2015/05/17 - 2020/10/03
1748位(同エリア9516件中)
毛利慎太朗さん
- 毛利慎太朗さんTOP
- 旅行記115冊
- クチコミ309件
- Q&A回答4件
- 153,245アクセス
- フォロワー105人
はじめに、私が機関車好きになったのは、平成26年(2014)に同じ職場の先輩が、も~中学の時から貨物好きで、それに触発されたためです。
次に動機は、HD300やDD200の導入で構内入れ替え用や地方貨物のDE10が数を減らしているので、在りし日の雄姿をここに公開しようと思い立ったからです。
それだけでは構成要素がたりないので、おまけに金太郎(EH500)やC61-20などの写真もついてきます。
カメラは最悪スマホ、顔や車番がわかればいいという”記録”にすぎません。
選考基準も出鱈目ですが、ご覧いただければ幸いです。
※撮影日時については写真のプロパティーから算出しているので、若干の誤差がありますのでご了承ください。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
PR
-
撮影日時 2016年6月8日15時23分
撮影場所 前谷地駅付近、鳥谷坂トンネル前
まずは「JR貨物仙台総合鉄道部(通称・仙貨)のDE10」から紹介します。
第一にDE10とは、昭和41年(1966)~昭和53年(1978)までに708両が製造されたディーゼル機関車です。
今までの用途は地方路線での貨物あるいは旅客列車の牽引、貨物駅等での入れ替え作業、レール運搬やホッパ車の牽引と、まさに「万能機関車」といえます。
写真は1120号機、このように白帯を境に赤とグレーが塗り分けられているものを「更新色」といいます。
昭和46年(1971)一ノ関新製配置→盛岡→平成3年(1991)より長町/仙台で活躍。
鳴子のときにあげた1120号機は「スカコン」で見栄えが悪かったので、「フルコン」の写真を改めてあげます。
撮影場所は結構有名な「お立ち台スポット」ですが、2015年11月~2016年6月の間にトンネル左脇にポールが建っております。
ま~機関車の顔が撮れればどうってことないので、あっしには関わりのないことで(by木枯らし紋次郎)
一応撮影地のリンク張っておきます。
https://rail.hobidas.com/guide2/archives/2013/03/post_355.html -
撮影日時 2015年11月28日6時52分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
DE10-1120の製造プレートは西暦表記、「汽車會社 1971」とある。
汽車會社こと汽車製造は明治29年(1896)設立~昭和47年(1972)に川崎重工と合併するまで存在した日本初の民間機関車メーカーである。
初代社長は「鉄道の父」と呼ばれた井上勝子爵(天保14年・1843~明治43年・1910)が務めた。
丸の内駅前広場にも子爵の銅像がありますね。
映画にもなった「長州ファイブ」の一名で、文久3年(1863)~明治元年(1868)までユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで鉄道・鉱山を習得。
帰国後はその実力を買われ、英国人技術者 エドモンド・モレル(1840~1871)のもと、明治5年(1872)の新橋~横浜の鉄道開業へ尽力します。
ちなみに、モレルは我が国の財政状況と地理を鑑み、1067ミリのレール幅と、開業時の橋梁や枕木を木製にしようとアドバイスし、「日本の鉄道の恩人」ともいわれる方なので、名前は是非覚えてもらいたいところです。
決してイギリスは「植民地規格のレール」を押し付けたわけではないので、誤解のないように。
その間子爵は、明治4年に鉄道寮鉄道頭(てつどうのかみ)となり、途中退官・組織改編があったとはいえ、明治26年(1893)の鉄道庁長官退官まで鉄道行政のトップであらせられました。
開業時は運営にも外国人技術者が多数を占めており、高コストと、意思疎通の不便が問題点でした。
その状況を打破すべく、明治10年(1877)に子爵は工技生養成所を設立し、明治14年(1880)に我が国の技術者だけで逢坂山隧道(京都市と大津市を結んでいた664メートルの鉄道トンネル)を開通させるまでに至るわけです。
それと同時に東京~京都間をどのルートで結ぶかという問題が発生するわけですが、明治3年と明治5年の調査、明治9年に提出されたリチャード・ボイル(モレルの後任)の報告書でも中山道に軍配があがります。
なぜ中山道経由かというと、東海道と海運業者との競合や、急峻な地形が続いて交通の不便な中山道の振興を図るというのが考慮されたらしいです。
しかしながら、いざ工事に移ると群馬と長野にまたがる碓井峠の急勾配(66.7‰)がボトルネックとなります。
それを明治19年(1886)2度にわたって政府首脳を説得し、東海道へ経路変更させたのも子爵の功績です。
これがなければ、明治24年(1894)開戦の日清戦争で兵士及び物資をこの年の6月に開通した広島まで運ぶことができず、勝利へ導くことは難しかったのではないかと筆者は考えます。
最後に子爵の人柄については、雷親父で酒豪といった印象。
細かいエピソードとしては以下の通り
※新橋~横浜間の工事中、資材が輸入品だという事に御立腹。
※石炭が不足したとき「薪をたけ」と指示。
※鉄橋がつきそうな濁流でも定時運行を指示した。
これらについては鉄道院総裁をされた郷土の雷親父をもじって「そんなことしたら汽車がゴト(後藤)ゴトしてシンペイ(新平)だ~」と返すしかないかというのが率直な感想である。
このままでsage評価っぽいので、いい話を付け加える。
高級官僚でありながら、明治11年(1878)からの京都~大津間の現場監督として辣腕を振るったほか、「長州ファイブ」の仲間だった伊藤博文公や山尾庸三の部下になっても、意思を曲げることなく正義を貫いた。
山尾に関しては鉄道寮・大阪移転を巡って明治6年(1873)に対立し、子爵はその翌年まで一旦鉄道頭を辞したという逸話も残っている。
そりゃあ、大阪に移転すれば当時絶賛工事中だった京都~神戸間が中央のお伺い建てることなくはかどる、子爵の御意見ごもっともである。
あ~東京一極集中は今も昔もなんとかならんのかね~ -
