
2022/01/21 - 2022/01/21
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kojikojiさん
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2023年の旅の始まりは1月21日から2泊3日でトラピックスのツアーに参加することになりました。自分で計画した旅の予定もいくつかありますが、個人で手配すると緊急事態宣言等の発令でキャンセルするときに面倒なので、ネットで簡単に手続きできるツアーに心が動いてしまいます。今回のツアーは「タグ付き松葉ガニフルコース・神戸牛を食し、西日本の壮観な風景を巡る!眼福口福の旅3日間」です。費用がお手軽だったのと姫路や天橋立、出石や出雲大社など行ったことが無いところが多かったのが選んだ理由でした。当日羽田空港で手続きをするとバスは1台で参加者は26名ということです。まずは岡山空港まで移動になりますが、座席は3列並びのシートのAとBで、岡山行きの便は比較的空いていたので通路側のシートは空いたままです。次に気になったのは富士山がどちらに見えるかで、CAさんに尋ねると左側の窓から見えるということで、機内から富士山が見えると何となく得した気分になります。離陸した機体の窓からは房総半島越しに太平洋が見え、東京湾から三浦半島、江の島が見えた後は伊豆大島がきれいなシルエットになって見えました。富士山を北側から山頂を見下ろして、来月末に行く予定の清水港と久能山と日本平を見送ると御前崎と浜名湖も見えます。名古屋港の上空からは伊勢湾岸自動車道の東海インターチェンジと飛島インターチェンジの間に架かる3つの橋名港トリトンの「名港東大橋」「名港中央大橋」「名港西大橋」がきれいに見え、フェリーターミナルに停泊する太平洋フェリーの船舶まで見えました。その後は雲に覆われてしまいましたが、岡山空港に到着しました。空港で現地の添乗員さんと合流して、バスに荷物を預けた後は1時間の自由昼食になります。事前に調べてあったターミナルの2階のレストランで岡山名物のデミかつ丼と蒜山焼きそばを食べることが出来ました。1日目のスケジュールは姫路で姫路城を見学することになりますが、広大な城内の係員と我々ツアーの26人とそれ以外に10人くらいの人しかいなかったのではないでしょうか。妻の歩きに合わせてゆっくり進んでいたら周りには誰もいなくなってしまい、何とも寂しい姫路城の見学になりました。これほど広大で人のいない場所の見学はフランスのモン・サン・ミッシェル以来です。過去に思いを馳せるには人が少ないのは良いですが、少なすぎるのもちょっと怖い気がしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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昨年末の鹿児島旅行では妻の友人と浜松町の駅での待ち合わせだったので、大江戸線で大門まで出ましたが電車は空いていました。この日は平日ということもあり、早い時間の電車に乗りましたがとても混んでいたので失敗したと思いました。さらに早い時間に家を出なければなりませんが、池袋からリムジンバスにすればよかったと思います。
世界貿易センタービルディング 名所・史跡
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解体工事中の貿易センタービルの脇を通ると東京タワーと月がきれいに見えました。1970年に完成した高さ152メートルのビルは、その2年前に開業した霞が関ビルの147メートルを抜いて、当時の日本一になった高層ビルでした。その後のサンシャイン60など子供の頃には新しい高層ビルが出来るのはワクワクすることでもありました。
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この様子だと富士山もきれいに見えると思うので、羽田から岡山空港行きの便の座席が窓側になるかどうかが気になってきます。
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ツアーの受付時間は午前9時25分でしたが、午前8時30分には空港に着いてしまいました。カウンターに行ってみるとすでに係員の方がいらしたので、予定表とワクチン接種済み証を提示します。航空券を受け取るとAとBの左側の窓側の席だと分かりました。岡山行きの便は中央に通路のある左右3席の座席です。
羽田空港第1ターミナル駅 (東京モノレール羽田線) 駅
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空港の出発フロアに北海道の物産展が開催されていて昨年の釧路の旅で買った「オランダせんべい」が売っていました。妻は探していたようで大喜びで2袋買っていました。
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レストランもショップも開いていないので屋上の展望台に上がってみました。ANAに乗ることが多いので第2ターミナルの展望台には行くことがありましたが、第1ターミナルの屋上は初めてかもしれません。
北海道どさんこプラザ 羽田空港店 お土産屋・直売所・特産品
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国際線の第3ターミナル越しに富士山がきれいに見えます。昨年の11月の伊丹空港への便も12月の鹿児島空港行きの便も右側の窓側から富士山がきれいに見えました。函館空港行きの便は左側の窓側だったのですが、北に向かうので富士山の近くを飛ぶことは無くてもきれいに見えました。
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岡山桃太郎空港行きの飛行ルートが気になりますが、大阪へのルートより北側を飛ぶはずなのでAの左側の座席から富士山が見えると思います。
