。友人はウミネコに餌をやりたくて仕方なさそうです。船では「ウミネコパン」が100円で売っていて、出港前から買い求めています。出港した途端にウミネコが押し寄せてきてちぎったパンを上手いこと咥えていきます。しばらくは餌やりと動画を獲ったりして遊んでいました。50分のクルーズで北山崎の景勝地を巡りますが、ここでも昔の記憶と目の前の景色が繋がっていきます。昨年リタイアしたこともあり、自分の人生を振り返ってしまう年齢になりました。バスに戻る前に船会社の建物に入ると絵葉書が売っていました。これで両親へ旅の報告が出来るので一安心です。クルーズ中も船から見えた「ホテル羅賀荘」にはすぐに着きました。このホテルも東日本大震災時は3階辺りまで津波が押し寄せたそうです。2泊目も6階の部屋なので津波の心配は無さそうです。部屋からは北山崎の断崖や小さな島と三陸の海が広がっています。今回のホテルはどこも眺めが良くて楽しいです。しばらく部屋でお酒を飲んで、午後6時から夕食になりました。特に三陸の凄い料理というわけではありませんがどれも美味しかったです。このホテルは温泉ではありませんが、大浴場からの眺めも良く、ゆっくり過ごすことが出来ました。妻は今回リトアニアのビリニュスで買った琥珀のネックレスをしてきましたが、危なく売店で「久慈琥珀」を買うことになりそうでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 船 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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「浄土ヶ浜」の観光を終えて午後1時50分にバスは宮古市内の方向に戻ります。
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子供の頃には「リアス式海岸」と教わりましたが、2008年以降は「リアス海岸」と呼ばれるようになったと添乗員さんが教えてくれました。リアスという名称はスペイン北西部のガリシア地方で多く見られる入り江に由来しますが、ガリシアに漂着したサンチアゴ(聖ヤコブ)がどのように漂着したのかが気になります。
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「ラサの煙突」が見えてきました。確かに宮古市のシンボルで、市街の南側にある小山田地区の「煙突山」の山上にそびえ立っています。日本第2位の高さを誇るコンクリート製の大煙突は90メートルの山の上に建つので250メートルの高さに見えます。直径は最大で10メートルあり、先端でも5メートルだそうです。
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銅鉱石を精錬するラサ工業宮古精錬所が操業を始めると、最盛期には構内に4,000人もの人々が働く一大産業となって宮古の経済に多大な波及効果をもたらしたそうです。就業の目安に「ポー」っとサイレンを鳴らしていたなんて話を知ると、大友克洋の「MEMORIES」の中の「大砲の町」を連想してしまいます。
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小本港にそそぐ小本川の6連の防波堤が見えました。東日本大震災では水門や防潮堤を乗り越えて津波が襲来し、家屋177棟が全壊して漁業関連でも船舶292隻中266隻が被災したそうです。
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「田野畑駅」が見えてくると「北山崎断崖クルーズ」の乗り場である島越の港もすぐです。「田野畑駅」の愛称は「カンパネルラ」で、宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」に登場する人物に由来しています。またNHK連ドラの「あまちゃん」では「畑野駅」として登場しています。
田野畑駅 駅
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太平洋側は積雪は少ないのだと勝手に思い込んでいましたが除雪型モーターカーと作業用車が見えました。
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平井賀川の水門の横を通過しました。この水門の建物は三陸鉄道の車両のデザインになっています。これは東日本大震災の前からで、被災した水門の姿をニュースで見た記憶があります。岩手県では津波を防ごうと防潮堤の水門操作に駆け付けた消防団員の48名の犠牲者が出ています。このため計画中を含む水門や門扉約520基のうち4割程度をJアラートに連動した自動閉鎖式にしているそうです。
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島越漁港に着きました。ここから50分の「北山崎断崖クルーズ」なので、まずはトイレに行きます。遊覧船のシーズンはまだのようですが、宿泊するホテルの経営なので貸し切りでの運行です。本当は4月29日からの営業開始のようでした。
北山崎断崖クルーズ観光船 乗り物
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最初に乗船して後方のデッキに座りましたが、船員の方が「反対側の方が眺めがいいですよ。」と教えてくれたので移動します。遅れてきた妻たちと並んで席を取りました。
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ここは55年前の旅でも「さっぱ船」と呼ばれる漁船をチャーターしてクルーズした場所です。カンカン照りの7月下旬の暑い日に防波堤から見下ろした漁船を見てびっくりした記憶があります。
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カジキの伝統漁法の「突きん棒漁」の船が停泊していました。昨年釧路漁港でたくさん停泊しているのを見ました。宮城県の歌津町から来ている船団でした。このタイプの船は国が変わっても同じデザインのようで、イタリアのシチリア島の港でもよく見掛けます。
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船の舳先に高々と旗を掲げるためにも漁師の方は「笹を立てる」といって先端に葉枝のついた竹竿を立てます。「笹を立てる」といいますが華奢な笹ではなく、風が吹いても倒れないたくましい竹を立てます。竹には松竹梅のめでたい意味があり、曲がることなく真っ直ぐ伸びることも縁起が良いとされています。
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出港前からこの人たちは「ウミネコパン」を買ってスタンバイしていました。
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港から出ると途端にウミネコが集まってきます。