撮影日時 2018年3月24日15時41分
撮影場所 石巻駅北側
さて、DE10の解説に戻る。
写真は石巻駅で機関車付け替え作業の模様。
ややぶれているが、ロングノーズが『デーン』としてインパクトがあったので、チョイス。
写真の1179号機は昭和47年(1972)秋田新製配置→郡山を経て、平成12年(2000)一旦廃車ののち、その年に仙台で復活という経歴を持つ。 -
撮影日時 2018年3月24日15時42分
撮影場所 石巻駅北側
先ほどの続きモン。
更新色どうしが並んだので1枚。
左の車両は1595号機です。
背景が市立病院ってのはどうよ。
影だけど、人の顔が入っていないし、何号機かもわかるのでいいや。 -
撮影日時 2018年3月24日15時45分
撮影場所 石巻駅北側
先ほどの写真からほどなくして1179号機(右)連結完了。
ウテシさん写り込んでいるけど、気にしたら負けだ。 -
撮影日時 2017年10月7日16時44分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
気を取り直して人が写ってない1179号機の写真もあります。
恐らく、鳴子温泉からの帰りに撮った1枚。
2015年にも1179号機の写真を撮ったものの、影だったのでなんぼかマシなのが撮れて興奮状態だったことを覚えている。
おかげで、通りすがりの高校生に白い目で見られたが、どおってことない(笑)
しかしながら、片目テールライトは謎だなと思って調べると、どうやら「入れ替え中」の合図らしい。 -
撮影日時 2018年3月24日15時50分
撮影場所 石巻駅1番線に停車中のHB-E210の車内から
エクシリムではこれがげんかいなだ~
拡大して辛うじて「昭和47年 NO.3047」というのがわかる。
とにもかくにも、日本車輌のプレートってそこらへんが見づらいね。
まるでペン先で書いたような。 -
撮影日時 2017年5月3日14時13分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
陰り気味だが、小牛田駅は多用しているアングル。
あくまでも「撮り鉄」でなくて「記録鉄」なので。
このころから、1日中、前谷地のトンネル前で辻立ちする気力もないというか、ヘタレです。
これは、横山不動尊・秘仏開帳の帰りに撮った1197号機。
昭和47年(1972)盛岡新製配置→八戸→盛岡→平成11年(1999)より仙台で活躍。 -
撮影日時 2017年5月3日14時12分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
小牛田駅の場合、だいたい目的はこの製造プレートを撮るのが目的だったりします。
川崎は結構明瞭です。 -
撮影日時 2015年9月22日8時35分
撮影場所 前谷地駅付近 鳥谷坂トンネル前
アングルがイマイチですが、1197の連番及び順光ということで1198号機です。
川崎製で、昭和47年(1972)弘前新製配置。
郡山を経て、昭和60年(1985)より仙台で活躍。 -
撮影日時 2016年6月4日7時48分
撮影場所 前谷地駅付近 鳥谷坂トンネル前
写真は1595号機。
昭和48年(1973)小樽築港新製配置→盛岡→平成11年(1999)長町/仙台→平成22年(2010)鷲別→平成25年(2013)仙台→2019年度廃車。
車歴からして北海道と本州を行ったり来たり。
鷲別機関区(北海道登別市・平成26年8月廃止)とは、懐かしい名前。
平成26年(2014)改正まで、DD51の巣窟だったイメージがある。 -
撮影日時 2016年6月4日6時48分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
DE10-1595号機のプレートはこちら。
「日本車輌 昭和48年 NO.3068」とある。
日車のプレートのわりに見えやすいかも。 -
撮影日時 2020年10月3日13時41分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
「こけし&テツ」の回でDE10-1591号機がケツ撮りだったので、スマホだけどリベンジ。
このように赤地に白帯のベーシック車両を「原色」といいます。
昭和48年(1973)長町新製配置からずーっと仙台で活躍しているが、昭和61年(1986)度は福島にいた。
平成20年(08)~平成28年(16)まで更新色だった。 -
撮影日時 2020年10月3日13時38分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
最近台車に凝りだして、ホーム向いに車両がいなければ撮ろうという気になった。
石巻方の台車はDT131といい、これは全DE10共通設計。
ボルスタレスを見慣れているので、なんとなくホッとする。
ダイレクトマウント、インダイレクトマウントとも違う感じ。 -
撮影日時 2020年10月3日13時39分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
小牛田/仙台方の台車はDT141というらしい。
バネのねじねじはなんだか、セブンイレブンで売っている「カリカリコーン」に見えるのは私だけだろうか。
しかし仙台所属釜(機関車)のうち、1120号機と3001号機は小牛田方に違う台車(DT132)をはいている。 -
撮影日時 2016年6月4日14時29分
撮影場所 前谷地駅付近、鳥谷坂トンネル前
写真は1719号機で、製造は川崎重工。
昭和50年(1975)北見新製配置→五稜郭→鷲別→五稜郭→鷲別→平成22年(2010)より仙台で活躍。
こちらは五稜郭と鷲別を行ったり来たりである。
トンネルが若干見切れているけど、ポール入ってないからいいってことよ。 -
撮影日時 2018年6月2日8時52分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
仙台所属・DE10更新色には2パターンあります。
大多数は右の1595号機のように、てっぺんがグレーの塗装です。
しかし左の1719号機はてっぺんが赤く、「苗穂更新色」と呼ばれております。
平成25年(2013)以降は全国探せど、この釜にしか施されていない貴重な塗装です。 -