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搭乗口の待合い室はかなり空いていました。今回のツアーの参加者が26人ということは受付のカウンターで聞いていましたが、その人数を差し引くと50人くらいの人しかいないようです。
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搭乗率は50%も無かったと思います。同じ列の右側3席も空いていたので、富士山が右側であれば移動することも出来そうですし、3人並びの通路側の席も空いていたので良かったです。今日もD滑走路からの離陸でした。
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左側の窓からは東京ゲートブリッジとスカイツリーがきれいに見えました。
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そしてディズニーランドとディズニーシーが目の前を流れていきます。富士山がどちら側に見えるかCAさんにお尋ねしましたがご存知ないようで、確認して教えてもらうことになりました。
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右に大きくターンすると房総半島越しに朝日に輝く太平洋が一望できます。そして東京湾に突き出た富津岬を見ると、根元にある「高橋」という食事処の青柳料理を思い出してしまいます。
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三浦半島の一番突き出たところが観音崎で房総半島の突端が須崎です。
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いつもは右側の窓の下に見える江の島もかなり北側から眺めたので、富士山も左の窓側から見えるだろうと思えます。
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伊豆大島もきれいなシルエットになっています。三原山までは肉眼で確認できません。この辺りでCAさんが「富士山はあと5分くらいで左側の窓から見えます。」と教えていただきました。
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真鶴岬から熱海と伊東と川奈、大島との間には初島も見えます。最近伊豆大島にも行ってみたいと思っているのですが、予定表は妻の気分次第で宙ぶらりんです。
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久し振りに富士山の北側を通過しました。57年前に初めて吉田口から富士山に登った4歳の旅のことはよく覚えています。その時に歩いたルートを目で追ってみます。
富士山 自然・景勝地
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伊豆半島と富士山を一緒に眺めるという壮大な景色です。
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少し角度が変わるだけでもまた違った美しさを見せてくれるので目が離せません。雪の具合も一番きれいだと思いました。山梨側の方が雪が多いように思えます。
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静岡側の妻の実家を探してみますが、今回も見つけることは出来ませんでした。
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清水から三保の松原も確認できます。1月の下旬には日帰りバスツアーでこの辺りに来る予定なので、その時も晴れればいいなと願います。
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弓型の御前崎もきれいに見えました。昨年夏にはこの沖合を太平洋フェリーで往復しました。
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浜名湖も湖の中の庄内半島の形からすぐに分かりました。
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伊勢湾岸自動車道のうち東海インターチェンジと飛島インターチェンジの間にかかる3つの橋を「名港トリトン」と呼び、その「名港東大橋」「名港中央大橋」「名港西大橋」が見えました。名古屋港に停泊する太平洋フェリーの船体も確認できました。ここから仙台を経由して苫小牧への往復クルーズも昨年の良い思い出です。
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右側の揖斐川と左側の木曽川の間の中州のような場所にあるナガシマスパーランドが見えてきました。新宿から伊勢の往復バスツアーはHISのバスの座席ピッチが狭くてしんどかった思い出があります。
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走路全長2,479メートルの世界最長のスチールドラゴン2020もカメラの画面では確認できました。
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そして中部国際空港セントレアのターミナルビルも輝いて見えました。
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関ヶ原辺りから関西地方は雲に覆われていて何も見えませんでしたが、定刻に岡山桃太郎空港に到着です。
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この空港は高松から宇高フェリーで宇野に渡った岡山の旅の最後に利用したことがありますが、真っ暗だったので始めて来る印象です。
岡山空港 空港
