2010/10/17 - 2010/10/17
27位(同エリア225件中)
Decoさん
この旅行記のスケジュール
2010/10/17
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電車での移動
この後、駅間の移動はすべてJR予土線です。
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徒歩での移動
この後の大洲市内、卯之町周辺、宇和島駅周辺、吉田町の移動は、特に記載がない限り徒歩です)
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バスでの移動
JR伊予大洲駅へ戻ります。
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宇和島駅で降りて、ホテルへ。再び予土線で伊予吉田駅へ。
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旅行も第三日目。
今まで飛ばし気味のペースだったので、今日はゆったりのんびり…というわけにはいかなかったようです。
この日は南伊予のレトロタウン・大洲と卯之町(現在の西予市)を歩きます。
私は司馬遼太郎の「街道をゆく 南伊予・西土佐の道」や小説「花神」が好きで、大洲、卯之町、宇和島、それに内子などを、この旅行の前もしばしば訪れていました。
今回の旅にあたって、全部廻りたかったのですが、この先できれば関西まで足を延ばしたいこともあり、この第3日目は、大洲と卯之町を訪れることにしました。
今から思えば、内子・大洲・卯之町と、それぞれ一日時間を取り、じっくり見て廻りたかったと思います。
(トップの画像の構図、「街道をゆく 南伊予・西土佐の道」のカバー写真の場所を撮影したものです。)
2021/9/14
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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松山のホテル三番町を出発、JR松山駅から特急・宇和海で大洲へ。
大洲市は、松山から特急で約30分、肱川沿いの内陸の盆地に開けた旧城下町です。
JRの伊予大洲駅前が賑やかですが、多分こちらは鉄道が開通されてできた町。
大洲城がある旧城下町エリアは、徒歩15~20分程、肱川を越したあたりに広がります。今は、市街が連続して一つの街になったような感がありますが、商業は駅周辺、行政や観光は旧城下町エリアという感じでしょうか。
伊予大洲駅から徒歩で旧城下町エリアへ向かいます。途中、市立博物館に立ち寄り見学。江戸時代から伝わる大洲城の骨格模型を見たかったのですが、どこかに貸し出しているようで、見られず残念。
さらに進み肱川の橋のあたりから、大洲城が見えてきます。お城は川に突き出したような小高い丘の上に築かれた平山城です。川と遠景の山とのコントラストが非常に美しく、作家の司馬遼太郎氏も大絶賛した風景です。しかし、司馬氏は同時にあることを大酷評しました。堀を埋めて鉄筋コンクリートの市民会館を作ってしまったことです。画面の左端に見える建物です。
私は堀があった頃の風景は知らないので、司馬氏程には悪くは思いませんが、これで会館がなかったらどんなに美しかっただろう…とは思います。肱川 自然・景勝地
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大洲城をズームで取ってみました。
ちゃんと天守が復元されています!
さて、今でこそ近場の温泉めぐりがメインの私ですが、その頃は毎月のように旅に出ており、お城めぐりを楽しんでいました。
この旅行記より十年前(現在から約20年前)に訪れたとき、大洲城は天守は失われた状態で、いくつかの櫓があっただけでしたが、その後(平成16=2004年)木造で再建されています。
お城好きとしてはどうしても素通りはできなかったのです。 -
肱川には鵜飼い船が見えます。
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お城とは反対方向を撮影。冨士山がきれいです。
冨士山 自然・景勝地
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大洲城は、天守閣がある丘の上だけでなく、かつてはその周辺にも広がっていました。城の下にも二つの櫓が残っています。
こちらは肱川に面した苧綿櫓です。後ろに市民会館がちょっとだけ写っています。
ちなみに、城山の下にあるもう一つは「三の丸南隅櫓」ですが、ここは天守閣からちょっと離れているので、このときは訪れていません。しかし、ここには「お殿様公園」という場所があり、なんと「男はつらいよ 寅次郎と殿様」(第14作、1977年)のロケ地だったということです。今思うと行っておけば良かったです。大洲城 苧綿櫓 名所・史跡
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別角度から撮影した苧綿櫓です。
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本丸の天守閣に上がってきました。
中央の天守が木造による復元。
天守と左側の高覧櫓とは渡櫓(平たく言えば廊下)で「連結」されています。
右側の台所櫓とは直接接しています(二つの櫓は現存建築物)。
高覧櫓とのように天守と廊下で結ばれた天守の様式を「連結式天守」と呼びます。
台所櫓とのように直接結ばれていると、「複合型天守」となります。
大洲城のように二つの特性を持つ城は「複合連結式天守」と呼ばれる珍しい様式です。
(台所櫓は複合ではなく、連結とみなして、複数の連結がある様式=「復連結式」という見方もあります)
