2014/10/09 - 2014/10/18
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mugifumiさん
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この旅行記のスケジュール
2014/10/16
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エストニア、タリンのコフトゥ展望台から徒歩
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短い足通りなどを通って下町に向かう
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聖ニコラス教会やラエコヤ広場、広場の市議会薬局、聖霊教会などを見ながら北に向かう
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聖オレフ教会、三人姉妹、太っちょマルゲリータなどを見学
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ヴェネ通りのレストランで昼食
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聖ニコラス教会見学、その後、帰国の備えてショッピングセンター
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天皇皇后両陛下がお泊まりになったスリーシスターズホテルのお部屋見学、同ホテルでエンペラーメニュー
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ホテルテレグラフ(泊)
2014/10/17
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聖オレフ教会の塔からタリン市街見学
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タリン発14時50分AY2108便でヘルシンキへ、ヘルシンキ発17時15分発AY073便で成田空港へ
2014/10/18
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成田空港着8時55分
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この旅行記スケジュールを元に
この旅行記は、「秋のバルト三国美しき古都と城を訪ねて」のツアー8日目(10月16日)と9日目に訪れたエストニアの首都タリン観光の模様をお伝えするものです。
最初は、宿泊したホテルからヴィル門などをを散策し、その後、トームベア城やアレクサンドル・ネフスキー大聖堂など山の手地区を見学したほか、二つの展望台からタリンの街並みを楽しみました。
その状況については、「秋のバルト三国美しき古都と城を訪ねてNo.15<エストニアの首都タリン①>としてレポートしました。
そして、二つの展望台から短い足通りなどを通って下町に向かい、聖ニコラス教会やラエコヤ広場、広場の市議会薬局、聖霊教会を見ながら北に向かい、聖オレフ教会、三人姉妹、太っちょマルゲリータなどを見学しました。
その後、ベネ通りを通ってホテル付近にあるレストランで昼食をいただき、「死のダンス」で有名な聖ニコラス教会に向かい、その主祭壇や聖母マリアの祭壇を見学しました。
教会の見学が終了しますと、帰国に備えてショッピングセンターに向かいました。
夕刻には、天皇皇后両陛下がお泊まりになったスリーシスターズホテルのお部屋を見学し、ホテルのレストランで「エンペラーメニュー」をいただきました。
翌日は、タリン発14時50分発の飛行機で帰国の途につきますが、午前中の自由時間に聖オレフ教会の124mの塔に登り、街並みの美しさを再び味わうことができました。
<巻頭写真は、聖オレフ教会の塔から見たタリン市街>
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
<政府機関の建物>
展望台での見学が終了しますと、山の手地区から下町に向かいました。
大きな目標としては、下町のラエコヤ広場に向かうのですが、コフトゥ通りなどを通って聖母マリア教会近くの「政府機関の建物」や「エストニア騎士の館」、「アレクサンドル・ネフスキー大聖堂」などを見ながら「聖ニコラス教会」に向かったのです。 -
<エストニア騎士の館>
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<長い足通り>
