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私たちのふるさと柏市には、各地域に伝わる「むかしばなし」が数多く存在し、当観光協会が確認しただけでも46にものぼります。このホームページでは、昭和60年に発行された「柏のむかしばなし」、昭和56年、平成元年に発行された「沼南風土記(1)(2)」、など様々な資料から34話をご紹介します。ぜひ皆さんも、市内各地域の「むかしばなし」の舞台を訪ねて、むかしの人たちの暮らしや文化に思いをはせてください。<br />8_底見ずの池            船戸不動堂 <br />〒277-0802 千葉県柏市船戸1251 倶利伽羅不動石像、三峰神社<br />柏市文化財めぐり、船戸代官所とその周辺、<br />この不動堂の向かい側には、江戸時代に代官屋敷がありました。江戸時代、市域には30近い小村がありましたが、そのうち14ヵ村が本多侯の支配する村々で、船戸と藤心に代官所が置かれました。14ヵ村以外の村々は、大名領地・幕府直轄地・旗本御家人領地が様々に入り組んでいましたので、これを「碁石まじり」などと言われました。本多侯は、数度の所替え(転任・転封)にもかかわらず、下総の領地は上知(返上)せずにすみ、本田氏代々250年の長きにわたり、市域の村々を支配していました。そこには、代々の善政があったようです。このため、明治維新の時、下総の領地が上知されることになると、旧領民は連合して留任嘆願をしました。結局、願いはかなえられませんでしたが、明治22年(1889)4月小村合併した時、本多侯の封地であった駿河国田中藩(現静岡県藤枝市)の名をとって、村名を「田中村」とし、旧領主をしのんだといいます。また、この周囲には、代官の墓所である善哉庵・伝説を持つ底見ずの池・不動尊・お稲荷様などがあり、当時を偲ぶことができます。ここは柏むかしばなしの舞台になった場所です。<br />下記の柏市観光協会の「ふるさと柏のむかしばなし」をクリックしてご覧下さい。<br />https://kankou.kashiwa-cci.or.jp/folk-tale/

柏市の船戸・不動堂・石仏・柏市のふるさとむかしばなし・第8話

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2021/04/07 - 2021/04/07

1097位(同エリア1238件中)

中国の風景

中国の風景さん

私たちのふるさと柏市には、各地域に伝わる「むかしばなし」が数多く存在し、当観光協会が確認しただけでも46にものぼります。このホームページでは、昭和60年に発行された「柏のむかしばなし」、昭和56年、平成元年に発行された「沼南風土記(1)(2)」、など様々な資料から34話をご紹介します。ぜひ皆さんも、市内各地域の「むかしばなし」の舞台を訪ねて、むかしの人たちの暮らしや文化に思いをはせてください。
8_底見ずの池    船戸不動堂 
〒277-0802 千葉県柏市船戸1251 倶利伽羅不動石像、三峰神社
柏市文化財めぐり、船戸代官所とその周辺、
この不動堂の向かい側には、江戸時代に代官屋敷がありました。江戸時代、市域には30近い小村がありましたが、そのうち14ヵ村が本多侯の支配する村々で、船戸と藤心に代官所が置かれました。14ヵ村以外の村々は、大名領地・幕府直轄地・旗本御家人領地が様々に入り組んでいましたので、これを「碁石まじり」などと言われました。本多侯は、数度の所替え(転任・転封)にもかかわらず、下総の領地は上知(返上)せずにすみ、本田氏代々250年の長きにわたり、市域の村々を支配していました。そこには、代々の善政があったようです。このため、明治維新の時、下総の領地が上知されることになると、旧領民は連合して留任嘆願をしました。結局、願いはかなえられませんでしたが、明治22年(1889)4月小村合併した時、本多侯の封地であった駿河国田中藩(現静岡県藤枝市)の名をとって、村名を「田中村」とし、旧領主をしのんだといいます。また、この周囲には、代官の墓所である善哉庵・伝説を持つ底見ずの池・不動尊・お稲荷様などがあり、当時を偲ぶことができます。ここは柏むかしばなしの舞台になった場所です。
下記の柏市観光協会の「ふるさと柏のむかしばなし」をクリックしてご覧下さい。
https://kankou.kashiwa-cci.or.jp/folk-tale/

