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2020年10月20日(火)の午後、散歩の足を少し伸ばして木津川の右岸に広がる城陽市の長池まで足を延ばした。城陽市については以下の旅行記参照。<br />https://4travel.jp/travelogue/11627986<br /><br />長池は城陽市のほぼ真ん中に位置し、京の都と南都奈良を結ぶ大和街道(奈良街道、京都街道)の宿場町として栄えたところ。二都のちょうど真ん中辺り、どちらとも五里(約20㎞)ほど離れているので五里五里の里とも呼ばれる。なお、長池の名前は、昔この地の東北の山麓にあった南北約300m、東西約200mの細長い池に由来していると伝えられている。その後埋め立てられて小さな小池が残っているだけのこの池には悪蛇が棲み、人々に害を与えていたので成敗されたが、その時にその蛇の尾から一振りの剣を得て、大和国の布留社(天理の石上神宮)に奉納したと云う伝説が残る。<br /><br />ここが宿場として始まったのは室町時代。平安時代までの京と奈良の交通は水運がメインで、長池の南の木津川に近い奈島に宿駅が置かれていたが、平安時代後期から武家が勢力が伸ばし始め、徐々に陸運中心に移行していき、室町時代に宿駅が置かれた。さらにここを発展させる要因を作ったのが豊臣秀吉。伏見城を築城するにあたり、宇治川の付け替えを含む大土木工事を実施し、巨椋池の堤を経由する新しい大和街道が整備され、ここには大名・公家・幕府役人などの公用輸送のために人足20人と馬3頭が常備され、本陣や旅籠、問屋などが置かれた。<br /><br />JR奈良線沿いを奈島から北に進んで来ると、長池の辺りで線路は北西方向に進行を変え、線路の南側に宿場が並んでいた大和街道が並んで走るが、宿場町の跡が残る一帯の東側の南に少し入ったところにあるのが大蓮寺と云う浄土宗のお寺で山号は池徳山。本堂は江戸時代の初め、1616年に純誉大念により再興された云う(下の写真1)。山門を抜けたすぐ左手に長池宿助郷の碑。1888年(明治21年)に建立されたもので、江戸末期の文久年間(1861年~64年)に宿場の保護や人足や馬の補充を目的として、宿場周辺の村落に課した助郷(すけごう)の課役に苦しんだ当時の村人たちが、大道(大同)栄造の尽力によって救われたことが記されている。<br /><br />その奥には芋の形をした嶋利兵衛の墓。裏面に琉球芋宗匠嶋利兵衛と刻まれている。江戸中期、嶋利兵衛は長池で薬種問屋を営なんでいたが、禁制品を扱った科で遠島の刑に処せられ、琉球の喜界ケ島へ流された。1716年、許されて帰国の際に密かに琉球芋(サツマイモ)を持ち帰り、この地で栽培・普及させた。特に隣村の寺田村で品質のすぐれたものが生産されたので、寺田芋として知られ、江戸時代ばかりでなく、戦後の食糧難時代にも大きく貢献した。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4770776486325671&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />江戸時代、長池近郊の寺田村、青谷村、富野村で農業が盛んになり、米以外にいろいろな野菜づくりが始まり、これらの農産物を大阪や京都に送るため、木津川の舟運も頻繁になったが、大和街道もますます人馬の往来が活発になり、長池の宿場も活気づいた。さらに民衆の間に「講」を作り、伊勢参りや愛宕参りに出かけることが広まったが、その常宿としても賑わった。現在は当時の面影を残す旅篭はないが、それでも長池には宿場町の何ともいえない趣と息吹が残っている。<br /><br />大蓮寺から街道に戻りしばらく西へ進むと立派な民家風の建物に菱屋の表札がある(下の写真2)。現在は仕出し屋らしいが、ここは一番最近まで現役だった旅籠があったところで、明治天皇も宿泊されたそうだ。表庭に植えられている松は旅籠の中庭にあったものらしい。<br /><br />その少し西の城陽長池郵便局は1894年(明治27年)に城陽最初の郵便局として建てられたもの(1904年(明治37年)と2012年に改装)で、建物正面の上の棟止め瓦には〒マークが刻まれている(下の写真3)。屋根の上に見える鳥の尾の形の飾りの鴟尾(しび)も立派(下の写真4)。1982年の日本建築学会の日本建築総覧に、姿形がよい、特色ある景観を構成している、地域の歴史をたどる上で大切、その時代の建築様式をよく示していると云うことから建築学的に貴重と思われる約2000棟のひとつとして取り上げられている。<br /><br />街道には京都市内に残る町家と同じ虫籠(むしこ)窓と通り庇(ひさし)を持つ家も残っている。虫籠窓は土で塗り固めた格子状の窓で、厨子二階と呼ばれる低い二階や屋根裏につけられており、虫籠と表記するものの、酒屋や麹屋で使う蒸しこに似ているからこの名がつけられたとする説もある。通風、採光、防火目的のほか、表の道を通る人々を見下ろさないためとも云われる。通り庇は表に面する通りに向かって伸びる庇で、庇の下は誰もが通れる通り道である一方、ばったり床几の設置スペースとしても活用。半公共的な空間になっていた。<br /><br />通りに金銀糸の高須産業と云う古そうな家があるが、城陽は金銀糸と云う高級な衣服などに使用されてきた糸の全国生産の80%を占めている。その隣の松屋は、現在は和菓子屋になっているが、元は旅籠だった。戦後にはこの辺りの通りには宿場町の風情が残されていたそうで、多くの映画のロケに使われ、当時はこの旅籠に映画スターが宿泊したそうだ。閉まってたので入ってないが店の中には看板、食器、帳面、文書などの旅篭資料が展示されているそうで、京都府の登録有形文化財になっている。<br /><br />街道からJRの長池駅に向かう道の左側にあるのが森山地蔵堂。昔は森山の山中にお堂があり、そこから移してきたという伝承もあるが、成立年代など詳しいことは不明。この地蔵堂にあった虎図蒔絵絵馬は、銘によると江戸時代初期の1632年に奉納されたもので、城陽市指定文化財となり、城陽市歴史民俗資料館に寄託され、定期的に公開されている。お堂の前の枯れ木はクスノキ。<br /><br />街道に戻って少し西の芳香園は、160年の歴史を誇るお茶屋で、最高級品質の宇治や城陽の茶葉を自社工場で加工している。さらに西に進み国道24号線とクロスする手前には石の道しるべが建つ。この道しるべでは北は京都街道、南は奈良街道と記されている。また、裏面には水主渡船所まで十七丁の記載もあり、この道しるべが建てられた昭和3年にはまだ木津川の渡し舟が現役だったことが伺える(下の写真5)。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4770795239657129&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />森山遺跡に続く