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しばらくは2人の付き合いをして、写真を撮ったり動画を撮ったり。
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さすがに手に持ったパンを食べさせるのは怖いみたいです。
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手に持ったパンを見せるとホバリングしてこっちを見ています。
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こうやってパンをあげないと面白くありません。
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ウミネコのバックにはこの日に泊まる「ホテル羅賀荘」が見えます。
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妻たちもパンを投げるのが上手くなってきたので面白い写真が撮れます。
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吊られてなのか同じツアーの方々もパンをやり始めました。
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ちゃんと投げたパンに視線が合っています。
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パンを投げ終わってもずっと後をついてきます。
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パンも投げ終わってしばらくは落ち着いた時間になりました。
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ツアー2泊目の「ホテル羅賀荘」は東日本大震災時に被害を受けたそうで、下から1/3の3階辺りまで津波が来たそうです。
三陸海岸の小さな港に建つホテル。町から離れていて雰囲気も良く、太平洋の眺めは絶景。 by kojikojiさんホテル羅賀荘 宿・ホテル
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南側には重茂半島のトドヶ崎辺りが見えました。この辺りにはトドケ埼灯台があり、木下恵介監督の「喜びも悲しみも幾歳月」という映画はこの灯台守の妻の手記が元になっています。3月に行った禄剛埼灯台の案内人の方も言っていたように、現在日本にある灯台は全て無人で、灯台守はいないそうです。
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高台に「ロレオール田野畑」という有名なフレンチレストランが見えました。宿泊するホテルからそう遠くも無かったので、タクシーを飛ばしてここで晩御飯を食べても良かったと思いました。当日そう思っても2日目の予約が必要なので無理な話でした。
戊辰の役石浜古戦場 名所・史跡
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「浄土ヶ浜」の奇岩も素晴らしかったですが、やはり三陸海岸と言えば北山崎に向けての8キロにわたる海岸線だと思います。
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「弁天崎」に差し掛かると波が大きくなってきます。岸壁の下には小さな赤い鳥居が見えました。ここには弁天様が祀られているとのことです。
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弁財天は水に関連している女神なので水に囲まれた場所で多く祀られています。その中でも、滋賀県にある竹生島と広島県にある厳島、神奈川県にある江の島が「日本三弁天」と呼ばれます。
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「弁天崎」の岸壁の上には枝振りの見事な松が生えています。岩肌に群生するのは南部赤松で、岩手県の木に指定されています。
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「弁天崎」を回り込むと進行方向に「ローソク岩」が見えてきました。
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「矢越岬」には海食洞が見えます。この光景を見るために今回の旅に来たようなものです。
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横にそびえる岩は名前の通りローソクのような形をしています。
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小型の「さっぱ船」であれば海食洞の通り抜けが出来るのですが、この日の大型船では通れないのは最初から分かっていました。
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5歳の幼児にとってこの海食洞はそれまでの人生には無かった感動と共に自然の驚異を知るには十分な経験でした。見上げた岩の高さは今でも鮮明に覚えています。
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我々の乗った「SUN RIKU MARU」は「矢越岬」を大きく回って通過しました。
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この光景で思い出すのは「さっぱ線」の船頭さんたちに可愛がってもらったことです。その当時にこんな子供がキャンプしながら旅をすることは珍しかったのもあると思います。
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網にかかったこぶし大の真っ白なサンゴをお土産にいただきましたが、それが嬉しくて仕方ありませんでした。大切に家に持ち帰り、しばらくは手元に置いていたのですが、その当時買ってもらった大きな水槽に金魚と一緒に入れてしまいました。家族で数日の旅行から帰ってくるとサンゴは真水に溶けてしまい、無残な姿になり金魚も死んでしまっていました。その時の悲しかったこともよく覚えています。
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「ミノシタ断崖」は海のアルプスと呼ばれる高さ200メートルの断崖です。
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この場所で父が撮った写真が残っていますが、同じように太陽が写り込んで逆光になっていたのが面白かったです。親子で同じような失敗をしているわけです。