イチオシ
撮影日時 2015年9月22日16時9分
撮影場所 前谷地駅付近 鳥谷坂トンネル前
鳥谷坂トンネル前ではあるものの、カメラはトンネル側ではなく、駅の方を向いている。
さっき言った通り、写真の3001号機と1120号機は小牛田方の台車はカバーみたいなので覆われている。
ここから3512号機まではDE15の改造釜である。 -
イチオシ
撮影日時 2017年5月3日8時33分
撮影場所 前谷地駅こ線橋
やっぱ旋回窓(雪除けの丸窓)が4つ揃うと、スロットで『7777』が揃うより嬉しいってのは、頭がオカシイのかな。 -
撮影日時 2017年5月3日7時48分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
プレートを確認『日本車輌 昭和46年(1971)NO.3008』とある。
元DE15‐1001で、長岡→酒田→東新潟→長岡→平成21年(2009)一旦廃車。
翌年DE10として東新潟で復活→平成26年(2014)より仙台で活躍。 -
撮影日時 2018年6月23日12時33分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
写真の3507号機は、元DE15-1530として昭和51年(1976)川崎重工で落成。
東新潟→長岡→平成21年(2009)にDE10化し東新潟→平成27年(2015)仙台→令和2年・東新潟へ出戻り。
これは東北歴史博物館・特別展「東大寺と東北」の時間調整のため、小牛田駅前の食堂で昼食後、そのついでに撮ったやつだ。
3500番台の前面プレートは同化して、順光でも逆光でも見辛いんじゃが、天候が曇りだからまあまあ見える。 -
撮影場所 2015年5月17日15時26分
撮影場所 石巻駅1番線ホーム
写真の3512号機は、元DE15-2513。
製造は川崎重工。
昭和53年(1978)新庄新製配置→郡山→平成21年(2009)DE10化し仙台→平成30年(2018)度廃車。
右奥にはこの月末に引退した石巻線・キハ40がちらっと写っている。
いわゆる『葬式鉄』のついでということだ。
3512号機の側面プレートは”白地に白文字”でなくて見やすい。
以上、私が撮った仙貨所属のDE10の顔はこれまで。
ほかに1643号機(平成30年度廃車)や3510号機がいたが、出会うことがなかった。 -
撮影日時 2016年6月4日17時57分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
ここからはJR東日本・郡山総合車両センター所属DE10の4釜を紹介。
まず、1180号機の製造は川崎重工。
昭和47年(1972)新庄新製配置→長町→昭和62年(1987)より郡山で活躍。
郡山もこの間、郡山運転所→磐越東線営業所→郡山総合車両所と組織改編はあるものの「郡山」で統一。
写真は仙貨のDE10を上記の先輩と撮りに行った帰りに『もっけの幸い』とばかりに駅構内でヒルネしていた当該釜を撮影したものである。 -
撮影日時 2020年9月28日16時28分
撮影場所 小牛田駅東西自由通路
写真は1649号機で、製造は川崎重工。
昭和48年(1973)新庄新製配置→平成12年(2000)より郡山で活躍。 -
撮影日時 2015年11月28日16時13分
撮影場所 小牛田駅東西自由通路
写真は1651号機で、製造は川崎重工。
昭和48年(1973)八戸新製配置→青森→盛岡→郡山→会津若松→磐越東線営業所→新庄→平成16年(2004)より磐越東線営業所/郡山で活躍。
これは東北各地を島流しにされているパターン。
「駅舎巡りの旅(令和元年9月)」でまともな写真も撮ったのだが、同じ写真をupするのもつまらないので「ゆるいアングル」のこれをup
いかに金網ガラス越しに綺麗に正面から撮れるかというのが問われているとか、いないとか。
この日も仙貨のDE10を撮ったのだが、満足したものは撮れず、収獲は『1120号機のプレート』とこれぐらいなもんかな。 -
撮影日時 2016年6月26日14時44分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
写真は1760号機、製造は日本車輌。
青森→郡山→新庄→平成16年(2004)より磐越東線営業所/郡山で活躍。
1651号機に比べ、小牛田に出没する機会が少ないような。 -
撮影日時 2018年6月2日16時43分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
前方が1649号機、後方が1180号機。
たぶんこれは、鳴子「東多賀の湯」の帰りにとったやつ。
その時は「重単だ~ヒャッハー!」とはならなかったが、いまとなってはサンドの伊達ちゃんじゃないけど『興奮してきたな』
とりあえず、郡山所属釜はここまで、あとは単体で紹介。 -
撮影日時 2015年10月1日16時12分
撮影場所 一ノ関駅東口
写真はJR東・秋田所属の1759号機。
製造は日本車輌。
昭和52年(1977)から秋田所属釜だが、平成2年(1990)から一時期新庄にいた。
スマホ撮影なので、画質はお察しください。
一ノ関になぜ秋田の釜?と思うが、北上線の工事列車か試運転だと思われる。 -
撮影日時 2016年12月4日6時31分
撮影場所 一ノ関駅3番線ホーム
写真はJR東・盛岡所属の1762号機。
製造は日本車輌。
昭和52年(1977)青森新製配置→平成28年(2016)より盛岡で活躍。
1761号機~1765号機の兄弟は今年まで青森から苦楽を共にしてきたが、長兄の1761号機が8月より八戸臨海鉄道で活躍している。 -
撮影日時 2015年11月1日9時23分
撮影場所 熊本駅6番線ホーム
写真はJR九州・熊本所属の1206号機
製造は川崎重工
昭和48年(1973)早岐新製配置→大分→鹿児島→平成16年(2004)より熊本で活躍。
熊本車両センターのDE10は平成27年(2015)より、みな黒色である。
仙台釜とのちがいは、旋回窓がないということ。
南国なので必要ないっちゃ当然だけど、スノウプラウ(前にラッセル車のようにとがった雪除け)はなぜか装備。 -
撮影日時 2015年6月14日9時40分
撮影場所 高崎駅2番線ホーム
