出雲市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
いろいろな方の親切に触れた足立美術館を後にしてバスは出雲大社に向かいます。ここが今回のツアーの最終目的地になります。残念ながら出雲市内に入ると小雨が降ってきました。傘の用意はしてきましたが、阪急交通社の提携のお土産物屋さんが傘を貸してくれたのでそれをお借りしいました。折り畳み傘が濡れると帰りの空港でたたむのも面倒です。駐車場から添乗員さんの案内で手水舎から本殿を参拝します。拝殿の注連縄も大きかったですが、テレビで年末になると必ず映される神楽殿の巨大な注連縄は本当に大きいです。2礼4拍1礼の作法もなれないせいか4拍が上手い具合に手を打てませんでした。参拝は30分くらいで済んでしまい、雨が降っているので拝殿を周ることもしなかったので時間が余りました。添乗員さんに美味しい蕎麦屋を尋ねましたが、有名な店は参道の先にあるとのことなので諦めました。バスが駐車場に入る際に古い店構えの蕎麦屋があったのでそこに行ってみることにします。入り時に20分ほどしか時間が無いと伝えましたが、すぐに用意しますということで席に座りました。安来で寿司を食べたばかりですが、まあ何とかなるでしょう。妻は諦めて出雲ぜんざいにシフトしています。出雲そばもぜんざいもすぐに出てきたので急いでいただきます。量的には分け合ってちょうどよかったです。出雲まで来て蕎麦とぜんざいを食べないわけにはいかないのでミッション完了できて良かったです。出雲大社から空港までは40分ほどで着きました。帰りの航空券を添乗員さんから受け取ると右側の窓側の席でした。往路と同じ3人掛けかと思っていましたが、2-4-2の座席だったので隣が無くてよかったです。離陸してすぐは宍道湖が見えましたが、大山が見える前に雲に入ってしまい、その後は雲の上を飛ぶだけでした。空港で買った缶チューハイを飲んでほろ酔い気分で羽田まで戻りました。思ったよりもフライト時間は短くほぼ1時間ほどで到着してしまいました。あっという間の2泊3日の山陽から山陰にかけての旅でしたが、今まで行ったことのない場所が多くて充実していました。

トラピックス 山陽山陰周遊の旅(8)出雲大社を参拝して、八雲本店で出雲そばとぜんざいを楽しんで、出雲空港から東京へ戻る。

7いいね!

2022/01/23 - 2022/01/23

1220位(同エリア1977件中)

kojikoji

kojikojiさん

この旅行記スケジュールを元に

いろいろな方の親切に触れた足立美術館を後にしてバスは出雲大社に向かいます。ここが今回のツアーの最終目的地になります。残念ながら出雲市内に入ると小雨が降ってきました。傘の用意はしてきましたが、阪急交通社の提携のお土産物屋さんが傘を貸してくれたのでそれをお借りしいました。折り畳み傘が濡れると帰りの空港でたたむのも面倒です。駐車場から添乗員さんの案内で手水舎から本殿を参拝します。拝殿の注連縄も大きかったですが、テレビで年末になると必ず映される神楽殿の巨大な注連縄は本当に大きいです。2礼4拍1礼の作法もなれないせいか4拍が上手い具合に手を打てませんでした。参拝は30分くらいで済んでしまい、雨が降っているので拝殿を周ることもしなかったので時間が余りました。添乗員さんに美味しい蕎麦屋を尋ねましたが、有名な店は参道の先にあるとのことなので諦めました。バスが駐車場に入る際に古い店構えの蕎麦屋があったのでそこに行ってみることにします。入り時に20分ほどしか時間が無いと伝えましたが、すぐに用意しますということで席に座りました。安来で寿司を食べたばかりですが、まあ何とかなるでしょう。妻は諦めて出雲ぜんざいにシフトしています。出雲そばもぜんざいもすぐに出てきたので急いでいただきます。量的には分け合ってちょうどよかったです。出雲まで来て蕎麦とぜんざいを食べないわけにはいかないのでミッション完了できて良かったです。出雲大社から空港までは40分ほどで着きました。帰りの航空券を添乗員さんから受け取ると右側の窓側の席でした。往路と同じ3人掛けかと思っていましたが、2-4-2の座席だったので隣が無くてよかったです。離陸してすぐは宍道湖が見えましたが、大山が見える前に雲に入ってしまい、その後は雲の上を飛ぶだけでした。空港で買った缶チューハイを飲んでほろ酔い気分で羽田まで戻りました。思ったよりもフライト時間は短くほぼ1時間ほどで到着してしまいました。あっという間の2泊3日の山陽から山陰にかけての旅でしたが、今まで行ったことのない場所が多くて充実していました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
観光バス JALグループ 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社