途中、コフトゥ通りを過ぎますと、「長い足通り」といわれる「Pikk jalg」という通りと「短い足通り」といわれる「Lihlke jalg」通りを歩きました。 -
<アレクサンドル・ネフスキー大聖堂>
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<カフェBacapott>
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の近くには、「Bacapott」というスープが人気のカフェなどがあり、この辺りから急な坂道が多い「短い足通り」に入ったようです。 -
<土産物品店Souvenir>
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<短い足通り>
短い足通りを進んで行きますと、やがて、現在は宗教芸術作品を展示する博物館になっている「聖ニコラス教会」に出ました。 -
<聖ニコラス教会の裏側>
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<聖ニコラス教会の井戸>
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<聖ニコラス教会>
この教会は、1230年代にドイツ商人によって建てられた教会で、第2次世界大戦で破壊されましたが、1980年代に修復されました。
展示品の中では、ベルント・ノトケという方の美しい絵画「死のダンス」や「「主祭壇」などが見どころになっているそうです。
私たちは、この時には中に入りませんでしたが、午後から再訪問して見学しましたので、後ほど紹介したいと思います。
この後、教会から続くラタスカエヴ(Rataskaevu)という通りを歩いて行きましたが、その途中に小さな広場があり、上の画像の「聖ニコラス教会の井戸」がありました。
ガイドさんの説明では、中世では井戸の中に悪霊が住んでおり、生け贄を捧げなければ井戸が涸れてしまうとされていたそうです。
そのため、私たちの身近にいるある動物を井戸に放り込んだそうですから恐ろしい話ですね。 -
<Dukri通りの建物>
ところで、井戸の後ろにいくつかの国の旗がひらめいている建物が見えますが、「Hermitage」というレストランが入っているホテルのようです。
この井戸と国旗がはためく建物の前にある「ラタスカエヴ通り」から「Dunkri」という通りに入って「ラエコヤ広場」に向かったのですが、どこを歩いても美しい建物が並んでいて、本当に散策が楽しいものとなりました。 -
<ラエコヤ広場>
旧市庁舎などラエコヤ広場の光景は、すでに掲載しましたので、省略したいと思ったのですが、広場の説明をしていませんでしたので、再掲します。
この広場は、旧市街、下町の中央にあり、デンマーク王がトームベア城を築く以前からスカンジナビアの商人たちが市を立てていて、以来、1896年まで市場として機能していました。
広場は、祭りや結婚式などが行われる場所でもあったのですが、今でもコンサートなどが開催されています。
14世紀には、広場の南側に市庁舎ができ、それ以来、ここは、「市庁舎(ラエコヤ)広場」と呼ばれるようになったのです。
1695年には、オムレツの味を巡って僧侶とウェイトレスが言い争い、僧侶がウェイトレスを殺害し、僧侶が公開処刑された場所が北東にあるそうです。
広場の中央からは、旧市庁舎、聖ニコラス教会、聖霊教会、聖オレフ教会、聖母マリア大聖堂など旧市街の主要な塔を全て見ることができます。
でも、小生には、広場から見えている尖塔がどこのものなのか「サッパリ」分かりませんでした。
「旧市庁舎の後ろ(南側)に見えている尖塔は、聖ニコラス教会でしょうか?
さて、広場に到着したときに話を戻していただいて、その模様と「市議会薬局」という建物などをご覧ください。 -
<ラエコヤ広場に到着>
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<広場の売店にて>
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<市議会薬局>
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<市議会薬局の看板>
市議会薬局は、1422年にはすでに3代目が経営していたという記録が残っており、ロシアの皇帝も薬を注文していたそうです。
建物の正面には、ご覧のように薬学を象徴する蛇が巻き付いた杯が掲げられていました。 -
<聖霊教会>
聖霊教会は、14世紀の初めにはすでに記録がある古い教会ですが、タリンの教会では異色の教会であると言われています。