写真はJR東・高崎所属の1705号機
製造は川崎重工
昭和49年(1974)篠ノ井新製配置→東新潟→北見→東新潟→昭和61年(1986)より高崎で活躍。
昭和62年より俗にいう”茶釜”(ぶどう色1号)
高崎所属釜では他にEF64-1052号機に施されている。
熊本と違った高級感を醸し出している。
DE10の”顔”の写真はここまで、お次はDLの側面写真集。
果たして需要はあるのか疑問だが。 -
撮影日時 2020年9月28日13時42分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
まず、比較のためにDD200‐901の側面を載せる。
区名札は「愛」、愛知機関区を指す。
なぜDD200を愛知機関区で集中配置するのか疑問に思ったが、JR貨物と労組やりとりで、6問目に「稲沢にディーゼル機関の整備場があるため」とある。
↓PDFファイル
http://www.jrtu-f.com/gyoumu573.pdf
また、ヤフー知恵袋の一回答では「リニアの残土を運ぶため」ともある
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14205664599
にしても地方貨物投入用であるので、これは考えにくい。
その点について詳しい方はコメントお願いします。 -
撮影日時 2017年5月3日14時12分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
続いて、DE10‐1197の側面はこちら。
やはり区名札の「仙貨」がしっくりくる。
ロゴの「JRF」もビシッと決まってる。
プレートはちょうど更新色のラインにある。 -
撮影日時 2016年6月4日6時48分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
続いて、今は無きDE10-1595の側面はこちら。
フォントはそのままだが、文字が銀ピカ! -
撮影日時 2020年10月3日13時36分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
続いて、DE10-1591の側面はこちら。
上下のラインが気持ちいいくらい一直線。 -
撮影日時 2019年8月4日13時38分
撮影場所 『えきフェスMISATO2019』会場
続いて、DE10-1651の側面はこちら。
先ほどと違ってJR東の釜なので区名札は「郡」、郡山総合車両センターを表す。
プレートじゃなくて文字がそのまま貼っつけてあります。
上のラインが札入れのような右の大きい枠2つで途切れがち。
この”枠”は疑問なんですが、なんですか?(お分かりの方はコメントください)
一番左の小さい枠が”区名札”その隣が”仕業札”まではわかるんですが。
仕業札は”A-202”とか運用を表すものですが、今はあまり使われておりません。 -
撮影日時 2017年5月3日7時49分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
続いて、DE10-3001のプレートはこちら。
大枠が1つ、文字もなんぼかみやすいほう。 -
撮影日時 2018年6月23日12時32分
撮影場所 小牛田駅4番線ホーム
続いて、東新潟に行っちまったDE10-3507のプレートはこちら。
白プレートに白文字で、同化してる、どうかしてる。
当該釜の「川崎」のプレートと、平成30年度に廃車された3512号機の側面プレートとは対照的である。 -
撮影日時 2015年6月14日9時41分
撮影場所 高崎駅2番線ホーム
続いて、”高崎の茶釜”ことDE10-1705の側面はこちら。
大枠2つが茶色の肌、ラインとカモフラージュして『完成度高いな、オイ!』
プレートの文字も銀ピカで、こりゃまた高級感漂う。
ちなみに、DE10は横向きで運転します。
これにてDLの側面のコーナー終了。 -
撮影日時 2015年9月22日17時15分
撮影場所 前谷地駅こ線橋
先ほどのDE10-3001と逆アングル。
ここから特筆すべき釜を3つ(+α参考写真1枚)紹介。
写真はDE11-1029、昭和48年(1973)大宮新製配置という事と、2012年5月までJR東・宇都宮運転所の釜であった。
2016年以降は特休車(事実上引退?)なので、動いていた時の貴重な写真。
仙貨標準装備の『旋回窓』はついているものの、『スノウプラウ』がついていない。
なので冬場はウヤ(運休)
いい写真がこのロングノーズのやつしかなかった。 -
撮影日時 2016年6月4日17時14分
撮影場所 前谷地駅こ線橋
※参考写真
同じ場所でDE10-1595を遠近法を使って、ショートノーズっぽく撮ることも可能でした。 -
撮影日時 2018年2月25日10時26分
撮影場所 快速みえ6号の車中・JR四日市駅付近
写真のDD51-1803は昭和53年(1978)三菱重工製
佐倉新製配置で、その当時はジェット燃料輸送で活躍。
なお、今年の1月に解体の模様。
http://blog.livedoor.jp/z2f100064/archives/39750888.html
愛知機関区のDD51も時間の問題となりました。
http://blog.livedoor.jp/z2f100064/archives/41159144.html -
撮影日時 2017年6月3日8時52分
撮影場所 一ノ関駅1番線ホーム
写真のED75-757は昭和47年(1972)東芝製で、秋田新製配置。
現在は758、759号機とともに仙台車両センターで、工事及び臨時列車の牽引を担う。
東北、奥羽、羽越の貨物及び、ブルトレや50系・12系客車の牽引を担ったED75も現在は仙台と秋田に5釜残るのみ。
東日本大震災の前までは、一ノ関駅で0番台や1000番台の牽引する貨物が見れたのに、それすら知らなかった自分は愚かである。
ちなみに、職場の先輩はカメラの精度はそこそこだが、自分なりに記録を撮っていたのでそれを見て懐かしむしかない。 -
撮影日時 2019年8月4日13時37分
撮影場所 『えきフェスMISATO2019』会場
以下は”金太郎”こと『EH500』の写真。