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  • 足立美術館の見学を終えて、美味しいお寿司屋さんでお土産をいただいて、近くのお土産物屋さんでは保冷袋と保冷剤までいただいて出雲に向かいます。旅先で触れるちょっとした情けみたいなものはその旅を奥深くする気がします。

    足立美術館の見学を終えて、美味しいお寿司屋さんでお土産をいただいて、近くのお土産物屋さんでは保冷袋と保冷剤までいただいて出雲に向かいます。旅先で触れるちょっとした情けみたいなものはその旅を奥深くする気がします。

  • 足立美術館のある安来市から出雲大社まではバスで1時間ほどの移動です。出雲市の北側に広がる山々が見えてくると間もなく到着のようです。

    足立美術館のある安来市から出雲大社まではバスで1時間ほどの移動です。出雲市の北側に広がる山々が見えてくると間もなく到着のようです。

  • 出雲市を流れる堀川を越えました。

    出雲市を流れる堀川を越えました。

  • 出雲大社に到着するころには小雨が降ってきました。今回の旅で唯一傘が必要になります。バスは参道の奥の駐車場に停車するようです。

    出雲大社に到着するころには小雨が降ってきました。今回の旅で唯一傘が必要になります。バスは参道の奥の駐車場に停車するようです。

    出雲大社 寺・神社

  • 神門通りを通らないということは出雲そばを食べたり出雲ぜんざいも食べられないかもしれません。白く見える棒は日本一の高さを誇る国旗掲揚塔ですが、雨のために国旗は掲げられていませんでした。高さはいにしえの出雲大社の高さ48メートルから1メートル敬意を表した47メートルあるそうです。

    神門通りを通らないということは出雲そばを食べたり出雲ぜんざいも食べられないかもしれません。白く見える棒は日本一の高さを誇る国旗掲揚塔ですが、雨のために国旗は掲げられていませんでした。高さはいにしえの出雲大社の高さ48メートルから1メートル敬意を表した47メートルあるそうです。

  • 駐車場でバスを降りると旅行会社と提携のお土産物屋さんが傘を貸し出してくれました。旅行用の折り畳み傘を用意していましたが、帰りの空港で畳んだり面倒なので傘をお借りしました。添乗員さんの案内で参拝に向かいますが、ここでの滞在時間は1時間しかありません。大社(おおやしろ)の左側から境内に入るので「さざれ石」が出迎えてくれました。いろいろな神社に奉納されているので最近はあまり珍しく思いません。

    駐車場でバスを降りると旅行会社と提携のお土産物屋さんが傘を貸し出してくれました。旅行用の折り畳み傘を用意していましたが、帰りの空港で畳んだり面倒なので傘をお借りしました。添乗員さんの案内で参拝に向かいますが、ここでの滞在時間は1時間しかありません。大社(おおやしろ)の左側から境内に入るので「さざれ石」が出迎えてくれました。いろいろな神社に奉納されているので最近はあまり珍しく思いません。

  • 先ほどバスから見えた掲揚塔までやってきました。その高さ47メートルで、平安時代の本殿の高さは48メートルと伝えられていますが、壮大な本殿の大きさを感じるには分かりやすい目安になります。平素は掲げられている国旗の大きさは13.6メートル×9メートルで、畳に換算すると75畳分の大きさだそうです。巨大な国旗という物は感動を覚えるもので、クアラルンプールのムルデカ・スクエアで見たマレーシアの国旗やベトナムのフエのフラッグタワーの巨大な国旗がたなびく姿は壮観でした。この掲揚塔にたなびく日の丸を見てみたかったです。

    先ほどバスから見えた掲揚塔までやってきました。その高さ47メートルで、平安時代の本殿の高さは48メートルと伝えられていますが、壮大な本殿の大きさを感じるには分かりやすい目安になります。平素は掲げられている国旗の大きさは13.6メートル×9メートルで、畳に換算すると75畳分の大きさだそうです。巨大な国旗という物は感動を覚えるもので、クアラルンプールのムルデカ・スクエアで見たマレーシアの国旗やベトナムのフエのフラッグタワーの巨大な国旗がたなびく姿は壮観でした。この掲揚塔にたなびく日の丸を見てみたかったです。

  • さざれ石から「神楽殿」の前を横切って本殿の参拝からスタートのようです。遠目に巨大な注連縄が見えました。毎年年末になると必ずテレビのニュースで見る注連縄です。遠目に見ると建物の柱に比べて屋根の巨大さと注連縄の巨大さに驚きます。