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クルーズ船は「北山崎展望台」の下あたりまで進んで、Uターンして鳥越の港に戻ります。昔は普代まで行ったのだと思うのですが、当時は観光の船ではなくて漁船をチャーターしたのかもしれません。
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宮沢賢治の詩集の「春と修羅」第2集 に「発動機船」と題した詩があります。賢治は大正14年の1925年1月に盛岡から八戸を経由した海岸線の旅で田野畑村羅賀の港から発動機船に乗船して、山田から釜石方面に向かっていったといわれています。
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「発動機船」は賢治が当時の旅程で目にしたもの感じ取ったものを書きつづった詩とされ、その詩を紹介する碑が平井賀海岸と旧島越駅跡と田野畑駅の3ヵ所にあるそうです。
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同じルートを戻りますが、進行方向が逆なので違った景色に見えます。
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海面に頭を出した岩礁も完全に波に隠れてしまうのですごい迫力を感じます。
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明治維新の幕府軍と新政府軍との戦いも終わりに近づいたころ 秋田藩の軍艦「高雄」は函館で幕府榎本軍に捕えられ、榎本軍は新選組副長土方歳三を斬り込み隊長にして宮古港に集結していた新政府軍の新鋭艦「甲鉄」を分捕る作戦を企てます。
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その作戦に「高雄」も参加しましたが作戦は失敗し、東郷平八郎が砲術長として乗り組んでいた新政府軍艦「春日」に砲撃されます。逃げる途中に船足が遅いため船をこの近くのイシ浜に座礁させ、艦長古川節蔵ら乗組員は上陸し、後に南部藩に投降しています。
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夕方になって波が強くなってきました。白波がすごい音を立てて砕け散ります。
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「弁天崎」も波をかぶりそうです。
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東からの風と高さ2メートルくらいの波が押し寄せてきます。
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断崖の上に「陸中弁天埼灯台」が見えました。この灯台は昭和41年に初点しているので旅をしたのと同じ年でした。
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早くホテルに行って大浴場でゆっくりしたい気分になってきました。
三陸海岸の小さな港に建つホテル。町から離れていて雰囲気も良く、太平洋の眺めは絶景。 by kojikojiさんホテル羅賀荘 宿・ホテル
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最後は2階のデッキに上がってウミネコの写真を撮って遊んでいました。
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港が近くなってくるとパン目当てに寄って来るのが分かります。
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思い返せば佐渡島へ行く「おけさ丸」の船上でカモメを撮り、太平洋フェリーの「きそ」と「いしかり」と「北上」の船上でもカモメを撮りましたが、ウミネコの方がうまく撮れるような気がします。
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高校生の頃にリチャード・バックの「カモメのジョナサン」を読んで、映画も観ましたが、田野畑のウミネコは「瞬間移動」をマスターしていないようです。2014年に第4章を加えた完全版が出版されているようですが、時間があったら読んでみようと思います。
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平井賀川の水門と防波堤は凄い迫力です。映画「ロード・オブ・ザ・リング」に出て来る冥王サウロンによってモルドールに築かれた大要塞の城壁のようです。
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ウミネコと遊ぶのもこれで終わりです。
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「ハイペ・コイコロベ」と呼ばれる小さな入り江の辺りには、陸上で恐竜が繁栄していた約1億1,000万年前の浅い海で溜まった地層 が分布しています。産出する化石の種類や個体数が豊富で、地質学的にも貴重な場所であることから昭和41年の1966年に県の天然記念物に指定されています。ハイペ海岸の北側では宮古層群の地層が緩く東に傾斜し、陸側へ視線を向ける途中で、ゴツゴツし急傾斜した地層に変化しています。これは宮古層群より古い時代に海洋プレートに乗って運ばれてきたチャートや砂岩や泥岩などの海底の堆積物です。
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そろそろ鳥越漁港に到着のようです。ウミネコの姿もいつの間にか消えてしまいました。もうパンがもらえないのを知っているのですね。
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小型巻き網漁船でしょうか。よく見るといろいろな種類の漁船が停泊しています。
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「SUN RIKU MARU」と記念写真を撮ろうとしましたが妻たちはさっさとバスに向かってしまいました。
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乗車券売り場の建物に入ると絵葉書が売っていたので買い求めました。「SUN RIKU MARU」の雄姿も入っていたので何よりです。これで両親宛に絵葉書が出せます。父に三陸の日の出の太陽がまるでなかった文句も言わなければなりません。
北山崎断崖クルーズ観光船 乗り物
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鳥越の港からホテルまでは10分もかからない移動です。
