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2020年10月15日(木)午後の4時前、京田辺から上津屋、流れ橋を渡って自転車の帰り。前にも2回ほどは流れ橋を渡ったことはあるが、いずれも八幡側に引き返したので、久御山側に渡ってしまうのは初めて。この日は八幡側に戻らずに城陽側の木津川右岸を京田辺との山城大橋まで遡る。<br /><br />橋自体が架かっているのは八幡と久御山になるのだが、右岸の堤防に上がって数十メートルで城陽市に入る。城陽市に付いては下記の旅行記参照。この旅行記にやすらぎ回廊のことを書いたが、木津川右岸にも一部は車も走る道になっているが、自転車や歩行者が通れる堤防道が山城大橋まで続いており、寺田緑地から山城大橋までの間が「桜づつみ木津川 緑と水辺のやすらぎ回廊」として整備されている。<br />https://4travel.jp/travelogue/11627986<br /><br />堤防を上流側に進み、城陽に入るとすぐに佐山用水の樋門がある。樋門があるのは城陽市になのだが、これはすぐ北側の久御山町佐川地区の灌漑用水で、久御山町が設置したもの(下の写真1)。そのすぐ先(上流側)には石田神社遥拝所の石碑が建つ。下記の旅行記に書いたが、浜上津屋(浜垣内)にある石田神社は、この石碑が建つ城陽市の東向上津屋地区の産土神(うぶすながみ)でもあった。で、お参りに行けない時にはここから拝んだと云うことのようだ。<br />https://4travel.jp/travelogue/11667448<br /><br />そこから1㎞足らず進むとあるのが城陽排水機場。1986年の梅雨前線豪雨により甚大な浸水被害が発生したことを契機に造られたもので1990年に完成した。城陽市東部の丘陵地にその源を発し、宇治市西部を貫流して右支川の名木川、井川を合流し、久御山町東一口(ひがしいもあらい)地区で一級河川宇治川に流入する古川の途中にあり、増水時の排水機能を有している(下の写真2)。<br /><br />そのすぐ先には桜づつみ寺田緑地があり、ここが「桜づつみ木津川 緑と水辺のやすらぎ回廊」6.5㎞の北(下流)の端。1989年にふるさと創生事業として市民にアイデアを募り、応募した小学生のアイデアから始まったもので、1991年から順次桜の植樹などが行われてきた。この寺田緑地から山城大橋近くの奈島緑地まで5ヶ所の桜づつみが造られている。桜づつみは洪水から堤防を守るために必要な堤防断面に加えて、堤防の市街地側に土を盛り、そこに桜を植栽し、堤防を強化するとともに、良好な水辺空間の形成を図っているもの。次は桜の季節に歩いてみたいものだ。寺田はこの辺りにかつてあった村の名前で現在は城陽市寺田。<br /><br />そこからさらに1㎞足らず南に進むと、木津川が少し蛇行している部分に桜づつみ水主緑地。水主(みずし)もこの辺りにあった村の名前。かつてこの辺りを支配した水主氏から村の名前となったようだ。水主は全国の多くの城下町・港町にある地名で、水夫たちが住むところから来たらしいが、ここの水主氏は木津川からの水を流入させる井堰の管理を司る一族だった。<br /><br />ここからは2017年4月開通の第2名神の木津川橋がすぐ。橋の東側は京奈和道自動車道との城陽ジャンクションになっている。このジャンクションより東側の第2名神は現在工事中で先には橋脚が建ち並んでいる。2023年開通予定で、この光景も変わっていくんだなあ。京奈和道自動車道の北側も未開通だが、こちらは本当に作られるかどうかは分からない。現在は城陽ICで大久保バイパスと通じているだけ。<br /><br />堤防道はすぐ南で1988年10月開通の京奈和道自動車道の新木津川橋のたもとを潜るが、この橋を挟んだ河川敷には運動広場が広がる。野球場4面とクレーテニスコート8面がある。河川敷に広がる森や茶畑を見ながらそこから1.5km足らず走ると、近鉄京都線の木津川橋梁が近づいてくるがその手前が桜づつみ枇杷庄緑地。この緑地は小振り。<br /><br />枇杷庄は枇杷荘と云うこの辺りにあった昔の村から来ている。近鉄の駅名に残る富野荘は富野村と枇杷荘の「荘」の組み合わせで出来た村。1573年、足利義昭が信長に対して挙兵するが宇治の槇島城の戦いで敗れてこの地にあった枇杷庄城に逃げ延びた。この時を室町幕府の滅亡とすることが多い。<br /><br />鉄橋をちょうど近鉄特急が渡っていた。1928年に完成した鉄橋で、この辺りは線路がほぼ南北に約2㎞、真っ直ぐに敷かれており、鉄橋北詰めの踏切からの見通しがいい。踏切を渡るとすぐに春日の森樋門。枇杷庄地区を木津川の増水から守る樋門で、1986年完成のもの。この樋門の先(上流)の河川敷には茶畑が多い。茶畑の中にはたわわに実を付けた柿の木が多くある。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4766219250114728&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />そして、流れ橋から約30分ほどで桜づつみ富野緑地に到着。ここから先は以下の旅行記参照。<br />https://4travel.jp/travelogue/11627986<br /><br /><br />以上

京都 城陽 木津川右岸サイクリング(Kizugawa Right Bank, Joyo, Kyoto, JP)

