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2020年7月20日(月)、梅雨の合間の暑い日、京田辺北部の木津川の対岸になる城陽の東側丘陵沿いの山背(やましろ)古道を歩いた。山背古道は、城陽市から井手町を通り、木津川市に至る約25キロのハイキングコース。南山城の山ぎわをゆるやかにうねるように続くこの小径はJR奈良線と木津川にほぼ並行し、沿道には南山城の豊かな自然や風景をはじめ、遺跡や寺院、文化財などの見どころがいっぱいある。<br /><br />まずは、京田辺から国道307号線の山城大橋を渡り、天井川となっている青谷川の堤防を走る国道から降り、奈島地区の南側を横切る。この道は古くから宇治田原と大阪の枚方を結ぶ道で、大和(奈良・京都)街道との交差点には道標が建つ(表紙の写真)。なお、西の案内は十六の渡舟場・田辺・河内枚方となっている。十六の渡は草内の渡とも呼ばれる。<br /><br />JR奈良線を踏切で渡った後、少し北に上がって前にも何度か行ってるサンドイッチ専門店「ユニークサンド ローズマリー」で昼食。ここは私が帰国してからも何度か買いに行ってるところで、新鮮な食材を用いたこだわりのユニークサンドの店。一般的なサンドイッチと比べると、彩り豊かな具材とボリューム感がすごい(下の写真1)。もっちりパン生地にシャキシャキ野菜のコンビネーションも心地よく、また、サンドの上下で異なるパン生地を使用するなど、細かい部分に対するこだわりもある。セットの100円のアイスコーヒーと一緒に店の前のイートインスペースで戴く。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3986991038037557&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />昼食後、サンドイッチ屋さんからそのまま東に向かう。城陽の東部を南北に走る丘陵部は、国道307号線に並行して流れる青谷川で切れるが、その丘陵部の一番南端近くにあるのが浄土宗洞谷山西生寺。寺伝によると、室町時代末期の1544年(天文13年)頃、京の知恩院の一角に建てられた一心院で専修念仏に努め、捨世派の祖となった称念上人が村民の帰依を受けて創建したもので、1693年に知恩院の末寺となった。<br /><br />丘陵部の最南部近くを横切る道から見下ろせる本堂に御本尊の阿弥陀三尊が安置されており、本堂前には青谷梅林の整備保存に尽力した大西翁の頌功碑がある。この寺も明治時代の梅林整備に大いに貢献した。京都府下で最大の梅林である青谷梅林は江戸時代後期から知られていたが、1896年(明治29年)の鉄道の開通で一気に名所となった。1900年に発行された青谷絶勝は、紀行文と詩画によってこの梅林を紹介したもので、これによりその名声は不動のものとなった。その青谷絶勝の版木がこの寺に保管されている。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4359533054116685&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />西生寺から丘陵部の西の下に南北に走る山背古道を5分余り歩くと、丘の上に続く分かれ道がある。この道を少し上がったところにあるのが市辺(いちのべ)天満神社。天満神社の名の通り菅原道真を御祭神とするが、由緒沿革は明らかになってない。市辺はこの辺りの地名で、5世紀頃に第17代履中(りちゅう)天皇の第1皇子で、第23代顕宗(けんぞう)天皇の父である市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)がこの辺りに住んでいたことから付いたと云われるが、この辺りでなく奈良の近くに住んでいたという説もあり定かでない。また、単純に市は開かれた場所とか人々が住んでいた場所を意味し、その近辺ということから市辺となったと云う説もあるそうだ。<br /><br />丘陵部へ向かっていくとまずは石の鳥居があるが、その手前には菅原道真のあの有名な歌の歌碑がある。たぶん、この地とは関係ないと思うけど。鳥居を抜けて、丘陵沿いに緩やかな階段を上がり、続く参道を進むと拝殿に突き当たる。割拝殿を入ると右側には神輿が置かれ、反対側は休憩所になっており、正面は木枠で行き止まりとなっている。<br /><br />その奥が本殿。拝殿の横を回り込むことも出来ないので、木枠の隙間から見るしかできないが、朱色に塗られた一間社流造、檜皮葺、桃山時代の装飾と古い手法を併せもつ本格的な建物。旧富野(との)村の産土神とし崇敬されてきた荒見神社の本殿と細かな部分が似ており建築年代も近いものと云われている。棟札には本殿の造立年は万治2年(1659年)となっているものがあるが、他の資料では慶長11年(1606年)との記述もあるそうだ。京都府の登録有形文化財。<br /><br />拝殿の前には従一位稲荷大神と天照皇大神宮遥拝所が並ぶ。遥拝所でお参りすると天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)に伊勢神宮で参拝するのと同じになるとのこと。この神社の鎮守の森には貴重な大木が並び、京都府環境保全地区となっている。樹高24m、幹周2.6mの杉は樹齢約130年とされ、市内最古と云われる(下の写真2)。また、隣の樹高15m、幹周1.9mのモチノキも市内最大級(下の写真3)。<br /><br />境内の東側丘陵上には、古墳時代後期の横穴式石室を主体部とする円墳が7基あるそうで、歴史的にこの一帯がかなり開けていた地域であることを示している。また、この神社と西生寺の間の小山の上には市辺城跡がある。南北朝時代の頃に建てられたらしい。この辺りは古代より、奈良と京都を結ぶ街道近くにあり、様々な地域の勢力があって軍事的にも重要な場所だったと考えられる。城跡には「是東 市辺押磐皇子 故跡」と云う石碑が建っているそうだが、この小山を登るのはかなり大変そう・・・<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4359539974115993&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />後半へ続く