金太郎は、黒磯での機関車付け替え、東北本線でED75重連、海峡線でED79重連などの手間を省くために、交直両用・海峡線対応ということで平成9年(1997)~平成24年(2012)まで製造された機関車である。
しかしながら当初は、長距離運用ゆえか故障が多発。
黒磯で依然として機関車を付け替える運用が多かった。
ところが、平成28年改正(北海道新幹線開業)では海峡線の電圧が20,000V→25,000Vに変更され、北海道乗り入れができなくなったものの、黒磯付け替えが廃止となり、当初目標を達成した。
現在、仙貨には901、1~44、51~66、73~81号機が在籍しています。
(その他は門司機関区配属)
写真の901号機(クマイチ・試作機)の特徴は前面白帯に青いナンバーが貼ってあること。
金太郎は試作機含めて大きく4パターンあるので、製造会社はすべて東芝でも”沼”と化している。
しかしながら、貴重な車両の扱いがぞんざいではないか… -
撮影日時 2019年8月4日13時39分
撮影場所 『えきフェスMISATO2019』会場
だいたい郡山のコイツ(DE10‐1651)と… -
撮影日時 2019年8月4日13時42分
撮影場所 『えきフェスMISATO2019』会場(入場無料)
愛知のクマイチ(DD200‐901)にサンドイッチされている。
この2つは小牛田駅4番線でじっくり見ることができる。
留置線が非電化なので、『3つつなげて展示してしまえ』というのは分からなくもないが、私だったら入場料1000円払ってでも、金太郎のクマイチを正面から見たいね。
https://railf.jp/news/2018/08/07/120000.html
↑この前年の『えきフェスMISATO2018』でもED75が”サンドイッチ”されてるし… -
撮影日時 2019年8月4日13時37分
撮影場所 『えきフェスMISATO2019』
仕方ないので側面とかを台車含めて撮ってみた。
ここでも安定のボルスタレスだが、ヨーダンパがあると一味違う。
やはり高速走行には必需品だな。 -
撮影日時 2019年8月4日13時36分
撮影場所 『えきフェスMISATO2019』
プレートを確認、ちいさっ!
「TOSHIBA 1997.9」と、西暦表記。
いままで元号表記で見慣れていたので。 -
撮影日時 2020年7月18日11時10分
撮影場所 花巻駅2番線ホーム
金太郎1次車の特徴は窓下部まで黒く、そこにナンバーが貼ってある。
白帯はその下にある。
色みも暗くなって、『あずき色』といったところ。
金太郎のトプナンは平成12年(2000)製。 -
撮影日時 2017年9月30日7時57分
撮影場所 一ノ関駅1番線ホーム
2号機も1次車で、平成12年製。
8:00発の仙台行きが出る前に貨物が通過することを察知しているので、乗り遅れる危険性もあるが、イチかバチかで勝負に出るときもある。
標識があって、足回りを邪魔するような感じではあるものの、『顔が写ればいいやん』と納得する。 -
撮影日時 2018年3月24日7時59分
撮影場所 一ノ関駅1番線ホーム
これより2次車、3号機も平成12年製。
あずき色は変わらぬが、白帯にライトがきている。
これは石巻市で寺社仏閣巡りをした時、手始めに一ノ関駅で撮った写真。
やっぱ標識が邪魔くさいが、うちのプリンタで印刷するときちょうどよくトリミングされるので前を向こう。 -
撮影日時 2019年10月20日6時50分
撮影場所 一ノ関駅1番線ホーム
4号機も平成12年製。
これは白石の寺社仏閣巡りをしたときに撮ったもの。
標識はなんとかかわせたのでまあまあのデキ。 -
イチオシ
撮影日時 2016年7月30日7時42分
撮影場所 一ノ関駅3番線ホーム
飛んで7号機、これも平成12年製。
いつもは忙いで”1番線アングル”だが、3番線で撮ったこれがなかなかのデキ。
おそらく金太郎1顔が一番よく撮れている。
あれ、ライトが片目だ。 -
撮影日時 2017年3月14日14時57分
撮影場所 岩沼駅5番線ホーム
金太郎3次車で出来のいいヤツがいないので、顔がどアップの36号機をあげる。
3次車の特徴は塗装が明るくなって、窓の下部も赤い。
かつ、白帯も短くなった。 -
撮影日時 2017年3月14日15時10分
撮影場所 岩沼駅5番線ホーム
36号機の製造プレート。
クマイチに比べ、でかっ。
「東芝 2005年製造」とある。 -
撮影日時 2017年3月4日15時10分
撮影場所 岩沼駅5番線ホーム
金太郎と言えば、まさかり担いだこのロゴですよね。
『ECO-POWER 金太郎』
EF210なら『ECO-POWER桃太郎』、EF510なら『RED THUNDER』、EH200なら『BLUE THUNDER』などのロゴが付き、各釜の愛称ともなっている。
しかし『BLACK THUNDER』はないのかと、ボケをかます。
『某チョコ菓子』の商品名だから難しいところかな。
仮に平成4年(1992)に試作機だけが製造された『ED500』あたりが量産されたら名乗りそうな、そうでもないような。
あれは日立の”黒歴史”だからあまり触れないでおこう。 -
撮影日時 2017年3月4日15時13分
撮影場所 岩沼駅5番線ホーム
平成29年(2017)より検査明けの金太郎から『JRF』ロゴが消えているので、これもウプ(up)しとかないと。
同様のことが桃太郎やブルサンでも起きている。 -
撮影日時 2015年6月14日16時28分
撮影場所 渋川駅
ここからは高崎の動態保存機『C61‐20』についての写真。
渋川駅では上り・下りとも10分以上停車してくれるので、その時間を利用して記念撮影やこういったプレートを撮影したり。
C61‐20はD51-1094のボイラーを流用し、昭和24年(1949)三菱重工・三原製作所で産声をあげました。
青森新製配置から仙台へ転属。
「はくつる」や「はつかり」を牽引したこともあります。
最終配置は宮崎で、昭和48年(1973)廃車。
翌年より、群馬県伊勢崎市『華蔵寺公園遊園地』にて保存。
平成22年(2010)1月より動態復元に着手、翌年6月4日より営業運転を開始しております。 -
イチオシ
撮影日時 2015年6月14日12時31分
一番気に入っているアングルは水上駅に隣接する『SL転車台広場』の検査ピットに収まる姿ですかね。
正面から”顔つき”撮れるし、人もあまり写りこまない。
