2014/10/09 - 2014/11/18
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2014年10月12日(旅行4日目)にラトヴィアの首都リガの旧市街を散策しました。
前号(No.6)では、中央市場やリガ大聖堂、聖母受難教会、エスプラネーデ公園などの模様をお伝えしましたが、今号では、引き続き散策した聖ヨハネ教会や聖ペトロ教会、猫の家、スウェーデン門などの様子をお伝えします。
<巻頭写真は、メイスタル通りの「猫の家」です。>
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
<ヤーニスの中庭の門>
◆ 聖ヨハネ教会、聖ペトロ教会など
エスプラネーデ公園からは「ヤーニスの中庭(Yana Seta)」というところや、かつてはドミニコ会修道院だったという「KONVENTA SETA」というホテルの入口を通って聖ヨハネ教会に向かいました。 -
<コンヴェンタ・セタの配置図>
-
<近くのリガ陶器博物館>
-
<KONVENTA SETA(コンヴェンタ・セタ)>
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<聖ヨハネ教会>
聖ヨハネ教会は、13世紀に創建され、16世紀に再建されたゴシック様式の美しい教会です。
聖ヨハネ教会には、有名な伝説があります。
それは、15世紀に聖人として祀られることを願って、二人の修道士が壁の中に入ることを志願したそうです。
そして通りかかる人々から小さな窓を通じて食料や水の施しを受けたのですが、彼らの命は長く続かなかったそうです。
しかし、時の法王は彼らの行為を利己的と非難し、聖人とは認められなかったのです。
悲しいかな!壁の穴は塞がれ、人々の記憶から消えていったというのです。
この話を覚えていた人がいたのか?19世紀半ばに壁をたたいてみると、空間が見つかり彼らの屍が見つかったそうです。
外壁の十字架型の穴は、彼らを祈念して建てられたものだそうですが、気づかずに撮影していませんでした。
なお、白を基調とした教会の内部には入りませんでした。 -
<教会前のブレーメンの音楽隊>
「ブレーメンの音楽隊」は、聖ヨハネ教会と隣の聖ペトロ教会の間にある広場にあります。
横から撮影していますので、分かりにくいのですが、、上からニワトリ、ネコ、イヌ、ロバがそれぞれに乗っている彫刻です。
グリム童話の人間に捨てられ、食料にされようとした動物たちが協力して新生活を切り開いていく、という話を描いているそうです。
-
<聖ペトロ教会>
「聖ペトロ教会」は、13世紀の初めに建てられ、18世紀にほぼ現在の姿に改築されたそうです。
高い塔が印象的ですが、この塔は、第2次世界大戦後に改修されたもので、高さが123mあり、1984年に設置されたエレベータで簡単に展望台に上ることができ、リガの美しい景観が一望できるそうです。
もちろん、私たちは、上りませんでした。
なお、教会の中には、入るには入ったのですが、歴史などを簡単に説明していただいたのみでした。 -
<スカールニュ通りの石鹸の店>
教会の見学が終了しますと、教会から北に延びているスカールニュ(Skurnu)通りを歩きました。
そして途中、左(つまり西)に市庁舎、右(東)奥に自由記念碑がある大きな通りカリチェ(Kalku)通りと交差しますが、ここを過ぎますと、アマトゥ(Amatu)という通りが右側(東)に見えてきました。 -
<アマトゥ通りの建物>
上のハンドソープの店は、カリチェ通りを少し越えたところにありました。
そしてしばらくしてアマトゥ通りに入りましたが、この通りには、ご覧のようにガウディ風に装飾された建物がありました。 -
<アマトゥ通り付近>
アマトゥ通りを東に進んでいきますと、メイスタル(Muisutaru)という通りとリーヴ広場に突き当たり、メイスタル通りを北に向かいますと、有名な「猫の家」があります。
-
<小ギルド・コンサートホール>
でも、その前にアマトゥ通りには、ご覧のように「小ギルド・コンサートホール」がありましたので、撮影することができました。
この建物は、名前の通り小さな建物ですが、1866年に建設されたゴシック様式の白亜の美しい建物です。 -
<猫の家>
「どこに猫がいるのか?」というお叱りを頂戴しそうですが、黄色の建物の尖り棒状の屋根にある像が猫なのです。
この黄色の建物は、1908年に建てられたアールヌーボー様式の建物で、「猫の家(Cat House)」と呼ばれていて、猫は尾を立てた怒りの表情をしているそうです。
この猫の家の前は、ご覧のように広場のようになっており、その先の交差点を左に曲がりますと、スミルシュ(Smilsu)という通りに突き当たります。 -
<スミルシュ通り>
その地点から右方向を見ますと、通りの左奥に丸い円筒形の建物が見えていますが、これが「火薬庫」、現在の「ラトヴィア軍事博物館」です。 -
<アルダリ通り>
しかし、私たちは、スミルシュ通に入らないで左に進み、途中、アルダル(Aldaru)という通りに入ってトゥルクシュニュ(Troksnu)という通りと交差するところにある「スウェーデン門」に向かったのです。 -