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
3.5
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 善哉庵の脇を通る常磐高速道路。北に利根川が流れています。

    善哉庵の脇を通る常磐高速道路。北に利根川が流れています。

  • 柏市文化財めぐり、船戸代官所とその周辺、<br />

    柏市文化財めぐり、船戸代官所とその周辺、

  • 不動堂、

    不動堂、

  • 大師堂。

    大師堂。

  • 弘法大師なのか?<br />

    弘法大師なのか?

  • 不動明王の石碑。<br />

    不動明王の石碑。

  • 不動堂の前に、窪地がありまして、水は無かったのですが、底に、不動明王が安置されています。「底見ずの池」が湧水地となっていたのでした。現在は「底見えの池」。

    不動堂の前に、窪地がありまして、水は無かったのですが、底に、不動明王が安置されています。「底見ずの池」が湧水地となっていたのでした。現在は「底見えの池」。

  • 倶利伽羅不動明王、まさに、火炎に包まれた龍が岩の上に立った宝剣に巻き付き、これを飲み込もうとしている様であらわされている龍神が、不動明王の変化身で、倶利伽羅不動明王と言われている。

    倶利伽羅不動明王、まさに、火炎に包まれた龍が岩の上に立った宝剣に巻き付き、これを飲み込もうとしている様であらわされている龍神が、不動明王の変化身で、倶利伽羅不動明王と言われている。

  • 不動堂の後ろに石造物が並ぶ。

    不動堂の後ろに石造物が並ぶ。

  • 墓石?

    墓石?

  • 墓石?

    墓石?

  • 墓石?

    墓石?

  • 墓石?

    墓石?

  • 戒名がある、墓石。

    戒名がある、墓石。

  • 五輪塔。

    五輪塔。

  • 墓石?

    墓石?

  • 不動堂脇の三峯神社の鳥居、参道は台地の上に伸びています。

    不動堂脇の三峯神社の鳥居、参道は台地の上に伸びています。

  • 三峯神社の扁額。

    三峯神社の扁額。

  • 三峰神社の拝殿。

    三峰神社の拝殿。

  • 船戸村の由緒、<br />船戸村は徳川幕府の開祖家康の時代に、本多正重が大阪の陣の手柄により、元和2年(1616)に下総と相馬の1万石を加増された時に始まります。その後、本多氏は上州沼田城の2万石の藩を経営し、享保6年(1722)駿河国の田中城へ4万石として転封されました。しかし、維新まで下総と相馬の1万石は、本多領として離れ<br />ることがありませんでした。本多家が支配した下総領は、南部の藤心の御役所と、北部21ヶ村は、ここ船戸村御役所おかれ、治められておりました。この支配は、維新まで続き、葛飾県に上地されるときも、領民たちは、反対の嘆願をしたということでした。

    船戸村の由緒、
    船戸村は徳川幕府の開祖家康の時代に、本多正重が大阪の陣の手柄により、元和2年(1616)に下総と相馬の1万石を加増された時に始まります。その後、本多氏は上州沼田城の2万石の藩を経営し、享保6年(1722)駿河国の田中城へ4万石として転封されました。しかし、維新まで下総と相馬の1万石は、本多領として離れ
    ることがありませんでした。本多家が支配した下総領は、南部の藤心の御役所と、北部21ヶ村は、ここ船戸村御役所おかれ、治められておりました。この支配は、維新まで続き、葛飾県に上地されるときも、領民たちは、反対の嘆願をしたということでした。

  • 三峰神社から善哉庵が見えます。

    三峰神社から善哉庵が見えます。

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