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ターンテーブルには吉備団子を持った桃太郎がお出迎えてくれました。
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ターミナル内で現地の添乗員さんと合流してツアーの説明を簡単に受けます。そして両備バスに荷物を積み込んで空港内で自由昼食になります。バスの座席は一応決まっていますが、26人のツアーなので後方の6列くらいが自由席になっていました。我が家は後方の席が好きなので、最初から後ろ側の席横1列を確保しました。後ろの席は人気が無いのか数名の方しか使われませんでした。
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出発の数日前に届いたメールの予定表で空港での自由昼食と分かったので、事前にHPからレストランと食べるものを決めていました。と言っても3軒の飲食店しかありません。
レストラン シャロン 岡山空港店 グルメ・レストラン
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岡山名物のデミかつ丼は釧路で食べた「泉屋」のスパカツを思い出させる味でとても美味しかったです。この岡山のご当地丼は1931年創業の老舗とんかつ店「味司 野村」がデミカツ丼発祥の店として知られています。初代店主が帝国ホテルのドミグラスソースを食べて「その味を地元の人たちに食べてほしい」という思いから誕生したそうです。
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妻は蒜山焼きそばを注文しました。ちょっと甘めのソースの不思議な味がします。蒜山(ひるぜん)地域では昭和30年代から、冬の保存食として各家庭で作られていた味噌を使った焼きそばやジンギスカンが食べられていました。その中で蒜山にあった食堂が味噌をベースに、ニンニク、玉ねぎ、リンゴなどのさまざまな材料や調味料を合わせた独自の味噌だれを使い、親鶏(かしわ肉)とキャベツを入れて作りはじめた焼そばが評判になったそうです。
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空港の表には岡山後楽園の庭園を模した小さな庭園がありました。
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約1時間の昼食時間が終わってそろそろ出発です。
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バスの中はこのようなアクリルのカバーが設けられて、コロナ対策が施されていますが、両サイドも20センチくらい折り返されているので閉塞感があります。とてもではありませんが、2人で並んで座れる感じではありません。
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1時間ほど走ったバスは山陽自動車道の龍野西サービスエリアで1回目の休憩になります。約20分の問のトイレ休憩だけです。
龍野西サービスエリア 道の駅
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短い時間ですが中国地方のロードマップを手に入れ、ついでにお土産も物色します。妻は各地の名産品に詳しのですぐに揖保乃糸に手を伸ばします。揖保川はこのサービスエリアからほんの数キロの距離です。
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東京では手に入らない「そうめんバチ」も買ってみることにします。
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手延べ中華麺も買ってくればよかったかなとちょっと後悔しています。
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龍野西サービスエリアを出発して30分ほどで姫路市内に入り、大手門の駐車場でバスを降りて姫路城に向かいます。ここでは90分の見学時間が予定されていますが、バスの移動がスムーズだったようで2時間弱の見学時間になりました。
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駐車場から桜門橋までもかなりの距離があり、天守閣も遠くに小さく見えるので見学にはかなり時間がかかりそうです。
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内堀越しに天守閣を初めて臨みます。姫路に来るのも初めてなので姫路城に来るのもこれが初めてになります。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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1992年に神戸駅の南側に神戸ハーバーランドの開発が行われた際に4カ月ほど三宮のホテルモントレに滞在していたことがあります。週末には他のメンバーは淡路島へ行ったり姫路にも来ていたようでしたが、その当時は京都の祖母の家に遊びに行くのが楽しみだったのでどこも観光しませんでした。
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今回のツアーはその神戸ハーバーランドに隣接するホテルに宿泊するので楽しみにしています。開業当時はニューオータニだったホテルも経営が変わり、妻と一緒に関わった神戸西武も早々に撤退しています。
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まずはチケット売り場間で添乗員さんと一緒に進み、その後は各自での見学になります。昨年は名古屋城と犬山城と大阪城を見学しましたが、今年は姫路城からスタートです。
