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2020年10月20日(火)の午後4時前、森山遺跡を出て大和街道に戻り、西に進み、国道24号線を越える。この交差点の角にはアル・プラザ城陽がある。1992年に京都府初の大型店アル・プラザとして誕生した店。通称アルプラは滋賀県彦根市で1957年に靴とカバンの店として設立された平和堂が展開する大型スーパーマーケットブランドで、滋賀県をはじめ、京都府、大阪府、兵庫県、福井県、石川県、富山県、岐阜県に出店している。私の住んでる京田辺市にもあり、行きつけの店。<br /><br />アルプラ側は長池でなく富野(との)になる。元々は富野村で淀藩領だった。1889年に枇杷荘村・観音堂村と一緒に富野荘村となり、1951年に城陽町の一部になり、さらに1972年に城陽市となった。アルプラから西に歩き、駐車場を過ぎたところにあるのが荒見神社。<br /><br />この神社は古くはここの東、長池の東方の山中にある五社ケ谷にあったが、室町時代に現在の場所に移され、以後、富野村の産土神として崇敬を集めてきた。江戸時代には天神社として祀られ、安羅見五社天神宮、安羅見天神宮と称されていたが、1887年(明治20年)に荒見神社に改称された。<br /><br />境内は掘割で囲まれている。社叢は水田の中に立つ森で、アラカシ・シイ・クスが繁茂している。祭神は天照國照彦天火明櫛玉饒速日(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひ)命、天香山(あめのかぐやま)命、天牟良雲(あまのむらくも)命、阿比良依姫(あいらよりひめ)命、木花開耶姫(このはなのさくやひめ)命の五柱。<br /><br />南面の鳥居をくぐると前側に太い柱が左右に一本ずつ、後ろ側に細い柱が左右に一本ずつ、計四本の柱のある薬医門があり神社としては珍しい。神仏習合時代の面影を残している。城陽市文化財。境内に入ってすぐ右側にある手水舎の龍はぐっと伸び出した姿で力強い。<br /><br />境内の奥に舞殿、拝殿、本殿が西面して繋がっている。舞殿は銅板葺・妻入入母屋造。重要文化財に指定されている三間社流造、檜皮葺の本殿は江戸時代の初めの1604年に造営されたもので、木鼻の若葉の彫刻など細部に意匠が特徴的。富野の有力大工の手になるもので、桃山期建築の特徴をよく示している。<br /><br />本殿右側の境内社御霊社は、一間社流造、檜皮葺の小規模な建物で、京都府登録文化財。棟札には本殿より後の1623年(元和9年)と記されているが、蟇股(下の写真1)は本殿のものより古い室町後期頃の特徴を持つ。組物、木鼻は近世のもので本殿と共通する。<br /><br />本殿背後の境内に回ると、石の鳥居が建てられて囲いをした中に、菊水神座と称される泉水があり、湧水が様々な形状の石を順に伝って流れるようになっている。1985年に造営されたもの。「菊水は長命の泉にして、此の水は荒見の神がその身に召します水の衣なり。この水を汲む者真心こめ合掌禮拝すれば身健かに人生豊かとなるべし。」(下の写真2)。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4775242299212423&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />以上

京都 城陽 富野 荒見神社(Arami Shrine, Tono, Joyo, Kyoto, JP)

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2020/10/20 - 2020/10/20

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年10月20日(火)の午後4時前、森山遺跡を出て大和街道に戻り、西に進み、国道24号線を越える。この交差点の角にはアル・プラザ城陽がある。1992年に京都府初の大型店アル・プラザとして誕生した店。通称アルプラは滋賀県彦根市で1957年に靴とカバンの店として設立された平和堂が展開する大型スーパーマーケットブランドで、滋賀県をはじめ、京都府、大阪府、兵庫県、福井県、石川県、富山県、岐阜県に出店している。私の住んでる京田辺市にもあり、行きつけの店。

アルプラ側は長池でなく富野(との)になる。元々は富野村で淀藩領だった。1889年に枇杷荘村・観音堂村と一緒に富野荘村となり、1951年に城陽町の一部になり、さらに1972年に城陽市となった。アルプラから西に歩き、駐車場を過ぎたところにあるのが荒見神社。

この神社は古くはここの東、長池の東方の山中にある五社ケ谷にあったが、室町時代に現在の場所に移され、以後、富野村の産土神として崇敬を集めてきた。江戸時代には天神社として祀られ、安羅見五社天神宮、安羅見天神宮と称されていたが、1887年(明治20年)に荒見神社に改称された。

境内は掘割で囲まれている。社叢は水田の中に立つ森で、アラカシ・シイ・クスが繁茂している。祭神は天照國照彦天火明櫛玉饒速日(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひ)命、天香山(あめのかぐやま)命、天牟良雲(あまのむらくも)命、阿比良依姫(あいらよりひめ)命、木花開耶姫(このはなのさくやひめ)命の五柱。

南面の鳥居をくぐると前側に太い柱が左右に一本ずつ、後ろ側に細い柱が左右に一本ずつ、計四本の柱のある薬医門があり神社としては珍しい。神仏習合時代の面影を残している。城陽市文化財。境内に入ってすぐ右側にある手水舎の龍はぐっと伸び出した姿で力強い。

境内の奥に舞殿、拝殿、本殿が西面して繋がっている。舞殿は銅板葺・妻入入母屋造。重要文化財に指定されている三間社流造、檜皮葺の本殿は江戸時代の初めの1604年に造営されたもので、木鼻の若葉の彫刻など細部に意匠が特徴的。富野の有力大工の手になるもので、桃山期建築の特徴をよく示している。

本殿右側の境内社御霊社は、一間社流造、檜皮葺の小規模な建物で、京都府登録文化財。棟札には本殿より後の1623年(元和9年)と記されているが、蟇股(下の写真1)は本殿のものより古い室町後期頃の特徴を持つ。組物、木鼻は近世のもので本殿と共通する。

本殿背後の境内に回ると、石の鳥居が建てられて囲いをした中に、菊水神座と称される泉水があり、湧水が様々な形状の石を順に伝って流れるようになっている。1985年に造営されたもの。「菊水は長命の泉にして、此の水は荒見の神がその身に召します水の衣なり。この水を汲む者真心こめ合掌禮拝すれば身健かに人生豊かとなるべし。」(下の写真2)。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4775242299212423&type=1&l=223fe1adec


以上

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  • 写真1 御霊社の蟇股

    写真1 御霊社の蟇股

  • 写真2 菊水神座

    写真2 菊水神座

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