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2020/10/15 - 2020/10/15

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旅行記グループ 城陽

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年10月15日(木)午後の4時前、京田辺から上津屋、流れ橋を渡って自転車の帰り。前にも2回ほどは流れ橋を渡ったことはあるが、いずれも八幡側に引き返したので、久御山側に渡ってしまうのは初めて。この日は八幡側に戻らずに城陽側の木津川右岸を京田辺との山城大橋まで遡る。

橋自体が架かっているのは八幡と久御山になるのだが、右岸の堤防に上がって数十メートルで城陽市に入る。城陽市に付いては下記の旅行記参照。この旅行記にやすらぎ回廊のことを書いたが、木津川右岸にも一部は車も走る道になっているが、自転車や歩行者が通れる堤防道が山城大橋まで続いており、寺田緑地から山城大橋までの間が「桜づつみ木津川 緑と水辺のやすらぎ回廊」として整備されている。
https://4travel.jp/travelogue/11627986

堤防を上流側に進み、城陽に入るとすぐに佐山用水の樋門がある。樋門があるのは城陽市になのだが、これはすぐ北側の久御山町佐川地区の灌漑用水で、久御山町が設置したもの(下の写真1)。そのすぐ先(上流側)には石田神社遥拝所の石碑が建つ。下記の旅行記に書いたが、浜上津屋(浜垣内)にある石田神社は、この石碑が建つ城陽市の東向上津屋地区の産土神(うぶすながみ)でもあった。で、お参りに行けない時にはここから拝んだと云うことのようだ。
https://4travel.jp/travelogue/11667448

そこから1㎞足らず進むとあるのが城陽排水機場。1986年の梅雨前線豪雨により甚大な浸水被害が発生したことを契機に造られたもので1990年に完成した。城陽市東部の丘陵地にその源を発し、宇治市西部を貫流して右支川の名木川、井川を合流し、久御山町東一口(ひがしいもあらい)地区で一級河川宇治川に流入する古川の途中にあり、増水時の排水機能を有している(下の写真2)。

そのすぐ先には桜づつみ寺田緑地があり、ここが「桜づつみ木津川 緑と水辺のやすらぎ回廊」6.5㎞の北(下流)の端。1989年にふるさと創生事業として市民にアイデアを募り、応募した小学生のアイデアから始まったもので、1991年から順次桜の植樹などが行われてきた。この寺田緑地から山城大橋近くの奈島緑地まで5ヶ所の桜づつみが造られている。桜づつみは洪水から堤防を守るために必要な堤防断面に加えて、堤防の市街地側に土を盛り、そこに桜を植栽し、堤防を強化するとともに、良好な水辺空間の形成を図っているもの。次は桜の季節に歩いてみたいものだ。寺田はこの辺りにかつてあった村の名前で現在は城陽市寺田。

そこからさらに1㎞足らず南に進むと、木津川が少し蛇行している部分に桜づつみ水主緑地。水主(みずし)もこの辺りにあった村の名前。かつてこの辺りを支配した水主氏から村の名前となったようだ。水主は全国の多くの城下町・港町にある地名で、水夫たちが住むところから来たらしいが、ここの水主氏は木津川からの水を流入させる井堰の管理を司る一族だった。

ここからは2017年4月開通の第2名神の木津川橋がすぐ。橋の東側は京奈和道自動車道との城陽ジャンクションになっている。このジャンクションより東側の第2名神は現在工事中で先には橋脚が建ち並んでいる。2023年開通予定で、この光景も変わっていくんだなあ。京奈和道自動車道の北側も未開通だが、こちらは本当に作られるかどうかは分からない。現在は城陽ICで大久保バイパスと通じているだけ。

堤防道はすぐ南で1988年10月開通の京奈和道自動車道の新木津川橋のたもとを潜るが、この橋を挟んだ河川敷には運動広場が広がる。野球場4面とクレーテニスコート8面がある。河川敷に広がる森や茶畑を見ながらそこから1.5km足らず走ると、近鉄京都線の木津川橋梁が近づいてくるがその手前が桜づつみ枇杷庄緑地。この緑地は小振り。

枇杷庄は枇杷荘と云うこの辺りにあった昔の村から来ている。近鉄の駅名に残る富野荘は富野村と枇杷荘の「荘」の組み合わせで出来た村。1573年、足利義昭が信長に対して挙兵するが宇治の槇島城の戦いで敗れてこの地にあった枇杷庄城に逃げ延びた。この時を室町幕府の滅亡とすることが多い。

鉄橋をちょうど近鉄特急が渡っていた。1928年に完成した鉄橋で、この辺りは線路がほぼ南北に約2㎞、真っ直ぐに敷かれており、鉄橋北詰めの踏切からの見通しがいい。踏切を渡るとすぐに春日の森樋門。枇杷庄地区を木津川の増水から守る樋門で、1986年完成のもの。この樋門の先(上流)の河川敷には茶畑が多い。茶畑の中にはたわわに実を付けた柿の木が多くある。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4766219250114728&type=1&l=223fe1adec

そして、流れ橋から約30分ほどで桜づつみ富野緑地に到着。ここから先は以下の旅行記参照。
https://4travel.jp/travelogue/11627986


以上

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  • 写真1 佐山樋門

    写真1 佐山樋門

  • 写真2 城陽樋門

    写真2 城陽樋門

  • 写真3 春日の森樋門

    写真3 春日の森樋門

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