    さざれ石から「神楽殿」の前を横切って本殿の参拝からスタートのようです。遠目に巨大な注連縄が見えました。毎年年末になると必ずテレビのニュースで見る注連縄です。遠目に見ると建物の柱に比べて屋根の巨大さと注連縄の巨大さに驚きます。

  • まずは「手水舎」で手を清めます。

    まずは「手水舎」で手を清めます。

  • コロナ禍になってから各地の神社の手水舎から柄杓が消え、何とも情けない姿になっているのが残念です。昨年はいろいろな神社に参拝しましたが、変わらないのは伊勢神宮の内宮の五十鈴川くらいでした。

    コロナ禍になってから各地の神社の手水舎から柄杓が消え、何とも情けない姿になっているのが残念です。昨年はいろいろな神社に参拝しましたが、変わらないのは伊勢神宮の内宮の五十鈴川くらいでした。

  • 「むすびの御神像」は「銅鳥居」の手前右手に置かれています。この「むすびの御神像」は昭和61年の1986年に寄進された像で「大国主神」の前に「幸魂(さきみたま)」と「奇魂(くしみたま)」とう「魂」が現れて、その「魂」を頂く時の場面を表現しているそうです。

    「むすびの御神像」は「銅鳥居」の手前右手に置かれています。この「むすびの御神像」は昭和61年の1986年に寄進された像で「大国主神」の前に「幸魂(さきみたま)」と「奇魂(くしみたま)」とう「魂」が現れて、その「魂」を頂く時の場面を表現しているそうです。

  • ある時、大国主神は海の彼方から光が飛んで来るのに遭遇し、その光が自身に宿る幸魂・奇魂であることに気づきます。「幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)」が、大国主神の前へ現れた結果、大国主神は「神」として尊敬される知識や教養を身につけて、最後には「ムスビの大神」という神なる場面です。

    ある時、大国主神は海の彼方から光が飛んで来るのに遭遇し、その光が自身に宿る幸魂・奇魂であることに気づきます。「幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)」が、大国主神の前へ現れた結果、大国主神は「神」として尊敬される知識や教養を身につけて、最後には「ムスビの大神」という神なる場面です。

  • この日の朝に鳥取砂丘の馬の背に1人立って日本海と対峙しましたが、幸魂・奇魂はやって来ませんでした。ただ今までの人生で大きな真珠や光輝く石はたくさん買ったなと思いました。そう考えるとこの波が妻のように見えてきました。

    この日の朝に鳥取砂丘の馬の背に1人立って日本海と対峙しましたが、幸魂・奇魂はやって来ませんでした。ただ今までの人生で大きな真珠や光輝く石はたくさん買ったなと思いました。そう考えるとこの波が妻のように見えてきました。

  • 大国主神は色々な女神との間に多くの子供をもうけたことから「縁結びの神様」と言われます。その数は古事記では180柱、日本書紀では181柱とされます。

    大国主神は色々な女神との間に多くの子供をもうけたことから「縁結びの神様」と言われます。その数は古事記では180柱、日本書紀では181柱とされます。

  • 大国主神を扱った話として「因幡の白兎の話」「根の国訪問の」「沼河比売への妻問いの話」が古事記に、「国造り」「国譲り」の神話が古事記と日本書紀に記載されています。高校生の時に古事記はかなり真剣に読み込んだのと、諸星大二郎という漫画化の「暗黒神話」という作品に感化されていろいろ学びましたがその多くは忘れています。

    大国主神を扱った話として「因幡の白兎の話」「根の国訪問の」「沼河比売への妻問いの話」が古事記に、「国造り」「国譲り」の神話が古事記と日本書紀に記載されています。高校生の時に古事記はかなり真剣に読み込んだのと、諸星大二郎という漫画化の「暗黒神話」という作品に感化されていろいろ学びましたがその多くは忘れています。

  • 「銅鳥居」は出雲大社の4本目の鳥居となることから「四の鳥居」とも呼ばれ、「銅製の鳥居」としては日本における最古の鳥居になります。以前の木造の鳥居は毛利輝元が天正8年の1580年に寄進し、寛文6年の1666年に当時の出雲を統治した長州藩2代目藩主の毛利綱広が現在の銅鳥居に造り替えています。銅鳥居は御本殿までの最後の鳥居ですので、くぐれば境内中心部へ入ることになります。

    「銅鳥居」は出雲大社の4本目の鳥居となることから「四の鳥居」とも呼ばれ、「銅製の鳥居」としては日本における最古の鳥居になります。以前の木造の鳥居は毛利輝元が天正8年の1580年に寄進し、寛文6年の1666年に当時の出雲を統治した長州藩2代目藩主の毛利綱広が現在の銅鳥居に造り替えています。銅鳥居は御本殿までの最後の鳥居ですので、くぐれば境内中心部へ入ることになります。

