2010/10/18 - 2010/10/18
35位(同エリア380件中)
Decoさん
この旅行記のスケジュール
2010/10/18
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車での移動
ホテルに戻り、Tさんの車で出発。
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車での移動
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車での移動
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車での移動
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大畑旅館にて、作家・獅子文六が滞在した部屋を見学
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車での移動
これ以降の移動は、特に記載かない限りTさんの車での移動です。
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赤松遊園地と赤松のぞき岩
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バスでの移動
宇和島自動車
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薬師谷温泉さがの(現在は閉館)
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バスでの移動
宇和島市のバスターミナルへ戻り、徒歩でホテルへ帰ります。
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この旅行記スケジュールを元に
思い出の秋の旅も四日目。ここまでは全力疾走のようなフル回転の旅でした。
この日は、三日目の夜に旧交を温めた、宇和島のTさんの車に乗せていただき、マニアックな旅になりました。
宇和島市を中心にその南北、旧津島町と旧吉田町(この旅行のときは、市町村合併で既に宇和島市内になっていました)を廻ります。
尚、Tさんは四年程前に亡くなられておられます。育ちが良く趣味人で行動力と教養に富んでいたTさん。親切で心温かい人でした。この旅行記を作成するにあたり、改めて感謝の念を抱く次第です。
2021/9/19
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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宿泊している「宇和島オリエンタルホテル」は、道路を渡ると公園があり、その先に和霊神社があります。今日はTさんと宇和島近辺歴史と文化を探索するドライブの予定ですが、Tさんがいらっしゃる前に朝の散歩です。
写真は和霊神社の二の鳥居ですが、この先の神社の入口との間には須賀川が流れています。和霊公園 花見
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入口から少し上ったところにある本殿です。立派な建物です。全国的に知られた有名神社に比べると、小さな神社ですが、宇和島を代表する神社。境内はきれに掃き清められていて、清々しい気持ちになりました。
宇和島藩の伊達家は、仙台伊達家から別れましたが、初期には大変厳しい財政状況にありました。その中にあって、奉行の山家清兵衛(やんべ・せいべい)は領民に負担をかけることなく財政を再建しました。しかしそれは武家階級に負担を求めたということでもあり、恨みを買った清兵衛は、本人のみならず家族までも惨殺されます。
財政再建・行政改革とはいつの時代も難しく、当事者も無傷では済まされないのでしょう。
しかし民衆に支持されていたため、宇和島藩はその怒りを鎮めるために、和霊神社を建立しました。和霊神社 寺・神社・教会
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別角度から撮影した本殿です。左側の巨大な絵馬は干支に応じて毎年替わります。
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神社入口を本殿側から撮影。なかなか良い雰囲気なのです。
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Tさんがホテルに迎えにきてくださり、まず宇和島市中心部にほど近い小高い丘にある丸山公園へ。宇和島城と市街が見えます。
宇和島市が、山に囲まれた海辺の狭い平地にある都市だということがおわかりいただけると思います。城山を中心に市街がコンパクトにまとまり、人口密度の高い都市でした。司馬遼太郎氏が宇和島の人々を「古風な都会人」と称したのも、このあたりに理由がありそうです。丸山公園 公園・植物園