旧市街にあるほかの教会が、当時の貿易商人など豊かな上流階級の人々のために建てられたのに対し、貧しい人々のための教会だったからです。
そのため、「貧者の聖書」と呼ばれる旧約聖書の物語を表した57枚の絵が描かれており、文字が読めない人々の教化に使われたのです。
建物的には、タリンに現存するゴシック様式の教会としては最古のもので、市庁舎と聖霊教団救貧院付属の礼拝堂として建てられています。 -
<聖霊教会の大時計>
ピック(Pikk)通りに面している教会の大時計は、1684年製で、タリンで最初に取り付けられた公衆時計です。
その四隅には、福音書記者の彫像が彫られています。
聖霊教会の見学が終わりますと、タリンの北側にある聖オレフ教会や、三姉妹、太っちょマルガレータなどを見学するためにピック通りを北に向かって歩きはじめました。 -
<北に向かってピック通り左方向の光景>
聖霊教会がピック通りに面しているところに小さな箱庭のようなところがありますが、そこから通りを北に向かいますと、左側に二階の中央ベランダから国旗が下がっている大きなピンクの建物が目に飛び込んできました。 -
<同じく右方向>
分かりやすく申し上げれば、聖霊教会の目と鼻の先にピンクの大きな建物があったものですから、思わずシャッターを切ってしまいました。
中央の国旗は、上が白、中央が青、下が赤の三色の横縞のものですから、ロシア国旗でしょうね。 -
<スウェーデン大使館>
ここをさらに進みますと、ピック通りの支流のような「Olevimagi」という狭い通りが右手に見えていますが、その手前の左手には、青色の金文字の国旗がたなびいているスウェーデン大使館がありました。
でも、ガイドさんが私たちに案内したかった建物は、スウェーデン大使館ではなく、その右隣の黄色の建物です。 -
<ブラック・ヘッドギルド>
ギルドと呼ばれる建物は、この建物のほかにピック通りの聖霊教会付近に「グレード・ギルド(大ギルド会館)」という建物がありますが、撮影していませんでした。
こちらは、大ギルドの集会やパーティー、結婚式などに使われてきた建物で、現在「歴史博物館」となっています。
ギルドは、同じ職業の人々が争いを避け、互助を行うために作った組合のような団体で、いくつかのギルドがあったそうです。
でも、大ギルドは、市長や議員はすべてここから選出されたそうですから、最も権威が高い組織だったのではないでしょうか?
さて、話が大ギルドの方に逸れてしまいましたが、ブラック・ヘッドギルドは、ギルドに入る資格がなかった独身商人たちが1399年に結成した組織で、街の防衛や祭りの進行を担っていたそうです。
この建物は、1517年からギルドの会館として使われていて、1531から1532年に大がかりな増築が行われ、1597年にはオランダ風のルネッサンス様式の改築されています。
写真のように正面の壁(ファザード)には、様々なレリーフで装飾されています。 -
<三人姉妹>
ブラック・ヘッドギルドからさらに北に向かっていきますと、左側に旧市街で最も高い塔を持っている「聖オレフ教会」が見えてきます。
でも、私たちは、さらにその先にある「三人姉妹」を先に見学するそうです。
三人姉妹は、15世紀に建てられた住宅の集合体で、美しく飾られたファサードが女性的な雰囲気を持つことから「三人姉妹」と呼ばれています。
ライ通りにも同じような住宅の集合体がありますが、こちらは厳格な表情から「三人兄弟」と呼ばれているそうです。
建物の正面上部に突起物のようなものが見えますが、屋根裏の書庫に物品を引き揚げられるようにクレーンが設けられていたそうです。 -
<三人姉妹中央の建物>
現在、三人姉妹は、スリーシスターズ(The Three Sisters)というホテルになっています。
私たちは、今晩、このホテルのレストランで「エンペラーズメニュー」の夕食をいただくことになっています。 -
<三人姉妹左側の建物>
三人姉妹を過ぎますと、正面にはピック通りを塞ぐような門があるところに出ました。 -
<スール・ランナ門>
この門が、「太っちょマルガレータ」といわれる砲塔と見張り塔の間にある「スール・ランナ門」です。
しかし、門の中からは、太っちょマルガレータの姿が写っていませんので、門を通過したところからの光景も併せてご覧いただきましょう。 -
<スール・ランナ門を通過したところ>
この画像は、門を通過してから撮影したものですが、左側に「太っちょマルガレータ」の一部が写っています。
そこで、建物の全容をご覧いただきましょう。 -
イチオシ
<太っちょマルガレータ>
「なるほど、太っちょだね!」といいたくなる形の建物ですが、街の最も重要な出入り口を守るため1529年に建てられた砲塔だというのですから、驚いてしまいますね!