  • 鳥居には銘文があり「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と刻まれています。この銘文の意味は「素戔嗚尊(すさのおのみこと)こそが雲陽大社の神である」と訳され、この鳥居が奉納された当時の御祭神は大国主大神ではなく「スサノオノミコト」だったということになります。

    鳥居には銘文があり「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と刻まれています。この銘文の意味は「素戔嗚尊(すさのおのみこと)こそが雲陽大社の神である」と訳され、この鳥居が奉納された当時の御祭神は大国主大神ではなく「スサノオノミコト」だったということになります。

  • 昭和28年5月に荒垣(あらがき)内にあった古い拝殿と鑽火殿(さんかでん)と庁舎(ちょうのや)が失火のために焼亡してしまいます。6年後の昭和34年に総工費1億1千万円をかけ、戦後の本格的な木造建築として屈指の規模を誇る新拝殿が竣工したそうです。

    昭和28年5月に荒垣(あらがき)内にあった古い拝殿と鑽火殿(さんかでん)と庁舎(ちょうのや)が失火のために焼亡してしまいます。6年後の昭和34年に総工費1億1千万円をかけ、戦後の本格的な木造建築として屈指の規模を誇る新拝殿が竣工したそうです。

  • 生まれて初めて「2礼4拍手1礼」の作法に則って「拝殿」を参拝しました。出雲大社が特殊と言われるのは「5月14日の例祭(大祭礼)」の時には「2礼8拍手1礼」するそうです。このような8拍手を打つことを「八開手(やひらきで)」と呼び、5月14日だけに限らずに出雲大社の神職はすべて「八開手」を基本の所作としているそうです。

    生まれて初めて「2礼4拍手1礼」の作法に則って「拝殿」を参拝しました。出雲大社が特殊と言われるのは「5月14日の例祭(大祭礼)」の時には「2礼8拍手1礼」するそうです。このような8拍手を打つことを「八開手(やひらきで)」と呼び、5月14日だけに限らずに出雲大社の神職はすべて「八開手」を基本の所作としているそうです。

  • 「神楽殿」に比べると小さい注連縄ですが、それでもこの大きさです。今回の旅ではどこへ行っても観光客の姿は少なかったですが、出雲大社も参拝される方の姿はあまり見かけませんでした。

    「神楽殿」に比べると小さい注連縄ですが、それでもこの大きさです。今回の旅ではどこへ行っても観光客の姿は少なかったですが、出雲大社も参拝される方の姿はあまり見かけませんでした。

  • 収蔵庫の脇に3本束ねられた古代の本殿の柱が見えました。この柱がそびえた48メートルの高さに本殿があったのかと思うと脅威です。

    収蔵庫の脇に3本束ねられた古代の本殿の柱が見えました。この柱がそびえた48メートルの高さに本殿があったのかと思うと脅威です。

  • 拝殿に向かって右側に「東十九社」が見えます。反対の左側には「西十九社」があります。「十九社(じゅうくしゃ)」の名前の由来は東西の各十九社が「19枚の扉」がある社という意味です。出雲地方では例年11月から12月になると神在祭(かみありさい)が斎行されますが、日本全国の八百万の神々が大国主大神との間で「神議(かみばかり)」と呼ばれる会議をするために出雲大社に集まります。この神在祭の期間中に八百万の神々は、出雲大社境内の東西の端にあるこの十九社に宿泊されます。

    拝殿に向かって右側に「東十九社」が見えます。反対の左側には「西十九社」があります。「十九社(じゅうくしゃ)」の名前の由来は東西の各十九社が「19枚の扉」がある社という意味です。出雲地方では例年11月から12月になると神在祭(かみありさい)が斎行されますが、日本全国の八百万の神々が大国主大神との間で「神議(かみばかり)」と呼ばれる会議をするために出雲大社に集まります。この神在祭の期間中に八百万の神々は、出雲大社境内の東西の端にあるこの十九社に宿泊されます。

    出雲大社 末社 十九社本殿 名所・史跡

  • 出雲大社は少なくとも8世紀には大きな社が建てられていたといわれます。平安時代中頃に貴族の子供たちが教科書として用いた「口遊(くちずさみ)」には、「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」という当時の大型建造物を示す記述があり、出雲大社が最も大きく、次いで奈良の大仏殿、3番目に京都の大極殿の順であることを意味します。

    出雲大社は少なくとも8世紀には大きな社が建てられていたといわれます。平安時代中頃に貴族の子供たちが教科書として用いた「口遊(くちずさみ)」には、「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」という当時の大型建造物を示す記述があり、出雲大社が最も大きく、次いで奈良の大仏殿、3番目に京都の大極殿の順であることを意味します。

