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2020年10月20日(火)の午後3時半頃、城陽の長池の大和街道からJRの長池駅の反対側(北側)に足を延ばす。長池駅はJR奈良線の駅で1896年(明治29年)に奈良鉄道として桃山駅から玉水駅まで延伸された時に開業。現在の橋上駅舎は2012年に完成したもの(下の写真1)で、それまでは南側の京都方面の上り線に駅舎があり、無蓋跨線橋で下り線ホームと結ばれていた。駅の南側は宿場町を起源とした住宅地がもともとあったが、北側は昭和40年代から50年代にかけて造成された新興住宅地で、現在コンコースとなっている南北自由通路が完成するまでは住民が勝手に線路を横切る勝手踏切を利用しており問題であった。<br /><br />南北自由通路を越えて、北側の住宅地への階段を上がって行くと、その住宅地の真ん中にあるのが森山遺跡。木津川を望む丘陵上に営まれた縄文時代後期を中心とする集落跡で、弥生時代と古墳時代の遺構や遺物もある。1976年の宅地造成中に発見され、1978年に国の史跡に指定され、1996年に史跡公園として整備された。<br /><br />縄文時代(約4000年前)の住居跡は直径約10mの円形竪穴住居跡をはじめ6つあり、20人から30人が生活していたものと考えられている。南の縁にはこぶし大の礫を集めた配石遺構が1基発掘されており、墓跡の可能性がある。縄文後期中頃から後半の土器をはじめ、多くの石の鏃(やじり)や塊を叩いて潰すための敲(たたき)石、さらに磨くための磨(すり)石や石棒に加えて、石器石材であったサヌカイトのかけらが大量に見つかっており、さかんに石器製作が行われたことが分かる。近畿では縄文時代の集落は少なく、豊富な遺物を保有する中核的な集落跡として重要。ただし、建て替えられた跡がないことから、短い間の集落であったようだ。<br /><br />その後再び人が暮らしだしたのは弥生時代(約1800年前)で、その遺構としては2つの竪穴住居跡と甕(かめ)を使ったお墓(甕棺)一つが見つかっている。<br /><br />さらに古墳時代(約1600年前)のものとして東西40m、南北32mの方形台状に盛り土し、周囲に溝を巡らせた方形周溝状遺構と、それを取り巻く7棟の竪穴住居跡が見つかった。豪族の居館跡と考えられている。この周溝の西南隅からは、古式(布留式(ふるしき))土師器(はじき)の食物を盛る脚付の器である高坏(たかつき)や小型丸底土器が集中して出土しており、葬送儀礼など特殊な用途があったとする説もある。<br /><br />公園には縄文時代の大型竪穴住居が骨組み復元され、小型竪穴住居3棟も遊具などでイメージ復元されている。また、古墳時代の方形周溝状遺構は北半分を復元し、南半分は遺構の平面表示を行っており、その断面も復元されている(下の写真2)。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4775230645880255&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />荒見神社に続く

京都 城陽 長池 森山遺跡 (Moriyama Ruins, Nagaike, Joyo, Kyoto, JP)

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2020/10/20 - 2020/10/20

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年10月20日(火)の午後3時半頃、城陽の長池の大和街道からJRの長池駅の反対側(北側)に足を延ばす。長池駅はJR奈良線の駅で1896年(明治29年)に奈良鉄道として桃山駅から玉水駅まで延伸された時に開業。現在の橋上駅舎は2012年に完成したもの(下の写真1)で、それまでは南側の京都方面の上り線に駅舎があり、無蓋跨線橋で下り線ホームと結ばれていた。駅の南側は宿場町を起源とした住宅地がもともとあったが、北側は昭和40年代から50年代にかけて造成された新興住宅地で、現在コンコースとなっている南北自由通路が完成するまでは住民が勝手に線路を横切る勝手踏切を利用しており問題であった。

南北自由通路を越えて、北側の住宅地への階段を上がって行くと、その住宅地の真ん中にあるのが森山遺跡。木津川を望む丘陵上に営まれた縄文時代後期を中心とする集落跡で、弥生時代と古墳時代の遺構や遺物もある。1976年の宅地造成中に発見され、1978年に国の史跡に指定され、1996年に史跡公園として整備された。

縄文時代(約4000年前)の住居跡は直径約10mの円形竪穴住居跡をはじめ6つあり、20人から30人が生活していたものと考えられている。南の縁にはこぶし大の礫を集めた配石遺構が1基発掘されており、墓跡の可能性がある。縄文後期中頃から後半の土器をはじめ、多くの石の鏃(やじり)や塊を叩いて潰すための敲(たたき)石、さらに磨くための磨(すり)石や石棒に加えて、石器石材であったサヌカイトのかけらが大量に見つかっており、さかんに石器製作が行われたことが分かる。近畿では縄文時代の集落は少なく、豊富な遺物を保有する中核的な集落跡として重要。ただし、建て替えられた跡がないことから、短い間の集落であったようだ。

その後再び人が暮らしだしたのは弥生時代(約1800年前)で、その遺構としては2つの竪穴住居跡と甕(かめ)を使ったお墓(甕棺)一つが見つかっている。

さらに古墳時代(約1600年前)のものとして東西40m、南北32mの方形台状に盛り土し、周囲に溝を巡らせた方形周溝状遺構と、それを取り巻く7棟の竪穴住居跡が見つかった。豪族の居館跡と考えられている。この周溝の西南隅からは、古式(布留式(ふるしき))土師器(はじき)の食物を盛る脚付の器である高坏(たかつき)や小型丸底土器が集中して出土しており、葬送儀礼など特殊な用途があったとする説もある。

公園には縄文時代の大型竪穴住居が骨組み復元され、小型竪穴住居3棟も遊具などでイメージ復元されている。また、古墳時代の方形周溝状遺構は北半分を復元し、南半分は遺構の平面表示を行っており、その断面も復元されている(下の写真2)。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4775230645880255&type=1&l=223fe1adec


荒見神社に続く

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  • 写真1 長池駅

    写真1 長池駅

  • 写真2 方形周溝状遺構の復元断面

    写真2 方形周溝状遺構の復元断面

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