大洲城は、鎌倉末期に宇都宮氏によって築かれ、安土桃山時代に戸田氏が入りました。その後築城の名人藤堂高虎、次いで脇坂氏が入り、この両者の時代に天守が築かれ、今の大洲城の形になりました。その後加藤氏が入り、明治維新まで続いています。加藤氏は幕末には坂本龍馬とも関わりがあり、また映画「男はつらいよ」で嵐寛十郎が演じた殿様は加藤氏の末裔…ということになるでしょうか。大洲城 名所・史跡
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中に入ります。木造復元天守の内部です。
入口付近でスタッフの方とお話ししました。以前訪れたとこのことを話し、「木造復元もできて、随分きれいになりましたね」と言うと、スタッフの方は喜ばれて、しばし立ち話…。
余談ですが、大洲城の天守が復元されたとき、某旅行サイトの口コミなどでは、「お城なのに新しくて興ざめ…」などと不評でした。
しかし、木造で失われた天守をほぼ元通りに復元できたのは厳密に言えば大洲城のみです。その意味では、現存12天守に次ぐ価値があると私は考えています。
また、木造で再建することの考証、費用、労力の大変さを考えると、大変だったことと思います。
名古屋城、大阪城、和歌山城、岡山城、広島城、熊本城も鉄筋コンクリートなのですから。 -
木造での復元なので、内部も可能な限り元の作りに近づけてあるようです。したがって、階段は急です。
大洲城は現在(2021年)、城泊ができるそうです。大人二人で一泊100万円とか(^^; 食事も凝ってて、宿泊客のためのイベントもやるそうです。
そこまでできない…という方には、古民家をリノベーションした宿泊施設ができて、一つのブランドですが、町のあちこちにあるそうです。ここはなかなかの人気とのこと。 -
こちはら、骨組みの模型です。
完全な復元には主に二つの資料が必要だと言われています。
まず、外観の写真。これによって建物の意匠がわかり、おおよそのサイズもわかります。
二つ目は、内部の構造がわかる資料。具体的にはこの写真のような模型などです。
この模型は新しいものですが、実は大洲城には昔から伝わっているお城の模型があって、さらに明治期に入って撮影された写真も残っています。このことから日本で唯一ともいわれる木造による完全復元が可能となりました。
木造による完全復元は、この他には恐らく焼失してしまった首里城正殿のみだと思います。ただ、正殿と天守を同等のものとして見るかは微妙なところですが。
*宮城県の白石城、福島県の白河小峰城、静岡県の掛川城も木造復元と見做されるケースもあるようですが、写真がなかったり、内部の構造が明確にわかるものがなかったり、また推定による構造が含まれていたりで、完璧に復元とは言い切れない部分もあるようです。
大洲城天守はは四層四階で大変珍しい建築です。建て方としては、いわゆる「層塔型」という新しい建築方法が取られています。これは、下層から上層まで規則正しく床面積が減っていく形になります。スマートでシンプルに見えるお城ですね。「層塔」と言う名称からもわかるように、英語で言えばtowerのイメージかと思います。
大洲城以外には、名古屋城や島原城が典型です。
*これに対して、初期の天守は、望楼型と言われるものでした。1~2階建ての大きな館のような建物に、ちょこんと小さな望楼(物見櫓の豪華版のようなもの)を載せたものです。犬山城や松江城などがその典型(初期望楼型)。これが発展すると、下の館部分と上の望楼部分の差が小さくなります。姫路城や熊本城などがこれにあたります(後期望楼型)。 -
場内には、築城風景のジオラマもありました。
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天守最上階からの眺めです。左下に司馬遼太郎氏に酷評された市民会館が見えます。その右側にある二件の同じような形の建物、今は古民家ホテルに改装されている…らしいです。
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お城を出て、おおず赤煉瓦館へ。土産物の販売や休憩スペースもあります。元は大洲商業銀行で、1901年の建築だそうです。なかなか良い雰囲気の建物です。
おおず赤煉瓦館 名所・史跡
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木漏れ日が涼やかなパティオもありました。
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次いで、臥龍山荘を目指して歩いていると「ポコペン横丁」なる一角が見えます。
日曜日には昭和レトロな出店が出るそうですが、この日は残念ながら平日なのでなし。ポコペン横丁 名所・史跡
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進んでいくと、「思ひ出倉庫」なる一画があります。
昭和のレトロな物品が大量に展示されています。思ひ出倉庫 名所・史跡
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床屋さん、昔はこんな感だったのでしょうか。私が子供の頃はもうちょっと近代的だったような記憶があります。
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小さなブラウン管のテレビにちゃぶ台。
思わずちゃぶ台返しをやっちゃいそう…なことはありません(^^; -
昭和の台所。システムキッチンはおろか、ステンレスでもない、タイル製。
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ローラー式の脱水を備えた洗濯機。
私、これはうっすらと記憶にあります。祖父母の家にあったような?