  • 社伝によれば出雲大社本殿の高さは、最古は32丈(約96メートル)あり、その後16丈(約48メートル)になり現在は約24メートルです。その本殿を支えた柱の位置に赤い石が嵌め込まれています。

    社伝によれば出雲大社本殿の高さは、最古は32丈(約96メートル)あり、その後16丈(約48メートル)になり現在は約24メートルです。その本殿を支えた柱の位置に赤い石が嵌め込まれています。

  • 「八足門(やつあしもん)」の内側には楼門と回廊が取り巻き、その内側に本殿があります。祭神である「大国主大神」は二重の門で守護されており、その奥に御鎮座されていることになります。一般の参拝者はこの八足門から奥に行くことは叶わず、門の前で「2礼4拍手1礼」の拝礼を行います。

    「八足門(やつあしもん)」の内側には楼門と回廊が取り巻き、その内側に本殿があります。祭神である「大国主大神」は二重の門で守護されており、その奥に御鎮座されていることになります。一般の参拝者はこの八足門から奥に行くことは叶わず、門の前で「2礼4拍手1礼」の拝礼を行います。

  • 「御守所」に立ち寄りましたが、欲しいと思えるような土鈴も無く、笹獅子もおもちゃっぽいので何も買わずじまいでちょっと残念でした。

    「御守所」に立ち寄りましたが、欲しいと思えるような土鈴も無く、笹獅子もおもちゃっぽいので何も買わずじまいでちょっと残念でした。

  • 添乗員さんに促されて本殿の左側に向かいます。本殿の正面は南を向いていますが、御神体は西を向いているからです。

    添乗員さんに促されて本殿の左側に向かいます。本殿の正面は南を向いていますが、御神体は西を向いているからです。

  • 出雲大社では西側が本来の正面に当たり、その西側に小さな遥拝所があります。

    出雲大社では西側が本来の正面に当たり、その西側に小さな遥拝所があります。

  • 普通に参拝に来ていたら知らないで南側から参拝しただけで帰るところでしたが、こういったときは添乗員さんのいるツアーでよかったと思います。

    普通に参拝に来ていたら知らないで南側から参拝しただけで帰るところでしたが、こういったときは添乗員さんのいるツアーでよかったと思います。

  • 出雲大社本殿は大社造と呼ばれ、伊勢神宮の神明造とともに神社建築の二大源流です。切妻妻入で9本の柱を田の字型に配し、中央には直径1メートルを超える心御柱が立ちます。正面と背面の中央には棟木まで伸びる宇豆柱(うずばしら)が立ち、戸口を中央に作れないため、東の間に御扉、木階(きざはし=階段)、階隠(はしかくし=階段上の傾斜した屋根)を設けています。

    出雲大社本殿は大社造と呼ばれ、伊勢神宮の神明造とともに神社建築の二大源流です。切妻妻入で9本の柱を田の字型に配し、中央には直径1メートルを超える心御柱が立ちます。正面と背面の中央には棟木まで伸びる宇豆柱(うずばしら)が立ち、戸口を中央に作れないため、東の間に御扉、木階(きざはし=階段)、階隠(はしかくし=階段上の傾斜した屋根)を設けています。

  • 屋根は檜皮葺になっています。一般的な自社では長さ76センチの檜の木の皮を12ミリずつずらして重ねて竹の釘で葺きますが、出雲大社の本殿は長さ121センチの皮を9ミリずつずらして葺いています。重なる部分が多くなるため、檜皮葺の厚さは20センチにもなります。また軒先の厚い部分は60センチから90センチもの厚さになっています。現在の本殿は延享元年の1744年の建立で、寛文造営時の規模を踏襲して3年半の歳月を要して完成ました。神社建築としては国内最大級で、昭和27年の1952年には国宝に指定されています。<br />

    屋根は檜皮葺になっています。一般的な自社では長さ76センチの檜の木の皮を12ミリずつずらして重ねて竹の釘で葺きますが、出雲大社の本殿は長さ121センチの皮を9ミリずつずらして葺いています。重なる部分が多くなるため、檜皮葺の厚さは20センチにもなります。また軒先の厚い部分は60センチから90センチもの厚さになっています。現在の本殿は延享元年の1744年の建立で、寛文造営時の規模を踏襲して3年半の歳月を要して完成ました。神社建築としては国内最大級で、昭和27年の1952年には国宝に指定されています。

  • 「神楽殿」まで戻ってきました。神楽殿は本来は千家國造家(出雲大社宮司家)の大広間として使用されており、「風調館(ふうちょうかん)」と呼ばれていました。現在では國造家大広間、並びに出雲大社と出雲大社教の神楽殿として御祈祷や結婚式をはじめ様々な祭事行事が執り行われています。大広間は270畳の広さがあり、神社建築にはめずらしく正面破風の装飾にステンドグラスが使われています。