そこまで撮り鉄に凝ってないので、精度を求めるなら『ゆるてつさま』の旅行記を参照にされたし。
https://4travel.jp/travelogue/11567790 -
撮影日時 2015年6月14日9時16分
また、高崎駅旧1番線(閉鎖)と2番線の間にある中線を単機で往く姿も好きだし。 -
撮影場所 2015年6月13日(土)16時58分
撮影場所 新前橋駅3番線ホーム
王道の『旧客』を牽引してる姿は「はつかり」等を彷彿とさせるし。 -
撮影日時 2015年6月14日(日)16時58分
撮影場所 新前橋駅3番線ホーム
12系でも『ブルトレ』っぽくて好きだな~
(客レはなかなか現代だとこういう機会しかない…) -
撮影日時 2015年6月14日11時8分
撮影場所 『SL水上』下り・渋川~沼田の車窓
また、1号車A席に指定を取って、カーブに差し掛かる景色もよいし。 -
撮影日時 2015年6月14日12時24分
水上駅でくるくる回る姿も好きだし。
しかしながらこの2時間後、撮影に夢中になるあまり筆者は財布にいれたつもりの『週末パス(当時8730円)』を紛失し、水上~一ノ関間(8750円)を改めて買いなおすという惨事に見舞われる。
今となってはいい教訓。
ウエストポーチを必ず携行し、そこにしまう癖をつけた。 -
撮影日時 2015年6月14日10時40分
下り『SLみなかみ』の渋川停車中に運転台を確認。
弁や管、メーターが所せましと並んでおり、ウテシさんを始め世の人が『生き物のようだ』というのもうなずける。 -
撮影日時 2015年6月14日12時29分
いままで動態保存機に触れてきたが、静態保存機についても1枚。
水上駅SL転車台広場の片隅には『D51‐745』が展示されている。
昭和18年(1943)に日本車輌製、新製配置は宇都宮
昭和35年(1960)高崎第一に配属され、昭和45年10月廃車。
撮影当時は錆が浮き出て、宮城県大崎市のC58同様に無残な状態であった。
しかし、クラウドファウンディングにより平成29年(2017)にお色直しをした模様。
https://teketeku-aruki321.at.webry.info/201807/article_4.html -
撮影日時 2015年6月14日8時23分以降
撮影場所 クモハ153(150形・第二編成)の車中から
最後におまけ、高崎関連で上信電鉄「デキ1形(右)」もあげていこう。
現在車籍を有しているのは『デキ1号』と『デキ3号』で、写真はそのうちのどちらか。
大正13年(1924)ドイツ・シーメンス製。
フランス・アルストム、ドイツが拠点のボンバルディアとともに鉄道車両製造で『ビックスリー』を担っている。
シーメンスというと、『ドレミファインバータ』を連想する筆者である。
かつてはJR東・501系もそうであったが、京急では編集現在で1編成まで減った。
しかしながら、平成29年(2017)7月にデキ1号が出火、幸い屋根が少々焦げた程度で鎮火したが、復帰には多額の費用がかかる見込み。
クラウドファウンディングなどの方法を通じて、1000万円でもよいので資金を調達できることを願ってやみません。
最後までご覧くださいましてありがとうございました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (7)
-
- つららさん 2020/11/23 21:41:02
- はじめまして
- 毛利慎太朗さま
はじめまして、つららと申します。
(いつも「いいね」を頂戴いたしまして、誠にありがとうございます)
機関車についてまったく無知ですが、さすがにDE10は存じております。
こんな例えで申し訳ありませんが、ある美術館で古信楽の壺をたくさん見る機会がありました。それまではなんか古信楽の壺ってみんな同じに見えていたのですが、たくさん見ることで一つひとつ違うことがわかるようになりました。今回の毛利慎太朗さまの旅行記の行き届いた説明を拝読してその時と同じように感じ、何か嬉しくなってコメントさせていただきました。(笑)
あと、温泉や旅館、お料理に関するご意見も的を得ていていつも感心しながら拝読しております。
これからも旅行記を楽しみにしております。
つらら
- 毛利慎太朗さん からの返信 2020/11/23 22:37:40
- Re: はじめまして
- つららさま、お久しぶりです。
前にフォローのお礼としてメールを送った際には『滋賀ない旅行記をやっている』とおくったら、『滋賀ないと(琵琶湖の)水がこない』と上手い返信を送って頂き誠にありがとうございます。
また103系に関する記述を誉めてくださり、つららさまやAkrさま、、BTSさま、とのっちさま、ゆるてつさまなどの諸先輩方に楽しんで頂けたらな~と思い、今回の旅行記をあげるに至りました。
つららさまの国鉄懐古的な旅行記、コロナ禍のなか西日本へなかなか足を運べないので、その代わりに楽しみながら、いつも拝読しております。
ま~岩手に住んでいるとそうでなくても西日本はどこかエキゾチックな感じで、ノスタルジーな印象なんですよね。
JR西日本さんは『古い車両を末永く』ということで、東日本ではとっくに引退した車両(103系、201系、113系など)を見られることで定評があり、私も何度か西日本に足を運んでおりました。
しかしながら最近新車導入の波で、415系(七尾線)や381系(やくも)、113系と117系(湖西線など)、201系(関西線)も引退にリーチがかかり、かつては『国鉄広島』といわれた広島駅近郊もレッドウイングの進出でもはその名称も過去のものですよね。
さて、信楽焼とDE10を例えるとはつららさま、なかなかお目が高いですね。
と誉めても、私は骨董には疎くて申し訳ないです。
DE10も一見『原色じゃん』と思えても製造プレート、側面プレート、ラインの感じ、配属先に至っては物語性もあり、なかなか奥が深いのですよ。
骨董を愛でるってそんな感じなんですかね。
最後に杉村温泉の旅行記、拝読いたしました。
古い旅館建築も大好きな私にぴったりの旅行記でしたよ。
経路も飛行機ですぐじゃくなくて、日本海を縦貫するのはさすがです。
羽越本線は背もたれの硬いGVじゃなくて、やはり青モケットのキハ40でいきたかったですよね。
-
- Akrさん 2020/11/21 16:20:18
- DE10フォルダ大解放!