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闘牛場の内部です。宇和島などの南予地方は闘牛が盛んでした。
戦後一世を風靡した獅子文六の小説「てんやわんや」でも闘牛の様子が描かれています。
*闘牛といってもスペインのような血生臭いものではなく、牛同士の相撲のようなものです。
以前、宇和島には大人数を収容できる施設がなく、何か催し物があるとここが使われたそうです。ピンク・レディーもここでコンサートをやったとか。宇和島市営闘牛場 名所・史跡
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闘牛場の上部。うまく自然光を取り込む構造になっています。
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宇和島市内に戻り、擬西洋建築(構造は伝統的な日本の工法ですが、外観は洋風)の宇和島市立歴史資料館を見学。
宇和島市立歴史資料館 美術館・博物館
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Tさんにお願いして、遊子水荷浦の段畑へ。
前々日、松山のアトラス出版さんからお勧めいただいた場所です。
宇和島中心部から西南方向に延びる岬の一画にあります。
ここは、宇和島市内ではありますが、曲がりくねった海岸線を通るため、かなり時間がかかります。バス(宇和島自動車)で60分。海上タクシーもありますが、四人往復で一万円とか。ただしこちらは片道20分です。13人まで乗れるそうなので(料金はわかりません)、グループならクルージングを兼ねて利用しても良いかも知れませんね。
私は公共交通を使ってのんびり旅をするのが好きではありますが、Tさんに連れてきていただかなければ、ここに行くのは非常に難しかったと思います。
このあたりは、戦前は遊子村と呼ばれていました。戦後昭和三十年代に周辺の村と合併して「宇和海町」となり、昭和49年に宇和島市に編入となりました。
こうして見ると、一山丸ごと段畠にしたことがわかります。
尚、右下の建物はNPO法人段畑保存会の建物(売店)です。日焼けしたおっちゃんが「滅多に出さんのやけど…」とジャガイモ(男爵イモ)の焼酎を出して、珍しかったので一本購入。ここにはだんだん茶屋という食事処もあります。遊子水荷浦の段畑 自然・景勝地
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段畑に上ってみました。すごい…急な角度です。中央に舗装された道がついています。
この段畑、作るのは大変だったと思うし、耕作するのも大変だったと思います。移動するだけでも大変。さらに鍬をふるって作物を作り、水や肥料を運んで…考えただけでも目が回りそうです。
猫の額のような家庭菜園でふーふー言ってる私にはとても無理。
尚、この旅行記を読まれている方の中には戦前~1960年代くらいまで人気があった獅子文六という作家をご存じの方もいらっしゃるかも知れません。
彼の代表作の一つに、兜町の株屋を扱った「大番」があります。その主人公、通称ギューちゃんの出身は多分このあたりで、実際に子供の頃段畑で働いた様子が描かれています。
このあたりはかつてはとても貧しく、ご飯にサツマイモを混ぜた「カンコロ飯」というのが食べられていたそうです。テレビドラマ「おしん」の大根飯みたいで、米を少ししか食べられないので、他の食べ物を混ぜていたのですね。 -
宇和海の風景です。
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イチオシ
まだまだ上があります。
この段畑、江戸時代中頃から形成されていったそうです。リアス式海岸が続く場所で耕地に乏しいために形成されていきました。サツマイモ栽培から始まり、明治には養蚕のために桑にかわり、段畑も石垣が形成されました。しかし、養蚕も斜陽になり、男たちはイワシ漁業に出ていくようになったそうです。再びサツマイモを作るようになり、戦後の食糧不足の頃には高値で取引されていたとか。しかし、それも終わり、ジャガイモ栽培で成功しましたが、それも暴落。
昭和四十年代からは、放棄されていき、山に戻っていきましたが、平成に入ってNPOが結成されて保存にあたり、平成19年には重要文化的景観として選定を受けました。 -
段畑の耕地です。
段畑はサツマイモを栽培していた時期が長かったのですが、収穫後のネズミの被害が大きく、猫を導入して駆除を図ったそうですが、ネズミは作物を食べて栄養満点で大きく、子猫を威嚇していた…とか。 -
段畑、下の集落、海の風景。このあたりの地形、山が海に迫り、平地が少ないということがおわかりいただけると思います。
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現在の段畑は、作業用のレールも利用さてているようです。