    「神楽殿」まで戻ってきました。神楽殿は本来は千家國造家(出雲大社宮司家)の大広間として使用されており、「風調館(ふうちょうかん)」と呼ばれていました。現在では國造家大広間、並びに出雲大社と出雲大社教の神楽殿として御祈祷や結婚式をはじめ様々な祭事行事が執り行われています。大広間は270畳の広さがあり、神社建築にはめずらしく正面破風の装飾にステンドグラスが使われています。

    千家国造館 名所・史跡

  • 正面の大注連縄は長さ約13メートル重さ5.2トンにもなり、数年に一度新しい注連縄へと懸け替えられます。

    正面の大注連縄は長さ約13メートル重さ5.2トンにもなり、数年に一度新しい注連縄へと懸け替えられます。

  • こうやって比較するものが真下にあるとその大きさを感じることが出来ます。

    こうやって比較するものが真下にあるとその大きさを感じることが出来ます。

  • ちょっと離れただけで小さくなったように見えてしまいます。

    ちょっと離れただけで小さくなったように見えてしまいます。

  • これで添乗員さんとの出雲大社の参拝は終わりました。まだ30分ほど時間があるので近くに美味しい蕎麦屋があるか尋ねてみますが、有名な店は参道の通りにあるそうです。かなり離れているようなので諦めました。

    これで添乗員さんとの出雲大社の参拝は終わりました。まだ30分ほど時間があるので近くに美味しい蕎麦屋があるか尋ねてみますが、有名な店は参道の通りにあるそうです。かなり離れているようなので諦めました。

  • バスが駐車場に入る前に見えた「八雲本店」という出雲そばの店であれば20分くらいで食べられる感じがしたので扉を開けてみました。

    バスが駐車場に入る前に見えた「八雲本店」という出雲そばの店であれば20分くらいで食べられる感じがしたので扉を開けてみました。

    八雲 東店 グルメ・レストラン

  • 出てこられた店の方に尋ねると「大丈夫です。」ということだったのでテーブルに座りました。午後2時30分ということもあって店が空いていてなせる業です。急いで割子そばと出雲ぜんざいを注文しました。

    出てこられた店の方に尋ねると「大丈夫です。」ということだったのでテーブルに座りました。午後2時30分ということもあって店が空いていてなせる業です。急いで割子そばと出雲ぜんざいを注文しました。

  • すぐに3段に積み重ねられた割子蕎麦が出てきました。冷酒を飲みたいところですが時間が無いので諦めました。蕎麦湯が蕎麦猪口で出てくるのが面白いです。

    すぐに3段に積み重ねられた割子蕎麦が出てきました。冷酒を飲みたいところですが時間が無いので諦めました。蕎麦湯が蕎麦猪口で出てくるのが面白いです。

  • 割子そばの食べ方はだしの徳利から直接蕎麦にだしをかけまわします。1皿が食べ終わったらそのだしを継ぎの皿にかけて、徳利からだしを足します。その繰り返しで3皿食べて、最後に残っただしを蕎麦猪口に入った蕎麦湯に入れる訳です。

    割子そばの食べ方はだしの徳利から直接蕎麦にだしをかけまわします。1皿が食べ終わったらそのだしを継ぎの皿にかけて、徳利からだしを足します。その繰り返しで3皿食べて、最後に残っただしを蕎麦猪口に入った蕎麦湯に入れる訳です。

  • 妻は出雲ぜんざいがどうしても食べたいということです。出雲大社まで来て蕎麦とぜんざいが食べられないと悲しいなと思っていたのでこれで大満足です。

    妻は出雲ぜんざいがどうしても食べたいということです。出雲大社まで来て蕎麦とぜんざいが食べられないと悲しいなと思っていたのでこれで大満足です。

  • お勘定を済ませた後に店内に飾ってあった「大社の祝凧」の写真を撮らせていただきました。かつては出雲大社の千家と北島両国造家でお祝い事があると、氏子が稲佐の浜で「鶴」「亀」の字を描いた凧を揚げてお祝いをしたそうです。

    お勘定を済ませた後に店内に飾ってあった「大社の祝凧」の写真を撮らせていただきました。かつては出雲大社の千家と北島両国造家でお祝い事があると、氏子が稲佐の浜で「鶴」「亀」の字を描いた凧を揚げてお祝いをしたそうです。