この他にもまだまだ膨大な展示があり、昭和レトロが好きな方には聖地と言っても過言ではないでしょう。
驚くべきことに、個人の方が収集されたとか… -
ポコペン横丁を出て、NHKの朝ドラ初期の名作「おはなはん」のロケ地を通ります。
これだけの建物を維持していくのも大変でしょうね。おはなはん通り 名所・史跡
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通りの中に見学できる建物があって、ここには「おはなはん」の写真も展示されていました。
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臥龍山荘を目指します。石畳の路地に、趣のある建物が続きます。
このあたりは風情があって、また行ってみたい…
このときから十年、街も少し変わったかも知れません。 -
臥龍山荘に到着です。明治時代の大洲、木蝋などの集散で栄えた全盛期の、お金持ちの邸宅跡です。
司馬遼太郎の「街道をゆく 南伊予・西土佐の道」に登場する、お年寄りが住む贅をつくした邸宅は、ここのことかも知れません。臥龍山荘庭園 名所・史跡
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以前おとずれたときは、建物も撮影可でしたが、このときは不可だったと記憶しています。
数寄を凝らした母屋や、肱川沿いの断崖の上に建てられた別室など、素晴らしい建築が見られます。 -
最後に大洲神社の側の、通称「明治の街並み」へ。この写真の構図、この旅行記でもしばしば出てくる司馬遼太郎の「街道をゆく 南伊予・西土佐の道」のカバー写真に使用されたものと同じ構図で撮影してみました。
*位置情報は大洲神社にしています。大洲神社 寺・神社・教会
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付近の街並みです。このあたりには料理屋さんがあったりしましたが、寂れた印象も否めませんでした。それはそれで風情が感じられましたが、このあたりにも古民家をリノベーションした旅館が営業しているそうです。
【油屋(昼食)について】
このあと、「油屋」という食事処で昼食を取りますが、写真を撮影しておらず…残念。昔は「街道をゆく」に登場した旅館で、前回私が訪れたときは、建物は残っていましたが、この旅行記のときは一部を移築して食事処になっていました。
改修してレトロモダンでお洒落な食事処になっていましたが、遅めの昼食(確か13時過ぎ)だったため、リーズナブルな日替わりランチは売り切れて通常メニューで食事しました。とても人気があるようです。
現在、グーグルマップなどで調べると、昼はランチ営業、夜は炉端焼きで営業されているようです。
*この写真の位置情報は油屋にしています。
このあとは歩き疲れて、バスで伊予大洲駅へ。40分も列車を待って、卯之町(現在の西予市宇和町)へ向かいます。大洲炉端 油屋 グルメ・レストラン
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JR予土線で伊予大洲から八幡浜を通過して、さらに南下。卯之町駅(西予市宇和町)に到着です。列車を待ったりして14時半を過ぎ、随分遅くなってしまいました。
卯之町には江戸期~明治期の街並みが、非常に良い状態で残っており、司馬遼太郎も絶賛しています。卯之町の町並み 名所・史跡
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一番訪れたかったのは、開明学校。
全国に残る数少ない明治期に建築された小学校です。この旅行の12年前(=現在からは23年前になります)に訪れたときには、学芸員の方が案内してくださって、その方がとても優しくて、親切で、上品だったことが深く印象に残っています。開明学校 名所・史跡
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昔の教育関係の資料の展示もありました。
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教室ではブラジル人の日系人の留学生の皆さんが模擬授業を受けていました。
授業が終わったところ、留学生の方と少しお話してみました。
昔ペルーにいたことを話すと、ブラジル人の日系人の女の子、いきなりスペイン語で話しだします。私も会話を試みまするが、なにせほぼ10年会話していないだけに、固まってしまって…結局カタコトの日本語で会話。
ちょうどIpodにブラジル音楽を入れていたこともあり、留学生に聞かせると、大喜び! 周囲の日本人にも聞かせはじめて、ちょっと盛り上がりました。
****************************
この後、宇和民具館や愛媛県歴史文化博物館を訪れてみました。残念ながら写真は撮影していませんでした。
民具館では以前訪れた時よりも、建物と展示が立派になってビックリ。そのことをスタッフの方に話すと、とても嬉しそうになさってました。
博物館では、城郭関係の特別展が催されており、大洲市立博物館で見られなかった、大洲城の雛型模型がこちらで展示されていました(^^;
卯之町、この他にも「宇和米博物館」「宇和先哲記念館」など見所が多くて、こちらは時間がなくて本当に残念!