「水荷浦」の地名、このあたりでは乏しい水を運搬するのが大変だった…ということからつけられたそうです。昔は大変だったと、この写真を見るたびに思います。 -
段畑を下から見るとド迫力です。
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イチオシ
段畑から見た宇和海です。青い空と海…
ここで話が脱線しますが、昔(1970年代)にNHK少年ドラマシリーズで放映された「つぶやき岩の秘密」(新田次郎原作)というドラマがありました。
神奈川県の三浦半島を舞台にしたドラマでしたが、主題歌「遠い海の記憶」(石川セリ)はプチ・ヒットとなりました。
この主題歌の作詞は、ドラマの助監督を務めていた井上真介氏が書きましたが、井上氏は宇和島出身で、Tさんの弟さんの友人だったそうです。井上氏はなかなか歌詞が書けず、故郷の宇和島の海を思い出すことでようやく書けたそうです。
あの石川セリの歌のイメージ、三浦半島とともに、宇和海のこんな風景も重なっていたのかも知れません。 -
遊子水荷浦を後にして、同じ宇和島市内でも旧津島町の中心・岩松エリアに入ります。
旧津島町は今は宇和島市との間にトンネルがあり、短時間で行けるようになっていますが、かつては山の上の険しい峠を越えて道路が通っていました。かつては交通の面では隔絶した地域であったようです。
それゆえ、岩松は周辺の物資に集散地として栄え、岩松川に面した細長い町にはかつては芝居小屋などもあったそうです。
【獅子文六と大野文六堂】
この町の一角に「大野文六堂」という和菓子屋さんがあります。かつては文六餅というお菓子が名物でしたが、このときは既に営業はされていませんでした。
店の表に「てんやわんや」などの看板ありますが、遊子水荷浦で紹介した獅子文六にちなんだ名称となっています。
そう、ここ岩松こそが戦後一世を風靡した小説「てんやわんや」の舞台・相生町のモデルなのです。また、これも先に紹介した「大番」でも登場します。
獅子文六は、戦中に「海軍」なる戦意高揚小説を書いたため、戦後GHQの戦犯追及を恐れ、妻の実家があるここ岩松にしばらく引っ込んでいました。このときの体験が創作に行かされているそうです。岩松の町並み 名所・史跡
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岩松の街並みにあった古い作りの旅館です。お遍路さんなどが定宿にしていて、人気もあるようです。
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街を歩きます。小説「てんやわんや」の紹介がありました。
ちなみに、昭和に人気があった漫才の「獅子てんや・瀬戸わんや」のコンビはこの小説から取られたそうです。 -
岩松の町は、岩松川に面しています。かつては物資の集散地として栄えましたが、今はのどかな街並みになっています。
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「小西本家」の説明があります。小西家こそは、津島町一帯、南伊予に隠然たる勢力を奮った豪商でした。
先述の「てんやわんや」の相生長者・玉松家や、「大番」の森家は紛れもなく小西家をモデルとしています。
小西家は本家以外にも幾つも分家があったそうです…が。
ここでこの日、案内してくださっているTさんが爆弾発言。
「私の祖先に小西家からお嫁に来た人がいるんですよ。本家か分家かわからないけど」
小西家と姻戚関係になるくらいだから、Tさんのお宅も宇和島の名家だったのは間違いないのです。
Tさん、一見普通のおじさんではありますが、どこか御曹司風の人の良さと鷹揚さがあるのです。 -
小西本家で唯一残った建物…。
時の流れを感じます。
*現在、小西本家は、内装が元に戻され「色ガラスの家」として時折公開されているようです(常時公開ではないのが残念)。 -
再び岩松川河畔に出ます。
「大畑旅館」の表示があります。 -
【獅子文六が滞在した部屋が残る、大畑旅館】
こちらが大畑旅館。河畔に面した涼しげな建物です。
古い建物ながらも手入れが良くされています。
実は、ここが獅子文六が滞在した旧小西邸(分家)の建物なのです。
Tさんと話して、昼食をここで取ることにして、文六氏が滞在した部屋を見学させてもらうよう、交渉してみようということになります。
…が、昼食は予約制とのことでした。そこで私、Decoはダメモトで見学希望を言うと、ご主人「見学は歓迎します」とのこと。このとき、Tさん、「ダメモトでも言ってみるもんですね…」。そりゃ、九州からわざわざ来たんですから。 -
上の写真の二階が文六氏が滞在していた部屋です。現役で使用されているような感じでした。
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広い窓からは岩松川の景色が見えます。