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チケットを受け取って中に入ると皆さん先を急がれ、足の痛い妻と一緒に歩きながら写真を撮っていると周囲には誰もいなくなってしまいました。
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これは城内を歩いていてもずっと同じようで、たまに係員の方を見かけるくらいで、なんて寂しい観光地だと思いました。他に観光客がいないと時代を遡って往時がどうだったかなど思いを馳せるには良いのですが、少な過ぎても歴史の重みに押し潰されそうな気になります。
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同じような気持ちにフランスのモン・サン・ミッシェルで感じたことがあります。パリから移動してホテルにチェックインしてぶらぶら歩いて島に向かい、オムレツを食べてから見学をしたら観光客が全くいなく、妻と2人で誰もいない修道院を歩いたことがありました。
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迷路のようなロケーションと高みを目指すのも似ていると思いました。
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昨年の12月の鹿児島の旅では「007は二度死ぬ(You Only Live Twice)」のロケ地にもなった仙厳園や霧島で映画について思いましたが、この姫路城でもロケが行われています。ただ、撮影中に手裏剣で白壁の漆喰に傷をつけたことでトラブルになったと聞いたことがあります。
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まだまだ遠い天守閣を仰いで、きっと妻は登らないだろうなと感じました。松平健が徳川吉宗を演じた「吉宗評判記 暴れん坊将軍」のなかで江戸城としてロケーションの舞台になっていたのが姫路城のこの辺りのようです。
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この辺りの門も見た記憶があるのはテレビの影響だと思います。
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前を歩く人の姿も無く、後ろからやってくる人の姿も無く、寂しい限りの姫路城です。しかし、歩いても歩いても城が近くなってくる気がしません。
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隅櫓式櫓門の「にの門」までたどり着きました。江戸時代初期の慶長年間築の門が残され、国の重要文化財に指定されています。
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梅の花がちらほら咲き始めていて、今年も1月が終わろうとしていることに気が付きました。姫路城を臨む日本庭園「好古園」は梅の花で有名なようですが、見学するには団体ツアーの時間は短すぎます。
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有名な「姥ケ石」です。羽柴秀吉が姫山に三層の天守を築いていたときに城の石垣の石がなかなか集まらず、苦労しているという話が広まっていました。城下で焼餅を売っていた貧しい老婆がそれを聞き、「せめてこれでもお役に立てば」と古くなった石臼を差し出しました。これを知った秀吉は大変喜んで石臼を現在の乾小天守北側の石垣に使いました。この話はたちまち評判となり、人々が競って石を寄進したために工事が順調に進んだそうです。
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天守の足元までやってきました。「水の二門」は水一門と同じ簡素な棟門ですが、水一門が片開きなのに対し水二門は両開きという違いがあります。
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「乾小天守」の石垣に取って付けたような姿にも見えます。
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ほぼ垂直のような石垣を見上げると石落としが見えました。大阪城ではもっと巨大なものが設けられていましたが、現在は使用目的が変わっていて、空調の排気口になっていました。
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姫路城と言えば数多くの狭間(さま)があることで知られています。内側から外側に向かって円形や三角形、正角形や長方形などの穴が開けられており、戦闘の際はここから弓矢や鉄砲などで攻撃したものです。
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姫路城は白鷺城と呼ばれる所以が分かったような気がします。軒下まで徹底的に白漆喰で塗り固められています。天守を含めすべての建築が木造ということに驚かされ、世界遺産に認定されることにも頷けます。
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「水の五門」まで来るとようやく天守に入っていくのだと感じられます。大天守と西小天守をつなぐ2階建ての渡櫓になっていますが、ここは4つの大小天守が4つの渡櫓でロの字型につながっています。その内庭部分に入る門なので城内でも最も重要な箇所を守る門と言えます。上部の漆喰の壁には隠し狭間が6か所確認できます。
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大天守に入ると今まで歩いてきた城内の経路が良く分かります。守備する方からは敵の動きが手に取るように分かりますが、攻め手の方はどこにいるのか方向も分からなくなることを実感できました。