- 毛利慎太朗さま
こんにちは。Akrでございます。
タグの♯みんな大好きDE10は、例の航空事故ドキュメントの常連、マクドネルダグラス社の飛行機とかけているんですね(笑)
今回はPCのフォルダ大解放市でしょうか。
それにしてもかなりの枚数記録されていますね。前谷地に通われていたのはびっくり。あそこって行きにくいですから、でも「本線」筋のDE10貨物は石巻線くらいでしかお目にかかれませんね。昔はローカル線でも普通に貨物走っていたのに。
まあ、個人的な意見ですが私は国鉄DLは原色に限るでしょうか。やはり朱色に白帯は秀逸です。国鉄時代の塗装ってどれも秀逸ですよね。現代でも十分通用します。
ブラックサンダーはおいしいでえすよね(え?そっちの話じゃなくて?)
私はEH500に描かれている金太郎があまり強そうじゃないなっていつも思います。マサカリ担いで困っていますね。
JRFの新型電気機関車で愛称が無いのはEH800くらいでしょうかね。
本文中で触れていた週末パス紛失事件ですが、私も似たような経験があります。
北斗星のデュエット個室券を仙台駅で落としてしまい、結果的にはホーム上で見つかって事なきを得たのですがそれからはポーチを買ってその中にチケットホルダーを入れて厳重に管理するようになりました。
こういう偏った(誉め言葉ですよ)旅行記は大好きです。
もっとお願いします。私もそのうちブチかまします(半分以上が他人の作品 笑)
おもしろかったです。
-Akr-
- 毛利慎太朗さん からの返信 2020/11/21 17:39:23
- Re: DE10フォルダ大解放!
- おばんです、Akrさま。
すぐさまの御反応、誠に痛み入ります。
さてタグの『みんな大好きDE10』についてですが、富山の『迷航空会社列伝』の方が多用されていたので、リスペクトさせていただきました。
https://www.youtube.com/user/EJ20BLACK
DC-10って、そんなに事故ってる感じなんですか?初耳です。
語呂がいいから使っちゃった感じですけど『ご飯の美味しいブリティッシュエアウェイズ』みたいな皮肉なんですかね。
次に、今回はPC大解放までいくんですかねえ。
ED79やはまなすのDD51なんかのフィルムスキャナデータがあったのですが、『おいおい自分うってるよ』って具合だったし、控えめにしたつもりです。
また、寝台特急『北陸』のEF64-1051の写真も見っけたんですけどこれは顔だけ写っていて、まあ今回はよそうか、いずれあげようかな~と。
それと同時に愛子駅の旧駅舎や『羽後本荘』のサボ、『はくつる』だったかのヘッドマークなんか発掘した感じで、これと新潟の『NODOKA(485系)』、水上駅で撮ったキム◯イプの115系、国鉄色や城端色のキハ58や白地に青帯の475系や419系、急行きたぐに、いろんな方向幕の写真、24系客車や14系のケツなど続々と出てきますが、写真の腕はお恥ずかしいので遠慮しときたいところですが、気がむいたら『小ネタ集』としてあげましょうかね。
今回の旅行記で精根使い果たしたので、次回upはあまり期待しないでください。
それと今後は、2015年1月になかむらや旅館に行ったときの旅行記をこれもいずれですがupを考えております。
それでも、あいづライナー(とはいえ腕の悪い3枚程度)をあげようと画策しておりますが、鉄要素はそんなとこかな~と。
次にDE10の塗装ですが、郡山の原色を見慣れているせいか、『またあいつかよ』と思ってしまう今日この頃。
気分を悪くされたら、誠にすみません。
時に熊本の黒いやつ、時に高崎の茶釜、時に1719の苗穂更新色が恋しくなるのです。
けどやっぱ、原色に戻るんです。
キハ58にせよ、485系にせよ、クリームに赤帯がいいし、115系は南瓜がいいですよね。
なんか長文失礼しました、お気にいったみたいで、本当に写真たちが報われます、ありがとうございました。
- 毛利慎太朗さん からの返信 2020/11/22 14:14:00
- Re: DE10フォルダ大解放!追伸や後日譚など
- Akrさま、今日は。
昨日の返信で足りなかった点がございましたので、補足させていただきます。
まず、前谷地に関してですが、2015年から翌年にかけ4回辻立ちしました。
9月上旬に来たときは前日の台風の影響で全部ウヤなので、22日のシルバーウィークにリベンジ。
このときは仙台で『嵐』のコンサートが行われたことが、同業者の立ち話を脇できいて知りました。
たしか仙台のホテルが満室になり、鳴子温泉の旅館が『夜遅くのご到着ならキャンセルを』といったニュースも流れましたね。
このときできのよかったのが表紙の写真で、よっぽど気に入ってるのでFacebookの表紙にしています。
このとき同業者がほか3名ほど撮っていました。