城陽 西生寺・市辺天満神社(Saishoji Temple & Ichinobe Tenman Shrine, Joyo, Kyoto)

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2020/07/20 - 2020/07/20

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年7月20日(月)、梅雨の合間の暑い日、京田辺北部の木津川の対岸になる城陽の東側丘陵沿いの山背(やましろ)古道を歩いた。山背古道は、城陽市から井手町を通り、木津川市に至る約25キロのハイキングコース。南山城の山ぎわをゆるやかにうねるように続くこの小径はJR奈良線と木津川にほぼ並行し、沿道には南山城の豊かな自然や風景をはじめ、遺跡や寺院、文化財などの見どころがいっぱいある。

まずは、京田辺から国道307号線の山城大橋を渡り、天井川となっている青谷川の堤防を走る国道から降り、奈島地区の南側を横切る。この道は古くから宇治田原と大阪の枚方を結ぶ道で、大和(奈良・京都)街道との交差点には道標が建つ(表紙の写真)。なお、西の案内は十六の渡舟場・田辺・河内枚方となっている。十六の渡は草内の渡とも呼ばれる。

JR奈良線を踏切で渡った後、少し北に上がって前にも何度か行ってるサンドイッチ専門店「ユニークサンド ローズマリー」で昼食。ここは私が帰国してからも何度か買いに行ってるところで、新鮮な食材を用いたこだわりのユニークサンドの店。一般的なサンドイッチと比べると、彩り豊かな具材とボリューム感がすごい(下の写真1)。もっちりパン生地にシャキシャキ野菜のコンビネーションも心地よく、また、サンドの上下で異なるパン生地を使用するなど、細かい部分に対するこだわりもある。セットの100円のアイスコーヒーと一緒に店の前のイートインスペースで戴く。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3986991038037557&type=1&l=223fe1adec

昼食後、サンドイッチ屋さんからそのまま東に向かう。城陽の東部を南北に走る丘陵部は、国道307号線に並行して流れる青谷川で切れるが、その丘陵部の一番南端近くにあるのが浄土宗洞谷山西生寺。寺伝によると、室町時代末期の1544年(天文13年)頃、京の知恩院の一角に建てられた一心院で専修念仏に努め、捨世派の祖となった称念上人が村民の帰依を受けて創建したもので、1693年に知恩院の末寺となった。