京都 城陽 長池 (Nagaike, Joyo, Kyoto, JP)

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2020/10/20 - 2020/10/20

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年10月20日(火)の午後、散歩の足を少し伸ばして木津川の右岸に広がる城陽市の長池まで足を延ばした。城陽市については以下の旅行記参照。
https://4travel.jp/travelogue/11627986

長池は城陽市のほぼ真ん中に位置し、京の都と南都奈良を結ぶ大和街道(奈良街道、京都街道)の宿場町として栄えたところ。二都のちょうど真ん中辺り、どちらとも五里(約20㎞)ほど離れているので五里五里の里とも呼ばれる。なお、長池の名前は、昔この地の東北の山麓にあった南北約300m、東西約200mの細長い池に由来していると伝えられている。その後埋め立てられて小さな小池が残っているだけのこの池には悪蛇が棲み、人々に害を与えていたので成敗されたが、その時にその蛇の尾から一振りの剣を得て、大和国の布留社(天理の石上神宮)に奉納したと云う伝説が残る。

ここが宿場として始まったのは室町時代。平安時代までの京と奈良の交通は水運がメインで、長池の南の木津川に近い奈島に宿駅が置かれていたが、平安時代後期から武家が勢力が伸ばし始め、徐々に陸運中心に移行していき、室町時代に宿駅が置かれた。さらにここを発展させる要因を作ったのが豊臣秀吉。伏見城を築城するにあたり、宇治川の付け替えを含む大土木工事を実施し、巨椋池の堤を経由する新しい大和街道が整備され、ここには大名・公家・幕府役人などの公用輸送のために人足20人と馬3頭が常備され、本陣や旅籠、問屋などが置かれた。

JR奈良線沿いを奈島から北に進んで来ると、長池の辺りで線路は北西方向に進行を変え、線路の南側に宿場が並んでいた大和街道が並んで走るが、宿場町の跡が残る一帯の東側の南に少し入ったところにあるのが大蓮寺と云う浄土宗のお寺で山号は池徳山。本堂は江戸時代の初め、1616年に純誉大念により再興された云う(下の写真1)。山門を抜けたすぐ左手に長池宿助郷の碑。1888年(明治21年)に建立されたもので、江戸末期の文久年間(1861年~64年)に宿場の保護や人足や馬の補充を目的として、宿場周辺の村落に課した助郷(すけごう)の課役に苦しんだ当時の村人たちが、大道(大同)栄造の尽力によって救われたことが記されている。