同業者にEXILIMを『コンパクト』といわれ、恐縮して撮った一枚でしたね。
トンネルの山影が迫って果たして大丈夫なのかとはらはらして撮った一枚でもありました。
EXILIMもバカデカイですからね(w)
感心ごとが嵐じゃなくてデーテンなんて私ってバカでしょ(笑)
世の人と論点がずれていますが、それも自分のよいところだと思います。
流行歌もせいぜいLISA『紅蓮華』や瑛人の『香水』くらいしか知らず、『鉄道精神の歌』『六角精児・ディーゼル』BTSさまの県民歌である『信濃の国』や軍歌(婦人従軍歌、若鷲の歌など)をそらんじてるやべえやつです。
このときも明くる6月もそうでしたが、日差しが強くて日焼けしたのもいい思いでとなります。
6月は近所のコンビニで買った、冷やし中華が温くなり、熱中症すれすれで日が落ちるまで頑張りました。
武勇伝はさておき、もう前谷地駅付近で1日じゅう辻立ちする気力もないですね。
前谷地は仙台撮り鉄さんが好きな秋田新幹線の鉄橋を撮りにいくとか、只見線にいくくらいならもうお手軽ですよ。
ペーパーなんで、鉄道利用で前谷地駅にいきましたけど。
さて次にEH800の愛称は難しいですよね、『海峡』?EH10の愛称の『マンモス』?『エコマンモス』?『マンモスライナー』?『レッドライナー』なんかネーミングセンスなくてすみません。
海底をもぐるから『浦島太郎』ってのは面白くてもちょっとな~
JR東が『芝浜』を蹴ったくらいだから、『浦島』っつう乙姫と戯れただけの与太郎の名前はつけないよな~
なんかいいネーミングないすか、大喜利でもいいので。
次に金太郎のロゴは可愛らしくていいと思います。
赤い機関車で、でっかいくらいで、威圧感あるので、ここで可愛らしさというメリハリも必要ではないかと。
最後に切符紛失ですが、2015年が初ではありません。
09年にSL只見号を父と乗りに行ったとき、只見駅で切符を落として、駅窓口に届いており、発車寸前で救われた過去があります。
(SL只見は余計な人が多すぎるので今回はアップを見送りました。)
それ以来母が切符を預かるようになったわけてすが、よく一人旅できるまでなったのが、幸いですかね。
そのあとも、ウエストポーチにいれる癖をつけても3.4年前に『あら伊達な道の駅』で『小さな旅ホリデーパス』を紛失しそうになり、あれどのポッケだったけか何てこともありました。
あんときは母がいたのでなだめてもらって冷静に探したら見っかりました。
ともあれ、自分はそそっかしくてすみませんって具合です。
2度にわたり、長文失礼しました。
- Akrさん からの返信 2020/11/22 17:21:42
- DC10(笑)
- 毛利慎太朗さま
いろいろ情報をありがとうございます。
もっとお写真をアップしてください。国鉄時代に生まれ育ったのでなんでも往時を偲ぶことができる原色が大好きです。
電機もJR化後に新塗装になってあまり好きじゃなかったな。
車体に大きくナナメで「ED75」とか。「おいおいそういうんじゃないんだよこれは。ナナゴは赤べこなんだよな」とか嘆いておりました。
今日は「仙貨」にDE11が居ました。新しい貨物ターミナルも工事が始まっていて、仙貨からのレールの工事も始まったようです。
ところでDC10ですが、就航当時はロッキードトライスターに負けじと販売合戦を繰り広げた挙句、貨物ドアに欠陥があったのにもかかわらず破格値でトルコ航空へ売り飛ばし、その飛行機はパリ上空で貨物ドアの閉め方が不完全であったので上昇中にドアがもげて墜落、300人以上が亡くなる大惨事を起こしました。それにもかかわらず不正を隠蔽して売り続けたんですよね。その後は改修されそれなりに販売を伸ばしました。日本でもJALが導入しました。
すいません余談です。
-Akr-
- 毛利慎太朗さん からの返信 2020/11/22 17:49:04
- Re: DE10フォルダ大解放!
- 詳しい補足痛み入ります。
DC-10の情報分かりやすかったです。
ナナゴーさんの塗装ですが、その職場の先輩は『ゲッパ』とか、EF81-95のような塗装が好きだったので、まんざら否定できないけど、やっぱ原色は落ち着きますね。
あかべこはパーイチさんやナナゴーさんの専売特許ですよね。
(一瞬あかべこときいて719系や485系あいづライナーの塗装かと思ったので、あまちゃんですね。)
ゲッパの赤より、スカ色みたいな青とクリーム色がやはりロクゴーさんかと。
手元には写りの悪い原色475系もありますが、upも検討しないと。
コロナでなかなか遠出ができないなか、お話にお付き合いいただきありがとうございました。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 備忘録・単発
7
67