  • 黒い凧「亀」は上側に大黒様の打ち出の小づちや袋、左下に福が多く来るように「多」の字、右下に米俵を表しています。

    黒い凧「亀」は上側に大黒様の打ち出の小づちや袋、左下に福が多く来るように「多」の字、右下に米俵を表しています。

  • 赤い凧「鶴」は左側に羽根を広げた鶴が木に止まる姿を表し、右側は「つる」や、穀物や家宝を連想する「くら」と読めます。

    赤い凧「鶴」は左側に羽根を広げた鶴が木に止まる姿を表し、右側は「つる」や、穀物や家宝を連想する「くら」と読めます。

  • 何とか1時間で出雲大社の参拝と蕎麦とぜんざいがいただけました。<br />

    何とか1時間で出雲大社の参拝と蕎麦とぜんざいがいただけました。

  • さらに天気も崩れてきましたが後は空港に向かうだけです。

    さらに天気も崩れてきましたが後は空港に向かうだけです。

  • 出雲地方の屋敷の西側と北側に植えられ、一定の高さに整然と刈り込まれた黒松の屋敷林のことを「築地松(ついじまつ)」と呼ぶそうです。また家の玄関の辺りに先祖代々のお墓を設けるそうで、この辺りの家にお嫁に来ると毎日お墓参りをしなければならないので旅行には行けないと添乗員さんから説明がありました。

    出雲地方の屋敷の西側と北側に植えられ、一定の高さに整然と刈り込まれた黒松の屋敷林のことを「築地松(ついじまつ)」と呼ぶそうです。また家の玄関の辺りに先祖代々のお墓を設けるそうで、この辺りの家にお嫁に来ると毎日お墓参りをしなければならないので旅行には行けないと添乗員さんから説明がありました。

  • 出雲縁結び空港に到着しました。

    出雲縁結び空港に到着しました。

    出雲空港(出雲縁結び空港) 空港

  • 空港には午後3時30分の到着で、4時30分のフライトまで1時間しかありません。やはり出雲大社でそばを食べておいて良かったです。

    空港には午後3時30分の到着で、4時30分のフライトまで1時間しかありません。やはり出雲大社でそばを食べておいて良かったです。

  • ここで3日間一緒だった両備バスのドライバーさんとお別れです。若いドライバーさんでしたが、いつも笑顔で楽しい方でした。

    ここで3日間一緒だった両備バスのドライバーさんとお別れです。若いドライバーさんでしたが、いつも笑顔で楽しい方でした。

  • 添乗員さんから受け取った航空券で荷物を預けて身軽になります。東京への便はHとKの2席並びの右側の窓側の席でした。

    添乗員さんから受け取った航空券で荷物を預けて身軽になります。東京への便はHとKの2席並びの右側の窓側の席でした。

  • 出雲阿国(いずもの おくに)は安土桃山時代から江戸時代前期の女性芸能者です。ややこ踊りを基にしてかぶき踊りを創始したことで知られており、このかぶき踊りが変遷を経て現在の歌舞伎が出来上がったとされます。

    出雲阿国(いずもの おくに)は安土桃山時代から江戸時代前期の女性芸能者です。ややこ踊りを基にしてかぶき踊りを創始したことで知られており、このかぶき踊りが変遷を経て現在の歌舞伎が出来上がったとされます。

  • 出雲大社の巫女となり文禄年間に出雲大社勧進のため諸国を巡回したところ評判となったそうです。阿国のかぶき踊りは名古屋山三郎役の男装した阿国と、茶屋の娘役として女装した阿国の夫の三十朗が濃密に戯れるものでした。まさにこの像も男装した阿国の姿でした。

    出雲大社の巫女となり文禄年間に出雲大社勧進のため諸国を巡回したところ評判となったそうです。阿国のかぶき踊りは名古屋山三郎役の男装した阿国と、茶屋の娘役として女装した阿国の夫の三十朗が濃密に戯れるものでした。まさにこの像も男装した阿国の姿でした。

  • 阿国の近くにあった平田一式飾りを見てびっくりしました。昨年の大阪の旅で行った万博記念公園の「国立民族学博物館」で見たばかりだったからです。

    阿国の近くにあった平田一式飾りを見てびっくりしました。昨年の大阪の旅で行った万博記念公園の「国立民族学博物館」で見たばかりだったからです。

  • 平田一式飾りはその名の通り仏具や陶器、金物や茶器などの一式を自在に使い分けて歌舞伎や映画の登場人物、場面などを技巧を凝らし飾り競うという出雲市に200年来伝えられる独特の民俗芸術です。毎年7月20日~21日の平田天満宮祭で披露されます。