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先ほど海上から見えた「ホテル羅賀荘」に到着しました。「羅賀(らが)」とはこの辺の地名で、もともとは(らんか)と呼ばれていたそうです。「羅(らん)」は坂を下る、「賀(か)」は海岸という意味があるそうです。アイヌ民族がこの小さな岸辺に集落(コタン)を形成していた頃にその名を付けたと言われるそうです。
三陸海岸の小さな港に建つホテル。町から離れていて雰囲気も良く、太平洋の眺めは絶景。 by kojikojiさんホテル羅賀荘 宿・ホテル
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東北の地名にはアイヌ由来のものが多くあり、午前中に三陸鉄道に乗った「鵜住居(うのすまい)駅」も鵜が住む場所から来てるアイヌ語の「ウシ・オマ・イ」が語源だそうです。
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部屋は6階の海に面した和室でした。たぶん客室は全部海側なのだと思います。まだ午後4時なので晩御飯までは時間があります。お風呂に入ってしまうと食事の後にすることも無くなってしまうので、部屋でゆっくりすることにしました。
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昨日買った氷の残りもあったので冷たい缶チューハイで乾杯します。このところコカ・コーラの檸檬堂がお気に入りで、旅行中はこればかり飲んでいます。LINEで友人に送っていたら、友達も旅行に出掛かると同じような写真を送ってくるようになりました。
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窓を開けると潮騒の音が聞こえてきて癒されます。暑くも無く寒くも無く気持ちの良い風が流れ込んできます。
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部屋にはユニットバスがありますが、大浴場があるので使いませんでした。ただユニットの洗面台なので狭くて使いにくかったです。
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部屋からの眺めは先ほどの「北山崎断崖クルーズ」とあまり変わらないです。先ほどあの岩礁の先を進んだのだと思うと感慨深いものがあります。
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美しい海岸線の景色を眺めながらお酒を飲めるのは最高の贅沢です。
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午後6時になったので5階の「シャクナゲ」という宴会場に向かいます。今日は「北山崎の断崖クルーズ」で海からの絶景を楽しみましたが、翌日は展望台から絶景を眺めることが出来ます。今回のツアーを選んだ理由の1つにこの両方の北山崎を眺めることがありました。
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夕食前に1階の売店に行きました。妻は今回リトアニアのビリニュスで買った琥珀のネックレスをしてきていました。理由が分からなかったのですが、北山崎の北にある久慈は琥珀で有名で「久慈琥珀」と呼ばれるそうです。話の流れで危なく琥珀を買う羽目になりそうでしたが、思っていたようなものが無かったので助かりました。
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まずはビールで乾杯です。途中からは地酒の冷酒に変わります。
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ここでも昨日と同じような懐石料理のメニューです。
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お刺身はマグロと鯛とサーモンと帆立と甘えびの5点盛りです。特に説明も無いのでどこが産地とかは分かりません。
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海鮮のたくさん入った鍋は熱々でいただけます。
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コンロではバターを乗せたムール貝と帆立とエビがスタンバイしています。
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久し振りにナマコ酢をいただきましたが美味しかったです。どれも地元の食材だと思っていただいています。
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メカブは間違いなくこの辺りの食材ですね。
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このホヤも新鮮で美味しかったです。最初は地味に見えた料理ですが、どれも美味しくてよかったです。
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げそのワサビ漬けと白身魚の西京味噌漬けもご飯が進みます。
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岩手産の豚のマリネもさっぱりして美味しかったです。特にタマネギのマリネが和食ばかりの連続から味変になります。
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明日行く龍泉洞の名を冠した「八重桜」もすっきりとして美味しかったです。宮城県と岩手県にまで来て桜を楽しめた旅でした。
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お酒が終わりかけた頃を見計らっていちご煮が出てきました。いちご煮は太平洋沿岸に伝わる郷土料理で、ウニとアワビの吸い物という高級食材ばかりを使った贅沢な料理です。椀に盛り付けたとき、アワビなどのエキスによって乳白色に濁った汁に浮かぶ黄金色のウニがまるで、朝露にかすむ野いちごのように見えたことから付けられたと言われます。
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〆のご飯は鮭ご飯に後乗せでイクラをたっぷり。これに茶碗蒸しもついています。
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最後に銀河鉄道のイラストの描かれた「たのはたアイス」もいただきました。濃厚で美味しいバニラアイスでした。この近くには岩泉町もあるので酪農で有名な場所です。お腹がいっぱいになった後は大浴場でくつろいで、部屋に戻ってからはまた宴会です。
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