2020/10/15 - 2020/10/15
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ちふゆさん
2020年10月15日(木)午後3時前、木津川サイクリングロードを京田辺から下り、流れ橋で有名な八幡市の上津屋地区に到着。上津屋は「こうずや」と読む。同じ地名は、木津川の反対側、右岸の少し上流側の城陽市にもある。
奈良時代から安土桃山時代にかけて、木津川は八幡の上津屋地区の西側を流れていたようで、その時には両方の上津屋地区は繋がった一つの地域だった。川の流れが変わった後も、明治22年(1889年)に左岸が綴喜(つづき)郡都々城(つづき)村(現在は八幡市)、右岸が久世郡久津川村(現在は城陽市)に分かれるまでは両方合わせて久世郡上津屋村だった。
上津屋地区の北側、現在は久御山町になっている木津川右岸には下津屋と云う地区があり、こちらは素直に「しもつや」と読む。津屋は船の渡し場、船着き場の家を表すものと思われ、この辺りが古くから京と大坂を結ぶ街道が木津川を渡る場所であったことが推測できる。
八幡市の上津屋地区はさらに上流の浜上津屋(浜垣内)と下流の里上津屋(里垣内)に分かれるが、里上津屋の中心にあるのが石田神社。城陽市側の東向上津屋を含めた上津屋地区の産土神。なお、八幡市内には南側の岩田地区にあと2つ同じ感じで読みが異なる石田(いわた)神社があるが、無関係のようだ。
社伝によると飛鳥時代の702年に南西に隣接する内里村の山中に現れた素義鳥(すさのお)神をこの地に祭祀し創建されたと云う。この地は度々木津川の水害に見舞われており、素義鳥神と同体の神仏習合の神、牛頭天王(ごずてんのう)を水害に伴って発生する疫病に対する守護神として祀り、牛頭天王社と称されていたのを明治年間に現在名に改称したが、なぜ石田神社になったかは不明。
平安末期、1180年の源頼政の兵乱により社殿が焼失したが、1188年に源頼朝により復興されたとされたと云う。また、鎌倉幕府を滅亡させた元弘の乱で、楠木正成が笠置山参陣の際に願文を奉納したとも伝えられる。鳥居の向かいに建つ十三重の石塔は南北朝時代の作と考えられている(下の写真1)。
堤防から降りてくる道に向かって東向きに石造りの鳥居が立つ。鳥居の上部にある扁額に石田神社と金文字で書かれ、両サイドに金の龍が描かれておりかっこいい。鳥居を抜けると正面に社殿が一直線に並んで建っている小ぶりな神社だが、戦後すぐ頃の航空写真だとこの後に寄った四季彩館や神社北側の宅地、そして東側の堤防手前までが神社の敷地だったそうだ。
花崗岩製の狛犬の後ろに銅板葺・平入切妻造で正面に切妻破風が付いた拝殿。その裏に銅板葺で一間社流造の本殿。共に江戸時代末期の1851年造営で、拝殿は1735年の再建時に葺いた刻銘入り鬼瓦を屋根に載せている。また、この後に回った浜地区に家が残る庄屋の伊佐家が1765年に奉納した算額が残っており、これは京都で2番目、全国で9番目に古い算額とのこと。
本殿の左奥に鎮座する若宮神社には天之忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、活津日子根命(いくつひこねのみこと)、天之菩日命(あめのほひのみこと)、熊野久須日命(くまののくすびこのみこと)、天津日子根命(あまつひこねのみこと)、市寸嶋毘賣命(いちきしまひめのみこと)、田露毘古命(たつゆひこのみこと)、於岐津毘根命(おきつひねのみこと)が祀られている。神様の名前、読みが難しくて大変やわ。
参道の左側(南)には香取神宮と天照皇大神伏拝所。香取神宮は建亀鎚命(たけみかづちのみこと)を祀る。祠の前には牛頭天王の文字が刻まれた灯篭があり、牛頭天王社だった時代の名残と思われる。天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)伏拝所は鳥居の奥にご神木が植えられえている。反対側には天照皇大神(てんしょうこうたいしん)を祀る太神宮社。
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石田神社の南及び東はやわた流れ橋交流プラザとなっている。自然のやすらぎ、郷土の味や伝統など八幡の魅力を満喫できる交流施設で、研修棟では最大50名が宿泊でき、本格的なそば打ちや添加物を使用しないパンづくりの体験講座が開かれている。また食彩棟には地元産野菜や八幡の伝統を味わえるなごみ食堂 八幡家と四季の湯と云う銭湯。四季の湯の浴槽には天然鉱石 光明石に含まれる11種類ものミネラルが溶け出しており、神経痛や疲労回復などさまざまな温泉効果が得らるそうだ。その他、地元の農産物の直売所 四季彩館もある。
神社との境には各戦争での都々城地区戦没者名が刻まれた慰霊碑や日露戦役記念碑、都々城小学校の跡の碑や、多分その小学校にあったであろう二宮金次郎の像などが並んでいる(下の写真2)。
やわた流れ橋交流プラザから府道に出て、京田辺方向に少し進むと左手が浜上津屋(浜垣内)地域で、善照寺の横を堤防側に入ると伊佐家住宅。善照寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、立派な本堂があるが、創建や由来などは不明。
伊佐家住宅は浜地域で代々庄屋を務めていた家で、江戸中期の南山城地方における代表的な庄屋屋敷。見学は10人以上と云うことで、中には入ってないが、母屋は厚い茅葺の入母屋造で、軒端の厚さは1.5mにも及び、支える柱や梁はどっしりと太く、いかにも庄屋の屋敷らしい風格を備えているそうだ。屋敷の周囲には濠をめぐらせ、防禦と水利を兼ねた環濠住居となっており、棟札により江戸中期の1734年に造立されたことが分かっている。母屋だけでなくその他の建物が、残っていた文書と合わせて国の重要文化財の指定を受けている。
伊佐家住宅から堤防に向かうと登り口に石田神社御旅所。江戸時代の神社の祭りで、ここから東向へ渡御していたようだ。
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流れ橋に続く
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