こりゃあ、風情があって、クラシカルな雰囲気があって、素敵じゃないですか。なんと言っても小西家分家だったんですからね。「てんやわんや」の客部屋はここがモデルだったのかな…と考えたり。
文六氏滞在という点を除いても、泊まってみたい部屋です。 -
文六氏の色紙も飾られていました。
見学後感激して、ご主人に「『てんやわんや』も『大番』も『悦ちゃん』も読みました。『てんやわんや』はビデオも持っています。文六の小説が好きで、是非文六の間を見たいと思っていました」と申し上げると、ご主人いわく「文六先生も喜ばれていらっしゃると思います」。
11年経ちますが、改めて大畑旅館のご主人にお礼を申し上げます。経営には何も貢献してないのに、親切に見学させてくださって、ありがとうございました。とても貴重で嬉しい体験でした。
この後、同じ旧津島町エリアの「道の駅津島やすらぎの里」のレストランで昼食を取ります。 -
旧津島町の南楽園から、宇和島中心部に戻る…と思いきや、素通りして、北の旧吉田町エリアへ。吉田町は、江戸時代初期に宇和島藩の支藩として吉田藩となり、宇和島から分離。明治以降は独立した自治体となり、平成の大合併で宇和島市と一緒になりました。
ここで昨日会食したAさんも合流して「吉田ふれあい国安の郷」を見学します。
十月の暑くも寒くもない日。Aさんが「一年の中で一番良い季節ね」とおっしゃったことが昨日のように思い出します。
この数年前にも宇和島を訪れ、そのときは、Tさん、Aさん、別々に会っていました。後からわかったことですがAさんはTさんのお父様をご存じだったようで、その後Tさんとも会われて、今回初めて三人でお会いしました。
このときはとても楽しくて、また三人で会いましょう…と言っていました。まさかTさんがその数年後に亡くなってしまうなんて。吉田ふれあい国安の郷 名所・史跡
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国安の郷は、宇和島地方の古い建物を集めた施設ですが、その中心になるのは、吉田町の豪商だった旧・法華津屋。写真の建物です。中に入ります。
法華津屋の店舗部分の構造模型です。
【法華津屋と武佐衛門一揆と安藤義太夫】
法華津屋は、江戸時代、吉田藩(宇和島藩の分藩)が作物の専売制をひいたときの御用商人となり、暴利をむさぼりました。領民は窮状に追い込まれ、ついに武佐衛門一揆が起こります。武力衝突が起ころうとしたとき、吉田藩の家老・安藤儀太夫が一揆軍の前で自害し、このことにより一揆は鎮まり、また領民への搾取も止んだといわれます。
一揆のリーダーであった武佐衛門は、現在の鬼北町の旧日吉村エリアの農民だったと伝えれています。一揆側は吉田藩の本家筋である宇和島藩に訴えようとし、ことの収集も宇和島藩があたり、一揆を処罰しないと約束しましたが、吉田藩は裏切り、農民側を騙して武佐衛門を死罪としました。現在も旧日吉村では武佐衛門は尊敬されているということで、「武佐衛門一揆記念館」という立派な施設もあります。また旧日吉村は、日本で初めてメーデーが行われた地としても知られています。
また、安藤儀太夫も死をもって藩と一揆の衝突を止めたということで、尊崇を集め、今も吉田町の中央には安藤神社が祀られています。 -
お座敷です。広くて、柱が太い!
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二階から見た梁です。がっしりしてすごく立派です。
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法華津屋の見取り図です。非常に広い建築物ですが、国安の郷に保存されているのは左側の店舗部分のみ。
実は右半分のお屋敷部分は、今も吉田町の市街にあります。この数年前にAさんにお目にかかったときにはお住まいの方がいらして、Aさんのお知り合いで見学させていただきました。
とても立派な建物で風格がありましたが、個人で古い建物を維持管理するのはとても大変な印象もありました。 -
国安の郷の一画は資料室のようになっており、宇和島地方の郷土芸能、鹿踊(ししおどり)の衣装も展示されていました。
鹿踊は、東北の方の芸能でしたが、伊達家が宇和島に分家になったときに、持ち込まれたそうです。 -
国安の郷には他にも様々な民家などが移築されていました。
こちらは確か、漁師さんの家屋だったかと思います。 -
こちらは農家。
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農家の土間の部分です。
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法華津屋前の通りです。江戸時代に戻ったような気がしました。
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【赤松遊園地と赤松覗き岩】
吉田町から宇和島市内に戻る途中、赤松のぞき岩に立ち寄りました。
ここの周辺は「赤松遊園地」といって、宇和島市民の夏の憩いの場だったそうですが、現在は閉鎖されています。のぞき岩は、昔、宇和島の海の玄関口のような場所だったそうです。