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大天守の見学はやはり妻は足が痛いので入り口で待つことになりました。靴下になって建物の中に入りますが、板の間なので寒さが足の裏から伝わってきます。ユニクロのヒートテック靴下でよかったと思います。
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姫路城の2階は外観から印象的な連続した格子が設けられている階です。非常に大きな格子の部分はそのデザイン性だけでなく、天守の下部にある石垣に取り付く敵に対して、石落しで攻撃することができる非常に機能的な設備でもあります。
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非常に天井までの階高のあるフロアなので、槍を立てたり刀を振り上げることが考えられているのだと思います。壁には武具を掛けられるようになっています。
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このフロアでは鬼瓦の展示がありました。鬼瓦は元々鬼面が装飾されていましたが、城郭建築では家紋が付けられるようになります。この「七三桐紋鬼瓦」は大天守五重南中央降棟にあったものです。
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「揚羽蝶紋四半瓦」この瓦は四半瓦あるいは中国名の磚とも呼ばれます。昭和の大修理で備前丸を発掘した際に排水溝の溝に使われているのを発見されたそうです。四隅には穴が開いているので、本来は建物の外壁や大棟の飾り瓦に使われたようです。母の生まれた京都の二条陣屋の女紋が揚羽蝶だったことを思い出しました。
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新壁造りなので柱の組み物がきれいに見えますが、筋交いが妙に中途半端なのが気になります。
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同じフロアには昭和の大修理で大天守の解体修理のために1/20で製作された軸組の構造模型です。昭和の大修理では史上初めての全解体修理工事だったそうです。外観を表から見ると5層ですが、実際は6層になっていることに気が付きます。
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防火と防備を考えた漆喰塗りの扉は蔵のように見えます。ここからが実際の大天守に入るのだと感じます。
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誰もいない武者走りを歩きながら巨大な梁や上階の床組みなどを見てまわります。軒を支える巨大な肘木の連続が美しいです。
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武具掛けは姫路城の至るところに設けられています。ここには鉄砲や弓や槍など戦闘に必要となる武器が掛けられていました。大天守2階には特に大規模な武具掛けが続いています。
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「千鳥破風」の内側は表から見える優雅さは全く感じられません。格子窓は開閉できるようになっています。
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こちら側の梁は巨大な丸太がそのまま使われています。外観の美しさばかりが伝えられる姫路城ですが、装飾された美しさは無くても日本の伝統建築の粋を感じさせます。
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「出格子窓」の一番外側は白漆喰で塗り固められ、引き戸との間には小さい石落としが設けられています。内側の2枚の引き戸の厚さは10センチほどありました。扉の外側がどの様な仕上げになっているかまでは確認できませんでしたが、単純な雨戸ではないと思います。
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板の間の広い空間は「武具庫」として使われていたようです。一度天守の最上階へあがった後の下りのルートで武具庫の一部を見学することが出来ました。
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大天守には2つの「心柱」があり、それぞれ「西大柱」と「東大柱」と呼ばれています。地階から5階の天井までを貫いており、地震に強い耐震構造になっていて、当時の技法としては進んだものだったようです。四角い西大柱は1本の木で造る予定だったものの、運搬の途中に材料が2つに折れてしまい、そのため柱継ぎを行なった跡を3階で見ることができます。
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丸い東大柱は昭和の大修理のときに根元から5.4メートルのところを根継ぎされています。丸太のままなので上の階に進むにつれて細くなっていきます。
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西大柱の方が太いのですが、元々の丸太の状態ではこの倍くらいの太さがあったのではないでしょうか。他に観光客の姿も無いので比較することも出来ません。
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「石打棚」は外部の敵を城の内側から攻撃するための台です。姫路城を建てる際に高い位置に窓を造ってしまい、後付けで石打棚を造ったともいわれているそうです。この石打棚は大天守内の数カ所で見ることができます。
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「千鳥破風」が設けられるとその分周囲の窓は高くせざるを得ないので、後付けで「石打棚」を設けたというのは間違いのように思えます。