直径24m、壁の厚さ4.7mだそうですから、まさに名は体を表しているといえそうですね。
現在は海洋博物館になっていますが、この建物の使い方にも変遷があって、砲弾が発射されなくなってからは、倉庫、兵舎、監獄として使われたそうです。
ここが監獄として使われていた頃、囚人の食事を切り盛りする「ふとっちょ」の女将さんがいて、彼らから尊敬と畏敬の念を持って慕われていた彼女の名前が「マルガレータ」というそうで、それが塔の愛称になったという話です。 -
<Uus通り>
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<Stolting Tower>
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<Aia通りなどとの交差点付近>
太っちょマルガレータからは、ピック通りから東方向のUus通りに出て、「Stolting Tower」という赤い塔などを楽しみながら、Olevimagi通りとAiaという通りの交差点で右折してOlevimagi通りに入り、途中でVene通りに入りました。 -
<東方正教会>
Vene通りに入りますと、白い二階建ての建物が目に入ってきましたが、この建物は、東方正教会(Orthodx Church)のようです。
教会の反対側に見える大きな建物は、「Tallinn City Museum(タリン シティ ミュージアム)」となっていました。
次に、その手前にあった城壁のような建物をご覧いただきましょう。 -
<ベネ通りの城壁>
太っちょマルガレータから何のためにVene通りに出てきたのか?
それは、この通りに私たちがお世話になっているテレグラフホテルがあり、昼食(ご自由にどうぞ!)をホテル近くのレストランでいただくためです。 -
<レストラン La BOTTEGA>
そのレストランの名前は、イタリアンレストランの「La BOTTEGA」です。
場所は、ベネ通りを南に向かってテレグラフホテルを過ぎた右側にあります。
それにしても、言葉が通じませんし、何をいただいて良いのか困ってしまいました。
幸い、ツアーメンバーの中に外国語が堪能で、イタリア料理に精通している方がいましたので、その方と同じ料理を(パスタ)いただくことにしました。 -
<何パスタ?>
しかし、雰囲気の飲まれたのか?その味などは「さっぱり」覚えていません。
昼食が終わりますと、「死のダンス」が有名だという「聖ニコラス教会」に向かいました。 -
<聖ニコラス教会>
聖にコラス教会は、現在、博物館として利用されていますが、天に向かって真っ直ぐに伸びる尖塔が印象的な教会です。
場所は、ベネ通りを南に向かってヴィル通りに出て、右方向(西)に歩きますが、トームベア城などを見学したときに、その外観を見ていたようです。 -
<聖母マリアの祭壇>
こうして、私たちは教会の中に入ったのですが、教会の代名詞とも言える15世紀の絵画「死のダンス」を見学しなかったのです。
見学しなかった!といいますと嘘になりますが、撮影していなかったのです。
法王や、皇帝、皇女、枢密卿、国王などが「いやいや」ながら「死(骸骨)」とともにダンスを繰り広げる様子が描かれているという縦1.6m、横7.5mのカンバスに描かれた作品ですから、残念というほかありません。
そして、絵の下のは、「死」が語る皮肉に満ちた警句が記されているそうです。
その警句が旅行冊子に掲載されていて、とても愉快な言葉でしたので、参考に掲載しておきます。
◆◇◆◇◆◇
【「死」が語る皮肉に満ちた警句】
みんなダンスに加わりな、法王、皇帝、すべての生けるものたちよ、貧しいものも、富めるものも、大物も小物も、さあ一歩踏み出して、自己憐憫(れんびん)などは役にはたたぬ、おぼえておきな、罪の許しを得るために、善行かさねておきなされ、さあ、おいらのパグパイプにあわせて、みなの衆、今がそのとき踊りどど・・・。
◆◇◆◇◆◇
さて、小生は、この「死のダンス」を撮影しないで何を撮影したのか?ですが、この画像の15世紀の「聖母マリアの祭壇」、15世紀リューベックの職人ヘレメン・ローデの傑作とされる「主祭壇」、工作ギルド組合員による「銀細工」などです。 -
<ヘレメン・ローデの傑作「主祭壇」>
主祭壇は、ご覧のように観音開きになっていて、第二面の左側には、船乗りや貧しい人々を救済する「聖のニコラスの生涯」が、右側には、異境の偶像を破壊し殉教した「聖ヴィクトルの生涯」が描かれています。
こうして、教会の見学が終わりますと、自由行動となっていましたので、帰国に備えてショッピングセンターに向かいました。 -
<天皇皇后両陛下のお写真>
夕刻には、天皇皇后両陛下がお泊まりになりましたスリーシスターズホテルのお部屋を見学し、レストランで「エンペラーズメニュー」をいただくことになっています。 -
<エンペラーメニュー①子牛鞍下肉>
-
<エンペラーメニュー②新鮮野菜>
-
<エンペラーメニュー③暖かいカヌレ>
どんなメニューか?