<スウェーデン門>
-
<アンバー・ルーム>
スウェーデン門に入りますと、正面にアンバー・ルーム(The Amber Room)という店が入った黄色の建物がありました。 -
<旧ヤコブ兵舎>
ということは、スウェーデン門の手前のトゥルクシュニュ通りにある城壁を「ちらっ」と眺めてからアンバー・ルームや、ホテル、「旧ヤコブ兵舎」などが入った建物が並んでいるトゥルニャ(Torna)通りに出たようです。 -
<紅葉したツタが垂れ下がる建物>
そして、小雨を避けるようにスウェーデン門に戻り、トゥルクシュニュ通りの紅葉してきたツタの葉が垂れ下がった建物や、茶色の「城壁」を件がしました。 -
<トゥルクシュニュ通りの城壁>
城壁の突き当たりには、緑色の尖り棒のような建物が見えていますが、この建物は、先ほどスミルシュ通りのところで触れました「火薬庫」です。
火薬庫は、14世紀に建てられ、1650年に建て直され、火薬の保管に使われていた建物です。
また、城壁は、13世紀から18世紀までリガの旧市街を囲んでいたものですが、街の防衛の重要性が失われると、建材を節約するため、城壁の多くが新築の建物に吸収されていったそうです。 -
<スウェーデン門で雨よけ!>
ところで、「スウェーデン門」は、1698年に城壁を利用して住宅が建てられた際に付け加えられたもので、スウェーデン軍の兵士が城壁の外の兵舎に行き来するためによく利用したことからこの名前がついたそうです。
ここでの見学が終了しますと、隣に見える「ラトヴィア国会」や「聖ヤコブ教会」の外観を楽しみながら「マザー・ピルス(Maza Pils)通り」にある「3人兄弟」に向かいました。 -
<ラトヴィア国会>
-
<聖ヤコブ教会>
緑の尖塔が印象的な「聖ヤコブ教会」は、1225年に最初の記録に登場する古い教会で、15世紀に建て直され、塔は80mの高さがあります。
塔の中程に突起物のようなものが見ますが、ここには「哀れな罪人の鐘」と呼ばれる鐘が吊されているのです。
この意味は、市庁舎広場で罪人の処刑が行われる際に鐘が市民に知らせる役割を担っていたからだというのです。
さらに、この鐘には不貞な婦人が通ると、自然になり出したという伝説もあるそうです。
もちろん、こういう話を知らないで単純に街並みの美しさを楽しみながら「3人兄弟」といわれる中世の住宅に向かいました。 -
<3人兄弟の建物>
3人兄弟(Three Brothers)は、兄弟のように肩を寄せ合って建っている中世の住宅で、外観は建てられた当時の姿をほぼ保っています。
長男は、15世紀に建てられたもので、一般住宅としてはリガで最も古く、パン屋としての記録も残っていて、石のベンチを玄関に飾るなど土地にも余裕があったそうです。
しかし、弟たちの時代(17世紀)には、かなり窮屈なものになっているそうです。
ちなみに3人兄弟の順番ですが、左から末っ子(緑色の21番)、次男(黄色の19番)、長男(白色の17番)となっています。 -
<長男の建物(17番)>
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<次男の建物(19番)>
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<末っ子の建物(21番)>
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<ロゼナ通り>
3人兄弟からは、大聖堂前のドゥァマ広場などを通って、市庁舎に通じるクラム(Kramu)通りを歩いて大聖堂のドームや、クラム通りの途中にあるロゼナ(Rozena)という通りなどを眺めながら散策したのです。
この通りは、13世紀に要塞と大聖堂の間に造られたもので、通りの名前は、カルジュ通りとなっていたそうで、鍛冶屋が多く住んでいたそうです。
ところが、17世紀になると、古代ドイツのローゼン家に敬意を表してローゼン通り(Rozu)と名付けられたのですが、1923年からロゼナ通りと呼ばれているのだそうです。
一つの通りにも歴史があるのですね。 -
<クラム通りのからの大聖堂>
この写真の奥には、大聖堂の手前に赤い屋根に薄い青の壁の建物がありますが、この建物は、Jaunという通りに面している「1221 Restorans(壁に牛の絵)」というレストランです。
さて、ここからどこに向かったと思いますか?
大聖堂ではなく、逆方向の「市庁舎」や「ブラックヘッド」などが建っている市庁舎広場に向かったのです。
◆◇以上で、リガの旧市街のうち、聖ヨハネ教会、聖ペトロ教会などを散策した「バルト三国美しき古都と城を訪ねてNo.7」が終了です。◇◆
◇◆引き続き、旧市街の市庁舎広場での「ブラックヘッド会館」や「市庁舎」などの散策の模様、昼食、ピルセータス運河での光景などについて「バルト三国美しき音と城を訪ねてNo.8」としてお伝えします。◆◇
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