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「千鳥破風」に向かって伸びる梁を見ると構造材の美しさを感じます。
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最上階まで上がってきました。風が通り抜けて気持ちが良いです。1月というのに階段を上がっていると汗ばむほどの温かさでした。部神社(長壁神社・おさかべじんじゃ)は姫路城の守護神で姫路城が建てられる前から姫山に祀られていたそうです。
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木下家定が城主であった時代のこと、姫路に立ち寄った宮本武蔵が名前を隠して足軽奉公をしていました。そのころ城に妖怪が出るといううわさが広まっていましたが、武蔵が平気で夜の出番を勤めていたことが家老の耳に入り、名高い武芸者であることが知られ妖怪退治の命が下りました。武蔵がある夜に灯1つを持って天守閣に登り、3階の階段にさしかかった時、すざましい炎が吹き降り地震のような音が鳴り響きます。武蔵が腰の太刀に手をかけると、辺りはまた元の静けさに戻りました。4階でもまた同じことがありましたが構わずに天守を登り、明け方まで番をしていたところ、美しい姫が現れます。
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「われこそは当城の守護神、刑部明神なり。その方がこよい参りしため、妖怪は恐れて退散したり。よって褒美にこの宝剣を取らす。」といって姿を消しました。武蔵の前には白木の箱に入った郷義弘の名刀が残されていたということです。
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大天守の最上階からは瀬戸内海越しに淡路島が見えていたようです。
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2月には淡路島を越えた徳島の鳴門の旅を計画しているので楽しみです。縁が無くて淡路島にはまだ行ったことが無いので近いうちに計画してみようと思います。
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昨年の夏に名古屋城の金の鯱に触って以来、鯱を多く見ているような気がします。姫路城の鯱は犬山城のものに形が似ているように思えました。
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天守から見ると1本の道が伸びて、その突き当りには姫路駅が見えました。55年ほど前に父が弟を連れて姫路に来た時の写真がありましたが、駅前から2階屋が続いた先にいきなり姫路城が見えていました。現在はビルが立ち並んでいますので時代に流れを感じます。
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姫路市立美術館の赤レンガ造りの建物群は姫路陸軍兵器支廠(のち第十師団兵器部)の西倉庫として1905年に建築され、1913年に増築されたものです。第2次世界大戦の敗戦後に姫路市役所として利用した後に美術館として再生利用された建物です。大阪城の第4師団司令部庁舎の建物と言い、古い城郭と陸軍は縁が深いようです。
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「千鳥破風」を設けるには構造上の補強が必要なようで、どこに力が加わっているのかを知る目安になって興味深く見ることが出来ました。
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南側の石打棚は北側と異なりすべてが内陣に連結していないようです。ちょうど中央にテラスのような一角があるのは唐破風の上にあたるため、石打棚を高くしているとも考えられます。
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小さい四角形の開口は鉄砲狭間で、その上の長方形は煙出し用の高窓のようです。
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姫路城では天守に収納されていた甲冑は残されていないようで、展示されていたのは酒井家中の新美家に伝来した具足をモデルに再現されたものです。
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烏帽子型の兜は金色でよく目立ち、胴は上部を矢筈頭のように切りつけた黒漆塗りの板札を浅葱縅(あさぎおどし)で綴じた二枚胴です。また、背面には合当理(がったり)と竿を刺す受け筒も残っています。
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「六葉釘隠し」は長押(なげし)などに出ている釘の頭部を隠すための装飾です。6枚の葉をデザインしていて、葉と葉の間に猪目(いのめ)と呼ばれるハート形の隙間が見えます。
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大天守の見どころが「二重扉」です。大天守内へ出入りできる扉は全部で4カ所あり、二重扉になっている天守の扉はそのうちの1つです。漆喰塗りの扉と鉄板の扉の二重構造になっています。
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外面を鉄板で覆われていて大天守内側からカンヌキがかかるように造られています。くぐり戸は刀を差したままでは通行できないサイズになっているようです。
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大天守地階には炊事用の流しがありました。通常の城では天守内にこのような施設があるのは珍しいそうです。