・ 新鮮野菜のサン・ダニエーレ産生ハム焼き
トマトシャーベットと木苺のビネガーソース添え
・ 仔牛 鞍下肉のグリル、ソースショプロン(トマトペーストの入った酸味のあるソース)がけ
アスパラガス、トマト、トリュフ、マッシュドポテト添え
・ 暖かいカヌレ(フランスの焼き菓子)
バニラアイスクリームとピスタチオ添え
となっています。
しかし、平成天皇皇后両陛下が召し上がったメニューだそうですから、緊張して味の吟味をする余裕などありませんでした。
明日は、旅行9日目ですが、バルト三国に「さよなら」を告げて帰国する日でもあります。
ホテルを12時30分出発となっていますので、午前中は自由行動です。
添乗員のTさんが私たちを飽きさせないように考えているそうです。 -
<ライ通りに並ぶホテルなど>
◆◇◆◇◆◇◆◇
10月17日(木)旅行9日目 天気 晴れ
◆◇◆◇◆◇◆◇
昨夜は、この旅の最後の晩餐としてスリーシスターズホテルでエンペラーメニューをいただきました。
今日は午前中、自由行動ですが、私たちが気になっていた「聖オレフ教会」を訪れ、塔の上からタリンの美しい街並みを見学できるようにTさんが案内してくれるそうです。
まず、ホテルからピック通りやLai通りに出て聖オレフ教会を目指しました。
聖オレフ教会は、塔の高さが124mとタリンの旧市街で最も高い建物です。
13世紀の半ばにノルウェーの聖人を祀った教会で、15世紀の大規模な改築や、雷により何度か焼け落ちたりしていますが、現在の姿になったのは、1840年だそうです。
この教会の建設には、オレフという巨人の伝説が残っているそうですが、その内容は旅行冊子などに掲載されています。 -
<キリスト受難の物語とオレフの石像>
ピック通りに面した教会の外壁には、キリスト受難の物語のレリーフの下にオレフの石像が横たわっているそうです。
柵に囲まれている中央にオレフの石像が横たわっていますが、写を拡大しないと、確認できないかも知れませんね。 -
<聖オレフ教会の内部>
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<美しいタリン旧市街>
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<左奥に新市街の建物>
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<旧市街の高い建物>
これらの画像が、教会の内部と教会の高い塔から見えたタリンの景色ですが、散策したタリンの美しさを再確認できました。
教会の見学が終了しますと、タリンで一番古いカフェ「マイアイスモック」でコーヒーを楽しみながらタリンの街並みを眺めていました。 -
<AY2108便>
その後は名残惜しいのですが、帰国のために空港に向かいました。
タリン発14時50分のAY2108便でヘルシンキに向かいます。
ヘルシンキで17時15分発のAY073便に乗り換え、9時間40分のフライトで成田空港に明日の8時55分に到着する予定です。
最後に、このツアーでご同行いただいた皆様とワールド航空サービス社のTさんに厚く厚く感謝申し上げます。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
<編集後記>
この旅行記は、「秋のバルト三国美しき古都と城を訪ねて」という10日間にわたるツアーの旅行記ですが、皆さんはどのように感じられたでしょうか?