    平田一式飾りはその名の通り仏具や陶器、金物や茶器などの一式を自在に使い分けて歌舞伎や映画の登場人物、場面などを技巧を凝らし飾り競うという出雲市に200年来伝えられる独特の民俗芸術です。毎年7月20日~21日の平田天満宮祭で披露されます。

  • 陶器一式の「古代の婚礼」というタイトルが付いていたので、大国主神と嫡妻の須勢理毘売命(すせりびめのみこと)だと思われます。大国主神は先に結婚した八上比売との間に須勢理毘売命より先に子を得ていたが、八上比売は本妻の須勢理毘売命を畏れて木俣神を置いて実家に帰ってしまいました。それ以外に大国主神は様々な女神との間に多くの子供をもうけておりその数180人にも及ぶので、こんな縁結び空港に飾ってよいのか疑問ではあります。

    陶器一式の「古代の婚礼」というタイトルが付いていたので、大国主神と嫡妻の須勢理毘売命(すせりびめのみこと)だと思われます。大国主神は先に結婚した八上比売との間に須勢理毘売命より先に子を得ていたが、八上比売は本妻の須勢理毘売命を畏れて木俣神を置いて実家に帰ってしまいました。それ以外に大国主神は様々な女神との間に多くの子供をもうけておりその数180人にも及ぶので、こんな縁結び空港に飾ってよいのか疑問ではあります。

  • 東京行きの便は定刻の出発でした。雨は降っていますが、明るいうちに離陸できそうです。

    東京行きの便は定刻の出発でした。雨は降っていますが、明るいうちに離陸できそうです。

  • 今回は駆け足の島根と鳥取の旅でしたが、次回はじっくり時間をかけて旅してみたいものです。

    今回は駆け足の島根と鳥取の旅でしたが、次回はじっくり時間をかけて旅してみたいものです。

  • 西の空が赤く染まっているのが見えました。うまいこと夕焼けが見えないだろうかとか大山は見えるだろうか考えてしまいます。

    西の空が赤く染まっているのが見えました。うまいこと夕焼けが見えないだろうかとか大山は見えるだろうか考えてしまいます。

  • 離陸すると宍道湖の真上を飛行します。進行方向の右側に大山があると思うのですがそこまでは見えません。

    離陸すると宍道湖の真上を飛行します。進行方向の右側に大山があると思うのですがそこまでは見えません。

  • 宍道湖の飛び出した玉造温泉の温泉街が見えました。次回は山陰の温泉も巡ってみたいと思います。

    宍道湖の飛び出した玉造温泉の温泉街が見えました。次回は山陰の温泉も巡ってみたいと思います。

  • 大橋川から中海に出るころには雲が掛かってきて、大山の方角は真っ白になってしまいました。残念ながら地上の景色はここまでです。

    大橋川から中海に出るころには雲が掛かってきて、大山の方角は真っ白になってしまいました。残念ながら地上の景色はここまでです。

  • しばらくすると雲の上に出て水平飛行になります。

    しばらくすると雲の上に出て水平飛行になります。

  • 空港の売店で買った缶チューハイで妻と乾杯です。紙コップもいただけて良かったです。

    空港の売店で買った缶チューハイで妻と乾杯です。紙コップもいただけて良かったです。

  • 飛行機の旅の最後は必ず晴れです。

    飛行機の旅の最後は必ず晴れです。

  • しばらくすると右下を飛行する飛行機が見えました。飛行機雲を見ると荒井由実の曲を思い出してしまいます。もう半世紀前の曲ですね。そう考えるとユーミンはすごい。

    しばらくすると右下を飛行する飛行機が見えました。飛行機雲を見ると荒井由実の曲を思い出してしまいます。もう半世紀前の曲ですね。そう考えるとユーミンはすごい。

  • 「飛行機雲は天気の変わる兆し」といわれており、飛行機雲がはっきりと表れるときは上空の空気が水蒸気を多く含んでいるため天気が悪くなることを示しています。

    「飛行機雲は天気の変わる兆し」といわれており、飛行機雲がはっきりと表れるときは上空の空気が水蒸気を多く含んでいるため天気が悪くなることを示しています。

  • 房総半島を大きくターンすると九十九里の海岸線が見えてきました。

    房総半島を大きくターンすると九十九里の海岸線が見えてきました。

  • さらに大きくターンして着陸態勢に入ります。

    さらに大きくターンして着陸態勢に入ります。

  • 海ほたるが滲んで流れていきます。

    海ほたるが滲んで流れていきます。

  • 今年1回目の岡山から山陰の旅は無事に終わりました。今年もコロナの様子を見ながらの旅が続くと思われます。

    今年1回目の岡山から山陰の旅は無事に終わりました。今年もコロナの様子を見ながらの旅が続くと思われます。

    羽田空港 第1旅客ターミナル 空港

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