この写真の場所、忘れてしまっていて、どこだったか調べているうちに、「赤松遊園地」をネットで見つけました。そういえば、遊具やブランコ、売店などがあって、遊園地だったようなかすかな記憶があります。その先にこの岩と社があったことを思い出しました。
*フォートラで「赤松遊園地」の登録があり、ここからさほど離れていない場所ですが、内陸で、多分位置情報をミスったか、まったく別の施設かも知れません。位置情報は緯度経度にしています。 -
お寺にも立ち寄りました。四国八十八ヶ所、四十二番の佛木寺です。
このときはわかりませんでしたが、このお寺は赤松遊園地よりもかなり北東にあり、宇和島に戻るには遠回りになります。Tさんがわざわざ廻って、八十八ヵ所の質朴なお寺を見せてくださったのだと思います。
境内にはお遍路さんの姿もありました。意外に若い人もいたのが印象に残っています。
お遍路さん、半ば観光化している印象もありますが、実際に四国に行ってみると、様々な方がいらして、Tさんは見ていて悲しい気持ちになることもあるとおっしゃっていました。仏木寺 寺・神社・教会
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別の角度から撮影。
さて、昨今フォートラでも話題になっている手水ですが、ここは秋には紅葉手水が見られるそうです。また地元の方々が花を植えられていて、とてもきれいだそうです。 -
【薬師谷温泉さがの(閉館)に行く】
これにてTさんとの宇和島の旅は終了ですが、ホテルに戻って、どうしても行きたいところがあります。
それは「薬師谷温泉さがの」。以前訪れたことがありますが、どうしても再訪したくなりました(写真は撮影していませんでした。申し訳ありません)。
宇和島近郊の薬師谷渓谷に面した日帰り温泉で、宇和島駅前からバスで向かいます。
渓谷に面した露天風呂が名物ですが、暗くてあまり見えない(^^;
打たせ湯もなくなっていて、かけ流しではなく、循環だったのでしょうね。バスで宇和島のバスターミナルへ。そこから10分程歩いてホテルへ戻りました。
*薬師谷温泉さがのは、この後営業終了となってしまいました。残念ですが、閉店前に行けて良かったです。
【レストラン宇和海と鯛めし】
ホテルに戻り、コインランドリーで洗濯している間に一階のレストラン「宇和海」で夕食を取ります。
*宇和島オリエンタルホテルの「宇和海」はその後無くなってしまい、コンビニが入っているそうです。
宇和島名物「鯛めし」です。
まず、お櫃からご飯を椀によそります。宇和島オリエンタルホテル 宿・ホテル
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甘辛い醤油ベースのたれに入った生卵を溶きます。
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そこに鯛の刺身を入れます。
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ご飯にかけて食べます。
今日は風邪気味だったこともあり、大人しく就寝致しました。
これにて第4日目は終了です。
翌日は高知へ向かいます。
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この旅行記へのコメント (5)
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- RON3さん 2024/10/09 12:21:16
- とても素敵な出会いを旅行記にまとめられて良かったですね
- Decoさん、こんにちは!
いつも訪問と投票、そしてコメントをくださり、ありがとうございます。
私も今年の春に、卯之町や宇和島の闘牛場や遊子水荷浦の段畑に行ってきました。
卯之町も闘牛場も他の観光地に比べるとマイナーかもしれませんが、大洲や内子、卯之町などの古き良き町並みをこれからも残して欲しいと思える場所で良かったです。
遊子水荷浦の段畑は小雨降る中での訪問で、いわゆる「映える」写真は撮れませんでした。もともと段畑にはそういった感性とは違った歴史があるわけで、リアス式海岸の小さな漁村で農業ができる平地がほとんどない場所で、先人たちが必死になって石垣を積み上げて、小さな畑をちょっとずつ作って、必死に生きてこられた汗と涙の結晶なんだろうなと察します。
ところで、Decoさんの旅行記は、いつも説明が丁寧で、一度もそこへ行ったことがない人でもそこの歴史や概略が手短に把握できて、さらにその場面での感想を簡潔にまとめていらっしゃるので、非常にわかりやすいです。
抽象的な表現ではなくて、具体的に数字的データも交えているので、なおさら実感も伝わってきます。
今回の旅行記は特にDecoさんにとって、とても大切な人たちとの出会いをまとめられていらっしゃいます。Tさん、そしてAさん、それに松山のアトラス出版の編集者さん(Nさんかな?)たちとの出会いはかけがいのないものだったことが良く伝わってきます。