小生は、旅行記を作りながら「あああ、またしても勉強不足だったな!」という思いを持ちました。
そして、ツアーのタイトルのように、本当に美しい古都があり、城があったのですから「なるほどね!」と感心したものです。
個人的には、三日目に訪れたリトアニアのカウナスで旧日本領事館を見学できることが大きな楽しみだったのですが、実際に訪れてみて日本のシンドラーと称される外交官、杉原千畝氏の足跡に触れることができ、大きな感動をいただきました。
さて、次にバルト三国の見どころについてお話ししたいと思います。
この旅で最初に訪問した都市は、一番南の国リトアニアのヴィリニュスでした。
この街は、バルト三国の首都では唯一内陸に置かれた街で、エストニアのタリンやリトアニアのリガとは異なり、天をつくようなゴシック教会の塔は見当たりませんでした。
その代わりのように、柔らかな線のカトリック教会が姿を現します。
私たちが宿泊したホテルが世界遺産の中にあり、朝方の散策では多数の教会が周辺にありましたので、驚いてしまいました。
また、リトアニア第二の都市カウナスでは、何といっても日本のシンドラーといわれた杉原千畝氏の当時の状況が理解できる杉原記念館が大きな見どころとなっていました。
こののような人道的な行動を取った日本人がいたことを知り、大きな感動を覚えたものです。
次の訪問国は、バルト三国の真ん中に位置するラトヴィアでしたが、まず、首都のリガを訪れました。
リガには、旧市街に聖ヨハネ教会、聖ゲオルギ教会、聖ペトロ教会、リガ大聖堂、ブラックヘッド会館、三人兄弟、猫の家など多くの見どころがありました。
また、新市街には、ユーゲントシュティール建築群、自由記念碑などがあり、これらを丁寧に見て歩くことができました。
この建築群の前に見学した「バルトのベルサイユ」ともいわれるルンダーレ宮殿もその美しさと豪華さに圧倒されました。
そして、リガには、緑豊かな大きな公園と運河が整備されていて都会のオアシスとなっていました。
リガ以外では、一日かけてラトヴィアのスイスと呼ばれる「スィグルダ」、騎士団の城址や旧市街を散策する「チェースィス」も秋に相応しい赤や黄色の彩りに覆われていましたので、その歴史を刻む城壁などとのコントラストが強く印象に残りました。
次に3つめの国エストニアですが、バルト海に面した保養地パルヌを散策し、その首都タリンをじっくり見学しました。
タリンも他の国と同じように旧市街に多くの見どころが集まっていました。
山の手地区といわれるところは、支配者や貴族たちが居を構えたところで、高さ20mの丘にあるこの地区には、トームベア城や大聖堂などかつての権威を象徴するような建物が建っており、また、丘の展望台からは、タリンの美しい市街が一望できるようになっていました。
また、山手地区に続く下町は、商人や職人が築き上げた街ですが、ラエコヤ広場を中心として、ここから多く通りが広がっていました。
特に、ヴィル通りにはブティックやレストラン、カフェなどが軒を連ね活気に満ちた通りでした。
下町の北側には、城壁、ブラックヘッド会館、聖オレフ教会、太っちょマルガレータ、三人姉妹などの見どころが集まっていました。
特に、三人姉妹は、現在、ホテルになっていますが、平成天皇皇后両陛下がお泊まりになった部屋を見学し、夕食にエンペラーメニューをいただいたことに深い感銘を受けたものです。
などと纏まりのない編集後記になってしまいましたが、バルト三国の歴史や文化の一部を勉強しながら、素晴らしい旅ができた!と喜んでいます。
旅は、新しい発見の連続だ!と感じていますが、この旅でもその意を強くした次第です。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
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