その奥には芋の形をした嶋利兵衛の墓。裏面に琉球芋宗匠嶋利兵衛と刻まれている。江戸中期、嶋利兵衛は長池で薬種問屋を営なんでいたが、禁制品を扱った科で遠島の刑に処せられ、琉球の喜界ケ島へ流された。1716年、許されて帰国の際に密かに琉球芋(サツマイモ)を持ち帰り、この地で栽培・普及させた。特に隣村の寺田村で品質のすぐれたものが生産されたので、寺田芋として知られ、江戸時代ばかりでなく、戦後の食糧難時代にも大きく貢献した。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4770776486325671&type=1&l=223fe1adec

江戸時代、長池近郊の寺田村、青谷村、富野村で農業が盛んになり、米以外にいろいろな野菜づくりが始まり、これらの農産物を大阪や京都に送るため、木津川の舟運も頻繁になったが、大和街道もますます人馬の往来が活発になり、長池の宿場も活気づいた。さらに民衆の間に「講」を作り、伊勢参りや愛宕参りに出かけることが広まったが、その常宿としても賑わった。現在は当時の面影を残す旅篭はないが、それでも長池には宿場町の何ともいえない趣と息吹が残っている。

大蓮寺から街道に戻りしばらく西へ進むと立派な民家風の建物に菱屋の表札がある(下の写真2)。現在は仕出し屋らしいが、ここは一番最近まで現役だった旅籠があったところで、明治天皇も宿泊されたそうだ。表庭に植えられている松は旅籠の中庭にあったものらしい。

その少し西の城陽長池郵便局は1894年(明治27年)に城陽最初の郵便局として建てられたもの(1904年(明治37年)と2012年に改装)で、建物正面の上の棟止め瓦には〒マークが刻まれている(下の写真3)。屋根の上に見える鳥の尾の形の飾りの鴟尾(しび)も立派(下の写真4)。1982年の日本建築学会の日本建築総覧に、姿形がよい、特色ある景観を構成している、地域の歴史をたどる上で大切、その時代の建築様式をよく示していると云うことから建築学的に貴重と思われる約2000棟のひとつとして取り上げられている。

街道には京都市内に残る町家と同じ虫籠(むしこ)窓と通り庇(ひさし)を持つ家も残っている。虫籠窓は土で塗り固めた格子状の窓で、厨子二階と呼ばれる低い二階や屋根裏につけられており、虫籠と表記するものの、酒屋や麹屋で使う蒸しこに似ているからこの名がつけられたとする説もある。通風、採光、防火目的のほか、表の道を通る人々を見下ろさないためとも云われる。通り庇は表に面する通りに向かって伸びる庇で、庇の下は誰もが通れる通り道である一方、ばったり床几の設置スペースとしても活用。半公共的な空間になっていた。

通りに金銀糸の高須産業と云う古そうな家があるが、城陽は金銀糸と云う高級な衣服などに使用されてきた糸の全国生産の80%を占めている。その隣の松屋は、現在は和菓子屋になっているが、元は旅籠だった。戦後にはこの辺りの通りには宿場町の風情が残されていたそうで、多くの映画のロケに使われ、当時はこの旅籠に映画スターが宿泊したそうだ。閉まってたので入ってないが店の中には看板、食器、帳面、文書などの旅篭資料が展示されているそうで、京都府の登録有形文化財になっている。

街道からJRの長池駅に向かう道の左側にあるのが森山地蔵堂。昔は森山の山中にお堂があり、そこから移してきたという伝承もあるが、成立年代など詳しいことは不明。この地蔵堂にあった虎図蒔絵絵馬は、銘によると江戸時代初期の1632年に奉納されたもので、城陽市指定文化財となり、城陽市歴史民俗資料館に寄託され、定期的に公開されている。お堂の前の枯れ木はクスノキ。

街道に戻って少し西の芳香園は、160年の歴史を誇るお茶屋で、最高級品質の宇治や城陽の茶葉を自社工場で加工している。さらに西に進み国道24号線とクロスする手前には石の道しるべが建つ。この道しるべでは北は京都街道、南は奈良街道と記されている。また、裏面には水主渡船所まで十七丁の記載もあり、この道しるべが建てられた昭和3年にはまだ木津川の渡し舟が現役だったことが伺える(下の写真5)。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4770795239657129&type=1&l=223fe1adec


森山遺跡に続く

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  • 写真1 大蓮寺本堂

    写真1 大蓮寺本堂

  • 写真2 菱屋

    写真2 菱屋

  • 写真3 城陽長池郵便局の棟止め瓦

    写真3 城陽長池郵便局の棟止め瓦

  • 写真4 城陽長池郵便局の鴟尾

    写真4 城陽長池郵便局の鴟尾

  • 写真5 道しるべ

    写真5 道しるべ

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