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城は石垣から上を1階と数えるそうで、石垣に囲まれた地階は外からは見えず、地階があるとは分からない造りになっています。石垣に囲まれた地階は流れ弾さえ飛んでこない安全地帯なので、主に倉庫として使われるケースが多いようが、姫路城では「流し台」や「厠(かわや)」が設置されているのが珍しいです。
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武器庫としての造りつけの棚も残されています。甲冑や武器の類は残されていませんが、安易に想像することが出来ます。
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急な階段の登り下りも多く、思ったより見学するのに時間がかかってしまいました。
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入り口で待っていてくれた妻は天守の係員の女性と話が弾んだらしく,、退屈することも無かったようです。
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「水の五門」から天守を出ますが、ここまで来たルートとは違う順路を進むことになります。
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先ほど天守で見た「七三桐紋」と「揚羽蝶紋」が”跨ぎ巴瓦”と”滴水瓦”にデザインされています。
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今まで見てきた大阪城や名古屋城とは違った天守の組み合わさった美しさを感じた姫路城でした。どの方向から見上げても変化があって写真を撮るのが楽しかったです。
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修復が終わった後は真っ白になりすぎて白鷺城に掛けて「しろすぎ城」と揶揄されたこともあるそうですが、落ち着いてよい具合に見えました。曇天でもこの美しさで、逆に木造建築の美しさを強く感じられたかもしれません。
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どこまでも塗り込められた白漆喰が美しいです。
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天守の「武器庫」の展示には姫路城に関わった黒田官兵衛、羽柴秀吉、池田輝政、酒井忠以などが写真パネルで紹介されていました。改めて大天守を見上げると改めて歴史の重みを感じます。
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黒田官兵衛を主人公に「播磨灘物語」を書いた司馬遼太郎は、その時代の姫路城を「姫山という小さな丘に、官兵衛の城館がある。山の地形変化を利用してわずかに人工を加えただけの田舎城で、建造物も小さかったが、しかし二の丸の堀は深く、いかにも攻めるのに困難という実用的な城郭だった」と想像しています。
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司馬遼太郎は播磨ゆかりの人で、先祖は羽柴秀吉や官兵衛と戦って敗れた英賀城(姫路市飾磨区)の武将の1人で、祖父の代まで対岸の広村(姫路市広畑区)に住み、「播磨は、私にとってほのかながら家の伝承の地である。」という一文を残しています。
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子供の頃に夏になると怪談噺の映画がテレビで放映されていて、恐ろしかったのが江戸時代の有名な怪談話「番町皿屋敷」でした。これに類似した話が室町時代にすでに存在していたのを初めて知りました。その名も「播州皿屋敷」で、永正元年の1504年に若くして姫路城主となった小寺則職は家臣の青山鉄山が城の乗っ取りを企て、花見の席で危うく毒殺されそうになります。この毒殺未遂事件は則職の忠臣である衣笠元信の妾のお菊が通報したために未遂に終わりますが、則職は一時的に城を追われ姫路城は鉄山の支配するところとなります。
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お菊は引き続き動向を探るために鉄山に仕えますが、彼女を怪しんだのが家臣の町坪弾四郎でした。弾四郎は鉄山が大切にしていた10枚の皿のうち1枚を隠し、紛失の罪をお菊に着せます。17日の間折檻した後に斬殺し、投げ込まれたのがこの井戸と言われます。「傳説播州皿屋敷」では夜になると、井戸の邊から「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚…」と、皿を数える声が聞え、同時にぐわらゝと皿の音が屋敷内に鳴動し、夜毎怪異が打續いたので、人々皿屋敷と呼んだ」とあります。
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参勤交代の道具類の展示も興味深かったのですが、細かく見ている時間が無くなってきました。武器だけではなく大名の生活そのものも運ぶことになり、数多くの道具類が運ばれたようです。大名はプライドをかけて家の威光を見せつけるために飾り立てましたが、大名の格式によって形や使える素材に決まりがあったようです。白毛槍の毛はヤクの毛だと思いますが、当時はとても高価なものだったはずです。「家康に過ぎたるもの二つあり、唐の頭(兜の飾り物)に本多平八(忠勝)」と言われた唐の頭には白いヤクの毛が使われています。
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天正10年の本能寺の変の直後に窮地に陥った徳川家康は伊瀬の国の白子より知多半島へ逃げ延びることが出来ました。その際に酒井重忠が家康より下賜されたと伝えられる船印を馬印として代々使われたそうです。上洛する際には行列で使用された釣り鐘型の上部の金龍と毛の部分が現存していたものを復元したものです。