そして今は亡きTさんとのこの「旅」は特別だったものと思います。どこへ行ったか、何を食べたか、何を見たか以上に、Tさんとの時間がもう帰ってこない貴重なお時間だったことを、このような旅行記にまとめられて、素敵なご供養になったんではないでしょうか。
素敵な思い出を読ませてくださって、ありがとうございました。
RON3
- Decoさん からの返信 2024/10/09 20:57:56
- Re: とても素敵な出会いを旅行記にまとめられて良かったですね
- RON3さん、こんばんは。
こちらこそ、拙旅行記をお読みいただきありがとうございます。
また、お褒めのお言葉をいただき恐縮です(^^ゞ
南予は、どこか懐かしい街並みで、大好きな土地です。特に卯之町は、司馬遼太郎も「街道をゆく」で大絶賛していました。訪れたときは暖かい日の午後、穏やかで落ち着いた街並み。歩いているだけで心穏やかになり、いつまでも佇んでいたいような町でした。
遊子水荷浦の段畑、映える写真は撮れなかったとのことですが、私はRON3さんの写真は立体的に風景をとらえた構図になっていて勉強になりました。私はセンスがないので、どうしても平面的になってしまいます。
「思い出の秋の旅」のときは、Tさん、Aさんのおかげで、私一人では絶対に見られないような風景を見せていただけました。しかもお二人とも歴史に詳しいので、解説も超一流でした。当時もお二人には感謝していましたが、時を経て旅行記にまとめると、いかに貴重な経験だったかを改めて感じています。
アトラス出版のお二人はNさんです…というか、RON3さんもご存知なのですか? RON3さんの詳細な旅行記からして、Nさんとお知り合いでも不思議ではないと思っています。
宇和島の旅行記、作成にあたり残っていた写真を再度調べ直しました。Tさんが案内してくださった場所をもう一度確認したかったのだと思います。
実は、TさんとAさんについては、「思い出の秋の旅」よりさらに前、20年前にこれまた貴重な場所を案内していただきました。少しずつまとめていますので、いつかまた公開できればと思っています。
丁寧に旅行記をお読みいただき、またコメントをいただき、ありがとうございました。
Deco
- RON3さん からの返信 2024/10/09 21:42:16
- 「思い出の秋の旅」より20年前の「思い出の旅」
- Decoさん、こんばんは!
アトラス出版のNさんご夫妻は存じ上げていません。
『思い出の秋の旅 2010(2)松山編』に出てきた『宇和島をゆく』の編集者と書かれていたので確認したら、Nご夫妻がやっていらっしゃる出版社ということもわかりました。奥さまはフリーでご活躍のご様子ですね。
また、執筆協力者の中にご友人の名前があったということで、皆さん宇和島の歴史や文化等にお詳しく、由緒あるご家系なのかなと感じた次第です。
「思い出の秋の旅」より20年前の「思い出の旅」、お時間がかかっても良いかと思います。Tさんに案内していただいた貴重な場所を含めた「貴重な旅の思い出」を旅行記の形に少しずつまとめることができたら良いですね。
いつか公開される日を楽しみにしております。
RON3
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- チーママ散歩さん 2021/09/24 00:08:37
- こんばんは
- こんにちは♪ Decoさん。
シルバーウイークも飛び石連休でそのままお彼岸に。
どちらかお散歩にお出かけされましたか?
宇和島の観光は四国の旅でもなかなか行ける所ではないのでとても興味深く拝見しました。
闘牛が見れるのですか。 珍しいですね。
牛は闘い専門の牛なのでしょうか?
一番興味をもったのは段々畑。
山全体 畑とは圧観ですね。
重要文化的景観とありましたが 今は使われていないのですね?
かなり大変な作業ですものね。
Decoさんは本当に読書家なのですね。
Tさんとの思い出の旅。
珍しい景色を沢山ご紹介いただきました。
明日は会社のほとんどの人がお休み(^^;)
飛び石って仕事の効率が悪いのであまり嬉しくないお休みですね笑
- Decoさん からの返信 2021/09/24 05:32:12
- Re: こんばんは
- チーママ散歩さん、おはようございます。
いつもありがとうございます。
南伊予、観光が多いのは、松山から近い内子や大洲までだと思います。
宇和島あたりは珍しい景色でしょうね。
特にこのときはTさんのおかげで滅多に行けないところに行けました。
闘牛は、牛どうしの相撲のようなもので、それなりに激しいけど平和なものだと思います。
段畑、今も耕作はされているようですが…観光や景色文化の保全のためのようです。
飛び石連休、皆お出かけなのかな~ 人が多いかも知れませんね。
Deco
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