それ以上に夕暮れの古い街並みを歩いていると、穏やかで心安ぎ、せめてあと30分はここでぶらぶらしていたかったのでした。
卯之町を後にして、JR予土線で宇和島に到着、宇和島オリエントホテルにチェックインし、旧知の友人・Tさんと再会。二人でJRに乗り吉田町へ。ここでもう一人Aさんと合流。吉田町の寿司屋の二階個室で寿司に刺身と豪遊を繰り広げたのでした。
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この旅行記へのコメント (4)
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- mom Kさん 2022/05/11 16:48:44
- 大洲の品の良さ
- 臥龍山荘の名に魅かれて拝見。そうでしたか、今は撮影禁止ですか。私は最初は、途中下車でこの町に立ち寄って遭遇。驚きと感激で、秋のお祭りに合わせて再訪でしたから、河原へ船で渡り、近郷近在の人々に混じって子供歌舞伎を観るという僥倖。6,7年前です。
Decoさんの「・・・上品な・・・」は、私もほかの町で以前と比較してしまう経験を度々。もてはやされる前の観光地には、地元でよく歴史もご存じな年配の方が、案内してくださっていたのが、今は、担当者の選び方も変わっているように思います。その建物に愛情を持っているのはこちらにも伝わりますね。町のイメージを創る人と思うのです。もう一度お会いしたいと思える人に会える旅は、いいですよね。
- Decoさん からの返信 2022/05/11 19:27:39
- Re: 大洲の品の良さ
- mom Kazukoさん、こんばんは。
臥龍山荘、この旅行記で訪れた2010年では撮影禁止でしたが、その前(多分2000年頃)に訪れたときは禁止ではなかったと思います。今はもしかしたら、また撮影OKかも知れません。ネットで皆写真を上げることで、人が訪れる時代ですからね。
開明学校の学芸員の方、穏やかで親切で、説明の仕方から優しさや誠実さが伝わってくるような方でした。その頃はまだあまり観光化されていない時代で、それだけにその方のことが印象深く残っています。この頃、読売新聞社から出版された本で開明学校が取り上げられて、その中でも上品な学芸員さんのことが褒められていて、私はすぐに「あの方だな…」と思いました。
旅は一期一会、その日、その場所、そこで出会った人…同じ場所に再訪したとしても、同じ経験はできないと思います。その中でも、人との出会いは、何物にも替え難い大切な思い出になります。
開明学校を思い出すたび、学芸員の方のことを今も懐かしく思い出します。
Deco
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- チーママ散歩さん 2021/09/19 06:51:54
- おはようございます。
- おはようございます。
Decoさん。毎回同じ事聞いてすみません。
台風大丈夫でしたか?
こちらは大したことなく済みました。
お城メグラーさんなのですね?
私は歴史が苦手で、一般常識もないので。
↑ただのお馬鹿さん。
だから、各地でお城に行きますが大した感想も言えず。
いつもシャチホコを見て歌うだけ。
↑それもアッコさんのモノマネ芸人。
刀を振りかざしたい気持ちを抑え、愛方さんにお付き合いして、大人女を演じてます。
でも、解説してくださると楽しめますね。
復元したのでピカピカ。
でもお城独特の階段の急な雰囲気は当時のまま。貸し切り100万?凄いわ。
ザ昭和の世界楽しそう☆彡
星一徹さんご愛用のちゃぶ台まで(^ ^)
先日KS電気に行ったらまだ二層式洗濯機が売っているのに驚きましたが。
脱水している間に隣でお洗濯できるのですからある意味画期的。
明治の街も絵になる佇まいですね。
古民家宿泊がちょっと気になります。
外は青空^_^
昨日大掃除したので、今日は遊びに行きたいなあ。
- Decoさん からの返信 2021/09/19 12:28:14
- Re: おはようございます。
- チーママ散歩さん
いつもありがとうございます。
台風は、大丈夫でした。ただ、当初は日本海方面に行きそうで、私のところはそれるかと思ってたら、福岡県直撃(^^;
確かに強い風が吹き、雨も降りましたが、それほどひどいものではありませんでした。
お城めぐり、昔は熱くやっていましたが、中断して久しいのです。ただ、旅行記を書いていてだんだん熱を帯びてきて、またまた長い説明がついてしまいました(反省)。
二層式洗濯機、確かに洗濯と脱水の同時進行で便利でした。ただ、洗える容量が少なめになるので、二回洗濯槽を回したり、洗濯機から目が離せなかったりで、やっぱり全自動は便利ですね。ただ、ちょっと脱水だけしたいとか、そんなときは便利でした。
コロナも下火になってきたし、涼しくなってきたり、これから行楽シーズンですね。お互い感染に気を付けて楽しみましょうね。
大洲の古民家宿泊、中はきれいにリノベーションされているようなので、お値段はそれなり、のようです。
Deco
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