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明治の大修理や昭和の大修理、そして平成の大修理で交換された鯱も展示されていました。この姿を見るとカンボジアのアンコール遺跡のレリーフに見る事の出来るマカラを思い出してしまいます。マカラはインド神話に登場する怪魚で、ガンガー及びヴァルナの乗り物とされ、水を操る力を持つとされます。鯱も水を吐くことから防火の意味を込めて城の装飾とされています。
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ようやく大天守周りの見学が終わりました。バスの出発まで30分を切ってしまいました。ここまでかなりの距離を歩いているので、バスに戻るのも時間がかかりそうです。
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「扇の勾配」
石垣の角度を扇の開いた形に湾曲させてありますが、こうした反りをつけることによって高い石垣を積む事が出来ます。角の部分は長辺を交互に積む「算木積」(さんぎつみ)という積み方をしています。石垣も築城の生んだ芸術であり、城の姿を一層美しく引きたてています。 -
「三国堀」は外部のどこともつながっていない溜め池のような堀です。これを城郭用語では「捨て堀」と呼ばれ、地下の湧き水が地表に顔を出して溜まっているものなので、水位は日によって変化しているそうです。名前の由来は池田輝政が播磨と淡路と備前の三国を治める大大名であったことにちなむと言われています。
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白鷺城の足元には白鷺が1羽遊んでいました。
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お土産物屋でも覗きながらバスに戻ろうとすると係員の方から「ぜひ西の丸も見て行ってください。」と説明を受けてしまいました。残り時間を伝えると「百間廊下を通ってもじゅうぶん間に合います。」とのことで見学することにします。
姫路城西の丸売店 お土産屋・直売所・特産品
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西の丸の広場に上がると姫路城の大天守と乾小天守がきれいに見渡せました。これだけでも十分な気もしましたが、急いで百間廊下の入り口に向かいます。いつもであれば躊躇する妻も積極的なので先を急ぎます。
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靴を脱いで靴下だけになるので板の間から足裏に冷たさが伝わってきます。ここも見学している人の姿は無く、前半は特に展示物も無いので先を急ぎます。
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百間廊下はワの櫓から化粧櫓まで約240メートルと解説されていました。百間なので180メートルほどかと思いましたが、さらに長いのだと分かりました。途中に2か所の階段もあり、進んでも進んでも廊下が繋がっています。
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廊下という名前ではありますが住居であり、倉庫であり、防御施設であり、女性も暮らしていたという非常にユニークな長屋だったようです。住居でありながら下部が石造りなのは防御壁としての役目が大きかったのだと感じます。
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千姫は伏見城内の徳川家屋敷にて父の徳川秀忠と母の江の間に生まれました。 父の秀忠は徳川家康の息子で後の徳川幕府2代将軍になる人物で、母の江(ごう)は戦国一の美女といわれた織田信長の妹であるお市の方の娘です。千姫が2歳のときに豊臣秀吉の命により、秀吉の跡継ぎの6歳の秀頼と婚約し、 1603年に7歳で豊臣家に嫁ぎます。千姫は秀頼との仲もよく、幸せな日々を送っていたと言われています。
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やがて豊臣家と徳川家の争いが起こり、1615年に千姫19歳の時に夏の陣で大阪城は落城して夫の秀頼と義母の淀君は自害します。その中で千姫だけは戦火の中、大阪城から救出されます。1616年 千姫が21歳の時に本多忠刻と結婚しました。 翌年の1617年に忠刻の父の本多忠政が姫路城の城主となり、一緒に姫路城に入りました。その際に忠刻には千姫の化粧料(嫁入りの持参金)として10万石が与えられ、その化粧料で姫路城に化粧櫓や御殿を建てたとされます。義父の本多忠政が5万石を加増されて15万石になり姫路城城主になったことを考えれば、10万石は破格だったといえます。現在の価値にして100億円だったそうです。
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姫路城での暮らしは幸せに満ちて1618年の22歳の時に長女の勝姫が生まれ、翌年1619年には長男の幸千代も生まれ、千姫は人生で最も幸せな時を過ごしていたといわれています。
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駆け足の見学になってしまい、慌ててバスに向かって戻りました。残念ながら隣接する 「好古園」まで足を延ばす時間はありませんでしたが、調べてみると1月17日から月末まで休園だったので今回は縁が無かったようです。
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何とか出発時間には間に合い、バスは神戸に向かって出発しました。
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