丘陵部の最南部近くを横切る道から見下ろせる本堂に御本尊の阿弥陀三尊が安置されており、本堂前には青谷梅林の整備保存に尽力した大西翁の頌功碑がある。この寺も明治時代の梅林整備に大いに貢献した。京都府下で最大の梅林である青谷梅林は江戸時代後期から知られていたが、1896年(明治29年)の鉄道の開通で一気に名所となった。1900年に発行された青谷絶勝は、紀行文と詩画によってこの梅林を紹介したもので、これによりその名声は不動のものとなった。その青谷絶勝の版木がこの寺に保管されている。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4359533054116685&type=1&l=223fe1adec

西生寺から丘陵部の西の下に南北に走る山背古道を5分余り歩くと、丘の上に続く分かれ道がある。この道を少し上がったところにあるのが市辺(いちのべ)天満神社。天満神社の名の通り菅原道真を御祭神とするが、由緒沿革は明らかになってない。市辺はこの辺りの地名で、5世紀頃に第17代履中(りちゅう)天皇の第1皇子で、第23代顕宗(けんぞう)天皇の父である市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)がこの辺りに住んでいたことから付いたと云われるが、この辺りでなく奈良の近くに住んでいたという説もあり定かでない。また、単純に市は開かれた場所とか人々が住んでいた場所を意味し、その近辺ということから市辺となったと云う説もあるそうだ。

丘陵部へ向かっていくとまずは石の鳥居があるが、その手前には菅原道真のあの有名な歌の歌碑がある。たぶん、この地とは関係ないと思うけど。鳥居を抜けて、丘陵沿いに緩やかな階段を上がり、続く参道を進むと拝殿に突き当たる。割拝殿を入ると右側には神輿が置かれ、反対側は休憩所になっており、正面は木枠で行き止まりとなっている。

その奥が本殿。拝殿の横を回り込むことも出来ないので、木枠の隙間から見るしかできないが、朱色に塗られた一間社流造、檜皮葺、桃山時代の装飾と古い手法を併せもつ本格的な建物。旧富野(との)村の産土神とし崇敬されてきた荒見神社の本殿と細かな部分が似ており建築年代も近いものと云われている。棟札には本殿の造立年は万治2年(1659年)となっているものがあるが、他の資料では慶長11年(1606年)との記述もあるそうだ。京都府の登録有形文化財。

拝殿の前には従一位稲荷大神と天照皇大神宮遥拝所が並ぶ。遥拝所でお参りすると天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)に伊勢神宮で参拝するのと同じになるとのこと。この神社の鎮守の森には貴重な大木が並び、京都府環境保全地区となっている。樹高24m、幹周2.6mの杉は樹齢約130年とされ、市内最古と云われる(下の写真2)。また、隣の樹高15m、幹周1.9mのモチノキも市内最大級(下の写真3)。

境内の東側丘陵上には、古墳時代後期の横穴式石室を主体部とする円墳が7基あるそうで、歴史的にこの一帯がかなり開けていた地域であることを示している。また、この神社と西生寺の間の小山の上には市辺城跡がある。南北朝時代の頃に建てられたらしい。この辺りは古代より、奈良と京都を結ぶ街道近くにあり、様々な地域の勢力があって軍事的にも重要な場所だったと考えられる。城跡には「是東 市辺押磐皇子 故跡」と云う石碑が建っているそうだが、この小山を登るのはかなり大変そう・・・
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4359539974115993&type=1&l=223fe1adec


後半へ続く

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  • 写真1 ローズマリーのユニークサンド

    写真1 ローズマリーのユニークサンド

  • 写真2 城陽の名木・古木の杉

    写真2 城陽の名木・古木の杉

  • 写真3 城陽の名木・古木のモチノキ

    写真3 城陽の名木・古木のモチノキ

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